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魔王が逃げて、何が悪い?  作者: 冬野ゆすら
第一章 魔王がそこから逃げるまで
5/64

1-4 けっこうな狸だぞ、あの勇者。

2017年10月23日 12:16 全面改稿。けっこうしっかり書き換えてしまったので、ぜひ、読み返して下さい。

「で、イーリスさま? おれ、かなり暇なんですけど」

「そうか。別に、寝ていいぞ?」

 生返事というわけではないが、それ以上の答えは返らない。イーリスにしてみれば、返せない、が正しいのだが。


「眩しくて眠れそうにないよ?」

「お前が原因だろうが!?」

 思わず、といった体でイーリスが現実を突きつける。別に、怒っているわけではないのだが…多少、声が荒くなるのは仕方がないだろう。何しろ、名を受け取ったときに輝いた髪が、未だに煌めいているのだから。


「うーん……」

 アヴィとしても、彼が言うからにはそうなのだろうとは思うが、何せ自分がやったという感覚がない。今も何とかしようとしているイーリスには悪いと思うが、このままで外へ散歩とかしたら、楽しいんじゃないかなー、とか考えているくらいだ。


「楽観的だな」

「見てて綺麗だし。…て、え? 俺、口に出した?」

「顔に書いてある」

 実際には、髪を見た後で窓の外を見たから、たぶんそうだろうと予測をつけたのだが。


「…あのな、けっこう眩しいんだよ」

 自分も言っただろうにと、イーリスは溜息を吐き、恨めしげな瞳を向ける。


「人間みたいなこと言ってる」

「人間と作りはかわらん。…そういうことで、お前にも出来ればもう少し休んでほしいんだが」

「……無理」

 それが真摯な思いであることは理解できたらしく、はっきりと答えが返る。


「──歩けるか?」

 諦めたような溜息と、ちょっとだけ悪戯を思いついたような笑みで、イーリスが問いかける。


「え?」

「散歩。どうせ結界を見に行くつもりだったしな。見せてやるよ」


  ※ ※ ※


「けっこう眩しいと思ったけど、そうでもないんだ?」

「そうみたいだな」

 夜の帳が下りた庭を、二人は歩いている。庭の中に小川が引いてあり、そこを歩いているのだが──ときおり目の前を横切る蛍のほうがはっきり見えるくらいで、輝きとしてはさほどきつくない感じである。


「──そう言えば、お前の思う虹は、どんなものだ?」

 ふと思いついた…という感じで、イーリスが問いかけた。


「――虹。雨上がりに掛ることが多い七色の光。太陽光を水蒸気が反射することで現れる。その根本に宝物が埋まっているという言い伝えもある。半円に見えるが実は円形であり、投影する範囲によっては円の虹が見えることもある」

 その回答に、イーリスは頷いた。彼の知る成り立ちとほぼ、同じものだ。とすれば、これは虹の性質とは無関係の現象と言うことになる。と、なると?


「”イーリス”に、他の意味があったりしないだろうな?」

 ふと思いつき、アーヴェントに問いかける。


「──イーリス。花の名に於いて”菖蒲”の意味を持つ。すっくと伸びた先に紫の花が咲く。近縁種の杜若などとの見分けがつけづらいが、花びらの根本に編み目模様を持つことから、文目とも呼ばれている」

 それは知ってるな、とイーリスが気落ちした表情だ。それに、この現象に当てはまるかと言えば、違うだろう。

 アーヴェントは…何か思い当たる節でもあるのか、驚いたような顔をしている。


「……? どうした、アーヴェント。何かあったか?」

「や、……べ、べつになにも」

 あからさまな棒読みで、アーヴェントが答える。さすがにそれを見逃す魔王ではない。


「……アーヴェント。他には、”イーリス”にどんな意味がある?」

 しかし彼は答えず、がっちりと口を噤み、首を横に振る。絶対に言うものかという、けっこうな気迫である。

 それを見て、イーリスはしばし考えた。命令してしまえば済むけれど、ここまで必死の形相を見せられるとそれもまた、可哀想な気がしなくもない。だが、気になることも事実である。なので、ちょっとだけ譲歩してみることにした。


「今の現象に関係がありそうなら答えろ。そうでないなら、答えなくていい」

 気になるのは光り輝いているこの現状なので、妥協案だ。

 幸いと言うべきか否か、アーヴェントはそれに答える気配がない。そうなると、何か別の理由があるはずなのだが……とりあえず、思い出したことがあったので、詠って見た。


「…五月雨に沢辺の真薦(まこも)水越えていづれ菖蒲あやめと引きぞ煩ふ」

「!?」

 目を白黒させる彼に、これか、とイーリスは苦笑する。


「知ってるよ、その辺りは。確か美女を選ぶのに甲乙つけがたいとか、そんな意味で読まれた和歌だったな」

 苦笑しながらイーリスが告げる。もっとも和歌そのものに興味があるわけではなくて、花の名前からそこへ辿り着いただけなのだが。


「…待てよ?」

 ふと、思い出す。渾沌領域で、角やら翼やら尻尾やらを生やし、さっきは耳。あれは、アーヴェントの仕業だったはず、と。


「アーヴェント」

「はい?」

 真剣な目で見つめられ、アーヴェントがびくりと震える。


「まさかとは思うが、一応命じるぞ? 垂れ流している魔力を収めろ?」

「なんで疑問形…って、あ…なんか、…違和感…」

 その言葉で、煌めきが収まった。今度は安堵の溜息を吐く。


「え、俺、魔力垂れ流してた? え、なんで?」

「私に聞くな、メモリアのことはほとんど知られていないんだ」

 犯人はわかったし、解決もした。理由もほぼ確定だから、これでよしとしてもいいが…果たしてこれは、メモリアの特性なのか、個人アーヴェントの性格なのか、そこが問題だ。


「魔力が見えれば早かったんだが…」

 あれ、とアーヴェントが不思議そうな顔をする。


「魔王様でも、魔力って見えないんだ?」

「ああ、魔力を見るには特殊な資質が要る。魔力の流れを感知することなら出来るが、お前の場合はただ、溢れさせてるだけだからな」

 その説明で、アーヴェントはさらに首を傾げ、それを見たイーリスがふっと笑う。


「人形じゃないんだから、首は起こしておけ。よほどの状況でなければ、魔力の流れを見ることなんてないさ。そうだな、ひとつ見せようか」

 アーヴェントの前に手を差しだし、パチリと指を鳴らす。

 指先に火が点り、大きな炎になるとともに燃えさかる鳥になって羽ばたいて、高く舞い上がると同時に花火のように身を散らす。散った火花は消える前に雪となり、うっすらと周囲に降り積もって、やがてそれが解けだして川が流れ、緑が芽吹き、花が咲いて綿毛に変わり、それが風に乗って夜の闇へと溶けていった。


「うわぁ…これ、……魔法?」

「いや、”術”だな。人間に言わせると、”法則を無視した力業”だそうだが、これが妖魔のやり方だ」

 言っておいて、クスリと笑う。


「お前がやってること、そのものなんだけどな?」

「う……」

 自覚はないが、先ほどの光り輝く髪を自分がやったのだから、…それは確かに、力業なのかもしれないと、思う。


「魔法の理論は知ってるから、使えなくはないんだが──光よ」

「おわっ!?」

 火球が落ちたかと思うような眩しさの光が、二人の前に現れる。アーヴェントは目を覆っているが、防御幕のようなものも張られているところを見ると、この状態は予想済みらしい。


「こんな感じで、とんでもない威力になるから使えなくてな。正直、理論を頭の中で構築する必要もあって面倒だし」

 話している間に光球は消えて、辺りは暗闇に戻っていた。


「今のは数秒で消えるように組んだ魔法だ。ま、そのうちに本物の魔法使いでも捕まえて見せてもらうといい。理由を話せば嫌だという奴はそうそういないさ」

「捕まえるとかは別にいいけど……なんでああなるの?」

 聞こえた呟きから、恐らくは明かりをつける類のものだろうと推測がつく。しかし、あれは明かりどころか狼煙代わりに使えそうだ。下手をすれば昼間でも狼煙になるのではないだろうか。


「あー…そうだな、人間の使う”魔法”は、”法則に従って発動させることで、僅かな魔力を効率よく運用する”ためのものだから、かな。今の光魔法は、旅をしていたころに交換条件で教えてもらったんだが」

 使い物になるかという意味では見てのとおりだが、興味本位で魔法を覚えたかっただけなので、殺傷能力がないこの魔法を選んだということらしい。


「やり方次第で、人間なら死ぬと思う」

「妖魔でも殺れるな、やり方次第で」

 二人の間に沈黙が訪れる。


「……閑話休題(アホな話はこの辺で)?」

「うん、そうしようか。そうだな、明かりの場合はこんな感じだ」

 足元を照らす明かりを生み出して、イーリスが示す。いつの間にか、レンガを敷き詰めた通路に立っていたようだ。


「これは、術?」

「ああ。まあ実際には光球ではなくて、こういうやり方も出来る」

 言葉の端から光球が消えて、明るさのみが広がった。通路の両側は花壇に仕立てられているようで、それもまた、薄暗くなったり明るくなったりと照らし出されている。なるほど、彼が言うとおり自由自在である。


「魔法を使うには<明るくするにはどうするか>を考えなければならない。今の例で言うなら光玉だが、炎で明るくする手もあるな。術の場合は、<足元を明るくしたい>という感覚だけで事足りる。そこが大きな違いだな。これはもう、種族の違いによるものだから、差は歴然としているんだが…人間って奴は不思議でね。それが気に入らないと喧嘩を売ってくる奴もいるぞ?」

「…いるのかよ」

 感覚だけで自由自在な術を使う相手に喧嘩を売る。同じことが出来るはずの自分でも、やりたいとはとても思えないのにとアーヴェントは半眼になる。


「勇者さまなんかは、そういう奴らに踊らされる一人だな」

「いるんだ、勇者。てかそういう扱いなんだ」

「正義かぶれを操るのは楽だからな。わかってるだけにひどいこともしたくないし、面倒だよ。…まあ、今代の勇者さまは、妖皇の食客やってるが」

「へ? 食客?」

「わかるか?」


「──食客。才能ある人物を客として遇すること。主人に危難があればそれを助けるが、契約関係などはないため、好きなときに立ち去ることが出来る」

 その答えを聞いたイーリスが、溜息と共にうなずいた。


「概ね、そのとおりだな。時折姿を消すが、妖皇も把握していないようだし」

 なんだそれ、とアーヴェントは苦笑した。


「けっこうな狸だぞ、あの勇者。興味があるなら見に行くか?」

 なにやら見世物を見に行くかのような口調である。念のため、アーヴェントは問いかける。


「会いに行く、の間違いだよな?」

「正面切って顔を合わせると面倒だぞ、あれ」

「”あれ”って、そんなものにみたいに」

「……」

 返事は返らず、ただ遠い目をしたイーリスがそこにいた。何があったのかはわからないが、触れないほうがいいことだろうと思わせる程度に。


「さて、着いたぞ」

 イーリスが足を止めたのは、煉瓦造りの塔である。館の屋根よりなお上に天辺があるようだ。


「これは?」

「本来は貯蔵庫兼結界発生装置置き場だな。装置は野晒しでも問題はないんだが。ま、気分的にな」

「気分かよ」

「気分屋だからな」

 彼の言う”気分屋”は、妖魔全体のことなのか、それともイーリス個人のことなのか、悩むところである。

 招かれるままにアーヴェントは真っ暗な塔の中へと入り、しかし足を止めた。


「どうした、怖いか?」

「いやその前に何も見えないんですけど?」

 上から振ってきた声を探して見上げるが、何も見えない。見事なまでの暗闇で、自分の手すらそこにあるのか、不安になるくらいだ。

 ああ、と納得したような声が聞こえて、周囲が明るくなった。まるで、昼間に屋根のない建物へ入ったかのような明るさだ。


「これでいいかな」

「いや、これはなんか、…雰囲気微妙じゃね?」

 そう言ったアヴィの周囲が薄暗くなり、全体の明るさがそれに合わせたかのように落ちていく。そして代わりに、階段の両端に置かれた蝋燭が揺らめき、彼らの影を映しだした。


「うん、こんな感じで」

「……普通は、壁に燭台を灯すんだが?」

 イーリスの指す先に、確かに燭台があった。頭よりもかなり高い位置にあるが、それは歩くときに触れぬようにと言う配慮だろう。ついでにそれも、とアヴィが呟くと、そちらも同じように炎が灯る。

 まったく、とイーリスは苦笑した。せっかく全体を明るくしたのに、と。しかも、好みで不便な方を選ぶとは、いい趣味だ。

 まあいいさ、とアーヴェントをつれて階段を上がる。塔は三階立てになっていて、地上階には肥料や収穫用の道具、二階には収穫したらしき草などが干されていた。


「……道具?」

 手押し車や鎌、鍬などが並んでいたがふと思う。イーリスの話を聞く限り、この手の道具は不要なのではないかと。


「ああ、訓練用だ。お前はずいぶん早く馴染んだが、そうも行かない奴もいるからな」

 訓練て何だ、というか背中に目でもついてるのか、とアーヴェントは後ずさる。


「いや、誰でも思うから。現界したての奴は、意外と身体が動かせないんだよ。魔力で周囲を関知すれば済むからな」

「あー…そういや俺もやったんだっけ?」

「そう、あれだ。単純作業で覚えさせた方が飲み込みが早いから、そういう時に使うだけだな。普段は飾りだよ」

 やっぱり飾りなんだ、と何故だか安堵したアーヴェントである。


「さて、ここが目当ての場所だ。上に行って外を見てるといい、なかなかの見物だぞ」

 促されるままにアーヴェントは更に上へ向かった。天井に上げ板があって、それを押し上げて顔を出すと、まるで展望台であるかのように四方が開けていた。上げ板はイーリスが来るだろうとそのままにして、その一角に身を乗り出す。

 風もなく、静かな夜だが──残念なことに、月も星も出ていないので、地上の様子はわからない。イーリスがやったように灯りを出してみようかと思ったそのときに、足下が光っていることに気が付いた。

 その光が周囲へと広がって、離れたところで柱のように立ち上がる光景を目の当たりにして、アーヴェントが息を呑む。


「朝顔から逃げるときに、結界に飛び込んだだろ。あれをやると結界全体が脆くなるから、張り直したんだよ」

 あがってきたイーリスがこともなげにそれだけ告げた。光は敷地全体に広がっていて、それはフェネクスの紋章そのものを描いているらしい。流石に広すぎて見せられないがな、とイーリスは笑って言った。


「この塔は館の裏手にある。周りの花壇は薬草の類だな。保管してあるものも大半が薬草だ。ああ、少し奥には四阿も作ってあるから、明るくなったら行ってみるのもいいな」

 楽しげに語る理由は、館こそ譲り受けたものであるけれど、庭を整えたのは彼自身だからだろう。楽しそうなイーリスにつき合ううちに、彼の反応が何やら鈍くなっているような気がして、思わず語りを遮った。


「ご主人様。疲れてるよな?」

「…ん?」

 うん、間違いなく疲れている。そう判断して、アーヴェントは降りようと声をかけた。


「妖魔だからって寝なくていいってわけじゃ、ないんだよ…ふわぁ?」

「ふわぁ…人間ほどではないが、眠った方がいい……」

 そこで欠伸がかみ殺せなくて、ようやく眠いのだと自覚が出たらしい。面倒だと呟きが聞こえた次の瞬間には、あの部屋の中に戻っていた。


「へ!? …なに、瞬間移動!?」

「まぁ、移動術の一種だな…」

 驚く彼に説明する余力もないのか、イーリスは寝台に転がった。いつの間にか着替えた寝間着姿で掛布の下へと潜り込む。


「……何があるかわからないから…、部屋は、出るなよ……窓にも、近寄るな…」

 すぐに寝息を立てているところを見ると、かなり限界に来ていたようだ。


「一緒に寝るって意味だよなー」

 イーリスは寝台の端っこで眠りについた。部屋は出るなと言っていたし、窓にも近寄るなと言ったからそれを考えると、あの気持ちよさそうな寝椅子で寝るということもやめた方がいいのだろう。

 わざわざ場所を空けてくれたことだし、とアーヴェントも同じく、寝台に潜り込み、程なくして寝息を立て始めた。


 だから、彼らは知らない。

 イーリスが放置していた妖精モドキ、それがまだ水晶玉の中にいて、妖しい光を放ち始めたことを。


   ※ ※ ※


「ちょ…、なに、これ…」

 目覚めたとき、アーヴェントが感じたのは強烈な頭痛だった。と言うよりも、頭痛で目覚めさせられたといういうべきか。何かに締め付けられているようなそれは、人間なら”二日酔いのひどい奴”と言い表したことだろう。むろん、酒など飲んでいない彼に、二日酔いが起きるはずはない。

 そしてそれはイーリスも同様らしく、彼もまた、頭を押さえながら起きあがるところである。


「いたた……これ、空間移動の副産物──…」

 かなり痛いらしく、説明の余裕はなさそうだ。


「空間移動って…、塔から戻ってきた、あれ…?」

「あれは、転移術…別物だ」

 呻いていた彼が先に落ち着き、安堵してか大きな息を吐く。その手でアーヴェントに触れて、頭を撫でた。と、アーヴェントの頭から痛みが引いていく。


「とりあえず、寝台から動くな。様子を見るから……」

 イーリスだけが寝台を降りて、窓を見た。一瞬で頭を抱えて、書き物机に向かい、あの妖精もどきが消えていることで事態を悟る。


「やられた…妖皇の空間転移だ」

 つまりは、あの妖精もどきそのものが術であり、偽物だったということだ。情けなど掛けずに叩き潰すべきだったし、次からはそうしようと心に誓うが、現状はまた別で、対処しなければならない。


「まだ暗い…夜明けまで余裕があるか。今のうちに何か手を打つか? …いや、無意味か。どうせこの部屋だけだろうし……ああ、あれだけでも待避させて」

「邪魔するぞ、メモリア!」

 バタンと音を立てながら入ってきた青年が、イーリスの思考と独り言を遮った。まあ、彼にその気はないのだろうけれど……いきなり、何者だろうと目が引き寄せられる。


「あれ、なんだフェネクスもいたのかよ。あれ? おれ、メモリアが来たって聞いたんだけど……あ、お前か!? 珍しいな、人型かよ」

「まず言うが」

 一気にまくし立てて、青年が交互に二人を見て、アーヴェントは勢いに呑まれ、イーリスは頭を押さえた。


「強引にさらってきた、の間違いだ。それと、部屋に入るときは呼びかけろ、勇者さま」

「おっと、失礼。やり直すか?」

 さて、とイーリスがアーヴェントを見る。流石に驚いているようだから、やり直すと言うより落ち着くまで追い出すかと、しばし悩んだが。


「いいよ、別に?」

 やり直してどうする、というのがアーヴェントの感覚である。まあやり直した場合、今の会話のどの辺りまで遡るつもりか、気にならなくはないけれど。


「だそうだが?」

「あー…いや……」

 アーヴェントの顔色はよろしくない。やり直すとかいったら、そのまま鍵をかけて閉め出してやるとイーリスは思ったのだが、そこまで鈍感ではなかったらしい。


「メモリアだけだって聞いたから、様子見に来たんだ。フェネクスがいるなら、止めておく。どうせ、舞踏会に出るんだろ?」

「出るまで帰れないからな」

 以前にもやられたこの術、実は期間限定である。今回はおそらく舞踏会の翌日辺りに、元の位置へ戻っているのだろう。


「代わりにどうだ、食事でも?」

「いや、現界したてだ。ていうかな、だから夜中に誘うな、夜中に」

「酒の方がいいか」

「や・す・ま・せ・ろ」

 イーリスのどこかがプチプチと音を立てている気がするアヴィである。


「なら、明るくなったらまた来ることにすればいいか?」

「酒は持ってくるなよ」

 とりあえずの譲歩に、イーリスが溜息を吐く。それで了承する気になったらしい。


「次に来るときは必ず呼びかけろ?」

「あー…まあ、努力はするさ」

 糠に釘、を体現した勇者が部屋を出て、扉が閉まる。それきり何も聞こえないということは、けっこうな防音性能があるのだろう。


「努力、いるんだ」

 叩くとか、呼びかけるだけだよな、と言外に滲ませて。


「覚えてる方が珍しいな。育ちは別に悪くないんだが、本人が気にしてないから、無理だろうなあれは」

「…親しい?」

「妖皇よりは好感が持てるな。今のが、話してた勇者さまだよ」

 それは、とアーヴェントは考えた。回答になっているのか、いないのか。けっこうな問題だ、と。


「さて、と。…一つ、術を使うが勇者には言うなよ?」

 そう言いながら、イーリスは書き物机の上にあった宝石箱を開く。中身が無造作に取り出され、机の上に並べられた。


「へえ、綺麗だな。なに、宝石とか好き?」

「嫌いじゃないな。これは宝石じゃなくて、魔素珠(まそだま)だよ。金属部分も含めて、私が作った魔素の塊だ。一応、取り込めば魔力の素にも出来る」

「もったいないな!?」

 自分でも気に入ってるそれらにもたらされる感嘆は、悪くないなとイーリスは笑う。むろん、その用途でつくるなら、ここまで凝った意匠になどしない。


「違うな」

 並べた装飾品の一つ、大きめの球を連ねたものを手に考えていたが、これではないと宝石箱へ収め直す。

 次に手にしたのは、小さな珠が唐草のような模様で連ねられた首飾りだ。鎖の出来には満足しているが、これも違うと片づけた。

 三つ目に手に取ったそれは、立方体の中に液体が封じられたものだった。ただし、鎖などはない。


「……そう言えば、こんなものも作ったことがあったな」

 笑いながら自分の髪を一本引き抜いて、それと一緒に握り込む。開いた手には細い鎖の先にそれが付けられた状態で残されている。


「付けてるといい。ま、飾り以上の意味はないけどな」

 アーヴェントに差し出して、受け取らせてからまた、装飾品に向き直る。幾つかはさっさと宝石箱にしまわれて、残ったのは一対の耳飾りである。

 悩んでいる彼を見つつ、アーヴェントはそれを自分の首にかけてみた。長さはちょうどいいし、立方体を頂点とした形も面白いのだが、中に入っている液体が赤いのが、気になるところだ。聞いてみたいけれど忙しそうだし、と視線が行き来する。

 その様子を横目で見ているイーリスは正体を教えようかと口を開きかけたが、そのうち気づくか、聞いてくるかするだろうとやめておくことにした。理由は特にない…敢えて言うなら、そのほうが面白そうだから、だ。

 この飾り、中の液体に至るまで高密度の魔力塊である。赤い色にしてあるのは、単純に血の色に見えておもしろいからだ。

 結局、全ての飾りを収めなおして別なものを手に取った。机上に置かれた硝子の樹にかけられた、一対の耳飾りだ。小さな珠が幾つも連なって、揺れるたびにしゃらりと音を立てるそれは、手にした今も涼やかな音を響かせた。

 見てろよ、と目線だけでアーヴェントに伝えて、イーリスはあの絡繰りに向き直る。


「影は現出し、固着せよ」

 寸分違わぬ透明な絡繰りが、その場に現れる。そのままであれば幻としか見えないそれが、実体へと変化するまでに要した時間はほんの数瞬だった。

 そこに珠を一つ転がして、音を確かめる。最高の調律に比べれば劣るが、普段はこの程度だろうと納得する音色だ。


「構成を解く」

 開いた手から、耳飾りが淡い光を放ちつつ浮き上がった。絡繰りは、その光の色に染まる。


「鍵盤は右に、構成する部品は左に」

 詠うように呟かれた言葉に沿って、鍵盤が浮き上がり、耳飾りの宝珠に吸い込まれていく。絡繰りの本体も部品に戻り、それがもう一つの珠に収まり消えた。


「珠は左右に同数、縮んで連なれ」

 珠が縮み、透き通った硝子珠として連なって、飾りの妙となって、術は終わった。


「今のって呪文? これ、複製?」

「呪文ではないな。…前に本物を出しておいたら、勇者に壊されたからな」

「…壊したんだ、これを」

 この絡繰りを初めて見た勇者が、奥の仕掛けを見ようと無理した挙げ句に壊れたときのことは忘れられないとイーリスがぼやく。あれから改良を重ね続けたのだから、余計に許し難い暴挙となるだろう。


「この術のこと、勇者には言うなよ。あいつ、これがお気に入りだから。それと、呪文というわけでもない。使い慣れない術だから、間違えないように手順を口にしただけだ」

 やるべきことは終わった、とイーリスは寝椅子に転がった。その際に、手にしていた耳飾りは脇机に放り出される。


「ってちょっと乱暴じゃないか、それ?」

「傷つくものじゃないからな。…ああ、休む前に、ここのことを教えて置こうか」

 それは是非、とアーヴェントが頷いた。


「まず、この国についてだが」

 妖皇が支配するエミーリア皇国は、パンゲア大陸の東の端に在る。国土としては広いが、住民が少ないので、町などはない。物好きな妖魔が、気に入った場所に小屋を造ったり、天幕を張ったりと、その程度だとイーリスが告げる。


「ん? …イーリスの館ってけっこう大きくなかったか?」

「館自体はさほどでもないよ。敷地が広いんだ」

 二階建てで母屋のみなので、実際、館巡りをしてみれば分かるだろうとイーリスは笑った。ちなみに敷地の大半は香草類が植えてあり、一部が薔薇園になっているが、手入れはあまりしていないらしい。


「結界を見せただろう? あれのおかげで草の種や虫なんかも入ってこないのさ」

 草の種に関しては完全な僥倖で、例の朝顔を排除するための仕掛けが、ほかの植物にも影響した、ということらしい。動物の方は、侵入者対策がそのまま適用されたのだとか。薔薇の花は野生種を植えてあるだけで、ほとんどどれも、手入れなどしていないとあっさり明かす。


「ここは妖皇宮の一角だな。居住区が近い」

 妖皇宮という言葉に誤解されがちだが、その広さは人間の国で言う都市に匹敵する広さだ。

 隣国との国境近くにある砂漠を超えると、宮殿と呼ぶに相応しい館がある。政務に関する情報は全てそこで取り扱われ、魔王の中にはそこに居室を持つ者もいる。

 そこから離れて、宮殿がぎりぎり見える範囲には幾つかの離宮がある。これは賓客をもてなしたりするための迎賓館で、あまり使われていない。その迎賓館を好んで住み着いた魔王もいるらしいが、イーリス自身は面識がないので噂どまりである。

 迎賓館が見えなくなるくらいまで離れると、ちょっとした村のような区域が現れる。それが居住区なのだが、単独で存在するのが厳しい妖魔を保護する区域でもあるので、保護区とも言われているらしい。


「そこも妖皇宮なんだよな? なんでそんなに離れてんの?」

「消滅の危機から守ろうとすると、その距離が必要なんだとか。詳細は知らん」

 そもそも、初代とは顔を合わせたこともないしな、とイーリスは告げた。


「……ん? イーリス? イーリスさま? …魔王さまー? もしもしー?」

 軽い寝息が聞こえて来た気がして、アーヴェントが呼びかける。ばちりと開かれたイーリスの目に驚くが、それはやはりあれだ、居眠りしていたということだ。


「悪い、消耗が激しいみたいだ。寝台は譲るから、明るくなるまで眠らせてくれ」

 溜息を一つついて、イーリスは毛布を広げた。寝椅子に掛けてあったそれは、仮眠用においてあったということだろう。


「いや、別にいいよ、向こうでも?」

 くるくると毛布にくるまった彼を見て、十分広いので、たぶんもう一人入っても平気だろうと、アーヴェントは答える。

 んー、と三割ほど眠りながら、イーリスが答えた。


「もともと、寝椅子の方が好きなんだ。あと…、私の称号……覚えたか…?」

「ん? フェネクスって、あれ?」

「館に帰るまで…それで呼べ。間違えるなよ…私もお前をアヴィと呼ぶから……それで、名乗れ…言葉遣いは、気にしなくてもいいから…」

 それだけどうにか告げると、イーリスはこてん、と倒れ込んだ。何やら相当、無理をしていたらしい。


「…魔王って、なんか大変そうだなぁ……」

 視線は自然と、彼の耳飾りに引き寄せられる。幾つもの珠が連なって、歩けば揺れる洒落た造りになっていた。


「綺麗だけど、男物には見えないなー……イーリスなら似合うだろうけど…ってじゃなくて、フェネクスか」

 フェネクスフェネクスと呪文のように幾度が呟いて、うん、と頷く。こればかりは気をつけるしかないだろう、と。


「…退屈だし、俺も寝るか」

 アヴィが寝台に入ると同時に、部屋が暗くなる。そう言えば、この部屋に明かりの類はなかったなと気づいた。その辺りの仕掛けは何かあるのか、こんど思い出したら聞いてみよう。


「お休み、魔王さま」

 どうせなら、名前を呼び間違えないように術でもかけてほしいなあと思いつつ、アーヴェントは眠りについた。

勇者の話と、初代妖皇の話は、外伝を作る予定です。素案はあるんですけどね。

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