第五幕
――私が生まれたのは、名の知れぬ土地だった。初めて目を開けたとき。私は檻の中にいた。
――私は、人の手によって、生まれながらに特殊な環境下に置かれた。人語を理解し、意思の疎通が取れてしまうばっかりに。
「それは……」
――なに。今は後悔などしていないさ。ただ――――。あの時は、まだ自分自身が整理できていなかっただけの事さ。まだ青かったのもあるだろうが。
「そっか……」
――私は、そんな自身を呪った。何故、普通に生まれて来れなかったのだろうかと。
――けれど。そんなのは、幾ら考えたところで何も変わる事はなかった。私は、十年を檻の中で過ごした。孤独だった。仲間と会う事も出来ずに、ただただ出された題に沿って物事をこなしていくだけの繰り返しだった。
――時には気が狂いそうになった。暴れた事もあった。が、檻は強靭で、幾ら暴れても折れる事も曲がる事もなかった。ただ、当てた身が傷ついていくだけだった。
――人間とは自分勝手なものだ。都合が悪くなると、さも簡単に捨てるのだ。人間達は、私が想定外の知識を蓄えた事に恐れ戦いたのだ。反逆が頭をよぎったのだろうな。彼らは、私を檻から出し、コンテナでどこぞの地へ捨て去ったのだ。これまでの事実を全てなかったかのように、簡単にだ。
ギンは過去を思い出し、怒りの咆哮を上げた。
地が轟き、木々が饗応するようにざわめき、月が漫然と輝いた。
司は、ただじっとギンの話に耳を傾けていた。
――私は、血反吐を吐く思いで生きた。狩りの仕方を知らぬ私が生き抜くのに、あの環境は厳しかった。慣れるまで、実に半年かかった。必死だったぞ。食料は見つからず、死の淵を何度行き来したことか。
ギンは、空を仰ぎ見た。
ざわわと木々が揺れるのを、ギンは懐かしむように見ていた。
――丁度、あの様な草むらだった。私が始めて野兎を捕らえたのは。感慨深いものだな。昔と今を対比すると、実に様々なものが見えて来る。それが良い物かどうかは別の話だが。
ギンは、乾いた笑いを見せた。
司は、そんなギンを静かに見つめていた。
――どんな生き物を狩ったときも、貪るように食べたものだ。あの時は毎日が必死だった。だが……希望に満ち溢れてもいたな。いつかは変わるのだと。いつかは私も上にたつのだと、野心に溢れていたものだ。
ギンは、遠い目をした。遠い昔を、希望に満ち溢れていた自分をまぶしく思うような。そんな眼差しだった。
――だが結局、上にたっても見えてくるものはあまりかわらなかった。下にいる者は虐げられ続け、狩る力が失せれば死ぬ。自然の摂理とは無常なものだと感じずにはいられなかった。そんな時だった。あやつが来たのは。
ギンの表情が険しいものに変わった。
――あやつは、私に『生きる意味が知りたいのだろう』と説いたのだ。『知りたければ、俺の元に来い』とあやつは言った。私は、もとより時間をもてあましていたからな。迷うことはなかった。あやつが私に出した条件は一つだけだった。住人達から手を上げない限り、手にかける様な事はするな、と。
「あ」
――そうだ。あやつの条件は“住人達から手を上げない限り、手にかける様な事はするな”と言うだけだ。住人達から手を上げれば、その限りではない。私はこれを待ち望んでいたのだ。元より、住人達と私は気が合わぬ。皆が恐れ戦いて忌むばかりで、何一つ面白いことがない。レオ。お前くらいだったよ、私を真っ向から迎えたのは。
「そんな凄い事じゃないよ。前も言ったけど、俺の場合、怖いって言うのがよくわかってないだけだから」
――レオはまだ“怖い”のがどう言う事か知らぬのか?
「そうだね。まだかな」
ギンはこれまでの厳しい顔を崩し、豪快に笑い始めた。
それは、初めて会った時の笑いと同じものだった。
――私にしたら、レオの方がよっぽど怖いぞ。
「どうしてさ」
――恐怖がない奴は、何をしでかすかわからない。だからこそ、本質的な怖さがある。
「そういうものなのか……」
雲が月を覆い隠した。
「明日に備えて寝ようか」
――そうだな。
「おやすみ、ギン」
夜が、深まっていく。
今日は、いつもより静かな夜だった。




