0020話 幻の… (1942年8月23日)
●8月23日……
鮮やかな青色に彩られる広い空、点々と浮かぶ白い雲。
大地で繰り広げられる敢闘、熱闘、激闘の数々。
少年達がグラウンドで懸命に投げ、打ち、走り、プレーする。
汗と泥に塗れて涙を流す球児達。
スタンドからは盛大な応援と歓声とどよめきが轟く。
それは日本の夏の風物詩。
そう、それこそが夏の甲子園!!
突然、何を言い出しているのかと言えば、今日は『8月23日』なのだ。
『1942年の8月23日』なのだ。
つまり史実において「全国中等学校体育会野球大会」が開催された日なのだ。
今でこそ夏の甲子園大会は「全国高等学校野球選手権大会」という名称だが、昔は「全国中等学校優勝野球大会」と呼ばれていた。
史実では戦後に学校制度の改革があり、それで大きく日本の学校制度は変わった。
その影響で当時の中等学校は現代日本では「旧制中学」と呼ばれる事が多い。
その「旧制中学」は厳密には違うが凡そのところは現代日本の高校に該当する。
だから夏の甲子園大会は1948年の第30回目の大会から名称が「全国中等学校優勝野球大会」から「全国高等学校野球選手権大会」に変更された。
現代日本において2015年に開催100周年記念を迎えた「全国高等学校野球選手権大会」は、実は回数では97回目の大会だった。100周年でありながら第97回なのは戦争等で開催が中止された事があったからだ。
しかし、それ以外にも開催されながも「全国中等学校優勝野球大会」と「全国高等学校野球選手権大会」の歴史にカウントされなかった大会が一つだけある。
それが1942年の「全国中等学校体育会野球大会」だ。
戦前の「全国中等学校優勝野球大会」も現代の「全国高等学校野球選手権大会」も主催者は「◯◯新聞」だ。
その「全国中等学校優勝野球大会」は、緊迫する国際情勢を理由に1941年は開催が中止された。
しかし、1942年の「全国中等学校体育会野球大会」は戦意高揚を目的として文部省が主催した。
だから「◯◯新聞」の主催して来た大会とは少し名前が違う。
野球のルールにも変更があったり、甲子園球場に張られた横断幕には「戦ひ抜かう大東亜戦」などのスローガンが書かれた。
しかも主催は文部省と言いながら実際に大会を運営し、更にルールや試合内容に口出ししたのは軍という話だ。
えぇぃ! 軍とはどこの所属の者だ。戦時中とは言え子供の野球の試合内容にまで口出ししていた奴らは。
そんな事よりもっと他にやる事があるだろうが。
日本は今、国力10倍、人口2倍のアメリカと戦争しているんだぞ。
何をしてるんだ、まったく。
子供の野球に口と手を出す暇があるのなら太平洋は最前線のミッドウェー島やタラワ島の陣地構築でも手伝いやがれ! ってなもんだ。
まぁ当時は中等学校で軍事教練が行われていたし、「全国中等学校体育会野球大会」にも強い兵士を育てるという目的があったから仕方のない部分もあるかもしれないが。
まぁそういう時代だった。
それにしても野球大会に口出しするなんて事をするのはおそらく陸軍だろう。それも憲兵隊あたりか。
史実では憲兵隊は全国各地で開かれていた「かるた大会」まで中止させている。
何でも「かるた大会」で詠まれる「小倉百人一首」には恋の歌が多く浮ついてるからだめなんだと。やれやれ。
いいじゃないか子供たちに「野球」ぐらい好きにやらせたって。
いいじゃないか「かるた」ぐらい好きにさせたって。
内地で国民の皆様が「野球」や「かるた」をやってたからって日本が戦争に負けるわけでもないだろう。
子供達が軟弱に育つわけでもないだろう。
愛国心に乏しくなるわけでもないだろう。
それに国民にも娯楽や息抜きは必要だよ。
兵士にだって休日があるじゃないか。
陸軍も海軍も兵士達の慰労のために毎日「酒保」を開いているじゃないか。
ついでに言うと史実では物資が不足気味になって「酒保」でも物不足になった時、海軍では「戦給品」として色々と兵士達に配給しているぞ。ビール、羊羹、ゼリー、お菓子、煙草、飴、ラムネなど色々とだ。
戦時中だからって、そうそう国民の皆様を堅苦しく縛り付けるな、と言うのだ。憲兵隊め。
ただでさえ物資を軍に回すために国民の皆様には日々の生活での耐乏を強いているのだ。
ところで、自分は海軍だから陸軍の「酒保」は利用した事が無い。まぁ当然の話ではある。
太平洋戦争開始前の時点で陸軍の「酒保」では、アンパンが3個で5銭だったそうだ。うどんは一杯4銭。
陸軍のアンパンを一度食べてみたいものだが、自分の地位が地位だけに無理だよなぁ。残念。
まぁそれはともかく、主催者が「◯◯新聞」では無かったために、この戦時中に一度だけ開催された「全国中等学校体育会野球大会」は、「全国中等学校優勝野球大会」及びその後の「全国高等学校野球選手権大会」にはカウントされず、記録に残されていない。
そのため現代日本では「幻の甲子園」と呼ばれたりしている。
現代日本において「幻の甲子園」と呼ばれるこの大会は、本が書かれたり「NH◯」でドキュメンタリー・ドラマが作られたり、「BS朝◯」が2015年に開局15周年企画としてドキュメンタリー番組を製作して放送したりした。
その「全国中等学校体育会野球大会」が開かれた日が今日なのだ。
今日から29日までの間、甲子園に集いし16校が熱戦を繰り広げる。
「幻の甲子園」……その歴史の一コマを見る機会が今、ここに!
と、言いたいけれど、だが、しかし、自分は見れないのですよ。
連合艦隊司令長官ともあろうものが戦時中に連合艦隊司令部を留守にして野球見物はできませんがな。
残念。
この時代はテレビもないしね。当然テレビ中継も無いし。
それも残念。
せっかくこの時代を生きているのに、こうした歴史上の珍しいイベントをこの目で見れないとは。
何のために自分はこの時代を生きているんだ! って、そりゃ今は戦争に勝つためだよな。忘れちゃいけない。
しかし、あれだね、戦争が終わって平和になったら自分は幾つかの民間団体への押しかけ後援者にでもなろうかと思う。
特に「野球」や「バスケットボール」等の外国産まれの「スポーツ」と「かるた大会」の後援者になろうじゃないか。
史実でも今回の歴史でも「野球」なんかはアメリカ生まれのスポーツだから「敵性スポーツ」なんて呼ばれたりした。
もし、また戦争が起こって再び何かのスポーツが「敵性スポーツ」だとかいうふざけた論調が出たら今度は自分が正面から反論してやろう。
何が「敵性スポーツ」だ。
外国産まれのスポーツだからどうした。
それを言ったら兵器を見てみろ。
戦車を誕生させたのはイギリスだろう。
最初に飛行機を飛ばしたのはアメリカだろう。
戦艦「金剛」なんてイギリスで建造されたんだぞ。
今次大戦において日本軍が使った戦車や飛行機は「敵性兵器」だったとでも言うのか?
ふざけろ! と、どやしつけてやる。
「かるた」にしても「競技かるた」の大会を実際に見てみろというのだ。
「小倉百人一首」に恋の歌が多いからどうした。
「競技かるた」の世界に恋だの愛だの甘い空気なんて微塵も無いぞ。
あの緊張感、あの動き、あれはもう格闘技だ。
見ればわかる。
自分が初めて見た時はあまりの動きに度肝を抜かれたよ。
そう言えば史実では戦時中に「小倉百人一首」に代わり「愛国百人一首」というものが選定され1942年11月に発表されている。きっと今回の歴史でも同様だろう。
選定したのは「日本文学報国会」という組織だ。
文化的な側面から国策を国民に徹底させると共に愛国精神を高揚させて戦争に尽力させるという目的で「日本文学報国会」という組織が1942年5月に設立された。
小説家、詩人、画家、作詞家、出版業界の人など、そのメンバーの数は2600人以上にもなる。
その「日本文学報国会」が活動の一環として愛国精神に溢れる和歌を百首選び「愛国百人一首」として発表した。
まぁ愛国精神に溢れる和歌とは言っても、そうそう好戦的という物でもない。
自分が「愛国百人一首」の中で気にとめた和歌を一句書きとめておこう。
奈良時代の信濃国の役人、神人部子忍男という人が詠んだ歌だ。
「(ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ命は母父が為)」
いいですなぁ。特に「ちはやぶる…」という出だしが素晴らしい!
歌の意味は簡単に言えば、神様に無事を祈っているのは自分のためではなく父母のためなのです、という親孝行な内容だ。
現代日本では子が親を見捨てたり、その逆もよくある話で、随分と前から家族崩壊が叫ばれる中、何とも見習いたい考えだ。
おぉっ、そう言えば史実の山本五十六さんも俳句をよく作っていた。
中には可笑しな俳句もあったけど。
よしっ自分も一句。
これから始まる「ラビ攻略作戦」に思いを馳せて……
よしっ、できた!
「ミルン湾 飛行機突撃 風切り音 キーン!」
…………………………………………!
おっ、おかしい! なっ、なんなんだ、このヘボな句は!
五七五にもなっていない。字余りばっかり、季語も無い。
も、もう一句だ!
……よしっ、できた!
「米英を 片手であしらう 海軍よ」
…………………………………………!
な、何だこのヘボヘボな句は。
ダメダメじゃないかっ!
どうした五十六! 頑張れ自分! お前の本気を見せてみろ!
もう一句だ!
…………………………………………………………………………………………………………………………
…………………………………………………………………………………………………………………………
だ、だめだ! できん。何も思い付かん。
史実の山本五十六さんの能力を受け継いんだじゃなかったのか自分は。
少なくとも将棋の腕は現代日本で暮らしていた頃より上手くなっていたのに。
なぜ、こうもヘボな句しかできないのだ!
自分には才能が無いのか…………
……よしっ! 今の俳句は無かった事にしよう。
幻の俳句なのだ。
今日、自分は俳句など作っていない。作ろうとした事もない。考えてもいない。
今日は何も無かったのだ!
よし、そうしよう。
ところで、史実における「日本文学報国会」のメンバーは錚々たる人達だ。
会長は貴族院議員でジャーナリストであり歴史家でもあった徳富蘇峰さん。
理事や顧問や会員には
「文藝春◯社」を創立し、芥川賞、直木賞を設立した菊池寛さん。
「岩波◯店」の創立者の岩波茂雄さん。
「新潮◯」の創立者の佐藤義亮さん。
「三国志」の日本語訳で有名な吉川英治さん。この人は戦後に戦犯追及を恐れて身を隠していた辻政信に逃亡資金を融通している。
1964年の東京オリンピックの開会式と閉会式で歌われた「東京オリンピック賛歌」を作詞する佐藤春夫さん。この人の門弟達がまた凄い。太宰治さん、柴田錬三郎さん、遠藤周作さんなどを始めとして多くの有名人がいる。
民俗学の第一人者、柳田國男さん。日本の民俗学はこの人を抜きには語れない。
「讀◯新聞」のオーナーで戦後にプロ野球の球団「読売ジャイアン◯」を創設した正力松太郎さん。
他にも詩人の高村光太郎さんや小説家の武者小路実篤さんなど有名人が沢山いる。
何かもうこれらの皆さんに色紙にサインして欲しいんですけど。家宝にしますんで。
そうだ! 一回、連合艦隊旗艦の「大和」に皆さんをご招待しよう。何とか理由をこじつけてそうしよう。
それでサインを貰うのだ! これは最優先事項なのだ!
おっといけない。大事な人を書き忘れてた。
「日本画の巨匠」とか「近代美術の巨匠」と呼ばれた横山大観さんも「日本文学報国会」のメンバーだ。
横山大観さんはとても軍に協力的だった人だ。
個人で軍用機を4機も寄付してくれた。
「献納機」という物だ。
「献納機」の始まりは、1932年に国民からの献金で陸軍に2機の飛行機が寄付された事から始まる。
満州事変が発生すると軍へ献金しようという風潮が出てきて、それを軍が利用して兵器の充実に役立てたという形だ。
最初の「献納機」は「愛国1号」と命名されたユンカースK37爆撃機と、「愛国2号」と命名されたドルニエ・メルクール輸送機で、どちらも満州の関東軍に配備され使用された。
この「愛国1号」と「愛国2号」については、代々木練兵場で命名式が盛大に行われ、一説にはそれを見るために10万人の観衆が詰めかけたとも言われる。
命名式では陸軍航空隊の戦闘機4機によるアクロバット飛行が行われ、ラジオ中継もされた。
これが契機となって日本全国で「献納機ブーム」とも言うべきブームが到来する。
企業や自治体、さらには学校や個人で軍へ「献納機」を贈ろうとする事例が増えたのだ。
地方自治体の「献納機」の場合は、その地元で盛大に命名式が行われた。
陸軍は「献納機」を「愛国号」と名付け、海軍は「報国号」と名付けている。
さらに献納された各機には固有名として献納してくれた団体や個人の名前が付けられている。
こうした「献納機」の写真は現代日本にも結構残っているが、それを見ると、陸軍機の場合は機体に「愛国」と大きく書かれ、その次に日の丸のマークが描かれ、次に何番目の献納機か番号が書かれ、次に献納してくれた団体や個人の名前が書かれている。
団体や個人名の場合、例えば石川県が献納した機体には「石川」と書かれている。
先に述べた横山大観さんが献納した機体は「大観」と書かれていた。
ちなみに横山大観さんが献納したのは陸軍へが九七式重爆撃機と九七式戦闘機で、海軍へは九六式艦上戦闘機と九六式陸上攻撃機だ。
1939年に横山大観さんは画家となって50周年と皇記2600年を記念した個展を開く。そこで海と山を題材にした一連の20作品を1点2万5千円で販売し、その売上げの合計50万円を使用し献納している。
個人で献納した人は結構いるようで、ある富豪は一人で10機も献納し「愛国号献納王」と呼ばれたらしい。
海軍への軍需品を納入していた軍需会社社長の未亡人なども6機も献納している。
戦国時代に豊臣秀吉に仕えた事で有名な蜂須賀小六の子孫である蜂須賀正氏侯爵も1機献納している。
個人で献納した人は他にもかなりいるようだ。
団体としては当時存在した色々な企業や組合が当然多いが、中には現代日本でも現存している某有名百貨店や某映画会社、宗教団体等からも献納があった。
全国の中学生から献金を集めたり、小学生から献金を集めたり、女学生から献金を集めての「献納機」もあった。
小学生の「献納機」には機体名として「児童」と書かれていたらしい。
戦争とか軍用機はともかくとして、機体に「児童」とか「中学生」とか「女学生」と書かれている飛行機が大空を飛んでいるのは何か微笑ましいものを感じる。
こうした「献納機」がどれぐらいの数があったのか、正確な機数は不明だ。敗戦の混乱で記録が失われてしまったらしい。
一説によると陸軍の「愛国号」が7000機以上、海軍の「報国号」が5000機以上あったらしい。
軽く1万機を超える「献納機」があったようだ。凄い数だ。
今回の歴史でもこれまでに数多くの「献納機」を日本全国の国民の皆様からいただいている。
国民の皆様のお力添えには頭が下がるばかりだ。
今回の歴史では勝利して是が非でも「献納機」の記録が失われないようにしたい。
長々と「献納機」の話をしてしまったが、話を戻そう。
ともかくだ。戦争が終わって自分が退役したら外国産まれのスポーツや「かるた大会」の後援者になろう。
そして再び憲兵隊がこうした団体に何か言って来るような事があったら今度は自分が正面から対抗してやろうじやないか。戦ってやるぞ! 徹底抗戦だ!
憲兵隊め、阻んでやる! 邪魔してやる! 立ちはだかってやる!
いい老後の楽しみができたよ。くっくっくっ。
!! あっ、いや、これはですね、軍にお力添えくださる国民の皆様の権利とその生活を少しでも守ろうというわけでしてね。
決して個人的に憲兵隊が気に入らないから喧嘩を売って困らせてやろうなんて事は露ほども建て前では思っていないのですよ。建て前では。はっはっはっはっ。
まぁそんな話はともかく、いよいよ東ニューギニアで「ラビ攻略作戦」が始まる。
本日より大々的にラバウル航空隊がラビ方面への航空攻勢に出る。
「第8艦隊」も既に動いている。
上手くいってくれるといいのだが。
少し心配なのは連合軍に手の内を見透かされている可能性がある事だ。
日本海軍は「ミッドウェー島攻略作戦」直前に暗号の更新をしている。
しかし、史実では厄介な事に7月以降のラバウル方面での日本軍の動きをアメリカ軍に殆ど察知されている。
この頃アメリカ軍が日本軍の動きを察知していた方法は、暗号解読よりも主に通信解析と鹵獲文書によるものだ。
アメリカ海軍の通信諜報班が敵ながら良い仕事をしていたのだ。
日本軍の通信手段の癖や特質、交信量といった物と、艦船の推定位置を通信解析により分析し、その積み重ねられた情報から日本軍の作戦構想を見事に解明していた。
「第4艦隊」や「第8艦隊」の殆どの戦力が把握されており、ラバウル行きの輸送船の運航までもが解析されている。
しかも、撃墜された日本軍機の残骸から作戦に関する重要書類が鹵獲されるといった出来事も発生しており、南方の最前線の情報は敵に筒抜けに近い状況だった。
史実と同じく今回の歴史でも同じような状況かもしれない。撃墜された日本軍機より重要書類が鹵獲されているかもしれない。
だが、まぁそれは不利な要素ではあるが絶対的要素というものでもない。
史実における「ガダルカナル島攻防戦」初期の「第8艦隊」による「第一次ソロモン海戦」の勝利を見れば、それはわかるだろう。
アメリカの通信諜報班の仕事とて完璧ではないし、戦場では目まぐるしく状況は変化する。
解析した情報が届けられた頃には既に役立たないという時もある。
ともかく「第8艦隊」とラバウル航空隊の頑張りに期待しよう。
ところで今日の昼食は「鯛麺」だった。
広島などの瀬戸内海沿岸地方に伝わる郷土料理だ。
簡単に言えば、大皿にそうめんを盛ってその上に鯛の姿煮を乗せたもので、そうめんは醤油をベースにした鯛の煮汁でいただく料理だ。そうめんを海に見立てて、鯛が泳いでいるという盛り付けらしい。
縁起物の料理でお祝いの席でよく出されるという話だ。
そうめんの「細く長く」と鯛の「めでたい」とを合わせて「長くめでたい事が続きますように」とか「めでたいご縁が長く続きますように」という意味だとか。
いやぁ美味いよ。これ。
鯛からいいダシ出てますなぁ。そうめんはツルツルと食が進みますがな。
特に自分なんかもう歳が歳だからね。夏の暑い時なんか、こうしたそうめんは嬉しいね。
「ラビ攻略作戦」が始まったので験担ぎでこうした縁起物の料理を出してきたのだろうけど、夏にはぴったりの料理だね。
満足、満足。
午後に海軍軍令部の情報部から情報が入って来た。
アメリカ政府と中華民国の蒋介石主席の関係が悪化しているらしい。
この情報の出所は何所だ?
アメリカ本土で活動している外務省の諜報機関「東機関」か?
それとも中国大陸で中華民国に対し諜報活動を行っている海軍の「南城機関」、通称「G機関」か?
まぁ、どちらでもいいか。情報が正確ならば。
この時期にアメリカ政府と中華民国の蒋介石主席の関係が悪化しているのは史実通りの展開だ。
これは「ドーリットル東京空襲」が原因だ。
もともと蒋介石主席は「ドーリットル東京空襲」に反対だった。
東京を空襲したB25爆撃機がそのまま中国に飛来すれば、日本軍の苛烈な報復攻撃が中国に行われる事が予想されたからだ。
だから蒋介石主席もB25の爆撃作戦後の飛来を当初はなかなかアメリカに対して許可しなかった。
だが、アメリカの支援無しでは日本軍と戦えない以上は折れるしかなく、結局承認する事になった。
そして、事態は蒋介石主席の恐れていた通りとなる。
史実では「ドーリットル東京空襲」に衝撃を受けた日本陸軍は、二度と敵爆撃機の帝都空襲を許さないために、B25爆撃機の降りた中国南部に対しての攻勢作戦に出た。以前にも述べたが「浙贛作戦」だ。
今回の歴史でも「浙贛作戦」は史実通り5月14日に開始され現在も進行中だ。きっと史実と同じく来月末までかかるだろう。
蒋介石主席にとっては最悪の予想が的中した事になる。
実際、史実では蒋介石主席は不満と怒りの電報を何通もアメリカ政府に向けて打ち、両者の関係は冷え込む事になった。きっと今回の歴史でも同様な事態となっているのだろう。
しかも、史実では日本軍の「浙贛作戦」が開始され、その攻勢を中国軍が食い止められない状態になっていた頃には、中華民国内部の有力者の中に連合軍の敗北を予想する者が出始めていた。
そして日本が勝利する戦後を睨んで、日本軍と誼を通じる必要性を考える者も出始めていた。
今回の歴史では「ミッドウェー海戦」で日本は更に勝利を上積みしているから、より一層、中華民国内でのそうした動きは強くなっていくだろう。
よしっ! いいぞ。日本軍に有利な流れだ。
まぁ実際の所は蒋介石主席と中華民国については陸軍にお任せだ。海軍はアメリカとイギリスを相手にするだけで手一杯だからね。
三和参謀が出張から帰って来て報告を受けた。
元々は渡辺参謀と共に「ハワイ攻略作戦」の打ち合わせで海軍軍令部に行っていた。
打ち合わせ後、渡辺参謀は直ぐに帰らせたが、航空参謀である三和参謀には、現在、編成を完了し猛訓練に励んでいる新設された各航空隊の状況を見に行かせていたのだ。
その報告によると各隊とも問題は無いようだ。良かった。
三和参謀は視察が思ったよりも捗ったので、現在、試験飛行を行っている「十四試局戦・J2M1」も見て来たそうだ。
こちらは、まだ改修すべき点があるので、生産が開始されるにはまだまだ時間がかかりそうという事だった。
「十四試局戦・J2M1」ね……
後の局地戦闘機「雷電」だ。
なかなか機体のトラブルが解決せずに実戦配備が遅れてしまったという史実での問題機だ。
この「J2M1」の設計チームの主務者は、零戦を世に送り出し事で有名な堀越技師だ。
ただし、堀越技師は機が完成する前に過労で倒れてしまい、開戦前の1941年9月の時点で、主務者を高橋技師に引き継いでいる。
何か、後のトラブルだらけの機体開発を暗示するかのような主務者の交代だ。
史実では「J2M1」での改良点は大きく分けて三つあった。
視界の向上。プロペラの改良。エンジン性能の向上。
そして改良された「J2M2」が1942年10月13日に初飛行する。
しかし、ここからが問題だった。
エンジンとプロペラの共振から来る振動が問題になるほど大きかったのだ。
他にも機体構造の欠陥から墜落事故を起こし殉職者も出ている。
速度を上げると前縁部が下がり昇降舵を上げたのと同じ効果を生み、機種が上がってしまうという欠陥も出た。
こうした問題が次から次へと出てなかなか生産に移れなかった。
その間にもアメリカ軍は新型機を次々と投入してきているという状態に日本は陥ったのだ。
複数ある「J2M2」の問題の中でも特に手を焼いたのが振動の問題だ。
この振動の解決には1年近く費やしている。
結局、これはプロペラの羽根を厚くして剛性を高める事により、一応の対処はできたが、あくまでも応急的な処置にしか過ぎなかった。プロペラの羽根を厚くして剛性を高めれば、その分、プロペラの効率は低下し性能は落ちるからだ。
ただでさえ、アメリカは優れた性能の戦闘機を投入してきているのに、性能を落とした機体で良しとできよう筈もない。
最終的にはこの振動問題はエンジンの主気筒の位置を変える事で解決を見るが、それは終戦直前の事だった。
今回の歴史でもこのまま行けば「雷電」の登場は史実通り遅くなるだろう。
その分を零戦で頑張ってもらわなくてはならない。
だからと言って、この時点で、いや後のどの時点でもいいが、自分が試作機の問題点についてとやかくは言えない。
自分は設計に携わっているわけでもなければ、テストパイロットでもなく、これまで「J2M2」には全く関与していない。専門家でもなく権限も無いのに、試作機の欠点について、それこそ専門家を差し置いて、あれこれは言えない。
これまで何度も繰り返して言っている事だが、まさか「自分は史実を知っている」とは言えない。
「雷電の問題点はこことここであり、こう改良すればよい」何て言えない。
言ったところで、誰が信じるだろうか。それどころか自分は精神状態を疑われて下手をすれば病院送りにされてしまうだろう。
だが、このまま行けば戦闘機の性能で苦労する事になる。
本当に困ったものだ。やれやれ。
三和参謀の報告を聞いた後、今度は黒島参謀が苦々しい表情で報告しに来た。
何があったのやらと思ったら、太平洋での飛行艇隊による敵後方への爆撃作戦の件で、実施部隊が再考を要望して来たのだ。
この作戦計画自体は全て黒島参謀に丸投げしていた。
先日、黒島参謀が作戦計画を完成させ提出して来たので認可しておいたのだが……
こういうのは珍しい。大抵は黙って上からの命令を実行するのが殆どだ。
これは余程の理由があるだろうと思ったら、当然というか戦力不足と任務過重がその理由だった。
元々、開戦時に飛行艇部隊は「横浜海軍航空隊」と「東港海軍航空隊」の2隊があった。
しかし、開戦後における占領地の拡大から一隊を増加した。
「第14海軍航空隊」を新設し3隊編成となったが、それは「横浜海軍航空隊」と「東港海軍航空隊」から飛行艇を抽出してのものだ。
それまで「横浜海軍航空隊」と「東港海軍航空隊」における飛行艇の定数はそれぞれ24機だったが、8機づつ抽出し16機に減った。
これで定数を16機とする飛行艇隊を3隊としたのだ。
つまり飛行艇隊の数は増えても機数は変わらずという状況。
現在「横浜海軍航空隊」の本隊はラバウルにいるが、ツラギ島に配置していた支隊がアメリカ軍の奇襲攻撃にあったために定数の四分の1の機体が失われたばかりだ。
「第14航空隊」はマーシャル諸島に配備されているが、ミッドウェー島を占領したので分遣隊を派遣しており本隊の機数は少なくなっている。
「東港航空隊」はインド洋に配備され作戦を行っている。
つまり「横浜海軍航空隊」は敵の攻撃を受け戦力が減少し、「第14海軍航空隊」は戦力を分遣しているのでやはり戦力が減少している。
それに、これまでの任務で消耗した機体もあれば整備中の機体もある。その上、アメリカの空母部隊が出撃しているという事で、哨戒任務を更に密にしている。
この状態ではとても新たに夜間爆撃作戦はできないというわけだ。
無理をすればできる事はできるが。それでは搭乗員への負担が大きくなり過ぎ、それは任務の失敗や更なる機体の消耗に繋がりかねないという現場からの悲鳴だ。
もっともな意見なので、この作戦は一時凍結する事にした。
無理をして無駄な消耗は招きたくない。
黒島参謀は実行部隊からの反対意見具申にかなり不満そうだったが、なだめておいた。
戦争だからね。
味方の事とは言え、そうそう思い通りになる事ばかりではないよ。
夜、ちょっと書き物をした。
書いた物は感想と意見表明みたいなものだ。
先日読んだ「世界史の動向と日本」という論文について書いてみた。
この論文は先月の7月19日に発売された改造社の雑誌「改造」の8月号と、今月19日に発売された同じく「改造」の9月号に二回に分けて掲載されたもので、著者は細川嘉六氏だ。
史実通りならば、この論文は来月問題になる。
この論文の内容は、現状において南方を支配下に置いている日本は、西欧諸国のような植民地支配を行ってはならず、アジアの人々の独立を手助けするべきだというものだ。
まぁ正論と言うよりは理想論だろう。
この論文はきちんと内閣直属の情報局検閲課の検閲を受けた後に掲載されている。
本来なら問題は無い。
ところが後から物言いを付けた者がいた。
陸軍報道部長の谷萩大佐だ。
この論文について、共産主義の宣伝であり、これを見逃がしたのは検閲の手抜かりであると「日本読書新聞」の9月14日号に談話を載せたのだ。
陸軍報道部も報道の必要性から雑誌社を担当する将校もいるし発表する記事は指示をする。
とは言え軍事機密に触れる事ならともかく、このような論文の内容の是非を問う権限は陸軍報道部には無いし口を出す問題でもない。
完全に横槍だ。
陸軍報道部で雑誌社担当だった少佐などは、各雑誌社の者達を前に、この論文にある南方の諸民族との平等な立場での提携は、民族自決主義であり、敗北主義であり、日本の指導的立場を否定する反戦主義であり、共産主義に他ならないとして、「改造社」の責任や雑誌の継続の取り止めについてまで言及したそうだ。
本来、論文の内容に問題があるかどうかを判断するのは情報局検閲課であり、問題があったとしても、その責任を問う役はやはり情報局検閲課の役割だ。雑誌の継続についてもまた然り。
それにとやかく口を出すのだから、これはもう陸軍報道部の管轄破りであり増長だ。
しかし、戦時下での陸軍の威光はとても大きい。
結局、警視庁が陸軍報道部の意に沿うように動き論文を書いた細川嘉六氏は逮捕される。
「改造社」では編集長と論文を担当していた編集者が辞職に追い込まれた。
「改造」の8月号と9月号は今更ながらに発禁処分とる。
情報局検閲課では担当者が進退伺いを出したという話もある。
それどころか、この件を発端として、他の出版社や新聞社にも捜査の手が伸び、多くの逮捕者が出る事態となっている。
何せ細川嘉六氏と数人の者が写っている写真が出てきたら、それを共産党再建の謀議の証拠と決めつけ、写っていた者達を逮捕するなんて事もしている。
所謂「横浜事件」と呼ばれるものだ。
横浜の警察や横浜地方裁判所が担当した事からそう呼ばれた。
ただ、「横浜事件」はこの件だけではなく、他にも共産主義者の摘発や政治犯の摘発などの10個の事件を含んだものの総称でもある。戦時中に横浜を中心に起きた治安維持法違反者摘発事件の総称と言ってもいいものだ。逮捕者は判明している者だけでも64人にもなった。実際にはもっと逮捕者が出ていたという話もある。
「世界史の動向と日本」は、そんな事件を巻き起こす事になる論文だ。
そんな論文について自分は感想の手紙を出そうというわけだ。
感想の内容としては……
論文の主旨は理解できるが、現状では何よりも優先するべきは連合国との戦争に勝つ事であって、そのためにはアジア諸国の独立に手を貸すのが遅れるのも致し方のない事。
ただ、こういう日本とアジアの在り方について民間でもより良い道を考察するのは、とても良い事である。
これも天皇陛下の御仁徳の賜物であり、なおより一層、日本とアジアと更には世界の人達のために、活発な論議や考察を行い、更により良き提案が出る事を望むものである。
と、まぁそんな事を書いておいた。
これを「日本読書新聞」に送るのだ。
さて、「日本読書新聞」ではどうするかな?
片や陸軍報道部長から「世界史の動向と日本」について共産主義だと批判する談話が送られ、
片や連合艦隊司令長官から同じ論文について、理解を示す感想が送られて来たら。
板挟みになるだろうね。
恐らく「日本読書新聞」は陸軍報道部に連合艦隊司令長官から問題の論文について感想が送られて来ましたが、どうしましょう? とお伺いを立てるのではないだろうか。
陸軍報道部も相手が海軍のそれも大将で連合艦隊司令長官ともなれば困惑するだろう。
まさか連合艦隊司令長官ともあろう者を共産主義者呼ばわりはできまい。
陸軍の威光を持ち出すにしても陸軍報道部長は大佐に過ぎない。大将相手では荷が重かろう。
では陸軍上層部に掛け合うか、と言っても元が管轄違いの件だからね。陸軍上層部が動くかな。
そもそも論文は情報局検閲課が既に許可を出している物なのだし。
泣く泣く談話は載せなくていいと言い出すか、もしくはそれでも陸軍上層部に泣きつくか。
とかく暴走しがちな陸軍の事だから、海軍にダメージを与えるために陸軍上層部の中には動く者もいるかもしれない。
自分としてはどちらでもいい。
陸軍上層部がとやかく言って来たならば、それはそれで面白い。真っ向から反論してやる!
今年1月23日に東条英機首相が行った「大東亜宣言」を引き合いに出して正面から反論してやろう。
「大東亜宣言」では、アジアの各国、諸民族との共存共栄やフィリピンやビルマに対しては、その独立をも言及している。その東条英機首相の言葉を前面に押し立てて論戦を挑んでやる!!
舐めるなよ陸軍め。
自慢じゃないが、この自分は、屁理屈、こじつけ、言い掛かり、ならば帝国海軍史上最強を自負しているのだ!
それに陸軍VS海軍というよりも、陸軍VS言論の自由とマスメディアの味方の山本五十六連合艦隊司令長官という形に持って行き、マスメディアと民衆の支持を自分に集めるよう持って行くようにしよう。
これも将来、もしかしたら、ありえるかもしれない可能性の一つのためにだ。
以前にも言ったが、自分としてはあまり気は進まないが、あまりに東条首相と陸軍が暴走するようであれば、今の職を辞し陸に上がって止めに行かなきゃならんだろうと思っている。
そのためにはマスメディアの好意と国民の人気は是非とも得ておきたいからね。
そのための小さな布石だ。
何にせよ、陸軍上層部を論戦で叩く機会がくるのなら、それは実に楽しみな事だ。
くっくっくっ、本当に楽しみだ。
まぁ陸軍報道部が今回は大人しく諦めるならばそれでもいい。
地位を笠に着て、下位の者の増長した思惑を潰す、踏み躙る……
くっくっくっ、最高じゃないか! 楽しいじゃないか!!
どちらに転んでも楽しみな事だよ。
くっくっくっくっワッハッハッハッ
あぁいかん、いかん、なんか黒い笑みが漏れ過ぎている。
もっと取り繕わなくてはね。
それにしても思う。
こうした検閲については、随分と日本とアメリカのやり方は違う。
特に史実における日本の報道の仕方は検閲と言うよりも、まさに軍の広報宣伝活動以外の何物でもなかった。
何せ、新聞の見出しに何を載せるか、一面のトップ記事に何を載せるかまで軍の報道部が指示していた。
もう検閲どころの話ではない。
しかし、新聞社や雑誌社は何も言えない。
新聞や雑誌を製作するための紙の供給を政府が握っていたからだ。
下手に抵抗すれば紙の供給を止められ、更には治安維持法違反を問われ逮捕される。これでは何も言える筈がない。
一方、アメリカのやり方は現代日本ではよく「自主検閲」をしていたとの声を聞く。
「自主検閲」と言うと、まるで出版社などが自主的に検閲していて、アメリカ政府は何も規制していないようにも思える言葉だが、そうではない。
アメリカも「検閲局」を設け報道してはいけない事を規則で定めていた。
日本との戦争開始から約1ヵ月経った1942年1月15日には、アメリカの「検閲局」は「戦時規定」をマスメディアに向け告示している。
これは報道してはいけない項目を定めたもので、次の8項目からなる。
1.軍隊の移動について
2.艦船の情報について
3.飛行機の情報について
4.沿岸警備状況について
5.工場での生産状況について
6.気象情報について
7.写真と地図について
8.軍隊の被った被害状況について
こうした「戦時規定」の項目は戦局悪化と共に次々と追加され17項目にまで増えている。
戦局が好転すると項目も減らされているが。
そこらへんは実にアメリカらしい対応だ。
アメリカの「検閲局」は、ただ告示してマスメディアが「戦時規定」を自主的に守るようにしていたわけではない。
「検閲局」は1万人以上の職員で、新聞、雑誌、ラジオ局等で書かれている事、報道している事をチェックし、「戦時規定」が守られているか監視している。
だからアメリカの場合「自主検閲」とは言っても、必ずしも全ての事柄についてマスメディアが自主的に判断し自主的に検閲していたわけではないのだ。
まぁこうした「戦時規定」の項目に書かれている事柄が、何の規制も無しに自由に書かれたり報道され、それを日本が掴めばアメリカ軍の不利になる事は当然なので、政府が情報を規制するのは当たり前の事ではある。
日本の場合は、検閲や情報統制がかなり行き過ぎの状態になったが。
何にせよアメリカの検閲や情報統制は日本より緩かった。
そして、それは日本にとって有利な要素でもある。
アメリカのマスコミは日本と違い容赦無く政府を批判する。
政府の腐敗や不正の監視役を担っているという考えがあるからだが、第四の権力と言われるほどの力を持つ。影響力と言った方がいいだろう。
「戦時規定」を設けてもマスコミは聞きたい事は聞き、不自然な点があれば追及する。
アメリカの検閲や情報統制は完璧だっとか、成功したという声もあるが、史実は以外とそうでもなかった事を示している。
例えば「ドーリットル隊の東京空襲」だ。
これは当初アメリカで大成功として報道された。
それはいいが「ドーリットル隊」の被害についてアメリカ軍は糊塗し、最初は「全機無事帰還」で通そうとした。
しかし、日本の発表は違う、世界に9機の撃墜と捕虜を得た事を放送している。
アメリカのマスメディアも日本の放送に耳を傾けていたので、アメリカ軍への追及が始まり、結局、軍は「全機無事帰還」を押し通す事はできなくなったという例がある。
更に「ドーリットル隊」について言えば、後に捕虜になった者達を日本は処刑する。
これが確定情報として中立国スイスからアメリカ政府に伝えられると、ルーズベルト大統領は怒り1943年4月21日に日本に対する強硬な演説を行う事になる。そして軍は再度、「ドーリットル東京空襲」の成果を強調する事になる。
だが、アメリカのマスコミはこの時点では既に「ドーリットル空襲の成果」には冷ややかだった。
「ドーリットル東京空襲」はアメリカ軍が言う程の大きな成果は無く、犠牲も大きかった事が分かって来ていたからだ。
アメリカのマスメディアで代表的なものの一つ「タイム」では、この頃は「ドーリットル隊の写真を見ても勝利の喜びなどこみあげて来ない」と記事に書いている。
他社も同様で「済んでしまった愚かな作戦を蒸し返さず、新たな勝利を」という記事を書いている新聞もあるほどだ。
それだけアメリカのマスメディアは自国の政府と軍に対し厳しい目を向けている。
ただし、日本による「ドーリットル隊」の捕虜の処刑だけは、「真珠湾攻撃」と同様の効果を生みだしアメリカ国民を憤激させ日本憎しの感情を増幅させている。
これについては自分としても今回の歴史では、できるならば捕虜の処刑はやめさせたい。
悪戯にアメリカ国民の敵愾心を煽りたくは無い。
だが、連合艦隊司令長官という立場では、「ドーリットル隊」の捕虜の裁判に口を出す権利も権限も無い。
裁判の判決である死刑にして同様で口を出す権利も権限も無い。
なんとも残念な事だ。
ところで、この「ドーリットルの東京空襲」の報復として日本軍はアメリカ本土爆撃を行ったという話がある。
「伊25」号潜水艦の搭載機によるオレゴン州への爆撃作戦だ。史実では1942年9月9日と9月29日の2回行われた。ただし、成果は0だった。
ただ、どうもこの作戦については最初のうちは報復作戦という話が見えてこない。
それに「ドーリットル東京空襲」は4月で、「伊25号」潜水艦にアメリカ本土爆撃の命令が下ったのは8月になってから。6月に「ミッドウェー島攻略作戦」があったにしても、報復にしてはのんびりしているし遅すぎる感じがする。
後にこの作戦に参加した人達から「ドーリットル東京空襲」への報復とか返礼と言う言葉が出て来るが、それは後付けで報復という要素を盛り込んだのではないだろうか。
まぁべつに悪い事でも何でも無いが。
それはともかく、アメリカ政府は、この日本軍機によるアメリカ本土爆撃について極秘にしようとした。
しかし、マスメディアはそれを許さず逸早く報道している。新聞社の中には号外まで出したところもあった。
また、政府がこの事件を隠蔽しようとした事は、国民に政府への不信感を植え付け、他にも隠し事があるかもしれないという疑念をも持たせる結果となっている。
アメリカの検閲や情報統制が成功しているばかりでは無い実例だ。
ちなみに今回の歴史でも既に、「伊25号」潜水艦はアメリカ本土爆撃のために日本を出撃しているよ。
ふっふっふっ。
それから「風船爆弾」の例もある。
正確には「風船爆弾」ではなく「気球爆弾」と呼ぶらしい。
「風船爆弾」の作戦は「ふ号作戦」と呼ばれた。
大きな無人の気球に爆弾を載せ日本本土から偏西風に乗せてアメリカ本土に到達させ爆発させようというものだ。
「ドーリットル東京空襲」の報復策の一つとして計画はスタートした。
当初は海軍と陸軍が別々に計画していた作戦だ。
最初は潜水艦がアメリカ本土に1000キロの距離まで接近し、そこから「風船爆弾」を放つ予定だった。
しかし、戦局が日本に不利となり海軍も潜水艦を「風船爆弾」に割く事は難しい状況になったため、1943年8月には日本本土より直接「風船爆弾」を放つ方式に計画は変更された。
海軍の「風船爆弾」の研究は途中で中止され陸軍に引き継がれる。
その陸軍では「風船爆弾」の予算に2億円もかけている。
駆逐艦なら高性能な艦を13隻は建造できる額だ。
そして多大な予算を使った結果「風船爆弾」は完成した。
史実では1944年11月7日から「風船爆弾」がアメリカら向けて放たれている。11月3日という説もある。
その数、約9300個。1000個程がアメリカ本土に到達するだろうという予想だった。
アメリカでは、このアメリカ本土に到達した「風船爆弾」について情報統制を行い極秘にした。
当初はそれもうまく行き、マスメディアも情報を流す事は無かった。
日本側では、アメリカ国内での反響が無く成果無しと判断し、この「ふ号作戦」は1945年4月には打ち切った。偏西風は冬を過ぎると弱まるという事もあったからだ。
だが、しかし、日本が「ふ号作戦」を4月に打ち切った、その一ヶ月後の5月にアメリカで問題が発生する。
オレゴン州で魚釣りに出かけた女性と子供5人が、不時着している「風船爆弾」を見つけ、調べていたら爆発してしまい、その場にいた者は全員が死亡してしまったのだ。
女性と子供という弱く守られるべき者が6人も犠牲になった事は大きかった。
関連各所から「風船爆弾」の情報を極秘にしていたアメリカ政府への方針に批判が寄せられる事にる。
まぁ「風船爆弾」の情報を公開をしていれば、子供達が不用意に近づいたりして爆発を起こし亡くなる事はなかったかもしれないとは誰しも当然考える事ではある。
結局、アメリカ政府も「風船爆弾」の情報を隠し続ける事はできず、ある程度の事は発表せざるをえなかった。これも情報統制が完璧にはいかなかった一例だ。
まぁ「風船爆弾」については大まかなところは日本に対しては情報統制は効果があったと言えるが、それも殆ど終戦が近づいてた時期の話ではある。
もし、終戦がまだ先だったならば、日本の「ふ号作戦」も再開となっていた可能性も捨てきれない。
ただ、どこまで「ふ号作戦」で実際的な効果が見込めたかは疑問の余地があるが。
そんなわけで、これらの例が示すように必ずしもアメリカ政府による情報統制と検閲は完璧とは言えず、更にマスメディアはアメリカ政府を批判するのに躊躇しない。
これは前にも言った通り、日本にとって有利な要素だ。
大きな要素でもある。
利用できればその恩恵は大きいだろう……
ところで、「ふ号作戦」はアメリカ軍に大きな負担を与えている。
沖縄攻略作戦に参加する予定だった戦闘機部隊の数個中隊が「風船爆弾」迎撃任務に振り向けられている。
他にも幾つもの戦闘機部隊がこの任務に張り付けにされている。
「風船爆弾」が爆発し火災が起こった場合に備えて、臨時の消防隊が急遽、幾隊も編成された。しかも、その人員はヨーロッパ戦線から戻って来た兵士達であり、空挺部隊もこの役割にあてられている。
「風船爆弾」はアメリカ本土に多くの戦闘機や兵士を釘付けにする事に成功しているのだ。
もし、今回の歴史で、早期にこの「ふ号作戦」を実行していれば、どうなっていたか……
ただでさえ敗北続きで、日本軍による本土防衛の準備を強いられているのに、更に負担がかかるとなれば……
それは日本軍にとって実に面白い状況となったかもしれない。
だが、それには、それこそ開戦前から大掛かりな準備をしなければならず、その様な事を連合艦隊司令長官の立場からは言い出せなかった。
ただでさえ、開戦前には反対の多い真珠湾攻撃作戦を史実通り海軍軍令部に認めさせる事と、作戦計画を練り上げる事に手一杯だったからね。
まぁ、今回の歴史でもうまくいけば「風船爆弾」は登場するだろう。
ただ、問題なのは、このまま戦況が推移すれば史実では中止となった海軍の潜水艦を利用しての「風船爆弾」の使用という計画が出て来るかもしれない。
何せ史実よりいい戦況なのだ。
だが、それは断固、拒否だ。自分が強力に拒否して「風船爆弾」は史実通り日本本土から放つようにさせたい。
潜水艦は通商破壊作戦で忙しいのだ。
今日は昨日とは違い、連合艦隊の各部隊から悪い知らせは何も無かった。
良い知らせも無かったが。
まぁ何も無い1日だったが、たまにはこんな日もいいものだ。
果たして明日はどうなるのやら。
良い知らせが来るのを期待して今日はもう寝よう。
あっその前に「昆布羊羹」を食べようか。
……なかなか美味いよ。これ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2016年2月24日
読者の皆様、いつもいつも拙作「栄光の勝利を大日本帝国に」をお読みいただき、有り難うございますでおじゃる。
なんとユニーク・アクセスが10万人を突破したでおじゃる。
重ね重ね有り難うございますでおじゃる。
延べ人数とは言え、10万人に読んでもらえて、とても嬉しいでおじゃるよ。
コミケなんか夏コミでも冬コミでも、新刊を出してもお客様は、ようやく二桁に届くかどうかなのに……(涙)
それはともかくユニーク・アクセスが10万人を突破した記念に【宮様、頑張る】の第2話を書いたでおじゃるよ。
「栄光の勝利を大日本帝国に」の第2話の「後書き」に載せておいたでおじゃるよ。
良かったら読んでね、でおじゃる。
そんなわけで、ここにあった2015年8月23日に書いた、この第20話の【後書き】&【宮様、頑張る】の第1話も、「栄光の勝利を大日本帝国に」の第1話の後書きに移動させたでおじゃるよ。
よろしくね、なのでおじゃる。
今後も「栄光の勝利を大日本帝国に」をよろしくお願いします、なのでおじゃる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2016年3月19日 01時00分
読者の皆様、いつもいつも拙作「栄光の勝利を大日本帝国に」をお読みいただき、有り難うございますでおじゃる。
今年の1月から2月にかけて、この作品「栄光の勝利を大日本帝国に」に大掛かりな加筆をしたでおじゃる。
約11万5千文字を加筆したでおじゃる。
読者様の言う本作品の欠点を強化したでおじゃる。
読者様の言う欠点を修正ではなく強化したでおじゃる。
大事な事だから二度言ったでおじゃるよ。
その結果、ブックマークが見事に減ったでおじゃる。えへへ。
それに2月からは「栄光の勝利を、ヘタ・・・じゃなくて、イタリア共和国に」も連載を開始したでおじゃる。
だが、しかし……
やはり、その頑張りは無理があったでおじゃる。
寝る時間を削って書いてた結果、寝不足の限界が来て家のトイレで気を失ったでおじゃる。
気が付いたら便器にもたれて倒れていたでおじゃる。
しかも顔面を強打し額から血を流して。
最近、ようやく顔面の青あざも消え瘡蓋もとれたでおじゃるが、やっぱり無理はいかんでおじゃるね。
みんなも無理はいかんでおじゃるよ。
夜は早く寝ようでおじゃる。
ところで「宮様、頑張る」の第3話を「栄光の勝利を大日本帝国に」の第3話の後書きに書いたでおじゃる。
よかったら読んでね、でおじゃる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2016年3月19日 22時15分
読者の皆様、いつもいつも拙作「栄光の勝利を大日本帝国に」をお読みいただき、有り難うございますでおじゃる。
先ほど「宮様、頑張る」の第4話を「栄光の勝利を大日本帝国に」の第4話の後書きに書いたでおじゃる。
よかったら読んでね、でおじゃる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2016年4月1日 19時10分
読者の皆様、いつもいつも拙作「栄光の勝利を大日本帝国に」をお読みいただき、有り難うございますでおじゃる。
諸種都合により本作品は完結する事にしたでおじゃる。
そこで最終話を書いたでおじゃる。
ではラストをどうぞ! でおじゃる。
orz orz orz orz orz
「栄光の勝利を大日本帝国に」
【最終話】「永遠なる戦いの旅路へ」
198X年4月1日
全世界は紅蓮の劫火に焼き尽くされた。
全面核戦争である。
そして、人類は死滅した……
だが戦いは終わらない……
これよりG(テラテラ光って硬くて黒くてカサカサ動めく不気味な生き物)による地球制覇の戦いが始まる!
G達の戦いはこれからだ!!
【完】
〖短い間でしたが、ご愛読有り難うございました。作者の次回作にご期待しないで下さい〗
<(_ _)>
orz orz orz
<(_ _)>ごめんなさい、でおじゃる。
<(_ _)>ごめんなさい、でおじゃる。
本気にしないでね、でおじゃる。
エイプリル・フールだから、つい書いてしまったでおじゃる。
終わる終わる詐欺でおじゃる。
作者にはたとえ読者に顰蹙をかうとわかっていても書かなきゃいけない時がある。
作者にはたとえ読者が離れるとわかっていてもアップしなけりゃならない話がある。
と、昔、顔にサンマ傷のある海賊船長が言ってたでおじゃる。
えっ? 言ってない?
まあまあ、そこはそれ、気にしたら負けでおじゃる。
そんなわけで「栄光の勝利を大日本帝国に」はまだ終わらないでおじゃる。
何とかの商人エスとか名乗ってるどうしようもない、年中、頭がエイプリル・フールの作者は、カタツムリよりも遅い速度だけど第0021話を書いているので、投稿したらよろしくね、なのでおじゃる。
では、読者の皆さん、良いお年を!
あっ!違った、今、年末じゃないや。
挨拶間違ったけど訂正するのもめんどくさいので、まぁいっか、でおじゃる!(^^)!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2016年8月23日 午後22時05分
こんばんわでおじゃりまする。もしくは、おはようございますでおじゃりまする。またはこんにちわでおじゃりまする。
とうとう〖栄光の勝利を大日本帝国に〗の第20話を投稿してから1年が経ってしまったでおじゃりまする。
「この連載小説は未完結のまま約1年以上の間、更新されていません。今後、次話投稿されない可能性が高いです。予めご了承下さい」の注意事項がついてしまったでおじゃりまする。
面目次第もございませんでおじゃりまする<(_ _)>
未だ更新をお待ち下さるお優しい読者の皆様、申し訳ないでおじゃりまする。<(_ _)>
ごめんなさいでおじゃる<(_ _)>
ごめんなさいでおじゃる<(_ _)>
それにしても、時が経つのって早いなぁ( ゜ ρ ゜ )ボー
つきましてはお待たせしているお詫びに「宮様、頑張る(陸軍編)」をスタートさせましたでおじゃる。
「そんなものを書く暇があったら〖栄光の勝利を大日本帝国に〗を書け!」というお叱りはご尤もでおじゃりまする。<(_ _)>
しかし、大宇宙の意思かアカシック・レコードに刻まれているのか、どうしても書かずにはいられなかったでおじゃりまする。
止まらない止められなかったでおじゃりまする。
そういうわけで許してくださいでおじゃる。<(_ _)>
「宮様、頑張る(陸軍編)」は現在2話まで書いたでおじゃる。
〖栄光の勝利を大日本帝国に〗第11話の後書きに第1話を、第12話の後書きに第2話を書いたでおじゃる。
よかったらお読み下さいでおじゃりまする。<(_ _)>
ついでに「宮様、頑張る(海軍編)」も現在5話まで掲載中でおじゃりまする。
こちらは〖栄光の勝利を大日本帝国に〗第1話~第5話の後書きに書いたでおじゃる。こちらもよろしくね、でおじゃりまする。<(_ _)>
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2016年12月31日午前0時05分
【2016年最後のご挨拶】
ハッピーハロウィン!
あっ違ったでおじゃる。とっくにハロウィンは終わってるでおじゃるね。
メリークリスマース!!
あっこれも違ったでおじゃる。クリスマスも終わってたでおじゃるね。
ハッピーバレンタイン!
あっまた違ったでおじゃる。バレンタインは1ヵ月半後でおじゃるね。
ごめんなさい、ごめんなさい、でおじゃる。
取り敢えずはボケをかまさなきゃ始まらない◯◯人の血が、血がって、そう言えば麿には◯◯人の血は流れていなかったでおじゃる。
そんなつまらないボケはともかく、麿も「小説家になろう」に仮想戦記を投稿してる端くれでおじゃるから、今年の締めくくりとして最後に仮想戦記について語ろうと思うでおじゃるよ。
ほらっ麿は活動報告や後書きや感想返しでって感想欄は閉じてたでおじゃりますね。ともかく普段は仮想戦記関連について語る事はしないでおじやるからこの機会にでもという感じでおじゃるよ。
冬でおじゃりますな。いや季節も冬だけど商業の仮想戦記も冬の時代でおじゃりますな。昔に比べ実に仮想戦記を出すレーベルが減ったでおじゃる。
今年は「朝日ノベルズ」から一冊も仮想戦記が出なかったでおじゃりますな。撤退したでおじゃるかな?
でも昨年の2015年10月に創刊された「μNOVEL」が過去の作品の再刊とかも含めて今年から少し出してくれておじゃりまするな。
同じく昨年の2015年11月に創刊された「ヴィクトリーノベル」も頑張っているようで来年も新刊の予定があるでおじゃりますな。
特に「ヴィクトリーノベル」からは今年、仮想戦記で新人作家さんがデビューしているし、仮想戦記ファンにはこのレーベルへの期待は大きいと思うでおじゃるよ。
「コスミック文庫」「RYU NOVELS」「文芸社文庫」も今年と同様に?かは分からないけど、少なくとも来年初頭は仮想戦記の新刊が出る予定でおじゃるから、まだ踏ん張ってくれてるでおじゃりますな。
「C・NOVELS」は来年の予定はわからないけど今月は新刊が出ていたでおじゃりますな。
「朝日文庫」「祥伝社文庫」「徳間文庫」も今年は夏見正隆さんの現代戦闘機物が出されていたでおじゃりますが、来年はどうなるでおじゃりますかな。
まぁ昔に比べ仮想戦記を出すレーベルは減ったけど、それでもまだ複数のレーベルが頑張ってくれてるわけで、俺達の仮想戦記読書はこれからだ! でおじゃりますな。
えっ?何で商業作品の事ばかり語っておじゃるかって?
「栄光の勝利を大日本帝国に」の話題でおじゃるか? 投稿作品関係について語れというでおじゃるか?
……世の中、たとえ正論でも触れちゃいけない事もあると思うでおじゃるよ。
日本人なら武士の情けをお願いしますでおじゃるよ。
と、いうわけで、ちょっと早いけど読者の皆さん、来年もよろしくお願いしますでおじゃる。<(_ _)>
そして、良いお年を。(^_^)/
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2017年3月26日 23時00分
【今頃ですが、生存報告も兼ねて、2017年最初のご挨拶】
皆様、新年あけましておめでとうございます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠に有り難うございました。
本年もよろしくお願い致します。
そして皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
死の商人S <(_ _)>
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2017年3月27日 0時45分
読者の皆様、こんばんは、でおじゃりまする。
「何故、お前は活動報告に書かず、後書きにばかりに書くんだ!」
とお思いの、またはお怒りの読者様。
ご尤もでおじゃりまする。当然のご批判でおじゃりまする。
それには水たまりよりも浅く雑草よりも低い理由があるのでおじゃりまする。
それは、それは……
ΣΣΣΣΣΣΣΣ( ̄ロ ̄l)ピシー!ピシー!
( ゜ ρ ゜ )ボー
ハッ! Σ(゜□゜;) 今、麿の○脳がハックされてたでおじゃる!
電脳化0%の麿の◯悩をハックするとは、きっと超特A級ハッカーの仕業でおじゃる!
○○男か!?
少佐か!?
ク◯か!?
恐るべしネット世界、恐るべし電悩の世界
((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル
い、いけない。攻殻機○○ネタが止まらないでおじゃる。
ほらっ土曜日に某テレビ番組で一挙放送していたからつい見てしまったでおじゃりまするよ。
今見ても通用する作品でおじゃりますな。
そう言えば攻殻機○○の実写映画版が来月公開らしいでおじゃりますな。
どんな作品に仕上がっているんでおじゃりますかな?
ハッ! Σ(゜□゜;)
あぁ夜と週末しか空いている時間が無いのに、こういう風にテレビを見てしまうから執筆作業が進まないんでおじゃりますな。困ったもんでおじゃりまする。(*´ー`)エヘヘ
と、言いつつ、この後も反省せず深夜1時から放送される宇○戦艦ヤ○○21○9の3話連続放送を見てしまう麿でおじゃった。(´∀`*)ウフフ
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2017年3月27日 2時40分
昨日、活動報告に書いていらっしゃる方もいた真偽不明な仮想戦記作家の佐藤大輔さんの訃報は事実だと判明しましたね。
毎日新聞のニュースサイトで伝えているので確実でしょう。
残念です。惜しい人を亡くしました。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
それにしても佐藤大輔さんの作品は未完がやたらと多いので私的には批評し辛いものがあります。
やはり作品のラストは重要なものですし。
商業の仮想戦記には日本がアメリカに勝つ作品もたくさんあるわけですが、某作家さんの某作品なんかは太平洋戦争では勝っても未来的にはドイツと日本が核戦争をして人類滅亡なんてラストでしたね。
別の某作家さんの場合も日本が勝つけど数十年後にアメリカが復讐で核ミサイルを東京に発射して終わるというラストでしたし。
どんでん返しというか、例え勝ったとしても行き着く先はカタストロフィ(悲劇的結末)しかないという主張だったんでしょうかね。
そういうわけで、小説というものは最後の1ページでどんでん返しがあったりする事もあるので、未完の作品はどうにも批評し辛いです。
まぁ佐藤大輔さんの作品にも僅かながら完結している作品や短編集もあったりしますが。
そう言えば佐藤大輔さんの短編で真珠湾で第二次攻撃をしていたらなんて作品もありましたね。
宣戦布告は間に合い、第二次攻撃は成功し、エンタープライズとの戦闘にもなるけど返り討ちにして撃沈。
アメリカ国内の世論は乱れに乱れ、ルーズベルトは無能な大統領と批判され遂に辞任。日本とアメリカは和平交渉を開始すると言う作品でした。
私が知っている仮想戦記では最も早期に和平交渉に向かったお話です。
ミッドウェーで勝った場合の短編も書かれていましたね。
それでハワイ沖でも勝ち、サンフランシスコ沖でも互角に戦い、日本はアメリカと休戦条約を締結できるだけの立場を作ったという話になっていました。
レイテ沖海戦でもし栗田艦隊が反転していなかったらという短編もありましたね。
栗田艦隊の作戦は成功しますが、未来は……結局、終戦が1年延び、その結果、日本はアメリカとソ連に分割占領されて二つの国家として存在する事になったという結末でした。
ちなみに私の当作品「栄光の勝利を大日本帝国に」もミッドウェーで勝っていますが、アメリカはそうそう簡単には和平交渉に応じないという考えで話を進めていますので佐藤大輔さんの話とはかなり違って来るでしょう。
で、続きはいつかと聞かれると……
……さぁ今日はもう寝ようかな。
年寄りに徹夜は毒じゃて、ごほっごほっ。
お休みなさい。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2017年4月1日 1時45分
【これからの投稿予定作品とその他】
①「栄光の勝利を大日本帝国に」
(現在、第20話まで投稿完了。第21話は近日中に投稿予定。しかし完結までは、まだまだ先は長い)
②「栄光の勝利をヘタ・・・じゃなくてイタリア王国に」
(現在、第11話まで投稿完了。第13話と第14話は半年前に完成しているけれど、第12話に躓き中。もう少しで第12話も完成する予定。しかし完結までは、まだまだ先は長い)
③「栄光の勝利をドイツ第三帝国に」・・・執筆予定は未定。
(「栄光の勝利を」シリーズの日独伊三部作のラストを飾る作品。
しかし、日本とイタリアに比べればドイツ第三帝国を勝たすのは楽すぎると広言する筆者は執筆意欲が全然わかず、いつ取り掛かるか不明)
④「栄光の勝利をR」・・・「栄光の勝利を大日本帝国に」が完結した後に執筆開始予定。
(「栄光の勝利を大日本帝国に」の中で語られながらも実行されなかった作戦をメイン作戦として実行した場合のIF戦記)
⑤「栄光の勝利をW・・・今月中に第1話を投稿予定。
(「栄光の勝利を大日本帝国に」の後書きに書いていた「宮様頑張る」シリーズの2人の宮様総長が遂に本編として登場!! 2人がタッグを組んで対米戦を戦うお話)
⑥「栄光の勝利をJU」・・・今月中に第1話を投稿予定。
(○○ VS ○○というお話。既に第2話まで完成)
⑦「総長戦記(栄光の勝利をD)」・・・今月中に第1話を投稿予定。
(「宮様頑張る」の閑院宮総長が暗黒面に落ち、ろくでもない戦略を遂行していくお話)
⑧「栄光の勝利をL」・・・執筆予定は未定。
(「栄光の勝利をD」に登場する閑院宮総長が暗黒面に落ち過ぎ、使えなくなった案があるので、それらの案を使うために考えたお話。伏見宮総長も登場予定。もしかしたら伏見宮総長をメインの話とするかもしれないお話)
⑨「栄光の勝利をN」・・・没作品。
(「栄光の勝利を大日本帝国に」が地味で荒唐無稽な作戦は一切しないお話しなので、その対極を描こうとした作品。
奇想天外荒唐無稽な戦争話の予定でアイデアを温めていたが、一番の核となる部分について既に他の作家さんが同じようなアイデアを使用し数年前に小説を書いていた事を今年の1月に知る。orz
流石に核となる部分が同じのままに書いて盗作とかアイデアを盗んだと思われるのは嫌なので泣く泣く没にする事に( ノД`)シクシク…)
⑩「栄光の勝利をI」・・・執筆予定は未定
(「栄光の勝利を大日本帝国に」が地味で荒唐無稽な作戦は一切しないお話しなので、その対極を描こうとした作品の第2弾。
奇想天外荒唐無稽な戦争話の予定でアイデアを温めていたが、使おうと思っていたアイデアについて最近、ちょっとだけ調べてみるとかなり無理がある事が判明。
幾ら荒唐無稽とは言っても、それらしい設定と論理の構築はしないとね。
しかし、没にするにはまだ早い、と諦めておらず、他の作品の執筆の合間に、無理を何とか可能にできないものかと、たまに調べている今日この頃)
⑪「栄光の勝利をOC」・・・今月中に第1話を投稿予定
(「栄光の勝利を」シリーズとは一線を画したウルトラ・スーパー・デリーシャス・ビューティフル・ファンタスティック・ドラマティック・ロマンティック・サディスティック・エキゾチック・トンデモ架空戦記。
「栄光の勝利を」シリーズは基本的に架空兵器の類を出さず戦略の変更により歴史を引っ繰り返すのがコンセプト。しかし、この作品は初っ端からトンデモ架空兵器を出しまくる異色作。
三段ロケットブースターを装着して右斜め上に打ち上げたかのような作品。)
⑫「流れ行く昏き虎」・・・今月中に第1話を投稿予定。
(「栄光の勝利を」シリーズとは一線を画した異色の戦国時代劇物)
今日はエイプリルフール。(´∀`*)ウフフ でおじゃりまするよ。
では、次に会う時まで「ごきげんよう」でおじゃりまする。