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0012話 足踏み(1942年7月~8月上旬)

『1942年7月』


 7月になった。七夕祭りの7月だ。

 行きたいね七夕祭り。

 ああ、でも七夕祭りも戦後に始まったものも多いからなぁ。


 現代日本の首都圏で最も人出が多く、軽く100万人を超す人が訪れる「湘南ひらつか七夕祭り」も戦後に始まったんだよな。

 ここはやはり江戸時代から行われている「仙台七夕祭り」に……って行ってる暇が無い。無念だ。


 せめて「水饅頭」食べて軍務を頑張りますか。

 そう史実の山本五十六連合艦隊司令長官も甘味好きで、中でも「水饅頭」がお好きだったとか。

 今の季節に「水饅頭」は最高だね。



●7月1日、海軍軍令部が「ミッドウェー海戦」での損害の大きさに驚いて、慌てて立てていた空母増強計画の概要を知らせてきた。

 その知らせて来た空母の数は9隻だ。


 計画では正規空母「大鳳」「雲龍」の完成を急ぐ。

 艦種変更空母「信濃」「龍鳳」「千代田」「千歳」の完成を急ぐ。

 商船改造空母「冲鷹」「海鷹」「神鷹」の完成を急ぐというものだ。


 何故か今月就役する筈の「飛鷹」の名前が無いが、まぁいいか。


 空母増強計画は史実通りの状況だ。

 しかし、その空母増強も時間がかかる。


 史実では海軍軍令部の伝えて来た空母で1942年に就役するのは2隻だ。

 小型空母「龍鳳」1942年11月就役。

 小型空母「冲鷹」1942年11月就役。


 1943年に就役するのは3隻だ。

 小型空母「海鷹」1943年11月就役。

 小型空母「神鷹」1943年12月就役。

 小型空母「千代田」1943年12月就役。


 1944年に就役するのは4隻だ。

 小型空母「千歳」1944年1月就役。

 大型空母「大鳳」1944年3月就役。

 中型空母「雲龍」1944年8月就役。

 大型空母「信濃」1944年11月就役。


 この空母増強計画では新たな大型空母が就役するのはあと2年も後だ。

 しかも年内に就役して第一戦の戦力として活躍できるのは小型空母「龍鳳」一隻だろう。


 他に年内に完成する空母としては元客船「新田丸」を改装した「冲鷹」があるが、この空母は艦隊戦には投入できない。

 何故なら商船改造空母はいいとしても小型で低速、搭載機も少ない。その為、史実でも日本海軍がいくら空母不足になっても艦隊戦に投入される事はなく、主に飛行機と物資の輸送や、輸送船団の護衛空母として行動していた。


「冲鷹」には同型艦があと2隻ある。

「春日丸」と「八幡丸」だ。2隻とも元は「新田丸級客船」で、既に両艦とも改装されて特設航空母艦として活躍しているが、やはりその任務は飛行機や物資の輸送がメインだ。


 史実では来月8月に「春日丸」は「大鷹」に名を変え、「八幡丸」は「雲鷹」に名を変え、艦種も空母に変更となる。しかし、艦種が変更になったからと言って性能が変わるわけでもない。

 結局、史実通り「大鷹級空母」が3隻、後方で輸送任務や輸送船の護衛任務についているという話になるだけだ。


「海鷹」「神鷹」も「大鷹級空母」と同様で、低速、小型な為にとても第一線には投入できない。史実でも後方で活躍していた空母だ。


 つまり「龍鳳」の次に第一線で活躍が期待できる空母は1943年12月に就役する「千代田」という事になる。


 今からだと約1年半後だ。頭を抱えたくなる。

 だから、去年の12月に海軍軍令部に空母の増強をと提案していたのだ。

 特に大型空母を建造するのには時間がかかる。


 そもそも被害0で戦争が進む筈が無いのだよ。

 それを「ミッドウェー海戦」での被害に慌てて空母の増強を言い出すとは史実通りじゃないか。

 困ったもんだ。

 ともかく、空母の増強は急げるだけ急いでもらわねば非常に困る。

 こちらからも敢えて強く念押ししておこう。


 それと「ぶらじる丸」だ。

 この海軍軍令部からの空母増強に関しての連絡には「ぶらじる丸」が入っていない。

「ぶらじる丸」は、空母「海鷹」に改装される貨客船「あるぜんちな丸」と同型艦だ。

「あるぜんちな丸級貨客船」の「あるぜんちな丸」と「ぶらじる丸」の2隻は戦争になった場合、空母への改装ができるようにと最初から設計して作られていた船だ。


 史実では8月にアメリカの潜水艦により「ぶらじる丸」は撃沈されるが、いつまでも輸送船として使って、さっさっと空母への改装を始めないからそうなるのだ。空母へ改装できる船は限られている。


「ぶらじる丸」も一刻も早く空母へ改装するように海軍軍令部に強く要望しておこう。そうしないと史実通りアメリカの潜水艦に撃沈されてしまうかもしれない。


 小型の商船改造空母とは言え1隻でも増えれば使い様はある。


 それに宇垣参謀長が提案した「伊勢」「日向」を航空戦艦へ改装する案もどうなっているのやら、全く話が聞こえてこない。

 これについても、再度強く要望を出しておこう。


 まあ幸いなのは今月中に「隼鷹」の同型艦、中型空母の「飛鷹」が就役する事だ。

 この「飛鷹」と「隼鷹」のコンビは史実でも大いに活躍した。

 今回の歴史でもコンビを組ませて大いに活躍してもらおうと思う。


 ところで、本日付けで重巡洋艦が一気に3隻も増えた。

 史実通りの話しだがあまり嬉しくない。

 だって増えたのは日露戦争時代の旧式艦ですから!


 事情はこうだ。

 日本海軍には「海防艦」という艦種がある。

 これまでは主に日本近海で防衛の役割を担う艦種だった。

 しかし、今回の戦争では遠方での商船護衛、海上交通路の安全確保という役割も付加される事になった。

 その為、これまで「海防艦」として分類されていた艦で、遠方での任務遂行が難しい艦の分類が見直された。

 そこで日露戦争時代に装甲巡洋艦(一等巡洋艦)として活躍し、後に旧式化から「海防艦」とされていた艦を再び一等巡洋艦(現在は重巡洋艦)にしたのだ。

 そんなわけで日露戦争時代に活躍した生き残りの老朽艦「出雲」「八雲」「磐手」が一等巡洋艦(重巡洋艦)に返り咲いたのだ。


 いや、それは、おかしいだろう!

 何でそこで一等巡洋艦(重巡洋艦)にするんだ。

 現在、日本海軍には一等巡洋艦(重巡洋艦)で「古鷹」型、「青葉」型、「妙高」型、「高雄」型、「最上」型、「利根」型の6つの型があるが、どう考えたって日露戦争時代の装甲巡洋艦がこれらの艦と同一の任務を果たせるわけがない。


 決めたのは海軍省だ。

 何を考えているのやら。

 これはあれか? 連合艦隊司令部には伝えて来ていないが、もしかして宣伝工作という意味も入ってるのか?

 一等巡洋艦(重巡洋艦)が3隻も増えました。帝国海軍はますます強くなりました! っていう対外宣伝の為なのか? 枯れ木も山の賑わいなのか?


 史実でも今回の歴史でも、この一等巡洋艦(重巡洋艦)に返り咲いた「出雲」「八雲」「磐手」は練習艦として運用される。


 ちなみに同じく本日付けで、やはり日露戦争時代に活躍した装甲巡洋艦(一等巡洋艦)の「春日」「浅間」「吾妻」は特務練習艦になっている。


 それなら何も「出雲」「八雲」「磐手」をわざわざ一等巡洋艦にしなくても、日露戦争時代に活躍した装甲巡洋艦(一等巡洋艦)の生き残りは全艦、特務練習艦にすればいいのにと思う海軍省からの通達であった。

 本日のお話しはおしまい。



●7月2日、大本営海軍部より6月29日付けでイタリア軍参謀総長のカバレロ大将がインド洋に強力な日本艦隊を派遣して欲しいという要請をして来たという連絡があった。


 無理も無い。北アフリカ戦線はドイツのロンメル将軍の攻勢で枢軸側に有利な情勢だ。

 この機会を逃したくはないだろう。


 まぁもう少し待っていてくれたまえ。

 もうすぐ「第3機動部隊」がインド洋に入るから。


 とは言うものの、ここで「第3機動部隊」がインド洋で通商破壊戦を実行したところで、その影響は直ぐには出ないだろう。


 イギリス軍とてエジプトに大量の軍需物資を備蓄している筈だ。

 今現在、ドイツのロンメル将軍が行っているエジプトへの攻勢に与える影響は少ないのではないかと思う。


 つまり、史実通りロンメル将軍のドイツ・アフリカ軍団はエル・アラメインでイギリス軍にその進撃を防がれる可能性が高い。


 しかし、史実でイギリス軍がエル・アラメインで攻勢に出る10月下旬頃にはインド洋での通商破壊戦の効き目が現れるのではないかと思う。


 つまり補給が厳しくなったイギリス軍は攻勢に出れない可能性がある。


 史実ではイギリスがトブルク要塞を失った時、失意のチャーチル首相がアメリカのルーズベルト大統領に願った事は新型戦車の供給だった。

 その頃、アメリカでは新型のM4シャーマン戦車の部隊配備が始まったばかりだった。

 だが、しかし、ルーズベルト大統領はチャーチル首相の要望に応え、アメリカ軍部隊に配備されたばかりのM4シャーマン戦車を取り上げ、エジプトに送り出すという事をしている。


 もしこのM4シャーマン戦車300両を積んだ輸送船がインド洋に沈み、エジプトに届かなかったらどうなるだろうか。まぁどの輸送船がM4シャーマン戦車を積んでるかなんて日本海軍にはわからない事ではあるが。


 ともかく、ロンメル将軍のドイツ・アフリカ軍団を援護をするためにも第3機動部隊のインド洋での作戦には期待したい。


 それにしても大本営海軍部もイタリアの要望を連絡して来るのが微妙に遅い。

 もしかして大本営もイタリアについては、色々と思うところがあるのだろうか。

 そうだとしたら気持ちはわかる。



●7月3日、またもやイタリア絡みの話しだ。

 東京の福生飛行場(現代日本の横田基地)にイタリアから飛来した「サヴォイア・マルケッティ75」長距離輸送機が到着したと、大本営海軍部が連絡をくれた。


 地理的にドイツ・イタリアと日本の間は連合国の勢力圏なので直接の連絡は難しいが、何とか連絡をつけると同時にイタリア機の優秀さをアピールしたいらしい。


 この飛行機は6月29日にイタリアのグイドニア飛行場を飛び立ち、ドイツ軍占領下のウクライナのザポロジエ市まで飛び、そこから敵ソ連領内のウクライナ東部、カザフスタン、モンゴル人民共和国の上空を飛んで日本の勢力圏西端である内モンゴルの「包頭(パオトウ)」に到着した。


 敵地上空だけでも飛んだ距離は6000キロ以上。

 よくもまあソ連機に撃墜もされず無事に到着したものだ。

 時々イタリアも感心する事をしてくれる。

 時々じゃなくて、いつも感心する事をしてくれればもっと嬉しいのだが、それはまぁ無理なお願いというものだろう。何せイタリアだから。


 ところで、このイタリア機が飛んで来た事は日本国民には内緒だ。

 日本政府は全世界に対しても秘密にしたい意向だ。

 日本政府としてはソ連を刺激したくないというのが本音だからだ。

 イタリア人パイロットも軟禁状態だそうだ。

 史実通りの話とは言え、日本に歓迎されないイタリア飛行機の大冒険と言うのも可哀想なお話だ。

 哀れな。


 それにしても内モンゴルの「包頭(パオトウ)」か……

包頭(パオトウ)」は、史実において陸軍の中国大陸での西北戦略における日本の特務機関(スパイや謀略工作・政治工作等をする組織)の重要な拠点の一つだ。


 史実では日本陸軍は1932年に満州事変を起こして満州を手に入れた後、その西隣りの内モンゴル地方にその手を伸ばす。それだけに留まらず内モンゴルのさらに西にも手を伸ばそうとした。


 これは闇雲に中国大陸の奥深くに入り込もうとしたのではなく明確なる戦略に基づいての行動だ。

 史実におけるその計画は、まず満州国の隣、内モンゴルにモンゴル人の独立国「蒙古国(仮称)」を建国する。勿論、日本の傀儡政権だ。


 その次は「蒙古国(仮称)」の隣、新疆やその周辺にイスラム教徒の独立国「回々国(仮称)」を建国する。これも勿論、日本の傀儡政権だ。


 これらの国々は当然、共産主義国家のソ連とモンゴル人民共和国の南部国境地帯と接しているわけで、「満州国」「蒙古国(仮称)」「回々国(仮称)」によりソ連の中国大陸への南下を食い止めようとする所謂「防共回廊」を形成する戦略だった。


 しかし、それだけでは無い。

「回々国(仮称)」の南にはチベット人の「西蔵国チベット」がある。

「西蔵国チベット」とも手を結び包囲網を形成して中華民国を追い詰め、中華民国が日本と関係を修復して手を結ぶしかないと判断するように持っていくという意図もあった。


 つまり対ソ連、対中国のための戦略だ。


 史実では、内モンゴル東部に特務機関の活躍で1935年5月12日にモンゴル人の「蒙古軍政府」を成立させた。

 

 その後、さらにその西、綏遠省に特務機関は進出していく。

 その時、綏遠省での重要な拠点となったのが「包頭(パオトウ)」だ。


包頭(パオトウ)」には満州の民間航空会社「満州航空」も進出した。

「満州航空」は民間航空会社とは言っても関東軍との強い繋がりのある会社で殆ど国策会社のような航空会社だ。

日本の特務機関と「満州航空」は共同で内モンゴルに進出していった。


 内モンゴルを含む中国西北地方は広い草原に砂漠に荒野がどこまでも広がっている。

 その大地を速やかに移動するには飛行機で空を飛ぶのが最も効率的だ。

 その為、「包頭(パオトウ)」から「阿拉善(アルシャン)」へ。「阿拉善(アルシャン)」から「額斉納(オジナ)」へと「満州航空」は、特務機関と一緒になって航空路を西北地方に開設していった。地上では陸路でトラックが物資や燃料を運んだ。


 また、「額斉納(オジナ)」に設営された天然の大地を利用した飛行場は重爆撃機の離着陸にも適しており、関東軍としては「日ソ戦」が発生した場合は、この「額斉納(オジナ)」より爆撃機を飛ばしてシベリア鉄道を破壊し、モスクワから極東への補給ルートを遮断する構想があった。


 なお、関東軍には白系ロシア人部隊が編成されおり、こちらは陸路ソ連領内に侵入しシベリア鉄道を破壊する作戦が計画されていたというから日本陸軍は「日ソ戦」が生じた場合は空陸両方からシベリア鉄道破壊を狙っていたという事になる。


 特務機関は「阿拉善(アルシャン)」に「阿拉善(アルシャン)特務機関」を置き、「額斉納(オジナ)」にも「額斉納(オジナ)特務機関」を置き、現地の有力者を懐柔し日本の味方にして中華民国(蒋介石の南京国民政府)から引き離そうと活動した。


額斉納(オジナ)」を統治していた「図王」という人物などは、「額斉納(オジナ)特務機関員」からの贈り物に喜び、中華民国(蒋介石の南京国民政府)から派遣されて来た役人の「日本人を排斥せよ」という命令に従わなかったそうだ。それはまぁ色々と物を貰って悪く思う人はいないからね。


 こうした特務機関の西北地方への進出も最初は順調に進んで行く。


 しかし、それも綏遠省を統治する「傅作義」主席を懐柔して中華民国政府から離脱させる事ができなかった事から事態は悪い方へ進み始める。

「共同防共」という、一緒に共産主義を防ぐためという大義名分をたてに日本は「傅作義」に地方独立政権を樹立させようとしたが拒否されて失敗する。


 これには中華民国(蒋介石の南京国民政府)による日本の分離工作阻止活動もあった。当然の事ながら中華民国(蒋介石の南京国民政府)にとっては、日本による地方政権樹立の動きは国家分裂の危機でしかないからだ。


「傅作義」主席は日本の誘いに乗らず中華民国(蒋介石の南京国民政府)から離れる事は無かった。


 ここで日本の特務機関は拙速に動く。

 1936年11月、日本の特務機関は「蒙古軍政府軍」を使い綏遠省に進攻する。

 後に「綏遠事件」と呼ばれる戦いだ。

 内蒙古西部を軍事力で制圧し、内蒙古東部と合わせて「蒙古国(仮称)」を成立させようとしたのだ。

 第二の「満州国」を建国しようという工作であり戦いだ。


 その主力となる蒙古軍政府軍とは言っても、作戦計画を立て前線で指揮するのは全員が日本の特務機関員で軍人だ。一応、日本人は「顧問」という名目での参加だったが、それは建て前に過ぎない。

「満州鉄道」はその自動車隊を提供し補給と輸送を担当した。

「満州航空」は「独立義勇飛行隊」を編成し機体とパイロットを提供。偵察、爆撃、輸送任務を行った。


 しかし、この作戦は失敗する。

 まず緒戦のホンゴルト攻防戦で敗北した。

 それに続き、逆に味方の重要拠点であった「百霊廟」を敵に奪取されてしまう。

 さらに敗北続きで日本人の指揮に不満を持った一部の兵士達がシャラムリンという地で叛乱を起こす。 この叛乱で日本人指揮官や特務機関員29人が殺害される。この叛乱は後に「シャラムリン兵乱」と呼ばれる。

 良いところ無しの完全な敗北だ。


 ところで、この蒙古軍政府軍の進攻作戦を計画したのは「関東軍参謀」兼「徳化特務機関長」の田中隆吉中佐だ。

 ちなみに「徳化特務機関」の「徳化」とは蒙古軍政府の拠点のある地だ。

 田中隆吉中佐は1930年頃には上海で日本公使館附きの武官をしており、その時、あの清朝王族の血をひく川島芳子さんと恋人になり、彼女をスパイに仕立てて謀略工作をさせた事で後世、有名な人物だ。


「男装の麗人」と呼ばれた川島芳子さんは、この時代の日本の婦女子に人気があるらしい。

彼女は史実では日本の敗戦後に中国政府に捕らえられ銃殺されたというが、現代日本でたまに雑誌などで生存説が書かれていたりする。

 確か1942年7月の時点では天津で料亭を経営していたというが、まあ自分が会う機会は無いだろう。

 

 一方の田中隆吉中佐だが、これだけ「綏遠事件」で失敗したにも関わらず翌年には大佐に昇進している。よほどうまく立ち回ったのだろうか。


 ともかく、この「綏遠事件」の発生で、中華民国(蒋介石の南京国民政府)は西北地方からの日本人排除に積極的に動く。


 その結果、西北へ進出していた特務機関も現地からの撤退を余儀なくされた。

包頭(パオトウ)」「阿拉善(アルシャン)」の特務機関員や「満州航空」の人員はかなり危険な目にあったが無事に撤退できた。


 しかし、最も遠く西に進出していた「額斉納(オジナ)特務機関」は現地に孤立してしまい、特務機関の人員10人は中華民国政府に捕らえられ甘粛省の省都「蘭州」に送られ、そこで勾留される。

 そして、日中戦争において日本軍の空爆が蘭州に行われると、1937年10月11日に処刑されてしまった。陸軍中央がこの「額斉納(オジナ)特務機関」の人員の最後を知ったのはかなり遅く翌年の1938年7月27日の事だった。


 この「綏遠事件」の失敗で日本は西方工作のそれまでの成果の多くを失ってしまった。


 また、この頃、日本には「欧亜連絡航空路」を開設するという計画があった。

 イギリスとソ連の勢力圏を通らずに欧州への連絡航空路を開設しようという計画だ。

 内モンゴルから新疆へ。そして新疆からアフガニスタンへと飛ぶ航空路だ。

 アフガニスタンから西の航空路はドイツの航空会社が担当する。


「綏遠事件」が進行中の1936年11月25日、日本はドイツと「防共協定」を締結する。

「満州事変」以後、世界的に孤立しがちな日本と手を結ぼうという国、ドイツが現れたのだ。

 それだけに一層、イギリスにもソ連にも頼らない連絡航空路が切望された。

 その計画も「綏遠事件」の失敗で一旦は後退する事になってしまった。

 実に残念な事だ。


 しかし、1937年7月「盧溝橋事件」が発生し日中戦争が開始される。

 ここで日本の関東軍は8月9日から「チャハル作戦」を展開し西北地方(内モンゴル)に軍を進めていく。

 そして10月17日には「包頭(パオトウ)」を占領した。


 これにより再度、日本の西北への進出計画が始まる。

 その過程において日本軍は内モンゴルで幾つかの傀儡政権を樹立させている。

 9月には「察南自治政府」

 10月には「晋北自治政府」と「蒙古聯盟自治政府」を樹立させた。

 この3つの自治政府は後に一つに統合される事になる。


 その後、陸軍中央はこの内モンゴルを関東軍の管轄から外して新たに「駐蒙軍」を編制し内モンゴルを管轄させ、西北工作に当たらせる態勢をとった。


 だが、しかし、関東軍も諦めが悪いというか管轄を外されたのにも関わらず、民間政治団体「イスラム反共同盟」を組織し西北工作に関わりを持とうとした。


「イスラム反共同盟」は1938年8月に「包頭(パオトウ)」に「包頭文化学院」を開校させる。

回教徒(イスラム教徒)の青年に教育を施すのと同時に工作員の養成を目的にしていた。西北地方での回教徒(イスラム教徒)達への親日工作に携わらせる為であり、西北で力を持つ回教徒(イスラム教徒)軍閥の懐柔も狙っていた。


包頭(パオトウ)」には他に「回教青年日本語学校」も開校しているが、これも同様の目的があったらしいと言われている。


 また「善隣協会」という組織もあった。この組織は日本での正式な財団法人で内モンゴルにおける医療と教育を中心とする文化活動をして現地の人々を親日にする目的で動いていた。しかし、それだけでなく陸軍からの要請で内モンゴル及び西北工作のための日本人工作員養成も請け負っており、その支部が「包頭(パオトウ)」にあったようだ。


また、駐蒙軍は駐蒙軍で、内モンゴルの回教徒と西北五省(寧夏省、青海省、甘粛省、陕西省、新疆省)の回教徒(イスラム教徒)を結び連携させる目的で「西北回教聯合会」を組織している。

この組織は各地に支部を作り、回教徒(イスラム教徒)の青年を対象とした学校を作り、その中から優秀な者を選抜して特別教育を施し工作員に仕立て各地に派遣している

その支部の一つは「包頭(パオトウ)」にもあった。


そもそも「包頭(パオトウ)」には「包頭(パオトウ)特務機関」もある。

つまり「包頭(パオトウ)」は日本軍の西端の拠点だけあって各組織の支部や工作員養成学校が集中していたと言える。


ついでに言えば陸軍は1942年7月の時点では「包頭(パオトウ)」に第3戦車師団を配置している。

陸軍に戦車師団は3個しかない。あとの2つは満州だ。

いかに陸軍が「包頭(パオトウ)」を重視しているかわかるというものだ。

包頭(パオトウ)」は外モンゴル(モンゴル人民共和国)からのソ連軍の侵攻を警戒し、また西北工作の重要な拠点だと言えるだろう。


日本の特務機関の工作員は内モンゴル西部から西北五省(寧夏省、青海省、甘粛省、陕西省、新疆省)に群雄割拠する回教徒(イスラム教徒)軍閥を取り込もうと動いているが、これらの地には「馬」姓を名乗る有力軍閥が四人おり、血族関係にあった。「馬家軍」とも呼ばれる。


寧夏省主席の馬鴻逵。


五原・臨河地方に勢力を持つ馬鴻賓。


青海省主席の馬歩芳。


武威周辺に勢力を持つ馬歩青。


血族ではあっても必ずしも仲が良いとばかりは言えず、骨肉相食む戦いを繰り広げていたりもする。

時に手を取り、時には戦うという関係だった。


この四人に一時期、甘粛省西部に勢力を持っていた馬仲英を加えて「五馬連盟」と呼ぶ時期もあった。

その馬仲英は「満州事変」が起きる前年に勢力争いに敗れて新疆に行ってしまったので、日本がこの地方に手を伸ばして来た時には既にいなかった。


また、特に勢力の大きい馬鴻逵、馬鴻賓、馬歩芳は「西北三馬」と呼ばれたりもしている。

特務機関の工作員はこうした回教徒(イスラム教徒)軍閥を懐柔し親日的な独立国家を作らせようとした。


しかし、1940年2月に五原で駐蒙軍は綏遠省主席「傅作義」の軍と戦い敗北する。

これ以後、西北の回教徒(イスラム教徒)軍閥は、日本よりも中華民国(重慶に遷都した蒋介石の国民政府)と、延安に根拠地を置いた毛沢東の共産党の懐柔工作に取り込まれて行く。

それを日本は止める事ができず、日本の西北工作は頓挫していく。


戦前の西北工作が成功していれば、またはそれ以後の駐蒙軍の西北工作が成功していればどうなったか……

返す返すも惜しいのは綏遠省主席の「傅作義」を懐柔できなかった事だ。

もっと時間を掛けて説得するべきだったのに拙速に動き過ぎた。

それに懐柔できなくても戦いで勝てば、まだ状況は変化したかもしれないのに、その重要な戦いにも負けた。これは痛い。


綏遠省より先の地域での回教徒軍閥には日本に好意的な態度を見せる者もいた。

もし「傅作義」が日本に味方するか、「傅作義」と戦い勝利して綏遠省を制圧できれば、西北工作は一気に進展した可能性すらあるのだ。


ただし、日本の西北工作がうまくいったとしても一番西の「新疆省」ではまたもや困難に直面しただろうと考えられる。

何故なら、1933年より「新疆省」を統治していたのは「盛世才」という人物なのだが、この人は大の反日家なのだ。この人物は満州の生まれだ。そして何と日本の明治大学や陸軍大学に留学し日本にいた事もある人物だ。だが、親日にはならなかった。

何故なら日本の満州政策に強く反発し、大の反日家になったからだ。


まぁ日本は満州についてはその権益を守るために手段を選ばなかったから、それも致し方ないだろう

「満州事変」なんて世界中から反発を受け国際連盟では一ヵ国も支持してくれなかったくらいだ。

当事者たる中国の人物が反日だからと言って驚く事はない。


盛世才が「新疆省」の主席になった時「反帝」「親ソ」「民族平等」「清廉」「和平」「建設」の六大方針を打ち出した。


この「反帝」と言うのは「反大日本帝国」の事だ。「新疆」を満州の二の舞にしないよう、日本人工作員が「新疆」に入り込む事を警戒していたとも言われる。

だから、盛世才を親日に転向させるのは難しいだろう。


それにしても「親ソ」という方針を打ち出すとは思い切ったものだ。

実際にソ連と近づき「新疆」での統治にソ連政府から顧問を派遣してもらっている。

ソ連の後ろ盾を得て「新疆」を半ば独立国にしたのだ。


中華民国(蒋介石の南京国民政府)は、この盛世才の動きを黙認していた。

何せ1933年という時点では中華民国(蒋介石の南京国民政府)は80万人の将兵を動員して中国共産党と戦う「第五次掃共戦」をしている状況だ。この作戦は1年以上続き終了したのは1934年10月だ。しかも敗残の共産党軍への追撃もしなくてはならない。つまり中国共産党と全面戦争していて忙しい。

 

 しかも、華北の河北省では民衆の自治運動が盛り上がり1935年12月には「冀東防共自治政府」という自治政府ができる。しかもその背後にいるのは日本だ。

 それに加えて政府内での方針の違いから事件も起こる。

 1936年12月12日に発生した「西安事件」では、共産党との戦いよりも抗日を優先しようという一派が蒋介石を監禁する行動に出たりした。


 つまり中華民国政府としては辺境の「新疆省」までは手が回らなかったのだ。

 しかも1937年7月には「盧溝橋事件」が発生し日中戦争となる。

 

 この日中戦争初期において、中華民国政府に貴重な軍事援助をしてくれたのがソ連だ。

 ソ連が送る武器、弾薬、燃料は、ソ連領のカザフスタンから「新疆省」を通って中華民国政府の許に届けられる。所謂「赤色西北ルート」と言われる補給ルートだ。


 日中戦争初期はアメリカも中国に深入りする事は避けていた為、このソ連からの軍事援助は中華民国政府にとって非常に助けとなった。

 ちなみにアメリカが中華民国政府の支援に乗り出すのは日中戦争が始まって約一年半も経った1938年年末だ。


 こうした貴重な補給ルート上の「新疆省」を統治し、ソ連との関係が強い盛世才について中華民国政府は日本軍と戦う必要性から何もできなかったのだ。


 しかし、1942年8月に盛世才の方で動きが出てくる。

「独ソ戦」の戦況を見て、盛世才はドイツが勝利すると判断する。そしてソ連と手を切る決断をしソ連人顧問を追放した。

 更にそれまでソ連との繋がりから「新疆省」の重要ポストには中国共産党員もいたが、その者達を処刑する。その中には毛沢東の弟、毛沢民も含まれていた。完全に中国共産党を敵に回したわけだ。

 そして改めて中華民国政府(重慶に遷都した蒋介石の国民政府)へつく事にしたのだ。


 この頃にはソ連からの中華民国政府(重慶に遷都した蒋介石の国民政府)への軍事援助は途絶えていた。「独ソ戦」で自国が大変だからソ連も援助を送る余裕が無かったのだ。


 その逆に日本との戦争に突入していたアメリカとイギリスの軍事援助が中華民国政府(重慶に遷都した蒋介石の国民政府)を支えている状況だった。


 盛世才も実に思い切った決断をする人物だ。なかなか興味深い。


 それにしても、日本陸軍の西北工作というのは気宇壮大だ。

 国力の限られた日本なのに、よくもまあこのような壮大な戦略を実行しようとしたものだ。

 その心意気は買おう!

 心意気だけはね。

 失敗したのは至極残念だ。

 

 んっ?残念?

 いや残念と考えるにはまだ早いだろう。

 これまでの中国大陸での話は史実の話であり、史実通りに進んでいる今回の歴史での話でもある。

 しかし、今回の歴史ではこれからアメリカとイギリスに勝利するつもりでいるのだ。

 大日本帝国の歴史は1945年で幕を閉じない。それ以後も続くのだ。

 だとすると、これからの中国大陸における情勢も歴史も当然変わってくるだろう。

 アメリカとイギリスに勝利すれば状況は大いに変わる。

中華民国(重慶に遷都した蒋介石の国民政府)は、アメリカとイギリスの軍事援助があるからこそ日本と戦えている。その援助が途切れればどうなるか。

 

 史実で日本が為し得なかった内モンゴル西部や西北五省(寧夏省、青海省、甘粛省、陕西省、新疆省)に親日傀儡国家を成立させるのも夢じゃない。


 いやぁいいですなぁ。広大な中国大陸を舞台に繰り広げられる陰謀と野望と国家戦略。

ロマンだ……

 んっ?ロマン? 待て、待て、待て、待て。

 そんな事言ってる場合か。

 何故、自分はこんなにも長く中国大陸における陸軍の西北戦略について思いを馳せているのだ?

 自分の今の立場は連合艦隊司令長官だ。

 

 それも戦争中で、アメリカ艦隊とイギリス艦隊を敵に回して、すこぶる忙しい連合艦隊司令長官だ。

 中国大陸での陸軍の戦前からの戦略について思い起こしている場合じゃない。

 何故こんな無駄な事を長々と考えていたのか?

 あぁそうか、切っ掛けはイタリア機が内モンゴルの「包頭パオトウ」に来た事か。

 イタリアだからなぁ。

 味方の足を引っ張るのがお得意なイタリアだからなぁ。

 そりゃついつい余計な事を考えさせられて貴重な時間を浪費する事もあるよなぁ……

……何て事を言ってイタリアのせいにしようか。



●7月4日、海軍軍令部に掛け合って特設航空母艦「春日丸」と「八幡丸」の2隻の艦種と艦名の変更を前倒しで行った。


 史実より1ヵ月半早く「春日丸」は「大鷹」に、「八幡丸」は「雲鷹」に名を変え、艦種も空母に変更された。

 この2隻で新たに「第6航空戦隊」が編成される。

 また、この「第6航空戦隊」の2隻の空母を中心とする「第4機動部隊」を編成する事にして海軍軍令部にも了承させた。


 機動部隊とは言っても商船改造の小型空母にアメリカ空母艦隊やイギリス空母艦隊との艦隊戦をさせる気は無い。

 この「第4機動部隊」の最初の任務は予てからの計画通り、「M三号作戦」の一環として南雲機動部隊を装いインド洋に進出する事だ。

 そしてインド洋に進出した後は暫くは「B作戦」(インド洋通商破壊戦)に従事する。

 敵空母相手の艦隊戦は無理でも、作戦海域を選んでの商船相手の通商破壊戦ならば、「大鷹」「雲鷹」でも充分に活躍が見込めるだろう。


 イギリスも護衛艦不足でインド洋までは手が回らずにいる状況だ。小型の護衛空母も大西洋での任務に掛かり切りの状況なのだ。

 ならば「大鷹」「雲鷹」でも戦果は期待できる。


 現在、インド洋西部では潜水艦部隊と特設巡洋艦の「第24戦隊」が通商破壊戦を展開中だ。

 さらに「第3機動部隊」がインド洋東部で作戦を開始する予定だ。


 だが、インド洋は広い。「第3機動部隊」と潜水艦部隊だけでは戦力不足だ。

 そこで「第4機動部隊」はインド洋南東部において通商破壊戦をさせるつもりだ。

 つまりインド洋でのオーストラリア方面の海上交通路を叩くのだ。

中東からオーストラリアに運ばれる石油と、オーストラリアからイギリス本国に向け運ばれる戦略物資の流れを断ち切る。それが「第4機動部隊」の役目だ。

 

 8月には「第4機動部隊」をインドへ派遣できるだろう。

 そして、それは「M三号作戦」の始まりでもある。


「第4機動部隊」を編成し「大鷹」「雲鷹」を輸送任務から外すという事は、その分、南方の基地への物資や航空機の輸送が出来なくなるという事だ。


 その分は輸送船に負担が掛かるという事になるだろう。

 特に航空機運搬艦には負担がかかる事になる。

 史実で日本海軍は10隻の輸送船を特に航空機を運ぶ輸送船「航空機運搬艦」に指定し任務に就かせている。

 まぁどこの国でも飛行機を分解し輸送船で運ぶという事はしている。


 ただ、零戦のような比較的、長距離を飛べる機体はできるだけ自力で目的地まで飛んでもらう予定だ。

 実際、史実でも内地よりラバウルまで自力で飛んで進出した零戦の部隊もある。


「第6航空隊」がその代表例だろう。

史実において「第6航空隊」は「ミッドウェー海戦」で勝利した後はミッドウェー島に配備される予定だったが、敗北となった為、補充を受けて千葉の木更津で訓練の日々を過ごす事となる。

 その後、「ガダルカナル攻防戦」が始まり「第6航空隊」はラバウルへの進出を命じられる。

そして木更津を出発し、硫黄島、サイパン、トラック島等を経由して現地ラバウルまで飛行し一週間で到着したのだ。


自力飛行となると南方の基地に配属予定の零戦の部隊には負担が大きくなるが、これも勝つためだ。頑張ってもらおう。


「M三号作戦」の準備は進んでいるが「MT作戦」の方は準備が遅れている。囮に使う老朽の輸送船の手配が遅れているらしい。

 どうも今月中に作戦実施は無理のようだ。残念。



●7月5日、どうも大本営が浮き足立っているようだ。


 大本営海軍部と大本営陸軍部の両方で混乱が起きているらしい。

 と言うかこれからの方針を巡って内部で深刻な対立しているという話を大本営海軍部の参謀から聞いた。


 連合艦隊が「ミッドウェー海戦」で勝利し、さらにドイツのロンメル将軍率いるドイツ・アフリカ軍団がエジプトに進攻したおかげで、これから日本軍が攻勢に出る方向で西を選ぶか東を選ぶかで対立が起こっているとの事。


「ミッドウェー海戦」で勝利した勢いのままに「ハワイ攻略戦」を優先するべきだと主張する一派。


アメリカの反攻は来年後半と予想されるので、ここはドイツ軍のエジプト進攻に合わせ西方に攻勢に出てドイツの勢力圏との連結を目指すべきだとして「セイロン島攻略戦」「インド進攻作戦」を主張する一派。


 その両派が対立しお互い譲らないとの事。

 厄介なのは大本営海軍部の内部にも、大本営陸軍部の内部にも、両派がいて対立し方針が纏まらない事だ。

 それはまぁ西も東もどちらも攻勢に出るには良いチャンスだからね。


 史実だと「ミッドウェー海戦」で敗北した事から陸軍などはあっさり「ハワイ攻略作戦」の計画は白紙に戻して、「セイロン島攻略作戦」を6月29日には決定している。実行はされなかったが。

 今回の歴史では「ミッドウェー海戦」で勝利したからね、方針を巡っての多少の混乱は起きるだろう。

 

 ともかく連合艦隊司令部は「ハワイ攻略作戦」で纏まっていると大本営海軍部の参謀には言っておいた。


 北方方面のキスカ島、アッツ島付近で輸送艦を護衛中の「第7駆逐隊」の駆逐艦「潮」と「第21駆逐隊」の駆逐艦「子日」が敵潜水艦の雷撃により撃沈された。

 だけど史実でこの日に撃沈されたのは駆逐艦「子日」と「霰」だ。微妙に史実と食い違っている。

 まぁ、「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」が史実とはちょっと違う日程で実行されたのだから、何か違いが出てもおかしくはないが。

 どうせ違いが出るのなら損害が0になってほしかった。残念。

 


●7月6日、海軍軍令部がガダルカナル島への飛行場建設を指示して来た。


「第11航空艦隊」司令部からの報告書に目を通したらしい。

 余計な事には気が付く輩どもだ。


 だったらもっと早くに空母の増強が必要だった事にも気付いてほしかった。こちらからも早期に要望を出していたのだし。

「馬鹿め」とか「ナッツ!(アメリカのスラングで、ふざけるな!の意味)」とか言ってやりたいが、そうもいかない。


 海軍軍令部としては、アメリカとオーストラリアの連絡線を断ち切る為に、フィジー、サモア、ニューカレドニアを攻略する「FS作戦」が延期になったとは言え、少しでもその線を進めておきたいという事のようだ。

 

 それに大本営では、まだ東に攻勢に出るか、西に攻勢に出るのかは目下、検討中という名の対立中だ。

 その結論が出るまでの間は、大した戦力を使うわけでもないこうした作戦を進めておくのも悪く無いという事らしい。

 現状では艦隊で一気に「FS作戦」を行うのが無理ならばソロモン諸島沿いに飛行場を作りフィジー、サモア、ニューカレドニア方面に進出しておこうという考えのようだ。


 つまり、これは史実での「ミッドウェー海戦」後の連合艦隊司令部の作戦を、今の海軍軍令部が実行するように言ってきているのだ。

 何だこれは。もしやこれがタイムスリップ物によくあるという「歴史の復元力」という奴か。

 人がせっかく、今回の歴史では「ガダルカナル島攻防戦」は起こらないだろうと喜んでいたのに、何たる展開!


 だが、しかし、諦めんぞ。

 ガダルカナル島に進出する気は無い。

 取り敢えず、黒島参謀にこの話を潰してくるように、また「M三号作戦」の認可を取り付けてくるようにと言って海軍軍令部に派遣した。

君の力を信じているよ黒島君。

帰って来たら「水饅頭」を奢ってあげよう。



●7月7日、七夕だけど軍務で忙しい。あっ涙が……


 この日は「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」を成功させた「第2機動部隊」も無事に呉に戻って来た。

 損害も少ないようだ。ほっとした。



●7月8日、ミッドウェー島からラバウルに向け「第1魚雷艇隊」を輸送中だった輸送船が、クェゼリン島付近を航行中に機関故障で停船を余儀なくされているとの報告が入って来た。


 輸送船のラバウルへの到着はかなり遅れるらしい。

 おやまぁ。早く直さなきゃ敵潜水艦のいい標的になる。急げよ。



●7月9日、「第4機動部隊」の指揮官と幕僚陣が決定した。


 司令長官は何と山縣正郷中将だ。

 約2ヵ月前に中将に昇進したばかりなのは、まぁいいとしても、海上で軍艦や戦隊を率いた経験はかなり昔の事だろう。

近年の山縣中将は地上基地の航空部隊を育て率い戦って来た経歴の持ち主だ。

それをいきなり機動部隊の指揮官にとは……


 参謀に内密にこの人事について確認させたところ、どうも中将の着くポストに空きが無く、そこに第4機動部隊が編成されたので、これ幸いと押し込んだという経緯らしい。

 しかも新たな機動部隊の編成による将官の就くポストの増加に人事部関係は歓迎の方向にあるらしい。

 

 まぁ、日本は資金も軍艦も飛行機もあらゆる物が足りないが、将官だけはポストの関係で有り余っていたからね。

史実でも戦争中なのに幾人もの将官が不本意な予備役においやられている。

 まぁいい。少なくとも飛行機の事をよくわかっている人物が機動部隊の指揮官になるのだ。何とかなるだろう。

「第4機動部隊」には「B作戦(インド洋通商破壊作戦)」の一環として行って欲しい別な作戦もある。

 ともかく山縣中将の手腕に期待しよう。



●7月10日、「第3機動部隊」がインド洋で「B作戦(インド洋通商破壊作戦)」を開始した。


 少し心配なのはイギリス空母の動向だ。

 現在、イギリスが艦隊戦に投入できるタイプの空母は6隻だ。

「イラストリアス級」の「イラストリアス」「ヴィクトリアス」「フォーミタブル」「インドミタブル」の4隻。「フリュアス級」の「フュリアス」。「イーグル級」の「イーグル」

 

 そのうち史実では1942年7月にインド洋にいるのは「イラストリアス級空母」の2隻。

「イラストリアス」と「インドミタブル」だ。


 日本にとって幸いな事にアメリカの空母と違いイギリスの空母は搭載機が少ない。

 そうは言っても1隻あたり約40機は搭載しているが。


 その搭載機の戦闘機は「マートレット」、つまりアメリカのF4戦闘機をイギリス向けに生産した型で、1隻あたり16機から20機積んでいる。

「マートレット」は零戦より性能が劣っている機体だし、イギリス軍パイロットの技量も日本人パイロットを上回っているわけでもない。


攻撃機は2機種使っているが、どちらも複葉機の「ソードフィッシュ」と「アルバコア」で、今となっては旧式な感じが否めない機体だ。


「第3機動部隊」の小型空母「瑞鳳」の戦闘機部隊は96式艦上戦闘機から零戦に変えてあるし18機ある。

 空母対空母の機動部隊同士の戦いになっても1対1なら五分以上に渡り合えるだろう。

 2対1でも五分以上に渡り合えるかもしれない。

 しかし、油断は禁物だ。


「イラストリアス」「インドミタブル」の両艦はマダガスカル攻略戦に参加している筈だが、「第3機動部隊」の迎撃に出てくる事も充分にありうる。


 それにイギリス軍はインド洋に更に空母の増援を送り込んで来る可能性もある。

 果たしてイギリス軍はどう動くか。


「第3機動部隊」には今回は敵空母が目当てではなく、あくまで通商破壊戦が目的でありイギリスの海上交通を遮断、乱す事こそが重要だから無理はするなとは命じてあるが。

 それと、まずはベンガル湾から荒らし回れと命令してある。

 ベンガル湾なら一部はアンダマン諸島の航空部隊の掩護が受けられるから大丈夫だろう。


 ところで「第3機動部隊」に通商破壊戦においては、できるだけ敵大型船舶は拿捕するように命じておいた。

 この時、同盟国ドイツの先例を出して第3艦隊司令部の面々にはっぱをかけておいた。

 

 ドイツのポケット戦艦アドミラル・シェア号は、1940年10月から1941年4月までの約半年の間、単艦での通商破壊戦任務に従事しインド洋にまで進出した。

 その過程で鹵獲した連合国のタンカーや食糧輸送船を任務に役立てているのだ。

 鹵獲したタンカーから燃料補給を行い、食糧輸送船の積んでいた食糧でクリスマスなどは全乗組員が贅沢な食事を楽しんだそうだ。


 だからドイツ海軍にそうした事ができたのに、世界に名立たる海軍国であり、伝統ある日本海軍に同じ事ができない筈がない。ましてや投入する戦力はドイツ水上艦隊以上なのだからと煽っておいた。

「第3機動部隊」司令部の面々は大川内中将をはじめ皆が「期待に応えます」とやる気を漲らせて言ってくれてたよ。ふっふっふっ。


 それにしても大型船舶を拿捕できれば連合国に打撃になると同時に船舶が幾らあっても足りない現状の日本に助けとなる。しかも積んでいる物資にしても連合国としては痛手だし日本としてはやはり助けとなる。

 これぞ「一隻四鳥」! ではなく「一石四鳥」だ。

 ともかく戦果に期待しようか。


 ちなみに、史実でも今回の歴史でも日本の南方資源地帯攻略である第一段作戦の終了時点において、日本軍は連合国の艦船を約16万トンも拿捕する事に成功し役立たせている。

 こうした戦果をインド洋でもあげれたらいいのだが……。



●7月11日、黒島参謀も頑張ってくれたようだが、海軍軍令部のガダルカナル島に飛行場を建設するという意向は変えられなかった。


 これまで山本長官の無理を飲んで来たのだから、これくらいやってくれと言われたそうだ。

 仕方ない。

 敵がラバウル基地への航空攻勢を強めている事でもあるし、万が一を考え、ガダルカナル島に飛行場を建設する場合は、敵が現れた場合は直ぐに設営隊を撤収できるように計画しておくよう幕僚達に指示しておいた。


 また海軍軍令部ではインド洋方面においては、インド洋中心にあるチャゴス諸島とセーシェル諸島を占領確保してからインド洋西部へと艦隊を進出させるという計画のようだ。

東も西もと欲張り過ぎだろう。

昔から言うように「二兎追う者は一兎も得ず」になるかもしれんよ。

 だが、悪い話ばかりでもない。「M三号作戦」の認可は取り付けた。

 それほど大きな反対は無かったそうだ。


 まぁミッドウェー島を手薄にしてトラック島に押さえの空母部隊を配置するというだけの話で、作戦というより常道の戦力配置とも呼べる代物だし、先の戦いで敵の損害は大きく直ぐには動けないだろうから、早期に再び空母対空母の艦隊戦は起きないだろうという海軍軍令部の判断らしい。

 確かにその可能性は高い。



●7月12日、あまり良くない話を聞いた。

 日本国内の軍需産業の動きが鈍いらしい。


 これまで、日本軍があまりに勝ったという話ばかりが報道されるので、このままなら戦争も直ぐに終わってしまうだろうという考えの経営者がかなりいるらしい。

 そして、これから増産のために設備投資をしてもそれが無駄な投資になるかもしれないと判断して、なかなか動かないのだとか。

 軍艦の建造や修理にさえ影響が出ているそうだ。

 軍から派遣されている監督官も困惑しているらしい。

 史実通りの話だが、史実の場合は敗北を糊塗するための大本営発表が裏目に出たものだった。

 しかし、今回の歴史では本当に勝っている。

 負けても勝っても同じ動きとは泣けてくる。

 一体どうしたらいいのやら。

 改善策なんて全く思いつかん。困った。



●7月14日、史実通り「第8艦隊」が編成された。


「第4艦隊」の担当海域が広すぎるのでニューギニア海域及びソロモン諸島を担当する「第8艦隊」を編成する事にしたのだ。



●7月15日、「第2機動部隊」の新たな指揮官と幕僚陣が決定した。


 これまで「第2機動部隊」の司令長官は「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」のため北方を担当する「第5艦隊」司令長官の細萱中将が兼任していた。

 しかし「第5艦隊」はそのまま北方担当に留まるため、現状では機動予備部隊となる「第2機動部隊」に新たに指揮官を迎える事になったのだ。


 新たに「第2機動部隊」の司令長官になったのは、これまで大阪警備府司令長官だった小林仁中将だ。

 中国との戦いでは勇猛果敢との評判だった人物だ。

 これまた勇猛果敢な空母部隊を率いる角田少将と組むわけだが大丈夫だろうか。

 行き過ぎが無いよう幕僚がうまく脇を固めてくれればいいのだが。

 ともかく小林中将の手腕に期待しよう。



●7月16日、あの敵地を6000キロも飛んで来たイタリアの「サヴォイア・マルケッティ75」長距離輸送機が東京の福生飛行場(現代日本の横田基地)から飛び立ち故郷に帰っていった。


無事に帰り着く事を祈る。

懲りずにまた来てほしいと思う。できればその時は敵地など飛ばなくてもすむようになっていればいいのだが。



●7月18日、20日に開始予定の陸軍の「リ号研究作戦」のために、陸軍との協定により、ラバウルの海軍航空部隊によるポートモレスビー方面への航空撃滅戦が開始された。


 だが、元々ラバウルの航空隊は2月に現地に進出してより戦いの渦中にある。

 これまでにも殆ど毎日のように、数機程度だが攻撃のために出撃しているし、敵機からの攻撃も頻繁にある。

 特に頑丈でなかなか撃墜できないB17爆撃機の攻撃にはてこずっている。

 対策として零戦用に20ミリ徹甲弾を現地に送ったりしているが、それでもB17相手ではなかなか大変なようだ。

 それなのに更に航空隊に負担を掛けるわけで少し心配だ。

 ともかく頑張ってほしい。



●7月19日、史実通り新編成の「第8艦隊」が柱島を出発した。


 出発前に挨拶に来た「第8艦隊」司令の三川中将と今後の戦況の推移について少し話をした。

 オーストラリアにはフィリピンで敗軍の将となったアメリカ軍のマッカーサー将軍がおり、復仇の機会を狙ってくるであろうし、空母の大半を沈められたアメリカ軍としては今後ニューギニア方面から攻勢をかけてくる公算が高い。


 しかし、これから連合艦隊主力は「ハワイ攻略作戦」を行う予定でいるし、対イギリス戦略としてのインド洋通商破壊作戦も疎かにはできない。


 ラバウル方面への戦力増強はできるだけの事はするつもりでいるが早期に大規模なものは難しいものがある。

と言うしかなかった。


 だが、三川中将は「心得ております。ご心配は無用です」と笑顔で応じてくれた。

 漢だ三川中将は。

「頼むぞ」と万感の思いを込めて言葉をかけておいた。


 ちなみにこの時、従兵長に命じてお茶請けに給糧艦「間宮」特製の羊羹を用意させて三川中将と一緒に食べたが、何度食べてもこの羊羹は実に美味い。某老舗の羊羹に味で劣らないどころか勝っているという話もあるが、それも頷ける美味さだ。

何せ給糧艦「間宮」で羊羹を作っているのは本職の羊羹作りの名人という話だからね。海軍における適材適所の好例だね。



●7月20日、「リ号研究作戦」が開始され陸軍の「横山先遣隊」がラバウルから出発した。


「第4艦隊」の「第18戦隊」と「第29駆逐隊」が「横山先遣隊」の輸送船を護衛している。

「第8艦隊」の担当海域での作戦だが、まだ「第8艦隊」司令部は「第4艦隊」司令部のあるトラック島に到着しておらず引き継ぎをしていない。

 史実通りに行けば7月27日から「第8艦隊」が担当海域での指揮をとる予定だ。


 それにしても「リ号研究作戦」が始まってしまったか。

 本来ならポートモレスビーまでの道程を調査する「リ号研究作戦」の結果を待って、作戦が可能なようなら「レ号作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」を開始する筈だった。


 しかし、史実同様、今回の歴史でも大本営から現地視察に来た辻政信参謀がラバウルの第17軍司令部に独断で大本営の意向としてポートモレスビー攻略作戦の実行を求めたようだ。

 最早「リ号研究作戦」は「レ号作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」になったと言える。


 一時は空母を投入しての「第二次MO作戦」を提案し、「リ号研究作戦」「レ号作戦」を廃案にもっていかせる事も考えていたが、結局は投入できる空母の手配が厳しい事から、そのままにしてしまった。

 まぁ「ガダルカナル島攻防戦」が発生しなければ、その分の航空支援を「レ号作戦」に振り向けられるという考えもあったからだが、果たしてどうなるか。

 うまく作戦が進展すればいいが、少し心配だ。



●7月21日、大本営海軍部からの連絡によると7月20日付けでドイツのリッベントロップ外相が、独ソ戦への参戦を要請してきたとの事。つまり満州からソ連のシベリア・極東地区に攻勢を掛けてほしいという事だ。史実通りの話だ。


 大本営では喧々諤々の議論になっているらしい。

 頼むから対ソ戦なんてやってくれるなよ。

 せめてアメリカとイギリスとの戦争の決着が着いてからやってくれと言いたい。


 この日、「リ号研究作戦」で陸軍の横山先遣隊がニューギニアのゴナに上陸した。



●7月22日、「日米交換船」の「浅間丸」と「コンテ・ヴェルデ号」が無事に目的地のロレンソ・マルケス港に入港したとの連絡が入った。無事に着いたか良かった。



●7月25日、史実通り「横浜航空隊」所属でラバウル基地に配備されている二式大艇1機がオーストラリア北部の潜水艦基地になっているタウンズヴィル港に夜間爆撃を行った。


 本当は2機での爆撃予定だったのだが1機はエンジン・トラブルで出撃できなかった。残念。

 

 夜間爆撃の目標は燃料タンクだ。

 夜間爆撃でも燃料タンクが爆発し燃え上がれば写真撮影は可能だろうという事で、ラバウル基地にいた報道カメラマンに要請して二式大艇に乗ってもらったそうだ。

 爆撃は残念ながら燃料タンクを外したようで火の手は上がらなかった。

 実質的損害は与えられなかったが敵さんもこれで安穏としてはいられないだろう。

 それにしても飛行距離は往復4000キロだ。長距離爆撃世界記録だ。凄い飛行距離だ。良くやった、ご苦労さん。



●7月26日、昨日の25日に大本営政府連絡会議において対ソ戦は不参加と決まったそうだ。

史実通りになってくれて良かった。ほっとした。

この日はロレンソ・マルケス港より「日米交換船」の「浅間丸」と「コンテ・ヴェルデ号」が問題なくアメリカ人と日本人の交換を終え出港したと連絡があった。

無事に帰る事を祈る。


この日は「甲先遣隊」として5月からインド洋で通商破壊作戦を行っていた「第24戦隊」の「愛国丸」と「報国丸」がマレー半島のペナンに無事帰投した。

ペナンはインド洋での通商破壊作戦を行う部隊の一大拠点となっている。

それはともかく「第24戦隊」の戦果で嬉しいのは史実通りオランダのタンカー(8000トン)とニュージーランドの輸送船(7000トン)を無傷で拿捕した事だろう。

これで1万5千トンの船舶が増える。



●7月27日、史実通りニューギニアからソロモン諸島における海域での海軍の作戦指揮を第8艦隊司令部が開始した。



●7月30日、「日英交換船」の「龍田丸」が横浜を出港した。目的地は「日米交換船」と同じくポルトガル領東アフリカのロレンソ・マルケス港だ。

無事に到着し、また無事に帰って来る事を祈る。


この日、「第8艦隊」司令部がトラック島からラバウルに到着した。



●7月31日、待望の中型空母「飛鷹」が就役した。


待っていた! 待っていたよ「飛鷹」! こんなに嬉しい事はない。

何せ次に中型空母が就役するのは1944年だからね。

貴重な戦力だ。

 あとは一日も早く実戦投入できるよう準備と訓練をするだけだ。


 この日、ラバウルで第8艦隊司令部と陸軍の第17軍司令部で会議が開催され現地協定が取り交わされた。

 

 この現地協定というのはこの地域で海軍と陸軍がどのように共同作戦を行うか取り纏めたものだ。

 基本的な所は大本営において「東部ニューギニア作戦に関する陸海軍中央協定」ができているが、細かい所は現地で実際に作戦を行う第8艦隊と第17軍で話し合われる。

 現地協定の内容は史実通りだ。その内容を要約すると4つとなる。


1.南海支隊がブナからオーエンスタンレー山脈を越えてポートモレスビー攻略を行う。


2.パプア・ニューギニア半島の東端のサマライを海軍陸戦隊が占領し水上機基地を設置。


3.川口支隊の一部(1個大隊)と海軍陸戦隊を、駆逐艦などの高速艦艇で輸送し、南海支隊のオーエン・スタンレー山脈通過に合わせてポートモレスビー東方に上陸させる。


4.海軍航空隊はブナに進出し南海支隊に協力する。南海支隊が半島中央のココダを

占領し飛行場を整備した後は海軍航空隊は速やかに進出する。


 結局、史実では「ガダルカナル島攻防戦」が始まったために、この4つのうち実行されたのは1.の南海支隊の作戦と、4.の海軍航空隊のブナ進出だけにとどまっている。

 今回の歴史では果たしてどうなるか。


 それにしても陸軍の「第17軍」か。

 本来は中止となった「FS作戦(アメリカとオーストラリアの連絡線を断ち切る為に、フィジー、サモア、ニューカレドニアを攻略する作戦)」を実行するために5月に新設されたばかりの軍だ。


 史実でも今回の歴史でも当初の予定では三個支隊が配属され、それぞれ各島を攻略する予定だった。


 フィジーは川口支隊。第18師団の歩兵第124連隊を基幹とした部隊。


 サモアは東支隊。第5師団の歩兵第41連隊を基幹とした部隊。


 ニューカレドニアは青葉支隊。第2師団の歩兵第4連隊を基幹とした部隊。


 これに「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」の南海支隊が加わる。

 南海支隊は第55師団の歩兵第144連隊を基幹とした部隊だ。


 支隊が4つはいいとしても師団が一つも無い。

「第17軍」は「軍」とは言いつつ師団クラスの部隊を一つも持たないのだ。これは珍しい。

 しかも配属されている支隊の基幹部隊はあっちこっちの部隊からの寄せ集め。


 この時期、陸軍は師団の改編を行い1個師団を4個連隊制から3個連隊制へと移行している。

 そうした師団から外された連隊が「第17軍」に回されたケースもある。


 史実において「第17軍」の参謀長に任じられた二見秋三郎少将は「貧乏くじを引いた」とか「ガラクタの寄り合い世帯」だと言って我が身の不運を嘆いていたという話だ。

 

 まぁその気持ちも分からなくはない。

 他の「軍」の参謀長は「第17軍」の数倍の規模の部隊の運用に携わっているのだ。

「軍」によっては3個師団以上配属されている部隊もある。

 それに比べ「第17軍」は寄せ集めの1個師団程度の戦力しかない。


 しかも「FS作戦(アメリカとオーストラリアの連絡線を断ち切る為に、フィジー、サモア、ニューカレドニアを攻略する作戦)」における作戦担当範囲は広大だ。


 ラバウルからニューカレドニア島までは約2200キロ。

 ラバウルからフィジーまでは約3200キロ。

 ラバウルからサモアまでは約4100キロ。


 日本の横須賀からだとニューカレドニア、フィジー、サモアまではそれぞれ約7000キロの距離に達する。


 ちなみに史実でも今回の歴史でも海軍軍令部が連合艦隊の要望する「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」に反対し「FS作戦」を押していた時の理由の一つは、ミッドウェー島は防備と補給の維持が困難であり、フィジーやサモアはミッドウェー島に比べ防備と補給の維持が楽にできるというものだった。


 ミッドウェー島は日本の横須賀からだと約4200キロ。

 ミッドウェー島はハワイに近すぎるから防備と補給の維持が困難だと判断したのだろうが、フィジー、サモアはともかくニューカレドニアはオーストラリアから1500キロ程度だ。つまりB17爆撃機の戦闘行動半径内でもある。

 ニューカレドニアを占領できたとしてもその防備と維持は大変だったろう。


 もし「FS作戦(アメリカとオーストラリアの連絡線を断ち切る為に、フィジー、サモア、ニューカレドニアを攻略する作戦)」を実行していたらどうなっていたか。

 各支隊は苦戦を余儀なくされたのではないかと思う。

 何故なら兵力が少なすぎるからだ。


 史実でも今回の歴史でも大本営によるフィジーの敵兵力の見積もりは8000人。しかし、実際には敵兵力は2万3千人いた。


 サモアの敵兵力の見積もりは750人。しかし、実際には敵兵力は1万人いた。


 ニューカレドニアの敵兵力の見積もりは3000人。しかし、実際には敵兵力は2万7千人いた。


 この敵兵力に歩兵1個連隊を基幹とした支隊が各々挑む計画だったのだ。

 制空権、制海権を握れば優位にはなるが、下手をしたらフィリピンのバターン半島戦のように長引いたかもしれない。

 それどころか開戦劈頭のウェーク島攻略作戦のように失敗する可能性もあったろう。


 まぁ何にしても延期になった作戦ではある。

 このまま「FS作戦(アメリカとオーストラリアの連絡線を断ち切る為に、フィジー、サモア、ニューカレドニアを攻略する作戦)」は無期延期にもっていきたい。



●海軍軍令部の情報部からの情報によると、アメリカ軍とイギリス軍はインドのアッサム州の飛行場から輸送機を飛ばしヒマラヤ山脈の上空を飛んで中国国内の中国軍に補給を行い始めたそうだ。

通称「ハンプ越え」と言われる輸送ルートだ。


 日本軍にビルマを占領されたために陸路での補給路が遮断されたためだ。

 史実通りの展開だ。

 

 また、それに関連してルーズベルト大統領がチベットの法王に親書を送り、チベット経由での中華民国(重慶の蒋介石の国民政府)への補給ルート開設を要望するらしいとの事。

 これも史実通りの話だ。尤も法王の許に使者が着くのはかなり遅れるらしいが。

 それに史実ではチベットは中立を維持し連合軍への補給ルート開設を認めない。

 その判断は助かりますぞ法王様。

 でも法王ってこの時7歳。本当に自分で決断したのだろうか。

 ちょっと興味がわく。



◯7月2日にイギリスの下院でチャーチル首相の不信任動議が出されたが476票対25票で却下されたそうだ。

 これも史実通りの話だ。チャーチル首相への信頼は厚いな。



◯7月3日、ドイツ海軍で大失態があった。

 ノルウェーのナルビクからアルタに航行中のポケット戦艦「リュツォー」と駆逐艦3隻が擱座したそうだ。

 史実通りではあるが、この戦力ダウンはドイツ海軍には痛いね。



◯7月15日にエジプトで大規模な反英運動が発生したとの事。史実通りだ。

 できれば、その反英運動をもっと拡大させたいものだ。



◯7月28日にチリが中立を表明したそうだ。史実通りだが、いい判断だ。

  今回の歴史では枢軸陣営が勝つのだから尚更だ。





『1942年8月』


 8月になった。お盆休みが欲しい! 是非、長期休暇を! できれば全将兵に! 

 と、言いたいところだが、アメリカさんにも、イギリスさんにもお盆休みなんてないからなぁ。

 仕方ない今月も頑張りますか。


●8月1日、インド洋で「B作戦(インド洋通商破壊戦)」を行っている「第3機動部隊」の戦果が思わしくないと海軍軍令部が不満らしい。


 戦果は上がっている。

 上ってはいるが当初の見込みより戦果が少ない事にご不満のようだ。

 海軍軍令部は7月中に連合国の輸送船を50万トンは沈めると見込んでいたらしいが、実際の戦果は鹵獲した船舶を含めて約32万トン。

 確かに見込みよりは少ないが、それでも大した戦果だろう。


 4月に「マレー部隊(小沢南遣艦隊)」がインド洋で通商破壊戦を行っているのだ。イギリス軍とて輸送船の航路をできるだけ沿岸近くにし、航空機の掩護を受けれるようするなどの対応策をとっている。

 それを考えれば「第3機動部隊」はよくやってくれているよ。


 戦争はそうそう何事も計画通りにはいかんのだよ。相手も必死なのだ。

 海軍軍令部のエリート参謀共は、それがわかっておらんのだ。

 だから海軍軍令部に、インド洋の現状を考えれば「第3機動部隊」はよくやっていると釘を刺しておいた。

 ついでに「第3機動部隊」には連合艦隊司令長官は戦果に大変満足している。さらなる戦果を期待していると打電しておいた。

 

 海軍軍令部の参謀共め、今は軍令部にいても永久固定の配属じゃないんだ。必ず実戦部隊にも転任する。その時が来たら扱き使ってやろう。泣き言言っても聞かんぞ。



●8月2日、「M三号作戦」を開始した。

 ミッドウェー島の戦力を減らし敵空母部隊を誘き出す。


 ミッドウェー島の「第1艦隊分遣隊」から「第2戦隊」の戦艦「伊勢」「日向」の2隻と、「第九戦隊」の軽巡洋艦「北上」「大井」の2隻、「第11航空隊」の水上機母艦「千歳」を内地に呼び戻した。護衛には「第27駆逐隊」の4隻の駆逐艦がついている。

 給油船「鳴門」も南方での石油輸送に派遣した。

 代わりにというわけではないが「第7駆逐隊」の駆逐艦2隻をミッドウェー島に派遣した。


「伊勢」と「日向」は航空戦艦に改装となるだろうし、「千歳」も空母への改装が決まっているから丁度いい。「千歳」搭載の水上機はミッドウェー島配備として残留させた。


 ミッドウェー島に残っているのは「第2戦隊」の戦艦「山城」「扶桑」の2隻に駆逐艦6隻、水上機母艦1隻、給油艦2隻、哨戒艇や駆潜艇などの小型艇が複数だ。


 アメリカ潜水艦掃討作戦の「MT作戦」が開始されれば、ミッドウェー島の海上戦力はもっと減る事になる。


 そして内地の呉からは「第2機動部隊」と「第4機動部隊」が出撃する。


「第2機動部隊」の戦力は「第3航空戦隊」の空母「龍驤」「隼鷹」の2隻。

「第三戦隊」の戦艦「春名」「霧島」の2隻。

「第4戦隊」の重巡洋艦「高雄」「摩耶」の2隻。

「第2水雷戦隊」の軽巡洋艦「神通」「阿武隈」

「第16駆逐隊」「第18駆逐隊」の駆逐艦8隻だ。


「第4機動部隊」の戦力は「第6航空戦隊」の空母「大鷹」「雲鷹」の2隻。

「第3水雷戦隊」の軽巡洋艦「川内」

「第11駆逐隊」の駆逐艦4隻に「第17駆逐隊」の駆逐艦3隻。

給油船1隻だ。


 この他に今年4月に就役したばかりの新鋭艦で水上機母艦の「秋津洲」をインド洋に派遣する予定だ。現在はラバウルへの輸送任務についている


「第2機動部隊」はシンガポールまでは「第4機動部隊」と行動を共にし、恐らくはその周辺にいるだろう連合軍の諜報部員にその姿を見せつけ、有力な機動部隊がインド洋に、そしてマダガスカル島に派遣されるものと思わせるつもりだ。

「南雲機動部隊」の空母と誤認してくれればいいが、小型空母ばかりだし難しいかもしれない。


「第2機動部隊」はその後、トラック島に向かいそこで待機し、アメリカ艦隊が出てくるのを待ち受ける。


 既に「南雲機動部隊」が内地からインド洋へ、そしてマダカスカル島へ向かうという偽情報を古い暗号を使って南方資源地帯とインド洋方面を担当する「南西方面艦隊司令部」とその麾下の部隊、根拠地隊に連絡した。これについては連合艦隊司令部より事前に参謀を「南西方面艦隊司令部」に派遣して事情を説明してある。


 さらには日本艦隊がマダガスカル島のフランス軍を救援するために出撃するらしいという偽情報の「噂」を外務省を通じて中立国に流すように手配した。


 さて、アメリカ軍はどうするだろうか?

 ミッドウェー島奪還に動くか。

 ミッドウェー島奪還までは行わないが、ミッドウェー島周辺にいる日本艦隊の殲滅を狙った攻撃を仕掛けてくるか。

 それともハワイの防備を固め動かないか。


 海軍軍令部の情報部の情報によるとアメリカ国内でのルーズベルト大統領とアメリカ海軍への風当たりはかなり強いらしい。世論も共和党も批判の声が強いそうだ。負け続けだから無理もない。

 この状況だと勝利が欲しいだろう。


 だが、動かない可能性も十分ある。特にアメリカ太平洋艦隊司令官のニミッツ提督は合理的な考えをする男だ。動かなくても不思議じゃあない。


 アメリカ軍が動かなくても「第4機動部隊」はインド洋での通商破壊戦任務があるからその行動は無駄にはならない。

 だが、「第2機動部隊」はアメリカ海軍が出てこなければ、その行動は空振りに終わるだろう。

 どう出るニミッツ提督?



●8月3日、揉めていた大本営の方針がようやく決定した。

「ハワイ攻略作戦」決行だ。

 その後にインド洋方面で攻勢に出る事になる。

 遅いぞ大本営。こちらは最初からハワイを狙っていたよ。



●8月4日、内地で増強中の艦載機パイロット達により新たな航空隊を4個部隊編成した。


 艦上戦闘機部隊が「第201航空隊」「第252航空隊」「第253航空隊」の3個。艦上攻撃機部隊が「第552航空隊」の1個だ。

 これらの航空隊は現在、空母「瑞鶴」「鳳翔」を使い、他の空母の航空隊と共に猛訓練に励んでいる。


 史実ではこれらの部隊は今年の11月から12月にかけて他の航空隊を改編、増強、分派するなどして編成されているが、今回の歴史ではそうした事は無しに新たに編成された。


 これも「ミッドウェー海戦」で勝てたおかげで速やかに航空部隊の増強が行えているからだ。

 この新たに編成された部隊の第一の目的は「第1機動部隊(南雲機動部隊)」への補充部隊の役割を果たす事となる。


 今後予定されている「ハワイ攻略作戦」では恐らくかなり厳しい航空戦となる事が予想される。

 今のところは、アメリカの戦闘機に対して零戦の優位は揺らいではいない。


 だが、「ハワイ攻略作戦」ではどうなるか。

 アメリカ軍もハワイ防衛には全力をあげるだろう。

「ハワイ攻略作戦」では一大航空戦が生じ、下手をすると消耗戦になるかもしれない。

 機体やパイロットの技量はともかく確実に機数はアメリカ軍が上になる筈だ。

 何故なら日本の空母には限りがあり、そこに積める戦闘機の数にも限度があるからだ。

 

 いかに優秀な零戦と言えど戦闘では被害も生ずる。

「ハワイ攻略作戦」ではかなりの被害も出るだろう。

 そこで予め、この新編成された航空隊をミッドウェー島へ進出させておく計画だ。

 そして「ハワイ攻略作戦」」で航空隊を消耗した空母は、戦い疲れて減った航空隊をミッドウェー島に下ろし、新たな航空隊を載せ再度ハワイに向かうのだ。


 状況にもよるが、ミッドウェー島とハワイの間を往復して航空部隊の補充をするのは商船改造空母にやらせてもいいだろう。

 ともかく「ハワイ攻略作戦」の準備は着々と進んでいる。


 恐らくアメリカ軍も今頃は必至でハワイ防衛の準備を進めているだろう。

 使い古された言葉だが、これが「嵐の前の静けさ」という奴なのだろう。



 この日、史実通りパプア・ニューギニア島東端近くの天然の良港ミルン湾の近くに敵飛行場があるのが偵察機により確認された。

「第8艦隊」では「第17軍」との現地協定に基づき、ニューギニア方面における作戦の一環としてサマライ島に水上偵察機の基地を設置しようと計画していた。

 そのためサマライ島方面への偵察を強化していたところ、サマライ島の北西約56キロの地点に位置するミルン湾の北岸ラビに敵飛行場があるのを発見したのだ。


 史実では6月よりオーストラリア軍がラビに基地の建設を開始している。

 既に陸軍の「レ号作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」は始まっている。

 もし、このラビを拠点に敵軍がニューギニア北岸を西進して来たら、ニューギニア内部に進軍中の「横山先遣隊」は背後を脅かされる事になる。

 ラバウルにとっても脅威だ。


「第8艦隊」からの報告では東部ニューギニア戦線を担当する「第17軍」に陸軍部隊による「ラビ攻略」を折衝中との事だ。

 史実ではこの「ラビ攻略」は陸軍ではなく海軍の陸戦隊が行う事になる。

「レ号作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」と「ガダルカナル島攻防戦」が始まった事により、「第17軍」の兵力に余裕が無くなったからだ。

 そのため海軍陸戦隊による「ラビ攻略」が実行される。

 しかし、その攻略戦は失敗してしまうのだが、今回の歴史ではどういう動きになるか。

 状況の推移を見ながら、「ラビ攻略戦」が失敗しないように打つべき手を打とうと思う。



●8月5日、戦艦「武蔵」が就役した。


 正直、戦艦より空母が欲しい。贅沢は言わない。小型空母でいいから1隻欲しい。切実に欲しい。

 しかし、就役したものは仕方がない。

 それにしても戦艦部隊の使い方には悩む。

 今では空母の護衛か上陸作戦時の砲撃部隊くらいしか役割が無い。

 

 その空母の護衛にしても、もはや連合艦隊の主力となったと言っていい南雲機動部隊についていける速度を出せるのは「金剛」「比叡」「霧島」「榛名」だけだ。

 作戦海域までの「南雲機動部隊」の巡航速度は16~18ノットなので、そこまでは全ての戦艦が行動を共にするのは可能だ。

 だが作戦海域で一旦戦闘となり、全速を出すとなると、最高速度が「南雲機動部隊」の空母より少し遅い「大和」「武蔵」「長門」「陸奥」では少々遅れる事になり、「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」に至っては全く追いつけなくなる。

 それでは護衛の役目は果たせない。


 ただし、「第2機動部隊」の「飛鷹」「隼鷹」などは「大和」「武蔵」より最高速度が少し遅いし、「長門」「陸奥」とは殆ど速度が変わらないので、「第2機動部隊」の護衛には使えるだろう。

 それに2年後には完成する大型正規空母「信濃」も「大和」「武蔵」と同じ速度だ。

 また、「伊勢」「日向」は航空戦艦に改装されるから別枠で使い方を考えた方がいい。


 しかし、連合艦隊旗艦たる「大和」と、その同型艦たる「武蔵」が主力艦隊の「第1機動部隊」と行動を共にせず、「第2機動部隊」の護衛というのも今一つな方策だ。

 かと言って今更他の艦に旗艦を代えるのもいかがなものか。


「大和」「武蔵」は新鋭の最強の戦艦で指揮・通信能力も高く、艦内で司令部を置くにも余裕がある。

それ以外に旗艦を移すとなると、どの艦も古株で連合艦隊司令部が入ると手狭になる艦ばかりだ。

どうしたものか。いい案が浮かばない。悩む。


 それにしても戦艦に他にできそうな任務と言うと、イギリス海軍やアメリカ海軍のように輸送船の護衛に付けたり対潜任務となる。後は輸送船代わりだ。

 しかし、そんな任務では戦艦部隊の士気は下降するだろうし、連合艦隊司令部には戦艦部隊からの苦情が殺到するだろう。


 きっとアメリカ海軍の戦艦部隊でも今頃は日本の戦艦部隊と同様の不満を抱えている事だろう。

 開戦前は主力部隊だと持て囃されていたのに、いざ開戦となったら主役は空母と飛行機に奪われたのだ。

 日本海軍の戦艦部隊もアメリカ海軍の戦艦部隊も不憫な話だ。


 許されるならアメリカ海軍と示し合せて戦艦部隊 VS 戦艦部隊の海戦をお膳立てしたいくらいだ。

だが、その前に日本の戦艦部隊には重要な使い処が一つある。

「ハワイ攻略作戦」だ。


「ハワイ攻略作戦」では戦艦の火力は重要な要素となる筈だ。


 ハワイのオアフ島では「伊勢」「日向」を除く全戦艦の火力で陸軍を全力支援しないと恐らく拙い。

 何せ陸軍さんは今のところ史実通り「ハワイ攻略作戦」に3個師団準備している。


 しかし、史実ではこの時期、アメリカ軍はハワイに5個師団配置しているのだ。

 今回の歴史ではアメリカ軍は「ミッドウェー海戦」で敗北しているから、ハワイの危機感もなお一層高まり、アメリカ本土からさらに増援を送り込んでいるかもしれない。


 それにオアフ島のアメリカ軍はオアフ島が孤立し日本軍の上陸間近ともなれば、海軍や航空部隊の人員を陸戦要員にして地上戦力の増強を行うだろう。こういう事は史実でソ連もドイツも行った手だ。

 更には一般市民から志願兵を募りもするだろう。

 そうなるとハワイの陸戦兵力は100万人を超えるかもしれない。


 それを考えると日本陸軍の「ハワイ攻略作戦」での兵力不足は明らかだ。例え後から増援を送るにしても、そうそう大軍は送れない。

 その戦力不足を補うには空爆と艦砲で陸軍を支援するしかないだろう。


 史実において、当初、日本軍が南の島々を防衛する時の作戦であった「水際撃滅」が失敗したのはアメリカ艦隊の艦砲射撃に大きな要因がある。

 その破壊力と、さらには艦砲によってもたらされる破壊音の凄まじさに将兵の精神が恐怖に耐えられなくなったという事例も余りある。

 日本軍の参謀の中には戦艦1隻の火力がアメリカ軍師団5個分の火力に匹敵するという見解を出した者もいるくらいだ。

 だから日本軍は洞窟陣地を構築するようになるのだが、それはあくまでも時間稼ぎでしかない。

 オアフ島のアメリカ軍はどうするだろうか。

 何れにせよ艦砲射撃は重要となるだろう。


 それとハワイのオアフ島は要塞砲の問題もある。

 アメリカ軍はオアフ島に複数の要塞と多数の要塞砲を配備している。

 まずはその対処をしなければ肝心の上陸作戦もできない。


 基本的に要塞砲と戦艦の撃ち合いでは戦艦が不利だ。

 要塞砲は地上に設置されているから、戦艦よりも厚い防御を施せる。

 それに海の上の戦艦とは違い、波による揺れが無いから命中率も戦艦より高い。

 だが、砲の口径、射程、数、配置場所という要素を含めれば、いつも必ず戦艦が不利というわけでも無いし、必ず要塞砲に戦艦が敗北するというわけでも無い。


 よく要塞対戦艦の話になった時に引き合いに出されるのが第一次世界大戦の「ガリポリ上陸作戦」だ。

「ガリポリ上陸作戦」ではガリポリ半島にあるトルコ軍の要塞砲によって、イギリス軍とフランス軍の計3隻の戦艦が撃沈されたから、その結果を以てして要塞対戦艦では戦艦に勝ち目は無いという説がある。

 だが、しかし、それは結果論に過ぎない。


 この「ガリポリ半島」での要塞対戦艦の戦いを詳しく調べるとその実態が見えてくる。

 イギリスの戦艦「オーシャン」と「イレジスティプル」は機雷により損傷を受け乗組員は船を放棄し、その後に「オーシャン」も「イレジスティプル」もトルコ軍の要塞からの砲撃により撃沈された。

 フランスの戦艦「ブーベ」も機雷により沈んでいる。

 ガリポリで沈んだ3隻の戦艦は何れも機雷により大きな損傷を受けた事が沈没に至った大きな原因だ。

 つまり「ガリポリ上陸作戦」では純粋に要塞砲VS戦艦主砲の戦いによって戦艦が一方的に沈められたという状況ではない。


 だからこの「ガリポリ上陸作戦」以後においても戦艦対要塞の戦いは行われている。

 例えば史実における1944年6月に行われた「ノルマンディー上陸作戦」やその後の「シェルブール要塞の戦い」がそうだ。


 1944年6月6日に行われた連合軍の「大君主(オーヴァーロード)作戦(ノルマンディー上陸作戦)」で上陸地点に選ばれたノルマンディー海岸は、英仏海峡の一番狭い場所のカレー海岸より防備は進んでいなかったが、それでもかなりの数の砲台があった。


 その砲台を叩くために連合軍艦隊は戦艦4隻、巡洋艦18隻、駆逐艦56隻による艦砲射撃を行っている。

連合軍はノルマンディー海岸を「ユタ」「オマハ」「ゴールド」「ジュノー」「ソード」という作戦区域に区分していた。


 その一つ「ユタ」だけでもドイツ軍の砲台は28もあり、7.5センチ砲から21センチ砲の各種口径の110門が配備されていた。カレー地区の砲台が優先的に防御施設を造られていたので、防御力という点においては、脆弱な砲台が多かったし、その全てが対艦戦闘用というわけでもなく、また先に空爆により破壊された砲台もあった。

 だが、中には連合軍の上陸作戦時に連合軍艦隊と砲撃戦を繰り広げた砲台もあった。

中でも「ユタ」の「サン・マルクフ要塞」に配備された21センチ砲3門と15センチ砲1門は活躍している。


 ドイツ軍側の記録によると、この「サン・マルクフ要塞」の砲撃によりアメリカ軍の駆逐艦3隻が撃沈されている。

 この被害に連合軍は3隻の戦艦で「サン・マルクフ要塞」への艦砲射撃を行い掩蓋に防御された大砲を沈黙させている。


 なお、「サン・マルクフ要塞」の砲撃で撃沈された駆逐艦について、アメリカ軍の記録では沈んだ「コリー」「グレノン」「リッチ」の駆逐艦3隻は全て機雷により沈没した事になっている。やれやれ真実はどっちだ?

 それはともかく、ノルマンディー地区には防備は脆弱とは言え、かなりの砲台があり連合軍艦隊はそれに砲撃を加えているという事だ。そして駆逐艦はともかく、巡洋艦、戦艦は1隻も失っていない。


 また、1944年6月25日の正に要塞VS戦艦となった「シェルブール要塞の戦い」では、ドイツ軍の守る「シェルブール要塞」に対し連合軍の艦隊が昼間に正面から砲撃戦を行っている。

「シェルブール要塞」の28センチ砲3門、15センチ砲20門 VS 連合軍艦隊の戦艦3隻、巡洋艦4隻、駆逐艦11隻が砲撃戦を行ったのだ。

 連合軍艦隊に損傷した艦は出たものの撃沈された艦は無く、「シェルブール要塞」も健在であり痛み分けの結果に終わっている。


 現代においては机上の計算で要塞砲は戦艦より400倍から1000倍も有利という説がミリタリー雑誌に載っていたりする。

 しかし、本当にそれだけ要塞砲が有利ならば「ノルマンディー上陸作戦」でドイツ軍砲台は連合軍艦隊にもっと被害を与えていた筈だろう。

「シェルブール要塞の戦い」ではドイツ軍の要塞砲が連合軍の艦隊を全滅させてもおかしくなかった筈だ。


 特に「シェルブール要塞の戦い」では昼間に正面から艦隊と要塞砲が、3時間も撃ち合いを演じたのだ。 要塞砲が戦艦より400倍から1000倍も有利で何故、小型の駆逐艦1隻沈められない。巡洋艦1隻さえ沈められない。何故、戦艦1隻大破にさえできないのか。


 これらの戦いでは要塞砲が戦艦並みの大口径ではなかったとは言え、要塞砲が戦艦に比べ400倍から1000倍も有利ならば、もっと艦隊に打撃を与えられていい筈だろう。しかし、そうはなっていない。

 少なくとも要塞砲が戦艦に比べ有利なのはわかるが、400倍から1000倍も有利などという方程式は見直した方がいいと思う。戦史の実例から見ると理屈に合わなすぎるのだ。


 真珠湾基地のあるオアフ島についてもそれは言える。

 現代日本のミリタリー雑誌などでは、たまに太平洋戦争時のオアフ島を「オアフ島要塞」という呼び方をし難攻不落などという解説をしていたりする。

 まるで、オアフ島自体が巨大な要塞で全く隙が無いかのようなイメージを抱いてしまうが実際は違う。

 詳細に調べれば隙は見えてくる。


 まずオアフ島に今の時点(1942年8月)で、戦艦並みの大口径の要塞砲が何門あるかと言うと30門だ。

 40.6センチ砲が4門。

 35.5センチ砲が2門。

 30.5センチ砲が24門。

 総計30門。


 そして、この30門のうち16門が旧式だ。

 戦前から旧式な砲もあったが、日本と開戦となり、しかも真珠湾攻撃を受けた事から保管されていた旧式砲を慌てて引っ張り出して設置してオアフ島の防衛力を増強したという経緯がある為、旧式砲が過半数を占めている。

 また、射程から言えば30キロ以上の長射程を持つ砲は4門しかない。

 20キロ代の射程を持つ砲は2門だ。

 10キロ代の射程を待つ砲は16門だ。

 約9キロの射程しかない砲も8門ある。


 実は全30門のうち三分の二を占める20門が射程の短い臼砲型の大砲なのだ。

 臼砲型は真っ直ぐ直線の弾道で目標に弾を撃ち込むのではなくて、山なりの弾道で目標を破壊するタイプの砲であり射程が短い。ただし、要塞砲の場合、強固な防御施設の中に設置され射界が限定されている物もあるが、臼砲型は射界が限定されず全方向に撃てるという利点もある。


 このオアフ島の戦艦並みの大口径の要塞砲30門に対して、日本の戦艦は12隻だ。

 ただ「伊勢」「日向」は航空戦艦への改装があるから除こう。そうすると10隻だ。

 その10隻に搭載されている大口径の大砲で30キロ以上の射程を持つのは66門だ。

「大和型」が46センチ砲を9門搭載し、「大和」「武蔵」の2隻があるので合計18門。

「長門型」が40センチ砲を8門搭載し、「長門」「陸奥」の2隻があるので合計16門。

「金剛型」が36センチ砲を8門搭載し、「金剛「「榛名」「比叡」「霧島」の4隻があるので合計32門。


 30キロ以上の射程で撃ち合えるのは日本側66門 VS アメリカ側4門という事になる。

 16.5対1の比率だ。

 これだと一見、長射程での撃ち合いは圧倒的に日本が有利に見えるが、そもそも30キロ以上の射程で撃ち合っても、そうそう目標には当たらない。


 史実における1944年10月25日の「サマール沖海戦」では、戦艦「大和」はその主砲46センチ砲(最大射程42キロ)でアメリカ艦隊に対し、31.5キロの距離から砲撃を始めているが、敵艦に有効な打撃を与えた射撃は24キロ以内に近づいてからだ。


 1941年5月24日の「デンマーク海峡海戦」では、ドイツの戦艦「ビスマルク」とイギリスの戦艦「フッド」が砲撃戦を行っているが、この時に砲撃戦が開始された距離は22キロであり、戦艦「ビスマルク」は17キロの砲戦距離で戦艦「フッド」に致命的な砲撃を加え撃沈している。


 陸上設置の大砲にしても戦艦より命中率が高いとは言っても最大射程で撃って百発百中というわけでもない。

 史実では1940年8月下旬からドイツ軍はフランスのカレー海岸地区に列車砲を集結させ英仏海峡のイギリス沿岸を航行する船舶を砲撃させている。

 砲撃に使用した列車砲で戦艦の主砲クラスが13門あった。

 38センチ砲4門。

 37センチ砲4門。

 30.5砲3門。

 28センチ砲2門。


 9月だけで6回ほど砲撃を行っている。目標までの距離は約40キロ。しかし、1発も当たらなかった。

 命中弾が出たのは10月に入ってからで、ようやく約1500トンの小型輸送船に損傷を与える事に成功したが撃沈には至っていない。


 1942年2月11日から12日にかけてドイツ海軍は「ケルベルス作戦」を成功させている。

 この作戦はドイツの戦艦シャルンホルストとグナイゼナウ、巡洋艦プリンツオイゲンがフランスのブレスト港から英仏海峡を通ってドイツ本国に帰還するという作戦だ。

 この時、英仏海峡のイギリス側のサウス・フォアランド要塞の23.4センチ砲4門が、英仏海峡を航行するドイツ艦隊に向け砲撃を行っている。

 距離は約25キロ。17分間に23発撃ったが1発も命中する事はなく、ドイツ艦隊は逃げおおせている。


 遠距離の砲撃戦では戦艦の主砲も要塞砲も命中率は落ちる。

 最大射程で撃ってもそうそう目標には当たらない。

 20キロ、30キロの距離で撃っても目標に命中弾を与える事は難しい。

 つまり、もっと近距離からでないと目標を破壊するのは困難だ。

 戦史の実例を見る限り、戦艦の主砲で要塞砲を破壊するなら少なくとも砲戦距離は15キロ以下が望ましい。


 その距離でハワイのオアフ島の要塞砲と日本の戦艦部隊が砲撃戦を繰り広げる場合、他の戦艦より射程の短い戦艦「扶桑」「山城」も戦闘に参加できるので、全10隻の砲数は全90門となる。

 オアフ島の戦艦並みの大口径砲で15キロ以上の射程のあるものは全10門だ。

 日本側90門 VS アメリカ側10門。

 9対1の比率だ。

 

 ただし、射程距離15キロともなると巡洋艦並みの口径の砲で射程距離となる砲も出てくる。

 オアフ島の要塞砲にはそうした砲が34門ある。

 24センチ砲12門。

 20.3センチ砲18門。

 15.2センチ砲4門。

 当然、日本の巡洋艦の艦砲でも射程距離となってくる。

 この時点で日本の巡洋艦で20センチ砲を搭載している重巡洋艦が16隻ある。

「古鷹型」が6門搭載し、「古鷹」「加古」の2隻があるので合計12門。

「青葉型」が6門搭載し、「青葉」「衣笠」の2隻があるので合計12門。

「妙高型」が10門搭載し、「妙高」「羽黒」「足柄」「那智」の4隻があるので合計40門。

「高雄型」が10門搭載し、「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」の4隻があるので合計40門。

 20センチ砲が総計104門だ。


 つまり巡洋艦クラスの砲数の比率は3対1となる。

 これを戦艦並みの口径の砲の数と合わせると日本側194門 VS アメリカ側44門だ。

 砲数の比率は4.4対1となる。

 そうそう一方的に日本側が撃ち負けるとは思えない。その逆の可能性も充分にあるだろう。


 オアフ島の戦艦並みの大口径の要塞砲の配置にも見出せる隙はある。

 オアフ島の海岸線は180キロある。

 単純に計算すれば約6キロごとに大口径の要塞砲が1門ある事になる。

 しかし、実際にはこの全30門がオアフ島の南部に配置されている。西部、東部、北部に戦艦並みの大口径の要塞砲は1門も無い。中口径と小口径の砲があるのみだ。

 

 戦艦並みの大口径の要塞砲はオアフ島南部の重要な真珠湾基地やホノルル港を守る体制にある。

 元々、アメリカがハワイを併合した頃のオアフ島防衛は、敵が来た場合はホノルル港など重要な拠点がある南部だけ防衛しておき、アメリカ本土からの援軍が来るまで持ち堪えればよいという戦略だった。

 そのため南部の守りに重点が置かれ北部の防衛は切り捨てていた。


 この当時は、アメリカ海軍の太平洋艦隊主力もオアフ島を一時的に泊地として利用する程度だった。

 暫くは潜水艦部隊などの一部の戦力しか常駐しておらず、オアフ島全部を守る必要性もそれほど認められなかったからだ。


 しかし、時が流れオアフ島にアメリカ海軍の太平洋艦隊主力がいるようになり真珠湾基地の施設と規模が拡大され、大規模な航空部隊も配備されるようになると、オアフ島の防衛体制も見直され北部にも防衛拠点が設けられるようになった。


 だから元々オアフ島南部の防衛体制は強固だ。

 まずオアフ島南東部の「ダイヤモンド・ヘッド」山が南東の端の防衛拠点だ。

「ダイヤモンド・ヘッド」は南東部に突き出したような位置にある。

 大戦中は民間人の立ち入り禁止区域だが、現代では有名な観光スポットだ。

 山とは言っても山頂の展望台まで若者の足で片道約30分程度だ。

 この「ダイヤモンド・ヘッド」展望台が実は大戦中におけるオアフ島南部の要塞砲の射撃観測所であり、射撃指揮をとる重要な役割を果たしていた。コンクリート造りの4階建てだった。

 現代では気軽に観光客が訪れられるが、ここに射撃観測所兼射撃指揮所を建設するのはアメリカ軍にしても大変な建設作業で、何と3年以上の歳月を費やして完成させている。


 この「ダイヤモンド・ヘッド」周辺に構築されたのが「ルーガー要塞」だ。

「ルーガー要塞」には幾つかの砲台がある。

 海側から見て「ダイヤモンド・ヘッド」の裏側にあるのが「ハーロー砲台」と「ビルクヒマー砲台」だ。

 ここには口径30.5センチのM1890M1臼砲が12門配置されている。つまり「ダイヤモンド・ヘッド」の上を越えて海側の敵を狙い撃つわけだ。直接、目標を捉える事はできないが、敵から直接見られる事もない。

 そのため目標に狙いをつけるのは「ダイヤモンド・ヘッド」の射撃観測所兼射撃指揮所に任せる態勢だ。また、このM1890M1臼砲は旧式で、開戦前にその多くは保管状態にあったものだ。

 それに射程も短く約11キロしかない。

 

 面白いのは「ルーガー要塞」の「ビルクヒマー砲台」に配置された2門の要塞砲だ。

 ここには口径20.3センチのM1888砲が2門配置されている。この砲は本来「列車砲」だ。


 現代においてオアフ島に列車は走っていない。廃止されたからだ。

 しかし、この当時はオアフ島には列車が走っていた。ホノルル港からオアフ島西側の海岸線を北上してそのまま北部海岸線を走り、東部の北のカハナに到達する路線と、同じくホノルル港から島中央部のワヒアクまで走る路線だ。


 アメリカ軍はこのオアフ島西部と北部の海岸線を走る路線で「列車砲」を使用し、西部と北部の防衛態勢に組み入れていた。この列車砲は16門あり「第41沿岸砲兵連隊」として編成されている。

そのM1888列車砲の射程は約18.2キロだ。口径が20.3センチという事は重巡洋艦の主砲クラスという事でもある。


 それにしても何故、2門だけ「ビルクヒマー砲台」に設置されたのだろうか。

やはり「ルーガー要塞」に長射程の火力が不足していたと判断されたからだろう。

「ルーガー要塞」には他に日本との開戦後に急遽造られた「ドッジ砲台」があり旧式の10センチ砲が11門配備されているが、日本の駆逐艦でさえ、その主砲は12センチか12.7センチだ。


 他に「ルーガー要塞」には5.7センチ砲が12門配備されているが、いかにも小口径すぎる。

 つまり「ルーガー要塞」は砲の数は多くても、射程の長い砲は少ないから比較的射程の長い列車砲を配備したのだろう。それでも「ルーガー要塞」には20キ以上の射程を持つ砲は1門も無いという事だ。


 ホノルル港と「ダイヤモンド・ヘッド」の中間あたりにあるのが「デルーシー要塞」だ。

 この要塞には「ランドルフ砲台」があり、そこには口径35.5センチのM1907砲が2門配備されている。

 この砲は戦艦級の口径であり、実際、旧式戦艦の砲だったものだ。旧式な為に口径は大きいが射程は短く約16キロだ。


「デルーシー要塞」には他に「ダドレイ砲台」もあるが、こちらは口径15.2センチのM1908M1砲2門が配備されている。巡洋艦の主砲クラスの砲だ。射程は約25キロある。

 この「デルーシー要塞」は低地にあり、そのため目標に狙いをつけるのは「ダイヤモンド・ヘッド」の射撃観測所兼射撃指揮所に任せる態勢だ。


 ホノルル港近くには「アームストロング要塞」がある。

 ここには口径76.2センチのM1903砲2門が配備されている。その射程は約10.5キロだ。


 そして真珠湾と外洋を繋ぐ水道の東側にあるのが「カメハメハ要塞」だ。

 ここにも幾つかの砲台がある。

「セルフリッジ砲台」には口径30.5センチのM1895M1砲が2門配備されている。この砲は戦艦級の口径であり、実際、旧式戦艦の砲だったものだ。この砲も旧式な為に口径は大きいが射程は短く約17キロだ。

「ハスブローグ砲台」には口径30.5センチのM1908臼砲が8門配備されている。戦艦並みの口径だが臼砲なだけに射程は短く約9キロだ。

「ジャクソン砲台」には口径15.2センチのM1908M1砲2門が配備されている。巡洋艦の主砲クラスの砲だ。射程は約25キロある。

「ホーキンズ砲台」には口径76.2センチのM1903砲2門が配備されている。この射程は約10.5キロだ。


 真珠湾と外洋を繋ぐ水道の西側にあるのが「ウェーバー要塞」だ。

 この要塞には「ウィリストン砲台」があり、口径40.6センチのM1919MKⅡ砲2門が配備されている。

 この砲はワシントン軍縮条約で建造中止になった戦艦の物だ。

 射程は約38キロあり、オアフ島最強の要塞砲の一つだ。


「ウェーバー要塞」から西に約3.5キロほど離れた場所にあるのが「バレッタ要塞」だ。

 この要塞の「ハッチ砲台」には「ウィリストン砲台」と同じく口径40.6センチのM1919MKⅡ砲2門が配備されている。


「ハッチ砲台」と「ウィリストン砲台」の口径40.6センチのM1919MKⅡ砲は最も日本軍が警戒すべき砲だろう。

 特に「ウェーバー要塞」の「ウィリストン砲台」の40.6センチM1919MKⅡ砲2門は全周旋回が可能で、全方向へ砲口を向ける事ができる。その上、射程が38キロもあり、その砲台の位置からオアフ島全域を射程内に捉える事が可能だ。

「バレッタ要塞」の「ハッチ砲台」のM1919MKⅡ砲2門は射界が南部に限られている。これは日本軍による真珠湾攻撃の後、砲台の防備を固める為に露天だった砲台をコンクリート製の掩蓋で覆った結果だ。


「ハッチ砲台」と「ウィリストン砲台」の口径40.6センチのM1919MKⅡ砲は警戒すべき砲ではあるが、だからと言って無暗に恐れる事もない。


 戦艦「大和」「武蔵」に搭載されている46センチ砲は世界最強の砲との呼び声も高い。

 だが、その砲にしても1発で敵戦艦を撃沈できるなどとは考えられていない。敵戦艦を沈めるには少なくとも5発~6発の命中弾が必要と考えられていた。


 それを思えば戦艦1隻分にも満たない4門の40.6センチ砲があるからと言って、正面から戦って日本の戦艦部隊が一方的に全滅するなどという事は考え難いだろう。


 ちなみに日本海軍の想定では巡洋艦の主砲で戦艦を沈めるには50発から60発必要との事だ。

 だが幸運な1発というやつは常にある。イギリスの戦艦「フッド」を撃沈したドイツの戦艦「ビスマルク」の放った1弾などがそれだ。1発が装甲を貫通して弾薬庫で爆発し大きな誘爆を招き、「フッド」は正に轟沈したのだ。

 何事も油断は禁物だろう。


 そうした事はともかく、オアフ島の東、西、北に戦艦並みの大口径の要塞砲が配備されていない事は、 オアフ島全土を防衛する上では大きな弱点だ。


 オアフ島北部において巡洋艦の主砲クラスの砲は列車砲を除いては、24センチ砲が2門しか配備されていない。


 西部においても巡洋艦主砲クラスの砲は列車砲を除いては24センチ砲が2門しか配備されていない。

20.3センチ砲の列車砲16門は移動可能なので、北部と西部にどのような配分で配置されるかはわからないが、単純に2分すると北部と西部にそれぞれ8門づつとなる。


 東部において巡洋艦の主砲クラスの砲は24センチ砲が8門配備されている。


 つまり、オアフ島南部には戦艦クラスの大口径砲が30門に、重巡洋艦の主砲クラス(口径20センチ以上)の砲が6門配備されている。

 北部は列車砲を西部と2分すると仮定して、巡洋艦の主砲クラスの砲が10門配備されている。

 西部は列車砲を北部と2分すると仮定して、巡洋艦の主砲クラスの砲が10門配備されている。

 東部は巡洋艦の主砲クラスの砲が8門配備されている。


 南部に比べれば明らかに東部、西部、北部の守りは薄い。


 それはアメリカ軍も理解している事であり、だから日本との開戦後に要塞砲の増強を行っている。

 史実では空母「サラトガ」と「レキシントン」の改装時に撤去された20.3センチ連装砲塔8基をオアフ島の要塞砲として再利用している。その配置は北部に4基、南部に4基だ。

 今年の年末(1942年年末)にはその砲が稼働できる状態になる。


 それに史実では真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナの35.5センチ三連装砲塔2基が引きあげられ、整備され要塞砲として設置されている。その位置はオアフ島の西と東だ。

 ただし、この戦艦アリゾナの砲塔が戦闘可能状態になるのは終戦間際だ。

 つまり、日本軍が予定している10月の「ハワイ攻略作戦」には間に合わない筈だ。それは助かる要素だ。


 オアフ島への上陸作戦については陸軍との協議になるが、まさか一番守りの堅いオアフ島南部に上陸作戦を行う事は無いと思う。


 オアフ島は東部にコオラウ山脈が走り、西部にはワイアナエ山脈が走っている。中央南部の真珠湾、ホノルルを攻めるには東西からだとその山脈が障害となり進攻する道が制限され、守備側が有利だ。


 やはりオアフ島北部への上陸作戦となるのではないだろうか。


 北部はアメリカ軍が列車砲を西部と2分して配備していると仮定して、巡洋艦の主砲クラスの砲が10門だ。


 それに対し日本側が戦艦10隻90門の主砲と、さらに重巡洋艦部隊を投入して北部への砲台に艦砲射撃を行ったらどうなるだろうか。

「ノルマンディー上陸作戦」でのドイツ軍の「サン・マルクフ要塞」のように、オアフ島北部の要塞砲は撃破されるのではないだろうか。


 ただ、オアフ島最強の要塞砲でオアフ島全周を撃てる「ウェーバー要塞」の「ウィリストン砲台」の40.6センチM1919MKⅡ砲2門の問題がある。

 艦隊がオアフ島北部の海岸にどれだけ近づくかという事が一つのポイントになるわけだが、艦隊が北部海岸から15キロの距離で北部の要塞砲に砲撃戦を挑んだ場合、南部の「ウィリストン砲台」から艦隊までの距離は26キロ以上にもなる。それだけの長距離射撃ともなれば、そうそう当たりはしないだろう。


 と、長々と戦艦部隊VSオアフ島の要塞砲について考究してしまったが、いきなり戦艦による要塞砲潰しをする気は無かったりする。


 まずは特殊部隊「S特」の投入だ。

 陸軍がオアフ島北部に上陸作戦を行うと仮定して、北部に配置されている口径24センチのM1918砲2門の 破壊と、「ウェーバー要塞」の「ウィリストン砲台」の全周旋回が可能な40.6センチM1919MKⅡ砲2門の破壊を「S特」にやってもらおう。


 次に北部の全要塞砲への空爆だ。

「S特」が「ウェーバー要塞」の「ウィリストン砲台」の破壊に失敗したのなら、そちらの空爆も行う。

そして最後に戦艦部隊による艦砲射撃だ。


 三段構えの作戦で行こうじゃないか。

「難攻不落のオアフ島要塞」何てものが幻想に過ぎない事を証明してやろう。



●8月6日、アメリカの潜水艦の撃滅を狙う「MT作戦」が開始された。


 老朽輸送船3隻を囮として、この作戦に参加する海上戦力は以下の通りだ。


 内地から「第4水雷戦隊」の全部隊、軽巡洋艦「那珂」を旗艦に、「第2駆逐隊」の駆逐艦4隻、「第4駆逐隊」の駆逐艦4隻、「第9駆逐隊」の駆逐艦4隻、「第24駆逐隊」の駆逐艦4隻。

第1水雷戦隊から「第17駆逐隊」の駆逐艦4隻。

水上機母艦「日進」


 ミッドウェー島から「第11航空戦隊」の水上機母艦「神川丸」とその護衛駆逐艦「早潮」1隻だ。


 合計で、水上機母艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦21隻だ。


 これに「第14海軍航空隊」の九七式大艇の全機と、「第1海軍航空隊」の陸上攻撃機全機が空から対潜哨戒任務に当たる。


 基地は硫黄島、南鳥島、ウェーク島とミッドゥエー島を使うが、まだ硫黄島には大型機が離着陸できる滑走路が無い。現在、造っている最中だ。そのため硫黄島には九七式大艇の分遣隊が派遣されている。


 4個しかない水雷戦隊の内、丸々1個を投入しての作戦だ。期待は大きい。

 うまくアメリカの潜水艦を狩ってくれればいいが。


 ところで硫黄島もそうだが、滑走路を建設するには時間がかかる。

 史実においてもガダルカナル島に滑走路を建設するのには約1ヵ月半程も掛かっている。


 だが、例外もある。

 1943年にワクデ飛行場を建設した時は450人の人員で2週間かからずに完成させている。何故かと言えば連合軍から接収した複数のブルドーザーを投入したからだ。


 昔から地味に言われている日本軍の弱点の一つが、連合軍に比べた場合の基地設営能力だ。

 土木作業機械については、日本はアメリカに比べ立ち遅れているから仕方ない。

 海軍もブルドーザーの量産化を行おうとしたが、こうした土木作業機械を制作できそうな民間企業との繋がりが薄く速やかにはいかなっかったのだ。


 あれも足りない。これも足りない。それも足りない。と足りないぱかりで嫌になる。

 アメリカ、イギリスと戦う上で充分以上に数があるという物がたまには欲しい。ほんと泣けてくる。



 海軍軍令部との調整に行っていた渡辺参謀が帰って来た。

 海軍軍令部での会議で通商破壊戦による見込みを聞いたそうだ。


 連合国の船舶量とその建造量、これまでに枢軸陣営で撃沈した船舶トン数。それに連合国の国力維持に必要な船舶量。

 そうした要素を計算した結果、これから枢軸陣営が1ヵ月に70万トンを撃沈し続ければ約7ヵ月で連合国の余力は無くなり連合国内部で何かしら動きが出るだろうという話だったそうだ。


 史実では1ヵ月80万トン撃沈との事だったが、70万トンとは10万トンも減っている。今回の歴史では通商破壊戦に力を入れていたから、そうした数字となったのかもしれない。

 それにしても、その「何かしらの動き」とはイギリスの脱落の事だ。


 史実でも今回の歴史でも日本の戦略たる「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」での狙いは、イギリスを先に敗北させて、その成果でアメリカの戦争継続の意思を無くさせようというものだ。

 史実でも今回の歴史でも、東条英機首相は通商破壊戦でイギリスの死命を制してアメリカの態度を変えさせると発言してるし、やはり永野海軍軍令部総長もイギリス・アメリカ連合軍の弱点はイギリスにあるから、そのイギリスを餓死させて敗北させる事が戦争終結への最も早い道だと発言している。


 海軍軍令部としてはその希望が見えて来たという事なのだろう。

 だが、その計算は甘いよ海軍軍令部。

 君達が思っているより連合国の船舶はもっとあるし、建造量も多いのだよ。

 軍令部の計算では現在、連合国の船舶は約1745万トンだと推定しているが、実際には4570万トンもあるのだ。


 1ヵ月の建造量は35万トンだと推定しているが実際には100万トンもあるのだ。

 大きく計算違いをしているよ。

 まぁいい。史実では実際にイギリスは食糧不足になっているのだ。今回の歴史では、それに拍車が掛けられているだろう。まだまだ、これからだ。



●8月7日、8月5日に貨客船「ぶらじる丸」がアメリカの潜水艦に撃沈されたとの情報が入った。


 おい、おい、おい、おい!

 先月「ぶらじる丸」の空母への改装を急ぐように軍令部に要望を出していたのに史実通りの展開とは泣けてくる。

 これで史実よりも1隻多く小型空母を増強しようという望みが無くなった。無念だ。


 史実ではこの日にアメリカ軍がガダルカナル島に上陸し、以後、日本軍は血みどろの戦いを陸に空に海に行う事になる。

 だから、この日は一日中どうなる事かと思っていたが、アメリカ軍襲来の報告は無かった。

 やはり「ミッドウェー海戦」での敗北が効いたのだろう。

 少しホッとした気分だ。

 だが油断はできない。この後、ガダルカナル島にアメリカ軍が上陸してくるという事も充分ありえるだろう。



●8月9日、史実とは違い陸軍がパプア・ニューギニア東端近くのラビを攻略するための部隊を派遣する事を決定した。


 パラオにいる「川口支隊」を送り込む計画のようだ。

 7月31日に「第17軍」と「第8艦隊」の間で結ばれた現地協定により、「レ号作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」の一環として、「川口支隊」所属の1個大隊がポートモレスビー東方へ上陸作戦を行う事が決定していた。

 どうやらこの際、「川口支隊」全部隊を動員して、まずはパプア・ニューギニア東端近くのラビを攻略し、そこを足場にしてポートモレスビー東方への上陸作戦を行うという作戦に改めたようだ。


 史実では「川口支隊」は「一木支隊」の後にガダルカナル島に送り込まれた部隊だ。

 まだ、ガダルカナル島にアメリカ軍は来ない。来てほしくないし来る余裕も無いとは思うが。

 ともかく、このまま行けば「川口支隊」は史実とは違い「ラビ攻略作戦」を行う事になるだろう。



●8月10日、「日英交換船」の第二船「鎌倉丸」が横浜を出港した。


 既に7月30日に出港している「日英交換船」の第一船「龍田丸」と同じく目的地はポルトガル領東アフリカのロレンソ・マルケス港だ。


「日米交換船」の「浅間丸」と「コンテ・ヴェルデ号」の方は既にシンガポールに着いたとの報告が入っている。


 海軍軍令部は「浅間丸」に乗船していたアメリカ大使館付海軍武官の大佐に、「浅間丸」の乗船中に知りえた航路での情報を持って、シンガポールから飛行機で日本に帰国するように指示を出したそうだ。


 ところでロレンソ・マルケス港からはアメリカから帰国する日本人全員が「浅間丸」と「コンテ・ヴェルデ号」に乗ったわけではないそうだ。

 何でも外交官16人とその家族23人はロレンソ・マルケス港から中立国ポルトガルの船に乗ってヨーロッパに転任するのだとか。

 アメリカから喜望峰回りでようやくロレンソ・マルケス港まで来たというのに、また喜望峰回りでヨーロッパまで行くとは何と不憫な話か。

 アメリカから直行すれば1週間のところを今回は全部で2ヵ月以上の船旅になるようだ。

 外務省も酷な事をする。

 まぁ現在の状況では安全にヨーロッパに外交官を送り込むルートが無いから、こういう機会を利用するしかないのはわかるが、当人達にとっては大変だ。

史実通りの話だが、ヨーロッパに転任する外交官とその家族には同情する。


 シンガポールまで無事についた「浅間丸」と「コンテ・ヴェルデ号」の方だが、海軍軍令部はこの2隻に海軍士官を乗せ、乗客に「講習」、いや「教育」を行っている。何の「教育」かと言うと、日本に帰国したら外国で知りえた日本に不利な情報などは黙っていなさいという事だ。他にも思想教育みたいな事をしているらしい。

 史実通りの話ではあるが溜息がでる。

 海軍軍令部にはそんなつまらない事に気を使うより他にやる事があるだろうと説教してやりたい。

 乗客については外務省にでも任せておけばいいのだ。

 我々海軍はアメリカ海軍、イギリス海軍と戦うためにあるのだ。


 ともかく、これで現在、交換船は4隻が洋上にあるわけだ。

 そのうち2隻はインド洋に向け航行中。

 インド洋では通商破壊戦を強化しているだけに間違いがあったら困る。

 無事に到着し、また無事に帰って来る事を祈る。


 海軍軍令部の情報部からの情報によると8月8日にインドでマハトマ・ガンジーが逮捕されたそうだ。

 史実通りの話だ。インドも熱くなっているようだ。そこに油を注げれば面白い事になるのだが……

 また、海軍軍令部はイタリア政府からの情報として、インド洋で日本艦隊撃滅のためにイギリス機動部隊が出撃したという情報を伝えて来た。


 現在、「第3機動部隊」が遂行中の「B作戦(インド洋通商破壊作戦)」はイギリスにとっては非常に痛手な筈だから当然の動きではある。

 動きではあるが、どうもイタリア政府からの情報というのがね……

 イタリアだからなぁ。

 味方の足を引っ張るのが得意なイタリアだからなぁ。

 でも、まぁ「第3機動部隊」には注意を促しておきますか。



 それにしても最近、肩凝りがひどい。

 肩凝りからくる頭痛もする。

 肩の凝り固まった部分から頭痛のしている部分まで繋がっているのがわかる時があるほどだ。

 毎晩、遅くまで海図と睨めっこし報告書を読んでいるから仕方がない。

 いつも何かもっと良い手はないか、さらに有利にできる手はないかと考え眠りも浅いのがそれに拍車をかけているのだろう。


 それで連合艦隊司令部付きの従兵長にはよく肩を揉んでもらっている。

 現代日本風に言えばクイック・マッサージというやつだ。

 現代日本で生活してた当時、たまにクイック・マッサージのお店に行ってたけど、肩を揉む人によって当たり外れがあったよ。

 うまい人はほんとに気持ちいいのだけど、下手な人は痛いだけでね。

 そう言えば、よく行っていた某店にはポイント・カードがあってポイントが溜まってた筈だけど、どうなったんだ、ってそりゃもう使えないよな。こっちの世界にいるんだし。無念だ。


 そんな事はともかく従兵長には肩を揉んでもらっているのは他の人には内緒という事にして口止めしている。

 任務の範疇外の事だし、連合艦隊司令長官が従兵長に肩揉んでもらってようやく任務をこなしているなんて外聞が悪すぎるからね。

 いつもすまんな従兵長。感謝してるよ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


2016年8月23日 午後22時00分


こんばんわでおじゃりまする。それとも、おはようございますでおじゃりまする。またはこんにちわでおじゃりまする。

〖栄光の勝利を大日本帝国に〗も、とうとう1年間更新をストップしてしまったでおじゃる。

申し訳ないでおじゃりまする。<(_ _)>

そのお詫びの一環として「宮様、頑張る(陸軍編)」の第2話を書いたでおじゃる。


「そんなものを書く暇があったら〖栄光の勝利を大日本帝国に〗を書け!」というお叱りはご尤もでおじゃりまする。<(_ _)>

しかし、何かの呪いか、何かの巡り合わせなのか、どうしても書かずにはいられなかったでおじゃりまする。

そういうわけで許してくださいでおじゃる。<(_ _)>


ではお読み下さいでおじゃる。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



  【宮様、頑張る】(陸軍編)


第002話『とある公爵への誘い』



1938年◯月◯◯日

『閑院宮邸』


閑院宮邸において二人の男が歓談していた。

一人は屋敷の主、閑院宮載仁親王であり陸軍参謀総長の地位にいる。

もう一人は大山柏公爵、陸軍予備役少佐にして現在は考古学を研究している変わり種の貴族院議員である。

「お久しぶりですな公爵」

「閣下もご壮健そうで何よりです」

「あなたのところの史前学雑誌を毎号、読ませてもらっているが、あれはなかなかのものです。いつも楽しみにしているのですよ」

「恐縮です閣下」

「そこで早速だが本題に入りたい。公爵に是非とも引き受けてもらいたい考古学上の調査があるのです」

「と、申しますと?」

「現在、欧州のスペインは内戦中です」

「聞いております」

「現在、その内戦の戦場はスペイン中央から西部方面にかけてです。これは、ちゃーんす!です」


公爵の耳には閑院宮総長の話の中で「チャーンス」という部分だけが微妙にドイツ語訛りであるかのように聞こえた。

公爵はドイツに留学をして考古学を学んだ経験もありドイツ語も堪能だった。

だが、気のせい、勘違いだろうと、気にしない事にした。大した問題でもないからだ。


「閣下、ちゃんすと申しますと?」

「スペイン南東部のドニャーナ地方に、アトランティスがあったという説はご存知ですかな?」

「存じております。私がドイツに留学する数年前に欧州の学者が唱えたとか」

「儂はその説の信憑性は高いと考えておるのですよ……」


閑院宮総長ハ熱弁ヲ振ルッタ

大山柏公爵ハ総長ノ熱情ニ圧倒サレタ


何故、閑院宮総長はドニャーナに注目するのか得々と語った。

ドニャーナにアトランティスがあるかもしれないその理由を。

もしかしたらドニャーナにあったのはアトランティスではなく聖書に出てくる豊かな貿易都市タルシシかもしれないと。

ともかく何かがあった筈だと……


そして、調査費用は全額、閑院宮が持つ。

既に調査団専用の水上機を搭載した大型船まで用意した。

スペインが内戦中の今なら面倒な手続きを省略して煩い事を言われないで調査ができる。


アトランティスの謎を解き明かし世界を驚かせてやろうじゃないか!

トロイを発掘したシュリーマンのような成果を挙げようじゃないか!

我々、日本人の手で!


その滾る閑院宮総長の思いに、遂に大山柏公爵も感化された。

そして、ドニャーナ調査隊団長に就任する事に快く積極的に同意したのである。


大山柏公爵が帰るのを見送りながら閑院宮総長は胸の内で呟いていた。


さぁ歴史の謎を、ドニャーナの真実を、アトランティスの謎を解明してやる!


だいたい平成世界での調査の続報が無かったのがいけないのだよ。

2011年にアメリカの研究チームが衛星写真を解析してスペインのドニャーナ国立公園にアトランティスの都市らしきものを発見したとか、調査チームが現地に入ったとかいう話があったのに、以後は全然話が聞こえてこない。

ならば、この時代に生きる儂が先んじてドニャーナの遺跡の謎を解き明かしてくれるわ!

ぐわっはははははははははははははははははははははは。


何度、憑依だか転生だかトリップだかをしようとも、決して儂はアトランティスへのロマンは忘れない!

アトランティスを求める情熱の炎は消えはしないのだ!


ドニャーナにあるのがアトランティスではなくタルシシならそれでもよい。

アトランティス=タルシシでもかまわない。

ともかく、歴史の謎に挑むのだぁ!!


そして儂が乗り出すからには「イリヤッ◯-入屋堂見聞録」みたいな最終回が曖昧な終わり方にはさせん!

絶対にだ!!


(解説するでおじゃる。

「イリヤッ◯-入屋堂見聞録」とは2002年から2007年までビッグコミックオリジナ◯で連載されていたコミック作品で、主人公がアトランティスを探索するストーリーでおじゃる。

ラストはアトランティスについて一部は発見はされたけど? 結局はいかようにもとれる、解釈できるというような終わり方をしていて、今一はっきりとはしない作品でおじゃった。

ちなみに大山柏公爵は実在した人物であり、陸軍予備役少佐にして考古学を研究し、考古学の雑誌を発行していた事も史実でおじゃるよ)


こうして閑院宮総長が全面的にバックアップするドニャーナ調査団がスペインに向かう事になる。

そこで発見されるものとは……





〖果たして実際にアトランティスが発見される日は来るのであろうか……〗                                   



【つづく】






<次回予告>

総長の考古学への熱い想いは燃え盛るばかり。

今度は◯◯◯◯だ!

総長の混沌たる妄想に歪んだ欲望に翻弄される男達の数は更に増えていく……


次回「とある教授達の困惑」

ご期待しないで下さい。

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