話をしよう。あれは今から……その1
男は愚神に『断る』と言った。
いや、男だとは言ったが、当時性別を確認していたワケでは無い。
異世界とこの世界では若干常識も異なるしね。
だから、ひょっとすると屈強な女の子かもしれなかった。
まあ、後で男と確定したので男と言っておくよ。
とにかく、その言葉に愚神は驚いてしまった。
愚神の長話にはっきり断ると言ったのは、彼が二人目だったからね。
他の人は、『少しくらいなら』と言って、多少の遠慮をしてくれるものさ。
そうなればシメたものだよ。
愚神の巧みな話術で、二日三日と話を引き伸ばしてみせるさ。
なにせ、愚神は長話が好きだからね。
かかった獲物は逃さないよ。
自分勝手だと思うかい?
けど、こんな所に一人で暮らしていたんだ。
人恋しくなるのもわかるというものだろう?
まあとにかく、断ると言ったのは彼が二人目だった。
えっ? 一人目は誰かって?
聞いてない? まあ聞けよ。聞けって!
良し。聞く気になったね?
……それで、一人目はオリジン=アルエクスという男だった。
二人目の彼より、五百年ほど前に転生してきた男さ。
彼はそれまで愚神が出会った中で、最も印象に残った転生者だった。
その印象は、あの時眼前に居た男によって、上書きされてしまうのだけど……。
とにかく、男は『愚神にとって一番印象深かった人物』と同じことを言ったのさ。
おまけに、オリジンも木から落ちて死んだと言っていた。
凄い偶然だろう?
それで、愚神は驚いてしまったのだけど……。
愚神を驚かせておいて、男は呑気に空を眺めていたね。
星の綺麗な、おぞましい夜空だった。
「この世界の月は変わっているな」
男はそう言った。
男に釣られて愚神も月を見上げた。
空には紅い月と蒼い月、二つの月が浮かんでいた。
この世界に月は二つ有ったんだ。
こら、空なんか見てないで愚神の話を聞きなさい。
とにかく、愚神は男に答えた。
「そう思うかい? 君の目には、あの月がそんなに奇妙に映るのかな?」
「ああ」
「俺の世界の月は黄色く見えた」
男は落ち着いた声で話した。
「実際は月が黄色いのではないと父は言っていたが……」
「とにかく、俺にとって、月とは黄色いものだ」
「女神と言ったな。あの月はお前が作ったのか?」
「だとしたら何だい?」
「……見ていると不安になる」
「俺達にとって月とは安らぎの象徴だった。それがあんな赤い色をしているのではな」
男は淡々と語ったよ。
その時は愚神もちょっと申し訳ない気分になったね。
確かに、あの月は愚神が作ったものだった。
月の存在は世界平和とかに色々と有効なアレだからね。
大抵の神は地球と一緒に月を創るものだ。
地球よりも熱心に月を創る神も居るよ。
月の無い世界というのは珍しいのじゃないかな?
まあ、二つも創るのはやり過ぎかもしれないけどね。
言われてみると紅は悪趣味かなとも思ったよ。
仕方がなかったんだ。
あの月は紅くなくてはならなかったんだ。
どうしてかって?
そのうちわかるから、もう少し話を聞いて欲しいな。
ほんの少し、あと少しだけ聞いたらわかるからね。
……愚神は男と話を続けたよ。
「君は、ひょっとすると人より凄く目が良いのかな?」
「……だから、紅い月に不安を覚える」
「いや……格別に視力が優れているわけでは無いが」
男の返答は愚神にとって意外だった。
「そうなんだ? 目が良さそうに見えるけどね」
そう。彼は物凄く目が良さそうな見た目をしていた。
君も目が良さそうだね?
……だろう?
けど、彼は別に目が良くなかったらしい。
「どうしてそう思う?」
彼にとって、彼の外見は特に目が良さそうなモノでは無いらしい。
不思議な気分だったね。
まあ、世界が違えばそういうものかと受け入れることにしたよ。
「なんとなくそう見えたのさ。けど、君も不遜な奴だね」
「うん?」
「女神である我の前でそんな風に寝そべるなんてさ」
そう。男はずっと地面に寝そべっていたよ。
それで、首だけ曲げて空の月を見ていた。
女神でさえ椅子に座っていたというのに、なんともふてぶてしい男だったね。
「別に、俺の女神というわけでは無いからな」
「それもそうか。けど、女神は女神だよ」
「立てと言うのか? この俺に?」
信じられないといった風に男は言った。
「いや。悪かった。そのままで良いよ」
愚神は謝ったよ。
長話をしたいと言ったのは愚神の方だったからね。
彼には自分の姿勢を決める権利くらい有るだろう。
内心ちょっとイラっと来てたけどね。
最低限のアレさ。『オ=モ=テ=ナ=シ』さ。
え? それは何かって?
『外界語』さ。ヤングでナウいだろう?
あ、待って! 帰らないで!
外界語が嫌いだと言うのなら、これからは少し使用を控えるよ。
少しだけね。
え? 君も寝たい?
わかった。好きな姿勢で聞くと良いよ。
ええと、目を閉じているけど、ちゃんと起きているんだよね?
話すよ? 話すからね? 聞いてよ?
……愚神は男と話を続けたよ?
「それで、蒼い方の月は気に入ってもらえたのかな?」
「赤いよりはマシだ」
「うん。あれは我が最初に作った月さ。綺麗だろう?」
「赤いやつのせいで台無しだ。月は一つで良い」
同感だった。
「そうか。悪いね。もし次が有れば善処しよう」
「次?」
「……そうだね」
「もしこの世界が滅んで、我だけが生き残るようなことが有ったら……」
「その時は、月を黄色く作ってみることにしようかな」
「そんなことがあり得るのか?」
愚神は深く頷いた。
そして、ありふれた滅びの話を始めた。
それはありふれた再生の話でもあった。
「世界なら、いつかは滅ぶよ」
「いつか巨大な化物がやってきて、この世界を食い尽くしてしまう」
「化物?」
「ダハーカ……ミーシャ、呼び方は色々有るけど……」
「それは宇宙の法則としていつか必ず産み出されるものなんだ」
「そうしないと、増え続ける世界同士がぶつかって、大変なことになってしまうからね」
「いつかはゼロから世界を始めないといけない」
「世界を喰い尽くしたダハーカの夢から、また新しい世界が紡がれる」
「それが防ぎようの無い宇宙の摂理なのさ」
男は黙って話を聞いていた。
スケールが大きすぎてイメージが湧かなかったのかもしれない。
「だけど……そうだな。世界が滅ぶ時、我はきっと生きてはいないと思う」
「何故だ?」
「我は広大な世界と比べればずっと脆い存在だ」
「ただ、老いること無く、人より少し大きな力を持っているというだけさ」
「我は全知全能じゃあ無い。残念だけどね」
「この世界だって一瞬では創れなかった。長い長い時間をかけて、ようやく創れたんだ」
「それに、この世界は我が作ったものだから」
「我はこの世界を守って死ななくてはならない」
「死ななくてはならないんだ……」
あの時は……確かにそう思っていた。
今は……。
どうだろうね?