1-6 物質の複製。私はけっこう、これが得意でね。
6/1 後半部分、大幅に書き直しました。本筋には影響ありませんが、雰囲気は変わったかと思います。
「……そうは見えないんだけどなぁ」
イーリスを相手にステップを踏みつつ、アーヴェントが呟いた。イーリスも、レディも……勇者が言うような、訳ありの生き方をしてきたようにはとても見えない。
しかもフェネクスが筆頭魔王で、レディにその地位を譲ったとか…まあ、譲ったこと自体は不思議でもないけれど、筆頭……。
魔王がどういう地位なのかは不明だが、何かしらなければ、就けないだろう。
けれどその”何か”は、ああいうのではなくて、と勇者を見る。
横笛を器用に吹きこなす彼は、先ほどまで竪琴を弾いていた。弦が切れるという、走者としてはあり得ないことをやらかして笛に変えたのだが……勇者曰く「前に弦を変えたのって、…いつだろうなぁ」ということなので、大したことは起きないだろう。
「余裕が出てきたようですね」
「まあ、何とか…」
イーリスが戻ったとき、足運びは問題なくついて行くことが出来ていた。どちらかというと、美少女に慣れることのほうが大変だったと思いつつ、それは口にしないよう注意する。
何せ、この練習部屋に姿を見せてからずっと、…口調がとても丁寧なのだ。声も高めで柔らかく、完璧な淑女にしか思えない。どうやらレディに約束させられたらしく、女性化が解けるまでーー最短でも、舞踏会が終わるまでは女として過ごすということになったとか。
イーリス自体もけっこうな美男子だったが、こちらも驚くべき美少女で、正直なところ、イーリスにはあまり似ていない。まあ、つまりは全く別人にしか見えないということだ。
「でもその話は、部屋へ戻ってからですよ。もう少し、ほかの話をいたしましょう?」
ホントにイーリスかな、この少女。などと思いながら、半分ほど上の空で頷くと。
「余裕があるのは良いことですけれど、油断してはダメですよ?」
唐突に腕を弾かれ、強引な旋回に巻き込まれたアーヴェントは蹌踉く。けれど倒れないように先導するのはお手の物で、先ほどから何度か、これをやられている。
「ごめんなさい」
どうも先ほどから、意識がイーリス自身に飛ぶと、これをやられている気がしていた。いったいどこで、察知するのか。
「…貴方の目線を見ていれば、何を考えているかくらいはわかりますよ」
「許してやれって。おまえ、ホントに別人に見えるんだからさ」
ぎろりと勇者を睨むイーリスだが、つきあいが長いせいだろう、勇者は意にも介さない。
「アヴィ、もう少しくっついて」
「え、いや、だってこれ以上くっつくと、その」
「かまいません。貴方は私の相方だと、知らしめる必要があります。無用な遠慮は捨てなさい」
照れた様子もなく、しかし笑顔でもない堅い顔で、イーリスが告げた。
「そうそう、しっかり捕まえとけ。でないとマジで、さらわれるぞ」
「さらわれるって誰に?」
勇者もけっこう真面目な声で乗ってくるから、思わず問い返せば。
「舞踏会に出てくるほかの魔王さまたちに。序列最下位の魔王なんぞ、いい餌食だぞ。宮殿内は、序列で支配されるからな」
イーリスは否定せず、唇を噛みしめていた。
「今までは男性形だったから、レディが専属で連れ回してたけどな。言ったろ、レディは魔王筆頭だって」
ああ、と納得できた。たしかに、筆頭魔王の連れに手を出す奴はいないだろう。
「えと…でもおれ、従属…従者だよね?」
「それだけ魔力を垂れ流せる奴が従者だとは誰も思わんさ」
「いや、でも…」
「…ああ、言っていませんでしたね、そういえば」
ふと思い出したという感じで、イーリスが呟いた。
「魔王は七十二まで授位出来ますが、全てが埋まっているわけではありません。空位もあります」
「実は半数以上、空位なんだよな。で、妖皇さまは舞踏会で魔王位を与えることもある」
「あ…、自力で存在することって…あれ、は」
おや、とイーリスが目を細めた。
「賢いですね。…そう、舞踏会では様々な魔力が入り交じります。その中で個を保つことが出来るのなら十分に、魔王の資格があるということですよ」
「従者かどうかなんて、本人たち以外わかるものじゃないしな。あ、なんなら噂、流しておこうか? フェネクスにご執心の魔王候補がいるって」
にやりと笑った勇者に、イーリスが微笑んで。
「笑えませんね」
楽しげに、勇者を氷柱に閉じこめた。
「え…え、えーっ!?」
勇者もけっこういい男のはずだが、にやけ顔と氷のせいで、三枚目にしか見えなくなっている。というか、たしか勇者は人間のはずで、人間を氷に閉じこめて大丈夫なものなのか。
「大丈夫ですよ、半日もすれば自力で出てきます。その程度のことが出来なくて、勇者は認められません」
それに、とイーリスは氷柱に視線を流した。よく見れば、勇者の手は動いている。
「…あれでも、完全な氷柱するつもりだったんですよ。自力で空気穴を空けるし、空間は作るし…まったく、規格外もいいところです。まあでも、抜け出すころにはレディが戻るでしょうから、あとは彼女に任せますけどね」
「…お仕置きなんだ?」
「ええ、レディは噂話、嫌いですから。…ああ、でも楽士がいなくなってしまいましたし、今日はここまでにしましょうか」
イーリスはステップを踏むのをやめて、アーヴェントの腕を引いた。
「え?」
「腕。…貸してくださいな」
「あ」
あわてて腕を差し出したアーヴェントに、腕を絡めたイーリスは溜息を吐く。
「当日は、必ず自分から腕を差し出すんですよ?」
「はい…気をつけます」
前途多難だと、アーヴェントはこっそり、空を仰いだ。むろんそこには、天井しかないのだが。
※ ※ ※
戻った部屋には、当然のように誰もいなかった。カーテンは閉められたままだが寝台は整っていて、誰が直したのか少し気になるところである。…が、それを問いかける隙もなく、イーリスが寝台に倒れ込んだ。
「疲れたみたいだね」
「流石にな」
うつ伏せに転がったまま、微動だにしない彼に、思わず笑い、口調が戻ったと、ちょっと安堵する。イーリスだと理解はしているものの、やはり納得はしていないから。
「あれ、ドレスは?」
今の今まで着ていたドレスは影も形もなく、おそらく寝間着であろう薄物をまとった姿で倒れ込んでいた。
「これだよ。構築しなおしただけだ」
かわいい少女の声でその口調に戻るのは反則な気がする、とアーヴェントは内心で呟いた。
「えと…薄すぎない?」
実は下着が透けている。…まあ、いわゆるズロースで短パンのように見えるから、色気は欠片もないのだが。
「ん…そうか」
そう言いながら起きあがったときには、ローブを一枚羽織った姿になっていた。
「お前も着替えたらどうだ? 疲れるだろ、それ」
「ん? いや、特には…あ」
そう言えば、これは勇者の衣服だ。練習用にと借りたまま出てきてしまったが…はて、あのときに脱いだはずの寝間着はどこに行ったのだろう?
「なんだ、現物だったか。脱いでみろ、それでわかるから」
そのことを告げられたイーリスは、事も無げに答えた。助言に従って上衣を脱ぎ、下衣を脱ぐーーほぼ同時に、寝間着に身を包まれて驚きの声を上げる。
「なにこれ…オレがやったの?」
「ああ。…まあ、これが出来ない妖魔は珍しいな」
「…あのさ、改めて聞きたいんだけど」
服を摘まみ、それが幻覚などではないことを確認しながら、アーヴェントがイーリスをみた。
「ああ、答えよう。本当なら、最初に話し合うべきことだしな」
寝台を下りて、寝椅子へと移動する。隣へ来ないかとアーヴェントを誘ったが、彼は首を縦に振らなかった。寝台の端に腰掛けて、少し考えた様子で口を開いた。
「妖魔とメモリアって、どう違うんだ?」
「同じだよ。…この世界の知識があるか、ないか。それだけだ」
あっさりと返された答えに、しかし納得は出来なかった。
「…なら、人間と妖魔は?」
「それは…根本から違うな。人には親がいるが、妖魔に親の概念はない。人は肉体に魂を宿すが、妖魔は魂そのものだ。それから、…ああ。人で魔法が使える者は限られるが、妖魔は魔力を苦もなく操る。……あと、は…」
言葉が途切れたのは口籠もったのではなく、イーリスがふらついたためだ。
「…っ、フェネック!?」
え、とイーリスが彼を見た。あ、とアーヴェントが視線を逸らす。
「いや、悪い疲れてるよな。一眠りしてからでもいいぞ、別に」
「お前は~~~っ!!」
尻尾である。ふさふさの。とても大きな、ふくふくした、ふさふさの、尻尾。フェネクスではなく、フェネック…狐の一種だ。ご丁寧に、耳までついた。大きな大きなお耳である。
「気づかない振りですませるつもりじゃないだろうな…?」
「つもりっていうか、…かわいいなー、と…それ、やっぱりオレが作ったの?」
「そうだよ。…衣服の構成より鮮やかって、どういう性質だ、ったく…」
パタパタと、尻尾と耳を払う。耳はあっさり消えたが、…尻尾は残った。
「……」
「……」
ぱたぱたと、尻尾が動く。
「……自分で動かした?」
「……ああ」
ペシッ、と尻尾が寝椅子を叩く。
「実体化してやがる……!」
「…ほほぅ…♪」
「遊ぶな」
掴みに来たアーヴェントから逃げた尻尾が、アーヴェントを叩いた。ぼふっという音からするとけっこう強いはずだが、何分にももふもふの尻尾なので、痛みはなさそうだ。
「触りたくならない?」
「本物ならまだしも、自分に生えた偽物なんぞ、興味はない」
そう言いながら尻尾を掴み、少し力を入れてーー尻尾を散らす。まあこれは魔力の塊でもあるから、本気になれば造作はない。
「えー」
「あのな…」
非常に不服そうな彼に、イーリスは溜息を吐いた。
「私で遊ぶな」
ぴしり、と聞こえない音が響いて、アーヴェントが動きを止める。それをみて、どうにか効果があったらしいとイーリスは安堵した。
「なに、今の…」
「命令だよ。一応、主は私だからな」
とは言っても、まあ保って舞踏会中が限度だろうと予想はしている。純粋に彼の方が存在が上だから、命令の効果はかなり薄い。
「…ああ、もう一つあったな」
今言うべきか、改めるかーーイーリスの逡巡は、そこにあった。言わないという選択肢はないけれど。
「…もう一つって?」
「…そのうち、な」
黙っておくことにした。アーヴェントの顔を見て決めたけれど、なぜ、そう判断したかはわからない。
たぶん早晩に、気づくだろう。そのときには隠したり、拒否したりはしない。けれど今は、…黙っておこうと、そう思ったのだ。どうしてもと言ってくるなら、拒否は出来ないのだが。
「……まあ、いいけど。別に」
不満顔ではあったが、アーヴェントはそれ以上追求はして来ない。悪いな、とイーリスは微笑んだ。
「あのさ」
焦ったかのように、アーヴェントが顔を背けた。
「その格好で笑うの、止めた方がいいと思うぞ」
「? 何かおかしかったか?」
顔を背けられているので彼の表情を直視は出来ない。しかし、悲しいかな、この部屋はさほど広くなく、さらにはレディが持ち込んだ姿見が、彼を映していた。たぶんその顔は、人間であれば真っ赤になったと表現するべき表情だろう。…つまり、緊張しているときの顔、ということだが…などと一部の冷静な頭で考えつつ、イーリスはクッションを手に取った。
「あの…フェネクスさま…?」
両手で掴んだクッションを、彼の目の前で二つに千切る。ーーと、それが全く同じ二つのクッションに変身した。
へえ、とアーヴェントはそれをマジマジと見る。
「物質の複製。…私はけっこう、これが得意でね」
増えたクッションをぶつけ合わせると、これが四つに増えて、さらにそれを抱え込んで、ーーまとめてアーヴェントに叩きつけると、八つに増えた。
「ぶっ!?」
いたくも何ともないけれど、突然の暴挙に逃げる暇はなく、八つ全てを食らってしまった。
「やり返さないのか?」
「…ほほぅ」
両手に四つを掴み、水平の回転で投げる。一瞬で十六まで増やしたけれど、あっさりとイーリスに叩き落とされた。
「…あれ?」
「言ったろ、得意だって」
アーヴェントは、分割ではなくて複製をつくったはずだった。四つを一気に十六にしただけのはずなのに、全てが小さくなっていた。
「元の物質を質量ごと再現する必要があるんだ。意外と難しいだろ?」
デザイン自体はそのまま複製されているので、まるで物質の縮小複製物を見た気分であった。これはこれで役に立ちそうな能力だが、要は失敗作でもあるわけで。
「…物質の複製、なんだよな…」
「正確には複製と、質量の創造だな。これも魔力を実体化しているだけだから」
つまり、アーヴェントは質量を再現するところまでやらなかったから、サイズが縮んだということらしい。
「とりあえず、お前の場合はそこから始めるといい。垂れ流しの魔力を制御すれば難しいことじゃないさ」
「あ…そういうことか」
そういえば、すでに何度も垂れ流しを止めろと命じられている。…それで止まるという仕組みも不思議だが、自分には垂れ流している自覚がないものだから、さらに謎だった。
「ーーなあ、魔力を垂れ流してるんだよな、オレ」
「ああ、そうだな。だから周囲に充満していて、お前の想像そのままに再現される。まあさっきのとおり、簡単に消えるけどな」
「あ、ごめん、そこじゃないんだ。垂れ流してる魔力ってさ、…源はどうなってんの?」
ああ、とイーリスは首を傾げた。どうやって説明したものかと、悩む素振りだ。
「お前の場合は、体内で生成してるな。だから、無限に垂れ流すことが出来る」
「あの…なんかその言い方いやなんだけど」
「取り繕っても仕方ないだろ。…ただ、そのままだと消耗が激しい。生成機関が壊れたら死ぬしな」
「…はい!?」
「だから、制御しろっていう話な。…縛ることで、ある程度の抑制にはなるが、制御にはほど遠い」
頑張る、とアーヴェントはうなだれた。制御しろと言う言葉にそんな意味があったとは、思いもしなかった。とは言え、そもそもが魔力がどんなものか分からないので、…どうしようかというところだが。
「…あれ? イーリスって、魔力見えないんじゃ…?」
「ああ、覚えてたか。私の場合は見るというより、感知だな。周囲の魔素を取り込むから、ある程度は感覚で掴めるんだ。取り込んだ魔素は、体内で魔力として錬成されて、術はその魔力を消費して発動させる。……少し、わかりにくいか?」
「いや、わかる。…けど。……妖魔の身体は魔力で出来てるって…」
「ああ、そうだな。これ以上なく密度を高めた魔力そのものだ。──むろん、それを術に使うことも出来る」
だが、その魔力を使えば使うだけ、存在が薄く、不確かになる。質量自体も魔力による再現だから、最初にそれが失われて軽くなり、次に物質としての存在が失われて透けて見えるようになる。その次の段階まで行くと、おそらく体の端から空気に解けるようにして、最後には自我も消えるのだろうとイーリスは告げた。
「おま…、それ」
ぞくりと体を震わせて、アーヴェントは呻いた。見たばかりだ。軽く、薄くなったイーリスを。
「めちゃくちゃ危なかったんじゃ…?」
ああ、とイーリスは笑う。笑って、アーヴェントを抱き締めた。
「ありがとう。…引き上げたのが、お前でよかった」
「え…あの、イーリス…?」
その腕が震えていることに気づいてしまったら、茶化すことも突き放すことも出来はしない。
「お前が魔力をくれた。最低限の維持に必要なだけでよかったのに、お前は制限なく放出してくれた。だから私は、イーリスでいられる」
「…なに、それ…」
怖いことを聞いた気がする。際限なく放出した…から? ではもし、足りなかったら?
「核さえ無事なら、魔力を取り込めば何れは復活する。…ただ、あのときの私には名前がなかったから」
「あ…」
「名を持たぬままの復活は、…ほぼすべての記憶を失う。平気なつもりでいたが、…相当、怖かったんだろうな。お前が倒れて、ようやく正気に返ったよ」
恐慌状態ではなかったけれど、そのほうがマシだったかもしれないとも思う。自分が消えるかもしれない恐怖と、彼をこの手で消滅させることになるのではないかという恐怖を、同時に味わわされたのだから。
「──消えるのは、怖いよ。俺はここにいるし…そう気づいてくれたなら、それでいいんだ」
きゅっと、軽く抱きしめ返す。細身の身体は、あのときに自分を庇った男と同一人物とは思えないけれど。
「イーリスがいなくならなくて、よかった」
腕の中にいる少女が、どんな表情をしているのかは分からないけれど…それが間違いのない本心だ。
「正直…、俺にはぜんぜん、消える怖さがわからない。…死ぬことのほうが、怖いくらいだ」
え、とイーリスが顔を上げる。”消えるのは、怖いよ”と…いま、そう言ったはずなのに。
「なんだろうな、”記憶を失う怖さ”ってわからないんだ。死ぬとの、記憶を失うのと…それはたぶん、同じことだと思うから」
彼の中ではそれが等価なのだと、イーリスには理解出来た。
…確かに当人にしてみれば、それは同じなのかもしれない。忘れたということすらも理解出来なければ、それは哀しみに成り得ない。
「これ、俺がメモリアだからなのかな?」
その一言で、イーリスが半眼になる。
「──なんで、そういう発想になるんだ?」
だから当然、そう聞き返す。どう考えても、個人の考え方の違いとしか思えないのに、と。
「え──いや、なんとなく……」
「お前なぁ……」
単純に納得することは出来ず、理解が追いつかないせいだろうとは思う。けれど、イーリスが溜息を吐いた。
だとしても、返答によっては、少々締めなければならない。彼を現界させた者の義務として。
「メモリアであることと、妖魔であることに違いなどない。人間で言えば、異国人か同国人か、その程度の差でしかない。単純に、お前と私の考え方の違いだと思うがな?」
正直なところを言えば、それはイーリス個人の感想であり、実のところは誰も知らない。けれど、今はそれが必要と判断し、少々強引な話運びでもよしとすることにした。
「……そうかな」
「では、何か。…そうだな、レディと、勇者。あの二人は人間だ。それも、”元”がつく。二人が万事に於いて、”元人間だから”という理由で判断すると思うか?」
「や、それは。……ないと、思う。…あれ? オレってそんなこと、言った?」
「私には、そう聞こえたな」
答えてから、イーリスは身体を離した。アヴィはそれにも気づかず、考え込む素振りを見せている。
「……せっかくだ、おさらいと行こうか。”妖魔”と”メモリア”はおなじ存在だと言ったことは、覚えているな?」
「ああ、うん、それは覚えてる」
「正直なところを言えば、あれは私個人の見解であって、実際はわからない。だが、幾つかの指標はある」
苦笑しながら、イーリスは聞くかと問いかける。数瞬の間を置いて、アーヴェントは頷いた。
「渾沌が凝るときに、何が核になったか。…たぶん、それだけの違いなんだ。メモリアにはこの世界の知識がないが、まっさらなわけでもない。たとえば…ああ、そうだ。お前、私をフェネックと呼ぶが、それが何を指すか、私は知らない。それは、どこから来た知識か、わかるか?」
「…いや」
「だろう。渾沌領域でもあったな。ティーセットをお前が作り出した。器はともかく、淹れてくれた紅茶は初めての味だった。…茶葉の味を全て知っているわけではないので、あまり比較にはならないかな」
言いながら、イーリスは掌に花を咲かせた。咲いた花が花火のように散り、散った先にまた次の花が咲く。それが散って、さらに広がって──部屋を埋め尽くそうとしたときに、ようやく全てが消えた。
「手抜き?」
目を細めながら、アーヴェントが笑う。目覚めたときに見せられた術と同じくらいきれいだったが、ずいぶんと単純だ。
「あまり派手にやりたくないからな。まあ、今の術は誰に教わったわけでもない、ただそうしたいと思ったら出来る、その程度のことだ。出来るか?」
「え…」
突然降られて、それでもとりあえず試してみる。…いや、試してみようとした、が正しいか。
掌に魔力を集めることまでは出来ても、そこからが進まない。
「衣服の構成と理屈は同じだから、そのうちに出来るようにはなると思うがな。まあ、そういうことだ」
「いや、そういうことって言われても」
衣服の構成自体、自分がやったと思えない。なのにそれと同じと一緒くたにされても、理解どころか納得すら追いつくものではないと、半眼で彼を見た。
「それを踏まえて、だ」
「衣服の構成と、今の術が同じ理屈だと言うことを、なぜ私が知っていると思う?」
「え?」
アーヴェントは戸惑った。何となく…そう、なんとなく、そういうものだと受け入れていたので、そこまで考えが回っていない。…でも、言われてみればそのとおりだ。わざわざ調べたのか? いや、…イーリスならやるかもしれないが、たぶん、彼がいいたいのはそういうことはない。
「…知識として、持っているから。たぶん、生まれたとき…から」
「正解だ」
楽しげにイーリスが笑った。
「結局は、その一言に尽きるんだ。妖魔は自分が生きる世界の知識の塊で、メモリアは別の世界の知識の塊。それだけの違いでしかないから、私は同じ存在だと考えている」
厳密には違うのかもしれないが、学者でもないし、ただの興味だ。考えて、考えつくして辿り着いた答えが、それだというだけ。大きく外れてはいないだろうし、外れていても、別に問題はない。それが、イーリスの結論だ。
「ああ、後は魔力の生成機関についてだが」
「……ん?」
「メモリアにも魔素吸収型はいるし、妖魔にも魔力錬成型はいる。どちらがどうというものではないな」
それに、とアーヴェントの額を小突く。
「メモリアにしか魔力生成型がいなかったら、対処方法がわかるはず、ないだろ?」
「あ。……そっか」
笑った顔は、何処か遠い何かを見ているかのようだった。
尻切れトンボの修正してあります。
6/1 誤字・脱字修正しました。書き直しは、二人が部屋に入ってからのシーン全部です。