あとがき
あとがき
最後まで『椅子に座りますか』を読んでくださり、本当にありがとうございました。 この物語を書き終えた今、改めて見返すと、『椅子に座りますか』という言葉は、私が最初に考えていた以上に、たくさんの意味を持つ言葉になったように思います。
物語の始まりにあったのは、満員電車の中にある、たった一つの優先席でした。 「疲れている」「座りたい」という誰にでもある感情のすぐ隣に、「それでも、この席をもっと必要としている人がいるかもしれない」という、ほんの少しの想像力を持てるか。 自分が少しだけ損をして、誰かに席を譲る。その小さな行為の中に、人間の優しさの原点があるのではないか。そんな思いから、この物語は始まりました。
そして物語が進むにつれ、「椅子」は少しずつ姿を変えていきます。 誰かより上に立つための椅子。権力者だけが座ることのできる特等席。 そして、匿名という壁に守られ、安全な場所から他人の人生へ石を投げる「観客席」という名の椅子。
問題なのは、椅子に座ることそのものではありません。 一度手に入れたその「心地よい席」を、必要な時に手放せるのか。そこから立ち上がれるのか。誰かへ譲ることができるのか。 それを根底に置きながら、私はこの物語を紡いできました。
そして本作を通して、サスペンスの奥でもう一つ描きたかったテーマがあります。 それは、「人は、誰かのために変わることができるのか」ということです。
物語の終盤、ジョウの義父である真下修造が遺した手紙に、その答えがあります。 修造は、最初から強い人間でも、立派なヒーローでもありませんでした。かつての彼は、組織の事なかれ主義という泥沼の中で、自分が正しいと思うことよりも、立場や命令を優先してしまう弱さを抱えた警察官でした。
そんな修造を、命を懸けて市民を救う「本物の刑事」へと変えたのは、一人の少年の存在でした。 理不尽な現実へ放り出されたジョウが、いつか憎しみに呑まれ、悪へ染まってしまうのではないか。そう危惧した修造は、言葉で「正しく生きろ」と説教するのではなく、自分自身の生き方を変える道を選びました。
役職が上か下か、相手が権力者か否か、自分が損をするか。 そんなことは関係ない。目の前に助けを求める命があるなら、泥水をすすってでも守り抜く。 修造が変わったのは自分のためではありません。ジョウという一人の少年を、暗闇から守るためでした。
10人がいれば、10人全員が「正しい」と賛同する生き方など、この世にはありません。 本作で描かれた「多数決による処刑」のように、顔の見えない大勢の意見に同調して生きる方が、人ははるかに簡単で、傷つかずに済みます。
それでも、目の前にいる「たった1人」を正しい道へ導きたいと願った時。 大層な言葉で言い聞かせるのではなく、自分自身が誰かを傷つけず、目の前にある命を何より大切にするという生き様を、背中で示し続けるしかない。
作中で修造が語った言葉があります。 「川の水は、泥や砂を巻き込みながらでも、決して流れを止めないから透き通って綺麗なんだ」と。
修造にとって、どんな泥水の中でも決して立ち止まることなく、自らの「流れ」を止めさせなかった原動力。 それこそが、ジョウというたった一人の息子を深く想う気持ちでした。
周りの誰に理解されなくても、自分が傷つき泥だらけになったとしても。 「この子を悪へ染めないために、目の前の命を何より大切にする」と決めたのなら、決してその行動(流れ)を止めてはいけない。 その不器用で執念のような愛だけが、濁ってしまいそうな心を綺麗に保ち、人間を根本から変える力を持っているのだと、私は信じています。
そして、修造のその真っ直ぐな生き様は、ジョウだけでなく、彼に関わった多くの人々の心を動かしていました。 作中、警察庁長官は修造のことを「『人を人として見る目』を教えてくれた生涯の恩師」と呼びます。 『警察である前に、人として“命を大事にする”ことを忘れちゃならねえ。その一つの行動が、被害者の恐怖を和らげるんだ』――長官の胸には、それを現場で行動として示し続けた修造の姿が深く刻まれていました。 復讐という泥沼に呑まれそうになった綾瀬管理官もまた、「あんなに真っ直ぐで、誰よりも命を重んじる刑事はいなかった」と彼を偲びます。
そして、その修造の想いが最も強く受け継がれていたことの証明が、作中の終盤にあります。 大鳥官房長官へ銃口を向けた綾瀬を、身を挺して止めたのは、修造ではなくジョウでした。 「俺はあなたに、殺人犯になってほしくないんだ!」 かつて理不尽な世界への憎しみに呑まれそうになっていたところを、修造に「悪へ染まらないよう」守り抜かれたジョウ。その彼が今度は、恩人である綾瀬が人殺しという「悪」に堕ちるのを必死に引き留める。 修造が人生を懸けて教えた「目の前の人間を想う優しさ」が、ジョウの中で完全に血肉となり、別の誰かの魂を救う連鎖を生み出した瞬間でした。 だからこそ、その姿を見た綾瀬は銃を下ろし、こう零します。 「血は繋がっていなくても、やっぱり修造さんの子供ですね」
さらに、その優しさは名もなき市民の心にも確かな光を残しました。 燃え盛るタワーの中で修造に命を救われた小さな男の子。修造は死の恐怖に怯えるその子へ、「お母さんの手を握って、安心させてあげなさい」と声をかけました。 ただ命を助けるだけではなく、「お母さんを守る」という役割を与えた。その不器用な優しさのおかげで、一生残るかもしれなかったトラウマは、「自分はお母さんを守れたんだ」という温かい『誇り』へと変わったのです。
修造からジョウへ。ジョウからユウへ。そして、修造が命懸けで守り抜いた人々へ。 誰か一人のために変わった人間の生き方が、また別の誰かの心を動かしていく。私はそこに、人から人へ渡されていく「泥臭いバトン」への祈りを込めました。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、本作にはいくつかの「仕掛け」を忍ばせています。
一つ目は、情報屋の「カラス(karasu)」と、その父「桜(sakura)」。 アルファベットを並べ替えると全く同じになるこの二つの名前は、偶然ではありません。咲き誇り散る桜と、死の気配を纏うカラス。「死を同じくする」という暗い宿命の繋がりです。
二つ目は、物語の中心となった兄弟、「譲」と「優」。 「自分が楽しいことを人に『譲』ってやれる『優』しさ」。二人の名前を合わせることで、本作の裏テーマである「譲る優しさ」となります。 ユウの「優」には、「優しい」と「優れている」という二つの意味を込めました。巨大な組織を翻弄する「優れた力」を持っていたユウ。しかし、そんな彼を最後に止めたのは、力ではなく、嵐の中で小さなスズメを守ろうとした彼自身の根底にあった「優しさ」でした。そして、それを最後まで信じ抜いたのがジョウだったのです。
そして最後にもう一つ。本作で繰り返し描かれてきた「七つの大罪」についてです。
サスペンス映画の金字塔『セブン』に強く影響を受け、「いつか自分なりの七つの大罪を、現代の日本社会を舞台にして描いてみたい」。そんな構想から、この物語の骨格は生まれました。
強欲、暴食、色欲、怠惰、傲慢、嫉妬。 最後まで読まれた方は、一つだけ残された「罪」にお気づきかもしれません。
ユウと仲間たちは、自分たちの指で直接「殺しのボタン」を押すことは避け続けてきました。 さらにジョウは、十五万人もの人間が「死ね」と願った郷田を救いました。嫌いな人間だから殺していいという一線を越えた瞬間、自分も特等席の彼らと同じ「椅子」に座ることになると分かっていたからです。
ジョウの「優しさ」は、確かにユウの心を変えました。ユウは国会を爆破する復讐をやめ、日下部もまた法の下で彼を逮捕して救おうとした。 しかし、ジョウが二人に「優しさ」を渡し、二人が正しい道を選んでしまったからこそ、彼らは権力という巨大な泥水に飲み込まれ、理不尽に命を落とすことになってしまった。 自分が信じ、手渡した優しさが、結果的に愛する弟と後輩を死に追いやった。そのあまりにも残酷な現実が、ジョウの中の何かを完全に壊してしまったのです。
そのジョウが。 誰よりも泥水の中でもがき、正しい道を歩もうとしたジョウが。 最後の最後で、誰も押さなかったスイッチを、ポケットの中で押します。
私は、あの最後の場面を、単純な「復讐」として描いたつもりはありません。
ジョウは部屋を出る直前、郷田に最後に問いかけました。 あの時、俺たちを助けようとしたのか、と。 郷田という人間の中に、自分がしてきたことを悔いる心はないのか。人は変われるのか。ジョウは最後まで、それを確かめようとしていました。それは、彼を生かすかどうかを決める「最後のジャッジ」でもあったのだと思います。
もし郷田が少しでも悔いる心を見せていたなら、ジョウはあのスイッチを押さなかったのかもしれません。 しかし郷田は、最後まで自分が座る「椅子(傲慢)」を手放そうとはしなかった。
あの瞬間にジョウが背負った、最後に残されていた「七つ目の大罪」が何だったのか。 ここではあえて、言葉にするのは控えます。物語の結末を見届けてくださった皆様それぞれの心の中で、その答えを見つけていただければと思います。
十五万人の殺意から彼を救った男が、半年後には自分の指で命を奪った。 もし自分が同じものを失い、正しいと信じたものを踏みにじられ、その元凶が英雄として出世していく現実を見続けたとして。それでも、「あのスイッチを押さなかった」と言い切れるのか。 私には、答えを出すことができませんでした。
人は誰かのために変わることができる。 けれど同時に、人間はそれほど強い生き物ではありません。どれだけ正しくあろうとしても、絶望に負けることがある。私は、その両方を書きたかったのです。
この物語で描きたかったのは、人間を単純に「善」と「悪」だけでは分けきれない、その危うさでした。それぞれの人間が自分なりの正義を抱え、誰かを愛し、憎み、どこかの椅子へ座り、時にはそこから立ち上がろうともがいている。それが『椅子に座りますか』という物語でした。
もし、いつかもう一度この作品を開いていただけることがあれば、第一章の優先席から振り返ってみてください。最初に読んだ時とは違う、彼らの「不器用な優しさ」と「悲しい業」、そして「椅子」の本当の意味が見えてくるかもしれません。
泥水の中を渡っていった小さなバトンが、最後まで読んでくださった皆様の心に、ほんの少しでも届いていれば、作者としてこれ以上の喜びはありません。
ここまで彼らの人生を見届けてくださり、本当にありがとうございました。 そして最後に。この物語のすべてを知った今だからこそ、あなたへ、もう一度だけ同じ問いを投げかけて終わりたいと思います。
自分だけは正しいと思える席。 誰かを安全な場所から裁くことのできる、とても心地のいい特等席。 もし、その椅子があなたの目の前にあったなら。
――あなたは、椅子に座りますか?
峰岸 昴
【次回作公開のお知らせ】
重い問いかけを残した直後で恐縮ですが、最後にお知らせをさせてください。 来たる10月14日より、新作小説『千の蕾』の公開を開始いたします。
現代で愛する人から逃げるように別れを告げた青年・辻本隼人。
彼が目を覚ました見知らぬ時代の森で、最初に目にしたものは――「自分とまったく同じ顔をした男の死体」でした。
彼は生き延びるため、その死んだ青年「新九郎」の身代わりとして、偽りの名で生きていくことを決意します。しかし、本物の新九郎を殺した暗殺者の刃は、身代わりとなった隼人にも容赦なく迫り――。
本作『椅子に座りますか』とは舞台も空気も大きく変わりますが、「人は自分の弱さと向き合い、誰かを守るためにどう変わっていくか」という根底のテーマは共通しています。
『椅子に座りますか』を最後まで見届けてくださり、本当にありがとうございました! 10月14日、また新しい物語で皆様とお会いできることを心より楽しみにしております。




