ある日の土曜日
取り敢えず家まで手を繋いで来たけど、何も会話をしなかった。
いや、しなかったのではなく出来なかった。彼の考えていることが分からない。たったそれだけのことで彼のことが解らなくなる。私と彼の関係はその程度のものだったのだろうかと思ってしまう。
「あの、ドアの前ですけど、部屋に入らないのですか?」
「え、ああ、そうでしたね、今開けます…」
家はシェアハウスだと思っていたが、どうやら違うみたいだ。部屋はリビングとキッチンが一緒になっている。風呂もトイレも別々にあり、他に部屋が2、3あるみたいだ。一つを僕が使っていた部屋だと紹介された。
そもそも、僕は彼女とどういう経緯で知り合って同居することになったのだろう。
「私と出逢ったきっかけ…ですか?あー、私が道に迷っていたのを助けてくれたのがきっかけですかね」
「へぇ、そんな些細なことから同居するようになるなんて変わってますね」
「そ、そうですね。あはは…」
何か彼女の印象は空元気という感じだ。どこか無理に振る舞っているように見える。何が原因なのだろうか。今の僕ではまだ分からない。
どうして私は出逢ったきっかけを偽ったのだろう。たしかに初めの出逢いが、
瞬間移動でたまたまこの家に現れたら丁度あなたと出逢ったんですよ。
なんて言ったら間違いなく怪しまれるだろう。
この嘘は仕方ない嘘だ。そう、仕方ないこと。それよりも次に行動を移そう。
「そろそろ、お腹が空きませんか?昼御飯にしましょう。私が作りますから待っていてください」
「すみません、色々とやってもらって」
「いえ、いいんです。いつものことですから」
なんで私はずっと彼とぎこちない会話をしているんだろう。
なんで今までのように話すことが出来ないんだろう。ムシャクシャする、何か当たり障り無い会話でもしないと心がもたない。
「そういえば、入院中には来ませんでしたが家族には会わなくていいんですか?」
僕はドキリとした。それまで目をそらしていた事を突き付けられたからだ。
僕は会いたくない。いや、あっちが僕に会いたくないだろう。
会ったところで一体何になると言うんだ。
悪くない。僕は何も間違った選択をしていない。悪いのは勝手な期待を押し付けておいて見捨てたあいつらじゃないか。一体何が間違っていたって言うんだ。勉強の結果?友達選び?それとも…始めから間違っていた?
ハハハ、それじゃあやっぱりあいつらが悪いんじゃないか。
僕は悪くない。
悪いのは好き勝手なあいつらだ。
僕を失敗作のように扱うあいつらだ。
そんな人達には会わなくていい。僕は会いには行かない。行かなくていいんだ。
彼女はそんな僕の独りよがりを最後まで聞いていた。
そして、ここに居続けていいと言った。彼女はもう一度、先ほどよりはっきりした口調で言った。
「ここに居ていいんです。無理に頑張らなくていいんです。自分の好きなように生きていいんです」
それに僕は一言しか返せなかった。その一言を嗚咽で声が出なくなるまで繰り返し言い続けることしか出来なかった。
彼のいままでの存在理由がなんとなく分かった気がした。期待をされて。期待され続けて彼の心はどこかで壊れてしまった。まるでモノの様に。それを直すためには時間が必要なんだ。見捨てられた分の時間が。
私には直す手助けをするだけ。それが今の私に出来ることだと思った。
だけど、本当に?
本当に今の私は必要なんだろうか。何も出来なくなった私は彼にとって役に立つことが出来るのだろうか。
私はここに居てもいいのだろうか。そんなことがずっと頭の中を魚のように泳ぎ続けている。あの時ははっきりとした意思で決めていたのに。
退院からしばらくして仕事に復帰するようになった。記憶は大分戻ってきている。もう少し経てば元の様な仕事が出来るようになるだろう。でも、彼女はずっと思い出せないままだ。今もまだ彼女と同居になった理由を思い出せていない。原因は分からないし、医者に訪ねても時期に元のように記憶が戻るようになる。
としか言わなかった。彼女にもそれを伝えても、気にしないで下さいと言うだけだった。そう言う彼女だが、心のなかでは愛想を尽かしているかもしれない。ああ、彼女の思っていることが読むことが出来たらいいのに。
「あー!おじちゃんだ!」
その声に振り向くと一人の小学生がこっちを指を指していた。
誰だろう。
記憶が無い間に出逢った子かもしれない。僕が声をかけようとすると、そこには先ほどまでこっちを指差ししていた子の姿が見えなくなっていた。見間違いかな、でも確かにいたよな。
僕が振り向き直すと、目の前にさっきの子供が立っていた。
へぇ、最近の子は足が速いんだな。
もう一度声をかけようとするとまた姿が見えなくなっていた。いや、目の前で少女は消えた。そして、いつの間にか僕が少女を肩車している。一体これはどういうことなんだ?
「さ、最近の子はスゴいなーマジックが出来るなんて、おじちゃん全然わからなかったよー」
「おじちゃん忘れちゃったの?ハナはちょーのーりょくが使えるんだよ」
「超能力だって?そんなものがあるなんて…知らなかったよ」
「ウッソだあ、これおじちゃんが教えてくれたんだよ」
僕が教えた?
超能力を?
そんな、僕がそんなこと知っているはずか…
ある?
僕は一人だけこの子と同じ事が出来る人物を知っている?
彼女と出会ったのは道端なんかじゃない?
彼女と同居している理由を僕は思い出した。
「ありがとうハナちゃん、おかげで思い出したよ。後、僕はおじちゃんじゃなくてお兄さんだからねッ!」
「あれ?もういっちゃった。つまんないのー」
僕はいままでに頑張ったことがあっただろうか。
なかったかもしれない。
選んできた道も間違いだらけだ。
オマケに大切なものまで忘れていた。
僕はどうしようもない奴だったが、今やらなきゃいけないことは多分、分かっているつもりだ。
戻らないと、彼女が居続けていいって言った場所で僕は言わないといけないことがあるんだ。
私にはここ最近で失ったものと得たものがある。
まず、相手の心を読む能力を失った。
私はこれで会話をしていたはずだった。しかし、最近は能力を使わなくとも会話が成立していた。どうやら私は耳が聞こえるようになっていた。理由はよく分からない。まるでご都合的な話だ。
それともう一つ失ったものがある。
彼に、初めて会話をしたときよりトゲが無くなっていると言われた。正直これは自分では気がつかなかったことだ。と言うよりどうでもよかった。それよりもいつの間にか息子と娘が出来ていた事の方が驚きだった。彼はもっと驚いていたが。
私はまだあの家に居続けている。
きっといつまでも居ると思う。
いつまでも傍にいてほしいと言った彼の横に。
取り敢えず。このシリーズを完結させてみました。終わりかたが自分で言うのもあれですが、ご都合主義的です。次はもう少し話のつじつまとか考えて作ります。