0010話 歴史が変わる時(1942年5月中旬~6上旬)
『1942年5月』
五月になった。
現代日本ならゴールデンウィークで長期休暇だ。
だけど、今の自分は旗艦「大和」に缶詰状態。あっ涙が……
●5月1日、「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」のためにMO機動部隊がトラック島を出撃した。
この日は、広島の柱島に停泊する連合艦隊旗艦「大和」で再び「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」の図上演習が行われた。
この図上演習は4日まで続くが、まだ作戦に反対を唱える者も少なからずいる。
ミッドウェー島を占領できたとしても補給の維持ができるのかという問題も出た。
宇垣参謀長は、補給が維持できなくなったらミッドウェー島より撤退するとの回答をしたが不満のある者もいるようだ。
機動部隊の疲弊状況から艦船の整備や将兵の休養を先に行うべきとの意見も出た。
彼らの言い分にも一理ある。しかし、ここは譲ってもらうしかない。
全ては史実通りの展開で不満のある者がいると最初からわかっていても実際に体験すると精神的になかなかきついものがある。まあ矢面に立ってくれているのは宇垣参謀長だけど。
すまないな宇垣君。
●5月3日、「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」の一環としてソロモン諸島のツラギ島を「ツラギ攻略部隊」が占領した。ここにいたオーストラリア部隊は既に撤退した後だった。
占領したツラギ島には水上機基地が設営された。
史実通りだ。
そして、このツラギ島の目の前にあるのがガダルカナル島だ。
今回の歴史ではガダルカナル島で苦戦するという事は是非とも避けたい。
●5月4日、ラバウルから「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」を行う攻略部隊の輸送船団が出航した。
同日、占領したばかりのツラギ島をアメリカの艦載機部隊が襲った。被害は軽微だ。
史実通りだが、アメリカ軍の動きは早い。
同日、ビルマで作戦中の陸軍の第三十三師団がインド国境に近いアキャブを占領した。
遂にアキャブまで来たか。
陸軍はここに諜報機関のアキャブ機関を設置しインドへの謀略戦を展開するのだが、今回の歴史ではどうなるか。
また、史実ではここアキャブに「加藤隼戦闘隊」と謳われた陸軍の飛行第64戦隊が進出しイギリス空軍と激戦を繰り広げる事になる。
できれば、海軍としても陸軍に協力してインド方面の作戦を行いたいが戦力不足だ。残念。
また、この日は5月1日から行われている「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」の図上演習において、再び自分が動いた。
今回の狙いは大がかりな計画の変更だ。
南雲機動部隊の源田参謀が「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」を中止し、その作戦を行う筈だった第2機動部隊の2隻の空母を南雲機動部隊に配属するという提案を史実通りにして来た。
第二航空戦隊司令官の山口少将も史実通りその提案に強く賛成した。
自分もこれに強く賛成したのだ。
もともと自分もこの「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」には反対だ。
戦略、戦術において戦力の集中は基本だ。
敵には空母が3隻はあると予想されている。
それに加えてミッドウェー島という不沈空母がある。
先にミッドウェー島を叩き、その後に誘き寄せた敵空母を叩く計画とは言っても、必ず敵がこちらの思惑通りに動くとは限らない。
不確定要素が常に付いて回るのが戦争だ。
主力たる南雲機動部隊の空母は4隻より6隻あった方が良い。
図上演習でも「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」はうまくは行っていなかった。
だから「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」は中止とした。
連合艦隊司令部の幕僚は渋い顔をし、南雲機動部隊の幕僚と海軍軍令部の面々は非常に驚いていた。
参謀達が作って完成していた作戦計画に、自分が口を出して大きく変更させるような事はこれまでした事がなかったからね。
しかも作戦開始まであまり日も無い。
異議も唱えられたが不退転の決意で強引に押し通した。
これを通さなきゃ南雲機動部隊は史実通り敗北してしまうだろう。
自分も必死だ。
想定される敵戦力に対し第1、第2航空戦隊だけでは戦力不足。図上演習でもその傾向が見られる。戦力の集中は基本だと正論を押し通して了承させた。
それに何時になく気迫に満ちて意見を押し通そうとする自分の姿に幕僚達は折れたのかもしれない。
「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」については海軍軍令部の提案なだけに、軍令部から来た面々はかなりの不満と異議があるようだが、「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」の後で「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」を実行するという事で、軍令部総長と話をつけると言っておいた。
一方、南雲機動部隊の面々は概ね好意的に受け止めてくれたようだ。
源田参謀の提案を受け入れた形になったのが良かったのだろう。
連合艦隊司令部も少しは自分達の話を聞いてくれるという事で、ちょっとは不満が解消されたのだと思う。
実は連合艦隊司令部の幕僚達には、先月より自分は「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」には反対であり、第2機動部隊は南雲機動部隊に合流させた方が良いと考えていると伝えてはいた。
さらに昨日の時点で渡辺参謀と黒島参謀を呼んで第2機動部隊は南雲機動部隊に合流させた方が良いと強く言っておいた。二人は反対していたが。
渡辺参謀も黒島参謀も薄々はこういう事が起きるかもしれないとは思っていただろう。
結局、連合艦隊司令長官としての採決という事で無理を押し通し、「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」は中止、第2機動部隊は南雲機動部隊に合流する事に決まった。
この変更については後で連合艦隊司令部の幕僚達にすまないがよろしく頼むと声をかけ、さらに幕僚達を個別に一人一人呼んで話しをしておいた。
皆、まだ内心に不満はあるだろうが、それで何とか丸く収まったようだ。
これで「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」で勝利する流れを作り出した。
そうは言っても、今はまだたった三つの事に過ぎない。
源田参謀の「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」を中止し第二機動部隊を南雲機動部隊に参加させるという提案を受け入れた事。
山口少将と淵田中佐の空母を中心に置いた輪形陣という提案の一部採用。
「K作戦」実施による偵察強化。
あとは、これから起こる「珊瑚海海戦」の戦訓を取り入れるのが重要だ。
それにしても問題なのは不利な条件があるという事だ。
現在、アメリカ軍に日本海軍の使用している暗号が解読されているという問題だ。
これは史実を知っているからこその知識だ。
今年の1月20日に潜水艦「伊124」がオーストラリア北部のポート・ダーウィン沖でアメリカの駆逐艦に沈められたが、その沈んだ「伊124」から暗号関係の書類が敵に回収されてしまったのだ。水深が深ければ回収できなかっただろうに残念だ。
そしてアメリカ軍による日本海軍の暗号解読が促進される。
史実における日本の「ミッドウェー海戦」敗北の第一の原因に、この暗号が解読されている事を上げる人もいる。
だが、現状では自分がそれを連合艦隊司令部で言い出してもどうしようも無い。
まさか「自分は歴史を知っている。既に我が軍の暗号は解読されている!」とは言えない。
証拠は何も提示できないのだから。
それに史実では現在使用中の暗号は5月27日には新たな暗号に更新される。
本来は5月1日に更新される予定だったが、新しい暗号書の配布が間に合っていないらしい。
ともかく史実ではアメリカ軍は5月27日から日本海軍の暗号が解読できなくなっている。
とは言え、5月26日まではアメリカ軍は暗号を解読し、それで日本海軍の作戦を知り「ミッドウェー海戦」に至っている。
厄介な状況だ。
だが「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」はそのまま行うつもりだ。
暗号が解読されていた事は不利な状況だが自分の考えるところでは心配は無い。
暗号は決定的要素では無いのだ。
それより、この解読された暗号については、そのまま破棄するのも勿体無い。
せっかくアメリカ軍が解読しているという事実を自分は知っているのだ。
これを利用しない手はないだろう。
成功するかどかはわからないが、この更新され廃棄される暗号を廃物利用してアメリカ軍に対する作戦に使おう。
その為には通信参謀に一仕事してもらおうか。
ともかく「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」が開始されるまでにやれる事はまだある。それを頑張ろう。
●5月5日、大本営が「大海令第一八号」を発令し正式に「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」と「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」が行われる事になった。
史実通りだ。
ようやく出したか遅いぞ大本営。
また、この日は史実通りフランス領のマダガスカル島北部のアンバララタ湾とクーリエ湾にイギリス軍が上陸し占領した。狙いは北端のディエゴ・スアレズ港だ。
マダガスカル島を統治するフランスのアネット総督はドイツの傀儡政権と化したビシー政権を支持している。
つまり枢軸側という事だ。
イギリスとしては、そのマダガスカル島を日本の拠点として使われる事を懸念しての作戦だ。
日本はフランス領インドシナに進駐して南方攻略戦に利用した前歴がある。
もし、マダガスカル島を日本海軍の有力な部隊が拠点として使い積極的に作戦を展開すれば、インド洋での制海権を奪われる可能性も出てくる。
そうなれば、イギリスとしては、インドとの連絡線は絶たれ、その人的、物的資源は利用できなくなるしビルマで戦っているイギリス軍への補給も滞る。
ソ連への軍事供与と中華民国への軍事援助も滞る。
アフリカ戦線への補給も速やかにはいかなくなる。
ただアフリカ戦線については、危険を冒して地中海を押し通る方法があるし、他にも陸路アフリカを横断する補給ルートが史実で実際に使われている。
ドイツと戦う事を目的としたイギリスのアフリカを横断する補給ルートというのはフランス植民地を経由したものだ。
史実では、ドイツから祖国を解放する為にフランスのド・ゴール将軍が組織した「自由フランス」に、フランス植民地の「フランス領カメルーン」と「フランス領赤道アフリカ」の総督が参加を表明する。
「フランス領カメルーン」は現代世界で言えば「カメルーン共和国」で「フランス領赤道アフリカ」は現代世界での「チャド共和国」を含む一帯だ。「カメルーン共和国」は「チャド共和国」の隣国であり大西洋ギニア湾に面している。
つまり連合国は大西洋側からアフリカ中央のチャドを経由してエジプトへと陸路で行けるようになったのだ。
史実ではカメルーンのドゥアラ港からチャドのフォール・ラミ(現代世界でのチャド共和国の首都ンジャメナの旧名)を経由してエジプトまで補給物資が運ばれている。
ただし、輸送量では船舶が主力だ。
何にせよ、マダガスカル島を枢軸陣営に積極的に利用される事をイギリスが恐れるのは当然の事だ。
ところでマダガスカル島のフランス軍は善戦した。何しろ5月7日までの戦死者はイギリス軍400人に対しフランス軍は150人だ。敵に2倍以上の戦死者を出させている。
フランス海軍も勇敢だ。何しろ仮装巡洋艦、通報艦、潜水艦の3隻が、イギリス艦隊迎撃に向かったのだ。
潜水艦は、まあわかる。
だが、仮装巡洋艦と通報艦で、戦艦1隻、空母2隻、巡洋艦2隻、駆逐艦11隻のイギリス艦隊に挑む!?
通報艦は主に植民地の警備を任務としている艦で13センチ単装砲を3門持っている程度だ。
仮装巡洋艦もまともに戦艦と撃ち合える武装はしていない。
それで逃げずに立ち向かうか。
その意気や良し!
まぁ仮装巡洋艦と潜水艦はすぐに沈められたけどね。残念。
だが、通報艦ダントルカストーは頑張った。
イギリス軍の上陸地点に突入し、その13センチ砲を撃ちまくった。
イギリスの駆逐艦の砲撃で擱座したが、それでも発砲を続けたというからその闘志は大したものだ。
全ては史実通りの展開とは言え、通報艦ダントルカストーについては、できれば連合艦隊司令長官の名で、その健闘を讃える感状を出したいぐらいだ。
それにしても日本海軍にとってマダガスカル島を補給基地として利用できれば作戦の幅が広がる。
インド洋の通商破壊戦は捗るだろう。
ついでにマダガスカル島配備のフランス軍が協力してくれれば尚更いいだろう。
これはまぁ無理だろうが。
現在の自分にはこの方面には史実通り潜水艦部隊を送る事くらいしかできない。
みすみすイギリス軍によるマダガスカル島攻略を見逃さなくてはならないとは無念だ。
イギリス艦隊が相手ならば南雲機動部隊なら鎧袖一触とばかりに勝てるだろうと思われるのに派遣できないとは。
しかし、それも仕方ない。太平洋のアメリカ軍を叩かなくては日本が危うくなる。まずはアメリカ太平洋艦隊の空母を叩かなくては。
一つ救いなのはマダガスカル島へのイギリス軍の動きは4月の南雲機動部隊のインド洋作戦に反応したもので、まずはフランス海軍が主として使用している港と航空基地を押さえる事に限定されていた事だ。
というよりもフランス軍は抵抗しないのではないかという希望的観測をイギリスは持っていたらしい。
イギリス軍は港と飛行場を押さえた後、フランスのアネット総督と休戦交渉に入るが、これが意味も無くダラダラと長引く。
仕方なくイギリス軍は新たな増援部隊をマダガスカル島に送り込み攻略戦を再開するが、それは9月になってからだった。
最終的にマダガスカル島のフランス軍が降伏するのは11月になる。
なお、このマダガスカル島攻略戦に投入されたイギリス軍部隊は本来、インド・ビルマ国境に送られ日本軍と戦う予定だった。
つまり、イギリス軍がマダガスカル島攻略に手間取った分、それはビルマの日本軍に有利に働いたという事だ。
史実でのその事情を、できれば今回の歴史ではもっと生かしたい。
それには、9月までに有力な機動部隊を派遣できればいいのだが。
何れにしろ現状では戦力が足りない。
もっと、もっと自分に空母を! と叫びたくなった。
●5月6日、フィリピンの孤立していたコレヒードル要塞に立て籠もるアメリカ軍がようやく降伏した。
史実通りだが、粘ったなアメリカ軍。
●5月7日~8日、「珊瑚海海戦」が行われた。
史上初の敵味方双方が複数の空母を投入しての戦いだ。
こちらの損害は小型空母「祥鳳」が撃沈され、空母「翔鶴」が大破した。
アメリカ軍の損害は空母「レキシントン」が撃沈、空母「ヨークタウン」が大破。
海戦で勝利はしたが損失も大きく、結局、ポートモレスビー上陸作戦は中止となった。
史実通りの展開だ。
史実通りなのは「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」を指揮し最後には中止とした第四艦隊司令官の井上中将の評判が良くない事もだ。
海軍軍令部総長も連合艦隊司令部の宇垣参謀長や他の多くの者が、その指揮と判断を批判している。
宇垣参謀長などは日誌に「祥鳳」を沈められて敗戦思想に陥ったと酷評し、積極性の無さを批判している。批判する多くの者も同様の意見のようだ。
史実の山本五十六連合艦隊司令長官も井上中将を批判しているし、井上中将本人さえも戦後に自分は戦が下手だと述懐している。
しかし、自分としては必ずしもそうとは思わない。
「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」を中止した時、既にMO機動部隊の航空戦力は半減していた。
あれ以上戦っていたらMO機動部隊の航空戦力は文字通り全滅したかもしれないし、更に味方の空母も沈められたかもしれない。
あれ以上の戦闘続行は無茶というものだろう。
それに第4艦隊は元々、軽巡洋艦3隻と駆逐艦8隻と多数の小型艦艇や特設艦や護衛艦から成っており、強力な戦力を持っているとは言い難い。
それが「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」を実行するために急遽、多くの部隊が配属されたという経緯がある。つまり短期間に寄せ集められた急造艦隊と言っていい。
作戦開始までの準備期間も短かった。
「真珠湾攻撃作戦」や「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」の場合は参加する各部隊の司令官と幕僚を集めて何度も図上演習を行っている。だが第4艦隊司令部には、そうした計画準備を余裕を持って行う事ができなかった。
主に連合艦隊司令部の事情でだ。
はっきり言えば連合艦隊司令部は「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」の計画に集中しており、「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」への注意を十分に払う事なく、作戦を第4艦隊に実行させた。戦力集中の基本を守らず第4艦隊に与えた戦力も根本的に少なすぎた。
この作戦の失敗の根本は連合艦隊司令部にあると言っていい。
つまりはこの自分の責任だ。「ミッドウェー海戦」直前までは、できるだけ歴史を変えたくないという方針の自分が、今回の歴史でもこの作戦の失敗を招いた。
だから、せめてもの罪滅ぼしに、自分は井上中将を庇う姿勢を見せた。
「井上中将の判断にも止むを得ないものがある」と。
どうやら山本長官は「武士の情け」を発揮したらしいという評判が立ったようだが。
そのうち機会があったら井上中将のところに酒でも持って行き「君は悪く無い」と話しでもしようと思う。
それはともかく「珊瑚海海戦」は史上初の敵味方が複数の空母を戦わせた海戦だ。
その戦訓を一日でも早く取り入れたいと思い、帰投中の第五航空戦隊にいる司令官の原中将と参謀をラバウルから輸送機で、こちらに逸早く帰還させるように命じた。
空母「翔鶴」と「瑞鶴」は日本に帰還するだけなので、艦長達に任せておいても問題ない。
連合艦隊司令部の幕僚達には「珊瑚海海戦」の責任追及でも吊し上げでも無いという事を強調しておいた。
●5月12日、原中将と参謀が旗艦「大和」に到着したので早速、会議を行う事にする。
連合艦隊司令部の幕僚と南雲機動部隊の幕僚の前で、海戦の状況説明をしてもらい、こちらからも質問を行った。
質問をする者達の声にはきつく咎めるような口調をする者もいたので、わざとらしく自分が一つ咳をして無言で窘めるような姿勢を見せたら改まった。ここは吊し上げの場では無いのだよ諸君。
会議で語られる中で見えてくるものは色々とあった。
敵空母の索敵に苦労した事。
護衛戦闘機無しで攻撃隊を飛ばし、敵戦闘機に迎撃されて被害が増大した事。
直衛機が少なく、またその運用に問題があり防空戦闘に苦戦した事。
機動部隊の進撃隊形に問題があり護衛艦が十分に空母を護衛できなかった事。
第4艦隊司令部からの命令が何度も反転した事。
等々問題点はかなり出て来た。
こうした問題点を改善するよう南雲機動部隊の幕僚達に指示し、特に自分からは直衛戦闘機を増やす事と索敵には二段索敵を行って索敵を密に行い、敵の発見に万全を期す事を言っておいた。
中でも2月から3月にかけて日本軍基地がアメリカ空母の空襲を受けた時に、敵空母を捕捉する事が難しく逃した事があった事も持ち出して索敵の重要性は強調しておいた。
南雲機動部隊の幕僚達は「検討します」とは言ってくれたが「実施します」とは言ってくれなかった。
それに、どうも「珊瑚海海戦」は第五航空戦隊が未熟だから不本意な結果に終わったと思っているような言動を見せる幕僚も複数いた。
これは駄目だったかもしれない。
●5月15日、ツラギ島基地から発進した「横浜航空隊」の九七式大艇がソロモン諸島東方で西に向かうアメリカ軍艦隊を発見した。空母2隻、巡洋艦4隻、駆逐艦6隻の大部隊だ。
連合艦隊司令部では、この艦隊は「珊瑚海海戦」の敗北に援軍に来た部隊ではないかと推測。暫くは南太平洋に留まるだろうと判断した。
そして「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」に敵空母は直ぐには出てこないだろうという意見が大勢を占めた。
問題なのは、この判断が南雲機動部隊の将兵にたちまち伝わり「今度は敵空母は出てこない」と楽観視させる事になった事だ。
史実通りの展開だが問題だ、これは。弛んじゃいかんよ。
それに幕僚にも将兵にも慢心が見られる。今まで勝ってばかりだから仕方ないとは言えるが。
そこで自分が、全将兵を戒めるべく訓示を行った。
それを簡単に言うと「今川義元になるべからず」だ。
つまり、戦国時代、大軍を擁しながらも油断し織田軍の奇襲を受けて桶狭間に敗れた今川義元のようになってはいかんよ、という事を言ったのだが、どこまで効果があったのやら。
どうも効き目は無いように思える。残念無念。
●5月17日、「珊瑚海海戦」で大破した空母「翔鶴」が広島の呉軍港に帰って来た。
史実通りだ。
問題はここからだ。危機感が薄いというか何というか、史実では「翔鶴」の修理が始まるのは殆ど一か月後の6月16日になってからの事となる。幾らなんでも遅すぎるだろう。
そこで今回は自分が海軍軍令部に「翔鶴」の修理を早急に行うよう、強く申し入れをしておいた。
でも効果は……無いだろうな。
●5月23日、大本営が陸軍にハワイ上陸作戦の訓練の指示を出す。
史実通りだが「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」も始まっていないのに、もうハワイ上陸作戦の訓練とは、これも海軍の戦闘力への信頼の証だろうか。
任せておきたまえ陸軍さん。
前の歴史とは違い今回の歴史では勝ってみせるよ。
負けるのは一度だけで充分だ。
●5月26日、いよいよ「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」が開始される。
サイパンよりミッドウェー島攻略部隊の中でも低速の輸送船と護衛艦が出撃した。
頑張ってくれたまえ。
●5月27日、南雲機動部隊が広島の柱島泊地より出撃した。
油断するなよ。
●5月28日、サイパン、グアムよりミッドウェー島攻略部隊の輸送船団と護衛艦隊が順次出撃を開始した。
しっかりな。
●5月29日、旗艦「大和」を含む戦艦部隊を中心とする主力部隊と、ミッドウェー島攻略部隊本隊が広島の柱島泊地より出撃した。
自分も当然、旗艦「大和」艦上にある。
ワクワクするね。
同日、「K作戦」の「伊121」「伊123」がフレンチフリゲート礁に到着する。
「伊122」は故障が発生し修理のために遅れている。
何とフレンチフリゲート礁には既に、アメリカ軍の水上機母艦がおり、給油できる状況には無いとの報告が入る。
やるなぁアメリカ軍!
楽には勝たせてくれんか。
●5月30日、「K作戦」遂行中の「伊123」は「警戒が厳重で給油の見込み無し」と再度報告して来た為、二式大艇による真珠湾偵察は中止とした。
だめだったか。暗号が解読されているとは言え、史実での第1回目の「K作戦」は行わなかったから、もしかしたらフレンチフリゲート礁も警戒してないかもしれないと期待したが、考えが甘かったか。
結局、今回の歴史では「K作戦」は一度も成功せずに終わりか。残念。
●5月31日、オーストラリアのシドニー港で特殊潜航艇「甲標的」による攻撃が行われた。
「伊22」「伊24」「伊27」の3隻の潜水艦から発進した「甲標的」3隻がシドニー港に侵入し、攻撃を行った。
戦果はオーストラリア海軍に宿泊艦として使われていたフェリーボート1隻を撃沈したに止まった。
そして「甲標的」は3隻とも戻って来る事は無かった。
同日、マダガスカル島のディエゴスワレズ湾でも特殊潜航艇「甲標的」による攻撃が行われた。
「伊16」「伊20」の2隻の潜水艦から発進した「甲標的」2隻がディエゴスワレズ湾に停泊するイギリス艦隊に攻撃を行った。
戦果は戦艦1隻を大破。タンカー1隻を撃沈する。
お見事!
だが、しかし、2隻の「甲標的」が戻って来る事は無かった。
奇しくも同じ日に「甲標的」を使った作戦が行われた。戦果はともかく全艇未帰還。
こういう報告を聞くと堪える。
この作戦後、海軍軍令部から特殊潜航艇を使用した作戦は今後実施しない方向との連絡が連合艦隊司令部に来たが無理もない。
真珠湾攻撃に続いて全艇未帰還だ。犠牲が大きすぎる。
全ては史実通りだとは言え、悲しい結果だ。
彼らの死は決して無駄にはしないぞ。
『1942年6月』
6月になった。
いよいよ勝負の月だ。
自分は歴史を変える事ができるのか……
●6月2日、ミッドウェー島を偵察した「伊168」より、同島の警戒は厳重であり、その飛行哨戒範囲は南西600浬にまで及ぶと報告が入る。
連合艦隊司令部では「K作戦」の失敗やミッドウェー島の厳重な警戒ぶりからアメリカ軍は既に我が軍の意図を察知しており、迎撃準備にあるものと判断した。
暗号解読されてるからね仕方ないね。
史実通りではあるけどね。
●6月3日、クェゼリンの第6艦隊(潜水艦艦隊)司令部が敵信傍受で、敵空母部隊がミッドウェー方面で行動中と知らせて来た。
南雲機動部隊にこの情報を転送する必要はないかと幕僚陣に問い掛けたが、通信の宛名には南雲機動部隊も入っているので、無線封鎖を破る必要は無いでしょうと言われ、知らせずに終わった。
いや、南雲機動部隊では傍受し損なってるんだけどね。
史実通りではあるけどね。
●6月4日、サイパンから出撃したミッドウェー島攻略部隊の輸送船団と護衛部隊がアメリカ軍の哨戒機に発見され、その後にB17爆撃機9機の攻撃を受けたが被害は無かった。
ちなみにこのB17の部隊はミッドウェー島から発進したもので、その戦果を重巡洋艦2隻、輸送船2隻に爆弾命中と報告しているが完全な戦果誤認だ。
この攻撃を受けたミッドウェー島攻略部隊はさらにカタリナ飛行艇4機からの魚雷攻撃を受け輸送船1隻が被害を受けるも応急処置で航行に支障は無かった。
このカタリナ飛行艇もミッドウェー島から発進した部隊だ。
史実通りの展開だが、ミッドウェー島の敵も必死だ。
この日の夜、旗艦「大和」を擁する本隊でミッドウェー北方海域に敵空母らしき電波を傍受した。
自分は南雲機動部隊に知らせてはどうかと幕僚陣に問い掛けたが、南雲機動部隊の方が敵に近く優秀な傍受班もいるから大丈夫ですと言われ、知らせずに終わった。
いや、南雲機動部隊では傍受し損なってるんだけどね。
史実通りではあるけどね。
6月3日と4日の敵空母に関する情報を本隊から南雲機動部隊に知らせなかった事については、忸怩たるものが無いわけじゃない。
しかし、幕僚陣の言う事にも一理あるというか、あちらの判断の方が正論だろう。
正か「自分は歴史を知っている。南雲機動部隊は傍受していない」とは言えない。 「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」の計画に色々と変更を加えた時には、自分の言い分の方が正論だと言い張れるた、この場面では無理だ。
あぁストレスが溜まる。
●6月5日、運命の「ミッドウェー海戦」の日がやってくる。
その結果は史実通りにはならなかった。
シーザーの名言「来た、見た、勝った」風に言えば、
連合艦隊は
行った。
戦った。
勝った。
という事になる。
戦闘経過を簡単に記そう。
6月5日、まだ夜も明けぬうちに南雲機動部隊より135機の第一次攻撃隊(ミッドウェー島攻撃部隊)が出撃した。
史実では108機だが、今回は第2機動部隊の空母2隻、「龍驤」「隼鷹」が参加しているのでその分、機数が多くなった。
とは言っても、この出撃に「龍驤」の航空隊は参加していない。
史実においても今回の歴史でもこの時、「龍驤」の航空隊は零戦部隊の他に搭載しているのは97式艦上攻撃機の部隊なのだ。
逆に「隼鷹」は零戦部隊の他に搭載されているのは99式艦上爆撃機の部隊だ。
この2隻に限れば搭載されている攻撃隊の種類は完全に色分けされているというか役割分担されていると言っていい戦力配置だ。
そのためミッドウェー島への爆撃が主任務の第一次攻撃隊へは99式艦上爆撃機を攻撃隊の主力としている「隼鷹」の航空隊が参加し、敵艦隊に備える第二次攻撃隊には97式艦上攻撃機を主力としている「龍驤」の航空隊を参加させる事になったのだ。
南雲機動部隊は第一次攻撃隊(ミッドウェー島攻撃隊)の出撃に前後して、敵艦隊の出現に備え7機の索敵機を発進させる。
ただし、そのうちの1機、「利根4号機」はカタパルトの故障で発進が30分遅れた。
第一次攻撃隊(ミッドウェー島攻撃隊)が発艦した後、敵艦隊の出撃に備え127機の第二次攻撃隊の準備が開始される。史実では103機だが、今回は第2機動部隊の空母2隻、「龍驤」「隼鷹」が参加しているのでその分、機数が多くなった。
なお、南雲機動部隊上空には各空母より3機ずつ零戦が飛び立ち警戒任務についていた。
史実では直衛機は12機だが今回は18機だ。
5月12日の会議で艦隊上空で警戒にあたる直衛の戦闘機はせめて空母1隻につき6機にした方がよいと言っておいたのだが、南雲機動部隊の幕僚に「検討します」と言われて終わっていた。
結局、直衛機は増やさなかったのだね。それに二段索敵も実施されていない。
そこまでの必要は無いと幕僚達は判断したのだろう。残念。
第一次攻撃隊(ミッドウェー島攻撃部隊)が発艦してより1時間経った頃、アメリカ軍の飛行艇に南雲機動部隊は発見される。史実通りだ。
敵に先に位置を掴まれてしまった。これは痛い。
南雲機動部隊より発艦した第一次攻撃隊(ミッドウェー島攻撃部隊)がミッドウェー島への攻撃を開始した。
アメリカ軍は旧式のバッファロー戦闘機20機とワイルドキャット戦闘機7機を出撃させて来たが49機の零戦の前には敵ではなく瞬く間に全滅した。
そしてミッドウェー島の陸上施設を爆撃により破壊する。発電所、兵舎、格納庫、対空陣地、滑走路などあらゆる物を攻撃し損害を与えた。滑走路も使用不能になった。
史実では第一次攻撃隊の指揮官が、地上施設の破壊が十分ではないとして南雲機動部隊に「第二次攻撃の要あり」と打電するが、今回は攻撃に参加した機数が多く、史実以上に地上施設に被害を与えていたため、第二次攻撃の要請がされる事は無かった。
このため史実で行われた空母で待機していた攻撃隊への対艦兵装から対陸上用兵装への兵装転換は、今回は行われなかった。
ただ、この攻撃の前にミッドウェー島に配備されていたアメリカ軍のB26爆撃機が4機、アベンジャー雷撃機6機、ビンディケーター爆撃機が11機、ドーントレス爆撃機が16機が既に出撃していた。それに加えB17爆撃機15機が夜明け前から索敵攻撃に出撃している。
南雲機動部隊より発艦した第一次攻撃隊がミッドウェー島を攻撃していた頃、ミッドウェー島を出撃したアメリカ軍機も南雲機動部隊を攻撃していた。
まずB26爆撃機4機とアベンジャー雷撃機6機が来襲したが、艦隊直衛の零戦と対空砲火により撃退される。史実通りだ。
その後、カタパルト故障により遅れて発進した索敵機「利根4号機」より「敵らしきもの10隻発見」との報が入る。しかし、これでは空母がいるかどうかわからない。
「利根4号機」に「艦種を知らせよ」の指令電が打たれた。史実通りだ。
この後、南雲機動部隊は再びミッドウェー島より出撃したアメリカ軍機の攻撃を受ける。
ドーントレス爆撃機16機が襲い掛かって来た。
しかし艦隊直衛の零戦が直ぐに迎撃に向かい半分を撃墜した。
各空母からは増援の零戦が大急ぎで発進する。
幸いな事に残りのドーントレス爆撃が緩降下爆撃を実施したが一発も命中しなかった。
実はこのドーントレス爆撃機を操縦していたパイロット達は、このドーントレス爆撃機に乗り始めたばかりで、急降下爆撃の訓練さえしていなかった。
史実通りの話だが、このパイロット達には同情してしまう。ろくに訓練も完了していないのに、ぶっつけ本番で命を賭けて精強無比な日本艦隊に挑まなくてはならなかったのだから。
太平洋戦争では、物量の多さばかりを言われる事の多いアメリカ軍たが、このように開戦半年経っても最前線たるミッドウェー島に配属されたパイロットは未熟な者が多い状況だったのだ。
この攻撃が終わった直後、今度はB17爆撃機15機が襲来した。夜明け前から索敵攻撃に出撃していた部隊だ。
高度約6000メートルから南雲機動部隊に対し高高度爆撃を行ったが1発も命中しなかった。
ちなみにこのB17の部隊は空母2隻に4発の命中弾を与えたと戦果誤認している。
この部隊は6月4日にもサイパンから出撃した日本の輸送船団と護衛部隊を爆撃した時に、重巡洋艦2隻、輸送船2隻に爆弾が命中したと戦果誤認している。
史実通りだ。
それにしても一発も当てて無いのに当てたとは、日本の大本営発表並みな事言ってるね。
この攻撃が終わった直後、今度はビンディケーター爆撃機11機が襲来した。
零戦に迎撃され艦隊に近づく事さえできず撃退されていった。史実通りだ。
こうしてアメリカ軍のミッドウェー島配備の航空機による南雲機動部隊への攻撃は何ら戦果を上げる事なく終了する。史実通りの展開だ。
この頃、史実通り「利根4号機」から「敵空母らしきもの1隻発見」との報告が入る。
史実では南雲機動部隊はミッドウェー島第二次攻撃のために対陸上用兵装をしていた機体を再び対艦兵装に兵装転換し貴重な時間を消費する事になる。
史実では兵装転換せずに攻撃に向かわせるという意見も出ていたが、護衛にあたる筈の零戦が敵機の迎撃のために緊急発進しており、その弾薬と燃料補給の必要性もあった。
さらに護衛無しでそのまま攻撃隊を向かわせるという意見も出たが、護衛無しの攻撃隊がどうなるかは、目の前でアメリカ軍機がどうなったかを見れば明らかだ。
その結果、史実では兵装転換と護衛の零戦の補給に時間を取られ、その間に敵の攻撃を受ける事になった。
そして「赤城」「加賀」「蒼龍」の3空母が撃沈されてしまう。
「一航艦戦闘詳報」(第1航空艦隊、つまり南雲機動部隊の報告書)によれば、まず空母「蒼龍」が被害を受け、次に「赤城」が攻撃され、その次に「加賀」が攻撃されたとある。
ただし、それとは異なる目撃情報や証言もあり、さらには攻撃をしたアメリカ側の記録さえも錯綜しているので、後世においても真実は不明だ。
まあ攻撃を受けた順番はどうあれ、この時の攻撃で日本は3隻の空母を失った。
それが史実だ。
だが、しかし、今回の歴史は違う。
兵装転換していないから、その分の時間は取られない。
2隻の空母が増えているので、その分、零戦も増え緊急発進した機体の他にも待機させていた機体もあり、十分とは言えないまでも護衛を付けられる。
その結果、直ぐに南雲機動部隊より待機していた第二次攻撃隊が発進した。
その数126機。当初は150機の予定だったが、敵機迎撃のため緊急発進した零戦の分少なくなった。
この「第二次攻撃隊」は、午前5時55分には艦隊上空で編隊を組み敵空母目指して飛行を開始した。
ミッドウェー島を攻撃した第一次攻撃隊はこの頃には南雲機動部隊の元に戻って来ていた。アメリカ軍機の攻撃の最中だったので少し離れた上空で待機していた。その部隊の空母への収容も行われた。
この収容は順調に行けば午前6時30分には終わる筈だった。
しかし、敵も待ってはくれない。
午前6時18分。南雲機動部隊にアメリカ軍空母の艦載機が襲いかかる。
空母「ホーネット」のデパステーター雷撃機15機だった。
幸いな事に艦隊直衛の零戦が活躍し全機撃墜した。史実通りだ。
ともかく攻撃隊の空母への収容が急がれる。
攻撃隊の収容が完了した丁度その時、再びアメリカ軍艦載機が襲来した。
今度は空母「エンタープライズ」のデパステーター雷撃機14機だった。
艦隊直衛の零戦が活躍し全機撃墜した。
史実以上の戦果だ。2隻の空母が増えたおかげで艦隊直衛機も増加した成果と言える。
午前7時にまた再びアメリカ軍艦載機が襲来した。
空母「ヨークタウン」のデパステーター雷撃機12機と護衛のワイルドキャット戦闘機6機だった。
史実では、この空母「ヨークタウン」の雷撃機隊を艦隊直衛の零戦が迎撃している隙に、空母「エンタープライズ」と「ヨークタウン」のドーントレス爆撃機隊47機が南雲機動部隊に殺到し爆撃により空母「赤城」「加賀」「蒼龍」の3隻を沈める事になる。
しかし、今回の歴史は違う。
史実では、零戦はまず護衛のワイルドキャット戦闘機を全機撃墜してからデパステーター雷撃機に向かう。その時の零戦の数は12機であり、全部で18機の敵機の方が数は多い。だからその対処にも遅れが出た。
だが、今回は空母が2隻増えている分、艦隊直衛の零戦は6機増えている。つまり零戦は18機であり敵の雷撃機とその護衛と同数であり1対1の比率となる。
その結果、どうなったか。
今回はそれほど時間を掛ける事なく敵全機を撃墜したのだ。
史実では5機に魚雷発射を許したが、今回は1機も発射させなかった。
そして直衛隊は雷撃機隊を全滅させて一安心したのも束の間、敵爆撃隊の存在に気づく。すぐに迎撃に向かった。
しかし、一歩遅かった。
敵機の攻撃開始前に阻止する事ができなかった。
空母「ヨークタウン」の爆撃隊が空母「蒼龍」に攻撃を開始した。
あと一分早ければ、直衛隊はその邪魔をできただろうが、間に合わなかった。
頼みの綱は輪形陣での艦隊防空火力。
味方の零戦に当たる事も覚悟して、猛烈な弾幕を張った。
狙われた空母「蒼龍」は回避行動に懸命だ。
急降下爆撃する機体より放たれた爆弾が次々と空母「蒼龍」を襲う。
外れた爆弾が大きな水柱を立てる。
だが、3発が空母「蒼龍」に直撃してしまった。
悪い事に命中弾の一発が「蒼龍」の甲板を貫通、格納庫で爆発した。
艦内で爆装を終え燃料満タンで出撃準備の整っていた機体が、その爆発で次々と連鎖的に誘爆を起こす。もはや手の付けられない状態だ。
そして空母「蒼龍」の艦内は火の海となった。
直衛隊は僅かな差で空母「蒼龍」への攻撃は阻止できなかった。
しかし、空母「エンタープライズ」の爆撃隊が爆撃を開始するのにはギリギリ間に合った。
次々と爆撃機を撃ち落していく直衛隊。
だが、敵「エンタープライズ」の爆撃隊の数は30機。多すぎた。一度に全機は撃墜できない。
そのため、敵数機に爆撃を許してしまう。
その爆撃機の狙いは空母「加賀」だった。
輪形陣を組む護衛艦隊から猛烈な対空砲火が浴びせられ数機が撃墜されたが、爆弾の投下に成功した機もあった。
外れた爆弾もあったが艦首と艦尾に一発づつ被弾してしまう。
爆弾の爆発により多数の死傷者が出て、大きな被害も発生したが、幸いなことに格納庫に待機中の機体に被害が及ぶ事は無く誘爆は避けられた。
こうして南雲機動部隊は二隻の空母が敵の攻撃を受け被害を受ける。
空母「蒼龍」の火災は手の付けようが無く誘爆も繰り返され沈んでいった。
空母「加賀」も大破しそれ以上の戦闘は不能になった。
こうして南雲機動部隊は手痛い打撃を蒙る。
敵爆撃機はその後、直衛機により殆どが撃墜された。
一方、敵空母攻撃の為に出撃した第二次攻撃隊は、敵空母を発見し攻撃を開始していた。
敵は第17任務部隊の空母「ヨークタウン」と重巡洋艦1隻に駆逐艦6隻だった。
既に日本軍機の襲来をレーダーで感知していたため迎撃の戦闘機を次々と発進させていたし、元々上空には12機のワイルドキャット戦闘機が警戒にあたっていた。
しかし15機の零戦が襲い掛かり次々に撃墜していく。
護衛の艦艇から激しい対空砲火が浴びせられたが、それをものともせず第二次攻撃隊の雷撃機と爆撃機、全111機が襲い掛かり激しい雷撃と爆撃を叩きつけた。
その結果、空母「ヨークタウン」は沈み、重巡洋艦も沈んだ。生き残ったのは小破した駆逐艦2隻のみという有り様だった。
また、日本軍にとっては史実通りの幸運もあった。
空母「ホーネット」から発進した爆撃隊とその護衛が、日本艦隊を発見できなかったのだ。
これは指揮官の誘導ミスが原因で誤った方向に向かってしまったからだ。
しかも最悪な事に10機いたワイルドキャット戦闘機は燃料切れで全機、洋上不時着する事に。
35機いたドーントレス爆撃機は15機がミッドウェー島に向かい、20機は母艦への帰還を目指した。
ここまでは史実通りだが、ミッドウェー島に向かったドーントレス爆撃機15機は滑走路が破壊されていたため着陸できなかった。
島では大急ぎで滑走路の修復にあたったが、その前に爆撃機の燃料が切れ全機洋上に不時着する事になりパイロットは助かったものの機体は全て失われてしまった。
この時点でアメリカに残されたのは第16任務部隊のみとなった。
空母2隻「エンタープライズ」と「ホーネット」に重巡洋艦5隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦9隻。
しかし、空母の飛行隊は酷い状況だった。
両空母の雷撃隊は既に全滅。
「エンタープライズ」の爆撃隊は30機が失われており艦にある残存数は8機。
「ホーネット」の爆撃隊は敵を発見できなかった20機が帰投中で艦にある残存数は2機。
ただ、そこまで出撃した航空隊が失われているとは司令官のスプルーアンス少将もまだ把握できていない。出撃した飛行隊の戦果に期待しその無事を祈るだけであった。
だが、しかし、今回の歴史で運命の歯車は日本に味方した。
9時20分、南雲機動部隊へ索敵機「筑摩5号機」から「敵空母発見」の報が入る。
既に帰還した第一次攻撃隊の再出撃の準備は整っている。
直ぐに攻撃隊は発艦した。
ただし、その機数はミッドウェー島を攻撃した時より大分、数を減らしている。
ミッドウェー島で損耗した分と空母「蒼龍」と「加賀」の分が参加できないからだ。
出撃したのは零戦32機、九十七式艦上攻撃機(魚雷搭載)が29機、九十九式艦上爆撃機(爆弾搭載)が30機の総計91機。
第一次攻撃隊はミッドウェー島攻撃に発艦した時には135機いたから、これまでに44機失われた事がわかる。大きな痛手だ。
なお、第二次攻撃隊はまだ帰還していない。
第一次攻撃隊が発艦して暫くして第二次攻撃隊が戻って来た。
空母「蒼龍」が失われ「加賀」は大破し着艦出来なかったので、「蒼龍」と「加賀」の飛行隊は各空母に割り振って着艦させる。
直ぐに第二次攻撃隊の再兵装と給油が開始された。
しかし、第二次攻撃隊がその日に飛び立つ事はもう無かった。
敵空母を求めて飛び立った第一次攻撃隊91機は、敵空母を追尾中の「筑摩5号機」からの誘導を受け、第16任務部隊を発見する。
敵艦隊上空には12機の戦闘機が上空警戒をしており直ぐに零戦と戦闘になる。
敵空母からも迎撃の戦闘機が発進を始める。
しかし、零戦の数が多かったおかげで、爆撃機と雷撃機は敵戦闘機に邪魔される事なく攻撃を開始する事ができた。
空母を護衛する艦艇からの対空砲火は激烈ではあったが、爆撃機と雷撃機は怯む事なく攻撃を加えたのだ。
その激しい雷撃と爆撃に2隻の空母は轟沈する。
さらに重巡洋艦1隻が沈み、重巡洋艦1隻と軽巡洋艦が中破した。
第16任務部隊は空母を失い残存艦艇はハワイへと撤退していった。
南雲機動部隊ではアメリカ軍が出撃させてきた空母の数が正確にはわからなかったので、索敵と警戒が続けられた。
しかし、以後、敵空母を発見する事は無かった。
こうして6月5日の「ミッドウェー海戦」は日本の勝利に終わった。
日本の損失は空母「蒼龍」が撃沈され「加賀」が大破。飛行機は85機が失われた。
南雲機動部隊における艦載機の総数は362機だったから約24%が失われた事になる。
痛い損失だ。
正直に言おう。
自分が予想していた以上の損害を南雲機動部隊は被った。
「勝敗は時の運」「この世に絶対は無い」「戦争に不確定要素はつきもの」といった事を、自分で口にしておきながら、心の奥底では今回の戦いでこれ程の損失を出すなどとは微塵も考えていなかった。
心の表層部分では空母の損害は小破、中破ぐらいで最悪は大破ぐらいだろうと考えていたが、その考えさえも実は自分自身への建前に過ぎず、実際には心の奥深いところでは飛行機の損失はあっても空母の損傷すら無いだろうと楽観視していた。
何せ史実の「ミッドウェー海戦」より南雲機動部隊の戦力を大幅に増強した。
艦隊上空を守る直援機も増やした。
さらには空母を守るための輪形陣も採用した。
正直、これだけしておけば南雲機動部隊は安泰だろうと思っていた。
甘かった。まさか1隻とは言え主力空母が沈められるとは。
「加賀」も修理にはかなりの日数がかかりそうだ。
頭を抱える思いだ。
アメリカ軍の損失は空母3隻と重巡洋艦2隻、駆逐艦4隻が撃沈され、重巡洋艦1隻と軽巡洋艦1隻が中破、駆逐艦2隻が小破。飛行機は艦載機が229機、ミッドウェー島配備の83機が失われた。
この失った機体の中には南雲機動部隊を攻撃したミッドウェー島配備の15機のB17も含まれている。
このB17は戦闘自体での損失は無かったが、ミッドウェー島に帰還してみれば日本軍の攻撃で滑走路が使え無い状況だった。
滑走路を修復するにも機械設備や車両が空襲で破壊されてしまった為に、全て人力でやらねばならず、かなりの時間が掛かると予想された。
この状況を無線で知らされたB17爆撃機部隊は仕方なくハワイを目指す。
しかし、いかに航続距離の長いB17とは言え、夜明け前から日本艦隊を索敵攻撃しようと飛んでいた機体に真珠湾までの2300キロ以上の距離は遠すぎた。
結局、全機燃料切れで洋上に不時着する事になり機体は全て失われる。
日本軍の知らぬうちに生じた幸運な戦果だ。
ミッドウェー島に配備されていた機体で無事だったのは洋上に着陸可能なカタリナ飛行艇の部隊ぐらいで、フレンチフリゲート礁で警備にあたっていた水上機母艦を頼りに退避し無事だった。
●6月6日、この日も南雲機動部隊は敵の新たな空母の出現を警戒しつつミッドウェー島攻略部隊本隊と輸送船団の到着を待った。
そしてミッドウェー島攻略部隊本隊と輸送船団が到着する。
●6月7日、ミッドウェー島上陸作戦が開始される。
上陸前に再び南雲機動部隊から飛び立った爆撃隊により空爆が加えられる。
さらに攻略部隊本隊による艦砲射撃が加えられた。
戦艦「金剛」「比叡」に重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦7隻による砲撃だ。
開戦初頭のウェーク島攻略失敗の反省を踏まえて徹底的な艦砲射撃が加えられた。
そして上陸作戦が開始された。
上陸部隊は陸軍の一木支隊2000名、海軍の横須賀第五特別陸戦隊1450名、呉第五特別陸戦隊1100名。
総計4550名。
対するアメリカ軍は海兵隊3000名。
アメリカ軍の抵抗は局地的には激しいものがあったものの、その日のうちに抵抗は止み生存者は降伏した。
アメリカ軍の戦死者は857名に及び負傷者も多く無傷の者は半分もいなかった。
空爆と艦砲射撃が効いたらしい。
あまりの空爆と砲撃の凄まじさに負傷者が出ただけでなく、抵抗を諦めたり、心が病んでしまった者も少なからず出たようだ。
元々アメリカ兵は精神面では日本兵やドイツ兵より弱いものがある。
史実では第二次世界大戦においてアメリカ兵が「戦闘神経症」、所謂「心的外傷」で戦闘に耐えられなくなった割合は日本兵やドイツ兵の三倍に上ったという研究結果がある。
日本の場合は科学力と物量の無さを補う為に精神面に力を入れたというのが実態なのだが。
ともかくミッドウェー島ではそうしたアメリカ兵の弱さが諸に出たのだろう。
尤も小さな絶海の孤島に完全に孤立し、救援の望みも無く、大軍に包囲され一方的に撃たれるのだから無理もない。
島にいたアメリカ兵には同情する。
自分ではそんな体験には耐えられないだろうと思う。
こうしてミッドウェー島攻略は成功した。
あとは輸送船団に待機する設営隊3000人と物資をミッドウェー島に下ろし、滑走路を速やかに修復し、必要な施設と防御施設を再建し、基地機能を急いで整える事だ。
ここには零戦21機を擁する「第6航空隊」が配備される予定だった。零戦とパイロットは「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」に分散して臨時搭載されていた。
しかし「蒼龍」に積まれていた「第6航空隊」の3機の零戦とパイロットは失われた。
「加賀」は大破した影響で電気関係に支障が出て格納庫から飛行甲板に飛行機を上げるエレベーターが動かない。しかも飛行甲板も酷い状態で発着もできない。そのためパイロットはともかく「第6航空隊」の9機の零戦が下ろせない。
仕方がないので「赤城」の零戦の機体9機を「第6航空隊」に供出する事にした。
「第6航空隊」の定数で不足する3機分の機体とパイロットについては一時的に「飛龍」から出してもらう事になった。
いずれ内地から新たにパイロットと補充機が着くだろう。
「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」が成功したので「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」が予定通り開始される。
忙しい話しだ。
その為、「第四航空戦隊」と「第四戦隊第二小隊」「第7逐駆隊」「第18駆逐隊」「第21駆逐隊」を北方に派遣した。
つまり空母「龍驤」「隼鷹」、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦10隻であり、元々「AL作戦(アリューシャン攻略作戦)」に参加する予定の部隊だ。
「龍驤」と「隼鷹」の飛行隊の損失は「加賀」と「蒼龍」の第一次攻撃隊の残存機を割り当て再編成した。
既にアリューシャン攻略部隊の輸送船団とその護衛艦隊は日本を出ている筈だ。
史実より少し遅い作戦の発動だが、きっと成功するだろう。
取り敢えず一息ついたので、ミッドウェー島の維持と絡めて暗号の問題を提起した。
5月26日まで使用していた日本海軍の前の暗号がアメリカ軍に解読されている問題だ。
旗艦「大和」で連合艦隊司令部の幕僚会議を開き、前の暗号が解読されていた可能性を指摘した。
まるで「MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)」を予期していたかのようにアメリカの空母がソロモン諸島と珊瑚海に出て来た事。
次に「K作戦」を予期していたかのようにフレンチフリゲート礁に敵艦が配備されていた事。
更に「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」を予期していたかのように既に3隻もの敵空母がミッドウェー島付近にいた事。
これらは全て偶然か?
一度や二度ならともかく、あまりにタイミングが良すぎると幕僚陣に問題を提起した。
喧々諤々の論議が起きる。
確かに偶然にしては出来過ぎているとの声が上がる一方で、確信はまだ持てないとの声も上がる。
そこで一つの案を示した。
今後、考えられるアメリカ軍の動きとしては、日本軍にハワイ攻略の足場としてミッドウェー島を使わせないようにするため、ハワイから大型爆撃機による爆撃を敢行する事が予想される。
これについては「MI作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」前から日本側でも懸念する声を上げた者がいた当然の作戦だ。
その為、ミッドウェー島の維持が難しいという声が出ていたのだ。
そこで、現在ミッドウェー島にいるアメリカ軍捕虜を使う。
ミッドウェー島の捕虜については、情報を得るための士官と負傷者は内地に送るが、無傷の兵士1000人程を島に残し滑走路の修復や施設の建設にあたらせるという事を海軍軍令部宛てに前の暗号で打電するのだ。
もし、前の暗号が実際に解読されていればアメリカ軍は1000人もの同胞への被害を憂慮しミッドウェー島への爆撃は行わないだろう。ミッドウェー島は小さくアメリカ兵に被害を与えず日本軍にだけ被害を与える事などできない。
勿論、捕虜がいる事を知っていてもハワイ防衛の大義名分のもとに爆撃を加える可能性はある。
しかし、それが他の兵士や国民に露見したらどうなるか。
最前線の孤島で戦った勇敢な兵士を見捨て爆撃を加えたなどと知れたら兵士の士気は急降下し、国民は政府と軍に怒り、共和党の政治家は責任を追及するだろう。だからそんな危険な真似はしないと思われる。
また、知っていて爆撃した場合は何れ国内にそうした何らかの反応が出るだろうから第三国を通じてそれを知る事もできるだろう。
もし前の暗号が解読されていなければ、それこそ知らぬ故という事で爆撃を行うだろうと。
既に暗号は新しい物になっているのに、古い暗号を使うのは不自然ではないかという意見も出た。
それについては暗号が更新される前からアメリカ軍による解読を疑っていた為、それを明らかにする為にも通信参謀に指示し、暗号が更新された後も、一部の部隊とは不必要な連絡を前の暗号で行わせていた事実を明らかにした。
つまり、今まで日本海軍は二つの暗号を使っていた事になる。
これまで一部ではあるが前の暗号も使っている事実があるのだから、今回使ってもアメリカ軍はそれほど不自然には思わないのではないかと。
幕僚陣は暗号について内密にこのような事が行われていた事には驚いてはいたが、最終的にはこの案には賛同し、海軍軍令部に向けて前の暗号で電文を打つ事になった。
自分としては、海軍の前の暗号が解読されている事を味方に認識させ、それを今後の作戦に利用しようという意図と、アメリカ軍のミッドウェー島への攻撃を躊躇わせようという一石二鳥の策だ。
それにしても、既に破棄された暗号で連絡するのだから海軍軍令部は驚くだろう。
そちらにまで根回しする余裕は無かったからね。
暗号の問題はそれでいいとして、実はミッドウェー島へのアメリカ軍の大型爆撃機による爆撃はそれほど心配していない。
何故ならハワイからミッドウェーまでは距離があるからだ。
真珠湾からだと片道2300キロを超える。往復だと4700キロ近くになるだろう。
そしてアメリカ軍の大型爆撃機はこの時点ではB17という事になるが、爆弾を満載した場合の航続距離はそこまで無い。爆弾の搭載量を半分にしてもミッドウェー島までは往復できない。
爆弾を搭載しないか搭載してもかなり量を減らせば往復できるが、それではリスクに効果が見合わないだろう。
これも現代日本で得た知識だからこそのもので、この時点での日本軍はB17の正確な性能は知られていない。フィリピン戦で鹵獲したB17の性能調査は今しているか恐らくこれからだろう。
つまり、自分としてはB17の爆撃の可能性は低いと判断しているのだが、前の暗号が解読されている事を幕僚陣に納得させるために引き合いに出したという事だ。
まぁ詐欺と言われても仕方ないだろう。
だが、これも勝つための策だ。
それにしても「自分は歴史を知っている、暗号は敵に解読されている」とは言えないから、幕僚陣にその可能性を指摘するのに適したタイミングを計るしかなかったが、ようやくここで公に暗号の問題を取り上げる事ができた。
まあ既に廃棄された前の暗号の事ではあったが。
そもそも、前の暗号が解読されていたからと言って「ミッドウェー海戦」では致命的とは必ずしも言えないというのが自分の持論だ。
実際、史実ではアメリカ太平洋艦隊司令部は「ミッドウェー海戦」に潜水艦を20隻以上も投入し、日本の空母を第一の目標とする事を命じていたが戦果は無しだ。
史実の空母「ホーネット」の爆撃隊も同様だ。日本の空母を見つける事ができず空しく帰投し、護衛の戦闘機は10機が燃料切れで洋上に不時着する事になった。
確かに史実では「ミッドウェー海戦」で敗北したが、それは偶然の要素が濃い。
特にドーントレス爆撃機による空母への攻撃が成功したのは、偶然にも雷撃隊との時間差攻撃となり、雷撃隊が直衛の零戦を引き付ける形になったからで、そこに計画性は無い。
だからこそ、アメリカ側にも日本に勝利する可能性があった事を指摘する声が多いのだ。
日本海軍の前の暗号を解読していても、それは勝利の絶対条件では無いという事だ。
だから、自分は「MI攻略作戦(ミッドウェー島攻略作戦)」が開始される前に、暗号解読は決定的要素では無い。心配は無いと考えていたのだ。
それにしても、前の暗号とは言え、それが解読されていたと知ったら海軍軍令部は大騒ぎになるだろう。果たしてどうなる事やら。
ともかく遂に「ミッドウェー海戦」で勝つ事が出来た。
これまでは早い時点で自分が史実を元に動けば、その後の歴史がどう変わるかわからず、下手に動いて失敗すれば史実よりも早い時期にアメリカが優勢になる可能性も考えられた。
だから「ミッドウェー海戦」までは我慢していた。
一挙にアメリカの空母を叩く機会を得る為にだ。
成功してホッとした。一安心だ。
そして遂に大きく歴史を動かした。
これで歴史の流れが大きく変わる。
日本は勝利に一歩近づきアメリカは敗北に一歩近づいた。
ここからの太平洋での戦いは大きく史実と変わる事だろう。
これまでは史実という道標があったが、段々とあてにできなくなっていく筈だ。
これからが本当の勝負だ。
あっ何か動悸が、息切れが、眩暈がする。
お、お腹も痛くなって来た。
プ、プレッシャーが……