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0015話 激闘(1942年8月18日)

●8月18日、インド洋で「第二次セイロン島沖海戦」が発生した。


 太平洋でアメリカ軍の動きが活発化したと思いきやインド洋でもとは慌しい。


 セイロン島沖で「B作戦(インド洋通商破壊作戦)」を遂行中の大川内中将指揮する「第3機動部隊」とイギリスの空母部隊が激突したのだ。

 セイロン島沖とは言っても実際にはセイロン島からはかなり離れた距離での海戦だ。


 それにしても8月10日に海軍軍令部から受け取ったイタリア政府からのインド洋へのイギリス機動部隊出撃の情報は正しかった。

 あのイタリアの情報が正しかったのだ。

 イタリアのがだ。

 真夏に雪が降った気分だ!

 だから「第3機動部隊」も大損害を被ってしまった……


 ……もしかしたらこの戦争に日本は負けるかもしれない……


 いや、いや、いや、いや、こういう時こそ冷静にならなくちゃいけない。

 落ち着くんだ。

 心を静めるんだ。

 高ぶった感情は判断を狂わせる。


 イタリアからの情報が正しかったからと言って日本が戦争に敗北するというのは考えが飛躍し過ぎだろう。

 たとえ成功よりも失敗の方がやたらに多いイタリアだって、

 戦いで敗北するのがいつもの事のイタリアだって、

 同盟国の足を引っ張るのが得意技のイタリアだって、

 稀には、そう極稀(ごくまれ)には成功したり勝利したり正しい事をする事だってあるではないか。


 そもそも自分は先月、日本まで長距離連絡飛行を成功させたイタリア機の事を誉めていたではないか。

 そして、もっとイタリアが感心させてくれる事をしてくれればいいのにと、成果を上げる事を願っていたばかりではないか。


 自分は「第3機動部隊」の被害の大きさに動揺し過ぎだ。

 そして、その被害の原因と責任を他に求めようとしている。

 偶々だ。

 今回、イタリアの情報が正しかったのは偶々なのだ。

 きっとそうに違いない。

「第3機動部隊」の損害とイタリアの情報の正しさに、運命論的な因果関係なんて一切無い。


 だいたい自分は先月、「第3機動部隊」がインド洋で「B作戦(インド洋通商破壊作戦)」を開始した時に、イギリスの機動部隊が迎撃に出て来る可能性がある事を予測していたではないか。戦力的にあまり楽観視できないと考えていたではないか。


 今回の「第3機動部隊」の損害も予想を遥かに超えるというものでもない。

最悪までの事態には至っていない。

「だから第3機動部隊も大損害を」何て損害の原因を不当にイタリアに押し付けちゃいけない。

 責任転嫁しちゃいけない。反省反省。

 そして、これが戦局が暗転する前兆だなんて事はきっと無い。

 無いに違いない。

 無いと思いたい。

 無いといいな。

 何となく不安だ……


 ともかく「第二次セイロン島沖海戦」の経過を要約して記しておこう。


 事の始まりは海軍軍令部からの「チャゴス環礁」偵察の指示だった。

 先月のイタリア機が日本まで飛来した出来事に刺激を受けた海軍軍令部ではドイツ・イタリアと直接連絡をつけるために二式大艇によるインド洋経由での長距離連絡飛行を計画したのだ。

 まぁその辺は史実通りの話ではある。

 だけど、やっぱり切っ掛けはイタリアか……。


 海軍軍令部では二式大艇をまずは日本の勢力圏のインドネシアからインド洋中央のチャゴス環礁まで飛ばし、そこで潜水艦により二式大艇に給油を行い、チャゴス環礁から北アフリカ経由でドイツ・イタリアに向かわせる事を計画した。


 そのため史実では潜水艦による偵察がチャゴス環礁へ行われた。そして連合軍の存在がチャゴス環礁に確認されたため、この二式大艇による飛行計画は中止となった。


 それにしても北アフリカ経由と言うけれど、アフリカのインド洋岸は殆どがイギリスの勢力圏と化している。

 アフリカのインド洋岸から枢軸陣営の勢力圏である北アフリカのリビアまではかなりの距離もある。


 もし、チャゴス環礁からリビアまで最短距離で二式大艇を飛ばすとすれば、まずはインド洋を約2800キロも飛んでアフリカ沿岸に到達し、そこからイギリスの植民地のソマリアを横断し、次に旧イタリアの植民地で今はイギリスに占領されたエチオピアを横断し、さらに同じくイギリスの勢力圏のスーダン中央部を横断して、ようやくイタリアの植民地であるリビアに辿り着く事になる。


 チャゴス環礁から北アフリカ沿岸の重要な都市ベンガジまでは約7000キロにもなる。

 使用予定の二式大艇の航続距離は軽く7000キロを超えるが、気象条件、特に風向きや風速、気流などによって燃料消費量が増大する事が想定されるためにベンガジまで無給油で行くのは難しいかもしれない。

 それでもベンガジまでは行けなくても、リビア砂漠のオアシス都市クフラあたりまでなら、なんとか飛べるだろう。その辺に離着陸に適した場所があればいいが。


 まぁ機内に燃料タンクを増設するという手もある。

 しかし、問題は長々と敵勢力圏内を飛ぶ事だろう。

 飛行ルートの8割以上が敵の勢力圏なのだ。


 ただ、そうは言っても枢軸国と連合国の戦闘地域ならともかく、ソマリア、エチオピア、スーダンの辺りは史実でも今回の歴史でも1942年の時点では戦闘地域でもなければ、枢軸陣営の攻勢対象地域でもない。枢軸陣営の軍事行動は不活発な地域だ。それ故にイギリス軍もそれほど警戒を厳重にしたり充分な戦力を配置しているとも思えない。


 そこら辺から大丈夫だろうという計算が海軍軍令部にあったのかもしれない。

 しかし、ここで思い出されるのは史実でも今回の歴史でも、今年の5月にイタリアがエチオピアに一つの作戦を成功させてしまった事だ。


 先月、「サヴォイア・マルケッティ75」長距離輸送機が日本に飛来したが、それよりも前に同型機を使ってイタリアは、イギリスに占領されているイタリア植民地のエチオピアに長距離飛行を成功させているのだ。


 この飛行は北アフリカのベンガジから飛び立ちスーダンを縦断しエチオピアに到達して、さらに紅海に面したエリトリア州のアスマラまで飛び宣伝ビラを投下するという作戦であり、ビラを撒いた後は無事基地に帰投している。

 宣伝ビラには、そこに入植して暮らしているイタリア人向けであり「イタリアは君達を決して見捨てない。我々は必ず帰って来る!」という約束と激励をしたものだった。


 だから、もしかしたらスーダンやエチオピア辺りの航空警戒は厳しさを増しているかもしれない。

成功が日本の足を引っ張る可能性が増す事になるとはやっぱりイタリアというのは……


 いや、いや、いや、いや、ここでイタリアを責めちゃいけない。イタリアも必死なのだ。

偶々だ。偶々イタリアの成功が日本の計画に影を差す要素となっただけなのだ。


 いや、冷静に考えれば影になっていないだろう。

 そもそも史実では日本の北アフリカ経由の連絡飛行の計画はチャゴス環礁の偵察で挫折したのだからイタリアは関係ないだろう。


 どうもイタリアの名前が出ると、ついつい悪い事は全てイタリアのせいにしたくなってしまう。

 いかん、いかん。

 イタリアは大事な同盟国、イタリアは大事な同盟国、と自分に言い聞かせよう。


 ところで、史実ではこの二式大艇によるドイツ・イタリアへの連絡飛行は中止となったが、別の機種による連絡飛行は翌年の1943年に実際に1度だけ試みられている。


「セ号飛行」と呼ばれた飛行計画だ。

 使用されたのは長距離飛行機の陸軍名「キ77」。民間名で「A26」だ。


 史実では4月の「ドーリットルの東京空襲」への報復的発想から長距離戦略爆撃機を欲した陸軍は、戦争勃発で中止していた民間との共同開発の長距離飛行機「キ77(A26)」の開発を再開させる。

 そして2機が実際に完成するのだ。


 初飛行は1942年11月18日に行われ無事成功した。

 この初飛行には開発に携わった朝◯新聞社のパイロットも参加している。

 そして何度も試験飛行が行われ翌年1943年4月20日には東京の立川飛行場からシンガポールのテンガー飛行場まで無着陸飛行を実施し成功させている。その飛行距離約5330キロ、飛行時間約19時間。

 帰りは5日後にテンダー飛行場から飛び立ち立川飛行場に無事帰投しているが、飛行時間を縮め約18時間で到着している。


 そして「キ77(A26)」によるドイツへの連絡飛行が計画された。

 その指示を出したのは東条英機首相だ。

 飛行途中で国際問題になるような不時着をした場合を考慮して、東条英機首相はこの連絡飛行を民間で行う形にするよう指示も出している。


 そのため最初から「キ77(A26)」の開発に携わっている民間の◯日新聞社の航空部から主操縦手と副操縦主、機関士2人、通信士1人が参加し「キ77(A26)」を飛ばす事になった。ただ民間の朝◯新聞社の社員とは言っても全員が軍属になっている。

 他に同乗するのは3人。

 全員陸軍士官で中村中佐が飛行指揮官として乗り込む。

 この人は1940年にドイツへ派遣された山下中将率いる視察団にも参加していた人物で航法関係の専門家でもある。

 後の2人はドイツの大使館付武官に就任予定の香取中佐とスペインの大使館付武官に就任予定の西大佐だった。


 それにしても表向き民間機として飛ぶのに指揮官が現役の陸軍中佐でパイロット等も全員軍属。乗客も全員軍人では民間機として体裁というか建て前さえ整っていないような気もするのだが、まぁ陸軍のやる事だからね。


 問題は飛行ルートだ。

 これにも東条英機首相が指示を出している。

 イタリア機が日本まで飛んで来た南ウクライナ~包頭(パオトウ)経由の北方飛行ルートはソ連を刺激する恐れがあるからと、そのルートを飛ばす事を禁止したのだ。

 そうなるとインド洋経由で飛ばす事しかなくなる。


 幾つかルートが検討されたが、最終的にシンガポールからセイロン島沖南部を飛び、インド洋上で進路をアラビア半島に向け、そのままアラビア半島を縦断し地中海に出て中立国トルコの上空を横断して黒海上空を飛びクリミア半島に到達するルートと決まった。

 飛行予定距離は約1万キロ。

 飛行予定時間は約40時間。


 陸軍航空本部で「キ77(A26)」の開発担当責任者だった川嶋大佐を始め関係者は随分と包頭(パオトウ)~南ウクライナの北方飛行ルートを飛ばさせてほしいと上申書を出したそうだ。

 インド洋方面の飛行データが少ない事と、時期的に雨季で台風の発生等の気象条件悪化が予想される事や、連合国の勢力圏を長い時間飛ぶ事になるからだ。


 しかも「キ77(A26)」は長距離は飛べるが速度が速いとは言えない。最大速度は400キロだ。

 イギリス軍の戦闘機スピットファイアなどは600キロ出せる。

 マートレット戦闘機(アメリカのF4Fのイギリス向け)でも500キロ以上出せる。

 もしイギリスの戦闘機に出会ったら逃げきれる可能性は低い。

 しかし、上申書が受け入れられ北方飛行ルートが許可される事は無かった。


 そして「キ77(A26)」は1943年6月30日に日本を飛び立ち、まずはシンガポールに向かう。


 この飛び立つ前に陸軍参謀本部で開かれた壮行会の席で、飛行指揮官の中村中佐は同僚の中佐に「ドイツならこんな無茶な飛行なんてさせない」と不満を漏らしていたそうだ。指揮官自らが不満をそうした席でもらすのだから余程の事だろう。かなり悲観的になっていたのではないだろうか。


 それに乗員全員には出発前に万が一の場合に備えて自決用の青酸カリが配られたそうだ。

 青酸カリの配布とは強烈だな陸軍さんも。

 そういう事からこの連絡飛行がいかに楽観できないものだったかわかろうというものだ。


 ともかく「キ77(A26)」はシンガポールで整備と燃料補給を行った後、1943年7月7日にインド洋に飛び立った。

 そして……

 その消息は途絶えた。


「キ77(A26)」は到着予定地であるクリミア半島のサラブス飛行場に到着予定時刻を過ぎてもその姿を見せる事は無かった。


「キ77(A26)」の消息については昭和の時代が終わり平成の時代になってもまだ不明のままだ。

戦後に日本の戦史研究家がイギリス軍の記録を丹念にあたったそうだが「キ77(A26)」に該当する飛行機の撃墜記録は無かったそうだ。

 そのため「キ77(A26)」は悪天候に遭遇したかエンジン・トラブルでも発生して墜落したのではないかと推測されている。

「キ77(A26)」の機体は今もインド洋の海の底に人知れず眠っているか、もしかしたらアラビア半島の砂漠の中に埋もれているという事もあるかもしれない。


「キ77(A26)」はこうして1機が失われてしまったが、翌月には残るもう1機で再びドイツへの連絡飛行が計画されその準備が開始される。

 しかし、その準備が完了しないうちに1943年9月3日にイタリアが連合国に降伏するという事態が発生し、ドイツへの連絡飛行は中止となった。

 イタリアか。

 やっぱり足を引っ張るのはイタリアなのか。


 ところで史実において日独連絡飛行は日本側だけが計画していたわけではない。

 ドイツ側でも計画していた。

 文献により違いがあって真偽の判断に困るのだが、1941年の独ソ戦が勃発した後にHe177長距離爆撃機、もしくはJu290輸送機による連絡飛行をドイツ側が計画している。


 その飛行ルートも判然としないところがあるが、どうやらノルウェーもしくはフィンランドから北極海上空を飛びソ連領内のシベリアを横断して包頭(パオトウ)もしくは満州に到達する北極海飛行ルートのようだ。

 だが、これもソ連を刺激する事を懸念した日本側の反対で中止となっている。


 でもドイツも諦めない。1942年にはBv222飛行艇による南方ルートでの連絡飛行を計画した。

 しかし、飛行艇の航続距離が足らずにその計画も頓挫している。


 そんな時に北方飛行ルート(南ウクライナ~包頭)で連絡飛行を行い成功させたのがイタリアだった。

 イタリアから北方飛行ルートで連絡飛行を行うという連絡が来た時、日本はドイツの時と同じように反対した。

 しかし、イタリアはそれを無視して飛んで成功させてしまう。


 日本はこの連絡飛行の成功を秘密にしようとした。ソ連を刺激する事を恐れてのことだ。

 しかし、イタリアが勝手に世界に発表してしまい日本とイタリアの関係は冷え込んでしまう。

 それでイタリア機による2回目の連絡飛行が計画されていたが結局それは中止になった。

 

 やれやれイタリアさんは日本の意向は無視ですか。

 でもまぁイタリアのする事だからね。

 怒ったってしょうがない。人間諦めが肝心だ。

 何たってイタリアなんだから。好きにさせるしかないだろう。


 それはともかくドイツもまだ連絡飛行を諦めずにいた。

 日本が「キ77(A26)」による連絡飛行を計画している時期に、再びHe177長距離爆撃機、もしくはJu290輸送機による連絡飛行を計画していたらしい。


 これも判然としないところがあるが、どうやらノルウェーから北極海を飛び千島列島に到達する飛行ルートだったようだ。これもソ連領内を飛ぶわけで、やはりソ連を刺激したくない日本の反対で中止となっている。


 こうした連絡飛行については、ドイツと日本の連絡飛行の担当者達の間では、できれば週に一便は連絡飛行機を飛ばしたいという話で纏まっていたようだ。

 しかし、飛行ルートとして最も成功の可能性が高い北を飛ぶルートについてはソ連領内を飛ぶ事になるため、ソ連を刺激する事を懸念した東条英機首相の断固たる反対があった事から実現には至らなかった。


 結局、史実において日本、ドイツ、イタリアの日独伊三国同盟の中で連絡飛行を成功させたのは何とイタリアだけという事に。

 いいのだろうかこれで!

 あのイタリアが、あのイタリアでさえ成功させた連絡飛行を日独が出来ないというのは如何なものだろうか。

 いかんだろう。これではいかんだろう。

 連合艦隊司令長官の職分からは外れるかもしれないが日独連絡飛行については、できうるならば口出ししたいところだ。


 ところでドイツが日独連絡飛行に使おうとしていたHe177長距離爆撃機は史実において日本でも生産しようとしていた機体だ。そのための工場が千葉に建設されていたが完成する前に終戦となってしまった。

 だが今回の歴史ではどうなるだろうか。

 もしかしたら日本の大空を、太平洋を日本製He177長距離爆撃機が飛ぶという姿を見れるかもしれない。

 楽しみだなぁ。


 できればBv222飛行艇の姿も見てみたい。何せ6発エンジンの巨大飛行艇だ。第二次世界大戦で実際に空を飛んだ機体で世界最大の飛行機なのだ。

 あの「超空の要塞」と呼ばれたアメリカ軍の戦略長距離爆撃機B29よりも大きいのだ。

 Bv222の全長は約37m。B29は約30m。

 Bv222の全幅は約46m。B29は約43m。

 Bv222の全高は約11m。B29は約8.5m。

 Bv222の翼面積は約255㎡。B29の翼面積は約151㎡。

 この数値を見ればわかるようにB29より一回り大きい!

 何という大きさか。


 海軍に1機欲しい。是非とも欲しい。

 将来、もし中東あたりで日本とドイツが握手できるような事になったら是非とも海軍に1機くらい購入して欲しいものだ。


 ついでに「キ77(A26)」も欲しい。

 陸軍ばかりに「キ77(A26)」を独占させておくのは勿体無い。

 あの1万8000キロの航続距離は魅力的だ。

 完成するのはこれからだし何とかならんだろうか。

 海軍軍令部に掛け合って、海軍による「キ77(A26)」の3号機の製作でも請願してみようか。

 何も前例が無いわけじゃあない。

 海軍が使っている九八式陸上偵察機の例がある。


 これは陸軍の九七式司令部偵察機が高性能という事で陸軍と交渉し、海軍仕様に改造して九八式陸上偵察機として採用したのだ。

そうした前例があるのだから、やはり今度要望を出しておこう。


 いかん。長々と話が脇道にそれてしまった。

 イタリアが絡むと、ついつい話が脱線してしまう。

 いや、イタリアが絡まなくて無駄話が多いような……まぁいいか。


 まぁそうした話はともかく、今回のチャゴス環礁への偵察計画は史実通りの潜水艦によるものではなく、飛行機による偵察が計画された。


 当初、連合艦隊司令部内でも潜水艦による偵察の案が出されもしたが、それよりも「第3機動部隊」が現在インド洋でセイロン島のコロンボとオーストラリアのフリーマントルを結ぶ航路を遮断する位置で通商破壊戦をしている事から、そこから更に南下させチャゴス環礁を飛行機で偵察させようという事になったのだ。


「第3機動部隊」の通商破壊作戦では飛行機による輸送船の捜索が行われているのだから、そのついでにチャゴス環礁まで偵察機を飛ばせば獲物の輸送船の捜索と共に一石二鳥だし、足の遅い潜水艦より早く結果が分かり効率も良いだろうという意見が大勢を占めたのだ。

自分はその辺りの事は参謀達の判断に任せて一切口を挟まなかった。

「偵察は無意味だ。自分は歴史を知っている。既にチャゴス環礁はイギリス軍により利用されている!」

とは言えなかったからね。沈黙を守ったよ。


 連合艦隊司令部からのチャゴス環礁偵察の指示は「第3機動部隊」にとってもタイミングが良いものとなったようだ。

「第3機動部隊」の活動の結果だろうが、既に連合国によるコロンボ~フリーマントル間の最短航路は運航が停止されたようで輸送船は殆ど見つからなくなって来ていた。恐らく南に迂回しているのだろう。

 それ故、「第3機動部隊」司令部でも作戦海域の変更を検討していたところだった。


 こうして連合艦隊司令部からの指示に従い「第3機動部隊」は通商破壊戦のために偵察機を飛ばしつつチャゴス環礁へと進路を向ける。


 問題はその途中で敵の哨戒機に発見されてしまった事だろう。水平線上にチラチラと敵水上機が見え隠れしながら接触し始め、零戦隊が撃墜しても撃墜してもしつこく新たな機が「第3機動部隊」に接触を保っていたのだ。


 そのような時、敵輸送船を求めて西に飛んでいた偵察機の1機が、空母2隻を含む敵機動部隊を発見する。

 偵察機からの敵機動部隊発見の報に「第3機動部隊」司令部は湧き立ち、大川内中将はすぐに攻撃隊の発進を命じた。

 また、散開していた艦隊の集合も命じる。


 この時、「第3機動部隊」旗艦の空母「瑞鳳」を守っていたのは直衛駆逐艦「三日月」

「第7戦隊」の重巡洋艦「最上」と「第19駆逐隊」の「磯波」「浦波」「敷浪」の駆逐艦艦3隻だった。

 つまり重巡洋艦1隻に駆逐艦4隻。


「第7戦隊」には他に「三隈」「鈴谷」「熊野」の3隻の重巡洋艦があったが、この3隻はそれぞれ1隻の駆逐艦を指揮下におき臨時の分遣隊を3個編成して機動部隊から3方向に分かれ別途に行動していた。

「三隈」は第20駆逐隊の駆逐艦「朝霧」

「鈴谷」は第20駆逐隊の駆逐艦「夕霧」

「熊野」は第20駆逐隊の駆逐艦「白雲」とである。


 これは通商破壊作戦のための隊形だった。

 この度の通商破壊作戦では敵大型輸送船の捕獲が求められていた。

 それに何時イギリスの空母部隊が出現するかもわからない。

 そのため空母「瑞鳳」の艦上攻撃機部隊は敵空母出現に備えて待機温存され、零戦隊は艦隊の防空に徹していたのだ。


 そして臨時編成された分遣隊の重巡洋艦搭載の零式水上観測機が、偵察、哨戒、敵輸送船の捜索とその発見した場合の敵輸送船までの戦隊の誘導を行っている。


 敵輸送船の捕獲やあくまで逃亡しようとする輸送船への攻撃は巡洋艦と駆逐艦が直接行っていたのだ。

作戦初期のベンガル湾での活動時は、沿岸部に近い事もあり敵航空機の攻撃を警戒して、分遣隊3隊のうちの何隊かを空母「瑞鳳」を擁する本隊に合流させて守りを厚くするなどしており、そこは臨機応変に対処している。


 その分散していた3個分遣隊に本隊への合流が命じられたのだ。

 分散しているとは言っても、あくまで零戦の掩護範囲内であるから、遅くとも数時間以内に合流する筈だった。


 なお「第19駆逐隊」の駆逐艦「綾波」と「第20駆逐隊」の駆逐艦「天霧」の2隻は後方で給油船の護衛にあたっている。


 こうして「第3機動部隊」は空母航空隊による敵機動部隊への攻撃と入り、また本隊の守りを固めようとした。


 だが、しかし、先手を取ったのはイギリス軍の方だった。

 空母「瑞鳳」より零戦9機、九七式艦上攻撃機9機による攻撃隊が発進して約20分後に「第3機動部隊」は敵機の攻撃を受けたのだ。


 イギリス軍の空母「イラストリアス」の攻撃機ソードフィッシュ12機と護衛のマートレット戦闘機12機に、空母「インドミタブル」の攻撃機アルバコア11機と護衛のフルマー戦闘機10機だ。

つまり敵の戦闘機21機と攻撃機23機が襲来した。


 ただ、纏まって襲来したわけではなく、戦闘機部隊がかなり先行し次にアルバコア機の編隊が来てソードフィッシュ機の編隊がかなり遅れて来たという状況だ。


 戦闘機隊は当然露払いの役目だろうが恐らく編隊飛行での速度差の問題もあったのだろう。

 戦闘機隊のマートレット戦闘機は最大速度で時速500キロ以上を出せる。

 フルマー戦闘機は約400キロだ。

 しかし攻撃隊の複葉機のソードフィッシュ機は約220キロしか出ない。

 同じく複葉機のアルバコア機も約260キロしか出ない。


 しかもソードフィッシュ機とアルバコア機は重たい爆弾や魚雷を抱えているわけで速度は更に遅くなる。

 しかも最高速度というのはあくまで記録であり、常にそれだけの速度が出せるわけでもなく巡航速度はもっと遅い。


 あまりに使用する機体の速度に差があると編隊を組むのが難しくなると言われるから、そうした要因もあって戦闘機隊と攻撃機部隊に距離の差がついたのかもしれない。


 この時、「第3機動部隊」上空には直掩機の零戦が3機おり直ぐに敵機に向かって行った。

 更に「瑞鳳」から零戦が3機緊急発進した。

 それまでの通商破壊作戦において「瑞鳳」の零戦隊はベンガル湾で敵航空部隊との戦闘から零戦を3機失っていた。その時、パイロットの1人は無事生還しており、そのパイロットは「補用機」と呼ばれる予備の機体を使用している。


 また、他に2機の零戦が修理中だったが、そのパイロット2名も「補用機」を使用し出撃している。

「補用機」は3機しかなく、もうパイロットも残っていなかった。

 つまり、「瑞鳳」にはもう飛べる機体は1機も無かった。

 あるのは修理中のパイロットのいない零戦が2機だけ。

 艦隊を守る零戦は上空の6機だけだった。


 敵編隊の迎撃に向かった零戦隊は敵戦闘機隊と激しい空中戦を展開した。

 その最中、「第3機動部隊」に近づきつつある敵攻撃機の編隊を阻止しようともした。

 敵攻撃機の数は多い。これに攻撃を許せば「第3機動部隊」は危機に陥る。


 攻撃機が複葉機だからと言って侮る事はできない。

 史実でも今回の歴史でも2年前の1940年11月にイギリスの空母「イラストリアス」から発進したソードフィッシュ21機がイタリアのタラント港を空襲しイタリアの戦艦1隻を撃沈、戦艦2隻を大破、巡洋艦1隻と駆逐艦1隻を小破させる戦果をあげているのだ。


 まぁこれはイタリアだから仕方のない部分はある。何せイタリアなのだ。

 イタリア軍に船を沈められるな、全機撃墜しろという方が無茶な注文だろう。

 イタリアなのだから。あのイタリアなのだから。


 しかし、ソードフィッシュに痛打されたのはイタリアだけではない。ドイツ海軍もしてやられている。

 史実でも今回の歴史でも去年の1941年5月にイギリス軍がドイツ海軍最大の新鋭戦艦ビスマルクを撃沈したが、その時もイギリスの空母「アークロイヤル」のソードフィッシュ機隊が戦いに一役買っている。

 大西洋に通商破壊作戦に出撃した戦艦ビスマルクはソードフィッシュ機隊の雷撃により損傷を被り航行に支障を来しイギリス艦隊に追い詰められ撃沈される事になったのだ。


 アルバコア機も複葉機だが、この機はソードフィッシュ機の後継機だ。

 だからソードフィッシュ機もアルバコア機も複葉機だからと言って決して侮る事はできない。

 下手に侮れば「第3機動部隊」は戦艦ビスマルクと同じ運命になるかもしれないのだ。


 零戦隊は敵攻撃機の編隊を阻止しようとした。攻撃しようとした。

 だが、流石に敵戦闘機部隊がそれを許さない。

 機体の性能では零戦が上だった。

 特にイギリスのフルマー戦闘機は速度の遅い複座戦闘機であり零戦が圧倒的に優位だった。


 そうは言ってもマートレット戦闘機と合わせた敵戦闘機の数は味方機の3倍以上なのだ。

 6対21なのだ。

 零戦隊は敵戦闘機部隊との戦闘を余儀なくされた。

 撃墜しても撃墜しても新手が目の前に現れる。

 そのうち零戦も隙を突かれて1機、また1機と撃墜される。

 零戦隊は厳しい空中戦を強いられた。


 その間にも敵のアルバコア機の攻撃編隊は「第3機動部隊」に接近しつつあった。

 ソードフィッシュ機の攻撃編隊はそれよりかなり遅れている。


 ここで「第3機動部隊」にとって幸いだったのが、敵攻撃機の機種がソードフィッシュ機とアルバコア機というどちらも速度の遅い複葉機だった事だ。

 だからこそ「第3機動部隊」には数は少ないが、まだ敵攻撃機と戦える有効な航空戦力が残されていた。

重巡洋艦「最上」搭載の「零式水上観測機」だ。


 零式水上観測機の外観を見れば古臭いし、とても運動性が良いようには見えない。何せ複葉機だ。しかも大きなフロートが付いている。

 しかし、その正式採用は1940年12月と開戦1年前で比較的新しく、またその性能にも侮れないものがある。運動性では零戦の前に海軍の主力艦上戦闘機だった九六式艦上戦闘機と同等か、もしくは一歩劣る程度という話もあるくらいだ。


 実際に史実ではアメリカ軍のF4F艦上戦闘機を撃墜したとか、1942年夏より実戦配備が始められたP38戦闘機を撃墜したという逸話もある。まぁその撃墜には幸運の要素があった事も無視できないだろうが。

 そんなわけで水上機にしては比較的運動性能はかなり良かった機体なのだ。

 しかも最大速度は約370キロとアルバコア機やソードフィッシュ機よりも100キロ以上も速い。

 この零式水上観測機ならアルバコア機やソードフィッシュ機と対等に戦える。いや対等以上に優位に戦えるだろう。


 重巡洋艦「最上」の零式水上観測機の1機は艦隊後方で哨戒任務についていた。

 これを呼び戻すと共に、残る2機の零式水上観測機を緊急発進させる。

 こうして、インド洋洋上で第二次世界大戦でも稀な複葉機VS複葉機の戦いが始まった。


 緊急発進した2機の零式水上観測機がアルバコア機の編隊に正面から襲い掛かった。

 編隊を乱させて「第3機動部隊」への雷撃を阻もうという狙いだ。

 その目論見は成功しアルバコア機の編隊は大きく散開した。

 しかも正面からの攻撃で1機のアルバコア機を撃墜している。


 零式水上観測機はその運動性能を遺憾なく発揮しアルバコア機を狩り始める。

 この複葉機同士の戦いの場面だけを見るならまるで第一次世界大戦だ。

 そんな空戦シーンがインド洋上で展開されたのだ。


 だが、いかに零式水上観測機の性能がアルバコア機を凌駕していようと敵機の数が多すぎた。

 しかも、敵戦闘機の何機かがアルバコア機の編隊の危機に気付き掩護に回ろうとする。

 その結果、7機のアルバコア機が「第3機動部隊」の攻撃態勢に入ったのだ。


 一番最初に被害を受けたのは重巡洋艦「最上」だった。

 当初「最上」は空母「瑞鳳」の前に位置していたのだが、敵機の襲来にその位置を敵機が来る方向の「瑞鳳」の側面にかえ「瑞鳳」の盾になろうとする。


「最上」は主砲、高角砲、対空機銃を猛射した。他の駆逐艦も対空射撃を激しく行う。

 その対空射撃の激しさに攻撃のタイミングを逃したのか2機のアルバコアは攻撃せずに機動部隊後方方向に反れるように飛んでいった。


 1機は機体真っ正面に「最上」の主砲の直撃弾を受け四散し撃墜された。


 しかし次のアルバコア機の雷撃が成功する。

 アルバコア機の投下した魚雷が海中を猛スピードで真っ直ぐ「最上」に向かい、その横腹に命中し大きな水柱が立ったのだ。魚雷を投下したアルバコア機は機動部隊上空を飛び越していった。

 魚雷を喰らった「最上」だったが、それでも対空射撃は止まなかった。


 さらに1機のアルバコア機が対空射撃で撃墜される。


 しかし次のアルバコア機は攻撃を成功させた。爆撃だ。

 苛烈な対空射撃を物ともせず空母「瑞鳳」に目掛けて500ポンド爆弾(約227キロで日本の250キロ爆弾より少し威力が小さい爆弾)2発を投下、それがものの見事に航空甲板中央に命中したのだ。

 大爆発が起こった。甲板は滅茶苦茶に破壊され、破損個所から炎と煙を吐き出した。


 次に飛んで来たアルバコア機は魚雷を投下した。その雷撃は「瑞鳳」を守っていた駆逐艦「磯波」に命中し大きな爆発を起こす。一撃だった。その一撃で駆逐艦はあっと言う間に沈んでしまった。


 徐々に機動部隊の被害が増加し最初に比べ対空砲火の弾幕は薄くなっていく。

 そんな時、ソードフィッシュ機の編隊が戦場に到着する。


 生き残っている零戦隊も緊急発進した「最上」の零式水上観測機にもその相手をする余裕などなかった。

 戦場の合間を縫うように「第3機動部隊」に向かうソードフィッシュ機の編隊。その数12機。


 だが、ここでようやく機動部隊後方の警戒に当たっていた「最上」の零式水上観測機が戻って来た。

 たった1機の零式水上観測機は怯む事なくソードフィッシュ機の編隊に突っ込んでいく。

 だが、しかし、1機に12機は荷が重すぎた。

 大半のソードフィッシュ機は零式水上観測機に構わずに機動部隊に向かって行く。

 それを阻む者は最早いないかのように見えた。


 重巡洋艦「最上」は魚雷を喰らったお蔭で速力が落ち機動部隊から遅れ気味になっていた。

 「瑞鳳」を守っているのは残り3隻の駆逐艦だ。


 機動部隊の1番前を航行していた駆逐艦「浦波」が敵機が来る側の「瑞鳳」側面の守りに位置を変えようとする。

 空母「瑞鳳」の後方にいた駆逐艦「三日月」も速度を上げ「瑞鳳」の側面に出ようとする。

 敵機が来る方向とは逆側にいた駆逐艦「敷浪」も同じように位置を変えようとしていた。


 遅い速度ながらも接近してくるソードフィッシュ機の編隊。

 頼みの綱は駆逐艦3隻と「瑞鳳」自身の対空砲火のみ。

 そう思われた時だった。


 味方の援軍が現れた。

 1機の零式水上観測機が現れソードフィッシュ機の編隊に立ち向かっていく。

 その後、少し遅れて再び新たな1機の零式水上観測機が戦場に現れソードフィッシュ機の編隊に突っ込んでいき攻撃を開始した。


 この2機は分遣隊の重巡洋艦「三隈」に所属する機だった。

 比較的、本隊近くにいた重巡洋艦「三隈」の分遣臨隊が駆けつけて来たのだ。

 最初の1機は「三隈」から緊急発進した機で、それに少し遅れたのは「三隈」から哨戒に出ていた機だった。哨戒に出ていた機は燃料があまり残っていなかったが、それでもそのまま戦闘に参加した。


「三隈」にはもう1機零式水上観測機があるが、不運にもカタパルトの故障が発生し発進できなかった。

 こうしてソードフィッシュ機の編隊は3機の零式水上観測機の猛攻を受ける事になる。


 3機の零式水上観測機は次々と速度の遅いソードフィッシュ機を撃墜していく。

 それでもソードフィッシュ機は攻撃を諦めない。


 それに最初に攻撃に失敗したアルバコア機2機がまたもや機動部隊を狙って来た。

「瑞鳳」も駆逐艦も全艦が苛烈な対空射撃を行った。

 味方の零式水上観測機に誤射する可能性が多分にあったが、この時それを考慮している余裕はなかった。


 6機のソードフィッシュ機と2機のアルバコア機が攻撃態勢に入った。

 最初に攻撃態勢に入ったソードフィッシュ機が対空砲火に撃ち落とされる。


 しかし次のソードフィッシュ機は雷撃に成功する。この機が投下した魚雷は海中を猛然と進み「瑞鳳」後方から速度を上げて側面の守りに入っていた駆逐艦「三日月」に突き刺さった。文字通りの意味で。

 魚雷は爆発しなかった。不発だったのだ。

「三日月」にとっては幸運だった。敵機には不運だった。


 3機目のソードフィッシュ機は爆撃だったが激しい対空砲火のためか爆弾を「瑞鳳」に命中させる事はできず、艦の傍に大きな水柱を2つ作っただけにとどまる。


 4機目のソードフィッシュ機は雷撃だった。この機が投下した魚雷は駆逐艦「浦波」の艦首部分に命中し爆発した。文字通り「浦波」は艦首をもぎ取られた。だが、がすぐに沈む事はなかった。

とは言え最早航行はできず海上を漂うのみだ。


 5機目のソードフィッシュ機も雷撃だった。しかし、対空砲火に被弾し機体のバランスが狂ったせいか魚雷は投下したものの狙いを「瑞鳳」から大きく外し魚雷は命中する事はなかった。

 だが、その魚雷は反対側面から移動して対空戦闘に参加しようとしていた駆逐艦「敷浪」に突き刺さった。船体中央よりやや後方に激しい水柱が立ち「敷浪」が揺れた。

 多大被害をうけたが、まだ沈むにまではいたらない。


 6機目のソードフィッシュ機は爆撃だった。この機の爆弾も500ポンド爆弾(約227キロで日本の250キロ爆弾より少し威力が小さい爆弾)2発だった。この機は激しい対空砲火に怯んだのか「瑞鳳」手前の不発の魚雷を喰らった駆逐艦「三日月」に爆弾を投下した。1発は外れたが1発は艦中央部に命中し大爆発を起こす。


 次はアルバコア機で雷撃だった。しかし爆弾が命中した駆逐艦「三日月」から出たもうもうたる煙に邪魔されたのか、この機は魚雷を投下したものの狙いを外してしまう。


 最後の攻撃もアルバコア機だった。もう少しで魚雷を投下するというところで「瑞鳳」の高角砲の直撃を受け火だるまとなって撃墜された。


 こうしてイギリス空母航空隊の攻撃は終わり、辛くも「第3機動部隊」本隊は全滅する事を免れた。

 艦首をもぎ取られた「浦波」は乗組員が懸命に沈没を阻止しようとはしたが、その働きと願いも虚しく沈没していった。これで撃沈された駆逐艦は2隻になった。


 この戦闘で生き残ったのは4隻。

 空母「瑞鳳」と重巡洋艦「最上」と駆逐艦「三日月」「敷浪」

 全ての艦が大破していた。


 零戦で生き残ったのは1機だけで5機が失われた。幸いにも失われた零戦のパイロットのうち2名は脱出に成功し無事救助されている。

「最上」の零式水上観測機も2機失われた。この2機はアルバコア機またはソードフィッシュ機の後部機銃に撃墜されたようだ。

 零戦と零式水上観測機を合わせて7機が失われた事になる。

 しかも「瑞鳳」の飛行甲板が酷い被害で離着陸不能になった事から生き残った零戦1機も燃料が切れた後に海上に不時着しパイロットは収容されるという事になり結局、航空機の喪失は合計8機となった。


 イギリス空母航空隊で生き残り帰途についたのは、空母「イラストリアス」の航空隊がマートレット戦闘機2機にソードフィッシュ機が1機で、空母「インドミタブル」の航空隊がフルマー戦闘機1機にアルバコア機が2機だけだった。

 撃墜された機はマートレット戦闘機10機、フルマー戦闘機9機、ソードフィッシュ機が11機、アルバコア機が9機の合計39機にものぼった。


 一方、空母「瑞鳳」からイギリス機動部隊を叩くために出撃した零戦9機に九七式艦上攻撃機9機からなる攻撃隊もイギリス機動部隊を発見し攻撃に成功している。

 だが、しかし、それは大きな犠牲を伴うものだった。


 イギリス機動部隊の上空で警戒にあたっていたのは空母「インドミタブル」のシーハリケーン戦闘機4機と空母「イラストリアス」のマートレット戦闘機4機だった。

 しかし、日本機の接近に気付いたイギリス軍は更に戦闘機を上げてくる。

 空母「インドミタブル」からシーハリケーン戦闘機5機に、空母「イラストリアス」からマートレット戦闘機6機だ。

 計19機のイギリス戦闘機が日本の攻撃隊を迎え撃って来たのだ。

 

 零戦隊とイギリス戦闘機部隊の激しい空中戦が展開された。

 

 その隙を突いて九七式艦上攻撃機の部隊が敵空母を攻撃しようとするが、それに気付いた敵戦闘機が邪魔をしようとする。

 空母を護衛する巡洋艦2隻と駆逐艦8隻も盛んに対空砲火を浴びせて来る。


 一番最初に攻撃態勢に入った九七式艦上攻撃機は敵戦闘機の妨害により空母を狙う事ができず、その手前の巡洋艦に雷撃を行った。それは見事に船体中央に命中し轟音と巨大な水柱を吹き上げさせる。そして激しい爆発音と共に巡洋艦は沈んでいった。

 だが攻撃を成功させた機は激烈な対空砲火の集中を浴び撃墜されてしまった。


 次の機も激しい対空砲火に空母を目標する事はできず、最初に沈めた巡洋艦の近くにいた駆逐艦に雷撃する事を余儀なくされる。それでもこの魚雷はその役割を果たし駆逐艦は真っ二つになり轟沈した。


 そして、この2隻の撃沈によりイギリスの空母を守る防衛網の一角に穴が開く結果となったのである。

チャンスだった。


 ただ三番目の機はそことは別の方角から攻撃を行ったためその利点は生かせなかった。

しかも魚雷も命中しなかった。


 四番目の機も三番目の機と同じ方向から魚雷を放つ。

 この魚雷は駆逐艦に命中し大爆発を起こさせる。

 ただこの機は魚雷を放った後に熾烈な対空砲火により撃墜されてしまう。


 五番目の機は防衛網の一角に開いた穴目掛けて突撃し空母に向けて魚雷を放つ事に成功する。

 そしてその魚雷は空母「インドミタブル」の船体中央よりやや艦首方向の位置に命中し爆発が起こり水柱が立った。


 六番目の機は敵戦闘機に背後から狙われ撃墜されてしまう。


 しかし七番目の機がまたもや空母「インドミタブル」への雷撃に成功する。魚雷は船体真ん中に命中し再び大きな爆発共に水柱が立たせた。


 この頃には防衛網に開いた穴を塞ごうとする駆逐艦が全速で航行して来ていた。

 

 その駆逐艦の対空砲火により八番目の機は撃墜されてしまった。


 最後の機は別方向から無傷の空母を狙おうとしたが、激甚なる対空射撃にタイミングを外され攻撃に失敗した。そして背後から対空砲火を浴び撃墜された。


 こうして「瑞鳳」の攻撃隊による攻撃は終了した。

 敵戦闘機により九七式艦上攻撃機が更に1機撃墜されたため、九七式艦上攻撃機で残存するのは3機だけだった。

 零戦隊は4機が撃墜され5機が生き残った。


 イギリスの戦闘機部隊はマートレット戦闘機9機とシーハリケーン戦闘機6機が撃墜された。


 こうして空母対空母の戦いは終わりを告げる。

「第3機動部隊」には更なる航空作戦を行う余裕は無かった。


 イギリス機動部隊も第2次攻撃隊を送って来る事は無かった。

 既に夕方であり、これから航空作戦を行ったとしても夜間に突入する事になるため、その危険性を危惧したのかもしれない。


「第3機動部隊」にとって残念なのは、せっかく敵機動部隊の攻撃から生還した攻撃隊の零戦5機と九七式艦上攻撃機3機が、空母「瑞鳳」の飛行甲板が破壊された事から着陸できず、海上に不時着する事になり全機失われた事だ。

 そのパイロット達を全員無事に収容できた事が救いだ。

 パイロット達を収容した後に夕闇に紛れて「第3機動部隊」は撤退行動に移った。


 連合艦隊司令部ではこの状況に黒島参謀が「第4機動部隊を投入して、イギリス艦隊にとどめをさしましょう」と進言して来たが、反対意見も多く自分も流石にそれは許可しなかった。


「第4機動部隊」は足が遅い。時宜は逸したろう。

 恐らく傷付いた敵機動部隊の向かう先はセイロン島だ。

 もし「第4機動部隊」が敵機動部隊に向かえば、下手をすればセイロン島の敵航空部隊に捕捉され大損害を受けかねない。

 それに「第4機動部隊」には独自の役割がある。

 だから許可しなかった。


 こうして「第二次セイロン島沖海戦」は終わりを告げたかに見えた。

 しかし、ここで嬉しい報告が入る。

 通商破壊作戦任務でインド洋西部に向けて航行中だった「伊27」潜水艦が何とイギリス艦隊を捕捉し空母「イラストリアス」への雷撃に成功したのだ。

 惜しくも撃沈はできなかったが、かなりの被害を与え大破させたらしい。


 こうして真に「第二次セイロン島沖海戦」は終幕となった。


 イギリス軍の損害は主力空母2隻大破。巡洋艦1隻沈没。駆逐艦1隻沈没。駆逐艦1隻大破。

 戦闘機の損失36機、攻撃機の損失20機。


 日本軍の損害は小型空母1隻大破。巡洋艦1隻大破。駆逐艦2隻沈没。駆逐艦2隻大破。

 戦闘機の損失15機、攻撃機の損失9機。水上機の損失2機。


「第3機動部隊」上空とイギリス機動部隊上空で行われた空中戦に限って言えば日本側の戦闘機の損害は9機だ。イギリス側は36機。

つまり損害比率は1対4となる。


 イギリス軍も健闘したと言える。

 史実における「ミッドウェー海戦」での緒戦のミッドウェー島上空で行われたアメリ軍と日本軍の空中戦では、日本側が撃墜された戦闘機は2機でアメリカ側は16機だった。つまり損害比率は1対8だった。

 それと比べると1対4というのは大したものだろう。

 

 流石は過去に日本海軍がお手本にしたイギリス海軍というところか。

 それに伊達に第二次世界大戦に一足早く突入していないっていうところだろうか。

 ドイツ軍との戦いで鍛えられたか。


 それに攻撃機隊の命中率も戦艦ビスマルクとの戦いの時より良いようだ。

 空母「アークロイヤル」のソードフィッシュ機隊15機が戦艦ビスマルクに攻撃をしかけた時、2本の魚雷を命中させている。

 それに比べ今回はソードフィッシュ機とアルバコア機を合わせて23機が出撃し、零式水上観測機の妨害があったにも関わらず5機が攻撃を成功させている。

「ジョンブル魂ここにあり」ってやつだろうか。

 流石だ。


 しかし、それでもこの海戦の勝利は我々日本だろう。

 損害を比較すればイギリス軍は日本軍より多くの被害を被っている。

 これは戦術的勝利だ。


 ただ幸運にも恵まれていた。

 もし、イギリス側が初手から航空兵力を全力出撃させていたら恐らく「第3機動部隊」本隊は文字通り全滅し1隻も生き残れなかったかもしれない。


 イギリスの空母は戦闘機隊と攻撃機隊を各2個部隊搭載している。

 しかし今回の戦いではその半分各1個部隊しか攻撃に出してこなかった。

 残りは恐らく他の日本の空母がいる場合に備えていたのだろう。

 

 それに海戦の始まりが午後遅くだったのも幸いした。

 もし海戦の始まりがもっと早くイギリス機動部隊が攻撃隊の戦果報告を知らされ第二次攻撃隊を送っていたら、やはり「第3機動部隊」本隊は全滅していたかもしれない。

 今回の海戦はそうした偶然の要素に救われた形だ。


 だが、まぁ勝利には違いない。

 それにこの勝利は戦術的勝利だけにとどまらないだろう。

 恐らく戦略的にも大きな意味を持つ筈だ。


 今回の戦いにイギリスは主力空母を2隻出して来た。

 いやイギリスも空母を出さざるを得なかったというところではないだろうか。

 

 インド洋西部では日本の潜水艦が通商破壊戦をし、更に日本の機動部隊がベンガル湾から段々と南下する方向で通商破壊戦を行って来た。

 その結果、ビルマ戦線のイギリス軍とインド東北部から空輸で補給を受けている中国軍は、ベンガル湾を通じての補給ルートを阻害される形となる。

 

 ベンガル湾が通れないなら時間はかかるがインド西部の港から陸路、鉄道を使い補給品を輸送するという手段もある。

 

 しかし、現在インドは史実通り騒乱の嵐の中にある。

 ガンジーが逮捕された結果、暴動が各地で起こっている。

 しかも、この暴動はかなり大規模な破壊活動を伴ったものであり鉄道路線まで破壊されている。

 インドの鉄道網は酷い状況にある。

 

 史実ではこの時期、イギリス軍はビルマとインドに合わせて15個師団を持っていた。

 そのうち5個師団がビルマ戦線にあった。

 あとの10個師団がインドにあった。日本軍のインドへの海路進攻を警戒して要所を警備していたという事もあるが、インドでの騒乱を鎮めるための治安維持として多くの兵力が必要だったのだ。

 日本軍との戦いのために兵力をビルマ戦線に送り込むよりも後方の治安維持の方に多くの兵力が必要な状況だったのだ。

 騒乱鎮圧のためにイギリス航空隊が空から暴徒に攻撃も加えている。空から攻撃しないと鎮圧できなかった程なのだ。


 しかも史実ではイギリスのチャーチル首相はこの時期、イギリス軍内のインド兵の反乱を恐れ、インド兵の大規模な削減まで考えていた。

 そのような状況にインドがあるため陸路の補給ルートも速やかには使えていない。


 この状態がこのまま続けばビルマ戦線のイギリス軍と、空輸で何とか戦っている中国軍は持ち堪えられなくなる。

 

 特にビルマ戦線はただでさえ酷い状況の筈だ。

 史実では日本軍の進攻によりビルマの難民が約40万人もインド領側に逃げ出し混乱状態を引き起こしている。いつの時代も戦争で発生する難民の面倒は大変だ。


 それにイギリス軍はそれまでインド・ビルマの境界地域での大規模な戦いを想定していなかった。

そのためその地域の道路網は整備されておらず、飛行場も不足し、補給品を保管する倉庫さえ足りず、あらゆる物が足りない状況だった。それを一から整備しなければならない。


 しかも今は雨季だ。雨季には世界でも有数の降雨地帯となるから雨でなかなか作業が捗らない。

 これで、もし補給が完全に途絶したら……

 下手をすれば完全にビルマ戦線は崩壊するだろう。


 史実においてイギリスにとりビルマ戦線は優先順位が低かった。

 戦闘機などは新型が配備されるのは各戦線の中で一番遅かった。


 インド領内にしても同じと言える。

 インド領内で機関車が不足してイギリス本国に185両を要請しても届いたのはたったの4両という有り様だ。

 インド領内の機関車の不足はビルマ戦線、中国への補給線の維持に直結する問題だ。

 それでも現地からの要望数をイギリス本国は送れないでいる。

 機関車だけではない。インド方面に割り当てられた輸送船の数も必要量の4割以下でしかなく全く足りていなかった。

 だから大戦後半になるまでビルマ戦線はあまり動かず、中国軍にしても大規模な攻勢を行う事は無かった。


 1942年のこの時期、インドとビルマ戦線と中国軍はただ存在し戦線をギリギリ維持できるだけの補給しか貰えなかったのだ。

 そうしたイギリス側の事情は今回の歴史でもきっと同じだったろう。

 

 だが、今回の歴史では史実とは違い日本軍のインド洋での積極的な通商破壊作戦により、更に補給事情が悪化している筈だ。

 そうなるとかなりの危機に瀕する事になるだろう。

 幾ら優先順位が低いとは言っても流石にビルマ戦線崩壊の危機と中国軍への補給途絶の可能性が出て来るともなれば、手を拱いてもいられないだろう。

 インドの騒乱はおさまる気配を見せないし、実際史実でも騒乱が終息するのは9月下旬だ。

 

 そこでチャーチル首相としてはインド洋の海上交通路を回復させるために日本機動部隊を撃滅するために無理をしてでも空母を派遣するしかなかったというところではないだろうか。


 それに日本軍の進撃に期待するインドの反英の一部民衆に対し、イギリス艦隊による日本艦隊への勝利を見せつけ、その意気を阻喪させたかったのかもしれない。


 しかし、それらは「第二次セイロン島沖海戦」の敗北で頓挫しただろう。

 つまりイギリス軍は今回の戦いで戦術的に敗北しただけでなく、海上交通路の回復とインドの反英民衆の意気阻喪という戦略目的を達成できずに終わった、という事になるのではないかと思う。

 イギリスにとっては最悪に近い結果だろう。


 今回出てきたイギリスの空母は「イラストリアス」と「インドミタブル」だが、史実では両空母とも5月から実施されていたイギリス軍によるマダガスカル島攻略作戦に参加していた。

 そして空母「インドミタブル」はマダガスカル島攻略に一区切りついた7月にインド洋を去り、8月には地中海でのマルタ島への補給作戦に参加している。

 その代わり空母「フォーミタブル」がインド洋に入っている。


 だが今回の歴史では「イラストリアス」と「インドミタブル」の両空母はマダガスカル島攻略に一区切りついたところで日本艦隊迎撃に動いたというところだろう。

 

 恐らく地中海でのマルタ島への補給作戦は史実での空母「インドミタブル」の代わりに空母「フォーミタブル」がその役割を担っているのではないだろうか。


 一週間前の8月11日には史実通りイギリス海軍は空母「イーグル」を地中海で撃沈されている。

 マルタ島への補給船団を護衛していたところをドイツ海軍のUボートに撃沈されたのだ。

 いいぞドイツ海軍!

 さすがはUポート。頼もしい味方だ。


 これでイギリスに残る無傷の主力空母は3隻だけだ。イラストリアス級の「ヴィクトリアス」に「フォーミタブル」とフューリアス級の「フューリアス」だ。


 史実では今頃「ヴィクトリアス」と「フューリアス」はマルタ島への補給作戦に従事している。

 自分の推測が正しく「フォーミタブル」が史実の「インドミタブル」の役割を担っていれば、今頃はやはり地中海でマルタ島への補給作戦に従事しているだろう。


 つまり1942年8月現在、イギリスの作戦可能な全主力空母は地中海での作戦に参加している。

 今のところイギリス海軍には直ぐに空母をインド洋に回す余裕も、空母の減ったアメリカを援けるために自国の空母を太平洋に送る余裕も無いだろう。


 北極海経由でのソ連への補給船団の護衛任務もある。

 史実では空母「ヴィクトリアス」などは7月にソ連への補給船団の護衛任務につき8月にマルタ島への補給作戦に従事している忙しさだ。


 それにドイツ艦隊の事もある。

 ドイツ海軍にはまだ戦艦ティルピッツが健在だ。

 ドイツ艦隊に備えるイギリス本国艦隊とて空母は欲しいだろう。


 イギリスは完全に空母不足に陥っている。

 この空母不足とアジアの戦況の悪さにチャーチル首相はどう対応するだろうか。


 そして、イギリスの不利はこっちのチャンスだ。

 イギリスとの戦いの流れがこちらに来ている。

「第3機動部隊」の航空戦力は大損害を被ったが、まだ水上艦戦力は戦える。

 士気も落ちていないようだ。


 「第3機動部隊」の司令長官である大川内中将は、大破した3隻に護衛を付けてペナンに後退させ、旗艦を重巡洋艦「三隈」に移して、なお巡洋艦と駆逐艦により「B作戦(インド洋通商破壊作戦)」を続行する事を連合艦隊司令部に打電してきている。

 その意気やよし!

「第二次セイロン島沖海戦」の勝利を祝すとともに「第3機動部隊の更なる戦果に期待する」と返電しておいた。もはや空母も無く実質的には機動部隊とは呼べないけれど、「第3機動部隊」の今後の活躍に期待しよう。


 それに潜水艦部隊も順調に戦果を上げている。

 現在、休養・整備中の仮装巡洋艦部隊の「第24戦隊」も、もうすぐインド洋に戻れるだろう。

 しかも、史実より海軍の陸上攻撃機隊をベンガル湾、インド洋に投入できる。

 史実ではインドネシアのサバン島やビルマに配備されベンガル湾、インド洋を担当としていた「鹿屋航空隊」は「ガダルカナル島攻防戦」の発生により、その一式陸上攻撃機27機をラバウルに派遣している。

 しかし、今回は「ガダルカナル島攻防戦」が起こっていないためにそのままベンガル湾、インド洋での任務を継続できる。


 そして何よりも「第4機動部隊」が健在だ。

 史実では輸送任務に護衛任務にと、地味に地味に地味に地味に働きを重ねて来た縁の下の力持ち的役割だった空母「大鷹」と空母「雲鷹」にもいよいよ華々しく活躍する時が来た!

 低速小型の「大鷹」「雲鷹」とて、イギリスの主力空母がインド洋上にいないのならば、恐れるものは何も無い。ましてや狙う獲物が輸送船なら尚更だ。

 その働きに期待しよう。


 しかし、空母「瑞鳳」の航空隊の機体が殆ど失われたのが痛い。

 艦内に残っている修理中の零戦2機だけが無事とは。

 ただでさえ、新たに航空隊を増強したお蔭で補充が間に合っていないのに困った事態だ。

 救いなのはパイロットの多くが無事に収容された事だろう。

「瑞鳳」自体の損傷もどれ程の期間で修理できるだろうか。

 下手をすれば「ハワイ攻略作戦」には間に合わないかもしれない。

 それも困ったものだ。

 だが、まぁ撃沈されずに生き残ったのだ。それで良しとしよう。


 それにしても偽暗号を使用したり外交筋から偽情報を流し、更に「第4機動部隊」を使って「南雲機動部隊」がマダガスカル島のフランス軍を救援するためインド洋に向かうように見せ掛けようとした偽装作戦はイギリス軍には見破られていたと考えるべきだろう。


 もし偽装作戦が成功していたとするならば、イギリス海軍は「第3機動部隊」と「南雲機動部隊」相手に2隻の空母を立ち向かわせた事になる。セイロン島やインド所在の航空隊があるとは言え戦力不足は否めない。


 幾らビルマ戦線と中国、それにインドの騒乱の事があるからと言って、空母2隻をそのような勝算の低い戦いに差し向けるだろうか。

 やはり偽装作戦は見破られていたと考える方が妥当だろう。残念だ。


 マダガスカル島もどうにかしたいものだが……

 イギリス軍とフランス軍は島内で睨み合い実りの無い交渉をだらだらと続けている。

 あそこをイギリス軍が懸念していたように日本軍の基地として利用できたなら作戦の幅が更に広がる。

 それにはフランス軍の力も借りたい。特に補給物資の供給でだ。

 せっかくイギリスの空母を叩く事に成功したのだ。

 このままにしておくのは如何なものか。

 だが遠い。マダガスカル島は遠すぎる。

 しかし、このまま放っておくのもなぁ。

 あれっ。確か5月くらいにマダガスカル島については今と同じような事を考えていたよな。

 それでその時は考えを先送りにしたんだったか。

 まぁ状況が状況なだけに仕方ない。

 ともかくできるだけ「ハワイ攻略作戦」に支障をきたさない範囲で何か手を打てないか本格的に考えてみようか。


「第二次セイロン島沖海戦」の切っ掛けとなったチャゴス環礁への偵察は、結局潜水艦により行われる事になった。


「第二次セイロン島沖海戦」の勝利は永野海軍軍令部総長から陛下に奏上されるだろう。

 きっとお歓び下さるに違いない。

 国民にも大本営から発表されるだろう。

「ミッドウェー海戦」の時と同じように国民は勝利を喜ぶに違いない。

 いい事だ。いい事だ。

 そして敵国では……

 チャーチル首相は今頃どうしているだろうか。

 ふてぶてしく葉巻をくゆらせながらも内心では唸り声を上げているのではないだろうか。

 ルーズベルト大統領も一番の同盟国の敗北に浮かない顔をしているのでは。

 蒋介石主席はきっと顔を曇らせているだろう。アメリカ・イギリスからの今後の補給に不安を感じているのではないか。

 スターリン書記長は……ドイツとの戦いで頭がいっぱいか。

 連合国首脳の皆さんは今夜は熟睡できるかな?

 少なくともいい夢は見れないだろう。

 くっくっくっくっ。



 インド洋での勝利は良いとして、太平洋ではマキン島について「第4艦隊」から報告が入って来た。

 

 昨日に続き「第14航空隊」の九七式大艇がマキン島に偵察に出た。

 この九七式大艇はマキン島の陸戦隊本部付近に日章旗を確認したそうだ。

 それに加えて交戦の銃火も確認。

 

 そこでこの九七式大艇は陸戦隊本部近くの海岸に強行着水を試みた。

 敵から銃撃を浴びるものの着水に無事成功。

 陸戦隊の生き残り12人と接触できたそうだ。


 ただし、大した情報は得られなかった。奇襲を受けた直後から指揮系統は乱れ陸戦隊はバラバラで他にも生存者がいるのかどうかわからない状況らしい。

 どうやら守備隊指揮官だった有川少尉が戦死したのは確実のようだ。

 恐らく玉砕電報を打った後、戦死したのだろう。残念だ。

 九七式大艇は食糧、弾薬を渡し負傷者を収容して無事に基地に帰還した。


 この九七式大艇の報告により、おおよその敵の位置がつかめた為、マーシャルを根拠地としている「第1航空隊」の一式陸上攻撃機がマキン島に爆撃を加えた。


 このマキン島の戦いについて微妙に史実と違って来ている部分もあるのだが大した違いではないから、まぁいいか。


「第4艦隊」からマキン島へ派遣される増援部隊は明日、マーシャルから出港予定だ。


 それにしても、史実において、このマキン島の戦いはアメリカ軍の奇襲攻撃の勝利として宣伝されているが、そのアメリカ軍の行動を見ていると、とても手際が良いとは言えない。


 何せ、潜水艦から上陸して奇襲攻撃をかけるのはよいとしても、その後の撤退では全員を無事に収容する事ができず、160人の参加兵力のうち60人を置き去りにしたのだ。

 その後、再度、潜水艦による撤収作戦が行われたが、やはり全員は収容できず捕虜を出す結果となっている。

 マキン島の日本軍守備隊は73名だったのにだ。

 まぁ奇襲作戦としては悪い見本だろう。


 それに比べれば同じ日に行われたツラギ島への奇襲作戦は見事だった。

 守備隊に撃退されたとは言え、捕虜を出すような失態はしていない。負傷者も残さず、死体だけは残置しているが、それは仕方がないだろう。

 同じアメリカ軍で訓練が違っているとも思えないから、これはやはり指揮官の差だろうか。


 まぁそれはともかく、まだ幾日かはマキン島での戦闘は続くだろう。

 それも日本軍は守備隊の残存部隊であり、アメリカ軍は撤収に失敗した残存部隊だ。

 残存部隊VS残存部隊だ。

 珍しい戦況と言えるかもしれない。

 味方の被害が少ない事を祈るのみだ。



 それにしても今日は「第3機動部隊」の損害をイタリアに関連付けて動揺していたが、冷静に考えてみると取り乱していた自分に笑える。はっはっはっはっ。

 自分もまだまだ修行が足らん。

 ともかく今日はぐっすり眠れそうだ。良かった。良かった。

 明日は良い報告が入るといいな。

 さて、もう寝るか。

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