話をしよう。あれは今から……その3
「地獄……? 天国では無いのか?」
男は面食らっているようだった。
この話をされて驚かない人は少ない。
人は誰しも、自分が天国に行くのだと信じているのかもしれないね。
……いや、実はそれも間違ってはいないんだ。
「まさか君、自分が罪のない善良な存在だとでも思ってるのかい? 本当に自信家だなあ」
愚神はからかうように言った。
まあ、実際からかっていたのだけどね。
「そこまで自惚れているつもりはないが……」
男は少し困った風だったね。
「地獄というものが実在したとして、それは『どうしようもない極悪人』が行く所だと思っていた」
「俺は……普通だ。普通だったと……思う」
自信の有る立ち振舞いの男だったけど、流石に動揺していたようだ。
案外信心深かったのかもしれないね。
「……本当は逆なんだよ」
愚神は真実を教えることにした。
「む?」
「どうしようもなく善良な人間だけが天国に行ける。それ以外の人間は一度地獄に行くのさ」
「それで、地獄で罪の清算が終わったら、それでようやく天国に行けるというわけだ」
うん。だから安心して。
君も天国に行けるよ。
実際に行くかどうかは君の判断に委ねるけどね。
「だから、君をいきなり天国へ連れて行ってあげることは出来ない」
「天国なんて、女神であるこの我にだって入ることが出来ないんだからね」
「女神でも入れないのか」
うん。
「神っていうのは聖人君子じゃないからね。世界を上手く治めるために汚いことをすることも有る」
「むしろ、君たち人間よりも魂が汚れているまであるよ」
「ああ……なるほど」
男は愚神を見て頷いた。
「……なんだか妙に納得した感じだね」
「別に」
「そうかい? それなら良いけど……」
「それで、もし地獄に行くのなら、君の魂をエマ……閻魔大王に引き渡すことになる」
エマちゃん。愚神の友達だ。
この頃は疎遠になっていて、あまり会っていなかったね。
最近はまた会うようになったから、心配してないで欲しい。
長話が原因で嫌われたとかじゃ無いからね。本当。
「けど、出来ることなら君には転生を選んで欲しいと思う」
「さて、どうするかな」
男は悩むように言った。
そこで愚神は売り込みをすることにしたよ。
「もし転生する場合だけど……」
「ある『約束』をしてくれるなら君に我の『加護』を授けようと思う」
「約束? 加護?」
「加護というのは『我が授ける特殊な力』のことだ」
「加護を受けた人間は、特別な力を使えるようになる」
「どんな力を使えるか……それは我が自由に決める事が出来る」
「『我の力を超えないもの』に限るけどね」
「我はもうやることやった出涸らしだから、あまり大きな奇跡は期待しないで欲しい」
「全知全能になりたいとか、そういうのは無理だ」
「けど、出来る範囲で使いたい力を使えるようにしてあげよう」
君も転生したくなってきたかな?
けど、君には加護はあげないよ。残念だけどね。
「ふむ……『約束』というのは?」
「それだけの『恩恵』が有るのなら、大層なことを約束させられるのではないか?」
「まあね」
「ふむ」
「我の頼み……それは……」
「『邪神フラースゾーラ』を殺して欲しい」
「邪神……?」
「その名の通り、邪悪な神だ」
「邪神はこの世界を滅茶苦茶にしてしまおうとしている」
「邪神は凶悪で、おそらくこの世界の子達ではどうしようもないだろう」
「だから、外界から来た君たちに頼みたい」
「我らに代わってどうか邪神を討ち果たして欲しい」
邪神なんておっかないと思うかい?
……そうでも無さそうだね。
「お前が邪神を倒すことは出来ないのか? 女神なんだろう?」
男は当然の疑問を投げかけてきた。
愚神が彼の立場でも同じことを聞いただろうね。
君も同じことを聞きたいんじゃないかな?
だけど……。
「……無理だった」
「何度か試してみたが、我の力では邪神を消し去ることは出来なかった」
「大体、神というのは壊すより創る方が得意なものさ」
神はアーティストなのさ。
無粋な武器なんて似合わないゼ。
野蛮人には勝てないのサ。
「もし引き受けてくれるのなら、君は我を超えなくてはならない」
「お前を?」
「女神である我を超えることが出来なくては、邪神を殺すことなど到底不可能なのだから」
これも当然の理屈だね。
「面白そうだ」
男はニィと口元を吊り上げた。
予想以上にやる気満々だった。
ちょっと見た目怖かったね。
いや、格好良くはあったんだけどね。
「……引き受けてくれるのかな?」
「そうだな」
「俺の人生の最期はあまり格好の良いものでは無かった」
「木から落ちて、間抜けに死んだ」
「このまま地獄だのに行っても両親に会わせる顔がない」
確かに、ゲラゲラ笑うかもしれないね。
パパ、ボクはいい年こいて木から落ちて死にました……なんて。
羞恥心でもう一度死ぬまで有るね。
冗談が通じないパパだったらブン殴られるかもしれない。
パパ怖いね。
「それなら、今度こそ何か成し遂げて死にたいと思う」
「女神を守ったと言えば父も納得するだろう」
「いや……別に我を守る必要は無いよ」
「ただ、邪神を殺してくれれば良い」
それがこの時の愚神の臨みだった。
けど、彼らは愚神のちっぽけな願いなど、飛び越えていったよ。
うん。
その話はまた後でね。
「そうか……残念だ。ならば、必ず邪神を斃すと約束しよう」
「うん。ありがとう」
嬉しかったね。
軽い口約束だけして加護を持ち逃げするような子も居たから。
必ず、なんて言われると、胸が熱くなったよ。
「それじゃあ、君に加護を授けるよ。どんな能力が欲しい?」
「そうだな……」
彼はしばらく考えたいと言った。
中々決まらないようなので、その間、愚神の長話を聞かせてあげたよ。
途中で黙れと言われた。
愚神は涙目になったね。
まあ、なにはともあれ、彼に授ける加護は決まった。
愚神は彼に加護を授け、彼が旅立つ時がやってきた。
愚神は彼に尋ねた。
「そうだ……聞き忘れていたけど、君の名は?」
「オヴァン……」
「オヴァン=クルワッセだ」
変わった名前だと思った。
けど、妙に力強い。
何かを成し遂げてくれる男の名前だと思った。
バーンとね。
……どうして真顔になるんだい?
まあ良いや。
それで、愚神は強く頷いた。
「うん。我はアルメーオ」
「下の名前は?」
「女神にはファミリーネームなんて無いんだよ」
「そうか」
旅立つオヴァンに愚神は言葉を送った。
「頑張るんだよ。オヴァン」
「善処する」
「我はこれまでに何度も転生者を見送ってきたけど……」
「一目見た時、君だと思った」
「君が邪神を殺してくれると確信した」
「我は、我の直感を信じる」
「君を信じて見守っているよ」
「止めろ」
「えっ?」
「じろじろ見るな。気色悪い」
「……ごめんなさい」
その時の愚神は実際半泣きだったよ。
「……それじゃあ、君をこの世界に転生させるよ」
「ああ。頼む」
「邪神はいつか必ず君の前に現れる」
「それまでに腕を磨いておくんだ。良いね?」
「わかった」
「うん。それじゃ……」
「ようこそ、レンフィールドへ」
愚神は右手をオヴァンへと向けた。
そうすると、手のひらから紅い光が放たれた。
光に包まれて、オヴァンの魂が浮かび上がった。
オヴァンが愚神から離れるように水平に飛んで行くと、やがて木の葉で出来た足場が消えた。
一万ダカール(長さの単位だ)下、遥かな大地が広がっていた。
オヴァンは自分が高い所に居たのだと気付いた。
大地にはぽつぽつと人々の営みの明かりが見える。
オヴァンの魂は下へ下へと降りていった。
首を巡らせると、木の葉の足場が有った方角に巨大な樹木が見えた。
いままで居た所は『巨大な樹木の上』だったのだと気付いたようだ。
次に、樹木とは逆方向に頭を向けた。
雨雲が見えた。
オヴァンはその雲を見て妙だなという顔をした。
「やけに黒い雨雲だな」
その雲はオヴァンが知る雨雲というものより遥かに黒い色をしていた。
まるで、雲の下の全てを飲み込んでしまうような……。
「……ふむ」
「月の色が違うのだ。雲の色が違ってもおかしくは無いか」
オヴァンは雨雲から目を離した。
そして大地を見た。
これから自分が転生する世界を。
オヴァンの魂が地上へと降り立っていった。
ナルガーイ歴775年。
オヴァン=クルワッセはレンフィールドへと転生を果たした。