オーバーラン
おっとごめん。
そういえば『ドラゴン』の説明をしていなかったね。
君はドラゴンは知っているかな?
へぇ。
ドラゴンっていうのはどこにでも居るんだね。
けど、同じドラゴンと言っても、世界によって違いが有るみたいだね。
うん……。
基本は羽が生えた大きなトカゲのような生き物だね。
いわば、トカゲにとってのペガサス存在。
その辺りはどの世界でも大差が無いみたいだ。
まあ、外界には羽が無いドラゴンも居るらしいけどね。
何にせよ、世界によって差が有るのは外見では無くて心の方だ。
ドラゴンに知性が有る世界。
無い世界。
ドラゴンが温厚な世界。
ドラゴンが邪悪な世界。
あるいはその両方。
世界によってドラゴンの内面には極端な差が有るらしい。
たとえば『タムリエル』と呼ばれる世界のドラゴンは臆病だ。
どれくらい臆病かというと、人に怒鳴りつけられただけでびっくりして地面に落ちてしまうらしいね。
ある年末、年越しの祭りの上空をドラゴンの群れが通りかかった。
大勢居たから羽音がうるさかったんだろうね。
祭りに参加していた人たちがドラゴンの群れを怒鳴りつけたんだ。
「年越しだぞ! 静かにしろ!」ってね。
すると、びっくりしたドラゴンがドサドサと祭りの会場に落ちてきたらしい。
祭りに参加した人達は大変だったろうね。
その後?
そこまでは聞いてないけど、仲直りして酒盛りでもしたんじゃないかな?
案外、ドラゴンのサイズは小さくて怪我人は出なかったかもしれないしね。
ああ、小さいドラゴンと言えば、あれは酷かったなぁ。
前にエマちゃんに、『ドラゴン退治の絵』を見せてもらったんだ。
退治……。
うん。
その世界のドラゴンは獰猛で邪悪な存在だったらしいんだね。
それで、『ゲオルギウス』という騎士がドラゴンを退治したらしいんだ。
けど、その様子を描いた絵が酷くてね。
ドラゴンと言いながら、サイズが猫くらいしか無いんだ。
別に高名な騎士で無くても、一般兵二人くらいで突き倒せそうだったね。
最初はね、絵を描いた人がゲオルギウスのことを嫌いなのかと思ったんだ。
わざとドラゴンを小さく描いて、彼のことをバカにしてるんじゃないかってね。
けど……ゲオルギウスの絵は複数枚有ったんだね。
どの絵を見ても彼が退治したドラゴンは小さく描かれていたんだ。
だから、彼は本当に小さなドラゴンを退治したんだろう。
小さいけど何か特殊な魔力を持ったドラゴンだったのかな?
外界のドラゴンは様々な魔力を持っていると聞く。
たとえば、『ブルース=リー』というドラゴンは全身を炎にすることが出来たらしい。
だけど、本当にゲオルギウスが小さなドラゴンを退治したのだとしてだよ?
絵描きの人はもうちょっと、ドラゴンを大きく描くべきだと思ったよ。
真実?
けど、本当に真実を描きたかったのなら、ドラゴンの強大な魔力も見えるようにするべきだったね。
大勢の人に笑われたゲオルギウスが可哀想だと思うよ。
他に面白いドラゴンの話といえば……。
そうだ。
『ファフニール』というドラゴンの話が面白かったよ。
ファフニールは迷宮を好む獰猛なダンジョンドラゴンだったんだ。
鳴き声はモノノベーだったので、『モノノベドラゴン』とも呼ばれていたらしい。
変な鳴き声だね。
みんみー。
ある日ファフニールが財宝の山の上に陣取っていると、そこに一人の冒険者がやってきた。
名前は……『ダキア』だったかな『コバヤシ』だったかな。
違うな……。
そう。
『システム=エンジニヤ』とかいう名前だった。
システム=エンジニヤはファフニールの前に立つとこう言った。
「俺がゲームで勝ったら財宝を貰おう」
ファフニールはゲームでの勝負を受けることにした。
別に、負けたからと言って財宝を譲るつもりは無かったけどね。
まあ、長い迷宮暮らしで流石に暇をしていたんだろうね。
ゲームで勝っても負けてもエンジニヤを食い殺すつもりだった。
下等な人間との約束など守るに値しないということだね。
ゲームの結果はエンジニヤの勝利だった。
自信が有るゲームで挑んだんだからね。
負けたらちょっと恥ずかしいよ。
そして、ファフニールはエンジニヤを……殺さなかった。
どうしてだと思う?
いや。
ファフニールはね、そのゲームがとても楽しかったんだ。
ゲームに負けたファフニールは言った。
「もう一度やろう」
「良いよ」
「モノノベー」
「何それ?」
「鳴き声だ。気にするな」
長いことゲームをして、エンジニヤは財宝を貰って帰っていった。
それから少しして、エンジニヤの家を一人の少女が訪れた。
エンジニヤは少女に尋ねた。
「誰?」
「私だ。ファフニールだ」
「本当にファフニール?」
「モノノベー」
「本当にファフニールだ。どうしたの?」
「……もう一度ゲームをしよう」
「良いよ」
それからファフニールはシステム家のメイドになったと聞くよ。
最後は……結婚したんじゃないかな?
多分だけど。
それにしても、ドラゴンをメイドにしてしまうゲーム……。
いったいどれだけ面白いゲームだったんだろうね?
気になるけど、もしハマってしまったら怖いなぁ。
愚神もメイドにされてしまうかもしれないね。
外界のドラゴンは桜が好きだと聞くから、桜に関係したゲームだったのかな?
君はどう思う?
……いきなり聞かれても困るか。
ええと……愚神の世界のドラゴンは頭が良くて性格も穏やかだったよ。
滅多に人を殺したりもしない。
全く殺さないということは無いよ?
人だって、滅多に人を殺さないけど、たまには殺すだろう?
そういうこと。
その大人しさから、『ドラゴンは跨いで通れ』というコトワザも有る。
見た目で相手を判断するなという意味だね。
ただ……この世界にはもうドラゴンは居ないんだ。
今居るのは『竜人』と呼ばれる種族だね。
どうしてドラゴンが居なくなったのか……。
オヴァンのおかげだね。
オヴァンのおかげで愚神はこの世界からドラゴンを消し去ることが出来た。
さあ、それじゃあオヴァン達の話に戻ろうか。
……。
ミミルはお菓子を売っている出店の前に立つと店員に対して声をかけた。
「おじさん、これ一つ頂戴」
菓子の一つを指し示してみせる。
「あいよ。30マケルだよ」
値段を聞いたミミルは島で入手したお腹の旅袋から財布を取り出した。
その時……。
びゅう。
上空から飛び込んできたドラゴンがミミルの財布をくわえ取ってしまった。
ドラゴンの全長は4ダカール程度で、この世界のドラゴンの平均より小さい。
ドラゴンの上では三十過ぎほどの男が手綱を握っていた。
男はこの国の民族衣装を着て、身長は175セダカ。あごひげを生やしていた。
「えっ? えっ?」
咄嗟のことにミミルは呆気にとられた。
財布を盗まれたということすら理解出来ているのかどうか。
ミミルは何をして良いのかわからず、呆然と飛び去るドラゴンを見送ってしまう。
ハルナがリメイクで撃ち落とそうかとテンプレートを構えるが、ドラゴンは素早い。
ハルナがフレイズの選択を終える前にドラゴンはハルナの射程外に逃れていた。
もっとも、射程というのは周囲を巻き込まない規模のフレイズの射程だ。
周りを気にしなくても良いのであれば、逃げ去った男をドラゴンごと肉塊に変えることも出来た。
だが、他人の財布を取り戻すためにそこまでしようとはハルナには思えなかった。
ハルナが財布の奪還に見切りをつけたその時……。
ハルナ達の真上をもう一体のドラゴンが飛んだ。
財布を奪った小柄なドラゴンとは違う、全長8ダカールは有る立派な中型ドラゴンだった。
鱗は美しい銀色。
ドラゴンの上には鎧姿の人物が乗っていた。
鎧はドラゴンの鱗と同じ、煌めく白銀。
仮面ではなく鎧に合わせた兜を身につけており、容貌はわからないが、身長は165セダカ程度。
その左手にはドラゴンの手綱。
右手には長さ6ダカールは有る長大な槍を構えていた。
ドラゴン乗り特有の長槍だった。
鎧姿の竜騎士が操るドラゴンはあっという間に盗人のドラゴンへと追いついた。
「止まれ!」
銀の竜騎士が叫んだ。
若々しい男の声。
盗人は警告を受けても止まらず、上空へと飛び上がろうとした。
盗人に止まる気配が無いのを確認すると白銀の竜騎士は長槍を払った。
盗人の左後方から竜騎士の長槍がぐんと迫った。
竜騎士のドラゴンがぴったりと相手に追随することで盗人は槍をかわすことが出来ない。
槍は見事に盗人の横腹を打った。
「ぐえっ……!」
殴打された盗人はドラゴンの背から押し出され、地面へと落下する。
盗人は命を落とすのではないか。
遠方から事態を見守っていたミミルがあっと息を呑んだ。
だが……。
竜騎士は盗人の落下と同時に自身のドラゴンを急旋回させていた。
そして落下する盗人の下に回り込むとその体を軽々と受け止めた。
長槍を使うだけあってかなりの膂力が有るらしい。
盗人の重量を受けても彼の体幹は全く揺らぐことが無かった。
一方、乗り手を失った盗人のドラゴンは近くの建物の屋根へと着地した。
竜騎士は盗人を適当な屋根に下ろすと盗人のドラゴンの方に飛んだ。
そしてドラゴンが口にくわえていた財布を捻り取った。
財布を取り戻した竜騎士はそのままミミルの上空へとやってきた。
しばらくドラゴンが滞空しているとその影から人々が移動して空きを作った。
竜騎士のドラゴンはそこに悠々と着陸した。
竜騎士はドラゴンから降りるとミミルの方へ歩み寄ってきた。
そして、ミミルの前に立つと兜を外した。
兜の下からは少女と見間違えるような美少年が現れた。
髪はさらりとしたショートで淡い緑銀色をしていた。
(まるで風の色みたい)
勿論、風に色など存在しない。
だが、ミミルにはそのように感じられた。
ミミルが黙っていると少年の方から口を開いた。
「こんにちは。美しいお嬢さん。私はトルク=カーゲイルというものです」
少年、トルクは優雅に頭を下げた。
目の前の女性全てを魅了してしまうかのような美しい所作だった。
一方で、同性から見れば少し嫌味に感じられたかもしれない。
そんなトルクの有様を見てもミミルは平然としていた。
「私はミミル=ナーガミミィよ」
「ミミルさん、いい名前だ」
「そう? ありがとう」
「どうぞ」
トルクはすっと財布を差し出した。
「どうも」
ミミルはテーブルの上のパンを掴むような調子で財布を受け取った。
「気をつけた方が良いですよ。祭りの時は悪さをする連中が増えますから」
「そうなの?」
「残念ですが。……全く、ドラゴンを犯罪に使うとは、嘆かわしいことです」
「あなたはドラゴンが好きなの?」
「いえ。特には」
『どうしてそんなことを聞くのか』といった感じでトルクは答えた。
「ん~?」
ミミルはそれに違和感を抱いたが、なにがおかしいのかはわからなかった。
「あなたもドラゴンレースを見にいらしたのですか?」
「ええ」
「それでは、ぜひレースを楽しんでいって下さい」
「レース……あなたもドラゴンレースに出るの?」
「はい。このシルヴァに乗って出場します」
「この子、シルヴァっていうのね」
ミミルはシルヴァに向かって手を振った。
ミミルの動きに釣られたのか、ミミルとシルヴァの目が合った。
「よろしくね。シルヴァ」
ミミルは楽しげに頭を下げた。
それからミミルはシルヴァの顔を見たが、ドラゴンは人と比べて無表情だ。
ミミルにはシルヴァが何を考えているかはわからなかった。
お互いに微笑みあえないことがミミルにとっては残念だった。
「シルヴァは世界一速いドラゴンです」
トルクはシルヴァに視線を向けながら言った。
「優勝しますよ。私は」
「そう。頑張ってね」
「はい。それでは」
トルクは颯爽とドラゴンに飛び乗り、そして飛び去っていった。
トルクが去ると遠巻きに見ていたオヴァン達がミミルの側にやってきた。
「格好いい方でしたね」
ハルナはそう書いたが、ミミルにはピンと来なかったらしい。
「そう?」
よくわからないといった感じで首を傾げて見せた。
「だけど、彼のおかげで助かったわ」
「次からは用心しろ」
そう口にしたのはオヴァンだった。
「見てただけのくせに、えらっそう」
怒っているというよりは拗ねているといった口調でミミルが言った。
「俺は財布を盗られてないからな」
「むぅ……」
そう言われると何も言い返せない。
ミミルの耳が僅かに下がった。
「もう二度と盗られないわ。用心するもの」
「そうか。ところで……」
「あそこに居る『あの男』、怪しくないか?」
オヴァンはミミルの右方へと視線を向けた。
「えっ? どの人?」
ミミルは釣られてそちらを見た。
ミミルの気が財布から逸れた瞬間、オヴァンの手がミミルの財布へと伸びた。
あっという間にミミルの手からは財布が抜き取られていた。
「あっ!」
ミミルは一拍遅れて驚きの声を上げた。
「二度と……何だって?」
オヴァンはにやりと笑い、財布をひらひらと振った。
「むぅ~っ」
ミミルが手を伸ばすとオヴァンは素直に財布を返却した。
ミミルはそれをお腹の袋にしまう。
「もう、この町に居る間は袋から財布を出さないわ」
ミミルは旅袋の口の部分をぐっと押さえてみせた。
「どうやって買い物するつもりだ?」
「おごって!」
「ふむ……」
オヴァンは短く思案した。
「まあ良いか。何が欲しい?」
「あれ! さっき買おうとしてたの!」
ミミルは出店を指差した。
「わかった」
オヴァンは頷くと出店の方へ近付いていった。
その隣をぴょこぴょこついてくるミミル。
二人並んで出店の前に立った。
オヴァンの目に、木の棒に刺さった星型の菓子が並んでいるのが見えた。
「三つくれ」
「あいよ。90マケルだよ」
支払いのためオヴァンは旅袋から財布を取り出した。
「貰ったぁ!」
ミミルはオヴァンの財布へ向けてひゅっと手を伸ばした。
「甘い」
ミミルが手を伸ばし始めた直後、オヴァンは自らの手を頭上に移動させていた。
ミミルの手は空を切り、その目論見は失敗した。
「……なんでわかったの?」
納得がいかない様子でミミルが尋ねた。
「別に」
「財布を持っている時に油断する性格じゃないだけだ」
オヴァンはそう言うと財布の紐を解き、店員に料金を支払った。
「むぅ……」
ミミルは名残惜しそうにオヴァンの財布を見た。
オヴァンはすぐに財布を旅袋に仕舞ったのでミミルには手の出しようが無くなる。
「食え」
オヴァンは手にした菓子をミミルの口に押し当てた。
「ちょっと……押し付けないで……」
ミミルはオヴァンを睨んだが、その表情はすぐに柔らかく緩んだ。
「って、甘い!」
「美味しい! 何これ! あなたも早く食べなさいよ!」
ミミルは受け取った菓子の棒をふらふらと揺らしながら言った。
「そうだな。……ハルナ」
「ありがとうございます」
三本有った菓子の一本をハルナに手渡すとオヴァンも自分の菓子を食べ始めた。
「美味しいですね」
菓子で片手が塞がったハルナは看板を旅袋に仕舞って腕に字を書いてみせた。
オヴァンはハルナに何と答えようか思案した。
(本当は辛い物の方が好きだが……)
そう考えつつも、オヴァンは先程ハルナに叱られたことを思い出していた。
これ以上余計なことを言って二人の興を削ぎたくは無かった。
「ああ。美味いな。俺は大人だからな」
「はい?」
それから三人は買い食いをしたりしながら町を歩いた。
三人が適当に広い道を進んでいくと、奥に『大きな木造りの門』が見えた。
石造りの建物が多いこの国では珍しい物のように見えた。
「木ね」
だから、ミミルはわざわざ口にして感想を述べた。
「木だな」
「木ですね」
三人はそのまま木門の方へと歩いていった。
「あっ!」
門の奥が見えた時、ミミルは短く声を上げた。
門の奥に設けられた台の上に『巨大なドラゴン』らしき姿が見えたからだ。
「あれは……」
オヴァンはハルナに問いかけた。
「あれはひょっとして、ドラゴンか?」
「ひょっとしなくてもそう見えますが」
「行ってみよう」
オヴァンは素早く足を踏み出した。
あのドラゴンの所に早くたどり着きたい。
落ち着きのない足取りがそう語っているようだった。
「あなた、ドラゴンが嫌いじゃなかったの?」
「そう言ったか?」
返事も適当に、オヴァンはずんずんと歩いていく。
「全く、どうしたのかしら」
ミミルは近くに残ったハルナに話しかけた。
「ずっと様子がおかしいですよね」
二人は置いていかれないようにとたとたと駆けた。
二人が追いついた時、オヴァンは入り口近くの小屋の前で立ち止まっていた。
小屋の隣には『受付』と書かれた看板が立てられていた。
小屋に設けられた大窓の奥には年40歳ほどの女性が座っていた。
「いらっしゃいませ。ご入場はお一人様100マケルになります」
オヴァンの到来に気付いた女性は来客に対する決まり文句を口にした。
「ここは何の施設だ?」
オヴァンは受付の女性に問いかけた。
「ここは『竜の神殿』です」
「神殿……?」
「神殿とは言っていますが、要は『始祖様のお家』になりますね」
「始祖?」
「はい。始祖様は『全てのドラゴンの母』と言われるお方です」
「この世界に存在するドラゴンは全て始祖様の子孫と言われているんですよ」
「始祖様は女神様から授かった力でお一人で子をお作りになられたのだと言われています」
「授かった力……。加護か」
「え……? はい。そういう言い方もするのかもしれませんね」
「この世界のドラゴンの始祖……」
オヴァンは視線を門の方へ向けると再び口を開いた。
「会えるか?」
「はい。門を入ってすぐの所にいらっしゃいますが……」
「ただ、ずっと眠ってるんですけどね。起きられることは滅多に有りません」
「そうか……」
「お入りになられますか?」
「ああ。勿論だ」
「三名様、300マケルになります」
オヴァンは素早く財布を取り出し、その財布から丁度300マケルを取り出した。
「えいっ!」
オヴァンがお金を手渡そうとした瞬間、ミミルの手がオヴァンの財布に伸びていた。
そして……。
ミミルは見事、オヴァンの財布をその手中に掴み取っていた。
「取った!」
ミミルは戦利品の財布が夢や幻でないことを確認するとそれを天に掲げた。
一瞬何事かと思った受付の女性だが、すぐにじゃれ合いだと気付き、微笑ましそうに見た。
「これは一本取られたな」
財布を取られたオヴァンの口調から悔しさは全く感じられなかった。
「ええ。って……あれ?」
その時、ミミルは手中の財布に対して妙な違和感を抱いた。
「軽い……?」
ミミルは奪った財布に全く重みがないことに気付いた。
慌てて財布を開いてみると中はまったくの空だった。
「空っぽ……? お金は?」
「別の財布に入れてある」
「別の? あなた、財布をいくつも持ってるの?」
「一つでは金が入り切らなくてな」
「へぇ~」
ミミルは感心したような声を上げた。
「はい。返すわ」
ミミルは中身のない布切れをオヴァンに差し出した。
オヴァンは何も言わずに財布を受取り旅袋へと仕舞った。
「次はメイン財布を取ってみせるから」
「まだ続けるのか?」
「ダメ?」
「いや。好きにしろ」
入場料の支払いを終えると三人は門に向かって歩いていった。
「おっきぃ……」
木門を抜けた瞬間、ミミルが感嘆の声を上げた。
木の壁で囲まれた一辺120ダカールほどの空間。
その中央の台座の上に『大きな桃色のドラゴン』が眠っていた。
体を丸くして眠っているが、体長は70ダカールほどだろう。
竜騎士トルク=カーゲイルが乗っていたドラゴンが比較にならないほどの大きさ。
爪だけでもハルナを押し潰せそうなほどだった。
ドラゴンが眠っている台座の周囲には木造りの柵が設けられていた。
柵の前には看板が有り『決して中に入らないで下さい。死にます』と書いてあった。
オヴァンはその看板を見ると嬉しそうに微笑んだ。
「こんな大きい生き物見るの初めて!」
一方のミミルは耳をぴょこぴょこさせながら柵の周囲を走り回り始めた。
その時……。
ハルナの耳が不穏な言葉を捉えた。
「彼女を起こしても良いだろうか……」
ハルナは一瞬ぴしりと固まると恐る恐る文字を綴った。
「ふ……不穏なオヴァンさん、今、なんと?」
「眠っているのが惜しい。起きた彼女に会ってみたい」
「駄目ですよ。中に入るなと書いてあるでしょう」
「そこをなんとか。『端を渡らずに堂々と真ん中を歩く』とか」
「意味がわかりませんが!?」
「駄目か」
オヴァンはしょんぼりと俯いた。
「駄目ですよ。変なことはしないでくださいね」
「わかった……。しかし惜しい……」
オヴァンはドラゴンに熱い視線を送った。
隣に居るハルナの目にはとてもオヴァンがドラゴンを嫌いなようには見えなかった。
「あなたはひょっとして……」
ハルナは思いついた仮説を綴ってみることにした。
「ドラゴンが嫌いなのではなく、小さなドラゴンが嫌いなのですか?」
「レースに使うようなドラゴンは小さいから嫌い。このドラゴン大きいから好き」
「『トカゲ』というのは……『小さなドラゴンに対する蔑称』なのですか?」
「確かに、大きさは大切だ」
オヴァンは頷いた。
「だが……本当の問題はそこではなく、実際は……」
途中まで言いかけてオヴァンは口を噤んだ。
「いや……大声で言うことでもないな。すまん」
「はい?」
その時、柵を一周してミミルが帰ってきた。
「たっだいま~」
「お帰りなさい」
「人生で一番楽しい400ダカールだったわ」
「そうか……」
「俺も走ってこよう」
「オヴァンさん!?」
オヴァンは今までにない軽やかな足取りでドラゴンの周囲を回り始めた。
一周、二周と回ってもオヴァンの脚が止まることは無かった。




