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誰にも譲りたくはない

谷の深さを15→50に修正。

 『ドラゴンレースの会場』は多数のドラゴンとその乗り手で賑わっていた。


 千頭近いドラゴンが『人工の谷』の中でひしめき合っていた。


 レースのためにカーゲイル一族が高原を掘って作った谷だ。


 谷を構成する断崖絶壁は高さ50ダカールほど。


 雄大な谷の全容を俯瞰しただけでもカーゲイルの権勢が窺い知れるようだった。


 レースは一番最初に『谷の終点に有るゲート』にたどり着いた者が優勝となる。


 谷の上の何箇所かには『審判』が配置されている。


 竜騎士の審判で、選手たちが谷を出ないように見張っていた。


 選手のドラゴンが谷より高く飛ぶと失格になる。


 既に『開会式』は終わっている。


 カーゲイル当主のロコル=カーゲイルは開会式の司会を堂々と終えた。


 事情を知らないレースの参加者達はつい先程までロコルが激昂していたことなど想像もつかないだろう。


 選手達はまだかまだかとレース開始の合図を待っていた。


 レース開始を待つ『群れの最後尾』にオヴァン達は居た。


「オリジナルの形状を確認出来なかったのは残念でしたね」


 オヴァンの真後ろでハルナがそう書いた。


 スマウスの背にはオヴァン、ハルナ、ミミルの三人の姿が有った。


 ドラゴンに酔うミミルだが、せっかくのレースだ。


 出ないという考えは、ほんのちょっぴりしか無かった。


 オヴァン達は、開会式でオリジナルの姿を拝めるかと思っていた。


 形状を見ればハルナの知識からオリジナルの正体を絞り込むことも出来る。


 それが解呪のオリジナルで無いのなら無理をして勝つ必要は無い。


 だがアテが外れた。


 開会式ではただ長ったるいスピーチを聞かされただけだった。


 オヴァンは無理をして勝つ算段を頭の中で組み立てていた。


「『授賞式』になれば嫌でも見られるだろう」


「そうですね」


「ねえ、ブルメイ、薬、薬は?」


 オヴァンの二つ後ろの鞍からミミルが酔い止めヤクをせがんだ。


「もう無くなった」


 オヴァンはつれなく答えた。


「嘘よ。隠してるんでしょう? 薬を出しなさい。隠すとためにならないわよ」


 ミミルは薬こそが生きがい、薬こそが人生の全てと言わんばかりの形相をしている。


「酔うのが嫌なら観戦に回れば良いだろう」


 オヴァンは呆れて言った。


 観戦する場合、ゴール前でレースの様子を見ることが可能だった。


 レース会場には選手だけでなく、テンプレートを持った『撮影スタッフ』の姿が有る。


 彼等スタッフは、転送石のテンプレートを使ってレースの様子をゴール前の崖に転写する。


 そうすることでドラゴンに乗れない観客達にもレースの経過を観戦することが可能だった。


「それは嫌」


 ほんのすこし迷ってからミミルはオヴァンの提案を切り捨てた。


「面倒な奴だな」


「『お祭りは参加することに意味がある』ってお姉ちゃんが言ってたわ」


「まあ、俺も祭りは嫌いでは無いが、それで気分を悪くするのはな……」


「大丈夫。この子も人を乗せて飛ぶのが上手くなってきたし、前ほどは酔わないわ」


「なら、この薬は必要無いな」


 オヴァンは旅袋に手を入れた。


 そして、袋から出した瓶をひらひらと見せびらかした。


「薬ィ!」


 瓶を見たミミルの動きは素早かった。


 オヴァンがぎょっとするような動きでミミルは瓶に飛びついていた。


 ミミルは薬瓶を奪い取ると中の薬をガリガリとかじり始めた。


 それはオヴァンが聞いていた用法用量とはいささかかけ離れているように見えた。


「おい、量が多くないか?」


 オヴァンは流石に心配になって尋ねた。


「大丈夫よ」


 ミミルはにへらと笑った。


「何だか気持ちよくなってきたもの」


 彼女は桃源郷に居るかのような恍惚とした笑みを浮かべていた。


「……そうか」


 そこへ、一頭のドラゴンがオヴァン達に向かって近付いてきた。


 そのドラゴンはスマウスの右上方で綺麗に滞空した。


 ブレずに一箇所に滞空し続けるのは訓練されたドラゴンであっても難しい。


 銀色のドラゴンはそれをいとも容易くやってのけた。


「オヴァンさん」


 銀色のドラゴンの上から若々しい男の声がした。


 オヴァン達は声の方角を見上げた。


 ドラゴンに乗る竜騎士の顔は銀の兜で隠されていた。


 顔を見るまでもなくそれが誰なのかはわかっていた。


「トルクか。先頭に行かなくて良いのか?」


 常識だが、なるべく前からスタートした方がレースでは有利になる。


 レースの参加者は多い。


 皆が平等に横一列でスタートというわけにはいかない。


 勝ちたいのであれば強引にでも良い位置を勝ち取るべきだった。


 オヴァンは理由があって最後尾に居たが、トルクには後ろに居る理由は無いだろう。


「ええ」


 トルクは澱み無く頷いた。


「ここに居る連中と私とでは勝負になりませんよ」


「大した自信だ」


「事実ですから」


「カーゲイルの連中も出場しているのでは無いのか?」


 強力なライバルも居るのではないか。


 オヴァンはそういう意図で尋ねた。


「ええ。分家から十人ほど」


「……それが何か?」


 トルクにはオヴァンの意図は伝わらなかった。


 たとえカーゲイルの一族でも関係が無い。


 自分達以外の者は例外なく遅い。


 それがトルクにとっての常識だった。


「……いや」


 そんなトルクの在り方を見て、オヴァンは手強いなと思った。


「今日はお互い正々堂々と勝負しましょう」


 オヴァンには見えなかったが、トルクは兜の下で微笑んだ。


 トゥルゲル最速の男はオヴァンに対してちょっとした期待と不安を抱いていた。


 つまり……『ウチ』の常識が、『ソト』の者によって覆されるのではないかと。


 スマウスを乗りこなしたオヴァンの存在にはそれだけのインパクトが有った。


「正々堂々かどうかはわからんが、ルールは読み込んできた」


「ここの作法は知らないが、『ルールの範囲内』で戦うつもりだ」


「はい」


 話が終わるとトルクはシルヴァを後退させた。


 そして、スマウスよりもさらに後ろに着地させた。


 最後尾から出発するつもりのようだ。


「オヴァンさん、そろそろ『パラシュート』を付けておきましょう」


 シルヴァの着地位置を確認してからハルナが書いた。


「ああ」


「パラシュート?」


 ミミルが疑問符を浮かべた。


「『腕輪』を貰ったでしょう?」


 ハルナはミミルに対して銀の腕輪を示した。


 開会式の時に参加者全員に配られた腕輪だった。


「これはテンプレートになっているんです」


 ハルナとオヴァンは腕輪を装着した。


「どんな効果が有るの?」


 一拍遅れてミミルも腕輪を身につける。


「垂直落下速度が一定に達すると泡が出て落下を防いでくれます」


「垂直……速度?」


 ミミルはピンと来ない様子だった。


「要は、落ちても大怪我をしないようになるテンプレートです」


「へぇ……」


 ハルナが言葉を書き換えたことでミミルはようやく納得した。


 レースが始まるまでは特にすることも無い。


 ミミルはとりとめのない話題を振って時間を潰すことにした。


 ……それから五分ほどが経過した。


 ミミルの目が谷の上で動く人影を捉えた。


 人影のすぐ近くには『銅鑼』が備え付けられていた。


 現れたのは銅鑼を鳴らすスタッフのようだ。


 無論、銅鑼はレースの開始を告げるためのものだ。


「ブルメイ、始まるわ」


 ミミルは乗り手であるオヴァンに注意を促した。


「ああ」


 オヴァンも銅鑼の方を見た。


 スタッフが銅鑼を叩くためのバチを構えた。


 ……始まる。


 横叩きにバチが振られた。


 金属製の銅鑼とバチがぶつかり合う。


 銅鑼が大きく鳴り響いた。


 ドラゴン達が飛び立つ時間だ。


 乗り手の中には熟練者も居れば、ただの観光客も居た。


 スッと飛び出すドラゴンも居れば、バタバタと慌ただしいドラゴンも居た。


 ドラゴン達は足並み揃わず飛び立っていく。


 オヴァンの目を引いたのはやはりトルクのドラゴンだった。


 雑然としたドラゴンの間をまるで風のようにすり抜けていく。


 一方で、オヴァンのドラゴンは前方のドラゴンに阻まれ先に進めない。


 スマウスの巨体のせいもあったが、それだけでは無いだろう。


「流石ですお兄様……!」


 ゴール前の観客席、観戦に参加していたシルクは感嘆の声を上げた。


 撮影用ドラゴンのテンプレートが芸術的な兄の操竜技術を映していた。


 シルクは確信した。


 やはり、兄は他のドラゴン乗りとはモノが違う。


 このレースで兄が負けるということは決して無いだろう。


 当然、竜面の男に敗れるなどありえるはずもない。


 だが……。


「え……?」


 その確信が揺らぐまでにあまり長い時間はかからなかった。


 観客席がざわめきに満ちる。


 突如、撮影用ドラゴンが送ってくる映像の一つが途切れたのだ。


 撮影用ドラゴンは全部で十体。


 その内の一体が映像を送らなくなっていた。


 スタッフがテンプレートのスイッチを切ったか、テンプレートが破損したということだ。


 途切れた映像が一つだけなら、スタッフがミスをしただけだと思えたかもしれない。


 だが……。


 二つ三つと、レースを映す映像が消滅していく。


 もはやただのミスとは考えられない。


 レース場で……何かが起こっている。


「お兄様……?」


 シルクは不安を隠せない眼差しで映像が消えた壁面を見つめていた。


 ……。


 観客席に送られる映像が途絶え始める少し前……。


「作戦開始だ」


 オヴァンが言った。


「本当にやるの?」


 ミミルは顔をしかめている。


 オヴァンの作戦にあまり賛成では無い様子だった。


「ああ。フォローを頼む」


 そう言ってオヴァンはスマウスの手綱から手を離した。


「お任せ下さい」


 オヴァンが離した手綱をハルナが掴んだ。


 オヴァンは鞍の上に立ち上がり……。


 そして……跳んだ。


 次の瞬間、オヴァンは最寄りのドラゴンの背に飛び移っていた。


「えっ?」


 ドラゴンの乗り手の男が唖然とした声を上げた。


「悪いな」


 オヴァンの手が男の首をがしりと掴んだ。


 オヴァンの力に抗える人間など、この世界に存在するはずも無い。


 オヴァンは強引に乗り手の体を持ち上げるとドラゴンの背から放り投げた。


「ひいいいいいいいいっ!」


 男は悲鳴を上げながら地上へと落下していった。


 落下速度が一定以上に達した時、パラシュートが起動して男の体を泡で包み込んだ。


 泡は不透明で中の様子は伺えない。


「まずは一人」


 そう言ったオヴァンの耳に、ハルナのテンプレートが放つ声が届いた。


「オヴァンさん!」


 ハルナがスマウスの背に何か書いていた。


「今の人は『レースの参加者』ではありません! 『撮影スタッフ』です!」


 ハルナは少し慌てた様子だったが、オヴァンは動じなかった。


「問題ない。ルールは遵守している」


「ルールには『撮影スタッフを投げてはいけない』とは一言も書いていなかった」


 そうらしい。


 堂々と言い終えるとオヴァンは次のドラゴンの背へと飛び移って行った。


「え? 旦那?」


 次のドラゴンの乗り手が間抜けな声を上げた。


 『どこかで聞いたような声』だったがオヴァンは気にせず投げ落とした。


「旦那あああああああああっ!」


 商人風の小男が崖下に転落していく様をオヴァンは見送らなかった。


 二人では全く足りない。


 確実に勝利を掴むには全員を蹴落とす必要が有る。


 オヴァンは加速した。


 ……ドラゴンレースのルールに相手を妨害してはならないというルールは無い。


 ドラゴン同士が競い合えば多少のぶつかり合いなどは起こって当然だからだ。


 ただし、競争相手を故意に殺傷する行為は禁止されている。


 武器やテンプレート、リメイクによる攻撃などは禁止されていた。


 オヴァンはこれを、武器を使わず傷さえ負わせなければ何をしても良いのだと解釈した。


 ……解釈したのだ。


 ……。


 一方、トルクのドラゴンは群れの最前列を抜け出していた。


 独走態勢に入る。


 こうなってはもうトルクに追いつけるドラゴン乗りなど存在しない。


 トルクの前方には誰も居ない。


 左右にも。


 トルクは競い合うべきライバルの姿を探した。


 周囲にオヴァン=クルワッセの姿は無かった。


 トルクは自身の心中に落胆が広がっていくのを感じた。


 最高の勝負を期待していた。


 英雄ブルメイとギリギリの勝負を繰り広げ、そして、最後には自分が勝つ。


 そんなレースを夢見ていた。


 ……だが、結局はオヴァンは素人にすぎない。


 最速の竜騎士の速度域についてこられるはずなど無かったのか。


(期待しすぎたのか……)


(これが私達の最後のレースなのか……?)


 トルクは未練がましく背後を振り返った。


「っ!?」


 トルクは兜の下で目を見開いた。


 トルクの経験が明らかな異常を訴えかけていた。


「コースアウトが多すぎる……!?」


 トルクの目に後方に居るドラゴン達が次々と上方へ飛び去っていくのが見えた。


 崖の上へ、コース外へと。


 何かはわからないが、何かが起こっている。


「いったい何が……?」


 勝ちに徹するのであれば、気にせずに集団を振り切るべきだった。


 だが、トルクは好奇心に惹かれてドラゴンのスピードを落とした。


 そして、前列のドラゴンに近付いていった。


「乗り手が居ない……?」


 トルクは群れのドラゴン達が乗り手を失っていることに気付いた。


「何だ? 何か事故が……」


 その時……。


「追いついたぞ」


 トルクの上方のドラゴンから男の声が聞こえてきた。


 聞き覚えの有る声だ。


 トルクはコースアウトにならない程度にシルヴァの高度を上昇させていった。


 とあるドラゴンの上に二つの人影が立っていた。


 男女が一組。


 記念参加で有れば複数人での参加は珍しいことでは無かった。


 だが……トルクには女の方に見覚えが有った。


 カーゲイルの分家の一人娘だった。


 彼女が乗るドラゴンは中型だ。


 彼女の牧場にはもっと速いドラゴンも居るはずだった。


 カーゲイルのドラゴンとシルヴァを競わせないためのロコルの差し金だった。


 ……いや。


 今はそんなことは問題では無かった。


 弱いドラゴンに乗っているとはいえ、彼女はカーゲイルだ。


 大切なレースに二人乗りで出るなどということはありえない。


 ましてや、レース中に鞍から立ち上がるなどあって良いはずが無かった。


「……!?」


 トルクはもう一方の人影が彼女の首を掴んでいる事に気付いた。


 男の人影が少女をドラゴンから放り投げた。


「キャアアアアアアッ!」


 投げられた少女は悲鳴を上げながら落下し、パラシュートの泡に包まれて消えていった。


 ドラゴンの背には一人だけが残る。


 その男もトルクには見覚えが有った。


 忘れるはずもない。


 トルクと男の目が合い、男は口を開いた。


「邪魔者は全て片付けた。撮影スタッフもだ」


 竜面の男が不敵に立っていた。


「お前で『最後』だ。トルク=カーゲイル」


「オヴァン=クルワッセ……!」


 トルクの双眸がオヴァンの竜面を睨みつけた。


 ……当然だが。


 この時のトルクは怒っていた。



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