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ワーストガール

 仄紅い幻想的な光が祭りの場を照らしていた。


 人々を、店を、猫達を、ドラゴンを、そしてオヴァン達を。


 ハルナとミミルはお互いが見える距離でそれぞれに石を拾い集めていた。


 テンプレートとノート石が照らすおかげで互いを見失うことは無い。


 オヴァンは二人の中間くらいの位置に立って交互に二人を見ていた。


 しばらくするとミミルは腕の中に幾つもの石を抱えてオヴァンの方へ駆けてきた。


「どうだ? 石は揃ったか?」


 先に口を開いたのはオヴァンの方だった。


「いいえ。ハルナはどうかしら?」


 二人がハルナを見ると、ハルナは一生懸命に石を拾っている所だった。


「ハルナ」


 オヴァンが声をかけるとハルナは視線を上げた。


 そしてオヴァンとミミルが隣り合っているのを見ると彼等の方へと駆けてきた。


「どう? 石は集まった?」


 ハルナの手の中にいつもの看板は無かった。


 手が塞がって文字を書けないので彼女は首を左右に振って答えた。


「二人の石を合わせてみたらどうだ?」


 オヴァンがそう提案したのでハルナとミミルは石を見せ合うことにした。


 ミミルが率先して石を地面に並べていく。


 手の平程度の大きさの石でも数を並べると結構な面積になった。


 これまでにミミルは八個、ハルナは六個の石を集めていた。


 石の数は十四個になったが、重複が有り八文字は揃わなかった。


 足りないのは『孝』と『悌』の二文字だった。


「中々揃わないものね」


 ミミルが石を地面に並べながら言った。


 角度に拘りが有るらしい。


 微妙な位置調整を繰り返していた。


「いや」


 オヴァンはミミルから少し離れると地面へと屈み込んだ。


 オヴァンは落ちていた石を拾い上げるとそれをミミルに向かって放った。


 ミミルが確認すると石には『孝』の字が刻まれていた。


 欠けていた二文字のうちの一つだった。


「どうだ」


 オヴァンが得意げに言った。


 別にオヴァン自身、大したことをしたつもりは無かった。


 ミミルを前にすると何故かこんな態度になってしまう。


「一番働いてないのに偉っそうにしないでくれる?」


 ミミルはオヴァンを軽く睨んだ。


「こういうのは『最後を埋めるのが大変』なんだ」


「まだ一文字足りないけど?」


「それじゃあ、最後の一文字を埋めたら偉っそうにして良いか?」


「埋めたらね。けど、埋められるのかしら?」


「そうだな……」


 オヴァンはミミルの前に屈み込むと並べられていた石の幾つかを手に取った。


 そして周囲を見渡すとミミルに背を向けて歩き出した。


「どうするの?」


「まあ見ていろ」


 オヴァンは石を集める子供達の一人に向けて歩み寄っていった。


「ちょっと良いか?」


 オヴァンは子供に声をかけた。


 身長1ダカールも無い幼い男子だった。


 子供の手の中には幾つかの星型の石が有った。


「何?」


 子供は特に警戒心も無く答えた。


 一方、保護者から見ればオヴァンは如何にも『怪しい風体の男』だった。


 冒険者風のファッションをしている時点で明らかにカタギの人間では無い。


 おまけに迫力のあるドラゴンの仮面を被っている。


 さらには仮面の表面では怪しげな紋様が光り輝いていた。


 その紋様が何であるのかはリメイクに精通した者にしかわからない。


 一般人からすればただただ不気味なだけの紋様だった。


 オヴァン=クルワッセはとても子供に近づけたい類の人物では無かった。


 そんなオヴァンが子供に声をかけたのだから両親は大変だ。


 大慌てでオヴァン達の方へと駆け寄ってきた。


「うちの子に何かご用ですか?」


 子供の父親が不安気に問いかけてきた。


 オヴァンは見るからに喧嘩が強い類の男だ。


 平凡な一家の主には『凶悪な竜面の小児性愛者』を討ち倒す自信は無かった。


 ただ、自分が殴られている間に家族だけでも逃がせれば良い。


 そんなことを考えていた。


 オヴァンには父親の苦悩などわからない。


 父の背に隠れた子供に対して平常時の口調で話しかけた。


「『悌』の石を探している。もし余っていたら交換して欲しい」


「良いよ」


 子供はあまり他人を恐れないものだ。


 人間に種類が有るという考えが存在しないためだが……。


 少年は『少し両親の様子が変だな』と思いつつも平然と答えた。


 そして、自分を抱きかかえる母親の手をすり抜けてオヴァンの前に出た。


 一方、オヴァンの声を聞いたことで子供の両親の警戒も少し薄まっていた。


 オヴァンの口調は極めて理知的で落ち着いていた。


 ひょっとしたら彼は『危険な小児性愛者』では無いのかもしれない。


 危ない種類の人間では無いのかもしれない。


 そんな風に考える余裕が生まれていた。


「どれが欲しい?」


 オヴァンはしゃがみ込むと子供と目線を合わせた。


 そして、自分が持っている星型の石を子供に見せた。


「え~と……これ」


 子供は信の字が刻まれた石を指し示した。


「良し。交換だ」


 オヴァンは『信』の石を子供に渡すと『悌』の石を受け取った。


 オヴァンは手に入れた石を顔の高さに上げて遠巻きに見ているハルナとミミルに示した。


 それに対しミミルは両手を振って答えた。


「ご家族ですか?」


 子供の母親がそう尋ねた。


「ああ」


 オヴァンはそう答えた。


 誤魔化したわけではない。


 パーティの仲間とは家族のようなものだ。


 オヴァンはそう考えていた。


「そうですか……」


 家族連れに対する世間の信用は高い。


 子供の両親が持つオヴァンへの警戒心が霧散した。


 こうなるとちょろいものだ。


 竜の面も祭りの会場で手に入れたのだろうと思うようになっていた。


 仮面の紋様も子供向けの仕掛けか何かに違いない。


 ほっとした子供の母親がこう言った。


「大きいお子さんですね」


 オヴァンには一瞬彼女が何を言っているのかわからなかった。


 彼女の目線を辿るとどうやらハルナを見ているようだった。


 辺りは暗く、人々の顔もはっきりとは見えない。


 体つきに恵まれたオヴァン、ミミルと一緒に居るとハルナは娘に見えるらしい。


 オヴァンは楽しくなってしまった。


「自慢の娘だ」


 オヴァンはにやりと笑うと親子から離れてハルナ達の方へと戻っていった。


「どうだ」


 オヴァンはミミルの前に立った。


 そして、今度は放り投げることなく石を手渡した。


「なるほど……余った石は『交換』すれば良かったのね」


 ほんの先ほどまでミミルは怒った素振りを見せていた。


 だが、既にミミルからは負の感情が一切無くなっていた。


 微かな怒りはオヴァンへの感心で塗り潰されていた。


「偉っそうにして良いか?」


「う~ん……。仕方無い。許可します」


「エライ」


 オヴァンは『偉い人のポーズ』を取った。


 それがどんなポーズなのかを口で説明するのは難しいね。


 ええと……こんなポーズだよ。


 わかったね?


「エライ、エライ」


 オヴァンが偉い人のポーズを取ったのでハルナとミミルはそれを褒めそやした。


 何故かって?


 そういう決まりだからさ。


 君も愚神にエライエライしてくれても良いよ?


 あっ何だその拳は無駄だよ愚神にそんな攻撃はおい止めろ!


 ……。


 全く……無駄だって言っただろう?


 君は結構な魂力を持っているようだけどね。


 魂だけの状態はデリケートなんだから無茶はしない方が良い。


 結局、人というのは肉体が有ってこそ十分な力を発揮出来るんだよ。


 わかったら黙って聞きなさい。


 続けるよ?


 オヴァンが偉い人のポーズを満喫し終わるとミミルが口を開いた。


「石が集まったら……どうするのかしら?」


「向こうに『交換所』が有るようです」


 ミミルの疑問にはハルナが答えた。


「それじゃあ賞品と交換してくるわね」


 ミミルは石を一揃え抱えると賞品交換所の方へ駆けていった。


「どうだ? もう一揃え集めるか?」


 オヴァンはハルナに問うた。


 賞品は三人で分けられない物かもしれない。


 オヴァンは賞品に大した興味は無かった。


 そもそもが金持ちなので大抵の物は買えば良いと思っている。


 最も欲しい解呪のオリジナルはお金では手に入らないわけだが、それが賞品であるはずも無かった。


 本当に解呪のオリジナルが賞品なら、辺り一帯が焼け野原になっていたかもしれないが……。


 とにかく、自分は要らなくてもハルナは賞品を欲しがるかもしれない。


 オヴァンはそう考えた。


「いえ」


 ハルナは首を左右に振った。


「子どもたちの分が無くなってしまうといけませんから」


 私は大人ですからね。


 そんな顔をしてハルナは言った。


 オヴァンにはハルナが背筋を伸ばして小さな体を大きく見せているようにも見えた。


 オヴァンはハルナが娘だと間違われたことを思い出して口元を緩めた。


「娘よ、何か買ってやろうか?」


「はい?」


 ハルナが首を傾げたその時……。


 ふと、オヴァンの意識が一人の少女を捉えた。


 緑銀の髪を持つ、美しい少女だった。


 女と言うにはまだ若い。


 少女は祭りだというのに暗い顔をしていた。


 そのことが妙にオヴァンの気を引いた。


 とは言っても、それは一瞬のこと。


 オヴァンは関わりのない少女のことを意識から締め出そうと思った。


 だが……。


「オヴァンさん?」


 オヴァンが急に体の向きを変えたのでハルナは不思議に思った。


「少し用が出来た。ここで待っていてくれ」


「……わかりました」


 どこへ行くのかとハルナは尋ねなかった。


 オヴァンは早足に歩き出した。


 オヴァンが離れていったことでハルナは一人になった。


 すると、ハルナの耳に祭りの喧騒がやけに大きく聞こえてくるようだった。


 寂しい。


 オヴァンはきっとすぐに戻ってくる。


 一人になる時間が有っても良いだろう。


 ハルナは言葉でそう考えた。


 まともな理性有る大人はそう考えるべきだ。


 だから、そう考えた。


 背筋を伸ばした。


「ハルナ」


 少しして、ハルナの名が呼ばれた。


 声の方を見るとミミルが紙の包みを持って立っていた。


 内面に生じた安堵を表に出さずにハルナは言葉を綴った。


「それが賞品ですか? 結局中身は何なのでしょうか?」


「これは……って、あれ? ブルメイは?」


 ミミルはきょろきょろとオヴァンの姿を探した。


 ミミルの目に見える範囲にオヴァンの姿は無い。


「急用が出来たみたいですよ」


「用って……何?」


「わかりません。わかりませんけど……」


「きっと、良いことですよ」


 ……。


「はぁ……」


 シルク=カーゲイルは大きな岩の影で溜息をついた。


 そしてぐったりと岩へ体をもたれかからせた。


 鎧が岩にぶつかり高い音を立てた。


 それっきり辺りは静かになる。


 祭りの会場から離れたために近くに光源は無かった。


 薄暗い闇の中でシルクはようやく一人になれた……はずだった。


「カーゲイルの娘だな」


 無粋な声が夜の静寂を破った。


 シルクは声の方角に目を向けた。


 『薄汚い身なりをした男達』がシルクの周囲を取り囲んでいた。


 まっとうな一般人で無いことは明らかだった。


「……何者ですか」


 恐怖心を隠しながらシルクは男達に問いかけた。


「ちょっとあんたの兄貴に世話になったもんさ」


 男の一人がにたにたと笑いながら答えた。


 その顔から一切の加虐性を隠そうとはしない。


 ろくなことを考えていないのだろう。


 そして、シルクが逃げられるとも考えていない。


 シルクは体を強張らせながらもその表情を崩さない。


 カーゲイルの娘には怯懦など許されてはいない。


 内心がどうであれ、毅然とした姿を見せなくてはならなかった。


 例えその結果、命を落とすことになったとしても。


 武門の家とはそういうものだ。


「それで……私に何の御用でしょうか」


 シルクは指先が震えないようにぎゅっと握りしめた。


 硬い小手が鉄の音を鳴らした。


 戦場の音と言うには少し弱々しかった。


「別に……ちょっと痛い目見てもらおうってだけの話さ」


 男の言葉はシルクが予想したものと大差は無かった。


 いや。


 シルクの予想のうち最悪のものと比べればまだ上品ですら有った。


「そうですか……」


 男達は各々の武器を構えた。


 短剣や手斧、棍棒など。


 彼等はリーチの短い携帯性を重視した武器を持っていた。


 合戦などでは使えないが、少女一人を嬲るだけなら十分。


 対するシルクは拳を構えた。


 カーゲイルの武術は槍術だが、剣や弓、組打ちの技も使う。


 ……重心をコントロールして相手を投げる技を外界では『タワラ』だとか言うらしいね。


 カーゲイルの技には『タワラ』に相当する物も有った。


 とは言っても、体格に勝る複数人の敵を相手に実戦で『タワラ』を使うのは難しい。


 武器を持ち徒党を組んだ男達を相手にシルクの勝ち目は薄い。


 そのはずだった。


「ぶべっ!?」


 一瞬にして男達は宙を舞った。


 そして落下し、動かなくなる。


「え……?」


 シルクには何が起こったのか理解出来なかった。


 ぽかんと口を開けて間の抜けた顔を作ってしまう。


 夜闇のせいで状況を把握するのが困難でもあった。


 シルクはふわふわとした心地で立ち尽くした。


 そうしていると、闇の中から一人の男がシルクに向かって歩み寄ってきた。


 オヴァンだった。


「あなたは……?」


 驚きを隠せない様子でシルクはオヴァンへと問いかけた。


「通りすがりのものだ」


「通りすがり? どうしてここに?」


「こいつらがお前を付け回しているのが見えたからな」


 そう言ってオヴァンはちらと男達を見た。


「ろくでもないことをするのではないかと思って後をつけてきたというわけだ」


 オヴァンに吹き飛ばされた男達の中には意識が有る者も居た。


 だが、体を強く打ち付けられて身動きが取れない様子だった。


「ありがとうございます」


 シルクは丁寧に頭を下げた。


 そして頭を上げるとオヴァンの全身を見た。


 少し洒落てはいるが、あからさまに荒事を得意とする男の風体。


 さらには威圧感の有る竜の面。


 シルクの目にはオヴァンが倒された男達と同類のように見えた。


 つまり、まともな男では無い。


 シルクの異性に対する物差しは兄のトルクが基準になっていた。


 兄の在り方が理想の男の姿であり、兄にどれだけ近いかで男として優れているかが決まる。


 そんなシルクから見てオヴァンは兄とは全く異なるタイプの男のように思えた。


 トルクと重なるのは精々その強さくらいのものか。


 当然、シルクの価値観からするとオヴァンは落第点に当たる。


 だが、何故かシルクはオヴァンに対して魅力がないとは思えなかった。


 それを不思議に思ったシルクはオヴァンと話してみようという気分になった。


「お強いのですね」


「冒険者をしている」


「冒険者……」


 シルクの眉がぴくりと動いた。


 野蛮な雲の下の職業。


 それがシルクにとっての冒険者という職業のイメージだった。


 通常であれば側に居たいとは思えない人種だ。


 それなのに……どうして遠ざかろうと思えないのか……。


(お祭りだから……?)


(私は……いつもと違っているのでしょうか……?)


 ぼうっとオヴァンの瞳を覗くシルクに対してオヴァンは無遠慮に口を開いた。


「もう少し気をつけた方が良い。日が落ちてから子供があまり一人になるものではない」


 シルクはあからさまに気分を害した。


「子供じゃないです」


 咎めるように言う。


「それは悪かった。いくつだ?」


「女性に年を聞くのですか?」


 拗ねたように言うその様は、なおさら子供のように見える。


「聞かれたがっているように思った」


「……十二歳です」


(やっぱり子供じゃないか)


 オヴァンの価値観ではそう思えた。


 『何歳までが子供か』というのは地方の文化によって異なる。


 一般には文明レベルが上がるほど子供と見なされる年齢が上がると言われている。


 地域によっては彼女くらいの年齢で結婚をすることもあるようだ。


 この国では十二歳は大人なのか。


 地上から来たオヴァンには雲上にあるトゥルゲルの文化はわからなかった。


 オヴァンは敢えて自分の価値観を口には出さないことに決めた。


「悪かった。お嬢さん」


 オヴァンは本心を見せないようにゆっくりと頭を下げた。


「わかっていただけたのなら構いません」


 シルクが機嫌を直したのを見ると、オヴァンは頭を上げた。


 再び二人の目が合うと、シルクは言葉を続けた。


「少し……一人になりたかったんです」


「賑やかな祭りは嫌いか?」


「……いえ。普通ですね。あなたは?」


「俺は祭りが好きだ。こう見えて寂しがり屋でな」


「そうは見えませんが」


「図体が大きい男は心も強いように見えるか?」


「そうは思いませんけど……」


 シルクは少し冗談めかして続けた。


「そうあって欲しいとは思うかもしれません」


「俺もそうありたいとは思う。だが……」


 オヴァンの口元が笑った。


 瞳は笑ってはいなかった。


「理想通りには中々いかないものだ」


「そうですよね。何事も理想通りにはいきません」


 シルクは疲れの混じった苦笑を浮かべた。


「何かあったのか? お前は……」


「『星集めの司会』をしていた女か?」


 オヴァンはこの時ようやくそのことに気付いたようだった。


「……気付いていなかったのですか?」


 シルクは呆れてみせた。


「悪いな」


「あの司会は本来であればお父様がなされるご予定だったのですけどね」


「お父様?」


「それもわからないのですか?」


「カーゲイルの人間だろうということはわかる」


「はぁ。あなたは物を知らない人ですね」


「すまん」


「とにかく、お父様に急用が出来たので、きょうきょ私が……」


 シルクは噛んだ。


「……急遽です」


「わかっている。気にするな」


「別に気にしてはいません。とにかく、きゅ、う、きょ、私が司会をすることになったのです」


「良くやっていたと思うぞ。その……」


 オヴァンはその若さで……と言おうとしたが、失言と気付き直前で引っ込めた。


「とにかく、堂々として立派な司会だった」


「ありがとうございます。まあ、私の悩みは司会のことでは無いのですけど……」


「聞いても良いか?」


「……はい。私が悩んでいるのは『レース』のことです」


「今年も……『未熟な腕』を晒してしまいました……」


「あのレースに出ていたのか」


「はい」


 オヴァンはそれを聞いてレース前のミミルの言葉を思い出した。


「ひょっとして……シルヴァに乗っていたのはお前か」


「……はい」


「だが……それは仕方無いのではないか?」


「仕方無い……?」


「この世界ではドラゴンは大きいほど速いのだろう? シルヴァはあのレースで唯一の中型竜だった」


「レースに敗けたのはお前の実力のせいでは無いのではないか?」


「けど……お兄様なら……!」


「……兄?」


 オヴァンはシルクの髪を見た。


 見覚えのある色をしていた。


「ええと……その……いえ……」


 シルクはオヴァンから目を逸らした。


「あなたの言う通りです……。中型竜では……大型竜には決して勝てません……」


 夜闇を恐れるドラゴンのように目を伏せてシルクは言った。


「それが……この空の決まりなのですから……」


 オヴァンはシルクの様子のおかしさに気付いたが、彼女の深い部分まで読み取ることは出来なかった。


 なので、ありきたりな言葉を口にした。


「ならば落ち込まないことだ」


「……そうですね」


「お前の兄というのはトルク=カーゲイルのことか?」


「はい。私は妹のシルク=カーゲイルと申します」


「なるほど。俺は……」


 オヴァン=クルワッセと名乗ろうと思った瞬間、ミミルに言われた事を思い出した。


 それでこう名乗った。


「オヴァン=ブルメイ=クルワッセだ」


 オヴァンが名乗った瞬間、シルクの表情が変わった。


「あなたが……!」


 その眉根からは明確な敵意が発散されていた。


 オヴァンは一瞬戸惑ったが、すぐに無理のないことだと考えた。


 オヴァンとトルクは次のレースで争う間柄。


 ライバルと言えるし、敵であるとも言えた。


 オヴァンはそう納得するとシルクが次の言葉を放つのを待った。


「あなたがオヴァン=ブルメイと知っていれば助けて貰ったりはしませんでした」


 十二歳の子供が自分に敵意を向けてくる。


 その様子をオヴァンはなんとなく微笑ましく思った。


「自力でなんとか出来たというのなら、余計なことをしてしまったものだ」


 楽しくなったオヴァンは口調が少しからかいっぽくなってしまう。


「出来なかったと思っているのでしょう」


「いや?」


 これは嘘では無かった。


 オヴァンはシルクが男達に負けると思ったから助けに入ったわけではない。


 勝つかもしれないし、負けるかもしれない。


 そんな認識でいたのでシルクに勝ち目が無いと思っていたわけでは無かった。


 少しでも負ける可能性が有る以上、自分がやった方が良い。


 何よりも早く済む。


 そう考えていた。


「私には槍術の心得が有ります。助けてもらう必要など有りませんでした」


「なるほど。それで、槍はどこに?」


 言葉は立派だが、今のシルクは丸腰だった。


 彼女の長槍は今はドラゴンの鞍に繋いである。


「こ、心に槍が有れば悪漢に遅れを取ることなど有りません!」


 夜闇の中で無ければシルクの頬が朱に染まるのがはっきりと見えただろう。


「そうか」


 オヴァンは思わず笑ってしまった。


(おっと……)


 思惑から外れた笑いをオヴァンはすぐに引っ込めた。


 だが、オヴァンが笑った瞬間はシルクにはばっちりと見られていた。


「私、あなたが嫌いです」


 シルクはオヴァンを上目遣いで睨んだ。


「そうか。俺はお前のことを嫌いではないが」


「知りません!」


 シルクは身体の向きをオヴァンから逸らして立ち去ろうとした。


「待て」


 オヴァンはシルクを呼び止めた。


 先程よりも真面目な口調だった。


「何ですか?」


 シルクは振り返らずに足を止めた。


「トルクは……本当にシルヴァでレースに出るのか?」


 あの最下位のドラゴンで。


「はい」


 シルクは迷わずに頷いた。


「俺はスマウス……大型竜でレースに出るつもりだ。トルクは……」


「『速い』のか?」


「誰よりも」


 シルクはオヴァンの方へ振り返り、夜闇を断ち切るかのような凛とした声音で言った。


 そして、しまったというような顔をするとオヴァンの傍から駆け去っていった。



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