ブッチギレ
「何をしてるんですかあなたは!?」
トルクの怒りが大気を揺らし、オヴァンの耳朶を打った。
「『ドラゴンレース』だが?」
トルクの剣幕に対し、オヴァンは不思議そうに言葉を返した。
何を当然のことを聞いているんだこいつは。
薄く開いた唇がそう言っているように見えた。
そんなとぼけた様子がさらにトルクの怒りを誘う。
「こんなのレースじゃない! 滅茶苦茶だ!」
あらん限りの声量でトルクはオヴァンを怒鳴りつけた。
トルクの怒りに共感するかのようにシルヴァもオヴァンを睨みつけていた。
自らの主に敵意を向けられたことでスマウスはシルヴァに殺意の乗った視線を返す。
シルヴァはスマウスの巨躯に怯むことなく、強く睨み返した。
火花を散らすドラゴン達に対し、オヴァンはどこまでもマイペースだった。
「だが、ルールには……」
オヴァンは素直に謝ることはせず、弁解を始めてしまった。
こうなってはもうトルクの怒りは収まらない。
「常識でわかることは一々ルールには書かないんですよ!」
「そういうものか……」
「そうですよ! なんでわからないんです!? アホなんですか!?」
「いや……実は薄々不味いかもとは思っていたんだが……」
オヴァンの唇が微かに笑んだ。
「祭りだから、これくらいしても良いかなと」
「その祭りがあなたのせいで台無しですよ!」
トルクは一切の遠慮を捨てて心中の全てを叩きつけていく。
「なんなんですか!? あなたに期待していた私はどうなるんですか!?」
「今日この日のために私がどれだけ気合を入れてきたかわかってるんですか!?」
「これが私とシルヴァの最後のレースかもしれないんですよ!?」
「どんな気持ちで私があなたとのレースに挑んだと思ってるんですか!?」
「しかもなんで撮影スタッフまで巻き添えにしたんですか!? お客さんを何だと思ってるんですか!?」
「全く! 自由で良いですねあなたは!」
「なんだか……すまんな」
マイペースなオヴァンではあるが、トルクのあまりもの剣幕に流石に申し訳ないという気分にもなった。
「謝ってももう手遅れですよ!」
「そうか……それなら仕方ない」
オヴァンは仮面の下で目を細めた。
「……!」
トルクの四肢の筋肉に力が篭った。
オヴァンの気がスッと引き締まるのを感じたからだ。
「どうせなら、勝たせてもらおう」
オヴァンは開き直った。
最悪だなコイツ。
トルクはオヴァンの強大な闘気が自分に押し寄せてくるのを感じた。
だが、トルクは揺るがなかった。
薄緑色の風がオヴァンが放つ闘気を阻んでいた。
オヴァンはスマウスの鞍を蹴った。
「終わりだ」
オヴァンの四肢が野の獣よりも鋭く伸びた。
シルヴァの上のトルクをめがけて。
オヴァンは自らの必勝を確信していた。
だが……。
「っ!?」
オヴァンの視界に崖下の光景が広がった。
トルクの姿は忽然と消えていた。
これまで、オヴァンの襲撃を逃れられた者は存在しなかった。
それは、オヴァンの行動が非常識すぎたせいもあるが、ドラゴンには急加速が難しいためでもあった。
ドラゴンは羽ばたきの回数を増やすことで速度を上げるが、急に羽ばたき回数を増やすことは出来ない。
特に、レースのためにスピードを出している状態ではなおさらだった。
だが、トルクは敢えてシルヴァの羽ばたきを停止させ、羽をブレーキに急減速した。
「馬鹿な……!」
力任せに跳躍したオヴァンには軌道を変える方法がない。
よってトルクはオヴァンから逃れ、オヴァンは宙へと放り出された。
オヴァンにはトルクがシルヴァに合図を出したようには見えなかった。
もし大げさに手綱を引いていたりしたら、その隙にオヴァンは襲撃を終えていたはずだ。
ほんの一瞬の内にブレーキを選択し、言葉もなくドラゴンに意図を伝えたその力……。
オヴァンにとって全く未知の世界だった。
(この世界のドラゴンには……俺の知らない何かが有る……)
オヴァンは呆然として崖下へと落下していく。
五体が風壁を裂き、落下速度が危険域へと近付いていく。
パラシュートが……起動する……。
「オヴァンさん!」
寸前。
オヴァンの背に衝撃が有った。
ハルナが操るスマウスがオヴァンの体を受け止めていた。
オヴァンは仰向けで鞍よりも少し横にずれた地点に落ちた。
「っ……!」
仮面のせいでオヴァンの視界は常人よりも少しだけ狭い。
オヴァンの視界にはただ青空だけが映っていた。
自分がスマウスのどこに落ちたのか把握出来ていない。
下手をするとスマウスの背から転がり落ちてしまう。
オヴァンは慌てて周囲へと手を伸ばした。
「ひゃっ!」
オヴァンの耳に女の悲鳴が聞こえた。
ミミルの声だった。
オヴァンの手に柔らかい感触が有った。
オヴァンは手応えが有った方へと首を傾けた。
「あ……あぅ……」
オヴァンの右手が服越しにミミルの右乳房を掴んでいた。
ミミルの位置を把握したことでオヴァンは自分がスマウスのどこに落ちたのかを理解した。
オヴァンはバッと体を起こすと鞍の先頭に跳んだ。
「すまんな」
オヴァンは平然とミミルの胸を触ったことを詫びた。
元々ミミルは性に関する知識が薄い。
オヴァンがあまりにも堂々としているのもあって、ミミルはあまり怒る気にはなれなかった。
ただ、心臓がいつもより素早く脈打っていた。
「大丈夫? ブルメイ」
胸を触られたことは気にしないことにしてミミルはオヴァンの安否を尋ねた。
「ああ……」
そう言うオヴァンの心は既にミミルには向けられていなかった。
オヴァンの視線は遥か前方を飛ぶドラゴンに吸い付けられていた。
「あれが……『ドラゴン乗り』……」
オヴァンは思わず呟いた。
オヴァンの瞳孔が離れていくトルクとシルヴァを見送っていた。
現在のコースは直線だったが、シルヴァの速度はオヴァン達よりも圧倒的に速い。
オヴァン達は三人乗りで重量のハンデが有ったが、それだけではこれほどの差は出来ない。
どうしてシルヴァはあれほどまでに速いのか。
理由の一つに、シルヴァのフォームが完成されているということが有った。
シルヴァは完成された最小限の動きで翼を動かし空を駆けていく。
一方で、まともな訓練を受けていないスマウスのフォームは荒々しい。
見るからに力任せで、シルヴァとの差は一目瞭然だった。
だが……。
シルヴァの速さの源は果たしてそれだけなのか。
いくらスマウスが未熟とはいえ、これほどの差がつくものなのか。
スマウスは体躯に優れた大型竜であるというのに。
シルヴァは貧弱な中型竜に過ぎないというのに。
オヴァンにはシルヴァの体が『淡い光』を放っているように見えた。
それは風の色をした光だった。
「人と竜が一つになったかのようだ」
オヴァンの声音には強い感嘆の色が混じっていた。
「呪いさえ無ければ誰にも負けないと思っていたが……」
「俺は……」
「空ではあいつに勝てない……」
オヴァンはこの世界に生まれ落ちて初めて、人間に敗北を認めた。
オヴァンの拳がぶるぶると震えていた。
オヴァンは不思議そうに、震えている自分の拳を見た。
「何だ……? これは……」
オヴァンは自らの内面に赤銅色の何かが満ちているのを感じた。
それは怒りに似た何かだった。
「そうか……」
オヴァンは納得した面持ちで頷いた。
「敗北とはこういうものか」
トルクが前方の急カーブを曲がり、オヴァン達の視界から消えた。
シルヴァとスマウスの間には既に100ダカール以上の差が開いていた。
……。
独走態勢に入ったトルクはじぐざくに曲がりくねった谷を飛んでいた。
カーブではドラゴンは思ったようにスピードを出せない。
それがドラゴン乗りの常識だったが、トルクは常にトップスピードの5割以上を維持していた。
カーゲイルの限界を超えた超人的なドラゴン乗りの技。
最早トルクに追いつける者は存在しない……そのはずだった。
絶好調に見えるトルクだが、オヴァンの所業への怒りで少しだけ視野が狭くなっていた。
だから……『それ』を回避することが出来なかった。
「なっ!?」
突然、下方からシルヴァへと向けて何かが飛来した。
それは幾本もの金属矢だった。
トルクは回避を命じたが、一拍遅い。
シルヴァは短く唸った。
矢が数本、シルヴァの羽に突き刺さっていた。
「シルヴァ……!」
トルクが手綱も引かずに命ずると、シルヴァ前進を止めてその場に滞空した。
既にトルクの頭にオヴァンへの怒りは無かった。
兜の下では戦士の顔が作られている。
トルクは冷静に矢が飛んできた方向へと視線を向けた。
竜騎士の優れた視力が地上の敵を捉えた。
谷底に、『クロスボウ』を装備した賊が十人以上も立っていた。
さらに……曲がり角の向こうから何体ものドラゴンが現れた。
レース参加者のドラゴンではありえなかった。
「待ってたぜ。お坊ちゃまくん」
先頭のドラゴンに乗る男が口を開いた。
明らかにトルクを待ち伏せていたという口ぶり。
男は禿頭の巨躯。
ダジル=スネイル。
トゥルゲルの盗賊達を束ねる男だった。
その顔には酷薄な笑みが浮かんでいた。




