エアフォース
ハルナとロクの接触から一日が経過した。
翌朝、ハルナは何事もなく学校に登校し、教室に入った。
教室内では既にルイジが着席していた。
「おはようございます」
席の後方から話しかけたので、その時はルイジの顔が見えなかった。
「うん……」
ルイジはのっそりと振り返った。
その声は暗かった。
ハルナが顔を見ると頬が腫れているのがわかった。
「ルイジ……!? どうしたのですか……!?」
「ちょっと……転んだんだ」
ハルナはルイジの言葉を愚直に受け止めた。
「そうですか。ちょっと良いですか?」
それからハルナは制服のポケットに手を入れ、支給品である杖を取り出した。
「何?」
ルイジがぼんやりと見ているとハルナは回復フレイズを唱え始めた。
詠唱が終わるとルイジの足元にサークルが展開された。
ルイジの傷が癒えていく。
ハルナは平然としていたが、ルイジは平静ではいられなかった。
「ハルナ……!? 何をしたの……!?」
ルイジは食ってかかるように聞いた。
「何って……回復フレイズですが……」
「回復フレイズって……そんなのまだ習ってないじゃないか……!」
「教科書に書いてありましたから」
「教科書って……」
ルイジも多少の予習はしてきていた。
初級フレイズの幾つかは使いこなせる。
だが、長さから見て、今のフレイズは初級フレイズでは無い。
中級か……あるいは上級か。
少し予習をした程度で身につくフレイズでは無かった。
「ルイジはまだ教科書を全部読んでいないのですか?」
「読んでないよ。授業はまだ最初の方だし」
「授業?」
ハルナは首を傾げた。
「授業というのは、学習の理解度を確認するためのものなのでは?」
「え……?」
ルイジは絶句した。
ルイジにはハルナが理解出来ない。
ハルナにはそんなルイジが理解出来ない。
「授業のスピードに合わせていたら学習に支障が出ると思うのですが……」
「そうか……」
ルイジは俯いた。
小さく絞り出す。
「ハルナはテンプレートの才能が有るんじゃない……」
「もっと別の……天才なんだ……」
「天才……?」
『天才』。
それはハルナにとっては聞き慣れない言葉だった。
田舎の村娘に過ぎなかったハルナには才能を誰かと比較される機会が無かった。
入学試験で一番を取れたのは頑張って勉強したからだと思っていた。
だが……。
「私が……天才……?」
「そうだよ。自覚しておいた方が良い」
ルイジは下を向いてハルナと目を合わせようとしない。
「そうじゃないと……嫌味になる」
「はぁ……」
そう言われても、ハルナに対してルイジの言葉は曖昧にしか伝わらなかった。
ハルナが疑問の答えを得る前に講師が教室に入ってきた。
講義が始まった。
とっくに自習を済ませたはずの内容にハルナは熱心に耳を傾けていた。
身動き一つせず教師に見入っている。
それを横目で見たルイジの背筋に寒気が走った。
(天才だって……?)
(彼女は……もっと上の化物かもしれない……)
……。
講義が終わり、放課後になった。
ハルナはルイジと話をするつもりだった。
特に用事が有ったわけではない。
ただ友達に話しかける。
それだけのつもりだった。
ハルナがルイジの方を見ると、彼のことを男たちが取り囲んでいた。
一瞬、ルイジの友達だろうかと思った。
だが、そう断ずるにはルイジの表情は暗く、青ざめていた。
良く見ると男たちはロクの取り巻きの生徒達だった。
クラスメイトも居れば、隣のクラスの生徒や上級生まで居た。
ルイジは男たちに着いて教室から出ていった。
嫌な予感がした。
ハルナはルイジを追って教室を出た。
見つからないように男達の後をつけていく。
途中、リメイクを使って姿を消した。
それは高度な上級フレイズだった。
到底一年生が使えるフレイズでは無かったが、ハルナはこともなげに使ってみせた。
男達はハルナに気付くこと無く人気のない校舎裏の方へと向かっていった。
……。
やがて、男達は校舎裏にたどり着いた。
学校の正門は南。
校舎裏は北側。
そのさらに北には森が広がっていた。
校舎の壁を背にしたルイジを男たちが取り囲んでいた。
そして、一番背の高い男がルイジの前に立った。
男は通常の耳の代わりに犬のような毛の生えた耳を生やしていた。
さらに、ズボンの穴からは長い尻尾。
『シム=ベーティア』。
『オーグ族』というこの地方に多く見られるアレンジ(亜人)。
ロクの右腕で、十二歳の若さにして武術の達人と言われる男だった。
ハルナが様子を窺っていると、シムがルイジに拳を叩き込んだ。
鳩尾。
ルイジが打たれたのは水月などとも呼ばれる人体の急所の一つだった。
「!?」
ハルナは驚愕した。
学校というのはもっと平和な所だと思っていた。
こうも容易く直接的な暴力がふるわれるとは思っていなかった。
「ぐぁ……」
ルイジは膝をつき、体を折ってうめき声を上げた。
「言ったはずだな? あの女には近付くなと」
「あの女はロク様が手に入れる。お前のようなグズに汚されては困るのだ」
「僕は……近付いてない……彼女から……」
「言い訳をするな!」
シムがルイジの肩を蹴り飛ばした。
「かは……っ……!」
ルイジは校舎の壁に背をぶつけるとひぃひぃと喘いだ。
到底看過出来るレベルの諍いでは無かった。
「止めて下さい!」
ハルナがリメイクを解き姿を現した。
「お前……いつからそこに……」
シムが驚愕の表情を浮かべた。
「生徒の私が学校に居てはいけませんか?」
「気配は無かった……」
「ルイジに何をしているのですか」
「ロク様に代わって身の程を教えているのだ」
「身の程……?」
「この男は容姿は平凡、家柄は俗。学力に乏しく心根も卑しい」
「お前はどうだ? 家柄は卑しいかもしれんが、才能にも恵まれ、度胸も有る」
「お前とこの男では釣り合わない。そうは思わないのか?」
「釣り合う? 釣り合わない?」
田舎育ちのハルナにはシムが持っている世界観が理解出来なかった。
「……友達になるのに才能が必要だなんて、聞いたことが有りません」
「ただ、彼とテンプレートの話をするのが楽しかった。だから友達になった。それではいけないのですか?」
「友達?」
シムは皮肉げに笑んだ。
「こいつのような男が下心も無く女に声をかけたと思っているのか?」
ハルナ達はこの時十二歳。
性に関しては微妙な年頃だった。
「純粋な友達だなどと思っているのはお前だけだ」
「勝手に決めつけないで下さい……!」
「テンプレートの話だと? ロク様もテンプレートには詳しい。存分に歓談すれば良い」
「彼のことは好きになれません」
「何故だ? あのお方はこの男よりもあらゆる点で優れているというのに」
「彼は傲慢です。あなたも」
「傲慢で何が悪い?」
平然と言い張るシムにハルナは一瞬気圧された。
だが、すぐに平静を取り戻して言葉を返す。
「そんなの……悪いに決まっています」
学者肌のハルナにしては凡庸な返答だった。
シムはそんなハルナの言葉に何かを感じた様子も無い。
シム=ベーティアは凡庸な者を相手に揺らいだりはしない。
彼は説いて聞かせるように言葉を続けた。
「人というのは生まれつき傲慢なものだ」
「誰かが傲慢になるのは、その人物が優れているからだ」
「持たざる者が傲慢になれないのは、誇るものが無いからだ」
「力を持たない者が、力を手にした瞬間に驕り高ぶるのを、俺は何度も見てきた」
「その卑屈な男は、たしかに驕ったりはしないだろう」
「驕るに足るだけの『資質』を何一つ備えていないのだから」
「だが……もし……万一この男が何かしらの『力』を手にしたならば……」
「この卑しい男は……驕らずにいられるかな?」
シムは冷めた目でルイジを見下ろした。
ルイジはシムと目を合わせる事が出来ない。
視線を揺るがせて地面を見ていた。
「勝手な決めつけでルイジを語らないで下さい」
「お前にはこの男がそんな大した男に見えるのか?」
「関係有りません」
ルイジとはただ友達なだけだ。
大仰な理屈など関係が無いと思った。
「強情だな。ロク様に差し出す前に少し躾けてやった方が良いか?」
「……暴力ですか?」
「悪いか?」
シムはやはり平然と言った。
彼は他人に暴力をふるうことに頓着が無いようだった。
彼のズボンの後ろで狼の尻尾がゆらゆらと揺れていた。
「いえ……。負けませんから」
ハルナはポケットに手を伸ばした。
そこには魔法の杖が有る。
「フッ。いい驕りだ」
ハルナが杖を取り出した時、シムと彼女との間には4ダカールの距離が有った。
シムが一歩前へと踏み出した。
ハルナはシムが杖を抜かない事を奇妙に思った。
リメイカー同士の戦いでは杖を使った方が有利なはずなのに……。
「っ……!?」
ハルナは驚愕した。
シムはあろうことか、ハルナに手を伸ばして突進してきた。
それは凡庸な戦士の動きでは無い。
速く鋭かった。
「かはっ……!」
シムの右手がハルナの細い首を掴んでいた。
リメイカーの弱点は喉か肺だ。
それらの箇所をやられると満足にフレイズを唱えることも出来ない。
シムの動きはリメイカーを倒すことに特化したスペシャリストのそれだった。
「誰がリメイクの勝負をすると言った?」
シムの唇の間から長い犬歯が覗いた。
「く……はぁ……っ……!」
ハルナは空気を求めて喘いだ。
四肢をじたばたと暴れさせるが、シムの体は揺るがない。
戦士として鍛え抜かれていた。
ふと、ハルナの視線がルイジを捉えた。
助けて欲しい。
ハルナはそう思ってしまった。
ルイジはただ不安そうにこちらを見ていた。
(彼は……何も出来ない……)
ハルナは一瞬でそう悟った。
すると妙に頭が冷えた。
次の瞬間、ハルナは自らの『杖』をシムの『腕の上』に走らせていた。
「何ッ!?」
小爆発が起きた。
シムの腕から小さな爆炎が立ち上った。
重症を負わせるほどでは無かったが、シムは思わず手の力を緩めた。
ハルナの首を開放してしまう。
ハルナの足が地面を掴んだ。
ハルナはすかさずフレイズを唱えた。
(攻性フレイズが来る……!)
腕を交差させ守りを固めようとしたシムだが、ハルナのフレイズは攻撃のためのものでは無かった。
フレイズの対象はシムではなくハルナ自身。
ハルナの足元にサークルが出現していた。
そして……。
「飛んだ……?」
ハルナの体が空中へと飛翔した。
シムの手が届かない遥か高みまで。
この時点でシムの武道家としての優位は完全に消滅していた。
中距離戦では武術よりもリメイクの方が圧倒的に有利だ。
ハルナは距離を取ることでリメイク戦闘の土俵に立った。
そして、学校の一年生にリメイクでハルナに勝てるものは居なかった。
既に勝敗は決していた。
蹂躙が始まった。
……。
数分後。
ロクの取り巻き達全員が打ち据えられ、地面へと倒れていた。
それはシムでさえも例外ではない。
屈強な肉体もリメイクの暴虐の前では大した役目を果たさなかった。
ケンカ相手が全員沈黙したのを見るとハルナは地上へと降下した。
「私の勝ちですね」
ハルナは地に伏したシムを見下ろした。
「……そうだな。まさかこれほどとは、流石に予想していなかった」
「金輪際、私達に関わらないでいただけますか?」
「ああ。それが良さそうだ」
「お前の居る次元は……どうやらロク様よりも一段上だ」
「お前と釣り合わないのは、あの男だけでは無かったらしい」
「お前の夫には歴史に名を残すような英雄こそが相応しいだろう」
好き勝手に言うシムにハルナは軽い苛立ちを覚えた。
「勝手に決めないで下さい」
「一つ聞いて良いか?」
「何でしょう?」
「俺がお前の首を掴んだ時……お前は俺の腕に何らかの攻撃を仕掛けた」
「フレイズも無しに何をやったんだ? テンプレートか?」
「フレイズは使いましたよ」
「どういうことだ?」
「口でフレイズを唱えるのが難しかったので、杖を使ってフレイズを書いたのです」
「杖でフレイズ……そんなことが出来るのか?」
「ええ。ほんの短いフレイズだけですが」
「教科書に書いてあると思うのですが、読んでいないのですか?」
ハルナはやはり、こともなげに言った。
「……ああ。あまり勉強熱心では無いのでな」
シムがこの学校に居るのはロクの部下だからだ。
リメイクを真面目に学びたいわけでは無かった。
「ロク様なら知っているのかもしれないな。あの方は努力家だから……」
「そうなのですか?」
「意外か?」
「ええ……」
「あんな性格で無ければお友達になれていたかもしれませんね」
「あれも含めてロク様の魅力だ」
「理解出来ません……」
そう言い捨てて、ハルナは回復フレイズを唱えようとした。
シム達を治療するつもりのようだった。
「止めておけ」
シムはハルナは制止した。
「え……?」
フレイズが中断された。
「敵に情けをかけるな。足元をすくわれるぞ」
「ご忠告どうも。ですが……」
ハルナは再びフレイズを唱え始めた。
フレイズが完成し、リメイクサークルが出現した。
倒れた生徒達の傷が癒えていく。
「クラスメイトを敵だなんて、大袈裟じゃないですか?」
「……フッ」
シムは苦笑した。
その笑みにどんな意味が籠められているのかはハルナにはわからなかった。
ハルナはシムとすれ違うとルイジの方へ近付いていった。
ルイジは校舎の壁を背に膝を抱えていた。
「ルイジ、怪我はありませんか?」
ハルナはルイジに手を差し伸べた。
「うん……。ハルナは凄いね」
ルイジはハルナの手を取らずに立ち上がった。
「行きましょう」
ハルナは歩き出した。
ルイジもその後に続く。
二人は校舎を通り、昇降口へと歩いていった。
そこで、ロクが姿を見せた。
「ハルナ=サーズクライ」
ハルナの姿を認めたロクが彼女へと近付いてくる。
ロクはハルナの前に立つと口を開いた。
「ちょっと……」
ロクが何かを言い終えるより早く……。
ピシャリと音が鳴った。
ハルナの手がロクの頬を叩いていた。
「な……! いきなり何をする!?」
ロクは信じられないといった表情でハルナを見た。
「今回のことは、ちょっとやり過ぎだと思います」
「何を……?」
「行きましょう。ルイジ」
ロクに二の句を継がせることもなくハルナは走り出した。
「あっ! 待ってよ!」
二人は昇降口を抜けると校庭へと駆け出していった。




