三本の矢
翌朝、ミミルは頭痛と共に目覚めた。
「おはようございます」
「おはよう」
ハルナとオヴァンがミミルに挨拶をした。
二人は既に起き出して、布団も片付けているようだ。
「う~……? おはよう」
ミミルは頭を押さえた。
「なんか……頭痛い……。どうして……?」
「お酒を飲んだのを覚えていないのですか?」
「お酒……? 私が……? なんで頭が痛いの……?」
ミミルには前夜の記憶が全く無かった。
「それが二日酔いというものだ」
オヴァンが答えた。
「気持ち悪い……。お酒って気持ち悪いのね……。お姉ちゃんが飲んじゃ駄目って言うはずだわ」
「薬をどうぞ」
ハルナが錠剤の詰まった瓶を差し出した。
ミミルは一瓶分の薬を一気に流し込むとボリボリと噛んで飲み込んだ。
「苦い……」
ハルナは顔をしかめた。
「けど……気持ちよくなってきたわ」
ミミルはとろんとした顔でオヴァンを見た。
「ブルメイは二日酔いじゃないの?」
「そもそも、あの程度の酒では酔わん。せめて一樽は飲まんとな」
「どうして?」
「俺は内臓が強いからな」
「どうやったらブルメイみたいになれるのかしら?」
「さあ? 俺の体質は生まれつきだからな」
「むぅ……」
「もうじきボロガーが朝食を運んでくる。食べられそうか?」
「……食べる」
ミミルはのそのそと布団から這い出した。
……。
朝食が終わった。
少しのんびりとして、オヴァンが口を開いた。
「外に出るか? 屋台を回って時間を潰すのも良いだろう」
「そうね。それでブルメイ……」
「何だ?」
「悪いけど、ちょっと先に下に行ってくれる?」
「どうしてだ?」
「ナイショ」
「わかった。先に行っているぞ」
オヴァンは一人で部屋から出て行った。
「ナイショって、何でしょうか……?」
ハルナが書いた。
「作戦その一、始めるわよ」
ミミルが笑んだ。
朗らかな彼女にしては悪どい笑顔だった。
……。
オヴァンは宿を出た。
中央通りからは離れているが、宿の前の道にはそれなりの人通りが有った。
オヴァンはぼんやりと人が流れていくのを眺めた。
「ブルメイ」
しばらく待っていると、宿の入り口からミミルの声がした。
二人の用事が終わったらしい。
二人はいつも通りの格好……では無かった。
「ほう……」
ハルナとミミルはこの辺りの民族衣装に装いを変えていた。
細かい留め具を使わない、布だけでできた、ゆったりとした袖の服。
お腹の所を太い帯で縛っている。
生地全体に繊細優美な模様が有り、涼やかかつ華やかだった。
そして、顔の側面にいつもの仮面を乗せていた。
戦闘用の装備である仮面だが、意外に服との相性は良かった。
ハルナの持つ看板だけがややミスマッチではあったが。
ハルナは水色の服を、ミミルは桃色の服を着ていた。
「さ、ハルナ」
ミミルはハルナの肩を押すとオヴァンの正面に立たせた。
この時のハルナは鍔広の帽子を被っていなかった。
顔を隠す手段が無い。
ハルナは照れくさそうに俯いた。
「どう? 似合ってるでしょう?」
ミミルが自慢げに言った。
「そうだな。二人とも綺麗だ」
オヴァンはそう答えた。
本心だった。
「良かった」
「……ありがとうございます」
「行こうか」
オヴァンは歩き出した。
その少し後ろをハルナとミミルが続く。
「効いてる効いてる。作戦その1は大成功ね」
ミミルが楽しげにハルナに耳打ちした。
「そうでしょうか……?」
「ええ。聞いたことがあるわ。男の人は女の人の普段見られない一面にドキッとするって」
「今のブルメイはもう相当ドキッとしているに違いないわ」
「はぁ……」
ハルナは半信半疑だった。
ただ、そうであって欲しいという願望は有った。
オヴァン達は中央通りに出た。
一気に人通りが増す。
「しかし、どうして仮面を付けているんだ?」
オヴァンが振り向いて尋ねた。
「この地方のお祭りではお面を付けるのが良いとボロガーさんに言われまして」
「そういうものか」
「はい。そうらしいですよ」
「ちゃんと被った方が良いかしら?」
ミミルは猫の仮面を顔の正面に持ってきた。
その時……。
仮面の額にあるノート石が光った。
「え……?」
ミミルの体が固まった。
ミミルの目に血まみれのオヴァンが見えた。
左腕を失くし、どくどくと血を流していた。
ミミルは慌てて仮面を外した。
そして再びオヴァンを見たが、特に怪我をしているような様子も無かった。
「……?」
ミミルは不気味に思って仮面を頭の上に乗せた。
そして、すぐにその時のことを忘れてしまった。
……。
オヴァン達はゆっくりと通りを歩いた。
花火大会が近付いているせいか、昨日と比べて出店も人通りも増えている。
「人がいっぱいね。ねえ、あれは何? あれは何?」
ミミルは幾度も出店を指差した。
そして、そこに並ぶ珍しい品々についてオヴァンに訪ねた。
オヴァンは知っている範囲でミミルの質問に答えていった。
「次はあっちに行きましょう」
ミミルがオヴァンの手を引いた。
「あまり急かすな」
「あ……」
ミミルは自分が無意識にオヴァンの手を取っていたことに気付いた。
慌てて手を離す。
オヴァンと近付くのは自分では無くハルナであるべきだ。
「ブルメイ、ちょっとここで待ってて」
「またか?」
「お願い」
「別に構わんが……」
「ハルナ、来て」
「……はい」
二人はオヴァンに話が聞こえない位置まで移動した。
「作戦その2を始めましょう」
「まだやるんですか?」
「作戦はその3まで用意して有るわ。ナーガミミィのコトワザにも有る、『三本の矢』よ」
「どのようなコトワザでしょうか?」
「一本の矢は外れるかもしれないけど、三本射ればどれかは当たるということよ」
「こちらが三本射る前に相手に殺されるのでは無いでしょうか?」
「細かいことは良いじゃない。それより、作戦その2を説明するわ」
「はい」
「聞いたことが有るわ。男の人は女の人の胸に弱いと」
「そうらしいですね」
「だから、ブルメイの腕を取ってぎゅっと胸を押し付けるのよ」
「無理ですよ」
「どうして?」
「理由も無く胸を押し付けるなんて出来ませんし、それに……」
「貧乳ですし……」
「量は関係無いわ。胸を張りなさい」
ミミルは腰に手をやり胸を張った。
衣服の下の豊満なバストがその存在を主張していた。
「……本当にそうでしょうか?」
ハルナはミミルの胸を睨んだ。
その視線には若干の殺意がこもっていた。
「勿論よ。けど、どうしようかしら……」
ミミルは顎をつまんで眉をひそめた。
その時、ある建物がミミルの目に留まった。
「お化け屋敷!」
ミミルは建物を指差した。
その建物の外観にはおどろおどろしい装飾が為されていた。
「聞いたことがあるわ。お化け屋敷は絶好のデートスポットだって」
「お化けに怖がったフリをして男の人に抱きつくのがお化け屋敷におけるデートのルールらしいわ」
「ルールならハルナがブルメイに抱きついても問題無いでしょう?」
「そうですね……。ルールなら仕方がないですね」
「決まりね」
……。
「ブルメイ、お化け屋敷に行きましょう」
ミミル達はオヴァンと合流した。
「お化け屋敷……?」
「ええ。あそこに見えるでしょう?」
ミミルはお化け屋敷を指差してみせた。
「ふむ……」
オヴァンは顎をつまんだ。
「お化け屋敷はお嫌いでしょうか?」
「嫌いというのではないが……。あれは……子供が入るものでは無いのか?」
「そんなこと無いわ。最近のは大人でも震えちゃうくらい怖いってお姉ちゃんが……」
「言っていたのか?」
「言ってないけど、きっとそうよ」
「そんなに怖いと子供が泣いてしまうのではないか?」
「それは……。きっと、子供用のあんまり怖くないお化け屋敷も有るのよ」
「あれはどっちなんだ?」
「それは……大人用よ。見ればわかるわ」
「そうか……。今子供が入っていくのが見えたが、止めた方が良いのだろうか?」
「きっと勇気が有る子供なのね。応援してあげましょう」
「将来有望だな」
「さあ、行きましょう」
「……そうだな。たまには童心に帰るのも悪くはないか」
三人はお化け屋敷に向かった。
それから入り口で料金を支払うと中へと入っていった。
当然だが、中は薄暗い。
通路の壁面は血や骸骨、墓などをモチーフとしたアートに彩られていた。
「な、なかなか雰囲気が有るわね」
ミミルは前かがみになりながらきょろきょろと周囲を見渡した。
「大丈夫か?」
「へ、平気よ」
「それなら良いが」
オヴァンは先頭を歩いた。
少し後ろをハルナとミミルが歩く。
「ひゃあああああああああああああああっ!」
ミミルが叫んだ。
前方の十字路を半透明の青白い顔をした女性が横切って行った。
ミミルは慌ててオヴァンの腕に抱きついた。
「ほ、本物!? 透明! 透明だった!」
「落ち着け。おそらくはテンプレートを使っているんだろう」
「そそそ……そうかしら……?」
「ああ。それに、お化け屋敷に本物のお化けが出たら面白い」
「そ、そうね。良い思い出になるわね」
「お? あれは本物かな?」
「ひぃぃ……!」
ミミルは震えながらオヴァンに密着した。
ミミルの胸がオヴァンに押し当てられた。
ハルナはそれを横目で見ていた。
(自分が抱きついてどうするんですか……)
少し苛立たしい気分になり、ハルナの肚も決まった。
ハルナはオヴァンにするすると近付いていった。
そしてオヴァンの腕を取った。
「私も怖いです。物凄く」
「平然としているように見えるが」
「表情に出にくい体質なんです。出る所に出たらそれはもう真っ青ですよ」
「そうか?」
「はい」
オヴァンは二人に腕を拘束されながら歩いた。
(歩きにくいな……)
オヴァンはミミルの方を見た。
ミミルは周囲に怯えてオヴァンの視線に気付かない様子だった。
(しかし、相変わらず胸を押し当てるのに頓着がない奴だな)
(まあ、本人が気にしていないのなら良いか)
(……こちらは悪い感触でも無いしな)




