スピードスター
レイ達がラックの孤児院を訪れてから一日が経過した。
時刻は朝。
広いテーブルで、レイは子供達と一緒に朝食をとっていた。
サンドは口元を見られないように手で隠しながら食事をしていた。
(どうして隠す必要が有るんだろう)
レイは不思議に思った。
この孤児院に来るまで、サンドは自分の表情を隠したりはしなかった。
それを、どうして急に隠すようになったのか。
レイにはどうしてもわからなかった。
(そうだ……)
「ラック」
レイはラックに話しかけた。
「何かしら?」
「別の魔導書を貸して欲しい」
「孤児院に有る初級、中級の魔導書はあれで全部よ」
「それなら上級の魔導書を貸して欲しい」
「あなたには初級の魔導書が合っていると思うけど……」
「……そうかもしれない。だけど、何もしないうちから簡単に決めつけられたくない」
「そう。それじゃあ食事が終わったら私の部屋にいらっしゃい」
「うん」
「一晩寝たら良い顔になったじゃねえか」
サンドが言った。
「テルモのおかげだ」
「俺?」
「ああ。ありがとう」
「……どうも?」
テルモは少し顔を赤くしてレイから目を逸らした。
そしてガツガツと食べ物を口に放り込んでいく。
「良く食べるな」
レイは感心して言った。
「悪かったな。そういう体質なんだ」
「悪いとは言ってない。たくさん食べるのは男らしいと思うぞ」
「そうか?」
「うん」
その日、テルモはいつもより多く朝食を摂った。
……。
朝食後、ラックの部屋に向かうレイにテルモが声をかけた。
「なあ」
「ん?」
「ええと……冒険者って楽しいのか?」
「えっと……。うん。楽しいぞ」
「そうか。危ないんじゃないのか?」
「そうだな。死ぬような危ない目にあったこともある」
「なのに楽しい?」
「んー、多分、一人だったら楽しく無かったと思う」
「サンドが居て、テンが居て、三人一緒だったから、楽しかったんだ」
「そうか」
「だけど、もう三人一緒には旅を続けられないかもしれない」
「どうして?」
「私は弱いから、このままだとサンドの役に立てない。一人に戻ったら……きっと寂しいと思う」
「だったら……ここに住むか? 賑やかだし、ラックは面倒見が良いから、一人くらい増えても平気だ」
「それは楽しいかもしれないな。だけど、出来る限りの事はやってみようと思う。そう決めたんだ」
「そうか。まあ、頑張れ」
「うん」
……。
レイはラックの本を根こそぎ借り、自分の寝室に持ち帰った。
ベッドに腰掛けて、山積みにした本を黙々と読み進める。
「これは……」
魔導書を読み進めるうちに、レイはあることに気付いた。
ばっと立ち上がると、本の一冊を掴んで部屋を飛び出していく。
そして、ラックの部屋の前に来ると、勢い良く扉を開けた。
室内のソファにラックの姿が見えた。
「話したいことがある」
レイはそう言った。
「リメイクの話なら後で良いかしら? これから用事が有って、出かけなくてはいけないの」
「ママが……上級フレイズを使っていたんだ」
「え……? 本当なの?」
「うん。本当だ。確かに覚えている。あれはママが物凄く怒った時だった」
「……いや。ママは普段は怒らないんだ」
「けど、一度だけパパがママを大激怒させたことが有った」
「その時に、ママが物凄く長いフレイズを看板に綴ったんだ」
「すると空から物凄い勢いで大岩が落ちてきて、パパの眼の前に突き刺さった」
「怖い奥さんだったのね。オヴァンも大変だったでしょう」
「いや。優しいママだった」
「そう……?」
「それで、その時のフレイズがこの本に書いてあった」
レイは手に持った本を開いてラックに見せた。
「これは……二百文字は有るわね」
「本当にあなたのお母さんはこの文字数のフレイズを書いて成立させたの?」
「間違いない」
「そう…………」
ラックは首を傾げた。
「あなたのテンプレートを普通に操って、成立させられるフレイズは三十文字程度」
「つまり……通常の数倍の速度で手を動かしでもしない限り、二百文字のフレイズは成立しない……」
「そういうフレイズは無いのか?」
「無いことは無いわ。テンプレートを貸してくれる?」
「うん」
レイはラックにテンプレートを手渡した。
ラックは左手にテンプレートを持つと右腕にフレイズを描いた。
15文字ほどのフレイズだった。
フレイズが成立し、サークルが出現する。
ラックの腕に光る紋様が出現した。
ラックはリメイクをかけた右腕を動かしてみせる。
彼女の腕は一流の戦士が振る細剣のように素早く動いた。
その速さは目の前で見ているレイにも捉えきれないほどだった。
「凄く速いな」
「そうね。この速さなら、ほんの数秒で高度な上級フレイズも完成させられるということになる」
「口で詠唱するリメイクよりも遥かに実戦性に優れているわ。……理屈の上ではね」
「だけど……」
ラックはリメイクをかけた右手でテンプレートを持った。
かがみ込むと、床に向けてテンプレートを伸ばし、文字を書こうとして手を動かした。
手は無軌道に動き、ガタガタの線を書き出していった。
ラックは手を止め、加速のフレイズを解除した。
床に書き出されたのは、到底フレイズとは言えないぐちゃぐちゃの曲線だった。
「普通、こんなに加速した状態で精密な動作を行うのは不可能よ」
「腕だけを加速しても、知覚が自分の動きについてこられないから」
「けど、もし本当に加速状態でフレイズを書いていたのだとしたら……」
「あなたのお母さんはバケモノね」
「うん。あの時の怒ったママは鬼のように怖かった」
「…………そう」
「それで、どうするの? お母さんと同じやり方を試してみる?」
「うん」
「そう。それじゃあ加速フレイズの綴りを教えてあげる」
ラックはソファの前のテーブルから紙とペンを手に取った。
そして、丁寧にフレイズを書くと、借りていたテンプレートと一緒にレイに手渡した。
「はい」
「うん。ありがとう」
「それじゃあ、私は用があるから」
「行ってらっしゃい」
ラックは部屋の出口に向かった。
扉を開けて外に出ると、廊下にサンドが立っていた。
サンドはラックが出てきたのに気付くと、はっと左手で口を隠した。
「あの子が心配?」
「いや……。もう心配しなくても良いみたいだ」
サンドの視線は部屋の中に向けられていた。
部屋の中で、レイは加速した腕を使って床と睨み合っていた。
ラックはそっと部屋の扉を閉じた。
「どうせ暇なんでしょう? 私の仕事に付き合わない?」
「どうするかな。退屈な仕事ならお断りだ」




