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ラストラン

「『オリジナル』はまだ見つからんのか……!」


 カーゲイル家の居間で怒りを露わにしたのはカーゲイル家現当主、ロコル=カーゲイルだった。


 何日か前、本邸の『地下宝物庫』が賊によって荒らされているのがわかった。


 宝物庫から盗まれたのは、3000万マケル相当の金銀と家宝のオリジナル。


 絶大な権勢を誇るカーゲイルにとって、3000万程度の金は端金でしか無い。


 だが、家宝は別だ。


 あれを盗まれたということは家名に泥を塗られたのと同じことだった。


 家宝をレースの賞品にしているのはその存在を軽く見ているからではない。


 実力で家宝を守り続けることを一族の誇りとしているからだ。


 百年を超える長い月日、カーゲイルは家宝を守り通してきた。


 それを、薄汚いこそ泥に盗まれた。


 ロコルの怒りは留まるところを知らなかった。


 家人達もそれを恐れて必要以上に彼に近付こうとはしない。


 そこへ現れたのが息子のトルクだった。


「父上、そろそろレースの会場に行かないと……」


「レース? レースだと?」


 至極当然のことを言ったトルクにロコルは怒りの矛先を向けた。


 威厳を示すための怒気では無かった。


 その怒りに計算は無い。


 見境なく怒っている。


 トルクがまだ小さかった頃、ロコルの頭にはほんの僅かに白髪が見られた。


 今、ロコルの頭は大分白くなっている。


 まだ老人と言われるような年では無かった。


「そのレースに出す賞品が無いのだぞ! 事の重大さがわかっているのか!?」


「家宝は私達が探しておきます。父上は開会式の準備を進めておいて下さい」


 トルクは淡々と言葉を返した。


 ロコルはトルクを睨みつけた。


「貴様……いつからこの私に意見出来るようになった? 一人前になったつもりか?」


「私は……」


 こういう時のロコルには何を言っても仕方がない。


 とは言っても、トルクは今の事態をそれほど重く見てはいなかった。


 ロコルの白髪はカーゲイルのために積み重ねられた苦渋だ。


 カーゲイルにとって重要な催しであるドラゴンレースをロコルが台無しにするはずも無い。


 たとえ激昂していても、ギリギリの所ではロコルは正しい判断を下すはずだ。


 トルクはそう確信していた。


 そんなトルクの思考をロコルの言葉が断ち切った。


「大体、貴様はいつまであのチビのドラゴンに乗っているのだ。恥ずかしくないのか?」


 トルクが動じないのでロコルの怒りの矛先はシルヴァへと向かった。


 シルヴァは中型竜だ。


 ドラゴンの平均からすれば決して小さくは無い。


 だが、カーゲイル家の当主である彼にとって、10ダカールに満たないドラゴンは全て小型と変わらなかった。


 10ダカール超えのドラゴンとそれ以外のドラゴンでは市場価格に雲泥の差がつく。


 大きさだけがドラゴンの良さでは無いが、市場でモノを言うのはとにかく大きさだ。


 大型のドラゴンをどれだけ育てられるかが牧場主の力量の指標とも言えた。


 最も、ロコルがシルヴァを嫌うのは身長のせいではない。


 カーゲイルの常識に当てはまらないシルヴァをロコルは恐れていた。


 それは同時に息子のトルクを恐れているということでもあった。


「シルヴァをバカにしないで下さい」


 トルクは馬鹿正直に反発した。


 自分自身のことであればこうはならなかっただろう。


 反発を受けたロコルは両目をカッと見開いて……そして細めた。


 それから、今までとは違う落ち着いた口調で言った。


「……今まで『目こぼし』してやったが、やはりアレはカーゲイルの当主には相応しくない」


 怒りが落ち着いたわけではない。


 ただ、それはふつふつとした冷えた怒りへと変わっていた。


 殴打する怒りでは無く、刺す怒りだった。


「シルヴァの『速さ』は父上も良く知っているはずですが」


「速さの問題ではない。『威厳』の問題だ」


 ロコルは当主としての顔を崩さずに言葉を続けた。


「当主の乗るドラゴンは雄大で周囲に威厳を示すものでなくてはならない」


「……今は良い。好き放題に飛び回っているだけなのだからな」


「だが、当主を継げば家来と並ぶ機会も多くなる」


「当主のドラゴンが家来のドラゴンより小さくて格好が付くか?」


「それともまさか……家来達にもチビのドラゴンに乗れというのでは無いだろうな?」


 トルクは父が言うような情景を頭に思い浮かべた。


 確かに、格好がつく光景だとは言えなかった。


「それは……」


「『つがいの雄』を見つけて『引退』させろ。もっと相応しいドラゴンに乗れ」


「カーゲイルの当主に相応しいドラゴンにな」


「父上……!」


「これは当主命令だ! 良いな!」


 完全な八つ当たり……だとはトルクには思えなかった。


 父がカーゲイルの風評を守るために努力を重ねてきたことはトルクもよく知っている。


 当主の見栄えというのもカーゲイルの一族を守るためには必要なものなのだろう。


 父の機嫌が悪くなくてもいつかは命じられたことに違いないと思った。


 父はおかしなことは言っていない。


 それに、トルクには父に対する負い目が有った。


 父を負かし、当主としての自信を揺るがせた負い目。


 自分がカーゲイルの王道から外れてしまっているという負い目。


 シルヴァを降りれば、カーゲイルとしての王道を歩めば、父も少しは安心するだろう。


 シルヴァを降りるのは、カーゲイルの未来のために必要なことだ。


 やるべきことだ。


 だというのに……どうしてこうも足元がふらつくのか。


 トルクは固くなった口を強引に開いて言葉を発した。


「……わかりました」


 それが、正しい。


 トルクはシルヴァから降りることを認めた。


 いつかはこうなるとわかっていた。


 そう自分に言い聞かせる。


「つがいの話については……シルヴァが気にいる雄が居ればそうしましょう」


「気に入るだと? 貴様、呆けたのか?」


 ロコルはトルクに対して見下すような視線を向けた。


「家畜の意思など関係無い。強い雄とつがわせろ」


 ロコルが口にしたのはカーゲイルにとっての常識だ。


 ここがトゥルゲルである以上、何一つ間違ってはいない。


 雲の上の国において、カーゲイルの理は常に正しい。


「……はい」


 トルクは力なく頷くとロコルに背を向けた。


 いつまでも館に居るわけにはいかなかった。


 レースが有る。


 レースに出て、そして、優勝しなくてはならない。


 カーゲイルの長男に与えられた役割だ。


 居間の出口へと向かうトルクの脚はフラフラとよろめいていた。


(シルヴァが……引退……? つがいだって……?)


(ずっと一緒に育ってきたんだ……)


(ずっと同じ空を飛んできた……)


(そのシルヴァが……好きでもない雄と……?)


(だけど……)


(これは私達がずっとドラゴンにしてきたことだ……)


(シルヴァに同じことをして……何が悪いっていうんだ……?)


(父上は正しい……間違ってはいない……なのに……)


 トルクは胸に手を伸ばした。


 硬い甲冑がトルクの手と心臓の間を阻む。


 だが、トルクには鎧の金属板越しにでも手の平に鼓動が伝わってくるような気がした。


(苦しい……胸が……痛い……)


 ただ心臓が痛いのか。


 トルクにはそうは思えなかった。


(まるで……魂が引き裂かれるみたいだ……)


 足取りを立て直すことも出来ず、トルクは廊下へと出た。


「お兄様、大丈夫ですか?」


 廊下に出てすぐ、トルクの左方から少女の声が投げかけられた。


 聞き慣れた声。


 そして美しい声だった。


 ほんの僅かではあるがトルクの心は落ち着いた。


 トルクは長男として強がりの微笑を浮かべた。


「うん……」


「顔色がよろしくないようですが」


 妹のシルクが心配そうにトルクを見ていた。


 毎日見ている顔。


 当然だが、会話をしたのも一度や二度では無い。


 だが、トルクはこれまで妹と深い内面の話をしたことが無かったと気がついた。


「シルク……」


 興味から、あるいは救いを求めるように、トルクは問いを発した。


「シルクは……ドラゴンの気持ちというものを考えたことは有るかい?」


「いえ。考えないようにしています」


 シルクは特に感情らしいものを見せずに答えた。


「それは、どうしてかな?」


「カーゲイルに産まれた者は、ドラゴンに対して非情に接することが出来なくてはならない」


「だから、考えないように努力しています」


「努力……?」


「お父様の真似をしています。たとえば……」


「ドラゴンのことをなるべく名前で呼ばないようにしていますね」


「……そっか」


 トルクはこの日ようやく、父の習慣の意味を知った。


 努力をしたということは、ドラゴンへの情がゼロでは無いということだ。


 トルクは父や妹とは違った。


 ドラゴンは人より下のものだ。


 そんな父の言葉を愚直に信じた。


 だから、非情になる努力など必要が無かった。


 シルヴァを例外として、トルクはドラゴンに対して非情な人間だった。


 そう生まれ育った。


 そして、それが生来の物であるからこそ、揺らいだ時には脆かった。


 何の下地も、積み重ねも無い。


 ただ白いだけの薄絹だった。


 刃を入れれば容易く裂ける。


「……けど、もし考えてしまったらどうすれば良いかな」


「忘れられるよう努力します」


「そう……」


「お兄様は、考えてしまったのですか? ドラゴンの気持ちを」


「考えたことなんて無かったよ。私はカーゲイルの次期当主だ」


「けど……シルヴァは特別だった」


「ずっと一緒に居られると思っていた」


「ずっと一緒に空を飛ぶんだって……そう思っていたんだ……」


「シルヴァは優れた中型竜だ……」


「きっと強い子を産む。カーゲイルの礎になる強いドラゴンを……」


「シルヴァを遊ばせておくこと自体が一族にとっての損失だ」


「わかってる……。理屈ではわかっているんだ……」


 ここまで動揺した兄をシルクは初めて見た。


「お兄様……少し……お休みになられてはいかがでしょう?」


 だから、シルクはそう提案した。


「レースには私が代わりに出場します」


 不測の事態に備え、レースにはトルク以外にもカーゲイル本家の者が数名エントリーされている。


 ただ、トルクがシルヴァで出るのであれば、他の面々がレースに出ることは無い。


 カーゲイルの大型竜とシルヴァを競わせることは禁止されているからだ。


 シルクはトルクのようにシルヴァを乗りこなすことは出来ない。


 だが、大型竜にさえ乗ればレースを制してみせる自信は有った。


「駄目だ」


「……どうしてですか?」


「あの人が待っている……」


「あの人?」


 シルクは尋ねた。


 誰のことを言っているのか、本気で分からなかったわけではない。


 薄々想像はついていた。


 ただ、あまり認めたくなかっただけだ。


「ブルメイ……オヴァン=クルワッセ」


 トルクの口から出た名前はシルクの想像を裏切らなかった。


「彼と戦うと約束したんだ」


 トルクは歩き出した。


 妹の横をすり抜けて玄関へと向かっていく。


 力強い足取りだった。


 シルクは置いていかれないように兄の後を追った。


 玄関にまでたどり着くとトルクは扉を開いた。


 『銀光』がトルクの目に差し込んでくる。


 玄関の外でシルヴァが待っていた。


「シルヴァ……」


 トルクはシルヴァに歩み寄ると彼女の太い首をぎゅっと抱きしめた。


 シルヴァはじっとして動かない。


 しばらくするとトルクはシルヴァの首から手を離した。


「行こう。シルヴァ」


 トルクはシルヴァの背に飛び乗った。


「悔いの無い戦いをしよう。たとえ、これが最後になっても」


 トルクの言葉から何かを感じ取ったのか、シルヴァはひときわ強く羽ばたいた。


 シルクは庭に取り残される。


 シルクの瞳に映る兄はみるみると小さくなり青空へと消えていった。


 残されたシルクは一人の男の顔を思い浮かべた。


 兄を戦いの場に駆り立てた男の顔だ。


 男は強く……堂々として……そして……。


「嫌な人……」


 シルクの想像の中で竜面の男は皮肉に微笑んでいた。


「あんな人の……何が良いんですか……。お兄様……」




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