1-12 人質なんて立場、とっくに崩壊してんだけどねぇ…
勇者はレディの命令で、フェネクスの部屋にいた。もっとも、本人はレディの部屋で仮縫いの合わせをしていて不在である。この部屋にいるのは、彼の従者と勇者の二人、それに加えて衣装作家の妹君である。
窓の外を見ていた勇者が、ふとぼやく。
「人質なんて立場、とっくに崩壊してんだけどねぇ…」
「…ヒトジヂ?」
「……」
意識せずにこぼれ落ちた声は存外と大きかったらしく、アヴィが困惑気味に彼を見て、妹嬢はその向こう側からきつい視線を向けてきた。
「ああ、昔…ちょっとな」
アヴィはなかなか察しがよく、それ以上は突っ込んで来ない。話しても問題のないことではあるが、まあ今は止めておくべきだろうと思う。何しろ、妹嬢はすごい目で睨んでいるのだから。
ただの事実なのにと苦笑する。それも、歴史の教本に乗ってもおかしくないほどの政治取引だ。知って置いて損はない…いや、知っておくべきだとさえ思うのだけれど、そう思わない輩もいて、彼女たちはその筆頭に近いだろう。
機嫌を損ねてもいいことはないので、とりあえず話を変えることにした。
「…しかし、他人がそれ着てるの見ると、笑えるなー」
「いや、自分でもけっこうびっくりなんだけど」
アヴィが着せられたのは、昨日見た通りの意匠で創られた正装…の雛形のようなもの、である。
なんでも、こう言った正装を仕立てる際は、形や動いたときのずれを確認するために、適当な生地でそっくりのものを創るらしい。むろん、細かいレースなどは省かれているのだが。
縫い合わせは仮縫い糸なので切れやすく、着るときも動くときも、あまり派手な動きはできないので、言われるままに腕を伸ばし、身体を曲げ、筋肉痛になりそうないろいろな動きを言われるままに再現し、その都度ひっかかりを解消するために解き、縫い直し、着直して、を繰り返している。
「これってさ、フェネクス…さまもやってるのかな?」
「ええ、妹が言っておりますわ。ただ女性物ですから、ここまで時間がかかるものではないのですが」
「え、そうなの?」
はい、と姉作家嬢は答えた。
理由は簡単で、女性ものにズボンはないし、袖がないからその分も不要。まあ総じてデザインの違いが原因である。ただし、身体の線が出る分、必要部分の縫い直しはけっこう、時間がかかるらしい。
「では、これで仮縫いは完了でございます。明日、出来上がりのものをお持ちしますので、何か問題があればそのときに伺いますね」
意外と早かったな、というのが勇者の感想だった。自分が初めて作ったときは、もっと手間がかかったような気がするのだが。
「時間がございませんからね。では、失礼いたします」
後片付けも非常に手早く、非礼にならない程度に丁寧な挨拶だけで去っていくその姿は、…何かに追い立てられているようにも見えた。
「…昨日はさ。あんなに急いでなかったよな?」
「だな」
自分と同じ感想を持ったアヴィに頷き、勇者は笑った。我が意を得たり…そんな笑顔だ。
「まあ、現筆頭と元筆頭だ、特に何が起きるってこともないとは思うけど。取り合えずまあ、二人が来るまで少し、勉強でもするか?」
「――勉強? ってか待て、何か起きるのか?」
「平気平気」
訝しげなアヴィを強引に座らせて、自分の荷物から地図を出す。机に広げたそれは、虫食いこそないが、ずいぶんと黄ばんでいた。
「なんか、ずいぶん古そうだな?」
「ああ、これは初代妖皇がつくった奴だからな。国家樹立を宣言しようにも、地図がなきゃ国境がわからないからって各国に送りつけたそうだ」
「…何か、起きるよな?」
「一部の国が騒いだらしい。ただなあ、この辺りって元々、魔物の棲処なんだよな。国境を認めるならそれを外へ出さないようにするってことで、話を付けたそうだ」
ああ、と納得は出来た。好んで魔物を狩りに行く者はいるだろうが、大多数の人間はそんなものに関わりたいと思わない。隣国が妖魔の国と言うことは恐ろしいかもしれないが、フェネクスに見せられた地図には隣国との境界には砂漠地帯があったし、敢えてそんなところへ足を踏み入れる理由もない。であるなら、約束が守られる限り人間に不利益はない。
「まあ、攻めてきたところで返り討ちだろうけどな」
「あー…妖皇だもんな」
「そういうこと。で、こっちが最新版の地図。つっても、俺が描いたんだが。ここ、砂漠の端から森全域がエレーミア皇国、この国な。俺らがいるのは…まあ、この辺り」
今度の地図は少々細かく、また用紙自体もけっこうな大きさだった。しかも各地の特産品や気候なども簡単に記載されていて、用途が違うのは明らかだ。
「あれ、さっきのと…国境が違うよな?」
「ああ、隣国から砂漠を緩衝地帯にって申し出があって、了承したそうだ。兵士の訓練に使うんだとか」
「了承したのか、それ…」
豪気である。普通に考えて、それは侵略の前条件だと受け取って何も不思議はない申し出なのに。
あはは、と勇者は空笑いする。そうだよなあ、普通はそう思うよなあ、と。
「さすがに砂漠全域じゃないさ。森には立ち入らないってことになってるし、結界もきっちり打ち立てたみたいだし。交換条件で、貿易と職人を要求してるから、まあ悪い取引じゃなかったんだろ」
「職人?」
「おう。この妖皇宮、人間がつくったんだぞ?」
え、と周囲を見渡した。…が、ここはフェネクスの部屋である。この屋敷の様子など、ほんの少し勇者の部屋へ移動したときくらいしか、見ていない。それに、ほかの…人間の宮殿など見たこともないから、比較対照は出来なかった。
「妖魔ってさ、複製とか発展させるのは得意だけど、ゼロから創るってのは苦手なんだそうだ」
そう言えば、とアヴィは思い出す。フェネクスはクッションの複製を造っていたし、彼自身も複製…失敗したが、造ったのは複製だ。
試しにと、昨日のクッションを思い出して造ろうとする。…が。
「うわ、歪んだ」
「だろ? 実物がないと、なんか変なんだってさ。まあ宮殿なんてどうでもよかったらしいけど、一応は国としての体裁を整えて、あと、一人で生きられないような妖魔を保護するのにも都合がよかったんだとか」
「…初代さまって、けっこうお人好し?」
「だよな、やっぱり。どう聞いてもそうだよな」
うんうんと勇者は頷く。まあ実際、妖魔も人も自我がある存在だ。当然、性格にも個性が出る。中には誰とも関わらない妖魔とか、とてつもなく人なつっこい妖魔とか、そういう者もいるらしい。
「まあ、最初はあれだ、森の中で、妙に魔力の回復が早い処があるなって感じで、住み着いただけだそうだ」
「へ? …それって、初代の妖皇がってこと?」
「おう。学者肌だったらしくて、調査資料を保管する小屋を造ったりとか、雨風しのげるようにとか、住み心地をよくしていくうちに住み着く妖魔が増えて、それを狙う人間が鬱陶しくなって、建国を宣言したんだとか」
なにやら人間の集落が広がる手順を聞かされた心持ちである。魔力のあるなしなど、営みに影響するものではないということだろうか。
「…人間て、馬鹿しかいないのか? あんなの、歯が立つと思えないんだけど…」
む、と勇者はアヴィを見た。当たり前だと言い掛けて、彼が誤解した理由に気づく。
「あー…そか、おまえ自身が魔王級だもんなぁ。フェネクスと、レディと俺と妖皇と…あと、ちびっこいのしか見てないもんな。そりゃ思うよなー」
指折り数えて考えてみれば、世界中でも数十人しかいない魔王か、その上と。そして妖魔に含まれないちびっこいの…魔魅しか見ていない。妖精と魔物の間に位置するようなあれは、魔力で言えば人間よりも下なので、比較対照にすらならない存在だ。
そんなのに囲まれていれば、それはまあ、誤解もするだろう。
「はっきり言って、お前等規格外な。妖魔もさ、個体差はあるんだよ。あと、全部が全部、人型ってわけじゃない」
「え、違うの?」
「初代に言わせると、擬態だそうだ」
「ギタイ?」
鸚鵡返しに呟いて、アヴィは首を傾げた。
擬態とは、外敵に襲われないように、姿を偽ることのはず。生まれながらに術が使える妖魔に、なぜその必要があるのかと、勇者に問いかける。
「だから、個体差があるんだよ。現界してすぐに自由自在に術が使えるとか、それごく一部な。普通は近場の生命体に近い姿になって、自我が確定するまではけっこう時間がかかるんだ。自我が確定するまでに捕らえられれば、後は…まあ、わかるよな。手段は穏便な方法から極悪な方法までいろいろだけどさ」
だから、初代妖皇は周囲に住み着く妖魔を排除しなかったということだった。保護まではいかないが、捕らわれることがないように無法者を追い払ったり、時には見せしめとして掲げたりして、近づかないようにしていたらしい。
「掲げるって…?」
「ん? ああ、烏を追い払う方法らしい。…人間には、ほとんど効果がないけどな」
うわぁ、とアヴィが身震いする。それはたぶん、人間に対しては、逆に作用するのではないだろうか。
「おう、正解だ。まあ、そのころはここら一帯、樹海だったらしくてな。軍隊を送り込むなら森を切り払うしかないし、そんなことやってたら気づいて返り討ちに出来るしで、けっこう放置していたらしいけどな」
だが、ある日気が付いたら、森の入り口が消えて砂漠と化していた。そこでぶち切れて、妖魔皇国の樹立を宣言した、と。少なくとも初代はそう言っていたと、勇者は笑った。
まあそれが、お気に入りの果実を付ける木々が伐採されていたことがきっかけだと聞いてはいるのだが、取りあえずは黙って置いてやろうと何も言わないことにする。
で
「で、その初代が住み着いた場所ってのが、実は今、フェネクスの屋敷があったりするんだけどな?」
「……は? ここじゃないの!? 人間が造ったって言ったよな!?」
はっはっは、と勇者は笑う。かなり疲れた様子で。
「だから奴らは規格外なんだよ。ここは先代が移築……うん、移築したんだよ、土台から何から全部な」
それは移築と言うのかと突っ込みたくなるだろうが、勇者が悩んだのもそういう意味である。そっくりそのまま持ってきたということらしい。
「…規格外って、そんなにすごいのかよ」
「まあ流石に単独じゃ無理ってんで、フェネクスも手伝ってるけどな。ご褒美に跡地を貰って、そこに屋敷を造ったんだよ」
「ああ…そーゆー……」
褒美と言うことはわかったが、そんなものを差し出してまで移築する理由が、アヴィにはわからない。今までの話にあったのは…。
「…なあ、…魔力の回復が早い理由ってのは、結局わかったのか?」
「お、そこに気づいたか」
「いや、それしかないだろ、今の話じゃ」
馬鹿にするかとアヴィは膨れっ面で応えた。話運びはずいぶんと上手いが、どう考えてもその疑問にたどり着くように誘導されているとしか思えない、と。
「変な泉だったんだってさ」
「変?」
「そう、すごく変な泉。魔力そのものが水になった、みたいな。その水は飲めないし、魔力を取り込むことも出来ないのに、何でか消耗した魔力の回復は早いって感じだったらしい。笑えるぞ、その泉に潜ったら自我が怪しくなったってんだから」
「へ? …潜ったの、そんな変なのに?」
「おう。懲りずに何度もな」
「はぁっ!?」
うんうんと勇者が満足げに頷く。それはまったく期待した通りの言動で、ついでに言うとこの話を聞いたときの自身の反応とそっくりだった。その話を聞かせてくれた先代も、「そうだよねぇ。僕もそう思ったもん」などと笑っていたし、やはり初代の規格外っぷりは、個性を越えているのだと認識は深まった。
「…ン? …自我が怪しくなる…?」
「おう」
アヴィが思い出したのは、自分が目覚めたときのことだ。
『全てが還る原初の海に…自我は溶け消える』
あの一言がなければ、自我は確立することなく消えただろう。つまり、は。
「…原初の海に繋がる泉ってことか」
「正解だ。初代はあれを”渾沌泉”と名付けてたよ」
そういって、勇者はまた別の地図を広げた。先ほどのような国ごとの情報はなく、ただ国境と地形だけの簡易な地図である。そしてこちらは、今までの地図に載っていなかった印がいくつも描かれていた。
「これ、先代妖皇の依頼で俺が調べたんだ。俺が食客になる前のことだけどな」
え、と勇者を見る。彼が依頼を受けたという事もだが、それを依頼したのが初代ではなく、先代だということが疑問に思えたのだ。というか、食客になる前に、どうやって彼は妖皇と知り合ったのだろう?
「あー、その辺は長くなるからなあ…まあ、そのころはまだ、先代は妖皇じゃなかったんだよ。まあ、奴もめちゃくちゃでなー」
そのころを思い出すかのように、勇者は遠い目で外を見た。懐かしがっているようだが、どうにもその目は据わっている。
「まだ俺は駆け出しでさ、基本は情報集めて酒場に売って、斥候兼前衛ってことで臨時雇いとか、そんなことしてたんだよ。だから色んな噂話とか聞くんだけど、人がおかしくなる泉の話があってな。けっこう、いろんな国…てかどうも、世界中にあるみたいだな、なんて考えてたら、立ち寄った村の近くにもあってさ。気になるじゃん?」
「いやまあ…なるけどさぁ」
「水に触らなきゃ平気だって村の人も言うもんだから、狩りのついでに見に行ったんだよ。領主様が気にしているとかで、泉の周囲は柵で覆われてたからさ、これだってのはすぐにわかったんだが…まあ、そこに倒れてたのが奴でな」
「……うん、予想は付いたよ」
うん、と勇者は深くふかく溜息を吐く。まさかそこで拾ったのが人間ではなくて、しかも妖皇の座につくなどと思いもしなかったのだろう…と考えたが、しかし。
「消えかけてたんだ」
「…はぃ?」
「いや、なんか身体が透き通ってて滅茶苦茶軽くてさ、服の重みしかねぇの。焦ったね、あれは。手持ちの魔力珠とか全部消えてくし。人間じゃないのはわかるけど、どうすんのこれって」
それはたぶん、魔力を使いすぎたのだろうとイーリスを思い出す。…しかしあのときは確か、服が真っ先に重みを無くしていたような気がするのだがと首を傾げた。
「単純に、服は実物だったんだがな」
「……っ!?」
疑問を返せという叫びを飲み込みつつ、アヴィは拳を握りしめた。ああ、そうだった。今し方、意匠を仕立てたんだった。
「渾沌泉に潜るのに、服に魔力を注ぐのも勿体ないって考えたんだってさ。まあ、理に叶ってはいるよな、うん」
「…まあ、ね。魔力消費は減るかも、ね」
どの程度減るかは知らないがと、溜息を吐く。
「ま、そのときは大正解だったみたいだぞ。ほんと、ぎりぎりだったから。まあ、そこから奴との付き合いが始まって、今に至る、と」
長くなるから今日はここまでなー、と勇者は笑った。まあ、馴れ初めは聞けたし、それでもいいのだが一つ、疑問が残された。
「あのさ、その先代さまって、なんでその泉にいたわけ? 人間の村が近いんだよな?」
「ああ、それな。”飛び地”じゃないかって考えたんだってさ。で、初代が見つけた泉に潜ったらしい」
「妖皇ってそんなのばっかりかよ!?」
「初代と先代くらいだよ、そんなことやってんのは」
ふう、と勇者は何度目かわからない溜息を吐く。
「…なあ、もう一つ聞くけどさ」
「ん?」
アヴィにはどうしても、どうしても気になってしょうがないことがある。ある意味では、どうでもいいことなのだけれども。
「今の妖皇って、何代目?」
「…あー……」
にやり、と。しかし力なく笑って。
「三代目だよ。人間と違ってふつーに何百年とか生きるからな、やつ等」
それが妖魔という生き物らしい。
初代さんたちのお話も書きたいですねぇ…