サイレントボイス
ハルナが目指すのは学校の『旧校舎』だった。
かつてハルナは一度だけ旧校舎を見物に行ったことがあった。
ただの古い建物だったので、すぐに飽きて帰ったのだが……。
女子寮から旧校舎までは結構な距離が有る。
その事に思い至るとハルナは脚を止めて飛行フレイズを唱えた。
サークルが出現し、ハルナの体が浮き上がった。
飛行フレイズの機動力はそれほど高くない。
速さではドラゴンや羽猫には遠く及ばず、戦士の疾走よりも遅い。
だが、ハルナの体力で走り続けるよりはマシだった。
本校舎は女子寮の北西。
旧校舎は本校舎よりもさらに北に有る。
ハルナは北へ北へと飛び、やがて本校舎を飛び越えた。
校舎の北には森が広がっていた。
ハルナは木々の上を飛び、森の奥を目指した。
ハルナは空を飛びながら先日の事を思い返していた。
ルイジの告白を断ったこと。
そして……。
あらゆる手を尽くす。
ロクがそう言っていたのを思い出す。
(犯人はロク……?)
(これがあなたのやり方なの……?)
(何を考えているの……?)
(誘拐なんてことをすれば、ただでは済まないはず……)
苛立ちと疑問がハルナの中を渦巻いていた。
……。
三十分近い時間をかけてハルナは旧校舎の上空までたどり着いた。
校舎前に着陸し、リメイクの効果を切る。
ハルナの目にボロボロの昇降口が映った。
リメイクで補強された建物の歴史は実際の見た目よりも古い。
状況のせいもあって妙におどろおどろしく見えた。
だが、迷っている暇は無い。
ルイジの安全が最優先だ。
ハルナは昇降口を抜けて旧校舎へと入っていった。
「ルイジ!」
ハルナは廊下からルイジに呼びかけた。
答えは無い。
ルイジがどこに居るのかはわからない。
部屋の扉を一つ一つ開けて、彼の姿を探すことにした。
「っ……!」
一階を見回った辺りで、雨音が聞こえ始めた。
「そんな……」
それは通常の雨ではない、黒い雨だった。
ハルナは天気予報をチェックしてはいたが、それは自分の行動範囲だけの話だった。
普段立ち寄らない旧校舎周辺、そこに呪いの雨が降るという予報は聞いていなかった。
ハルナのこめかみを冷や汗が伝った。
(ルイジを探さないと……)
ひとまずハルナは雨のことを頭から締め出すことにした。
三階建ての校舎を二階三階と順に調べていった。
全ての教室を調べたが、ルイジは見つからない。
間違った場所に来てしまったのだろうか。
そんな焦りだけが募っていく。
確認しようと思い、ハルナはポケットにしまっていた封筒を取り出した。
封筒の中の魔導紙を確認するつもりだった。
その時……。
「ッ!?」
封筒が音も無く炎上した。
ハルナは思わず封筒から手を放した。
封筒が廊下に落ちた。
緑色の炎が魔導紙を、便箋を、焼き尽くしていく。
後には何も残らなかった。
ハルナの鼓動がどくどくと早まっていく。
ハルナは自分が担がれていたのだと気付いた。
(誘拐なんて最初から無かったんだ……!)
誘拐をして、それがバレればただでは済まない。
ただ、ハルナに誘拐が有ると思い込ませれば良かったのだ。
ひょっとすると、写真に写っていたのはルイジではない別の誰かなのかもしれない。
慌てていたからルイジだと思いこんでしまっただけなのだ。
ハルナはそう考えた。
魔導紙はもう無い。
それを確認するための手立ては既に失われていた。
旧校舎の周りにはざあざあと雨が振り続けていた。
雨はどうしようもなく黒い。
この区画の天気予報は確認していなかった。
雨が止むのはいつになるかわからない。
多少の遅刻ならともかく、このままでは試験が終わってしまうかもしれない。
雨を防ぐフレイズは有る。
だが、同時にいくつものフレイズを機能させるのは不可能だった。
飛行しながら同時に雨を防ぐことは出来ない。
仮面が有れば同時に二つのフレイズをかけることが出来るが、この時のハルナは仮面を持っていなかった。
このままではハルナは落第し、留年する。
特待生であるハルナにとって留年とは退学と相違ない。
相応の理由が有れば試験は延期してもらえるかもしれない。
だが、ハルナの正当性を示す証拠はどこにも無かった。
「させるか……!」
ハルナの紅眼がぎらりと光った。
卑怯者に負けたくは無かった。
ハルナは旧校舎を飛び出した。
飛行フレイズを使い、森の中を飛ぶ。
敢えて森の上を避けたのは、その方が雨に濡れないかもしれないと思ったからだ。
ほんの気休めだった。
乱暴に飛ぶハルナの肌に乱雑に生えた木の枝が傷を作る。
黒い雨はじわじわとハルナの体を濡らしていった。
……。
「抜けた……!」
森を抜けたわけではなかった。
ただ、ハルナの頭上に雨雲は無くなっていた。
雨雲の下を脱した。
これ以上雨を浴びる心配は無い。
ハルナは安堵した。
その時……。
「う……?」
ハルナの喉に痛みが走った。
焼けるように熱い。
だが、それに構っている時間は無かった。
会場に行き、試験を受ける。
合格し、進級する。
そして……。
「世界一のテンプレーターになる……!」
……その声は低くしわがれていた。
老いた男のような声だった。
……。
ハルナが『試験場』にたどり着いた時、既に試験は始まっていた。
初日の試験は実技だった。
試験場は攻性フレイズの実習場。
それは屋外の、学校から離れた平野に有った。
校舎から遠いのはリメイクによる建物の損傷を避けるためだ。
ハルナは試験場に降り立つと周囲を見回した。
ルイジの姿を探す。
……居た。
ルイジは普通に立って、他人が試験を受ける様子を眺めていた。
既に自分の番は終わったのかもしれない。
ハルナは安堵のため息をついた。
そのため息がいつもと少し異なっていることにハルナは気付かなかった。
ハルナはさらに視線を動かした。
そしてロクの姿を見つけた。
彼は何事もなかったかのように仲間と談笑していた。
その中にはハルナに封筒を渡したシムの姿も有った。
彼等がハルナに気付いた様子は無い。
何か言ってやろうと思ったが、我慢することにした。
まずは結果を出そうと思った。
試験を受け、圧倒的な差を見せつける。
お前たちがやったことは全部無駄だったのだとわからせてやる。
何か言うのはそれからでも遅くないと思った。
ハルナは試験担当の講師の一人に近付いていった。
「遅いぞ。サーズクライ」
ハルナはぺこりと頭を下げた。
ハルナの頬から血が流れていることにその講師は気付かなかった。
「丁度空いた所だ。やるか?」
平野にはいくつもの円が描かれていた。
その円の中からターゲットの人形に攻性フレイズを放つ。
試験の評価は威力や精度、速度などを総合して決められる。
ハルナはそのどれもが人並み以上だ。
ハルナにとっては楽な試験だった。
ハルナは空いた円の中へと歩いた。
そして、ターゲットの人形を睨みつけた。
ただの人形が憎むべき仇敵のように見えた。
最強のリメイクをぶちまかしてやろうか。
ハルナはそう考えた。
校長に教わった、『究極の歌』を。
そうすればここら一帯ただでは済まないだろうが、それも良いと思った。
それほどに今のハルナは腸が煮えくり返っていた。
ハルナが試験を受けると気付いたのだろう。
生徒の多くがハルナへと視線をやった。
何か凄いものが見られる。
生徒たちはそんな予感と期待をこめてハルナを見ていた。
ハルナはフレイズを奏でるために口を開いた。
(すいません、校長。この実習場は明日にはもう存在しません)
放とう。
まずは最初の一音を。
だが……。
(え……?)
声が出なかった。
どれだけ声を出そうとしても、一音の母音も出てこない。
ただ、子音だけが小さく鳴っていた。
(どうして……?)
ハルナは思い出した。
自分が黒い雨に打たれたこと、そして、喉に焼けるような痛みが走ったことを。
黒い雨は、呪いの雨だ。
(私の声は……もう無い……?)
ハルナは両手で喉を押さえた。
そして、崩れ落ちた。
ハルナの意識は途絶えた。




