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魔王が逃げて、何が悪い?  作者: 冬野ゆすら
第一章 魔王がそこから逃げるまで
3/64

1-2 ──お前、実は気が短いだろ?

2017年10月5日 21時57分 再度全面改稿。この後の流れに影響する部分を追記。これ以上の改稿はないはず。

2017年10月5日 十五時頃、全面改稿。

2017年9月23日 全面改稿。この話に関しては、前半部分の改稿が中心です。

「えっと…何が起きたのか、聞いていい?」

「……盟約の即時発行と白妙領域からの即時離脱──だな」

 魔王が呆れ顔で答えて、笑った。白妙空間と呼ぶあの場所は、本来は好きなときに抜け出せる。もう少し、現状をすり合わせてから抜けるつもりだったのだが、あっさりと放り出された状況だ。


「お前、実は気が短いだろ?」

「…長くはないけどさー」

 だだっ広い草原に、向かい合わせに座る二人。卓袱台は残っていたが、机上のものはあの巻物も含めて消えていた。周囲には動くものの気配すらなく、ただ吹き抜ける風は心地よい程度の冷たさを持っている。


「うー…ちょっと寒い気がする…ここどこ? 妖魔界とか?」

「ん? …いや、そんな表現はしないな。お前がいた世界と変わらないと思うが…寒いか、私はこれくらいがちょうどいいんだが」

 魔王がそう答えたと同時に、メモリアの震えが止まった。ふ、とメモリアが息を吐く。


「…ありがと、魔王さま」

 その言葉に、ふと魔王が微笑む。


「風を遮断しただけだ。すぐに出来るようになるさ。…さて、と」

 魔王が立ち上がり、周囲を見回す。…が、四方八方、広がる草原しか目に入らない。


「……どこだろうな、ここは」

 じと目でメモリアを見ながら、魔王が呟く。見られたメモリアは戸惑う──では、なくて。


「ちょっと、魔王さまそれその視線どういう意味!?」

「そのままだ。…お前が勝手に抜け出すから、予定していた場所に出ていない。少なくとも私の領地内ではないな」

 噛みついてきたがあっさりと返り討ちにして、同時にある一点を指す。メモリアがそれに釣られて目を向ければ。


「おわっ!?」

 メモリアの直前で、茶色い何かが潰れた。そのままぽたぽたと、液状になって落ちていく。


「地魔か。手かがりにはならんな」

 魔素が凝り生まれる魔物の中で、大地に属するものである。その種類はさまざまだが、土を媒体とする以上はどこにでも現れる。…余談だが、水の中であっても土があればいいので、湖底などから生まれることもある。

 魔王が踵で地面を打つ。カツンと音が返ってくるが、…そこはどう見ても、ただの草地である。

 その地を触りつつ、メモリアが問いかける。


「魔王さま、何かやった?」

「地面から来ると面倒だからな。そこ、動くなよ。広くは囲ってないぞ」

 答えた魔王から放たれた風に、メモリアが顔を庇おうとして──ふと、気づく。それが風ではないことに。


(草は揺れなかった。風を浴びた気もしない。それに──てか何やったよ、魔王さま…)

 魔王が地魔と言ったあの残骸が、消えていた。

 どう考えても、動けるとは思えない状態だった。完全に潰れていたし。ただ落ちたなら、残骸が転がっているだろうから、たぶん、消えたのだ。

 などと考えていたが、卓袱台から聞こえた音に、ふと視線を向けた。


「おわ…っと?」

 天板に、六角形が敷き詰められていた。

 中央にある白マスは卓袱台が描かれている。その周囲のマスは草と、一部に動く何か。──先ほどのような魔物…だろうか。

 二週目のマスはまだ描かれている最中だが、それもやはり草である。

 三週目に至っては、ようやくマスに色がついただけの状態だ。


「………地図、だよな?」

「ああ、周囲の情報を集めてる。下手に動くと面倒なことになるからな──ダメだ、少し休む。処理が追いつかない」

 そこで大きく息を吐き、魔王がその場にひっくり返った。同時に、地図の描画が目に見えて遅くなる。

 ああ、とメモリアが呟いた。


「周囲の情報を集めて、地図に反映させてるんだ」

「ああ、そんな感じだな。屋敷内なら補助の道具もあるんだが……」

 それは自動書記のような魔道具で、処理をした情報を描き出す分を担当させている。今はそれも自分でやっているので、集めた情報が貯まる一方ということらしい。


「…あのさ。 ここがどこが調べようとしてるんだよな?」

「…そうだな」

 今にも眠るのではないかと思ってしまうような声で、魔王が答える。


「ここまで詳しい情報、いる?」

 草原のマスに描かれた何かは、やはり魔物のようだ。なぜ気づいたと言えば、それが動いて隣接するマスに移動したためである。まだ描かれていないマスへいくと、その絵は消えた。つまり、集めた情報を処理しているのではなく、集め続けて更新しつづけているわけだ。そんなことを一人でやったら、疲れるに決まっている。


「地図術は、そういうものだぞ?」

「いや、でもさ、自分の居場所調べるだけなのに、魔物が移動したとか、別にいらなくね?」

「それは……まあ、そうかもしれないが…」

 実のところ、この術は周囲の情報を集めるためのものであり、自分の居場所を調べるためのものではない。ほかに使えそうな術がないので、代用として選んだだけである。本来は屋敷内で補助道具を用意し、領地内の魔物の動向や実りの状況などを調べるための術なのだ。


「なんだ、そういう理由なんだ。なら──もっと大雑把でいいじゃん? 中央が俺たちがいる場所なんだよな?」

「え? ああ、まあそうなんだが」

「魔物追跡はいらないよな。ああ、生息域はわかったほうがいいか。草原とか森は…色分けでいいし…あとは──」

 メモリアが呟くまま、箱庭のように細かく表現されていた地図が、ごくあっさりと色だけで表現されたものに置き換わって、ほぼ同時に、描画範囲は机のほぼ全域となった。魔物は判で押されたような絵に変わり、生息域がまたがっているのか、隣接マスの境目にまたがっているものもある。


「なんだ、こんなに調べてたんだ。すごいな、あの一瞬でここまで出来るんだ。てか気付けよ、あれだけ細かく表現してたらそりゃ時間かかるっての」

 処理が追いつかない。その一言からの思いつきだったが、どうやら、無駄に正確な再現をしていたから追いつかない、ということだったらしい。感心半分呆れ半分のメモリアだが、魔王が彼を驚愕の表情で見ていることには気がつかない。


「お前…簡単に他人の術を書き換えたな」

「ん? ……俺?」

「…いや、いい」

 本気で理解していないらしい彼に、魔王は溜息を吐いた。やはり、と内心で思う。”盟約の書”となっていたあの術。ことによると、魔王が発動した契約術を作り替えたものかもしれない、と。


「んで、どうよ。居場所わかった?」

「……魔物の生息域からある程度は絞り込めたが…無理だな。盤面が足りない」

「もちょっと縮尺変えたほうがいいか」

 二本の指で、何かを摘まむような動作をしたと同時に、コマがさらに小さくなる。ほぼ全面になっていたそれを、三割程度まで縮めたのだと気づき、魔王が呆れて額を押さえる。


「まだやれるのか」

「まだって?」

「いや…、いい

 まったく、と魔王は笑う。発動済みの術をこうも簡単に書き換えられると、それに縛られていた自分が可笑しく思える。むろん、不可能なことではないし、魔王自身にも可能なことだ。だが、それはあくまで、その術構成を知っていれば、改良することや新しい術を作ることが出来るという話であって、発動中の術を書き換えて、それをさらに書き換え直すなど、誰に話しても信じはしないだろう。


「…あ、もしかしてこの術、これ以上の範囲って探索出来ない?」

「…いや、どうだろうな。やったことがないだけだ」

 やってみると言えないのは、すでに術が変化しているためだ。魔王は自分の術の特性を、緻密な情報収集として認識している。だから情報書収集する範囲はさほど広くないし、その分は情報量が多いことで補っていた。実際、それで事足りていたし、領地の統治にはその方が都合もよかったのだ。


「…なあ、どんな情報がいるんだ?」

「え?」

「集める情報を限定すれば、たぶんもっと広く収集出来るとは思うが、何に絞ればいいのか…」

 普段は領地の情報を収集するから、限定する意味がない。だからやったことがない。情報の精度を上げるためには、単純に範囲を限定すれば済んでいた。最低限の情報だけでいい、と理屈としてはわかるが、では何が、その最低限の情報なのか、思いつかない。


「各地の魔物や植物の生息域は把握してる。…が、例外もある、それからでは判断が付かない」

 地形情報も然り。把握はしているが、自分の居場所を掴むのは、容易ではない。


「んー…いや、この場合さ、あんまり情報っていらないんだよ。自分が何処にいるかが重要なわけで…だから、えっとー…」

(…面白いな)

 術を書き換えて見せたくせに、その辺りがわかっていたわけではないらしい。落胆よりも、悩む姿との差異が面白く感じられた。


「…さっきさ、自分の領地じゃないって言ってたよな? それって、何か目印とかある?」

「ああ、境界標がある。それを見れば誰の領地か……あ、そういうことか」

 初代妖皇が設置させた、領地の境を示す目印である。もっとも、実際にはそれを刻んだ何かがあるだけで、そこへ魔力を通さなければ境界線が見えることはない。それに刻まれた紋章が分かれば、誰の領地かが分かるようにされていたはずだ。


「それでいいじゃん。…何か、初代妖皇って俺と発想が似てるな」

「メモリアだったらしいからな。…では、しばし待て」

 魔王が目を閉じる。先ほどと同じく、何かが周囲に向けて放たれた。それは先ほどよりもずっと軽快で早い。闇雲に情報を集めるのではなく、特定のものを探すという目的だからだろうか。


「あった──あ」

 魔王がかなり慌てた様子で机上の地図を破棄し、メモリアを抱き寄せた上で新たな術を発動させた。自分たちを示すマスを角──ゼロの起点に配置して直後、それを払う。


「っておい、魔王さま!?」

 瞬きほどの間もないうちに二人は別の場所にいた。突然の暴挙と風景の変化に、メモリアは目を白黒させる。


「すまん、()()った。索敵術にひっかかった」

「え」

 そう言いながら、魔王の手は止まらない。


「まだ追撃は遠いから、出来る限り距離を稼ぐ。とりあえず目を閉じてろ、酔うぞ」

 言われてみれば、確かに目が回りかけていた。酔ったのかと納得し、メモリアはおとなしく目を閉じる。閉じてしまえば、風もなく、移動する瞬間がわかるわけでもない。だが、妙に周囲を狭く感じる気がした。

 後に分かるのだが、魔王は魔力の消費を最小限に押さえるため、移動する範囲をごく狭い範囲に限定したのだ。抱き寄せたのは、その範囲内に彼を納めるためである。

 魔王は繰り返し指を走らせる。そのたびごとに風景が変わり、かなりの距離を稼いでいるはずだが安心する様子がない。


「つっ」

 風を切るような音が、耳元を駆け抜けた。同時に魔王の苦鳴が聞こえた気がして、メモリアは目を開く。


「──おまえ、それ!?」

 その額に食い込む冠──それは茨を模したものだと一目でわかる。それも、神の息子の処刑に使われた、罪人用の。


「……目を閉じてろと言ったのに。大丈夫、間に合うから」

 それだけ言って、魔王は歯を食いしばる。その指は会話の間も止まらないから、まだ足りないということだろうか。

 嘘だろとメモリアは思う。

 外の景色の移り変わりは、ほとんど瞬時だ。だだっ広い平原や、奥深い森が次々と現れては消えていく。その中で、…魔王の言った追撃が追いついた?

 いったいどういう絡繰りだ、と。


「──すまん、限界だ」

「へ? うわっ!?」

 弾かれたような衝撃があって、二人は不意に地面に投げ出された。メモリアが状況を把握するより先に魔王が動き、間一髪。メモリアを抱き上げて、地面から生えた何かが彼らを捕らえる前に駆けだした。


「ちょ、なに…っ?」

 何かが打ち込まれ、そこから延びてきた。今もそれが伸び続け、地面に落ちてはまたそこから生えて、追い縋ろうとしている。担がれたような状態になったせいで、メモリアにはそれの全貌が見えていた。


「左から!」

 メモリアが叫んだ意味を理解するより先に、魔王は進路を変える。目の前を通り過ぎたそれは植物の蔓そのものだ。


「止まって、上へ!」

 無理な指示をと言い返す余裕もなく、地を蹴って中空の枝を足場に。その下へ、新たな蔓が生じている。

 次々と出される指示のまま、魔王はひた走る。地から生える蔓は、先端を地に着く度に新たに生じる。メモリアが的確にそれを読み、進路を伝えてくれなければ、怪我の一つや二つ、していたかもしれない。

 蔓はあきらめる様子もなく、しかし速度も上がらないので追いつかずにいる。いや、魔王が全力疾走しているから、追いつけずにいるのか。


「見えた! 目と口を閉じてろ、舌を噛むぞ」

 前方に見える霧のような壁──領地の境界を見て魔王が告げた。そして、ひときわ強く跳躍──空中で蔦が追いつきかけたけれど、それに気づくよりも早く、二人は地面に転がり倒れた。


「ってぇ、舌を噛むってこういうことかよ」

 軽口を叩きながら起きあがる彼に、返る言葉はない。魔王は少し離れたところで、倒れて呻いていたから。


「え、ちょっと、おま、それ!?」

 呼び声に答えはない。だが、なくとも理由はわかる。その額から、血が流れているのだから。慌てて駆け寄って抱き起こす。本当は担ぎ上げたいところだが、それは魔王に制止された。


「いいよ、もう私の領地だ。…追っ手はかからない」

 魔王が指す先を見れば、そこに何か、壁のようなものが見えた。蔓のような何かはそこまで来ていたが、それ以上は入ってこない。ただその代わりとでも言うかのように、花を咲かせていたけれど。


「──なんだあれ、朝顔?」

「ああ、初代妖皇が好きだったらしくてな。──種はないが、茎が地に着けばそこから根を出して広まっていく。花は綺麗だぞ、青くてな。夕方には紫に変わる。追われていないときに見る分には、悪くないんだが…後で駆除しないとな」

「宿根朝顔かよ、迷惑なものを……」

 メモリアが顔をしかめる。彼の記憶では、迷惑な植物という認識であるようだ。


「って、また襲われたりしないか?」

「するから駆除がいる。まあ、燃やせば流石に残らないからな。……駆除するまでは外に出るなよ?」

 それは、メモリア保護のために初代妖皇が配備した魔道具の子孫だと、魔王は告げた。すでに親株はないが、その役目は二つ、忠実に引き継がれているという。

 一つは捕らわれそうになったメモリアを保護するための自動追尾。地に着いたところに根を下ろすという特性を利用して延々と追いかけてくるそれだ。

 もう一つが、メモリアを捕らえたもの、あるいは捕らえようとするものを排除するための攻撃機能。これは種を付ける機構を利用しているということだったが、発揮されることは少ない。妖皇自身も、いずれはその機構がなくなるだろうと予想はしていたらしいそれが、魔王の額を締め付けている茨である。

 そんなことを苦笑しながら話す魔王だったが、その言葉が途切れた。唇を噛み、顔を歪め──おそらくは相当につらいのだろう。


「それ、外した方がいいんだよな?」

 まだ手は出さずに問いかける。…たとえ彼が苦しんでいなかったとしても、見ていて気持ちのいいものではない。


「今やってるから、触るなよ。…これでも、全身に巻き付くのを防いでるんだ」

 え、とその茨を凝視する。…確かに、茎の分岐で何かが動いているようだ。


「……何か、話しててくれないか。黙っていると、痛みに意識が持って行かれそうだ」

「え」

「これ、純粋に痛いぞ」

 何しろモノが茨である。棘である。それが害意を持って装着者を締め付けるわけだから、痛くないわけがない。…存在を知ったときからそう思っていた魔王だが、それが間違いではなかったことが証明されてしまった。突き刺さる痛みと締め付けられる痛み、その両方を耐えている自分が信じられない程度には、痛いのである。


「さっき、宿根朝顔だと言っていたな。何を知っている?」

 戸惑うメモリアから表情が抜け落ちた。そして、機械的に口が動き、言葉が流れ出す。


「──”宿根朝顔”。根に栄養を蓄えることで、種を付けずに増えることが出来る朝顔。その繁殖力は強く、一株を地面に放置すれば、次の年までに辺り一面が覆われる。また一部の茎を切り取って植えればそこからも発根し、花を咲かせる。ごくまれに別個体の花粉により受精するが、その大半は実となる前に枯れ落ちることになる。打ち捨てられた苗が翌年になって復活する例や、地上部を燃やしただけでは復活する場合もあるため、完全な駆除には掘り起こすことが望ましい」

 はは、と魔王が笑う。だから種が出来ないのかと納得したようだ。

 その反面、メモリアは複雑そうな表情だ。


「そうなると、けっこうな稀少品だな、この冠も」

「いやまあ、…そうだろうけど。てか、これの種って普通の種のはずなんだけど…」

「初代の発案らしいが…何か分かるか? 茨の冠だ」


「──”茨の冠”。ある宗教に置いて、神の子を騙った罪人に被せられたという冠。その罪人は十字架に張り付けられて絶命したが、その後に復活したことから本物の神の子であったと言われている」

 へえ、と魔王が笑う。ただの罪人に被せるものではないらしい。


「あ」

「ようやく一枝か」

 幾重かに巻き付いていた茨の外周が一枝、灰色に変わった。枯らすことが出来たのだとわかるが、まだ…あと二重、残っている。


「…大丈夫…だよな?」

 先ほどよりも顔色が白いことに気づき、メモリアが問いかける。


「情けない顔するな、いい男が台無しだぞ?」

「自分の顔なんか見えてねぇよ」

 くしゃくしゃに歪めた顔でメモリアが言い返す。幾分か痛みが和らいだ様子で、魔王が応じた。


「そうだなぁ…どちらかと言えば子供に近い顔立ちかな。鼻は高い方ではないが、整っている。まあ、町で女に声をかければ、八割くらいは応えるんじゃないか?」

「いや、そういうの興味ねぇから。てか、鏡か何か作ってくれると嬉しいんだけど?」

「今は無理だな、術を封じられてるんだ」

「……え」

 メモリアの声に、魔王は自分の失敗に気づく。そんなことを言えば、このメモリアが心配しないはずがないから、うまく誘導しているつもりだったのに、と。

 実を言えば走ったのも、発動していた術が続けられなくなったためだ。あれで逃げ切れたのは、本来の根本が相当に遠かったからだろう。


「不思議か? 元々、罪人を捕らえるための術具だし、その程度の効果はあるだろう?」

「や、それは…そう、だけど…」

「あれに追われさえしなければ、術など必要もない。今は魔力を注いで、内部から崩壊させているところだな」

 そこで魔王が口を噤み、溜息を吐いた。かなり疲れているようだとメモリアが体勢を変えて、自分に寄りかかるようにして抱き直す。もちろん、茨には触らないように。


「…おまえが女じゃなくて、残念だよ」

「言ってろ」

 わざとらしい溜息と軽口を叩く程度には余裕があるかと、メモリアが安堵する。だが、すぐに顔を引き締めた。魔王の身体が、とても軽い。


「…なあ。なんで、こんなに軽いんだ? しかも、…透けてるよな、その身体」

 先ほど抱き起こした、あのときよりも確実に軽くなっていた。そして──姿勢を変えたことで見えた手は、向こう側が透けて見える。

 だから、問いかけた。この魔王は、何かを隠していると。


「魔力を使いすぎただけだ。この冠さえ取れれば、すぐにも戻る」

 目を閉じた魔王が応える。その応答は力なく、…まるで眠りにつく寸前の子供のようだ。


「…妖魔(わたし)の魔力は、魔素を変質させたものなんだ。普段なら、周囲の魔素を取り込んで練り上げるんだが……ちょっと今、魔素が枯渇しててな」

 枯渇の原因は、あの朝顔である。敷地内には入って来ないものの、周囲の魔素を根刮ぎに吸い上げて成長を続けている。自分たちと隔てるための壁も魔素を喰うから、実はこの辺り、普段でも魔素の密度が薄いのである。

 そんなことを教えながら、魔王は内心で首を傾げていた。どうしてそんなことを、告げているのか。この局面で…自分の意志で?


「…ちょっと、待てよ。魔素がないって…じゃあどこから──」

 自分の疑問に、まさかとメモリアが息を呑む。


「──妖魔(お前)の身体って、何で出来てるんだ?」

 メモリアの疑問に、魔王が溜息を吐く。どういう思考回路だ、と。


「理解が早いにも程があるな。──間をすっ飛ばすとしっぺ返し食らうぞ?」

「早くねえよ、それ以外何が考えられるってんだ。つか、そこは守ってくれよ、ご主人様?」

 他人事(ひとごと)のように忠告してくる魔王を怒鳴りつけたい。それがメモリアの本心であるが……目に見えて弱っている彼にそれは、躊躇われた。

 それを知ってから知らずか、魔王が改めて答えを告げる。魔力だよ、と。


「高密度の魔力を圧縮することで、実体化させてる。身体の作りは基本的に人間と同じだな。だから怪我もするし、痛みも感じる。違うのは、──首を切られた程度では死なないということくらいかな」

「怖いこと言ってんじゃねぇよ」

 まただ、と魔王は内心で舌を打つ。言うつもりはないのに、口にした。これはもう、──犯人はきっと、あれだろう。


「直で領地まで戻ってくるはずが、興図を連発したからな。まあ、使える魔力が少ないから、時間がかかっているだけだ。これで十分だ。…頭を預けられると、もう少し楽だけどな」

「強がるなよ。お前、消えかけてんだぞ!?」

 怒鳴る彼に、魔王が驚いたように目を開いた。そしてその顔から、余裕が抜け落ちる。身を縮めたその姿勢は、まるで怯える子供のようだ。

 ……それが、魔王の現状を物語っている。


「何だよ初代って、性格悪すぎるだろ!? 俺が好きで配下になるって言ってんのに、何でそれが罪人扱いなんだよ!?」

「触るな──!」

 憤りのままに茨をつかみ取ろうとしたメモリアを跳ね退けて、魔王が地に転がる。這い蹲るようにして、それでもメモリアを見上げて告げる。


「言ったはずだ…メモリアを保護する機能も持ってるんだ、何が起きるか。…それに、後少し、なんだ……」

 言った側から、また灰色になった茨が落ちる。あと、一重を残すのみ…けれど、メモリアは顔を歪める。


「…何かあるだろ、魔王さま」

 え、と魔王は彼を見る。唇を噛みしめたその顔は、──怒りに歪んでいた。


「答えろよ…どうすればいいんだ、何か方法があるんだろ!?」

 荒らげられた声は、怒りそのもの。ああ、と思い出す。そういえばこのメモリア、怒りが原動力になっていたな、と。


「…魔力を、私に」

 呟きながら、魔王は内心で首を傾げた。己は何を言おうとしているのか、と。妖皇の術に対抗するだけの魔力を他人に譲渡するなど、無謀が過ぎるのに。まして今、自分の身体の構成すら危ういという状況なのに。


「茨に触れるな。…私が変換するから、魔力を私に流せ」

 言うつもりのない一言だった。たぶん、盟約の発動だろうと見当はつく。だから、決めた。後でこのメモリア、…殴り飛ばさねばならないと。


「やらなくていい、分の悪い賭けだ」

 すんなりと、そんな言葉が吐き出せた。しかし今更…それはもう、強がりにしか聞こえないだろう。


「いいさ、別に。てか、本音はどっちだよ?」

 案の定、メモリアが笑う。けれどそれは、彼が理解出来ていないからだと、魔王は受け止めた。

 実感していない、という表現が正しいのかもしれない。消滅するというその意味をまだ、彼は理解していない。消滅の…その恐ろしさそのものを、きっと。


「最悪──二人とも消えるぞ」

 その言葉すらも、青年を押し止めるための方便に過ぎないだろうと誤解させてしまう程度に、青年の笑顔は変わらない。


「引きずり出しといて、俺だけ残そうって?」

「それは」

 否定しきれないのは、…そうなることが確実だからだろうか。だが、一人で残されてもきっと平気な顔で、世界を渡っていくだろうと、そんな予感もあるからこそ、残したいのに。


「…わかった。…手を貸してくれ」

 思いがけぬ言葉に、魔王自身が戸惑っていた。それを青年には悟らせない程度に、だが。

 まあこれも、誓約書が原因だろうと責任転嫁して…でも、とも思う。もしかしたら、理解した上でも…たぶん、自分は同じことを言うのではないか、と。

 言われるがまま、メモリアは魔王の手に己の手を重ねた。そこから確かに流れ出す何かを感じるけれど。


「遅いよな、これ…?」

「主従関係にあるとは言え、他人の魔力だからな。大量に取り込んでも馴染まないんだ。体内で循環させて、ようやく馴染む」

 それは仕方がないさと魔王は答え、目を閉じた。冷静に考えるなら、魔力の変換に集中しているのだろうとも思うけれど。


「…お前、何か隠してるな?」

 メモリアは唇を噛んだ。この期に及んで、シラを切る気かと。そして胸ぐらを掴もうとして。


「え…あ、れ…?」

 自分が落ちていくような錯覚に捕らわれた。


「おま…バカか、お前はっ」

 焦ったような魔王の声がずいぶんとはっきり聞こえるなと、その意味に気づかないまま、メモリアは意識を手放した。

メモリアくんがやってる指での操作、ピンチインです。気づきました?

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