004話 さらに検証
●『1937年某月某日』
天皇陛下の言われる敗因はマクロ的に見たものだ。今度は少し戦略的、作戦的に敗因を分析してみよう。
結局、日本軍は、というより連合艦隊は「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」での戦略通りに作戦を展開する事なく終わった。
つまり、まずイギリスを敗北させるという点だ。
それにはインド洋に大きな戦力を投入しなければならないが、継続的にそれが行われなかった。
「南雲機動部隊」が1942年春にインド洋で作戦を展開した事はあったが、すぐに太平洋に戻っている。
それ以外にもインド洋での計画自体は何度か立てられた事はあったが、太平洋での戦局により大きな戦力は派遣されずに終わった。
問題の始まりは「ミッドウェー海戦」だ。
この作戦を実行するためにインド洋で通商破壊作戦を行う筈だった部隊が引き抜かれてしまった。
しかもこの戦いでは主力空母4隻を失う手痛い敗北だ。
しかし、この後も連合艦隊はインド洋で大規模な作戦に出ようとする。
だが、それも「ガダルカナル島攻防戦」の始まりにより中止になってしまった。
そして、この「ガダルカナル島攻防戦」から始まる航空機と艦船の消耗戦が痛かった。
南洋に築かれた日本軍の一大拠点のラバウル基地より先1000キロの地点にあるガダルカナル島に日本は飛行場を建設していた。アメリカとオーストラリア間の連絡線を絶つ作戦の一環としてだ。
そこにアメリカ軍が上陸し建設中の飛行場を奪った。
それを奪還しようと日本軍は戦力を投入する。
しかし、ラバウル基地から1000キロの距離は遠く、航続距離の長い零戦でさえ、ガダルカナル島上空には15分程度しか滞空できなかった。
これでは制空権を握るのは難しい。それにパイロットは長距離飛行に疲労する。長距離飛行の後に戦闘し、さらに長距離飛行して帰還しなければならない。
これでは通常の航空作戦よりも損耗が激しくもなろうというものだ。
こうした結果、ガダルカナル周辺に投入された日本の艦船も空からの援護を十分に受けられず、敵機の攻撃を受け多くの艦船を沈められた。
またガダルカナル島に上陸したアメリカ軍の兵力を過小に見積もるという間違いも犯したため、地上での戦闘も苦戦続きで兵力の逐次投入という事態になる。それだけでなく制空権を握れない事から補給さえ滞ってしまう。
結局、ガダルカナル島から撤退するが、その痛手は大きかった。
また、ガダルカナル島撤退後もうち続く航空消耗戦は日本軍の戦力を低下させていく。
ガダルカナル戦から始まった消耗戦とも言うべき戦いで多くの航空機とそのパイロット、艦船を失った事が大きく響き、日本は敗勢に陥っていく。
特に不足するパイロットの急増養成については最悪の状況に陥った。
前線での必要性から技量不十分なままに戦いに投入される事になったために、さらにその損耗は早く大きくなり、その穴を埋めるために、またさらに技量不十分なパイロットを前線に送らなければならなかった。
完全な悪循環だ。
開戦前のパイロットの平均訓練飛行時間は700時間だったが、それが200時間にまで減少していた。
その悪循環を断ち切ろうとした事もあったが、戦局の推移がそれを許さなかった。
結局、「ガダルカナル島攻防戦」の始まりから、海軍航空部隊のラバウル撤退までの1年半の間に失った海軍の飛行機の数は7096機であり、7186人の搭乗員を失った。
開戦前に海軍が保有していた飛行機が2172機だった事を考えると、その3倍以上の数を消耗していた事がわかる。とてつもない数だ。
さらに1943年からは、アメリカの潜水艦が猛威を振るい始める。
それまではアメリカ潜水艦の使用する魚雷の性能に欠陥があった事や、魚雷の供給にも問題があった事もあり、アメリカの潜水艦により致命的なまでに、日本のシーレーン(海上交通路)が脅かされる事は無かった。
しかし、アメリカの魚雷の問題も是正され、次々と新造された潜水艦が実戦投入される。
日本側においても「ガダルカナル島攻防戦」から始まった消耗戦で多くの艦船が失われていた事もあり、日本はシーレーン(海上交通路)を十分には守る事ができず、南方から資源を運ぶ輸送船を次々とアメリカの潜水艦に沈められていった。
元々、日本は最初からシーレーン(海上交通路)の防衛に十分な戦力を割く事はできなかった。
何故なら開戦前の戦力比率では日本の海軍力はアメリカ海軍の7割でしかなく、もしシーレーン(海上交通路)の防衛に戦力を割けば、正面からアメリカ海軍と戦う事などできなくなる。
ましてや相手はアメリカ海軍だけでなく、イギリス海軍もいる。
それに艦隊決戦に負ければ根本的にシーレーン(海上交通路)は防衛できない。
それ故に、シーレーン(海上交通路)の防衛戦力の充実はどうしても後回しになる。
だからと言って日本もシーレーン(海上交通路)を守らなくていいと考えていたわけではない。
日本ではアメリカ海軍との決戦に勝利した後、連合艦隊の水雷戦隊をシーレーン(海上交通路)の防衛に回すつもりでいた。
実際、1942年5月に一時的に敵潜水艦による輸送船の被害が続いた時があったが、その時は連合艦隊の水雷戦隊が引き抜かれ敵潜水艦を駆逐している。
1943年以降はその余裕が無かったのだ。
数字を上げると、日本が開戦前に保有していた駆逐艦の数は112隻だった。
そのうち12隻は旧式である事からシーレーン(海上交通路)防衛にあてられている。つまり開戦の時点で駆逐艦の総数の1割に近い数は既にシーレーン(海上交通路)にあたっていると言える。
残りの100隻のうち1隻は旧式なために1942年には標的艦にされ艦種を変更されている。
そして同じ1942年に19隻が戦闘で失われたので80隻となるが、新たに10隻が就役したので、その数は90隻となった。
1943年には90隻中、32隻が戦闘で失われ、新たに11隻が就役したので69隻となった。
どんどん減っていっている。この状況は1944年には更に悪化する。
なお、1942年、1943年においてラバウル周辺からソロモン諸島の、最前線とも言うべき海域で沈んだ駆逐艦の数は41隻にもなる。
開戦時の100隻の駆逐艦に、1942年と1943年に就役した21隻を加えれば121隻となるわけで、つまりその3割が最前線の海で沈んだ事になる。
大きな損失が出ていたわけだ。
沈まなくても損傷を受け修理しなければならない艦や、整備の必要の艦もあるから
残った駆逐艦全部が常に動けるわけではない事も考慮しなければならない。
それを考えると正に余裕が無かったと言えるだろう。
その上、アメリカ軍における軍事技術が格段の進歩を見せ始める。また新鋭空母など新造艦も大量に戦線に登場する。それに日本軍は対応できなかった。
1944年には「マリアナ沖海戦」と、最終決戦たる「レイテ沖海戦」に敗北し連合艦隊は壊滅的損害を受ける。
そうして後は敗北への道を辿っていった。
つまり日本は当初の戦略構想であるイギリスを先に敗北させるという戦略を完遂できなかった。
「ガダルカナル島攻防戦」からはアメリカとの消耗戦となり日本にはそれに耐えうる力が無かった。
そしてシーレーン(海上交通路)も守れなくなる。
1944年の艦隊決戦では将兵の技量、技術力、艦船と飛行機の数でアメリカに負けており、作戦でそれを覆す事もできず敗北を喫した。
そして日本は敗北を余儀なくされた。
この日本の敗北を覆すのは大変だ。
物理的な面で足りない物は多い。
できれば、開戦の何年も前から準備したい事は多い。
飛行機や艦船の増産体制のさらなる強化。
パイロットや士官の大量養成の準備。
レーダー等の技術開発。
だが無理だろう。
自分の現在の立場は海軍省の海軍次官にすぎない。
その海軍省のトップでもない海軍次官の立場ではできる事には限りがある。
それに加えてこうした事柄は海軍省だけでなく海軍軍令部にも跨っている。
どうにもならない。
後に自分は連合艦隊司令長官の立場になるわけだが、そうなると今度は海軍省への影響力が薄れてしまう。管轄が違う事になるから、何かしら物を言ったとしてもどこまで効果があるかは疑問だ。
そして根本的な問題として「予算が無い」
これが大きい。
とてつもなく大きい問題だ。
何をやるにしてもお金がかかる。それが無い。
それに、もし万が一、予算や他の問題をクリアしたとしても結局、日本の10倍の国力を持つアメリカの戦時における兵器生産量を凌駕する事はできないのも辛いところだ。
現在の海軍次官としての立場と、そして後の連合艦隊司令長官の立場から勝利を目指すのはほんとに厳しいものがある。
だが、しかし、自分は最後の最後まで諦めんぞ……
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2016年3月19日
読者の皆様、いつもいつも拙作「栄光の勝利を大日本帝国に」をお読みいただき、有り難うございますでおじゃる。
実写映画版「ちはやふ●」(上の句)の公開記念第2弾として【宮様、頑張る】の第4話を書いたでおじゃる。
よかったら読んでね、でおじゃる。
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【宮様、頑張る】(海軍編)
第004話『続・とある軍令部の驚愕』
19◯◯年◯月◯◯日
『海軍軍令部会議室』
この日、海軍軍令部で定例会議が開かれていた。
前回の定例会議では伏見宮総長が訓練に「競技かるた」を取り入れると言い出して一同を驚愕させた。
その件については取り敢えず、総長の提案を各自持ち帰って詳細に検討するという事で時間を稼いだ。
そして何故、伏見宮総長がそのような提案をするに至ったか、総長には極秘で真相究明が急がれた。
伏見宮総長が独自に考え提案したものなのか、それとも誰かにおかしな事を吹き込まれたものなのか……
総長お付きの侍従武官や副官らを問いただしたのだか、どうやら総長ご自身の発案によるものとの考えられ、一同は苦悩する。
唆されてくれた方が良かった。それなら唆した者を罰するか注意すればすむ。
しかし、伏見宮総長が、総長自身が発案ともなるとそうはいかない。
海軍軍令部総長は軍令部においてNO1の地位にある。皇族である。宮様である。
偉い人なのである。
その偉い人相手にとやかく言う事は難しい。
猫の首に誰が鈴をつけるのかという問題だ。
軍令部主要メンバーの軍令部次官、第一部部長、第二部部長、第三部部長、第四部部長、特務班班長が内々に集まり、今後、軍令部総長に対してどう応対するか何度も話し合いが持たれたが、未だ結論には至っていなかった。
「競技かるた」についてもどう対応するか決まっていなかった。
小田原評定のような会議が何度となく行われ無為に時間が過ぎていくうちに、再び定例会議の日が来てしまった。
そのため軍令部主要メンバーの表情は暗い。
いつ伏見宮総長が「競技かるた」の事を持ち出すか、一同は戦々恐々としながら会議を進めていた。
そして会議が終盤に差し掛かった時だった。
その時、歴史が、あっいや、またもや伏見宮総長が動いた。
「諸君、私から一つ重要な提案がある」
「……拝聴いたします」
会議に参加している一同を代表して軍令部次官が返答し、皆は改めて姿勢を正す。
一同の顔には焦燥と、ついに来たかという諦めの表情が伺えた。
「諸君、帝国海軍には足りないものがある。わかるかね?」
足りないもの?
提案があると言いつつも質問を投げかけて来た伏見宮総長を訝りながらも一同は皆、考えた。
確かに足りない物は多い。
仮想敵とするアメリカと戦うには現有戦力では厳しい事は、ここにいる者達なら誰でも知っている。
何せ毎年行われている上級幹部を集めた図上演習で、仮想敵のアメリカ艦隊と戦って勝ったためしなど一度も無いのだ。
図上演習では帝国海軍の全戦力を投入しても善戦はするが最後は必ず全滅し、アメリカ艦隊は残存しているという結果に終わる。
もともとの海軍の規模が違うのだから仕方ないとは言える。
アメリカ海軍と戦うには戦艦も巡洋艦も駆逐艦もあらゆるものが足りなかった。
だが、皆は考える。今更、総長が戦艦が足りない、巡洋艦が足りないと言い出すだろうか、と。
それは、あまりにも当たり前すぎる事であるし、ここで言い出したからと言って今更解決できる問題でもない。
だから、そんな当たり前の事ではなく、もっと別の事について総長は足りないと言っているのではなかろうかと、奇しくもこの会議に出席している者は皆そう考えた。
では、総長が足りないと仰られているものは何だろう?
軍令部次官は考えた。
それは「団結心」ではないだろうか? と。
海軍内部には過去の事とは言え条約派と艦隊派の対立があり今もその影響は残っているし、現在はドイツの興隆とともに今度は親独派と英米協調派の対立が浮き出てきている。更には戦艦中心の大艦巨砲主義と、近年、新たに興った飛行機中心主義の対立がある。
そのため海軍内の思想は必ずしも統一されておらず、一致団結しているという状態ではなかった。
どんな組織でも分裂していたり内部に問題を抱えていれば戦いに敗れる事もある。
だから「団結心」ではないだろうか、と。
第一部部長は考えた。
それは「訓練」ではないだろうか? と。
日本の国力から言ってどう足掻いても英米の海軍力には及ばない。
だが、戦いは数ではない。
日清戦争を見てみればいい。日露戦争を見てみればいい。
特に日露戦争でバルチック艦隊を破ったのは猛訓練のおかげである。
月月火火水木金と言う厳しい訓練こそが数の差を覆す。
前回、総長が「競技かるた」を持ち出したのはどうかと思うが、将兵の練度を高めるという方向性は間違っているとは思えない。
更なる厳しい訓練を積む事こそ必要ではないだろうか、と。
第二部部長は考えた。
それは「後方能力」ではないだろうか?と。
とかく戦いでは正面装備、所謂、艦の性能や数にばかり目が向きがちだ。
しかし、補給や修理などの後方能力を疎かにしていては、正面装備の力を十全に発揮させる事もできない。
後方能力の充実こそ必要ではないだろうか、と。
第三部長は考えた。
それは「情報収集能力」ではないだろうか?と。
勝敗の鍵を握るのは情報だ。
どれだけ戦力が大きかろうと、正確な情報を掴んでいなければ敗北する事もある。
正確な情報を掴んでいれば、小が大に勝ちをおさめる事もある。
だが、現在の海軍では情報収集能力が足りているとは言えない。
「情報収集能力」の強化こそ必要ではないだろうか、と。
そうした団結心、後方能力、情報収集能力、他にも士気や士官の数など、会議に参加している者達からの回答が伏見宮総長に寄せられた。
だが、伏見宮総長はその回答に満足しなかった。
「君達の言う事ももっともだ。だが、他にもまだ重要な物が残っているぞ」
暫し皆は考え更に思い付いた事を言ったが伏見宮総長は満足しない。
遂に音をあげた軍令部次官が降参した。
「我ら凡庸な者には難しい問題です。どうか答えをお聞かせ下さい」
伏見宮総長はその言葉に頷くと鷹揚に語り出した。
「帝国海軍に足りないもの
それは……
それは……
愛だ!!」
「「「「「「はっ? 愛?」」」」」」
総長を除きみんなの気持ちが一つになった。なんじゃそりゃ?と
「そう、愛だ!!」
だが、そんなみんなの気持ちにお構いなしに総長は畳み掛ける。
「「「「「「「?????」」」」」」
「帝国海軍は国民の皆様から愛されるような存在でなければならない。
だが、献納機を見てみたまえ。
なぜ最初に献納されたのが陸軍なのか!?
なぜ海軍ではなかったのか!?
海軍は陸軍に遅れをとっているのではないか!?」
献納機とは国民の皆様からの寄付で購入された飛行機の事だ。
自治体が寄付を募る場合もあれば、資産家が個人で寄付する場合もある。学校や宗教団体が寄付する場合もある。
陸軍が最初に献納機を受け取る事になったが、それは満州事変が発生し、それで陸軍を助けようと言う声が国民からわき上がったからであり、必ずしも海軍より陸軍に人気があったからというものではない。
総長を除く一同はそれを指摘したかった。
決して海軍は陸軍よりも国民の人気が劣っている事はないと言いたかった。
だが、言えなかった。とても言える雰囲気になかった。
熱く語る総長を前に下手な発言はできなかった!
何か妙な空気を纏って迸るように力を込めて話す総長が恐かった!
「「「「「「……」」」」」」
「いいかね諸君、帝国海軍は小さなお子さんから大きなお友達、はたまた腐女子の皆様にまで愛される必要がある!!」
大きなお友達って何でありますか!? と皆は言いたかった。
婦女子の「ふ」の字が変な「ふ」に聞こえたような気もした。
だが、おかしな迫力で熱弁をふるう総長が恐くて皆は何も言えなかった!
その間にも総長の熱き言葉は続く。
「それには、まず国民の皆様に帝国海軍へ親しみを持っていただくしかない。
親しみを持っていただくには視覚に訴えるのが一番の早道。
そこで絵だ。絵を利用するのだ。
軍艦に絵を描くのだ!」
「「「「「「絵でありますか!?」」」」」」
あまりにも以外な総長の言葉に皆は驚いた。
その時、総長から目配せをされた総長の副官が動き、会議に参加している全員に新たな書類を配布した。
その配られた書類の題名には『帝国海軍第一次イタ艦化計画』と書かれていたのである。
この時点では、皆、総長の話に判断がつかなかった。
一理あるような、無いような、一抹の不安を感じつつも皆はまだ平静だった。
だが、しかし、皆が書類をめくり、そこに描かれている物を見た時、全員の目が点になった。
最初のページに描かれていたのは、巡洋艦「高雄」だった。
その舷側に絵が描かれていた。
青い髪の少女だった。
西洋人らしき顔立ちでドレスを着た美少女だった。
その少女は左手を腰にあて仁王立ちしていた。
そして右手の人差し指を真っ直ぐ前にピシっと伸ばし、
「お船は沈まない!」と叫んでいるのである。
総長を除きそれを見た一同は唖然とした。
次のページは空母「赤城」だった。
その舷側に絵が描かれていた。
制服らしきものを着た女性が二人描かれている。
もし平成日本に生きている者がいたら、その制服女性を見て指摘しただろう。
婦警さんだ!と。
その婦警さん二人はウインクしつつ手をピストルの形にし
「攻撃しちゃうぞ!」と叫んでいた。
総長を除きそれを見た一同は愕然とした。
次のページは駆逐艦「若竹」だった。
その舷側に絵が描かれていた。
女物のような派手な着物を着崩して煙管を加えて片目に包帯を巻いている若い男の絵だった。その表情は狂気に満ちている感じだ。
その男が「俺はただぶっ潰すだけだ」と呟いている。
総長を除き、それを見た一同は呆然とした。
次のページは練習艦「千早」だった。
その舷側に絵が描かれていた。
畳の上に並べられた「かるた」を前に、着物にたすぎかけして正座している美少女の絵だ。
その少女は「一緒にかるたしよう!」と叫んでいた。
一同はもう唖然呆然だ。
それは「イタ艦」だった。
それは「痛艦」であった。
平成日本には「痛車」なるものが存在する。
自動車にアニメやゲームのキャラのイラストを描いて塗装したり大きなステッカーを貼った車だ。
「痛電車」もある。
メーカーが宣伝として、車にイラストを描く場合もあるが熱狂的なファンが自分の車を「痛車」としている場合もある。と、いうかファンの「痛車」の方が圧倒的に多いだろう。
夏●ミ、冬コ●なんかは東京ビッグサイ●周辺の駐車場に「痛車」がたくさん駐車している。
どこかの作者も、まぁ何とかの商人エスとか名乗っているどうしようもない奴だが、毎回ああいう「痛車」を見るのを楽しみにしていたりする。
「痛車」が走り回っている日本は平和である。
それはともかく、総長の「帝国海軍第一次イタ艦化計画」とは「帝国海軍第一次痛艦化計画」に他ならなかった。
そして当然の如く、それだけではなかった。
軍艦だけで終わる筈もない。
新たに総長の副官が二つの書類を全員に配布する。
それは「帝国海軍第一次イタ機化計画」と「帝国海軍第一次イタ車化計画」とあった。
海軍航空隊の保有する航空機と海軍陸戦隊の保有する戦車や車両にイラストを描く計画である。
それは痛機である。それは痛車である。
もはや会議室にいる一同には言葉も無かった。
ただ一人、伏見宮総長だけが気を吐いている。
「この計画は何としてでもやりとげねばならん!
陸軍に勝つために、
国民に愛されるために
是非とも必要な計画なのだ!!
やるのだ諸君!
意地を見せるのだ!
我らの理想を成し遂げるために!
帝国海軍の未来のために!!」
オタ趣味を帝国海軍に腐植する、あっ違った、扶植する伏見宮総長の熱く激しい戦いはなおも続く……
『題名は「宮様頑張る」だけど、誰もアメリカとイギリス相手に「頑張る」とは言ってない』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
<次回予告>
イカレタ作者は何を考えているのか、話を飛ばし突如、第7話を書きあげる……かもしれない。
総長は歩まねばならない道をひたすらに歩み続ける……かもしれない。
次回「・・・・・・・・・」
ご期待しないで下さい。
《と、いう夢を昨夜見たので、またまた「宮様、頑張る」を書いてみました。
前回は最後におかしな声が聞こえましたが、それはきっと何かの間違い。
そんなわけで「宮様、頑張る」は、これで本当にお終いです。
第5話はありません……たぶん》
『と、言うのが夢なのでおじゃる』
《えっ今回も?》




