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魔王が逃げて、何が悪い?  作者: 冬野ゆすら
第一章 魔王がそこから逃げるまで
17/64

1-16 奴らほど自由に生きるつもりはないが、まあ、この国に未練はないな

6/3 一部改稿。本筋に影響してました、ごめんなさい。

「駆け落ち? え? なんで、だれと? どこへ? 駆け落ちって、許されぬ中の男女が手を取り合う逃避行で、確かに男女といえばそうなる組み合わせだけど、許されぬも何も主と従者で、そもそもそんな恋仲とかそんな、…あり得ないってかなにこのまま女性体確定ってこと? え? でもおれそんな気まるきりないけど!?」

「おま…っ」

 ぶくく、とイーリスが吹き出した。もちろん、絶賛混乱中のアヴィが面白すぎて、である。しばらく笑って、めいっぱいに笑ったのか涙を吹いている。


「悪かった、駆け落ちは流石に冗談だ」

 くすくすと笑いながら、アヴィに告げる。もともと、旅に出る気はあったんだ、と。


「長居は無用だ、行くぞ」

 イーリスが彼に抱きつき、床を蹴る。刹那の間を置いて、アヴィはくらりと眩暈に襲われた。それも、一瞬ではなくて、まるで深い穴を落ちているかのようなーー


「って、ホントに落ちてるゥっ!?」

「慌てるな、大丈夫だから」

 とん、と足が地についた。ほっとする間もなく、またイーリスが地を蹴って、アヴィは再びの眩暈に襲われる。

 二度目に足を着いたのは砂漠で、吹き付ける砂に顔を庇った。

 三度目の地面は沼地。沈むことはなかったが、イーリスが蹴った水面の泥は遠慮なくアヴィを捕らえた。

 四度目に泉ーーその澄んだ水底へ。


「っボッボグァテっ、ボボレ…っ!?」

「誰がだ? 別に苦しくないだろう?」

 対してイーリスは、泡を吐き出すこともなく普通に答えた。にやにやと笑っているように見えるのは、光の加減だろうか。


「……」

 言われてみて、アヴィも気がついた。声の聞こえ方、身体の束縛に違和感はあるけれど、苦しいとかそういう感覚は全くない、ということに。

 しかし、口を開くと水が入ってくるので、喋ることは困難に思えた。


「仕方ないな、今だけだぞ?」

 その言葉で、彼らの周囲から水が引いた。まるでシャボン玉の中にいるような状態だ。見上げれば、明るいけれど何かが見えるということはない。


「ここって…?」

「森の中にある泉だよ。けっこう深いから、何も見えないだろ?」

 そう言ったイーリスに(いざな)われるまま、アヴィは歩みを合わせた。


「あは、これ面白いな」

「ああ…そうかもな」

 柔らかい何かを踏んでいる感触が、足裏にある。その感触も勿論だが、二人の動きに合わせて空気球は回っているらしく、周囲の景色は揺らめいて見えた。

 イーリスが淡泊なのは、とっくに慣れてしまったせいらしい。アヴィの脱線を制御しつつ、イーリスは目的地へと歩いていく。


「あのさ」

 ふと、アヴィが問いかけた。イーリスは視線だけで続きを促す。


「なんで、さっきみたいに移動しないんだ?」

「ン? いや、術中だぞ?」

「へ?」

 曰く、【妖精の迷い道】と名付けたそれは、特定の道程を辿ることでしか目的地に辿り着けない仕掛けであり、徒歩による移動も、移動時間まで考慮した罠の発動を避けるための手順の一つだと。


「試してみたが、私でも道程を間違えれば振り出しへ戻るからな。まあ、追っ手も来ないし、諦めて付き合ってくれ」

 いやまあ、とアヴィは唸る。転移酔いを考えるなら、徒歩の方が楽なので問題はない。聞いたのも、純粋に急がなくていいのかと気になったからに過ぎないし。

 そのままのんびり、水中散歩を楽しむ気分でアヴィは歩く。それに反して、イーリスは疲れが見えてきていた。

 急がなくていいのなら、少し休ませようか…アヴィがそんなことを考え始めたころ、足下の感触が変化した。


「…階段?」

「ああ、この上だ」

 石を積んだそれは、丁寧に作られた階段である。段数はないけれど、アヴィの頭よりは高いところまで続いているので、向こうを見ることは出来ない。


「行くぞ」

 そう、声が聞こえた。

 同時にパシャンと音がして、アヴィは頭から水を被る。


(って違っ!?)

 泡球が消えたのだと気づいたときには、イーリスに手を引かれて水中を泳いでいた。泡越しではない光景に、ふと気づく。ここに、生き物の気配がないことに。先ほどまでは、魚や水草が泳いでいたのに。 

 やがてイーリスが上昇を始めて、ほんの数秒後に、二人は水面に飛び出した。

 ザバァという水音が遅れて聞こえて、間違いなく水を抜けたのだとアヴィは気づいた。


「着いたぞ。…歩けるか?」

「ん、平気だけど…イーリス、休まなくていいのか?」

「ああ…いや、向こうに小屋があるから」

 先導するように歩き出した彼を追うと、数歩もいかぬうちに頭が軽くなった気がした。触れてみれば、ずぶ濡れだったはずの髪が乾いている。


「…ありがとう」

「濡れたままじゃ気持ち悪いだろう」

 人と違って風邪は引かないけどな、とイーリスは笑った。

 そうして歩いて、さほども行かないうちに小屋に着く。小屋といっても石造りで、立派なものに見えた。


「…何にもないのか」

「滅多に使わないからな。…悪い、少し寝る。起きたら、説明するから」

「あ、うん…て、え?」

 ころん、とイーリスが空中に寝転がった。…わけがなく、それは小屋に用意されていた吊床だった。

 毛布にくるまった彼の意識はすでにない。寝付きがいいのか、疲れているせいなのかは判断できなかったが、取り敢えずは寝かせて置くべきだろうと改めて周囲を見渡した。

 床は板敷きで、埃がたまっている様子はない。暖炉には灰と燃え滓らしき炭。火かき棒も刺してあった。小屋の中は寒くもないが、暖かくもない。


「便利だよな、妖魔って」

 影からすると、靴も脱いで寝間着になっているようだ。毛布にくるまっているが、これは最初からあったのだろうか。アヴィ自身も多少は疲れているし、吊床の寝心地は気になるところだが、…それ以上に気になることがあるので、隣室を確認する事にした。


(…まあ、気にならないのかもしれないけど、さ)

 奥の扉を開けて、覗き込む。まな板や包丁があるところを見ると、台所なのだろう。片隅に竈が設えられていて、そこに目当ての薪が積んであった。

 この小屋を何に使っているのかとか、これももしかして術で移転させたのだろうかとか、益体もないことが頭を過ぎるが、今はいい。

 何本かの薪を竈に組み上げて、どうやって火をつけようかと考えたら勝手に燃えた。ちょっとびびったが、まあ薪以外に延焼する気配はないので、大丈夫だろう。


「暇だ」

 大きめの薪が崩れた頃、アヴィは呟いた。

 イーリスは完全に眠っているし、暇つぶしの道具もない。部屋はいい感じに暖まっているし薬缶もあるが、水がない。水があったところで茶葉もないので、白湯しか作れないのだが…まさか水は、あの泉の水を使うのだろうか。しかし、…上層に魚がおらず、水草すらも生えていなかったことを考えると、飲用は躊躇われる。

 取り敢えず、とアヴィは小屋を出た。裏手に回ってもやはり、井戸はない。代わりに、薪は山と積まれていたし、干し肉らしきものも吊されていたが、手を出すのは勇気が必要だ。滅多に使わないと言っていたし、食べても問題はないのかとか、そもそも食用なのかとか、いろいろな疑問が勇気を阻む。


(蛮勇…って言葉もあるし。イーリスの好みもわかんないし…あれ? あいつ、何か食べてたっけ…て俺、いつ食べた? ってか食べたっけ? 食べたいとも思わないけど)

 イーリスに出された薔薇茶以降、飲み食いした記憶が全くない。というか、全くしていないのは、そういう身体だからなのかと、不思議に思いながら一周し、入り口に戻る。改めて見ると、立派な小屋だが…ドアノブがなかったりして、少々不用心だということに気がついた。滅多に使わないというのは、イーリス以外に使う誰かもいないということかもしれない。

 中に戻っても、まだイーリスは眠ったままだった。流石にほとんど時間は経っていないし、仕方ないだろう。暖炉の側に陣取る前に、吊床の毛布を確保して床に敷く。寒さ対策と言うより、直で寝ると身体が痛くなりそうだからだ。そうして目を閉じて。

 ふと気配を感じて目を開けると、イーリスがいた。


「吊床で寝ればよかったのに」

 イーリスの声で、意識が覚醒する。どれくらい時間が経ったのかはわからないが、ずいぶんと頭がすっきりしている気がした。彼もしっかり休んだということか、その表情は明るいようだ。


「あー…あれ、だめ。きっと落ちるし」

 落ちること自体は構わないが、イーリスが目を覚ますかも知れないと思うと試す気にはならなかった、というのが真相だ。…と、アヴィは考えた。それもまた、真実の側面である。


「で、どうするの? 駆け落ち開始?」

 少しだけ色気を含ませた…つもりらしき流し目で、イーリスに問いかける。

 せっかちだな、と少女が目を伏せた。


「…共寝でもして、夜明けを待とうかと思ったのに」

 肩に顎を乗せ、吐息と共に甘い囁きで彼をくすぐった。アヴィは勿論、硬直し。


「ご…っ」

「…ご?」

「ごめんなさいもうしません冗談ですさんざん笑われたから少し仕返ししたかったんですごめんなさい二度としませんゆるしてくださいごめんなさいほんっとにごめんなさいっもうしませんっ」

 ものすごい勢いで、土下座した。


(うわぁ…初手でこれか…)

 笑えなかった。笑ったせいでと言われたら自分が原因だから、まったく笑うわけには行かなかった。

 流し目が本気ではないと分かったから(というか、イーリスから見たら失敗している)、きっと面白い反応が返るだろうと思っての囁き返しだ。十中八九、泡を食って逃げ出すだろうと予測もしていた。一割くらいは、洒落た物言いで躱してくれるかと期待した。もちろん、極僅かに、そのまま何某(なにがし)かになだれ込む可能性もあったし、それでも別に問題はないと思う程度に、アヴィは気に入っている。

 しかし、土下座である。逃げ出さなかったことは褒めてもいいが、下手な相手なら、そこまで嫌われているのかと誤解し、悪循環に陥る流れである。

 しかも、亀の子のように縮こまり、硬直し、顔を上げようとすらしない土下座を見せられると、なにやら自分がとてつもない悪事を働いたような気がしてならない。

 取り敢えず、とイーリスは詫びの言葉を口にした。この土下座はやめさせよう。うん。


「悪かった、冗談だから」

 からかうネタが制限されるなと片隅で思いつつ、アヴィの襟を持って起きあがらせる。でっかい猫をつまみ上げた気分で、けっこう悪くない。


「…ほんとに?」

「ああ」

「もうやらない?」

「…心掛けよう」

「ダメだろそれ!?」

 視線を逸らしたイーリスに噛みつくが…全く意に介さない。イーリスの方が、役者としては遙かに上であった。


「…で?」

 諦めたのか信じたのか、溜息一つを吐いたアヴィが問いかける。イーリスは彼を放し、隣に腰を下ろしなおした。


「この国を出る。…宛はないが、な」

「…ないの?」

「あっても使えない。勇者にばれるだろうし。…ここもまあ、たぶんばれてるだろうが、あいつはここに入れないからな」

「入れないって…あ、【妖精の迷い道】か」

「それもあるが、人間自体が入れないようにしてあるから」

 それは主に勇者除けである。実はレディも人間扱いらしく、彼女もここには入れないし、道程も教えていない。


「あのさ。…ここって、なに?」

 アヴィの疑問に、イーリスは笑って、言葉を返した。


「階段から上、綺麗だっただろう。気づいたか?」

「綺麗…ってか、魚がいなかった」

 たぶんそのことだろうと見当をつけて、アヴィは答えた。それから、と思い出して。


「水草とかも、なかったよな?」

「そこまで見てたか。ああ、生えてないな。ここは昔、渾沌の海に繋がっていたそうだ。俺も、そのころのことは知らないけどな」

 それは、イーリスが先代妖皇から教えられたことだった。渾沌泉について、アヴィがすでに知っていると確認してから、話を続ける。


「渾沌泉は消えるし、不意に生まれる。…ここもそうやって消えたのだろうと、先代は言ってた。渾沌泉の話は、勇者に聞いたんだろう? そんなこと、言ってたか?」

「いや、聞いてない。なんか世界中にあるみたいなことは聞いたけど」

 だろうなとイーリスは頷く。このことは秘するようにと、先代に申し渡されている。おそらく、勇者は聞いてすらいないのだろう。誰にも言う気はないと言っていたし…その理由は聞かされていないから、何としても問いただしたいものだが。


「あれ? …じゃ、あの階段は?」

「さあ? 先代も、すでにあったと言ってたが…目印にちょうどいいから残したんだそうだ」

「へぇ…まあ、…たしかに目印にはなるけど…」

 先代とはどんな妖魔なんだろうと、ちょっとだけ興味が強まった。勇者の話を聞いたときから、どう聞いても規格外な気がしているから。


「さて、今話しておくことはこれくらいだな」

「いや待って、旅に出る理由、聞いてないから」

 本当にそのまま出かけそうな…それも散歩に出るかのごとく気軽な様子に、アヴィがつっこみを入れる。ああ、とイーリスは頷いたが。


「荷物、取ってくる。待ってろ」

 無意味だった。

 そしてほどなく、イーリスが空手で戻ってきたのだが、憮然とした表情である。


「どしたん?」

「ダメになってた。…時の流れからは切り離したつもりだったんだが」

「…いつ用意したって?」

「先代と契約する前だから、…百年じゃ足りないな。百三十年てとこか。放置はまずかったな」

 おそらくその間に術が効力を失うなどして、時の流れにさらされたのであろう。時折術をかけ直すなどしていれば、保ったのかもしれないがと、少々悔やんでいる雰囲気だ。


「…そんなに昔から、旅に出る予定だったんだ?」

「いや、もともと旅をしてたんだ。そのころに初代と知り合ってる。渾沌泉の話も初代から聞いたな」

 そこで言葉を切って、意味ありげにアヴィを見る。ああ、とアヴィは気づいた。


「もしかしてあれ? 渾沌泉に飛び込んで死にかけたってやつ」

「ああ。…私は引きずり込まれたけどな」

「…へ?」

 遠い目で何かを見ながら、イーリスは呟くように答えた。


「魔力吸収型なら、渾沌の海の魔素を利用出来るから、ってな。まあ、事実その通りで、私は渾沌の海を出入り出来るんだが…ほかの奴に出来ないのは何故だろうな?」

 それはたぶん、とアヴィは内心で思う。魔王筆頭と言われるような存在と、それ以外を比べることが間違っているのではないだろうか。


「最初はそんな感じで、呼び出されては付き合ってる感じだったな。それがいつの間にか国を作ってて、呆れたね。その当時はまあ、各国の情勢を知ってる限り伝えたりとか、頼まれて出向いたりとか…その程度だったな。旅費もくれたし」

 本来なら時刻に相応の官職として置くべき役目ではないだろうかと、アヴィの心の片隅を突っ込みどころが過ぎっていく。


「……あれ? なんで初代さんはイーリスの居場所がわかったんだ?」

「ああ、道具を持たされてたんだ。よほどの結界の中でなければ、声のやりとりくらいは出来る奴をな」

 元の道具はイーリスがおもしろ半分に購入したもので、作者は人間だ。必要魔力が多すぎて、せいぜいが工房と母屋程度でしか使えないという代物だったが、初代が妖魔の術をつぎ込んであっさりと改良して見せた。

 「いいよねえ、人間って。不自由だけど、自由なんだもん」──それが、道具を改良したときの感想だったと、まだ忘れられずにいる。


「先代に代替わりしたときに、正式に勧誘されたんだ。肩書きこそ筆頭外交官だったが…まあ使いっ走りだな」

 探求に付き合わされるのと外交もどきとどちらが楽かと言えば、圧倒的に後者であった。やっていたことは、他国へ出向いた際に情勢を調べることと、こちらの要求を伝えることくらいだから、イーリス的にはそれ以上のものではなかった。譲れないこと以外は適当に引いていいと言われていたが、まあ妖魔の皇帝に逆らおうという気概がある国は少なく、要求もあまり無茶なことは言わなかったから、何かあったという記憶はない。


「三代目に代替わりしたときに手は引いたが…まあ、先代との契約もあったし、今まで付き合ってきたが、潮時だ。もう少し、この世界のことを教えてからのつもりだったが、実地研修の方がわかりやすいだろう?」

 研修なんだ、とアヴィは苦笑した。座学も悪くはないが、旅をしながら学ぶというのは楽しそうだから、文句はないが。

 それに、とイーリスが付け加える。


「革命に巻き込まれたら、もう二度と抜け出せないからな」

「…革命?」

「ああ。──レディが皇位に就く」

「え」

 イーリスの言葉は予言ではなく、確信──それも、当たり前のことを言うかのような静かな口調だった。

 けれど、アヴィにはどうしても、レディが革命を起こす姿が想像出来ない。…妖皇として統治する姿であれば、まだ浮かばなくもないのだけれど。


「…ああ、無血革命だよ。当代に譲位を宣言させて、その座に就くだけだ。ああ見えて、茶会(サロン)も開くし、そこそこのやり手だよ、レディは」

「いや、でも…妖皇ってそんな簡単に譲位できるの?」

「当代の意志一つだな。先代は本来、レディに継がせるつもりだったから、俺が教育係だったくらいだし」

「──は!?」

 本気で驚いたらしいアヴィに、イーリスは笑みを深くする。


「それが勧誘された内容だよ。人間の国みたいなのは無理だろうけど、この国なら十分やってける程度には育てた。そこから上に行ったかどうかは、レディ次第だな。…もう、お守りの必要はないさ。…百年、経ったんだ」

 それは、イーリスが先代妖皇と交わした契約だった。


『期限は切るよ。…そうだね、百年にしようか。彼女のことを知る人間は、それで一人もいなくなる。何か起きるなら、そのときだから。それまでには彼女に皇位を譲っておきたいね』


 このまま…妖魔だけで皇位を継いでいては、確実に隣国と隔たりが生まれる。それが凶と出る前に、まだ誰も皇位を継ぎたいと思わない今のうちに、前例を作ってしまえという腹積もりだったのだろう。

 どんなふうにとは言われなかった。だから彼女が来た当初は、自分の館へ招いたり、招かれたりで家庭教師のようなこともした。この国のこと、妖魔のこと…術の使い方も、可能な限り、教えておいた。三代目妖皇の命令で筆頭を彼女に譲ったけれど、指輪の力を制御出来たのはそのためだと自負している。


「誰か一人でも味方にしておけば、っていうつもりだったんだろうけど。…もう、期限は切れたんだ、ずいぶん前に」

 先代自身はほとんど関わろうとしなかった。イーリスにレディを押しつけた代わりに外交を担っていたし、隣国との折衝に忙しかったのもあるが、時折様子を見ては土産を渡したり、護衛に勇者を付けると言ってきたり、なんというか、すばらしく自由なことしかしていなかった。


「奴らほど自由に生きるつもりはないが、まあ、この国に未練はないな」

 先代妖皇は、ある日突然、三代目に皇位を譲り、姿を消した。食客である勇者すらも慌てていたから、完全に独断だったのだろう。結局はそのまま、見つかっていないが…さて、今頃何処でどうしているのやら。もしかしたら、旅路の途中で行き逢うかもしれない。そうしたら、どんな顔をして、どんな会話を交わすのだろう。


「いや、けっこう自由な生き方だよな、それ?」

 無血革命に巻き込まれる。ということはつまり、当事者であるということだ。教育係だったということなら、参謀として頭数に入っているかも知れない。それを何も言わずに放り出そうと言うのだから、自由と言わずして何と言おう?


「…なあ、もしもレディが追いかけてきたらどうする?」

「来ないさ。…あれが理解出来ないほど、莫迦じゃない」

「あれって……え、扇!? ちょ、それって俺も共犯てこと!?」

「共犯て…お前、一人で残るつもりか?」

 出来なくはないけど、とイーリスは寂しげな笑顔を浮かべる。むろん、わざと…なのだが。


「え、や、いや、そんな…ついてくけど、そうじゃなくて、だから、えっとーっ」

 予想通り、あっさり引っかかるアヴィである。

 これは違う意味でも、放置は出来ないなとイーリスは内心で頭を抱えた。そしてこっそり、指輪に視線を投げる。濁りは取れているようだが、まだ色は浅い。あの性格だから、とっとと現着させてアヴィの護衛にするべきだなと心に決める。幸い、彼もアヴィが気に入っているようだし。


「アーヴェント」

 混乱は叩き潰すに限ると、イーリスは声をかける。本名でなくても、別に問題はないのだろうが…まあ、ケジメである。

 初代は、自分を引きずり込んだ。曰く、『面白いもの、見せてあげる』と。

 先代は、自分を誘った。曰く、『世界を変えるのって、面白いと思わない?』と。

 今代には何も言われていないが、ずるずると居着いてしまった。

 そろそろ、この泥のようなぬるま湯から、抜け出してもいい頃だ。


「来い。世界を見せてやる」

 だから、その道連れに彼を選ぶ。彼らが自分を見い出したように。

 アーヴェントは笑って、差し出した手を取った。


「我が魔王の仰せのままに」

先代とか初代の視点で書くのも面白そうだなー

そして後1話です、おつきあいください。

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