バースデイその2
大声を放ったのはリーンにとってもよく見知った人物だった。
近所の気のいいおじさん。
彼に対するリーンの印象はそんなところだった。
リーンは彼が矢を放つのを見た。
そして矢が飛んでいった方向も……。
「えっ……!?」
一瞬リーンは矢が人間の子供に突き刺さっているのかと思った。
その醜悪な顔つきと人間離れした肌色さえ無ければ人と区別はつかなかっただろう。
それほどまでにエルフという生き物の体型は人間に酷似していた。
腹を射られたエルフに対し、大人たちは何本も矢を射かけた。
エルフは全身を穴だらけにされて倒れた。
矢傷の一つ一つから血が漏れ出しているのが見えた。
一本の矢でもエルフを殺すには十分だっただろう。
リーンの目には大人たちがやりすぎているように見えた。
優しい近所のおじさんたち……そのはずだったのに……。
見知った村の仲間たちが、まるで人が違ってしまったように見えた。
実際、大人たちの顔色は悪かった。
「狩りは中止ね」
ルインが残念そうに言った。
「どうして?」
リーンは姉に尋ねた。
「エルフが出たからよ」
「どうしてエルフが出ると狩りが中止になるの?」
尋ねながらもリーンは少しほっとしていた。
狩りというのは怖いことだと思った。
皆おかしくなってしまう。
早く帰れるのならそれに越したことは無かった。
「エルフは凶悪な怪物だから。連中を見たら一匹残らず『始末』しなくてはならないの」
「始末……?」
狩りは終わった。
だけど、もっと嫌なことが始まったのだと気付いた。
「どうして……?」
「そうしないと……大変なことになる」
「大変なこと?」
ルインは答えなかった。
「注意して。エルフを見つけたらすぐに他の誰かを呼ぶのよ」
代わりに忠告を口にした。
「うん……。わかった」
エルフ狩りが始まった。
大人たちは手分けしてエルフを探し、射殺していった。
それはリーンの目から見てとても凄惨なものだった。
エルフは華奢な生き物だ。
そんな華奢なエルフの生命を大人たちは無慈悲に奪う。
血なまぐさい光景にリーンの表情は曇った。
自分たちが悪者のようにすら感じられた。
陰鬱とした気分で姉の後に続く。
そんな時……リーンは気付いてしまった。
灌木の影で一体のエルフが震えている。
通常のエルフよりもさらに小さい、子供のエルフ。
背丈の伸び切っていないリーンよりもさらに小柄だった。
(小さい……)
リーンは前を行く姉の顔を見た。
ルインがエルフに気付いた様子は無かった。
(どうして……?)
姉は自分より優れている。
そんな姉より先に自分がエルフを見つけたことをリーンは不思議に思った。
ルインは険しい顔をしていた。
村では決して見せたことが無い暗い顔だった。
(おかしい……)
(皆おかしくなっている……)
リーンはそっと姉の後ろから離れた。
ルインはそれにも気付いた様子を見せなかった。
いつものルインであればありえないことだった。
リーンは少しずつエルフに近付いていった。
エルフの方もリーンの存在に気付いていた。
リーンが近付くと、子エルフは涙と鼻水を垂らし始めた。
言葉が話せれば命乞いでも始めたかもしれない。
リーンはそんなエルフを見てとても気の毒だと思った。
(こんなに小さいのに……皆に見つかったら殺されてしまう……)
「動かないで」
リーンは小声で囁いた。
「ここに寝転んで」
リーンはエルフを地面へと横たえた。
怯えるエルフはリーンに抵抗する様子を見せなかった。
エルフを横たわらせると、リーンはその上に『木の葉』を被せていった。
やがて、子エルフの姿は葉に隠れて完全に見えなくなった。
「そのまま動いちゃ駄目だよ」
リーンは小さく囁いた。
そして何事も無かったかのように皆の方へ戻っていった。
これであの子の命は助かるはずだ。
良いことをしたのだと思った。
姉も『生き物には優しくしなさい』と言っていた。
だから、きっと良いことだ。
沈んでいたリーンの気持ちを誇らしさが拭った。
……。
その三年後、リーンの村はエルフの群れに滅ぼされた。
エルフ達は『静かな夜襲』を成功させた。
彼らが目的の半分を終えるまで、襲撃が村人たちに気付かれることは無かった。
村全体にエルフの襲撃が知れ渡った時にはもう手遅れだった。
村はエルフの軍勢に立ち向かう力を失っていた。
「姉さん! 走って!」
テルは震えて涙を流すリーンの手を取り強引に走らせた。
まだ十歳になったばかりだというのに、少年は姉よりもずっと気丈だった。
二人は猫小屋へと走った。
周囲は赤い。
村が、木で出来た家々が燃えていた。
そこかしこで村人たちがエルフの群れに組み倒されていた。
あるものは吐血し、あるものは絶叫し、あるものはすすり泣いていた。
「姉さんが……」
リーンが呟いた。
「姉さんならきっと大丈夫だよ」
テルはそう言ってリーンの手を強く引いた。
(違う……)
リーンにとって姉は英雄のような存在だった。
強くて、誰にも負けない。
それはテルにとっても同様だった。
だが……。
……『見えた』のだ。
リーンの目は『エルフに組み倒された姉の姿』を捉えていた。
姉は英雄ではない。
エルフの群れに倒されるようなか弱い乙女でしかなかった。
この時になるまで、リーンはそんなことも知らなかった。
姉は生きていた。
そして、助けなければじきに死ぬだろう。
「…………」
リーンはそのことをテルに伝えなかった。
伝えればテルはエルフ達に向かっていくだろう。
自分とテルでエルフの群れに敵うとは到底思えなかった。
立ち向かえば三人とも死ぬ。
だから、見なかったふりをした。
テルは姉の生存を信じたまま猫小屋へと駆け込んだ。
そして、年老いたダガー猫に乗り、走らせた。
ダガー猫は怯えながらも村の中を駆けた。
「父さん! 母さん! 姉さん!」
テルは猫を走らせながら家族の姿を探した。
だが、一仕事終えたエルフ達は徐々にダガー猫に殺到し始めた。
エルフの短刀が猫の足をかすった。
重い傷では無かったが、老猫の精神は既に限界だった。
猫は悲鳴のような鳴き声を上げると全速力で駆け出した。
エルフ達から離れ、村の外へ。
テルとリーンは猫から振り落とされないように必死でしがみついた。
村から遠く離れるまで猫がその足を止めることは無かった。
猫が足を止めた時、リーンはようやく口を開いた。
「葉っぱ……」
「葉っぱが……どうしたの?」
テルは気に留めていなかったが、リーンは気付いていた。
エルフ達が『木の葉で作った隠れ蓑』を身にまとっていたことに……。
……。
それから二人は最寄りの町にたどり着いた。
テルが町の人たちに事情を話すと冒険者のパーティが村へと向かうことになった。
冒険者達は焼け落ちた村を探索したが、生存者を見つけることは出来なかった。
身寄りを失った二人は神殿に保護されることになった。
神殿の保護は手厚く、二人は当面の生活に困ることは無かった。
だが……。
(私のせいだ……)
(私がエルフを殺さなかったから……)
(エルフは……殺すべきだったんだ……)
ある新月の夜、リーンはテルを置いて神殿から姿を消した。
リーンという少女は死に、『エルフスレイヤー』という『一個の鬼』が産まれた。
……いや。
鬼になりたかっただけだ。
エルフを殺す度に思う。
(疲れた)
気のせいだ。
(遊びたい)
そんな時間は無い。
(美味しいものを食べたい)
金の無駄だ。
(綺麗な服が欲しい)
何の役に立つ?
(気の合う友達が欲しい)
その友達とやらがエルフを殺してくれるのか?
(恋がしたい)
そんな資格は無い。
彼女は人のままエルフを殺し続け……そして磨り減っていった。
おぞましい血肉の感触が、絶え間ない生命の危機が、徐々にエルフスレイヤーを蝕んでいった。
たとえ邪悪なエルフが相手でも、生命を奪うことへの嫌悪感が0になるわけではなかった。
生命を大切にしろというルインの言葉……。
果たしてそれはただの欺瞞だったのだろうか?
その問いに答えるかのようにエルフスレイヤーの頬は痩せ細っていった。
エルフスレイヤーは自身の顔が『幽鬼』のようになっている事に気付いた。
年頃の少女が見せて良い貌では無かった。
鏡に映った自身の顔に慄き、エルフスレイヤーは人前で兜を外せなくなった。
……ある日、疲れ果てたエルフスレイヤーは港でぼんやりと佇んでいた。
海を見るとちょうど港から船が出ていくところだった。
船の向かう先はわからない。
だが、『ここではないどこか』だということはわかっていた。
「姉さん?」
聞き慣れた声がして、エルフスレイヤーはゆっくりと振り返った。
「テルか……?」
見覚えのある少年がエルフスレイヤーの前に立っていた。
最後に見た時よりも背が高くなっていた。
「やっぱり姉さんだ」
「どうしてわかった?」
「何が?」
「兜をしている。私だとはわからないはずだが」
「ああ、俺は人のリメイクちからを見るのが得意なんだ」
「リメイクちから?」
「うん。神殿で少しだけリメイクを習ったんだ。それで、姉さんのリメイクちからは俺と全く同じ色をしていたから……」
「私だとわかったか」
「うん。けど、どうしたのその兜?」
「冒険者をやっている」
「俺もだよ」
テルの胸元でインターバル2を表す等級証が光っていた。
「お前も? どうして冒険者なんかになった?」
「どうしてって……」
テルは呆れて言った。
「姉さんを探してたんだ。急に居なくなったから。心配したんだよ」
「そうか……」
「けど、上手く行ってるみたいで安心した」
テルはエルフスレイヤーの胸元を見た。
そこにはインターバル4を表す等級証が有った。
「……そうだな」
「意外だな。姉さんに冒険者の才能が有ったなんて」
「別に……才能なんて無い」
「有るよ。すごいリメイクちからだもん」
「リメイクは使えない」
「そうなんだ? ところで姉さん、船を見ていたね」
「ああ」
「大陸に行きたいの?」
「…………」
エルフスレイヤーはその問いに答えることが出来なかった。
「一緒に大陸に行こうか?」
「一緒に?」
「うん。二人でパーティを組んで、大陸で名を上げるんだ」
「……それは出来ない」
「どうして?」
「エルフを殺さないといけない」
「……姉さん?」
この時になるまでテルは気付かなかった。
自分の姉が何か得体の知れないものに蝕まれているということに。
「まずはこの島のエルフを殺す。全て殺す。大陸のエルフはその後だ」
鉄兜の下でエルフスレイヤーの目が紅く光っていた。
濁った紅だった。
「何を言っているの? 全部のエルフを殺すなんて、そんなこと……」
「私にはその義務が有る」
「義務って……そんなわけ無いでしょ。何を言ってるのさ」
「村が滅びた日のことを覚えているか?」
「当たり前だよ」
テルの顔が辛そうに歪んだ。
「だけど、あれはどうしようもないことだった。嵐とか洪水みたいなものさ」
「そんなものを恨んだってどうしようもないだろう?」
「……違う」
「え……?」
「あの日のことは、全部私が原因なんだ。私が……」
「村を滅ぼしたんだ」
エルフスレイヤーはテルに『真実』を告げた。
……それから、テルはエルフスレイヤーに対して馬鹿にしたような態度を取るようになった。
やがてテルは独りで大陸へと旅立っていった。
テルは大陸で上手くやったらしい。
エルフスレイヤーの耳にテルの活躍の話が届くようになった。
いつの頃からか、テルの噂を聞くことがエルフスレイヤーの楽しみになっていた。
以前より少しだけ、生きることが辛くなくなっていた。
例え嫌われていても、たった一人の家族の活躍はエルフスレイヤーにとっての誇りだった。
……。
そして今、エルフスレイヤーの目の前で、自分を嫌っているはずの弟が涙をこぼしていた。
「お前は……私を憎んでいたんじゃないのか?」
エルフスレイヤーは困惑して尋ねた。
「村を滅ぼした私を……」
「違う……俺は……俺はただ……姉さんに幸せになって欲しかった……」
俯いたテルの涙がぽたぽたと地面を濡らす。
「けど……どう言って良いのかわからなかった……。だから、姉さんを馬鹿にするようなことを言ったんだ……」
「エルフ狩りなんかよりもっと良いことが有るんだぞ。もっと楽しいことがいっぱい有るんだぞ」
「エルフばっかり狩ってる姉さんはバカだなって……」
「もっと良い方法が有ったかもしれないけど……わからなかったんだ……」
「どうすれば姉さんが他の幸せを見つけてくれるのか……わからなかった……」
テルの言葉はエルフスレイヤーにとって予想外で、そして嬉しいものだった。
「そうか……。私は嫌われてはいなかったのか……」
エルフスレイヤーの声音が緩んだ。
「良かった……」
嬉しそうなエルフスレイヤーの声。
それが今のテルには悲しかった。
「お前の気持ちに気付かなくて……悪かった……」
「謝るんだったら……これから幸せになってよ……」
「それは出来ない」
エルフスレイヤーの腹に出来た染みはじわじわと面積を広げていた。
「そんな……そんなのあんまりだ……」
「別に……そう悪い人生でも無かったさ……」
「そんなわけ無いだろ……?」
「いや……。こう見えて……良いことだって有ったんだぞ」
「良いこと……?」
「一つは……お前の活躍が耳に入ってきたことだ」
「俺の……?」
「ああ。どんどん凄くなっていくお前の話を聞くのは誇らしかった」
「そして、もう一つは……」
エルフスレイヤーは旅袋に手を入れた。
彼女は袋から一つの指輪を取り出してみせた。
「指輪……貰ったんだ。オヴァンから」
指輪の台座の上で紅い宝石が綺麗に輝いていた。
「私には喜ぶ資格なんて無いと思ってたから……嬉しくないフリをした……。だけど……本当は嬉しかった……」
エルフスレイヤーは指輪を持った手をオヴァンの方へ伸ばした。
「最後だから……」
少し申し訳なさそうな声。
「オヴァン、私に指輪をはめてくれないか?」
「わかった」
オヴァンは金棒を地面に置くとエルフスレイヤーの隣に屈み込んだ。
そして彼女の無骨なグローブを外した。
少女の手が露わになった。
少し荒れていた。
だが、年頃の少女の小さく非力な手だった。
オヴァンは指輪を手に取った。
そして、サイズが合う指にそっと指輪をはめた。
エルフスレイヤーは指輪がはまった手を眼前に引き寄せた。
「うん……」
エルフスレイヤーは頷いた。
「それじゃあ、送ってくれ」
エルフスレイヤーの鉄兜はオヴァンへと向けられていた。
「テルに送ってもらおうと思ってたけど、勘違いだったみたいだから……」
「オヴァン、お前に送って欲しいな」
「わかった」
オヴァンは頷いた。
「何か、言い残すことは無いか?」
「うん。それじゃあ二つだけ」
「何だ?」
「テル、泣くな。それと……」
「ありがとう。オヴァン」
オヴァンは鉄兜の下に年相応の少女の微笑みを見たような気がした。
オヴァンは金棒を振り上げた。




