0 物語のはじまる前
むかしむかしのお話です。
人間やエルフやドワーフ、コロボックルに妖精やゴブリンが仲良く暮らしている大陸がありました。見た目や寿命が違っても差別などはありませんでした。
妖精とゴブリンは森の中にいて、たまに現れてはいたずらをするくらいです。大陸の東北部には山脈があり、そこから流れ出た川は綺麗な水を運びながら西や南の海につながっていました。大陸の平地にはいくつかの大きな街が出来て、森の近くには村がありました。
ある冬の日。朝は晴れていたのに昼過ぎから急に雲が出始めました。そして冬なのになまぬるい風がびゅうびゅうと吹きつけます。村人たちはなんだかおかしいなあとその日は仕事を早めに切り上げて家に帰りました。風がだんだん強くなり畑仕事を続けていた働き者も家に帰ります。やがて雷が鳴り始めました。雨も叩きつけるように土砂降りです。雷は一晩中続きました。
翌朝外に出ると雷も雨も風も止んでいましたが、空気は湿ってなまあたたかく村人たちはなんだか気分が悪くなってその日一日は家の中で過ごしました。次の日外に出ると、今までと同じからっと空気が乾燥した寒い冬に戻っていました。
一週間経った頃には気味の悪い嵐の話は村人たちの口にのぼることもほとんどなくなり、今までどおりの暮らしをしていました。
お昼になり村人たちが何人か集まって畑の横でお弁当を食べていました。ここは小さな村で畑は村の共有財産です。朝早くから働いていたのでみんなむしゃむしゃとお弁当を食べていましたがひとりが何かに気付きました。森の中から何かやってきます。目を凝らして見るとよたよたとこっちに近づいてくるのは小さなゴブリンでした。ゴブリンは森の奥で暮らしていて夜に活動します。日の光が苦手だからです。月のない夜にたまに村にやってきて鍵をかけ忘れた扉や窓から侵入してお菓子を盗んでいったり部屋中に大量の葉っぱをまいていったりするのです。
「おい、あれゴブリンじゃねえか?」
「ゴブリン?真昼間だぞ」
「でもゴブリンだろう、あれ」
最初にしゃべった男が指を差したので何人かがそちらを見ました。小さなゴブリンが確かにこちらに向かって歩いてきています。
「子どもか?」
「ああ、小さいな」
もともと小さなゴブリンですが何度か見かけたものよりも小さいような気がしました。昼間にゴブリンなど見たことありません。夜に見かけてもこっちが気付いたとわかるとあっという間に逃げていくゴブリンがこっちにやってくるのです。やがてゴブリンは男たちのもとまでやってきました。
「た、たすけてください」
小さなゴブリンはそういうとバタリとその場に倒れました。男たちはどうしたらいいかわからなくてしばらく固まっていましたが、放置しては死んでしまいそうなのでとりあえず村長の家に運ぶことにしました。いたずらばかりのゴブリンですがいたずらの程度は軽いし見殺しにするのはかわいそうすぎる気がしたからです。村長とその妻は男たちが運んできたゴブリンを見てびっくりしましたが妻がゴブリンを毛布でくるみ真っ暗な物置に寝かせました。
その日の夜、村中の者が村長の家に呼ばれました。家の中には入りきらないので家の前でみんな座っていました。そこで小さなゴブリンが話した内容はにわかに信じ難くて聞いていたみんなは困った顔をするしかありませんでした。森に何か変な生き物がいるというのです。森の中にはいろいろな生き物がいますがその中で一番変な生き物はゴブリンです。野性の獣もゴブリンを襲うことはありません。小さなゴブリンはいやな匂いがして見た目の変な生き物がゴブリン達を襲うと言うのです。小さなゴブリンははらはらと涙を流しながらその話をしました。
ゴブリンはいたずら好きです。嘘の話をしてみんなをだましているのかもしれません。小さなゴブリンはその変な生き物に襲われて仲間とはぐれ怖くてもう森には戻りたくないから人間の村にやってきたというのです。昼間に出歩いて日の光を浴びるのは危険なのにそうまでして人間の村に現れた小さなゴブリン。子どもだから危険の度合いがわからなくて日の光を浴びてまで人間をだます芝居をしているのかもしれません。みんなどこまで信じたらいいのかわかりませんでした。それは村長も同じで「明日また集まろう」といってその日は解散になりました。
ところが翌朝、今度は妖精たちが現れたのです。妖精は子どもが好きなので子どもの前には姿をあらわしますが大人の前では姿を見せません。大人になると見えなくなるのではなく、出てきてくれないだけです。その妖精たちが森に変な生き物がいるから逃げた方がいいと言いにきたのです。
村人たちは相談しました。逃げろと言われてもここに家も畑もあります。生活があるのです。村人は誰も見たことはありませんでしたが森に変な生き物がいるのならやっつけようということになりました。ゴブリンだけではなく妖精までも忠告にきたくらいですから変な生き物は強いのかもしれません。大事をとって隣の村に協力をお願いすることにしました。この村はちいさくて全部で六十人くらいしかいません。大人の男は十五人だけです。隣の村は大きくて全部で三百人位います。大人の男もたくさんいるので十人くらいは手伝いにきてくれるはずです。
村人のひとりが馬に乗って隣の村に応援を頼みに行きました。隣の村まではそこそこ距離があるので帰ってくるのは夕方くらいになるかもしれません。森に退治に行くのは明日以降になるだろうからそれまでに武器の準備をしようとしていたら隣村に行ったはずの男がすぐに帰ってきました。横に隣村の若者がいます。みんながびっくりしていると若者が馬から飛び降りて口を開きました。
「みなさんすぐに逃げてください」
みんなはもっとびっくりしました。
「おばば様が街に逃げろと言っています。うちの村ではもうみんな移動をはじめています」
おばば様は隣村に住んでいるエルフと人間を親に持つひとです。エルフほどの力はありませんが人間にはない不思議な力を持っていました。病気のときに薬草を煎じてもらったり結婚式やお葬式のときには村まで来てもらったりするのです。
「逃げろと言われても・・・・・」
村人のひとりがつぶやきました。
「森に何かいるのです。わたしたちの手には負えないようなものが。昨夜たくさんのゴブリンと妖精たちが村にやってきました。村に辿りつけずに死んだものたちもいるようです」
村長の妻はそっとまわりを見ました。小さなゴブリンの姿は見えませんでした。日の光を避けるために物置の中にいるのです。
「あの、ゴブリンが襲われたのですか?」
村長の妻は隣村の若者にたずねました。
「・・・・・ええ。怪我をしているものもいました。片腕を食いちぎられたゴブリンは今朝亡くなりました」
ひっと誰かの息をのむ音が聞こえました。理由はわかりませんが狼だって熊だって人間を襲うことはあってもゴブリンは襲わないのです。
「わかりました。すぐに全員で村を出ます。あなたはどうするのですか?一緒に行きますか?」
「いいえ、これから他の村に伝えに行ってからそのまま街へ向かって村のみんなと合流します」
「街へ行けば助かるの?」
若い娘がたずねます。
「街まで行けば領主さまがいます。エルフもいます」
若者は馬に飛び乗ると次の村を目指して行ってしまいました。村人たちはあわてて家に戻り荷物をまとめはじめました。一時間後村の広場に集合した村人たちの中に頭から麻袋をかぶらされた小さなゴブリンが村長の妻に手をひかれて立っていました。
一週間後に大陸のある街ではじまった魔物との戦いは、半年後には大陸中の者が知っている戦争に変わっていました。人間、エルフ、ドワーフやゴブリンの連合軍と魔物の戦いです。馬やドラゴンも一緒に戦いました。この大陸に住むドラゴンは知能が高くおとなしいので家畜とペットの間のような扱いを受けていました。荷物を運んだりドワーフの製鉄所で炎を吐いたり。やがて一年経ち二年が過ぎましたが戦争は終わりませんでした。連合軍は徐々に押され始めました。魔物の力が強くなっていったのです。やがて魔物の中に力の強いものがいることがわかりました。いつからかそれは魔王と呼ばれるようになりました。
戦争がはじまって五年が過ぎた頃、人間の巫女がある夢をみました。目が覚めても鮮明に内容を覚えていた巫女は夢の中で見たことをそのままやってみました。床に模様を描き祈りを捧げるのです。
明るい明るい満月の夜の翌朝、模様の真ん中にひとりの男が立っていました。見た目は人間ですが髪と瞳は漆黒でした。大陸中探してもそんな人間はいません。男は手に片刃の剣を持っていました。男の名はサダツグ、片刃の剣の名はムラマサ。サダツグは連合軍に加わりました。やがてその強さで連合軍を率いるようになり一年半後とうとう魔王を追い詰めます。激闘のすえにサダツグはムラマサを魔王の心臓に突き刺しました。ようやく魔王を滅ぼしたのです。
連合軍が歓喜の声をあげようとしたとき、魔王が動きました。心臓を貫かれながら最後の悪あがきをしたのです。お前たちを道連れにしてやると叫び、魔王はムラマサを体に刺したまま空に浮かびました。高笑いを上げながら膨張し、はじけました。魔王の体が粉々に砕け黒い雨のように連合軍にふりかかろうとしたそのとき、ドラゴンたちがいっせいにその両翼をひろげました。翼の下に連合軍の者たちを隠したのです。魔王の粉々に砕けた体はドラゴンたちに降り注ぎ、それを浴びたドラゴンの体はじゅうじゅうと音を立てて溶けました。たくさんのドラゴンたちは翼の下にたくさんの命を守りながら息絶えました。じゅうじゅうという音とドラゴンたちの悲鳴がすべて聞こえなくなったあと、翼の下から出てきた者たちは勝利の雄たけびを上げることなく静かに涙を流しました。
そのとき空に光が射し声が響きました。
『サダツグよ、そなたの願いひとつ叶えよう。元の世界に戻るか』
サダツグは異世界から召喚された人間だったのです。召喚される者はそれを引き受ける際に願いをひとつ聞いてもらえることになっていました。剣の腕や魔力を上げてもらい召喚先で活躍出来るようにです。もちろん上げてもらったからといって何でも出来るわけではありません。しかしサダツグはそれをしていませんでした。召喚される者は召喚先で使命を果たしたあと、運が良ければ元の世界に戻れると聞いていたからです。サダツグは必ず元の世界に戻りたかったので願いをとっておいたのです。実力のみで魔王を倒したサダツグは本当に強いひとでした。サダツグは願いを口にしました。
「ドラゴンに言葉を」
サダツグは元の世界に戻ることではなく、ドラゴンたちに言葉を与えてほしいと願いました。共に闘う中でドラゴンたちの知能が高いことはわかりましたし、感情があることにも気付いていたからです。そしてたったいま自らを犠牲にして多くの仲間たちを助けたドラゴンたちとこの世界で暮らしていきたいと思ったからです。
それまではきゅーきゅーと鳴くことしか出来なかったドラゴンはこのときから言葉を話せるようになりました。サダツグは「言葉を」と言っただけでしたがドラゴンは人型もとれるようになりました。人の姿とドラゴンの姿になれるのです。魔王を倒し魔物がいなくなった世界でみんなで仲良く暮らしていくはずでしたがそれは出来ませんでした。魔王が死ぬときに発生させた瘴気で大陸が汚染されてしまったのです。人間とゴブリンには何の影響もなかったのですが大陸はエルフやドワーフ、ドラゴンには暮らすのが難しい環境になってしまったのです。
戦地にならなかった大陸の西の端で身を寄せ合っていた彼らはやがてドラゴンが見つけた西の大陸へと渡っていきました。