#17
明るくなれば、見覚えのある場所を見つけられるのではないかと思っていたが、どうやら考えが甘かったようだ。木のうろを出た後、とりあえず勘に頼って歩き出したものの、エースを見つけるどころかまだ誰にも出会っていなかった。
だが、この場合は誰にも出会わない方がいいのかもしれない。エースの機転で着替えたおかげで遠目からはそうとわからなくても、近づいて言葉を交わせばソラが余所者――この国で言うところの客人であることはすぐに看破されてしまうだろう。そしてそれは、すぐに身の危険と結びつく。
「女王が決めたゲームのルール以外に何の制約もない国、か……」
まだ少し信じ難い事実を呟いて、ソラは昨日エースから教えられたことを反芻した。
「ここは不思議の国で、トランプ城に住んでる女王が治めてる。その女王が始めたのがアリスゲームで、そのゲームのルールが、アリスを殺さずに女王に差し出すこと。アリスさえ殺さなければ後はルール無用のゲームってわけだ。このゲームを勝ち抜けば女王が勝者の望むものを褒美として与える。だから参加者は必死にアリスを捕まえようとしていて、邪魔になる他の参加者を殺しても罪にはならない。……そんな危険なゲームに俺はナイフ一本で参加してるってわけか」
口に出して整理してみると、思っていた以上にとんでもない状況に置かれているのかもしれない。
朝の森の清々しい空気にはあまりに似つかわしくない単語ばかりが口をついて出てくる。
「エースはここに来るべきじゃなかったって言ったけど、俺はもうこのゲームに参加してしまってるんだ。それに、もう一度白ウサギに会うためには、きっとこのまま突き進むしかない」
自分に言い聞かせるように言えば言うほど、何かに向かって言い訳をしているような、妙に後ろめたい気持ちになっていた。だが、言い訳をしなければならないことになど心当たりはない。そもそも、ソラには後ろ暗いことなどないはずなのだ。
「そうだ。別にこれは言い訳なんかじゃない」
自分の言葉に頷くと、ソラは気分を変えようと歩調を早めた。
「それにしても、どこなんだよここ……」
辺りに視線を巡らせてみても、変わらず代わり映えのしない景色が続くだけだ。
いっそのこと、大声でエースを呼んでみようかなどとくだらないことを考えていると、ふと疑問が浮かんできた。
「そういえば、なんでエースはあんなに血相を変えて白ウサギを追っていったんだ?」
エースの口から直接白ウサギとの関係を聞いたわけではないが、あの時のエースの様子を思い出す限りただの知り合いで済ませられそうにない。
そんなことを考えて、ソラはエースと初めて会ったときのことを思い出した。
「そうだ……あの時俺は、白ウサギの言う面倒な相手の居る方向に向かってエースに会ったんだ。女王の城にいる白ウサギと騎士のエースの間に面識があってもおかしくはないし、エースが面倒な相手だったんだとしたら逃げた白ウサギをエースが追ったのにも説明がつく」
おそらくエースは白ウサギを探していてソラと出会ったのだろう。
だが、そこまでは推測できても、二人の間に何があったのかまではわからない。昨日エースが言いかけたことが、そのことに関係したりするのだろうか。
「ああ、もうわからないことだらけだ!」
今朝は目が覚めてからずっと、答えの出ない問いに悩まされてばかりいる。いい加減にうんざりして大きなため息をつくと、視界の端で何かが光った。
「なんだ?」
気になって、光が見えた方に歩を進めると、突然開けた視界いっぱいに湖が広がっていた。
「湖の水が太陽の光を反射してたんだな。それにしても……」
湖に沿って歩きながら水底をのぞき込むと、水が驚くほど澄んでいた。だが、段々と深度を増す湖の底までしっかりと視認できるのに、魚などの生き物の姿は見あたらない。水際にしゃがみ込んで袖をまくった腕を差し入れると、水はひんやりと冷たかった。
「こんなにきれいなのに、生き物の気配がまるでないのも妙な話だよな。飲めないのかな、これ」
両手の平を合わせて掬った水は、現実世界で世話になっていた水道水などより余程おいしそうに見える。それに、大量の水を見たせいか、ソラはのどの渇きを覚えていた。
よくよく考えれば、この世界に来てからというもの、ソラは何も口にしていない。どうして今までそのことを忘れていられたのかが不思議だった。
(飲んでみようかな、これ)
渇きに負けてソラがそんなことを考えたとき、
「その水はやめた方がいいね、うん」
突然、見知らぬ声がそう言った。