色褪せない幻を
「あのドラゴンから降りろ」
ある日、トルクの父、ロコル=カーゲイルは突然にそう言った。
場所はカーゲイル宗家本邸の庭園。
トルクはいつものようにシルヴァを乗り回し、家に帰ってきた所だった。
鍛錬のため、まだ若いのに全身に鎧を着込んでいた。
「え……?」
予想だにしない宣告に、トルクはただただ驚きの表情を浮かべた。
『あのドラゴン』とはシルヴァのことだ。
ロコルは決してドラゴンを名前では呼ばなかった。
それは自分自身が乗るドラゴンに対しても例外では無かった。
「何故ですか……!?」
トルクは納得がいかなかった。
いくわけが無かった。
感情を露わにするトルクに対し、父の表情は冷淡だった。
「あのドラゴンは小さい」
ロコルはそう言った。
トルクとシルヴァが出会った時、シルヴァは子供だった。
あれから八年が経過していた。
トルクの背は伸び、シルヴァも以前とは比べ物にならないほど大きくなっていた。
ドラゴンであるシルヴァの背の伸びは人間であるトルクとは桁が違う。
トルクは自分が『シルヴァに置いていかれた』と思ったほどだ。
相対的に見れば、カーゲイルの牧場ではシルヴァより大きいドラゴンなど珍しくも無い。
それでも、トルクにはシルヴァが小さいドラゴンだとはとても思えなかった。
「仮にシルヴァが小さかったら、どうしてシルヴァから降りなくてはならないのですか?」
不機嫌さを隠さずにトルクが聞いた。
「あのドラゴンが遅いからだ。あれは中型竜だ。中型竜は大型竜よりも遅い」
「お前は『カーゲイルを継ぐ男』だ。レースで敗れるようなことがあっては周囲に示しがつかん」
「あのドラゴンを捨て、牧場で一番早いドラゴンを選べ」
「シルヴァは遅くはありません」
シルヴァは速い。
たとえ父の言葉であってもそこは譲れないところだった。
これまでシルヴァは公式のドラゴンレースには出場したことは無かった。
だが、非公式に他のドラゴンと競い合ったことはある。
様々なドラゴン達をシルヴァと共に抜き去ってきた。
競ったドラゴンにはシルヴァより遥かに体が大きいものも居た。
だが、どれだけ大きくてもトルクとシルヴァのコンビには敵わなかった。
敵う者など居なかった。
「私はシルヴァに乗っていて誰にも負けたことがありません」
「たとえ中型竜であってもシルヴァは遅くありません」
トルクは真っ直ぐに自分の考えを口にした。
「いや。遅い」
トルクの言葉を父は一刀で切り伏せた。
ただ一言で断言しただけ。
ここは雲の上の国、トゥルゲルだ。
トゥルゲルにおいてカーゲイル当主の言葉は常に正しかった。
「中型竜では大型竜には勝てない。これは世の真理だ。そして、カーゲイルの当主は勝者でなくてはならない」
「それならば……」
「きっと、シルヴァは中型竜ではありません」
トルクが父にぶつけたそれは、論理ではなく幻想だった。
「シルヴァは大型竜です。この世で一番早いドラゴンです」
「シルヴァはどんなドラゴンにも負けません」
それが詭弁ですら無いことはトルクにもわかっていた。
体長8ダカールのドラゴンが大型竜であるはずが無い。
幻想でも構わないとトルクは思っていた。
「下らん」
ロコルはトルクに背を向けた。
トルクの言葉はロコルにとってただの世迷い言でしか無かった。
相手がロコルで無かったとしてもトルクの言葉は一笑に付されただろう。
「牧場へ行くぞ。お前が乗るドラゴンを選ぶ」
「お待ち下さい!」
トルクは叫んだ。
ロコルは足を止めるとトルクを睨んだ。
トルクは基本的には父に忠実な息子だった。
父の決定にここまで食い下がるのは初めてのことだった。
いつもとは違うトルクの様子にロコルの心中が苛立ちに濁った。
物分りの悪い息子をねじ伏せてやりたい。
そんな暴力的な気分にもなった。
ロコルは瞳に暴威の色を乗せてトルクを睨んだ。
「何だ」
ロコルの射抜くような視線を浴びてトルクの脚がすくんだ。
ロコルはたまに人を殴ることがある。
息子であるトルクも例外では無い。
トルクは武門の男だ。
拳で殴られる程度のこと、別に怖くは無かった。
たとえ金属小手で殴られたとしてもだ。
ただ、当主の怒りが篭った拳には肉体的な衝撃以上の意味がこもっている。
殴られたくは無かった。
それでも今回は退けなかった。
トルクには大事なものが二つ有った。
一族と、そしてシルヴァだった。
「『勝負』……して下さい」
声を震わせながらトルクは言った。
恐れながらもロコルから目を逸らさなかった。
「勝負だと? この私と殴り合うつもりか?」
馬鹿にしたようにロコルは笑った。
トルクはロコルから直々に武術の稽古を受けていた。
その強さは身に染みてわかっていた。
特に格闘術では、未成熟なトルクが及ぶ相手では無かった。
最も……トルクが自分と殴り合うつもりで無いということはロコルにはわかっていた。
殴り合いの話をしたのはただの気勢を削ぐための威嚇だった。
俺の拳骨が怖いだろう。
そういうことだ。
だが、ロコルが期待したほどにはトルクが怯むことは無かった。
トルクはじっとロコルの目を見たままだった。
「殴り合いなどしません。私達はドラゴン乗りです」
「そうだな」
「私がシルヴァに乗って、父上が選んだドラゴンに勝ちます」
「この腕でシルヴァが遅くないということを証明してみせます」
「……良いだろう」
トルクにとっては少し意外だったが、ロコルはすんなりとその条件を呑んだ。
決闘は即座に実行されることになった。
ロコルは目ざとい男だ。
武門の猛々しさと商家の小賢しさを併せ持っている。
そんな彼はシルヴァが遠乗りから帰ってきて疲労していると読んだ。
一方、ロコルは牧場で最も体調が良いドラゴンを選ぶことが出来た。
ロコルは素早く決闘の舞台を整えた。
舞台とは言っても、特別な場所や観客が用意されたわけでは無かった。
信頼できる腹心一人を立会人にして、彼等は人気のない高原に移動した。
ロコルはカーゲイルの当主で、トルクは後継者候補の筆頭だ。
カーゲイルを継ぐ者の手の内を、そして敗北を、他人に見せるつもりは無かった。
シルヴァの相手には牧場で最速の大型竜が選ばれた。
本来であればシルヴァの代わりにトルクに与えられるはずだったドラゴンだった。
そして、大型竜の背にはロコルが直々に乗ることになった。
ルールは直線勝負に決まった。
曲線が多いコースであれば小回りが効くシルヴァに多少は有利に働く。
また、乗り手の腕でドラゴンの優劣をほんの少しはカバーすることが出来る。
一方、直線であればドラゴン本来の速力が全てを決する。
ドラゴン乗りの常識ではそうなっている。
ロコルは完膚なきまでにトルクを叩きのめすつもりだった。
一切の隙を与えようとはしない。
所詮シルヴァは非力な中型竜に過ぎない。
誰が見てもに勝ち目は無いように見えた。
だが……。
ありえないことが起こった。
シルヴァはロコルが乗るドラゴンを大きく引き離してゴールを切った。
勝負が終わるとトルクはシルヴァをロコルのドラゴンの隣に寄せた。
そして、誇らしげに言った。
「どうです。シルヴァは早いでしょう」
屈託のない笑みだった。
ひょっとしたら父は自分とシルヴァを褒めてくれるかもしれない。
そんな風に思っていたのかもしれない。
だが……。
「……………………」
「……父上?」
ロコルは無言だった。
トルクはロコルの顔が青ざめていることに気付いた。
呆然とした顔で、冷や汗を流しながら虚空を見ていた。
その目にはトルクのことなど一片も映っていない様子だった。
只事ではない父の様子にトルクは絶句した。
何も言えずにただ父を見守った。
「トルク……」
しばらくしてようやくロコルは口を開いた。
顔色は悪いままだった。
「はい。何でしょう父上」
父が言葉を放ったことでトルクは少しほっとした。
少なくとも死ぬような病気ではないということがわかったからだ。
だが……。
「今日のことは忘れろ」
ロコルが放った言葉は再びトルクを動揺させた。
「え……?」
「中型竜は大型竜に勝てない。勝ってはならないんだ」
ロコルは言い聞かせるように言った。
「父上……何を言っているのですか……?」
トルクは父が言っている事がわからなかった。
困惑する表情のトルクを見て、ロコルは冷静さを取り戻していった。
息子が怯えている。
それは構わない。
だが、それは当主の狼狽ではなく、威厳によるものでなくてはならなかった。
「良いかトルク」
ロコルはいつもの口調を取り戻して言った。
「カーゲイルのドラゴンは他所のドラゴンよりも高価だ。知っているな?」
「はい」
聞かれるまでもなく、それはトゥルゲルの常識だった。
どうしてそんな当たり前の話をするのか。
トルクには未だに父の真意がわからない。
ロコルはさらに言葉を続けた。
「だが、客は高いはずのカーゲイルのドラゴンを買っていく。それは何故だ?」
「それは……カーゲイルのドラゴンが他所のドラゴンより『質が良い』からでしょう?」
カーゲイルのドラゴンは他のどのドラゴンよりも優れている。
一流のドラゴン乗りであるトルクはドラゴンに対する目利きも確かだった。
だから、自信を持って言うことが出来た。
「……そうだな」
ロコルは頷いた。
「カーゲイルが売るドラゴンは、他の牧場が売るドラゴンよりもほんの僅か質が高い」
「だが……世間に言われるほどの差は無い」
「私は、カーゲイルのドラゴンは世界一だと思います」
「そうだ。だが、その差は素人にはわからん」
「例えば、ドラゴンの良さには種類というものが有る」
「速いドラゴンを作ろうとすればどうしても頑丈さが失われる」
「逆に、頑丈さを重視したドラゴンを作ろうとすれば速さが犠牲になる」
「金持ちが道楽で乗るドラゴンであればただ速ければ良い」
「だが、軍に卸すドラゴンであれば、必ずしも速さを重視すれば良いというものではない」
「あるいは、遅くても強力なブレスを持ったドラゴンであれば、使いようによっては強力な戦力となる」
「本来、ドラゴンには用途に応じた特性というものが有るのだ」
「実際、道理のわかるほんの一握りのものは必要なドラゴンを選んで買っていく」
「だが……ほとんどの客は速いドラゴンこそが優れたドラゴンなのだと盲目的に信じている」
「そして、最も速いドラゴンが最も頑丈でもあると思い込んでいる」
「実際はそうではないのにも関わらずだ」
「細かい品質の差がわかるのは、見る目の有る一流の人間のみ」
「そして、一流の人間というのは買い手ではなく売り手の側に集まるものだ」
「実際のカーゲイルの顧客は差がわからん素人ばかり」
「ならば、カーゲイルのドラゴンが売れるのは何故だ?」
「……わかりません」
父の問いに答えられない自分をトルクは情けなく思った。
ロコルはそれを特に気にした様子もなく続けた。
「『風説』が出来ているからだ」
「風説……ですか?」
「カーゲイルのドラゴンは速い。強い。頑丈だ。そういう風説が有る」
「レースでの勝利という素人にもわかりやすい形でカーゲイルはそれを世に築いてきた」
「実際にレースでの無敗を可能にしたのはドラゴンの差ではなく、研ぎ澄まされたカーゲイルの乗り手の業だ」
「ドラゴン乗りに関する全てを磨き抜き、カーゲイルは薄氷の上の勝利を掴んできた」
「……そんなことも素人にはわからん。わからずにただ、カーゲイルのドラゴンは優れていると思う」
「ドラゴンの質が圧倒的に優れているからカーゲイルは不敗なのだ。そう思っている」
「虚像だ。ただの幻影に過ぎん」
「だが、その幻影、我々の祖先が必死で築いてきた風説こそが今のカーゲイルを支えている」
「虚像が有るからこそ、人々はカーゲイルのドラゴンを喜んで買っていく。わかるか?」
「ドラゴンの品質は既に築かれた風説を維持するための下地に過ぎん」
「風説こそがカーゲイルの命綱なのだ」
「中型竜は小型竜より速い。大型竜は中型竜より速い」
「その常識が有るからこそ、顧客は中型竜の数倍の金を出して大型竜を買っていくのだ」
「大型竜より速い中型竜が居ると知れば、誰が高価な大型竜など買っていくというのだ?」
「皆が言うだろう。自分にもあの速い中型竜を売ってくれとな」
「それは不可能だ。だが、客は納得しない」
「大型竜というブランドに大きな傷がつけられることになるだろう」
「そもそも……」
「お前が乗っているそのドラゴン、それは『遅いはず』なのだ」
「……父上?」
「私が少し前にそのドラゴンに乗ったことが有るだろう。覚えているか?」
「はい」
半月ほど前にロコルは一度シルヴァに乗った。
父か妹が相手で無ければトルクはシルヴァを人に貸したりはしない。
シルヴァにトルク以外の人間が乗るなど滅多にないことだった。
だから、その時のことははっきりと覚えていた。
「私はそれの性能を試すため、全力で走らせた。そして……」
「それの性能では今のお前には足りないという結論に到った」
「ですが……シルヴァは……」
たった今、カーゲイル最速のドラゴンに勝ったばかりだと言うのに……。
「トルク……。私とお前にどれだけの技量の差が有ると思う?」
「それは……父上の方が……」
上だとトルクは言おうとした。
「大差は無いだろう」
ロコルの言葉がそれを断ち切った。
「お前には才能が有る。いずれは私を超えるだろうが、今の段階ではそれほどの差は無い」
「そして……私が乗ったそれは決して速いドラゴンでは無かった」
「……どういうことですか?」
「わからん」
「だが……。お前とそのドラゴンの間で……何か得体の知れない事が起こっているのだ」
「そしてそれは、カーゲイルの技では無い」
「中型竜で大型竜に勝つ技など、カーゲイルには存在しないのだから」
「トルク……お前は……お前たちは……いったい何なのだ?」
父の問いを受けてトルクは寒気に襲われた。
自分がカーゲイルから弾き出されるのではないか。
絶望にも似た疎外感が有った。
「良いかトルク」
「今日、私達は戦わなかった」
「中型竜が大型竜を負かすなどということは無かったのだ」
「……わかるな? それがカーゲイルのためなのだ」
「ですが……それならシルヴァは……」
約束はどうなるのか。
「条件を飲むのなら、当主を継ぐまでの間であればそれに乗ることを許可してやっても良い」
「条件?」
「一つ、決してカーゲイルの大型竜と同じレースには出ないこと」
「そして二つ……」
「皆が見ている前でカーゲイルの大型竜にそれを敗北させろ」
「え……?」
「そして、その時にそれに乗るのはお前以外の乗り手でなくてはならない」
「万が一勝たれても困るし、次期当主の負け姿など見せられんからな」
「どうして……? どうしてそんなことを……」
「他所の大型竜を負かすカーゲイルの中型竜……。そして、その中型竜より優れたカーゲイルの大型竜」
「そういう風説を作る」
「それがお前がそのドラゴンに乗り続ける条件だ」
「八百長……ですか」
カーゲイルは武門の家柄。
そして同時に商人の一族でも有る。
その二つはしばしば相慣れず、反発した。
武門の誇りを商人の義務が傷つけていた。
「嫌なら今すぐにそのドラゴンを降りろ」
ロコルは無慈悲に言う。
当主の力が有れば二人を引き剥がすことなど容易いだろう。
トルクは顔を歪めるとシルヴァの後頭部を見た。
「シルヴァ……」
「君はどうしたい?」
シルヴァは首を回してトルクを見た。
その瞳は……。
……。
……そこで目が醒めた。
トルクは自分がベッドに横たわっていることに気付いた。
「子供の頃の夢……か」
トルクは身支度を整えると朝食に向かうことにした。
レース当日の朝だった。




