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旅の終点

第一部『cursed_rain』


最終章『ネコネコ団の終焉』




「見えたぞ」


 オヴァンが言った。


 季節は夏真っ盛り。


 時刻は夕刻。


 オヴァンの背後の西天がオレンジ色に染まり始めていた。


 地上を見下ろすオヴァン達の瞳に海に面した町が映った。


 世界有数の温泉街、アーリマンだ。


「あれがアーリマンの町……。ついにたどり着いたのね」


 ミミルが感慨深げに言った。


 ちなみにアーリマンは特に彼女達の最終目的地というわけではない。


 ただ彼女が温泉に入りたかっただけだ。


「楽しみですね」


 ハルナがミミルに賛同した。


 ハルナとミミルの胸元には黄色の等級証が見えた。


 遺跡でのゴタゴタ以降も何回か依頼を受けた結果、二人ともインターバル5の冒険者になっていた。


 インターバル5と言えば上級下位。


 どこに出しても恥ずかしくない一人前の冒険者だった。


 オヴァン達と町の距離が縮まってきた。


 例によって、町はクロス避けの外壁で囲まれていた。


 町の外壁は大陸にしては珍しく木で作られていた。


 オヴァンはスマウスを外壁の門の前に着地させた。


 門で検査を受け、一行は町に入った。


「この町の建物は木と紙で出来ているんですね」


 町の建物を見回してハルナが書いた。


「珍しいな」


「私、木の家って好きよ。故郷の家が木だったから。けど……変わった臭いがするわね」


「温泉の臭いでしょうね」


「へぇ……。温泉って臭いがするものなんだ」


「けど、そんな臭いのするお湯に入ったら、体が臭くなっちゃわない?」


「心配するな。そこまで酷いものでは無い」


「うん」


 ミミルは仄かに頷いた。


 それから一行はゆっくりと町を進んだ。


 通りには屋台が並び、結構な賑わいになっている。


「屋台が沢山出ているわね」


「今日が花火大会なのでしょうか?」


「聞いてみるか」


 オヴァンは屋台の一つに近付いていった。


 そして少し会話するとハルナ達の方へ戻ってくる。


 手には菓子を三本持っていた。


「花火大会は一週間後のようだが、商魂逞しい店はもう商売を始めているのだそうだ。食うか?」


 オヴァンは二人に菓子を差し出した。


「いただきます」


「ありがとう」


 二人は素直に菓子を受け取った。


「ミミルさんは花火を見たことが無いんでしたよね?」


 ハルナは菓子を食べながら器用に看板に文字を綴った。


「ええ。火薬を空に打ち上げるんですって? 爆弾と何が違うのかしら?」


「火薬と一緒に金属粉を組み合わせて空に打ち上げるのです」


「すると、炎色反応によって色とりどりの花のような光が夜空に現れます」


「えんしょく……? よくわからないけど、私、花火見たい!」


「そうだな。花火大会が終わるまではゆっくりしていくか」


「そして石鹸!」


 ミミルは旅袋から石鹸の箱を取り出した。


 トゥルゲルの祭りの景品に貰った石鹸だった。


「いっぱい有るからブルメイも使って。ミミルも」


 ミミルは箱を開けて二人に石鹸を手渡した。


「ふむ」


「どうも」


 二人は石鹸を受け取ると旅袋に仕舞った。


「さて、宿を探すぞ」


「そうね。どうせなら良い宿に泊まりたいわ」


「ふむ……。少し待っていろ」


 オヴァンはさっきとは別の屋台に向かい、菓子を持って帰ってきた。


「食え」


 菓子を二人に渡す。


「評判の宿はわかりましたか?」


「場所はわかったが……」


「少し、難しいかもしれんな」


 それを聞いてハルナはなんとなく事情を察した。


 ミミルは小さく首を傾げた。


 ……。


「申し訳ありません。当宿はただいま満室となっております」


 最初に入った宿ではそう言われた。


 それから何軒か回ったが、どこも一杯だという。


 花火大会を目当てに大勢の観光客が押しかけているらしい。


 既に辺りは暗くなり始めていた。


「困ったわね……」


 ミミルの耳が垂れた。


「部屋を借りなくても温泉だけには入らせてもらえるらしいが」


「ひょっとして、野宿?」


「このまま行くとそうなるかもな」


「それじゃあ普段と同じじゃない」


「いつもと同じでは駄目か?」


「ダメじゃないけど……ダメなの!」


「どっちなんだ……」


「……どこか空いている宿は無いのでしょうか?」


 ハルナがそう書いたその時……。


「お客さんお客さん」


 ふと、オヴァン達に声がかけられた。


 見ると、狐のような顔をした痩せ型の男がそこに立っていた。


 身長は169セダカ。


 長い黒髪を首の辺りでひとまとめにしていた。


 服装はアーリマン式の、一枚のツナギを帯で留めたもの。


 男は酷い猫背でオヴァンを見上げていた。


「宿をお探しですか?」


 男はそう言って揉み手をした。


 胡散臭い男だ。


 オヴァンはそう感じた。


「そうだ。お前は?」


「見ての通り、客引きです」


「空き宿を知っているのか?」


「はい。少々手狭でもよろしければ。温泉も用意してございますよ」


「温泉有るの?」


 ミミルが食いついた。


「はい。勿論」


「見せてもらおうか」


「喜んで」


 男は建物と建物の間の狭い道に入っていった。


 オヴァンを先頭にして一行は男に続いた。


 中央通りからどんどんと離れていく。


「まだ歩くの?」


 ミミルが焦れて尋ねた。


「もうじきでございます」


 2000ダカールも歩いて、オヴァン達はようやく宿にたどり着いた。


「到着でございます」


 男の言葉を受けてオヴァンは宿を見上げた。


「ふむ……」


 オヴァンは仮面の下の顔をしかめた。


「この宿は……なんと言いますか……」


 ハルナは言葉に困っている様子だった。


「ボロいわね」


 ミミルが単刀直入に言った。


「これは手厳しい」


「どうする?」


 オヴァンはミミルに判断を仰いだ。


「う~ん……流石にこれは……」


 ミミルは眼前の宿が気に入らなかったようだ。


「他を探しますか?」


 ハルナがそう提案した。


 だが……。


「この時期は立派な宿はどこも一杯ですよ。空いているのはウチのような素朴な宿だけです」


 男がこう言った。


「素朴……?」


 ミミルは首を傾げた。


「今ならお安くしておきますよ」


「……はぁ。ブルメイ、ハルナ、ここで良い?」


「俺はどこでも構わん」


「他に良い宿も無さそうですし、仕方ないですよね」


「ここに決めるわ」


「ありがとうございます。わたくし、ここボーロイ荘の店主、ボロガーと申します。以後お見知りおきを」


「オヴァン=ブルメイ=クルワッセだ」


「ミミル=ナーガミミィよ」


「ハルナ=サーズクライです」


「これはご丁寧に。それではさあ、クルワッセ御一行様、中へとどうぞ」


 ボロガーは正面口の引き戸に手をかけた。


「どうしたの?」


 ミミルが尋ねた。


 ボロガーは引き戸に手をかけたまま動かなくなった。


「申し訳ありません。ほんの少し……戸が固くて……」


 彼はそう言って立て付けの悪い引き戸をガタガタと揺すった。


「ふんぬっ!」


 一分以上にわたる格闘の末、ようやく扉が開いた。


 ボロガーは何事も無かったかのように中へ入っていく。


 オヴァン達も後に続いた。


 玄関をくぐると広めの土間の奥に木の廊下が見えた。


 廊下左手には狭い階段が見える。


 土間の側面には下駄箱が設けられていた。


 ボロガーは下駄箱からスリッパを取り出すとそれを廊下に置いた。


 それから土間で靴を脱ぐとスリッパに履き替えた。


 オヴァン達を振り返って言う。


「申し訳ありませんが、当旅館では土足厳禁となっております。そちらのスリッパをご利用下さい」


「えっ? 靴を脱ぐの?」


「はい。それがこの町の決まりですので」


「なんだか……恥ずかしいわね……」


 文化の違いに戸惑いながらミミルはスリッパを手に取った。


 オヴァンは一行は土間から廊下へと移動した。


「それではお部屋へご案内します」


 ボロガーは階段に足をかけた。


 一歩段を上る旅に階段がミシミシと鳴った。


 ミミルも恐る恐る後に続く。


「この階段……板が抜けたりはしないわよね……?」


「もちろん、そんなことは滅多にありません」


「そう……」


 二階へ上り、廊下を少し歩いた。


 二階には寝室が三つ設けられているようだった。


 一番手前の部屋の前でボロガーは立ち止まった。


 部屋の入り口は木枠の穴に白い紙を貼った引き戸だった。


 紙には所々穴が空いていた。


「こちらがお客様方にお泊りいただく、『めつの間』でございます」


 ミミルは戸の隣の柱を見た。


 そこには部屋名を記した板が貼り付けてあった。


 横目で隣の部屋の名前も確認してみる。


 二階には『めつ』『たけ』『うめ』の三部屋が有るようだった。


 ボロガーは部屋の戸を開けた。


「どうぞ、お部屋へ」


 ミミル達は部屋へと入った。


「それではごゆるりとおくつろぎ下さい」


 一行の入室を確認するとボロガーは戸を閉めて去っていった。


「外はボロくても中は素敵……なんてことは無かったわね」


 ミミルは宿の美点を探そうと周囲を見たが、部屋全体が薄汚れていた。


 家具は中央に机が有るのみ。


 その他にはタンスもベッドも見当たらなかった。


 彼女は申し訳無さそうな顔でハルナに近寄った。


「その……ハルナ……」


 ミミルはハルナの手を掴んだ。


 オヴァンを室内に残して二人で廊下に出ていく。


「何でしょうか?」


 廊下に出るとハルナがミミルに尋ねた。


「ごめんね。もっとロマンティックな夜に出来れば良かったのに……」


 ミミルは長耳を下げた。


「ミミルさん……ひょっとして……」


「本気だったのですか? 私とオヴァンさんの仲を応援するというのは」


「ええ。冗談であんなこと言わないわ」


「どうしてわかってしまったのでしょうか……。私がオヴァンさんを好きだということを……」


「そんなの、見ればわかるわ」


「そんなにわかりやすかったですか……」


 ハルナは頬を赤らめた。


「ですが……ミミルさんが謝るようなことは無いと思いますよ」


「どうせ豪華な宿は取れなかった思いますし、それに……」


 ハルナはちらりと部屋の方を見た。


「あの人にロマンティックとか通用しないと思いますし」


「それはそうかも」


「はい」


 二人は向かい合って微笑んだ。


「部屋に戻りましょうか」


「そうですね」


 二人が部屋に戻るとオヴァンは窓を開け放して外を見ていた。


 そしてこう言った。


「良い景色だ。気に入った」


「良かった」


 ミミルはそう言ってからハルナに耳打ちをした。


「どうやら、ブルメイの機嫌は悪くないみたいね」


「はい」


 ハルナは小さく書いた。


「それじゃあ作戦を始めましょう」


「作戦?」


「お姉ちゃんが言ってたんだけど、男女の仲を深めるには『既成事実』を作れば良いのよ」


「き、既成事実?」


「そう。既成事実……つまり……」


「キスね」


「はい?」


 ハルナはサーベル猫が突然サイと戦わされることになった時のような顔をした。


「わからなかった? 既成事実を作るにはあなたとブルメイがキスをすれば良いのよ」


「そうなると、男の人は責任を取って女の人と結婚しなくてはいけないのよ」


「はい?」


「お姉ちゃんが言っていたから間違い無いわ」


「それは……信憑性の高い情報源ですね」


 ハルナは完全に真顔だった。


「でしょう?」


 ミミルの表情は自信に満ちていた。


 本心から自分の考えを名案だと思っている様子だ。


 それで一応はハルナもミミルの考えに乗ってみることにした。


 いい年をして未だにキスを迫ることすら出来ない自分が不甲斐ないというのも理由ではあった。


「ですが、いきなりキスをしろと言われても難しいかと思われるのですが……」


 言うだけなら簡単だ。


 言われて出来るのなら既にやっている。


「お酒を使うわ。私がブルメイを骨抜きにするから、任せておいて」


「はぁ……。頑張ってください」


「いぇい!」


 ミミルは拳を握り、親指だけを伸ばして上に向けた。


 この仕草は外界から伝わってきたナウいもので『ゴダイ』という。


 『頑張るから見てて』という意味のサインだ。


 ミミルがやる気を漲らせたその時……。


「ひゃぁっ!」


 廊下の方から女性の悲鳴が聞こえてきた。


「な、何!?」


 ミミルは部屋の戸に駆け寄った。


 そして、勢い良く戸を開いた。


 そこには……。


「お前は……」


 オヴァンは廊下に居た人物を見て声を上げた。


「あっ」


 廊下の人物もオヴァンの存在に気付いたようだ。


「あ……あああ……あなたは……!」


 声の主は薄緑の髪をした少女だった。


「オ……オオオ……オ……」


「オヴァン=ブルメイ!」


 シルク=カーゲイルがオヴァンに人差し指を向けた。


 流石に宿の中では鎧を身に着けてはいないようだ。


 代わりにこの地方の民族衣装を身にまとっていた。


「……何をしているんだ?」


 オヴァンが尋ねた。


「問答無用! ここで会ったが百年目です!」


 シルクはオヴァンに飛びかかろうとして……。


 自分の体が『廊下の穴』に嵌まり込んでいたことを思い出した。


「ひ、卑怯者!」


 シルクが顔を真っ赤にして怒鳴った。


「何がだ……」


 オヴァンは廊下に出た。


 そして、シルクの前に屈み込んだ。


「な、何を……!」


 オヴァンは黙ってシルクに手を伸ばした。


 シルクはびくりと身構えた。


 オヴァンの手がシルクの脇の下を掴んだ。


 そして、シルクの体を引っ張り上げ、廊下に下ろした。


「あ……」


「ありがとうございます……」


 シルクは上目遣いでオヴァンを見た。


「この宿に泊まっているのか?」


「いけませんか?」


「いけなくは無いが、お嬢様というのはもっと良い宿に泊まるものかと思っていた」


「空いている宿が無かったんです。好きで泊まっているわけではありません」


「なるほど。俺達と同じか」


「同じとか言わないで下さい。気持ちが悪いです」


 その時、オヴァン達の隣の部屋の戸が開いた。


「シルクちゃん、何かあったっスか?」


 シルクと同じ衣服を着た少女と黒い礼装を来た老年の男性が現れた。


 男性の背丈はオヴァンと同程度。


 年の割に背筋がしっかりとしていた。


 髪型はムラのない丁寧なオールバックで髪色は白い。


 生まれついての銀髪ではなく、老齢による白髪のようだった。


 眉はすらりとして、鼻の下の白ひげは綺麗に切り揃えられていた。


「あっ! あなたは!」


 少女が言った。


 シルクの友人、コワ=カーゲイルだった。


「誰だ?」


 オヴァンが言った。


「お……覚えてないっスか?」


「すまん」


「あれだけのことをしておきながら……」


 コワは目を拭うような動作をした。


「オヴァンさん、いったい何をしたのですか?」


 部屋の方からハルナがオヴァンを見ていた。


「いや、全く覚えが……」


「そんな! 酷いっス! よよよ……」


「オヴァンさん?」


 ハルナは眼を細めた。


「違う。俺は何も……」


「彼女はそうは言っていないようですが」


「それは……」


「コワちゃんはドラゴンレースでドラゴンから落とされたことを言っているんですよ」


 困ったオヴァンにシルクが助け舟を出した。


「あっ、バラしちゃダメっス」


「レースの参加者だったのか」


「どうも。コワ=カーゲイルっス。レースではお世話になりましたっス」


「なるほど。意趣返しというわけか」


「そんなつもりじゃ無いっスけど」


「コワちゃんは人をからかうのが好きなんですよ。それにしても……」


「あなたでもそんな顔をすることが有るんですね」


 シルクは含みの有る笑みを浮かべた。


「どんな顔だ」


「そういう困った顔です」


「俺を何だと思っている」


「野蛮人です」


「…………」


「さ、コワちゃん、もう行こう」


 シルクはオヴァンから離れるとコワに歩み寄った。


「えっ? 自分はもっとお喋りしたいっス。英雄ブルメイっスよ?」


「駄目だよ。野蛮が感染っちゃう」


「何だそれは……」


 オヴァンは呆れたように言った。


 それを聞いてシルクはオヴァンに振り返った。


「助けて頂いたので今日は見逃してあげますが、次に会った時は覚悟して下さいね」


 シルクはコワの手を引くと一階へと降りていった。


「同じ宿なんだからすぐにまた会うと思うが……」


「オヴァン=ブルメイ様」


 残された白髪の男性がオヴァンに声をかけた。


「シズカ=カーゲイルと申します。以後お見知りおきを」


 シズカは優雅に頭を下げた。


 トルクの動きに似ている。


 オヴァンはなんとなくそう考えた。


「ああ。よろしく頼む」


「シズカさん、置いていくっスよ!」


 階段の下からコワがシズカを呼んだ。


「それでは、失礼します」


 シズカは再び頭を下げると一階へと降りていった。




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