猛牛殺し
『牛頭の巨人』は部屋の中央で咆哮を上げた。
領有権を誇示するかのように音波の打擲は部屋の片隅までを力強く打った。
巨人は『人に近い体型』をしているが、その『肌色』はとても生き物のそれには思えない。
『黒々』とした『金属質』の体表。
ずんぐりとした幅広の体。
両手には『柄の長い大きな斧』を持っている。
木こりが好むような作業用の斧ではない。
闘争のための戦斧だった。
巨人はカーマ一行の人溜まりへと向けて斧をぶぅんと振り回した。
『大きな盾を構えた戦士』がそれを受けようとする。
だが……。
戦士の体が勢い良く浮いた。
斧の一撃は常人の膂力で受け止められるものでは無かった。
戦士は守るべき仲間を自身の体で弾き飛ばしながら、一気に壁面まで吹き飛ばされた。
鈍さと激しさが入り混じった衝突音が響いた。
勢い良く石壁にぶつかった戦士はぐちゃりと嫌な音を立て地面に落ちた。
戦士の体の下で紅い粘液が広がっていった。
「ひいいいいぃぃぃ!」
巨人の恐るべき力を見てカーマ一行から更なる悲鳴が上がった。
「クソ……! ビビってんじゃねえ!」
カーマは檄を飛ばすが、巨人の咆哮と比べれば遥かに弱々しい。
既に巨人に心胆を掌握された部下達の士気が上がる様子は無かった。
立ち向かうことも出来ず、ただ巨人から逃げ惑う。
「この部屋から出た奴はこの俺が殺してやるからな!」
カーマは自ら敵に向かうこともせず、部下達に怒鳴り散らした。
「あいつらには荷が重いか……」
テルが呟いた。
そして仲間の方を見て言った。
「恐らく、『俺のリメイク』ならあいつを吹き飛ばせる」
「だが、リメイクの余波で周りの連中も何人か死ぬだろうな」
「私がなんとかしましょう」
ハルナが書いた。
「出来るか?」
テルとハルナの視線が重なった。
「はい」
ハルナは視線を合わせたまま微かに頷いた。
「良し。俺がフレイズを完成させるまでに皆にフレイズをかけて守って欲しい」
「わかりました」
ハルナの手が動き出した。
看板に光る文字が綴られていく。
テルはハルナから視線を外すとミミルを見た。
「ミミルは俺達に敵の注意が向かないよう『撹乱』して欲しい。出来るか?」
「わかったわ」
ミミルは平然と微笑もうとしたが上手くはいかなかった。
テルは彼女の表情の固さには気付いていたが敢えて何も言わなかった。
「良し。作戦開始だ」
言い終わるなり、テルは詠唱を開始した。
次の瞬間、部屋に居る全員の周囲にサークルが出現した。
テルは『ハルナのフレイズ』が完成したのだと気付いた。
サークルはすぐに消滅する。
サークルの消滅と合わせて各々の『仮面』に『光る紋様』が出現していた。
『防性リメイク』がかけられた証だった。
(やっぱり早いな……)
テルは内心舌を巻いた。
(これほど早くフレイズが完成するのなら『別の指示』を与えておけば良かったか……?)
テルは既にフレイズの詠唱に入っていた。
フレイズが完成するまでは次の指示を出すことは出来ない。
(やはりリメイカーはリーダーには向かないな)
(リーダーに向いているのは……)
テルはハルナから意識を外すとミミルの動向を観察した。
ミミルは巨人を迂回するように走った。
その手には弓矢が握られている。
ミミルが持つ金属弓の中央側面にはノート石が見える。
テンプレートのようだ。
ミミルが駆けている間にも巨人によるカーマ一行への暴力は続いていた。
「ひ……ひぃぃ……」
一人の男が巨人の眼下で腰を抜かしていた。
巨人は感情の篭もらぬ目で男を見下すと斧を振り上げた。
「止めなさい!」
たまらずミミルは巨人に矢を射掛けた。
立て続けに二発。
巨人の胴を穿つべく放たれた矢だったが、巨人の黒い体表は矢を軽々と弾き飛ばした。
矢は巨人を穿つことなく地面へと落ちた。
牛巨人は全くの無傷。
だが、注意を引くことは出来たようだ。
巨人の紅い目がミミルを捉えた。
感情の無い目に見据えられてミミルの背筋に寒気が走った。
「き、来なさい……!」
ミミルは震えが混じった声で巨人を挑発した。
その挑発を受けるまでもなく、巨人の殺意は既にミミルへと向けられていた。
それを見たテルはフレイズの詠唱を加速させる。
今まで手を抜いて詠唱していたというわけではないが、少しでも完成を急がなくてはならない。
ミミルはルーキーだ。
長くは保たないはずだった。
巨人はその殺意を具現化させるべく石床を蹴った。
床板が砕けるような激しさ。
大質量の巨体がミミルに向かって突進した。
巨体にも関わらず、いや、巨体だからこそ、その突進は早く鋭い。
その猛進に巨人とミミルの間に居る男たちが蹴散らされていく。
「くっ……!」
ミミルは突進を回避するべく左に跳んだ。
だが……。
「あうっ……!」
かわしきれず、ミミルの足に巨人の脚がかすった。
体勢を崩されたミミルは着地に失敗し、地面へと倒れ込んだ。
「う……」
ミミルの足に鈍い痛みが走る。
立ち上がる事が出来ない。
巨人がミミルへと向き直った。
このままでは次の攻撃を回避することが出来ない。
巨人が少女の五体を砕くのにほんの一撃でも有れば十分だろう。
ミミルの額を汗が伝った。
次の瞬間、ミミルの周囲に『リメイクサークル』が出現していた。
「えっ……!?」
瞬時に脚の痛みが消える。
ミミルは慌てて立ち上がった。
(テル……?)
ミミルは巨人を警戒しながら横目でテルを見た。
テルが自分を回復してくれたのかと考えたからだ。
(違う……)
ミミルを回復したのはテルではない。
彼はずっと『巨人を倒すためのフレイズ』を詠唱している。
ミミルの視線がテルの隣に立つハルナを捉えた。
ハルナもミミルに視線を送っている。
その顔は無表情で何を考えているのかわからない。
ミミルは苦笑した。
「全く……節穴すぎて嫌になるわ」
口元を歪めたまま、ミミルは弓矢を構えた。
狙って、放つ。
ミミルはルーキーだが弓矢の扱いにかけては既に一流だった。
矢はミミルの狙いと寸分違わない軌道で飛んだ。
矢は一直線に飛び、『巨人の左目』を捉えていた。
眼球は他の部位ほど硬くはなかったらしい。
鉄の鏃が巨人の眼窩へと突き刺さった。
「ヴオオオオォォォォ!」
巨人は天を向き咆哮した。
痺れるような圧力が周囲の人間を襲う。
健闘するミミルに対してカーマ一行はそれを見ていることしか出来ない。
ただ巨人の殺意が自分に向かないことを祈りながら。
(『血』が出ない……?)
ミミルは『巨人の眼球』が『通常の生き物のそれではない』ことに気付いた。
『矢に貫かれた眼球』は『ひび割れたガラス』のようになっていた。
尋常の生命の理とは異なる巨人の有様にミミルは恐怖を感じざるをえない。
巨人は残った片方の目でミミルを睨みつけた。
ミミルにはその顔は心なしか怒っているように見えた。
「怒った? 悪いわね」
ミミルは強がりの笑みを浮かべながら弓矢の狙いをつけた。
両目を奪えば無力化出来るはず。
ミミルは巨人の残った右目へと矢を向けた。
その時、巨人は斧を振りかぶった。
「ッ!?」
投擲。
戦斧が轟音と共に飛んだ。
その速度は先程の突進が比較にならないほどに速い。
ミミルに回避しきれる攻撃では無かった。
「あぐっ……!」
斧はミミルより後方にある壁面に突き刺さった。
ぽたぽたとミミルの体から赤黒い血が滴った。
回避が間に合わなかったミミルは『脇腹』を3セダカほどえぐられていた。
「あ……あぁ……」
ミミルは脚をがくがくと震わせると地面にへたり込んだ。
すぐにハルナのリメイクサークルが展開したが、この傷は数秒で治るようなものではない。
巨人の右目がミミルを見下していた。
斧は手放したが、巨人の力が有れば素手でも十二分に人を殺せる。
手負いの少女が相手であればなお容易い。
ミミルは自らの死を予感した。
次の瞬間……。
ミミルの視界が『赤い爆炎』で満ちた。
いや、炎に巻かれたのは視界だけでは無い。
ミミルは『自身の体が炎に包まれていく様』を見た。
高熱がミミルの肌を焼く。
炎の中、ミミルは巨人の体が弾け飛ぶのを見た。
胴を中心に爆砕した巨人の五体は部屋中に飛び散り灰色の煙を上げた。
やがて爆炎が晴れた。
綺麗な形で残った巨人の頭部が床の上で短く唸った。
「ヴルゥゥゥ……」
そしてしばらく顎をガクガクさせていたが、やがて動かなくなった。
「どっか~ん、ってな」
自らの戦果に満足したテルは年相応の子供っぽい笑みを浮かべた。
ミミルはようやくテルのリメイクが炸裂したのだと気付いた。
「助かった……?」
爆炎に包まれたにも関わらず、ミミルは生きていた。
多少肌を焼かれていたが、発生した爆炎の規模に比べると明らかに軽傷だった。
ミミルの周囲では男たちが火傷を負って倒れていたが、今の爆炎で死んだ者は居ないようだ。
呆然とする『ミミルの猫面』に『光る紋様』が走っていた。
ミミルは立ち上がった。
いつの間にか脇腹の傷は塞がり、火傷も消えていた。
それどころか衣服まで修復されていた。
ハルナのリメイクのおかげらしい。
倒れた男たちの周囲にもリメイクサークルが展開しているのが見えた。
サークルが消滅し、先程まで傷を負って倒れていた男たちが次々に立ち上がってきた。
男達の間を縫ってテルとハルナがミミルに歩み寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
ハルナが書いた。
「ええ。ありがとう。ハルナ」
「負担をかけて悪かったな」
テルが済まなそうに言った。
「ヘマしちゃったわ」
ミミルはそう言って斧を受けた部位を撫でた。
「アレを相手にあれだけ立ち回れれば上出来だ」
「そうかしら……」
ミミルの動きはテルの期待以上だったが、彼女自身は自らの戦果に納得していない様子だった。
「帰ったら、二人ともインターバル3に上がれるよう俺が推薦しておこう」
「ありがとう」
柔らかい空気を放っていたミミルだが、ふと引き締まった顔をして『巨人の残骸』に目を向けた。
「……これで倒したのよね」
巨大な牛頭はぴくりとも動かない。
「そうだな。『アレ』は倒せたようだ」
テルが頷いた。
その時、テルの背後から騒々しい声が聞こえてきた。
「おいおいてめぇ!」
テルは面倒くさそうに振り返った。
テルの胸ぐらがカーマの無骨な手に掴まれる。
「どういうつもりだ!? 喧嘩売ってんのかァ!?」
「何の話だ?」
テルは平然とした表情で首を傾げた。
「てめぇ……! てめぇが『俺のデッドコピー』を……! 横取りしやがって……!」
「ああ。もしかしてお前……」
テルは巨人の頭を指差した。
「あれが『デッドコピー』だと思っているのか?」
「な……何を言って……」
カーマの双眸が困惑に染まった。
「違うの!?」
その傍らでミミルが驚きの声を上げた。
「デッドコピーはもっと手強い」
「俺達だけであれを倒せたということが、あれがデッドコピーじゃないという証拠だ」
「ば……バカなことを……」
カーマは狼狽を隠せずに後ずさった。
「なら、確かめてみると良い」
テルは淡々と告げる。
「さらに遺跡を進めばアレとは比較にならないほどの『化物』と出会えるだろう」
事実を事実として話すだけの無機質で無慈悲な声音。
「けど、仲間は置いていけ」
テルはカーマの部下達を見た。
彼らが纏う雰囲気は一様に暗い。
巨人との戦いで精根尽き果てた様子だった。
彼らの中には二人、ハルナの治療を受けても『立ち上がらなかった者』が居た。
「お前の無謀な指揮で二人死んだ」
無機質だったテルの口調に咎めの色が混じり始めた。
「この次は二人では済まない。多分全員が死ぬだろう」
「……だから、行くなら一人で行け」
「そんな……そんなこと……」
その時……。
またしても迷宮が震動した。
その全てがぐらぐらと揺れてハルナ達を揺さぶった。
「また……!?」
しばらくすると揺れは収まったが、間を置いてさらに再び地震が起きた。
「またか……」
テルが『部屋の奥』へと視線を向けた。
そこには入ってきた扉と同じ大きさの『石扉』が有った。
「本当に……『デッドコピー』が生きてやがるってのか……!?」
「そう言っている」
「そんなバカな……!」
カーマは部下を置いて走り出した。
「追うぞ」
テルは二人に声をかけるとカーマの後を追った。
二人は黙ってテルに続く。
カーマの部下達もノロノロと後ろに続いた。
テル達が石扉を抜けると横幅5ダカールほどの広い通路に出た。
三人の前をカーマが走っているのが見えた。
カーマは通路の奥の扉を押し開けてさらにその先へと消えていく。
三人もすぐに次の扉をくぐった。
通路の先は一辺25ダカールも有る『大広間』だった。
『部屋に入ってすぐの所』で『カーマが立ち止まっている』のが見えた。
「あ……」
カーマが呻いた。
その視線は部屋の奥へと向けられているようだった。
テルはカーマに釣られて部屋の奥を見た。
「これは……!」
テルが驚きの声を上げた。
テルが目にしたのは『脳天を陥没』させて横たわった『巨大な山羊』と……。
『鉄塊』を肩に担いだ『オヴァン=クルワッセ』の姿だった。




