3話
「保科君が相談したいことは、椎葉さんとの付き合い方を変えたいという、ことでいいですか?」
「変えたいと言っても、距離を置くとか顔を合わせないとかじゃなくて、紬になにかやってあげたいんだ。 ずっとしてもらってばっかりな気がするからそのお礼もしたいし、なにより戸隠先輩が言ってた他人の好意にあぐらをかかないようにしたい」
「椎葉さんと話し合ったことはないんですか?」
「デートしてるときに楽しいか聞くことはあるけど……」
「そうですか……」綾地さんは思案しはじめた。
紬には本当にお世話になってしまっている。 それは付き合う前もそうだった。 俺は回復しかけた心をアカギによってまた壊されたことがある。 友達や父さんが言うような死んだ魚の目をした以前の姿に戻ってしまった。
それは思い出したくもないニガイ思い出。 幼少期、風邪で五日間欠席した際、担任教諭が自己満足のために教え子達を引き連れてご高説を唱えに来たこと。 女子が落とした筆記用具を拾って上げようとしたら言葉では「ありがとー」と言いつつ、内面では気持ち悪いと思われたこと。
他人の感情を五感で感じられる能力のせいで、人の裏の部分を嫌というほど味わってきた。
紬は以前の姿に戻った俺を支えようと真摯になって気遣ってくれたけど、あのころの俺はその親切さを邪推していた。 真摯に気遣ってくれてても、内面では「うざい」と思っているのだろうと考えたことがある。 そのせいで紬に強く当たったこともある。
それでも紬は俺を支え続けた。 表情で笑い、心で笑う。 表情で怒り、心で怒る。 表情で泣き、心でも泣く。 今まで出会ったことのない裏表のない素敵な人だったと、やっと気づけたのと同時にひどく後悔した。
過去にあった経験もあって、他人の誠意を素直に受けとることができなかった。
謝りに行くと紬は優しく微笑んで、すんなりと許してくれた。
俺はその気持ちに少しでも報いたいと思っている。 紬のおかげで俺は変われた。 紬のおかげで俺はまともになれた。 紬のおかげで俺は恋をした。
すべて紬のおかげ。 それなのに、俺は紬に対して何もしてあげてない。 俺も紬になにかしてあげたい。 紬に喜んでもらいたい。 紬に笑ってもらいたい。
でも、なにをしたら喜んでくれるのかが分からない。 だから、いろんな人からの相談を受けている綾地さんの力を借りることにした。
「どうかな、綾地さん。 なにか思い浮かばないかな?」
「……参考になるかわかりませんが以前、部室でこういう話がありました————」
綾地さんとの相談を終えて、家に戻った。 俺がいない間に女の子たちでいろいろ会話があったらしい。 綾地さんから聞いたのは、そのうちのひとつだった。 要所要所をかいつまんで、紬がなにに喜んでくれるのかを話してくれた。
『保科君が部室に来ないときに、女の子たちだけで“どんな告白をされたいのか”という話をしました。 そこで椎葉さんは、舞台を利用しながらややクサイセリフを言われるのが好きと言ってました』
『……それホント?』
『要約するとそうなります』
『た、たとえば?』
『えっと確かですね……、星空が綺麗に見える丘で二人で静かに夜景を眺めながら君はこの満天の星空よりも綺麗だよ、と言われたいみたいです』
『な、なるほど……』
恥ずかしい。 そんなセリフは言えない。 想像しただけでも赤っ恥をかく。
ただ、ロマンチックなのが好きということは判った。 あとはそれを実行する勇気が俺にあるか、というだけになる。
紬に何かしてあげたいと思っていながらも、一歩が出ない。
俺が思うロマンチックと紬が思うロマンチックが合っているとは限らないし、もし合ってなくて変な雰囲気になったら情けなくて目も当てられない。
だめだ、保守的になってる。 自分から動いていかないと。 俺はあの能天気バカの息子なんだ。 こんな時ぐらいバカの血が騒いだっていいじゃないか。
窓から入ってくる光が赤みを帯び、俺を染め上げていく。 紬と抱き合っている時と同じ暖かさを感じる。 身体からじんわりと温まり、心に浸透していく暖かさ。
一人深いため息を吐く。 待っていても湧き上がる勇気は出てこない。 絞り出すしかないのだ。
心に浸透した暖かさを残し、一歩を踏み出す。
これも紬のため。 世界で一番大好きな女の子のため————。