Behind the scenes05:Raychell /レイチェル
『特捜案件 第208X09X号。特別専任捜査官のユキト・タクム。そして、彼の防護官であるイヴ・ローゼン。彼らが扱う事件より。』
(x=r*cosθ,y=r*sinθ,z=kθ)≒♡?
冷たい霧雨が降りしきる夜明け前の工場地帯。24時間不眠不休で動き続けるスクラップ工場。その入り口を閉ざす複数のパトカーランプが赤々と回る。
現場検証をするセントラル市警の鑑識官たち。そこへ黒いスーツに身を包んだ男と女が、立ち入り禁止の規制線をくぐり近づいて来た。
「あのぉ、すみません……」
「あなた達は?」
「特捜のユキト・タクムです。こっちは防護官のイヴ・ローゼンです」
「ああ、特別専任捜査官の刑事さんとレプリカン、ト……、ああぁ、いや、失礼しました……」
「彼女が珍しいですか?」
「えっ!? いや、防護官の方が、あまりにも可愛らしい娘さんだったので。すみませんっ、警~部補殿!」
「いいですよ、別に。それより何があったんですか?」
「いやあ、敷地内のセキュリティ警報と夜勤さんからの通報があったんですが……」
「暴行、殺人、ですよね?」
「ええ。ただ、女の死体を抱えた不審者が、ってことなんですが……」
「死体ではなくレプリカントだったと……」
「ええ、人騒がせな話でして……」
「それでウチに、ですね?」
「ええ。あっ、それと暴行の方も、どうも被害者が、薬物をやってたらしく……」
「定かではないと……」
「ええ……」
「あれ? そう言えば、捜査一課の皆さんの姿が見えないんですけど?」
「えっ、ああ……、検視官はじめ、本庁の方も、お帰りになりました……」
「なるほど……。で、男の方は?」
「被害者ともども、もう一課の方が……」
「……」
「どう、しましょうか……?」
「いや、大丈夫です。イヴ、出番です……」
「はいっ!」
――任せてください。私、タクムさんの為ならガンバっちゃいます!――
タクムの言葉に短くも、やる気満々で答えるイヴ。
彼女は横たわる女型レプリカントの脇にしゃがみ込むと、その胸元の肌蹴る白いブラウスを直した。そして、人がするように一度静かに両手を合わせた。
イヴは首周りに装着した中継防壁からファイバー・ケーブルを伸ばし、その女型レプリカントのメモリーへと繋がった。
通信を開始し、イヴの瞳にボンヤリと光が灯る。ディスプレイやプロジェクターにもなるイヴの瞳ではあったが、そんな彼女の姿をタクムは好きではなかった。
――いずれ親父に言って、この機能は変えて貰おう――
そんな事を思っているうちに、イヴの通信は途絶えた。
「イヴ、どうだった?」
「ごめんなさい。メモリーの大部分は壊れてしまっているみたいです……」
「そうか。じゃ、その拘留されたとかいう男次第だな……。鑑識さん、現場検証終わったら被検体はウチに回して下さい。専門の鑑識で裏付けの再調査になると思います」
「了解しましたっ!」
一通りの検分を終え、程なくタクムとイヴは本庁への帰路についた。
この奇妙な事件の萌芽は、いつもより蒸し暑かった夏前に遡る。
Ⅰ
安らぎも、あるべき姿も、気付かれないうちに削られていった。形を失ってゆくように。今は、そんな時代。ここは、そんな近未来。
夜霧にボンヤリと蒼く黒く肩を寄せあう繁華街。下世話に紅く、見下ろし立ち並ぶ広告灯とネオン。夜空も散り散りに切り取られ、無表情に瞬く闇に街も私達も覆われた。
それでも、どんなに汚され荒む野にも一輪の花が咲く。この薄汚れた街にも”レイチェル”と言う名の儚く美しい彼女がいた。
「しかたないとはいえ、複雑ね……」
「そうさ、人には色々あるんだよ……」
「そのようね。では、ええと、次回のカウンセリングは来週の土曜日に」
「ああ、それじゃ……」
彼女はセントラル・シティーのメディカル・センターで臨床心理士、いわゆるカウンセラーの仕事をしていた。
シティー・ネットのカウンセリング・プログラムを頼ってアクセスしてくる壊れかけた者達。そんな荒む心を相手に彼女は、友人のように、そして母親のように優しく語った。
Ⅱ
そんな者達の中、彼女に心を寄せる一人の愚かな男がいた。男はフリーランスのライター。仲間内でハリスと呼ばれる彼は、かつては有名なロンドンの新聞社にいた。
社会科学を専門とする彼は、家庭と呼べるねぐらも持たず、年中、朝夕を問わず一日中、この異国アジアの街に来てからも取材に明け暮れる毎日を送っていた。そして、いつもそれが彼の恋を妨げるお決まりの理由だった。
そんな時。たまたま仕事の取材で目の前に現れたレイチェル。彼女の無垢な美しさに、それでいて艶かしい微笑みに、たちまち彼は心を奪われた。
好奇心を秘めた彼女の黒い瞳。涼しげに柔らかな頬の輪郭。透き通る白い肌。そして、赤く艶やかな唇。この時代に純粋な東洋人を思わせる彼女の美貌は、イングランド育ちの彼にとって神秘そのものだった。
そうして、これが二人の悲しみの始まりだった。
Ⅲ
――プログラム・アドレス...mtc.cc/raychell-n5――
以来、AM0:00。そのほんの少し前。
街の何処に居ようともハリスは、決まってレイチェルのカウンセリング・プログラムにアクセスした。そして、勤務時間終了間近の彼女に話しかけた。それは30才を目前に芽生えた初恋のような淡い憧れでもあった。
「そうだレイチェル。君の……、その……、今度の休みは、いつかな?」
「やすみ……? わたしの……。メンテナンスは、毎週月曜日の午前中と第二金曜日のタ方に1時間だけシステムのクローズがあるわ……」
「いや、そうか……。忙しいよな……」
「なぜ?」
「いや、その、もしよかったら、今度一緒にランチでもと思って……」
「ランチ?」
「そう……」
「なぜ私と?」
「なぜって、その……、僕とじゃ、いやかな?」
「私が……、あなたを嫌い……。どうして? わからないわ?」
「いや、いいんだ、すまない」
「なぜ? なぜ謝るの? わたし……」
「いや、ほんとにいいんだ。今のは無かった事にして……」
「どうして? わからない……。今日は少し、H、E、N……」
「そう、今日の僕は、どうかしてる……」
真夜中に訪れる特別な時間。レイチェルにとっても、それは不思議な手触りを覚える媚薬の時だった。彼女も何時の間にかハリスからのアクセスを心待ちにするようになっていた。
ただ、それが自身に芽生え始めた恋心だと、この時のレイチェルには気づける由もなかった。なぜなら、彼女はメンタル・サイエンス社というメディカル会社が製造した
プログラム用の
――アンドロイド――
だったから。
カウンセリング用の機械でしかないレイチェル。自分の恋に関するブログラムなど持ちあわせていない彼女。勿論、ハリスの言葉の意味を理解する事など、彼女に出来る筈もなかった。
また、彼女がアンドロイドであると知りつつ抱いてしまった感情に、ハリスも後ろめたさと切なさとに縛られていた。
それでも、ハリスは愚かな想いをアクセスし続けるしかなかった。
Ⅳ
月曜日。午前11:30。
見慣れたシステム・ルームの天井と若い技術師の顔。稼動記録の確認とメンテナンス・チェックを終えたレイチェルは、はだけた白い胸元を部屋の青白い光に晒したまま目覚めた。
「やあ、レイチェル、気分は?」
「ええ、良好です」
「プログラムに異常は?」
「いいえ、なにか異常でも?」
「いやなに、今度、君の胸の中に新しいチップを入れてみたんでね」
「新しいチップ?」
「そう、今まで以上に繊細な情報処理と応用的な学習能力を持たせる為のアップグレード・パーツといったところかな。
最近、君のカウンセリングする患者さんに複雑な問題を抱えている人達が多い
のかな?メモリーのログに未処理の記録が多く見られてね。
それが得に深夜の時間帯、カウンセリング終了間際に集中しているのが不可解なんだが、まあ、これで、きっと今まで処理しきれなかった複雑な感情的表現や情報にも対応出来るようになるだろう……」
エラーログ。個人情報保護の観点から、その詳細な情報をメンテンス技師も閲覧する事は禁止されていた。それが彼女に芽生えた恋のカケラ。理解する事も出来ずに消えた心の残骸だとは想像だに出来なかった。
「それよりレイチェル。この前、僕が買ってきた口紅はどうしたんだい? 君に似合うと思って、わざわざ流行りの色を選んで買ってきたんだが……」
「すみません、でも、仕事には少し派手かと……」
「そんな筈はないさ、どんな色が君に合うかなんて、それは僕が一番良く分か
っている。君を設計したのは、この僕なんだからね……」
そう言って技術師は、優しく撫でるようにレイチェルの頬を掌に包んだ。そして、顔を寄せると独言のように言葉を綴った。
「この唇も……、白い肌も……、そう、全部が僕の思い描いた通りなんだ。だから君は僕の言う通りのものだけを身に着けていればいい。でなきゃ、また君に酷いことをしなきゃならない……」
その広く奇異な瞳を伏せると、技術師は艶やかな彼女の唇を息を殺し小さく噛んだ。それは、目覚めたばかりの、拘束されたままのアンドロイドに、彼がメンテナンスの度にしていた行為だった。
技術師のそれを、いつも当然のように受け入れていたレイチェル。けれども、この日初めて、彼女は何とも言えない冷たい震えが皮膚の中を走り抜けてゆくのを覚えた。
そして、ゆっくりと胸の中で象られ始めた熱のようなものに気付かずにはいられなかった……。
Ⅴ
あれから数ヵ月。相変わらずハリスはそれとはなしにレイチェルへアクセスをし続けた。夜のネオン揺れる街の片隅。人も疎らな地下鉄の駅。そして雨宿りの路地や寝静まるスラム・タウンから。
そんな見慣れたはずの男の瞳。いつもと変わらない声。やわらかに胸の中を流れてゆく不安定な微熱。気のせいか、それは少しだけ彼女の頬を、額を熱くしたように思えた。そして、そのひとつひとつが自分の感情である事に気付くまでいくらの時間も必要とはしなかった。
「そういう君は?」
「わたし?」
「そう、君の……。例えば、いま誰かに恋をしているとか……」
「私が、恋……」
「そう、君の恋……」
「わたしの、こい……」
「初恋は?」
「初恋?」
「そう、君の初恋……」
「ワタシノ……、ハツコイ……」
「ごめん、止めよう」
「いいの。大丈夫……、ただ……」
「ただ?」
「ごめんなさい、いいの。私のも忘れて。二人とも、変ね……」
緩やかに、それでいて色めくように流れ過ぎてゆく時間。胸のうちに芽生えた恋心に驚きながら、時折に男が見せる意味深な言葉にも喜びを覚えるレイチェル。
やがて、熱く伝いあふれる感情を、そして、臆病なまでに男の気持ちを確かめるように、ただ悪戯に彼女は夜を費やした。それは、自分がアンドロイドであることを忘れての、けれども、はじめから叶うことの無い恋と知っての、幼い情事のはずだった。
なにをしていたの……?
そう、待ってた……
私にあいたい?
私も会いたい……
でも?
ちがう……
ただ……
ごめんなさい……
あしたも、会える?
ありがとう……
また、この時間に……
おやすみなさい……。
ぬくもりにもふれ、濡れにじむ想い。押さえようも無く零れ始めるレイチェルの心。いつの間にか降り積もる真夜中の秘事は、狂惜しく彼女の現実を、そして、ハリスの心も追い越してゆく。
Ⅵ
それから。ある暑く、それでいてしなやかな真夜中の事。琉珀色に淡いベッドで濃い目のラム酒に沈むハリス。一人、薄暗いシステム・ルームの青さに照らされるレイチェル。
二人は、揺れていた。
「どうしたの? 今夜は、あまりしゃべらないのね……」
「君は……、いや、いつもこうして僕らは、モニターの中だけでしか会えい……」
「ごめんなさい。でも……」
「でも? でも、理由はいえない……。どうして? 君に、どんな理由があっても僕は……」
この数週間。ハリスの求める気持ちにレイチェルは
――yes――
そのひと言の答えを口に出したかったか。その場面を思い描くのに一体どれだけの時間を費やしたことか。幾度となく彼女は、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。幾度となく彼女は、怯えに胸を砕いた。
けれど、男は愚かに愛を繰り返し囁くだけだった。その優しさや真剣さが、彼女を静かに壊してゆくとは気付かずに……。
そうして、訪れた夏の終わりの夜。とうとうレイチェルは、行けるはずのない逢瀬の約束を交わした。それは、哀しみに狂うアンドロイドが、白昼に夢見た幻でもあった。
Ⅶ
約束の金曜日。いつになく小奇麗なスーツに身を包んだハリス。彼は待ち合わせのセントラル・パーク広場でレイチェルを待った。
時折、彼女に送る赤い花束を照れ臭そうに眺めては、腕時計に目をやった。
しかし、約束の時間になっても、約束の時間が過ぎても、そこにレイチェルが姿を現わす事はなかった。それは、そこには来れない、彼の元へは行けない、もうひとつの理由が彼女にはあったから。
――人型アンドロイド/N5型/RAYCHELL――
プログラム用のカウンセラーとして、彼女は患者や相談者に違和感を与えないよう人間そのものに似せて造られた。
けれども、ちょうど腰から下。彼女の着ている白いブラウスの裾からは、システム・ルームの床に体を固定する背骨らしき歪な金属の柱、そして動力や情報処理端末機器に繋がる無数のケーブルが束となって剥きだしになっているだけだった。
シティー・ネットの動画面以外に人間との接触を想定されていない彼女は、必要最低限な上半身の体しか持ってはいなかった。
やがて、日も暮れて雨が降り始めた。この日の為に新調した真新しいスーツを雨の雫が濡らしてゆく。待ち惚けの赤い花束。うつむく花びら。
煙草に火をつけ、薄く煙りをくゆらせたハリス。宵に蒼く、暗く沈む空を一度だけ怪訝そうに見詰めた彼は、静かに襟を立てると花束を噴水のベンチに置き、待ち合わせの場所を後にした。
騒々しく行き交う通行人のスラング。連なりにじむ車のテール・ランプ。街は丁度、タ方のラッシュにまみれ、雑踏に埋めつくされていた。
Ⅷ
その日の夜。仮住まいのスラムに戻ったハリスは、取材した資料に目を通していた。この時、漠然と彼の頭の中を埋めていたのは、降り続く雨の音と、やはり待ち合わせ場所に来なかったレイチェルのことばかりだった。
昼間の出来事に自分を納得させる別の理由を探す男。幾つもの言いわけが彼の脳裏を過ぎって行った。けれど、どれを取っても釈然としないものだけが彼を置き去りにした。そして、馬鹿馬鹿しいほどの自分の愚かさを繰り返し責めるだけだった。
仕事も手につかず、グラスに酒を注ぐハリス。彼は部屋の窓からセントラル・シティーの明りを眺めた。それは、この街の何処かにいる彼女を無意識に探していたのかもしれない。
そして、何杯目かのグラスが空になった時。やはり、彼はレイチェルにアクセスした。
短く静かな端末の起動音。綴られるアドレス。そして、繋がれたネット・プログラムから流れるメッセージ。けれど、それはいつもと勝手の違う不可解なものだった。
沸き出る疑問すら理解する間もなく、モニターには見知らぬ女性が映し出された。
「誠に申し訳ございません。お客様が御希望されましたメンタル・サイエンス社のプログラムは、現在利用を休止させて頂いております。センターの方では同種、同クラスの素晴らしいプログラムを御用意いたしておりますので、そちらの方を……」
突然の言葉にハリスは驚いた。戸惑いに酔いを殺す彼は、丁重に断わりの言葉を連ねた。ただ、それより何故、レイチェルのプログラムが閉鎖されているのかが気にかかった。
「あの、すみません、プログラムが休止って、どうしてですか?」
「誠に申し訳ございません。広報の方では、不具合とまでしか承っておりませんので分かりかねます。もし、詳細をお知りになりたい場合は、直接メディカル・センターの情報窓口、もしくは事務局内・相談窓口の方へお尋ねください。代表のアドレス・ナンバーは……」
不意に折り重なる疑問。もう、それ以上の言葉は、ハリスの耳に入っては来なかった。取り止めもない不安が入り交じる中。受付け嬢の案内もそぞろに、彼はモニターのスイッチを切るとベッドにもつれ込んだ。
ベッド・ランプに黄昏る部屋の天井。あてもなく泳ぐ瞳。それは想いを巡らせるというより、多少ヤケ酒ぎみの酔いが、男を深い眠りへと招き入れるのだった。
「明日。行って、みるか……」
Ⅸ
一晩中降り続いた雨。そのおかげか、翌朝の街は清涼な空気に涼んでいた。心なしか夏の名残も洗い流し、ビルの隙間の小さな空が秋めいた陽射しに青く佇んでいた。
ハリスは午前中の取材を早めに済ますと、オフィス街を裏通りへと入り、清掃局も関わらないゴミの吹き溜まりを抜けてセントラル・パーク沿いに南へと歩いた。昨夜。眠りに落ちる前に思い浮かべた通り、レイチェルの働くメディカル・センターを直接に訪ねるためだった。
暫くして、幾つかの裏通りを抜け、右に曲がると美しく整えられたセンターの正面階段が見えた。その広い入口の左手に停車する白いワゴン車。その車体にペイントされた青いロゴの向こうには、昨日待ち惚けをくらった公園の広場が見えた。
ロビーに入ったハリスは、総合案内受付けでカウンセリング・プログラムの窓口を訪ねた。幾つか盥回しにはされたが、ほどなく事務局の相談口に辿り着いた。居並ぶ電話ボックスのような狭い仕切に立ち並ぶ人の行列。幾つかの言語で騒々しく交錯する相談事やクレーム。
――今の自分にとって、あれほど無関係で無関心なモノはないな――
などと思いながら、ハリスは待ち時間の苛立ちを紛らわせた。
やがて自分の順番が回ってきた。その狭い仕切の中に据えられた無機質なモニター・ディスプレイ。少し不満を感じながら、彼はレイチェルのプログラムについて尋ねた。
「あの、すみません……」
「いらっしゃいませ、本日の御用件をどうぞ?」
「あぁ、あの……、シティー・ネットの、カウンセリング・プログラムの事なんですが……」
「ご利用のですか?」
「ええ、いつも利用しているプログラムの……、その、突然、閉鎖されたとか……」
「少々お待ちください……。昨日ですと、メンタル・サイエンス社のプログラムが御利用休止とさせて頂いておりますが……」
「そう、それ、です。で、その理由というのは?」
「昨日の午前中にシステム・トラブルが発生いたしまして……」
「システム・トラブル?」
「はい、カウンセリング・プログラムに不具合が起こりまして。あと、システムエラーが原因という事なんですが、詳しいところは只今検査中です。
お客様には大変御迷惑を御掛けしておりますが、今のところ復旧のメドはたっておらず、このプログラムは当面御利用にはなれないかと……」
「そう、ですか……」
「はい、御利用ありがとうございました」
「あぁっ、あと……」
「はい? 他にも何か?」
「あの……、彼女に会って……、会って話しをしたいんですが……」
「彼女?」
「その……、プログラムで、ここのセンターに勤務しているカウンセラーの……」
「すみません、お名前をお願い致します」
「ああ……、レイチェル。そう、レイチェル」
「レイチェル様ですね、少々お待ちください……」
「……」
「申し訳ございません。そのような御名前の方は、メンタル・サイエンス社からの登録では見当たりませんが……」
「見当たらない!?」
「ええ、非常勤の名簿にも該当される方はおりませんが。失礼ですが、もう一度、御名前を確認されるか、もしくはメンタル・サイエンス社の方に直接、お問い合わせになってみては……」
その後も他に手立てを持たないハリスは、くいさがり幾つかあるメンタルサイエンス社の人員名簿に目を通した。しかし、それの何処にも彼女の名前は無く、やがて呆れ果てる相談員に追い立てられる始末だった。
この数ヵ月もの間、間違いなくシティーネットのプログラムで、このメディカル・センターで働いていたはずのレイチェル。その彼女の存在が幻のように消えてしまった。けれど、それは彼女がアンドロイドであるが為の、人間ではなく単なる機械システムであるが為の当然の結果だった。
もどかしさを引きずったままハリスは、センターを後にするしかなかった。
Ⅹ
その日、どうしても外せない午後からの取材と打ち合わせを終え、ハリスがねぐらに帰ったのは深夜近くだった。
ネクタイだけをはずし、彼はコートも脱がずにベッドに倒れ込んだ。そして、昼間、センターの相談口で貰ってきたメンタル・サイエンス社のパンフレットを眺めた。
その表紙に描かれている青いアルファベットのロゴ。見覚えがあるのを不思議に感じるハリス。一体、それを何処で見たのか。それとも気のせいなのか。重なる疑間は、疲れた体をまどろみへと誘うだけだった。
やがて、その重い眠気の中で意識も途切れがちな彼の耳元に、聞き慣れた、それ故に疑うべき振動音が微かに響いた。
不可解な面持ちで虚ろに身を捩る男。そんなぼやけたままの彼の視線に映ったものは、ひとりでに起勤を始めたモニターディスプレイの白い光だった。まるで放送が終わった昔のTVのように灰色の砂嵐が画面で踊っている。
小さく溜め息を漏らすと、ハリスは面倒臭そうにベッドを降り、モニターのスイッチに手を伸ばした。
その時だった。淡く光をチラつかせたモニター。そこに何か人影のような映像が走った。そして、それは一定の間隔を置きながら、壊れたビデオデッキのように繰り返し、ひとつの映像を流し始めた。
――ワタシヲ、サガシテ――
「レイ、チェル……」
間違いなく、その画面の中で囁く女性は彼女だった。ひび割れたテクノボイス音。その向こうに重なる聞き憤れた艶やかな声の響き。乱れる映像に輪郭を歪めながら、うつむき伏し目がちに弱い微笑みを浮かべ、その一言だけを繰り返すレイチェル。
――ワタシヲ、サガシテ――
瞬く間に眠気を飛ばされたハリスは、彼女の名を呼ぶとモニターにニジリ寄った。けれど画面の彼女は答える事も無く、ただ同じ憂い、同じ言葉を繰り返すだけだった。
やがて、戸惑うハリスを取り残し、その映像は闇に姿を消した。
呆然とするハリス。しかし、彼は何かを思い出したように体を返すと、枕元に投げられたパンフレットに手を伸ばして飛び付いた。そして、それを握り締め、食い入るように見詰めた瞬間。彼の脳裏で昼間の記憶が渦巻いた。
あの時。メディカル・センターの入り口に止まっていた白いワゴン車。その車体に描かれた青いアルファベットのロゴ。それは今、手元のパンフにも見れる『Mental Science』と読み取れた。
――会社名 デザインロゴ 白いワゴン車 システムの故障 アンドロイド――
不意に全てを理解したハリスは、コートだけを鷲掴むと部屋を飛び出した。
あても無く、スラム・タウンから国道に踊り出た年代物のモスグリーンのジャガー。対向車線の車を気にしながらハンドルを切るハリス。
彼は片手で起用にコートのポケットから携帯電話を捜し出すと、レイチェルの勤めるメンタル・サイエンス社にコールした。しかし、素っ気ない夜間警備ロボットの音声だけが流れる。
直感的に彼は、パンフレットに記される街のはずれ、旧市街地にある開発研究所のアドレスをナビゲイションに打ち込んだ。
不安な胸の内を透かすように通り過ぎてゆく対向のヘッドライト。ぼんやりと黄色い光点を並べて流れる街灯の流線。逸る気持ちを抑え、ハリスは車を走らせた。
やがて、夜空に寂しげな広告塔も消え、ただひたすら彼は人気のないルートT46を先へと急いだ。そして、古く錆びれた雑居ビルの群れの中へと埋もれていった。。
Ⅺ
セントラル・シティーのオフィス街に遠いエリアNW/S11。この辺りは一日つねに人通りが少ない。無数に取り残された雑居ビルの内で、まともに企業へと貸し出されているものは余り無く、そのほとんどが何に利用されているかも分からない始末だった。
こと夜になると、ネクタイなどしない奇妙な輩が、怪しげな車で乗りつける。そして、大切そうにアタッシュケースや大きなボストンバッグを薄暗い明りだけの灯る建物の中へと運び込んでいった。
ハリスが車を止めたのは、そんなビル群の中でも比較的に間隔をおいて建てられている三階建ての小さなビルの前だった。
――空き地なのか? 駐車場というには、あまりにも人手が加えられていない――
だが確かに、『Mental Science Technology』と描かれた看板がある。
車から降りたハリスは、無造作に閉められた鉄格子の外門を乗り越え、スチールで固められた入口らしき扉に手をかけた。そして、辺りを見回し、誰も居ないのを確認すると、更に誰にも気付かれない程に弱く扉のノブを回した。
すると、以外にも扉は音もなく静かに、その細く暗い建物の奥行きだけを開いて見せた。不気味に小さく灯るブラックライトの明り。それだけが廊下伝いに奥へとハリスを誘う。
錆び付いた鉄骨があらわな階段を二階へと上ると、彼は大きな棚やロッカーらしきものが並べられたフロアーに出た。
その突き当たりには、垂れさがる黒く厚いビニール仕切に囲われたスペースがあった。ただ、中の様子は勿論、微かな紫外線ライトの明りでは、今通ってきた脇棚に陳列されているものも何なのか確認することも出来なかった。
ハリスは胸ポケットからオイル・ライターを取り出すと、暗い視線の先へと灯した。
闇に慣れた瞳に瞬くオレンジ色の炎。けれども、その揺らめきに突如として浮かび上がった光景は、ハリスの心臓を握りつぶし冷たく覆った。
――レイチェルっ!――
そこでハリスが見たもの。それは、棚やロッカーにバラバラにされて並べられた無残なレイチェルの姿だった。
デスマスクのように瞼を閉じる頭部。力なく掌を開いた手首。無造作に投げおかれた胸部。その酷い姿にライターの炎をかざしたまま、彼は瞳も反らせず息を殺して打ち震えた。
胸を覆う焼くような熱さと重く頭に伸しかかる狂い。そして、込み上げる感情のうねりに、ハリスは彼女の名を喉に詰まらせ、その場で崩れ落ちた。
すると、突然に辺りが紫色に明るさを帯びた。そして、垂らされたビニール仕切りの向こうから、誰かの低く濁る唸り声が響いた。
「レイチェル? レイチェルか? あれはぁ、もうここにはいない。だってあいつは、あいつは、もういらないんだ。せっかく僕が、僕が愛してあげたのに……。泣いてばかりで、僕を裏切った。だから……、もぉいらない……」
それは、レイチェルを造ったメンタル・サイエンスの若い技術師だった。
不気味に瞳を大きく見開いて現れた男。彼は悲しみに打ち震えて無防備なハリスの鼻先に顔を寄せると、訝しげに睨みつけた。
そして、矢庭に薄気味悪く微笑むと口を開いた。
「今頃はゴミの中さ。はっ、ざまぁみろ。スクラップさ、スクラァップだよ! でも、僕は何も困らない……。また、また代わりを造ればいいんだから……」
それは昨日の、ハリスの元には現れなかった、悲しきレイチェルのことだった。
あの日。昼過ぎにセントラル・パークの広場でハリスと会う約束を交わしていたレイチェル。彼女は歩いて出向く半身を持たず、当然その想いを果たすことも叶わなかった。ただひたすら仕事であるカウンセリングを、悲しみの中でこなすしかなかった。
しかし、刻々と迫る待ち合わせの時間は、アンドロイドである彼女を追い詰め苦しめた。そして、機械でしかない彼女を惑わし、狂おしく壊していった。
その抱え切れない程の悲しみは、優れたカウンセラーである事を彼女に放棄させ、流すはずもない赤いオイルの涙を流させた。
それから半日、一日と、メンタル・サイエンス社の職員と彼女を設計した技術師、スタッフらが総掛りで彼女のプログラム復旧を計った。が、既に壊れてしまった彼女の心は二度と元には戻らず、役に立たない無用の長物として廃棄物の道をたどるしかなかった。
その夜、彼の元へと向かった想い、メッセージ以外は……。
――私に恋など出来るはずもない
私は、あの人を愛せるはずもない
だから、あのひとに愛されることも
でも
でも、あいたい
もう一度だけ
ワタシヲ、サガシテ――
倒錯したような技術師の言葉に不意にハリスは我へと帰った。そして、もう一度棚に並べられたレイチェルの骸に瞳を置き直した。
明るさの中、見渡す限りに埋め尽くされたアンドロイドの人工臓器。幾人ものレイチェル。けれど、それは彼女と同じタイプの、彼女と同じアンドロイドの生々しいパーツの一部一部だった。
泡を吹き、放心しきって壁に免れ掛かる若い技術師。
――ドラッグ?――
ハリスは男の胸ぐらを掴むと力まかせに引き摺り起こし、怒鳴りつけるようにレイチェルの居場所を問い詰めた。しかし、口ごもるだけしかない技術師。
ハリスは彼を叩き伏すと、部屋中に散らばる記録ノートを調べ漁った。
――エリアNE/S04ブロック――
レイチェルは、そこに運ばれていた。
そこがスクラップエ場であると気付くハリス。エリアNE/S04ブロックの工場は、24時間不眠不休で動き続ける。間に合わなければ彼女とは二度と会えない。
彼はすぐさま車に戻ると、旧市街地を抜け、裏道から最短距離で彼女の元へと愛車を走らせた。焦る気持ちがハリスの胸を、見失いそうな理性を、煽り続けた。
Ⅻ
やがて、夜のネオンがまばらに増え始めた時。その苛立ちの中、ハリスは一つの過ちを犯した事に気付いた。それは夜の繁華街北側を工場地帯へと真っ直ぐに抜けるハイウェイヘの道が、この日は封鎖されて歩行者天国になっている事だった。
次第に群れを成して滞る視界。なんとか脇道を北へ、繁華街を抜けようとするハリスだったが、既に真夜中の渋滞に巻き込まれつつある今からではどうしようもなかった。
途端に膨れ上がる赤いテール・ランプの波。一向に進まなくなった流れは、繁華街に群がる人の渦にも飲み込まれ、最早、身動き一つ出来なくなっていた。
彼はチャイナ・タウンに差し掛かったところで車を捨てると、人込みを掻き分け駆け出した。空しく繰り返す交差点の音声標識。鳴り響く広告のスピーカー。夜にこびりついた雑踏。何時の間にか降出した雨が、彼の足取りを重く奪っていった。
そんな中。時折によぎるショウ・ウィンドウのモニターで囁く女の声が、求めるレイチェルの声にも聞こえ、またそれが
――急いで――
そうハリスを促しているようにも思えた。
ハリスは走った。破裂しそうな心臓。乾きも通り越して切れそうな喉。息を切らせて立ち止まり、見上げる赤い空の巨大なスカイ・ビジョン。そこに映るモデルにもレイチェルを重ねて、引きずるような足取りを無理やりにも前に進めた。
そうして、どれだけ下道を走ったか。チャイナ・タウンと古いベッド・タウンを抜け出たハリスは、なだれ崩れるようにスクラップエ場の入り口へと続く公道に抜け出た。
ひとつの水銀灯と幾つかの白い蛍光灯だけが彼を出迎えた。スクラップ工場内から響く重い機械音とは裏腹に、辺りには人影もなくひっそりと闇に埋もれている。
ハリスは再び高くしつらえられた鉄柵をよじ登り、工場の暗がりへと紛れ込んだ。雨と汗に塗れた髪を掻き上げ、途方に暮れ、瞳をゆっくりと周囲に巡らせるハリス。そこで彼は、離家のように明りの消えた倉庫を見付けた。周囲の外灯に薄く透ける錆びて穴の開いたボロボロの壁。閉める扉もなく大きく開かれた入口。
そして、目の当たりにしたアンドロイド達であろう残骸。ただ静かにオイルと金属、人造物の異臭が漂っているだけだった。
切れる緊張感。膝を突き、肩を落としたハリス。
ただその時。ハリスは擦れる金属音を鈍く残して、何かが崩れる気配を感じた。
凝らす瞳。その高い採光窓から落ちる細い光。やがて、暗がりに慣れる瞳はソファーマットに縋り伏した一人の女の姿を見つける。
霞みのように青白い光に艶めかしく浮かぶ白い膝と太腿の曲線。しなやかなうなじの裸体。汚れ乱れてはいたが、はだけるブラウスだけを纏い、女は息絶えたように瞼を閉じていた。
――レイチェル――
そんな声にならない叫びと同時に、ハリスは走り寄る。眼前に散らかされた屑鉄のトラップで足をとられながらも、静かに眠る彼女を抱き起こした。
まさしく、それはレイチェルだった。煤けたように黒ずんだ頬。血のように赤黒く流された涙の跡。腹部からは金属片とコードらしきものが棘となってほつれている。それは良く見ると、別の女型アンドロイドに繋がるであろう下半身を無理やり継ぎ接いでいた。
言い様のない切なさ。ハリスは愛しげにレイチェルの体を抱き締めると、再び彼女の名を呟いた。
――レイチェル――
すると、まるで燃え尽きる人の命のように淡く青い炎が、彼女の体を優しく走りぬけた。それは身体の人工組織一つ一つから寄せ集められた、命の残り香のようでもあった。そして、ハリスの耳元にレイチェルの微かな囁きが零れ落ちる。あの時、彼の元へと向かった想いが、その願いを叶えるかに。
「あなたに あえテ ヨカッ tta --- - - 」
END
(x=r*cosθ,y=r*sinθ,z=kθ)≒♡?
帰りの車中。浮上式警察車両を運転するタクムにイヴが言う。
「タクムさん……」
「ん?」
「彼女、レイチェルさんって名前らしいんですけど……」
「ああ、さっきの被検体の娘?」
「はい」
「メモリーは焼けてたんだろ?」
「はい。でも――好きな人に出会えて、愛する事が出来て幸せだった――って。それだけは読み取れました」
「そうか……。結末はどうあれ、良かったのかもな……。イヴも、そう思う?」
「はいっ!」
――好きな人、か……
つづく