黒い風
(オヴァンが)気の済むまで走り回った後、三人は『竜神殿』から出た。
歩を進める度に三人と門の距離が遠ざかっていく。
オヴァンは小さくなっていく門を名残惜しそうにチラチラと振り返った。
「妙なオヴァンさん。まさかあなたは、ここに来た『目的』を忘れているのではないですか?」
ハルナは挙動不審なオヴァンを咎めるように看板に文字を綴った。
「目的?」
「まさか本当に……」
「いや。『オリジナル探し』だろう? わかっている」
「そういえば……ブルメイは何のために旅をしているの?」
ミミルが尋ねた。
ミミルはハルナの目的が解呪のオリジナルだということは本人から聞いて知っていた。
失われた声を取り戻すために必要なのだということも。
オヴァンに関しても、現在の目的であればわかっていた。
今のオヴァンはエルフスレイヤーを助けるためにも解呪のオリジナルを探している。
少なくともミミルはそう認識していた。
だが、それまでオヴァンが何をしていたのか、ミミルは全く聞かされていなかった。
ミミルはオヴァンのことをもっと知りたいと思った。
「む…………」
ミミルの問いを受けてオヴァンは周囲を見た。
観光地だけあって通りには人が絶えない。
オヴァンはミミルとの距離を縮めた。
「……実は……俺も呪われている」
少し声を抑えてオヴァンが言った。
「良いんですか?」
すんなり秘密を話したオヴァンをハルナは意外そうに見た。
「パーティを組んだんだ。良いだろう」
オヴァンが呪われているという話を聞いて、ミミルは何故か嬉しそうだった。
「あなたも呪われてるんだ……。私もアレンジだから、皆一緒ね」
ミミルはオヴァンに顔を近づけると小声で言った。
ミミルの吐息がオヴァンの顎にかかった。
「それもそうだな」
「それで、いったいどういう呪いなの?」
「何だと思う?」
オヴァンは微笑みながら尋ねた。
「あ! わかった!」
そう言ってミミルは手の平を空へと伸ばした。
「ほう?」
「仮面が外れないんでしょう。どう? 私の推理」
相当の自信が有るのか。
ミミルは勝利を確信したような笑みで言った。
「正解だ」
「やった!」
「まあ、嘘だが」
「えっ?」
嘘だと言われた瞬間、ミミルの耳がぱたぱたと動いた。
彼女は嘘がつけない人なのだろう。
傍から見ていたハルナはなんとなくそう思った。
「じゃあ、本当は何なの?」
「今は駄目だ。機会が有ればいつか話そう」
「別に良いわ。自力で当ててみせるもの」
「そうか。頑張れ」
「えっと、うーんと……」
ミミルは少しの間悩み、オヴァンを指差しながら答えを口にした。
「嘘つき病」
「フッ。違うな」
オヴァンは歩き出した。
ハルナも後に続く。
呪いについて考えていたミミルは反応が遅れてしまった。
二人とミミルの距離が離れていく。
ミミルは慌てて後を追った。
「あっ、待ってよ。えっと……えっと……」
ミミルは頭を悩ませるが、オヴァンを追いかけながらでは上手く頭が回らない様子だった。
「それで、『レース』はどうしますか?」
二人の話に区切りがついたのを見てハルナが書いた。
すると上向きかかっていたオヴァンの機嫌が一変した。
「俺は出ないぞ」
オヴァンは憮然として言った。
「まあ、賞品のオリジナルが目的の物とは限りませんからね」
ハルナはオヴァンの機嫌を見てレースに出ない方向で話を進めることにした。
だが……。
「私は出てみたいわ。せっかくお祭りに来たのに、参加しないなんて損でしょう?」
ミミルはあまり人の顔色を読まない女性だった。
彼女の押しの強さにハルナは思わず笑ってしまった。
「だ、そうですよ」
なんとなく愉快な気持ちでハルナは看板をオヴァンに向けた。
音声が発生するようにしてあるので相手に看板を見せる必要は無い。
だから、なんとなくだった。
「好きにしろ」
オヴァンはハルナの看板から目を逸らして言った。
「それでは、『大会の受付』に行ってみましょう」
三人はドラゴンレースの受付を探して行動を開始した。
オヴァンが辺りの店で尋ねると受付の場所はすぐに判明した。
どうやら受付は『役所』に有るらしい。
オヴァン達は寄り道をせずに役所へと向かった。
竜の神殿を去って三十分ほど後、オヴァン達は役所の前にたどり着いた。
役所は三階建の立派な建物だった。
役所の屋根には大きなバルーンがくくりつけられているのが見えた。
バルーンからはレース参加受付という垂れ幕が吊り下げられていた。
どうやらここが受付で間違いが無いらしい。
オヴァン達は正面の扉から役所の中へと入っていった。
役所内部には大きな案内の看板が有り、どこがレースの受付なのかはすぐにわかった。
オヴァン達はレース受付のカウンター前へと移動した。
「ねえ、レースに出たいんだけど」
ミミルは受付に居た中年の男に話しかけた。
「はい。それではこちらの用紙に必要事項の記入をお願いします」
受付の男はミミルに紙とペンを寄越した。
「ええと……代表者名と……参加人数?」
「はい。レースに参加される方の中には一頭のドラゴンに複数人で乗られる方もいらっしゃいます」
「一頭のドラゴンに一人で乗るわけじゃないんだ?」
「はい。重量の分レースは不利になりますが、お祭りですからね」
「へぇ……」
説明を聞いたミミルは二人の方へ振り返った。
それからまずはハルナの方へ声をかけた。
「ハルナ、一緒のドラゴンで出ましょうか?」
「良いですよ」
断る理由も無い。
ハルナは快諾した。
「それと……」
「ブルメイ、あなたも」
「勘弁してくれ」
オヴァンはミミルから顔を背けると天井を見た。
汚れの少ない綺麗な天井だった。
清掃が行き届いている。
オヴァンはぼんやりとそう考えた。
「もう……」
頑固なオヴァンを前にしてミミルは溜息をついた。
それから真顔になると受付の男に向き直った。
「三人で出るわ」
「はい。それでは参加料の方を……」
「おい……」
オヴァンはミミルを咎めたが、ミミルは聞く耳を持たなかった。
「参加料、ちょうだい」
それどころか図々しく金の無心をしてくる有様だった。
「俺は出ないぞ……」
そう言いながらもオヴァンはミミルの手にお金を置いた。
ミミルは受け取ったお金をそのまま受付に支払った。
「はい。確かに」
参加料を確認すると受付の男が言った。
「それで、使用されるドラゴンの方はもうお決まりですか?」
「え? 貸してくれるんじゃないの?」
ミミルは意外そうに言った。
「申し訳ありませんが、参加料とドラゴンのレンタル費用は別料金となっております」
「ドラゴンのレンタルに関しましては、各『ドラゴン牧場』にお問い合わせ下さい」
「こちらがドラゴン牧場の地図となっております」
受付の男はカウンターの上の棚から折りたたまれた紙を取り出した。
「ありがとう」
ミミルは地図に手を伸ばした。
その時……。
「一枚100マケルになります」
男は満面の笑みでそう言った。
紙一枚の値段としては明らかに高い。
「ブルメイ……」
ミミルは流石に申し訳なさそうにオヴァンを見た。
オヴァンは黙って財布からお金を取り出した。
……。
「それでは、どうかドラゴンレースを楽しんでいって下さい」
笑顔の職員に見送られてオヴァン達は役所を出た。
地図によると『ドラゴン牧場』はどれも町から離れた所に有る。
歩いて行くには遠いので、『渡し羽猫』に乗っていくことになった。
猫を借りるのではなく、乗り手の後ろに乗って目的地に連れて行ってもらうというものだ。
羽猫は普通の猫と比べて高価なので軽々しくレンタルには出さない。
乗猫料も数十分で猫車の数日分にもなった。
他には『ドラゴン籠』という移動手段も有った。
だが、オヴァンが乗りたくないと言ったので猫で行くことに決まった。
一頭に三人は乗れないので、三頭の羽猫にそれぞれが乗っていくことになった。
ミミルは最初、ドラゴン籠に乗ってみたかったのにと文句を言っていた。
だが、羽猫から見る風景が気に入ったらしく、すぐにはしゃぎ始めた。
トゥルゲルは雲の上の国だ。
空へと舞い上がればどこからでも大きな雲を見下ろすことが出来た。
ミミルと羽猫は相性がいいらしく、酔う気配も無かった。
元気いっぱいで、隣を飛ぶオヴァンの方へ大声で話しかけてきたりした。
オヴァンはたまに身振りで返事をするだけだったが、ミミルは嬉しそうだった。
やがて、オヴァン達を乗せた猫は広々とした牧場に降り立った。
オヴァン達は猫から降り、牧場の草地を踏みしめた。
一面に生えた草は雑草ではなく、ドラゴンのために育てられた食用の牧草だった。
「それじゃあ、用が済んだら声をかけて下さい」
羽猫の乗り手の一人が言った。
「待たせて悪いな」
「待機料金はしっかりといただきますよ」
しっかりしているね。
猫から降りたミミルはきょろきょろと牧場全体を見回した。
広々とした牧場の草地に何頭かのドラゴンがのんびりと寝そべっていた。
空を見上げると元気に飛び回るドラゴンの姿も見える。
ドラゴンの体長は平均して6ダカールほどだろうか。
ドラゴンだらけの牧場内に一人、男が立っていた。
年は三十代前半だろうか。身長は167セダカ。
短く刈った髪は濃い緑で髭は無い。
線の細い顔つきだが、その四肢は案外がっしりとしている。
見栄えよりも動きやすさを重視した服装をしていた。
男はオヴァン達に気付くと彼等の方へと駆け寄ってきた。
「いらっしゃい。お客さんかな?」
「ええ。お客さんなの」
男の問いにミミルが答えた。
「僕はここ、『ナッシュ牧場』の牧場主、カルネ。よろしく」
男、カルネの口調には都会の客商売には見られない大雑把な気さくさが有った。
「ミミルよ」
「ハルナです」
「……オヴァンだ」
「ブルメイでしょ? それで、レースに出たいんだけど」
全員が名乗るとミミルが用件を切り出した。
「うん。好きな子を選んでいってよ。ただし、『前足』に『紐』がついてる子はダメだよ」
「どうして?」
そう尋ねながらミミルはドラゴン達の前足を見た。
目が良いミミルには遠く離れたドラゴンの紐の有無がはっきりとわかった。
「借り手がついてる子達なんだ」
「わかったわ。それで、どの子が速いの? どうせなら勝てる子に乗りたいわ」
値踏みをしようにもミミルにはドラゴンの良し悪しなどさっぱりわからなかった。
ミミルの問いかけに対してカルネは少し困った顔をした。
「それは……ちょっと難しいね」
カルネは申し訳なさそうに言った。
「どうして?」
「まず、ウチの牧場の子はあまり速くないんだ」
「そうなの?」
「この牧場はあまり大きな方では無いのでしょうか?」
ハルナが疑問を挟んだ。
「残念ながらね」
カルネの返答を受けてハルナはさらに質問を重ねる。
「もっと大きな牧場でドラゴンを借りた方が良いということでしょうか?」
「そう思うよね。だけど、速そうな子は真っ先に借り手が付いちゃうんだよね」
「……ちょっと、来るのが遅かったね」
「そうなんだ。残念」
本気で優勝する気でいたのだろう。
現実を告げられたミミルの耳が垂れ下がった。
「とは言っても、どちらにせよ優勝するのは難しいと思うよ」
「どうして?」
「優勝するのは『カーゲイル一族』に決まっているからさ」
そう言ったカルネの口調に淀みは無かった。
「カーゲイル? どこかで聞いたような……」
ミミルは思い出そうとして自分の両耳を左右に引っ張った。
こうすることでナーガミミィ族は一時的に頭の回転を良くすることが出来る。
……などということは特に無い。
「あの、泥棒を捕まえていた人がトルク=カーゲイルという名前でしたね」
心当たりが有ったハルナが看板を挟んだ。
「彼に会ったの?」
カルネは意外そうにハルナを見た。
「話をしたのはミミルさんだけです。それで、カーゲイル一族というのは?」
「カーゲイルは『この国を治める一族』だよ」
「王様?」
「いや。王というわけじゃないけど……政治の実権を握っている」
「王で無くともそれに近い存在ということですね」
「うん。たとえば、レースを主催しているのもカーゲイル一族だね」
カルネがそう言った直後、ハルナは目を細めた。
「主催者の一族が勝つ……? レースは八百長ということですか?」
カルネの言葉からハルナが連想したのは薄汚い権力と金の世界だった。
「いや。それは違うよ」
カルネは慌てて否定をした。
言葉だけでなく、身振り手振りも加えて。
カルネにとってハルナの言葉は有ってはならないものだったらしい。
「カーゲイル一族は、その代々が竜騎士の家系なんだ」
「誰よりも上手くドラゴンを育て、そして乗りこなす。ドラゴンのスペシャリストだ」
そう言われてハルナはトルクの姿を思い浮かべた。
確かに、トルクがドラゴンを操る様は門外漢のハルナにも優れたもののように見えた。
「だから、レースは毎年カーゲイルの人間が優勝する」
「絶対的な王者なんだ。ドラゴンの質でも、ドラゴン乗りの技術でもね」
「レースはね、お祭りであると同時に、カーゲイルの力を示す場でもあるのさ」
カルネの言葉を受けてハルナの中から八百長のイメージは殆ど拭い去られていた。
勝手に悪いイメージを抱き、簡単に撤回する。
その移ろいやすさをハルナは内心自嘲した。
「負けるつもりで出場するなんて、そんなの嫌だわ」
ミミルは拗ねたように言った。
「そうだね。もしウチのドラゴンが気に入らなかったら他も見てみると良いよ」
カルネは慰めるように言った。
他の牧場に行ってもどうにもならない。
ハルナはカルネがそう言ったことを覚えていた。
それならばこの牧場で選んでも変わらないのではないか。
「良いんですか? 儲けなくて」
金儲けから遠く見えるカルネの言動にハルナは疑問を抱いた。
疑問を受けたカルネは苦笑しながら一番近くに居るドラゴンを見た。
「良くはないんだけどね……」
茶色い鱗のドラゴンがカルネの右8ダカールほどの位置で牧草を食んでいた。
カルネの視線に釣られたのか、そのドラゴンはカルネの方にのしのしと歩いてきた。
「気に入らないのに無理に乗られたって、この子達も嬉しくないと思うしね」
カルネは自分に近付いてきた茶色いドラゴンの頬に手を伸ばした。
カルネに撫でられるとドラゴンは目を閉じた。
「そういうものですか?」
ハルナは意外そうに書いた。
牧場主とドラゴンの関係というのはもっとドライなものかと思っていた。
実際、トルクがドラゴンを好きではないと言ったのをハルナは耳にしていた。
「うん。けど、良い子達だから、出来れば気に入ってくれると良いな」
カルネはドラゴンを撫でる手を止めずに言った。
「どう選べば良いのかしら……」
ミミルはちらとオヴァンの方を見た。
オヴァンは物知りだからドラゴンにも詳しいのではないかと思ったからだ。
だが、オヴァンはミミル達の方を見てはいなかった。
牧場内ではない、どこか遠くに視線を向けていた。
ミミルは胸がちくりと痛むのを感じた。
「……っ!?」
痛みに驚いたミミルは自分の胸を見下ろした。
痛みは一瞬で、もう何も感じられなかった。
(気のせい……?)
ミミルはそう考えて痛みのことを忘れることにした。
そしてドラゴンの話に戻った。
「『速いドラゴンを見分ける方法』みたいなものは無いの?」
「基本は『大きい子』が速いよ。勿論それだけじゃあ無いけどね」
「大きい子……」
単純明快だなとミミルは思った。
それなら自分でも速いドラゴンがわかるかもしれない。
ミミルは牧場のドラゴン一体一体に視線を走らせていった。
……そして、すぐに落胆する。
この牧場に速いドラゴンは居ない。
カルネがさっきそう言ったばかりだった。
「どの子もそんなに違いは無いわね……」
この牧場には小さなドラゴンは見当たらない。
そのかわり、特別大きなドラゴンの姿も見えなかった。
「どうしようかしら」
ここで借りてしまうべきか、他所へ行くべきか。
ミミルは悩んだ。
オヴァンの言葉が欲しかったが、相変わらず彼は沈黙したままだった。
憮然とした表情でどこか遠くを見て……。
……いや。
ミミルが再びオヴァンを見ると、彼は真上を見上げていた。
「……?」
次の瞬間、ミミルの上に急に影が差した。
「……!?」
空を見上げたミミルの目が驚きに見開かれた。
そこには体長15ダカールも有る『巨大なドラゴン』が滞空していた。




