#10
「さあ、ここだ」
どこへ向かっているのかを聞いても「いいからいいから」の一点張りで決して答えようとしなかったエースが立ち止まったのは、森がが少し開けたところに建つ小さな家の前だった。赤みがかった茶色の煉瓦で作られた家には、木で作られた扉と窓、それに可愛らしい煙突がついている。森の入り口こそ薄暗く不気味だったものの、奥に入り込むにつれ木々の間隔が広がり、鬱蒼としていた下草も小さな花を付けた野草に変わっていたため、木漏れ日を浴びて佇む家は中から小人や妖精なんかが出て来そうな雰囲気を醸し出していた。
「あんたが住んでるのか?」
隣に立つエースを見上げながら聞くと、ソラが暗に似合わないと言っていることがわかったのか苦笑混じりの返答があった。
「まさか。俺は騎士だから城に部屋をもらってるよ。まあ、あまり帰ってはないんだけどね」
含みのある呟きにソラが眉根を寄せると、エースは「行こうか」と言っただけで、説明する気はないようだった。躊躇いのない足取りで家の前まで行くと、ソラに手招きをしてから木の扉を開ける。
「こんにちは。クローバーの3はいるかな?」
家の中に足を踏み入れつつエースが声を張り上げると、奥から「はい、ただいま」という声が返ってきた。声の高さからすると、相手は女性だろう。
そんなことを考えながらエースに続いて扉をくぐったところで、ソラは足を止めた。いや、それ以上足を踏み出せなかったのだ。というのも、この家の外装からして可愛らしい家具や食器、暖炉なんかがあるのだろうと予想していた室内が、足の踏み場もないほどに散らかっていたのだ。
きらびやかな衣装を纏ったマネキンが所狭しと並び立ち、大きな木の机の上には古風なミシンや巻き尺、型紙が散乱している。極めつけは床に広げられた色も材質も実に様々な布地の山だった。
「なんだここ……」
ソラが思わずそうこぼすと、エースがなんら驚いた風もなく答えた。
「ここは、仕立屋だよ。この国の衣装は全てここでまかなってる。と言っても、作ってるのはほとんどが女王の為のドレスだけどね」
「へえ……それにしても、いつもこうなのか?」
散らかった室内をあきれ混じりに見回すソラに「彼女、腕は確かなんだけど、片付けるのがちょっと下手……苦手みたいで」と、言い訳じみたことを呟いたエースは床に広がった布を拾い上げて立つ場所を作った。
ようやく室内に入ることができたソラが扉を閉めると、マネキンの影から小柄な女性が姿を現した。どうやら部屋の奥からドレスの波をかき分けてきたらしく、激しい運動をした後のように肩が上下している。
「お……お待たせいたしました」
なんとかそう言って顔をあげた女性は、クローバーのマークが縫いとられた黒いメイド服の裾を直して一礼した。
その挙措やきっちりと結い上げられた栗色の髪、理知的な面差しからしても几帳面そうな印象を受けるのに、部屋を片付けるのが苦手だというのがソラには意外だった。
「ソラ、彼女はクローバーの3。呼びにくいから俺はクロさんって呼んでるけどね」
メイド服の女性――クロさんを手で示しながら言ったエースに、ソラは首を傾げた。
「……くろさん?」
「そう。クローバーの3を略してクロさん」
事も無げに言ってのけるエースと、そんな紹介を聞き流しているクロさんの様子に、ソラは少し脱力した。
「ところでエース様、今日はどのような御用向きでいらしたのですか?」
二人の会話の合間をみてクロさんが口にした問いは、確かにソラも気になっていたことだった。伺うようにエースを見ると、爽やかな笑顔が返ってくる。
「今日は、ここにいるソラのために服を仕立ててもらおうと思って」
「なっ、聞いてないぞ!」
ソラが反射で声をあげると、エースはそんな反応をされる理由がわからないとでも言いたげに首を傾げる。
「大丈夫。さっきも言ったけど、クロさんの腕は確かだから」
「そうじゃなくて! ……俺はこのままでいいよ」
エースや白ウサギの服装や、この部屋に乱立するマネキンが着ている衣装を見る限り、どんな服を仕立てられるかわかったものではない。そんな不安からエースの申し出を辞退しようとしたソラだったが、エースが真剣な表情で自分を見ていることに気がついて押し黙った。
「その服は変えた方がいい。君の安全のためにも」
エースの声音は、ソラが初めて聞く真摯なものだった。
「安全のためって……どういうことだよ」
「そうだね、そのことについては外で話そう」
そう言うとエースは黙って控えていたクロさんに、ソラの採寸をするように指示した。
「ソラに似合う服を頼むよ。じゃあソラ、俺は外で待ってるから」
そう言うと、ソラに有無を言わせず背を向ける。それでも何かを言おうとしたソラだったが、結局、扉をくぐるエースの背中を黙って見送ったのだった。