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魔王が逃げて、何が悪い?  作者: 冬野ゆすら
第一章 魔王がそこから逃げるまで
16/64

1-15 …気づいたのですか、あれに

「ところでさ、歴史の勉強は面白かったけど」

 言いながら、アヴィは勇者を見た。


「今、フェネクスの気配が消えたんだけど、何が起きてる?」

「気配? 妖皇宮って結界だらけだから、そりゃわからなくなると思うが?」

 平然と、勇者が答える。それを疑う気はないが、その上での問いかけであったから、アヴィは一歩、彼から離れた。

 勇者は泰然と構えていて、動く様子はない。


「俺さ、確かにこの世界のこと、何も知らないんだよ。けどまあ、面白そうだなとは思うんだ」

 イーリスの言うような暮らしを続けたら、きっと何時かは飽きてしまう。でもそれはあくまで、その生活に飽きるだけだ。フェネクスといることに飽きるとは思えない。まだ、出会ってほんの数日のはずなのに、それだけは確信している。


「元筆頭だとか、現筆頭だとか、いろいろあるんだろうなってのは、わからなくもないんだ。あいつも清廉潔白ってわけじゃないだろうから、利用したりされたり、それももちろんあるだろうなってのも、なんでか分かる」

 けどさ、とアヴィは言葉を切り、扉の方へと移動する。勇者はそれを追うこともなく、引き留めようともしない。


「今回のことは承知してないよな」

 手をかけた扉には、結界が張られている。侵入者へ向けての結界ではなくて、内部の者を外へ出さないために。


「承知の上さ。だから、お前を部屋から出さないように結界張ってるだろ」

「…どうかな」

 アヴィはただ、扉に手をかけた。虹色の光が一瞬だけ走るが、それ以上の何事もなく、扉が開く。


「…え!?」

 勇者の驚愕に、アヴィは笑う。人懐っこさが嘘のような、冷たい瞳で。


「ウソついたら針千本のーます」

 場違いに明るく幼い声で、アヴィが謡い、そのまま一歩を踏み出した。もちろん、それの本来の意味が、勇者に分かるはずはないと踏んで。


「ちょ…、待てって! フェネクスならとっくに気づいて協力してるはずだからっ」

「してないってば。…なに、俺を出さないようにするのって免罪符? それとも、計画が壊れるから?」

 どちらにしても、とアヴィはそのまま外へと踏み出す。その肩を掴もうとした勇者は結界に弾かれて、驚いたようにその手を見た。


「けっこう反動きついね。フェネクスさま、かなり怒ってるみたいだけど、これでも承知の上だって言い張るかい?」

 勇者には、鞭で叩かれたかのような、一本の赤い線がその手のひらから肩に掛けて走っている。衣服が焦げたように見えるのは、それが自前の…本物だからだろう。

 そこまでされて、でもまだ気づいていないようだったから、最後に一つ、教えて置くことにした。


「さっきまではさ、この結界、ほんとに俺を守るための結界だったらしいよ?」

 イーリスの気配が消えたのと同時に結界が変化したからこそ、勇者に問いかけた。そこで教えてくれればまだ、ほかの道もあったのに。

 彼が今、気づいていないという事は、勇者を捕らえるための結界なのだろう。そこまで仕掛けてあった以上、この事態も読んでいるはずだ。


「ほんとのこと、教えてくれれば協力もしたんだけどな」

 そう言い捨てて、後ろ手に扉を閉める。鍵が掛けられたらいいのだが、あいにくとまだ、そういう魔力の使い方は飲み込めていない。まあ仕方ないかと顔を上げて、…息を飲んだ。


「鍵は、私がかけましょう」

 知らない青年が、そこにいた。アヴィを退かせて、扉が動かないように固定したようだ。


「あ、…の…?」

 どこかで見たような顔立ちで、その瞳は深い朱色。身長はアヴィよりも高く、おそらく本来のイーリスと同じくらいだろう。流れるような黒髪は、黒に近い赤だろうか。


「私のことは、後であの方に聞いてください。…居場所、わかりますか?」

「え…、あ、いや…」

 そうですか、と青年が頷く。責めるわけでもないその態度は、不思議だった。


「あの部屋にいてはならないと、そう気づいただけで上々です。ーー案内しますよ、あの方の元へ」

 アヴィの手を取り、青年が駆け出した。幾つかの階段を下り、渡り廊下を抜けて走る間も、その足取りに不安はなかった。

 おかしいということに気づいたのは、青年が鏡の前で足を止めたときだ。


「ここ、…宮殿なんだよな?」

「ええ、妖皇宮ですよ。広かったでしょう」

「滅茶苦茶広い。けど、誰もいなかったよな?」

 かなりの距離を移動したはずだ。けれど、誰一人出会わなかった。まるで、彼らのほかに人がいないかのように。


「そういう位置取りで来ましたからね。時間がないのは分かっていましたし」

「時間?」

 それは急いだほうがいいとか、そういう意味には聞こえなかった。


「ええ。間に合いましたけど…もう、時間切れです」

 残念そうに、青年が自分の手を見ながら呟いた。


「ッ!?」

 その手が透けて見えることに、アヴィが気づいた。ほぼ同時、青年が鏡へと床を蹴る。

 アヴィの手を握ったままで。


「っておい、待てーっ!?」

 鏡にぶつかり、青年が消えていく。まるで何かが分解されるかのように。

 彼を引き抜こうにも足が宙に浮いていて、踏ん張れない。ならば鏡にぶつかるときに、と気合いを入れたのに。


「うわっ!?」

 鏡などなかったかのように、アヴィは蹈鞴を踏んだ。それをからかうかのように、指輪が少し、熱かった。

 

「アヴィ!?」

 フェネクスの声がして、顔を上げる。大量の勇者と、その向こうにフェネクスがいる。


「何それ、気持ち悪いよ!?」

「妖皇が用意した傀儡ですよ。…ああ、一つ、行きましたよ」

 なにが、と聞き返す必要はなく、何処か不自然な勇者にアヴィが対峙する。その動きは滑らかではあるが、気持ち悪い。


「どうするの、これ!?」

「ただの人形ですから、壊して構いませんよ」

「に…っ」

 無表情で迫る勇者、しかも気持ち悪い。何よりその瞳は、赤一色で。


「ーー燃え尽きろ」

 消えてしまった青年を思い出し、しかし似ても似つかぬ気持ち悪さに重ねてしまったことを後悔した瞬間に、吐き出していた。

 青い炎が人形を包み込み、一瞬にして真っ白な灰と化す。足を着いていた辺りは焦げたが、それ以外に飛び火はしていない。


「燃やしましたか。…何か意味が?」

「や、別に…二度と見たくないなって…」

「…そうですね。私としても、同じ意見です」

 手にした扇で人形たちを払いながら、イーリスが応じた。かなり乱雑に襲いかかっているが、背後からの攻撃でさえも軽く交わし、同士討ちをさせるなど、どう見ても人形たちに勝ち目はなさそうだ。


「えっとー、フェネクス様、遊んでる?」

「まさか。復活してくるのが面倒なだけですよ」

 なに、とアヴィは足下を見た。しかし、そこにある灰に復活の兆しらしきものはない。


「…なに、これ? 欠片?」

 その中に埋もれていた金属製の何かを、アヴィは拾い上げた。自然塊というより、人工物の欠片のようだ。


「欠片、ですか?」

 ぺしぺしと勇者人形を払いながら、イーリスがアヴィに並んだ。アヴィは手の中の欠片を渡し、イーリスの姿に感心する。

 いくら戦闘力に差があっても、ドレス姿で平然とやり合うし、破れたりもしていないというのは、純粋にすごいと思う。


「…ああ、そういう仕組みですか。燃やせばよかったのですね」

 では、とイーリスが微笑み、扇を開く。水平に構えて一閃ーー自分たちを囲みつつあった勇者擬(ゆうしゃもどき)を、青い炎に襲わせる。


「…悲鳴とか、上げないんだ」

「痛覚はないみたいですよ。所栓は人形です」

 結界でも張ったのか、一定の距離よりこちらには近づいてこない。それでも闇雲にではなく、一点突破を狙っているらしき動きで不気味であった。

 それでも一体が崩れてしまえば、後は連鎖したかのように次々と崩れて灰になっていく。


「…早いですね。何ですか、この炎?」

「へ?」

 燃え滓すらも灰にする勢いで、青い炎は燃え続けている。しかし、それはイーリスが生み出した炎のはずで?


「青い炎など、初めて見ました。これ、たぶん貴方の術に釣られたのだと思いますよ?」

「…『炎は温度によって色を変える。』」

 なぜだろうと思い起こす必要もなく、ただそれが口をついて零れ出た。


「…『青い炎の温度は千五百度から千八百度。千五百度を超えると鉄が、千八百度ともなると白金が溶ける温度となる』…」

「…白金をも溶かす、ですか。それでこその…結果ですね」

 積み重なっていく躯は真っ白な灰になっていた。これ以上の利用が出来ない、末期の状態だ。

 流石にこの状態からは復活しないらしく、もうどの人形も、ぴくりともしない。


「…あれ?」

 ふと足下に目をやったアヴィが、疑問を漏らす。


「なんか変だけど…この部屋、なに?」

「え?」

 イーリスがアヴィを見た。しばしの間を置いて、逆に問いかける。


「ここは、無限回廊に仕立てられた異空間ですよ。…ここへ来ておきながら、気づいてなかったのですか?」

 呆れたと言うより、驚いたという風情でアヴィに答えたイーリスだったが、故に疑問が浮かび上がる。いったい、どうやってここへたどり着いたのかと。


「辿りついたというか、連れてきて貰った…みたいな?」

「誰に?」

「名前は知らない、あの方に聞いてくださいって言われた。赤い髪に赤い瞳の…すごく、綺麗な赤だった」

 彼が少しだけ目を見開いたのは、もちろん心当たりがあるからだ。そしてアヴィもそれを見逃したりはしない。


「その人形と違って、すごくきれいな…夕焼けみたいな色。わかる?」

「…ええ、わかりますよ」

「その人今さ、…ここにいる? 指輪の精霊とか?」

 アヴィが示したのは、今朝方イーリスが寄越した指輪である。鮮やかな赤だったはずの石が、どこか濁って見えるけれど。


「精霊ではありませんよ。…少し、保護が必要な妖魔です。…まったく、相当な無理をしてますね」

 労うように指輪に触れて、イーリスが微笑んだ。渡したときは深く澄んだ赤だったのに、今はずいぶんと淡い色になっている。無理をした証拠であった。


「消えてないよな? …俺、何も出来なくて」

 鏡に飛び込むあの瞬間まで、彼が消えかけていることに気づかなかった。その手を見れば、一目瞭然だったはずなのに。


「ええ、大丈夫。そのための石ですからね」

 イーリスは笑って見せた。幾らアヴィの魔力が規格外の量とはいえ、たかが半日で存在を固着できるはずはない。それでも表に出て手を貸したのは、彼が気に入ったということだろう。

 勇者たちに存在を隠して置きたかったということもあり詳細は言わずにいたが、まさか自力で姿を現すとは思わなかったと、その笑みを苦笑に変える。


「あ、勇者には気づかれてないと思う。部屋、出てからだし…鍵、掛けて貰ったけど」

「あら、器用な子ですね。そう言えばアヴィ、どうして部屋を出たんです? どうやって貴方を呼び出そうか、思案していましたのに」

 レディの制約のせいで、傀儡をはり倒すことは出来ても倒しきれず、本来の魔力もろくに出せず、しかも転移させられたせいで出口もなく、実は八方ふさがりだったのである。


「結界が変わったから、何かあったなって」

「…気づいたのですか、あれに」

 何でもないことのように答えるアヴィに、呆れたかのようにイーリスが息を吐く。

 八方塞がりとは言え、契約の主従であるから呼びかけることは出来なくもなかった。けれどそれを思い出すよりも先に勇者への怒りが積もり、結界の仕様がそれに反応してしまった。むろんすぐに気づいたし、それ自体を後悔する事はなかったが、無限回廊に魔力を抜かれるし傀儡の数は多いしで、手詰まり感に苛まれていたところへの登場であったのだ。


「勇者は、何か?」

「フェネクスも承知の上だってさ。…結界の質が変わったことにも気づいてなかったから、放置してきたけど」

「…気づきませんでしたか。…そう、ですか」

 何かを吹っ切ったような微笑でイーリスは顔を上げた。


「潮時ですね」

 扇を広げ、一度だけ大きく仰ぐ。傀儡たちの灰に向かって。

 灰が舞い上がり、奥へと追いやられていく中で幾つか、残るものがある。


「…あ、さっきの?」

「ええ。この無限回廊の鍵ですね。…灰まみれになりますよ?」

 それを拾いに行こうとしたアヴィを制し、引き留める。閉じられた扇の動きに合わせて、欠片が浮き上がり、一つに集まる。


「逃げましょう」

「ん。…あのさ、さっきから気になってたんだけど…あの辺は?」

 傀儡と違って燃やされることはなかったが、倒れ伏す仕女たちが視界の片隅に入っていた。意識はないようだったし、彼が気づいていないはずもないので放置していたが…このままここへ放り出していくというのは、少々気が咎めるところである。

 どうみても、相手になりそうにないし。


「ああ、…そうですねぇ…自分たちがしたことを反省させるには、放置したいところですが…」

 イーリスとしては、この無限回廊を閉じずに置いて彼らを放棄しようとかと考えた。本来なら、対象者がいなくなれば出入りは可能になるし、魔力が尽きれば本来の場所に戻るだけで、不都合はないのだ。しかし、発動したときの経緯からして、無限回廊に使い潰される確率は高い。とすること、放置する=見殺しということであり、雑魚にも等しい…つまり、敵ですらないものを見殺しにするということで、それは少々、後味が悪い。


「レディに引き取って貰いましょう」

 扇を彼らに向けて、一気に振る。まるで見えない布に襲われたかのように、四人が乱雑にまとめられた。


「…地引き網?」

「ああ、そんな感じですね。…さて、では行きましょうか」

 イーリスの目の前には、鍵が浮かんでいた。


「…これ、さっきの?」

「ええ。傀儡のどれかが鍵持ちだと思っていましたが…まさか、こういう仕組みとは思いませんでしたね。復元に失敗したら、どうするつもりだったのやら」

 その鍵は、アヴィの出てきた鏡へと差し込まれた。吸い込まれているのか、それとも魔力に分解されているのか、鍵は鏡面を境に消えていく。

 ぶるん、とーー鏡の表面が波打ったように、アヴィには見えた。

 イーリスに手を引かれるまま、それを潜りーーそこは、入ったときと同じ廊下の行き辺りだと気づいた。


「あら…ここに出たのですか。東棟…道理でレディからの援護がないはずですね」

 見えない網にまとめられた面々を引きずり出して、放置。これ以上は手をかける必要もないだろう。


「うわ…また来たよ、傀儡(あれ)

「まったく…面倒ですね。アヴィ、任せていいですか?」

「ほいっと」

 指先で狙いを付けて、放つ。青い炎が傀儡に巻き付き、しかしその足は止まらない。


「あわっ!?」

「なにやってるんですか!?」

 イーリスの扇一閃、結界の中へ閉じこめて難を逃れた。…走ってきた軌跡が分かるのは、たぶん床が焦げたせいだろう。


「まったく…こちらはただの建物ですよ?」

 火事になるところでしたよと、手にした扇でポンと(はた)く。軸はなかなか堅い素材で出来ているらしく、けっこう痛い。


「あのさ、さっきから気になってたんだけど…その扇、なに?」

「これですか? レディからの借り物ですよ。舞踏会の間は持ち歩くようにと」

「自分で造ったんじゃないんだ?」

 その言葉に、イーリスは動きを止めた。そして扇を思い切り放り投げる…仕草をするが、実際には、すぐ近くにポトリと落ちた。


「えっと…何を」

「…これでしたか。アヴィ、壊せますか?」

「へ? いいの?」

「構いません。呪いの道具など、壊すに限ります」

「おう…」

 そういうことかと納得し、落ちた扇を見る。粉々に砕くか、燃やすかと逡巡するが。


「粉々に砕いた上で燃やしなさい。あの、青い炎で」

「ーー承りました」

 畏まって答えたのが彼の命令を受理したためか、それともなんとなくそうしただけなのかは分からない。けれど答えと同時に扇は砕け、青く透ける炎にその残骸が炙られた。

 扇が抵抗したかのように炎は消えかけたが、そのたびにアヴィが燃やしなおすものだから、耐えられるものではなかったのだろう。やがて一握りの灰を残して消え去った。


「…ああ、解けたな」

 その声にイーリスを見れば、姿こそ女性のままだったが…ずいぶんとさっぱりした雰囲気で、旅装に身を包んでいた。


「え? なに、どこか行くの?」

 きょとんとして、アヴィが問いかければ。


「駆け落ちってとこかな?」

 片目を瞑り、笑って見せて。


「逃げるんだよ、この国からな。もちろん、おまえも来るだろう?」

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