39 何かが変わるほんの少し前
すみません、やたらと会話文が多くなってしまいました。
砦へと帰って来た千花は自室で休んでいる。千花をお姫様抱っこの状態でステラが移動陣に現れたときにたまたま執事数人を連れて通りかかったコブシの目があからさまにハートマークに変わったことは、娯楽の少ない島で幼い頃から領主の娘として、あるいは巫女としてがんばってきたことに免じて許してやってほしい。
目をハートマークにしたままステラの腕に抱かれた千花を見たコブシはその顔色の悪さに気付き、ハートマークの目のままきりっとした声で執事にすぐに医師を呼ぶよう指示した。なかなか器用なお嬢様である。
医師の見立てはおそらく魔法酔いであろう、とのことであった。まさかほんとに魔法酔いなどというものがあるのかとステラはびっくりした。千花を慌てて散歩から帰ってきた莉子にまかせてステラは医師とともに廊下へと出る。
「魔法酔いとはよくあるのですか?」
「おや?…ああ、エルフの方はあまりならぬのかもしれんのう。人間では急に魔法が発現した子が、うーむ、十人につき二、三人というところかの、魔法酔いを起こすのは。魔力に慣れない子かがいきなり大量の魔法を消費したときに起こりやすい。わしは今まで四回ほど見たことがあるが、四回見たのは多い方じゃろな。急に魔法を発現する子自体が少ないのはお前さんもご承知のとおりじゃ。エルフやもともと魔力持ちがわかっている人間は幼いころから少しずつ魔力を使う練習をするからまず起こさん」
「そうですか。どれくらいで良くなりますか?」
「ひとそれぞれじゃ。もともとの魔力量とそのとき使った魔力量によるじゃろうし、体力や体質にもよるからの、一概には言えん。あの嬢ちゃんは多分一晩も寝れば元通りじゃろ。そんなにかからんかもしれん。もしも具合が悪くなったらまた呼んでくれ。ほな、バイビー」
老齢の医師は不可解な手の振り方をして医務室へと帰ってゆく。廊下の先で送ろうと一緒に歩いていた執事が変な攻撃を受けてのけぞっていた。ドラゴンボールのフュージョンのポーズで執事の脇腹を突いている、といえばわかりやすいだろうか。ただ攻撃を受けた執事はフュージョンされたというよりがきデカに死刑にされたような気分に陥っていたりすることを君にだけこっそり教えよう。
「さてさて」
ステラは考えもなく千花の自室に戻ろうと扉に手をかけたがいやいや違うだろうと手を離し、老医師とは反対の方向へと歩いていった。
千花は寝込んでいるし特にすることもないステラはなんとなく外を歩いていたのだが、なにやら気配がするので鍛錬場へと足を向けた。基本的に鍛錬場にひとがいるのは早朝だけである。日中は執事のみなさんはそれぞれお仕事で忙しいからだ。
しかし広い鍛錬場には誰もおらず、気のせいかと思ったステラの目の端に井戸の脇にしゃがみこむ執事の背中が見えた。まあ執事でないかもしれないが、この砦でみかける男性のほとんどは執事である。
「あーん、そこはー、やめてクマー」
「でも、ここですよね」
「やーめーてークーマー」
すわ!いじめか?!
と一応心配はしてみるが十中八九どころか九割九分いじめではないだろう。
「もう、だめクマー」
「我慢してください」
「どっちの意味の我慢かわからないクマー」
「わけわからないこと言ってると乱暴にしますよ」
「やさしくしてくれないといやクマー」
「じゃあやさしくしますから動かないでくださいね」
「…何やってるんですか」
背後からのあきれを含んだちょっと冷たい声に執事の背中がびくりと動いた。そっと振り返る執事の肩越しにみえたのは小さな桶に半分浸かった泡だらけのくまが一匹。
「いやん、のぞかないでクマ」
「昼間から泡風呂とは、一体何やらかしたんですか?」
「…優雅なくまライフクマ」
あさっての方向を見るアクア。
「厨房に入りこんでオレンジで遊んでたらつぶしちゃったんですよね」
やさしそうな顔立ちの執事にあっさりばらされてさっきとは違うあさっての方向にアクアは視線をずらす。
「っていうかー、うにょうにょするオレンジとかまじありえないっていうかー、超うけるクマー」
「ほうほう。で、股間をオレンジにして執事さんに洗ってもらってたんですか」
「股間とかハッキリ言うなんてひどいクマー」
そしてアクアは泡まみれのまま小さな桶を飛び出し走って逃げた。が、あっさりステラに拘束される。
「ほら、早くきれいにしてもらわないとシミになりますよ。常に股間がまだらオレンジのくまになんてなりたくないでしょう?あら、結構落ちてるじゃないですか、まだらオレンジじゃなくて薄らオレンジですね」
そう言いながらステラはつまみあげたままのアクアを執事に渡す。若い執事は苦笑しながらそれを受け取った。
「だいじょうぶですよ、オレンジはすぐに洗えばシミになりませんから。うちの弟や妹もよくやるんですよ」
「執事さんはやさしいクマ。それに比べておまえはひどい男クマ」
「自分で浄化の魔法できれいにしたらいいじゃないですか」
「基本的に使い魔は主人の出来ない魔法は出来ないクマ。どこかの使えない男が千花に何にも教えないから俺が使えない使いくまになったクマよ。…お前が俺に浄化の魔法を使えばすむクマ!!!」
しばらく不毛な言い争いを続けていた二人、正確には一人と一匹は若い執事にやんわりと諭されステラはアクアに浄化魔法をかけた。乾燥付きの浄化魔法をかけてもらったアクアはきれいになったが気持ちはおさまらないらしく、ジト目でステラをちら見しつつ執事に甘えて褪せた毛皮をブラッシングしてもらっている。
井戸のそばから移動した木陰には気持ちのよい風が吹いている。
「用がないならあっち行けばいいクマー」
無防備に若い執事に腹毛をさらしつつアクアがステラに向かってしっしとまるい手を振る。
「用はないといえばないんですがあるといえばあるんですよね」
「まわりくどい男クマ。お前きっともてない男クマ。年齢聞かれたときに「いくつに見えます?」って返すタイプクマね」
「…確かにそういう答え方をしたこともありますが」
馬鹿正直にこたえたステラの言葉に下をみたまま肩を揺らす執事。
アクアは自力でよちよちと転がり執事の膝の上で腹這いになった。今度は背中をブラッシングしろということなのだろう。
「千花はまじめクマ」
急にまじめな声でアクアが話し始めた。執事の手が一瞬だけ止まるがすぐにブラッシングを再開する。腹這いになったせいでステラの位置からアクアの顔は見えない。
「そんなまじめな人間があんなふざけた魔法で戦争なんかできるわけがないクマ。千花も千花の魔法も見世物じゃないクマ」
執事は手を止めない。
ステラはじっとしたまま黙っている。
変わらず気持ちのよい風が吹いている。
「千花は勇者になる覚悟を決めているクマ。中途半端に巻き込むくらいなら最初から巻き込むなっちゅう話クマ。千花は自分で思うより他人が思うよりずっと繊細で不器用クマ」
ステラはここで自分が何か発言をするべきだと思ったが、目の前のくまが納得するような、なにかうまいことを言える自信はまったくなかった。
「小梅は健全クマ。健全な精神と健全な肉体を持っているクマ。きっと正統派勇者になるクマ。莉子は…あの兄貴共々あそこの兄妹はちょっとおかしいところがあるからとりあえず除外クマ。アクアさんが親切ついでに教えてやるクマけど、あいつらとまともに理解しあおうとか思ったら結果バカを見るのはこっちクマよ」
そこで執事に「右の肩甲骨のあたり」とかゆいところを申告したりして、そして「うおおおお」とか気持ちよさげなうめき声をあげたりするものだから、どこまでまじめなのかいまひとつ図りかねるくまである。
「とにかく、千花には隠し事はしないでほしいクマ。真実が悲惨だろうと汚かろうとありのままを見せてやってほしいクマ。千花は『自分で』決めたいタイプクマ。自分で見極めて自分で判断して自分の責任で行動したいクマ」
「隠し事などしたつもりはないのですが」
「とりあえず遠目でかまわないから魔物の姿を見せたらいいクマ。見たこともない奴を倒せとか言われても千花みたいなタイプはどうしていいかわからなくなるクマ」
そこでアクアは腹這いのままうーんとのびをする。
「執事さん、帰るクマ」
「もうよろしいのですか」
「ありがとうございましたクマ。すっきりさわやかクマ」
ステラをそのプラスチック製の黒い瞳で一瞥すると、アクアは立ち上がった執事の胸めがけて飛び込んだ。執事は当たり前のように抱きとめるとその頭をぽふぽふと叩く。
執事は何か言いたげなステラを目で制し「わたしにすべておまかせください」みたいな笑顔を見せて立ち去った。
自分より明らかに年下の執事の態度に納得いかないような気持ちになるが、おそらく彼の思う通りにした方がうまくいくのだろうという予感もある。つまり自分が何か至らなかった。そういうことだ。
ステラは自分の目と魔法を使い周囲を確認するとローブをごそごそしながら一枚のハンカチを取り出した。右手でその端を持って振り下ろすときれいにたたまれていたハンカチがふわりと広がる。
もう一度周囲を探索し誰の気配もないことを確認するとハンカチ噛みながら「キーッ!」と奇声をあげた。もちろんハンカチを掴んだ右手の小指を立てることも忘れない。
「一度やってみたかったんですよね」
誰に聞かせるでもなくつぶやくとハンカチをきれいにたたみなおし再びローブの中へとしまう。ステラの良いところは物事をひきずらない、おそろしいくらいの切り替えの早さだろう。
ステラは何かを取り戻すべく、すっきりとした顔で先ほどアクアを連れた執事が歩いて行った方向へと歩きだした。
若い執事はシースさんの長男です。まだ見習いですが間違いなくいい男になるオーラをふりまいています。




