第62話「砕ける時日」
未来戦場アステリオンに踏み入れた瞬間、空気が変わった。
乾いた砂と焦げた鉄の匂い。それに混ざる、説明できない“ずれ”の感覚。
「……なんだ、この空気」
瞬が周囲を見回すと、リュカが眉をしかめた。
「空気の密度が不安定だね。時間の圧が混ざってる」
「圧……って、そんなの感じるの?」
「感じたくないけど、感じちゃうんだよねぇ」
フィアは一歩前に出て、遠くの戦場跡を見据えた。
砕けた装甲車、折れた時間塔、焼け焦げた地面。それらが“数日前”と“数時間前”の境目で混ざりあっているように見えた。
「……ここ、やっぱり破綻してる」
「破綻?」
「時の線が切れてるの。繋がるはずのものが繋がってない」
〈普通の戦場よりずっと怖い〉
瞬の背筋に冷たいものが走った。
少し離れた地点から、兵士たちの話し声が聞こえた。
「ローガン少佐! こちらの陣地は……」
「ローガン少佐! こちらの陣地は……」
「ローガン少佐! こちらの陣地は……」
三人同時、同じ口調、同じ抑揚。
「……え?」
瞬は思わず固まった。
リュカが青ざめる。
「うわ、やば……完全に同じ動きだよ。コピペみたい」
「あれ……ループの痕跡よ」
フィアが低くつぶやく。
兵士たちは同じ言葉を発し、同じ方向を指し、同じ歩幅で歩き出す。
その動きが数十秒続いたあと、ふっとばらけるように散った。
「今……見たよな?」
「見たねぇ。嫌な精度だよ、あの繰り返し」
〈目の前で起きるとこんなに不気味なのか〉
瞬は喉が渇くのを感じた。
そこへ、ローガンが無言で歩いてきた。
「見たか。これがアステリオンの現状だ」
「同じ動きを……何度も?」
「そうだ。軽度なものならまだいい。だが──」
ローガンが言葉を切った次の瞬間だった。
「ローガン少佐! こちらの──」
さっきの兵士が走ってきた。その姿が急にぶれた。
瞬の視界が揺れ、同じ兵士が“二人”に分裂した。
「えっ、ちょっと待っ──」
兵士が同じ動作を同時に取ったあと、時間が巻き戻るように一瞬で“ひとり”に重なった。
世界が一拍遅れて音を取り戻す。
「……今の、ループが発生した瞬間よ」
フィアの声が震えていた。
「やばいなこれ……」
リュカが額を押さえる。「見てるだけで頭痛くなる」
瞬も息を整えながら兵士を見た。
その兵士は膝をつき、震える手でヘルメットを押さえていた。
「……やめてくれ……もうやだ……同じ日が……同じ瞬間が……」
「おい、大丈夫か!」
ローガンが駆け寄るが、兵士はまともに話せない。
「何回……死んだ……? 何回……俺……?」
〈精神が壊れる……〉
瞬は胸がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
ローガンは歯を食いしばり、その場に膝をつく兵士の肩を強く掴んだ。
「……すまない。助けられなかった」
「ローガン……」
フィアが小さく息を呑む。
ローガンの横顔には、いつもの冷徹さがなかった。
ただ、深い悔しさだけがにじんでいた。
兵士は錯乱したままうわごとを繰り返す。
「また始まる……また……また……」
「もう喋るな。休め」
ローガンが静かに言うと、兵士は力尽きるように意識を落とした。
「これが……この戦場か」
瞬が呟くと、ローガンは振り返った。
「止めなければならない。この地獄を、必ず」
「……俺も、そう思います」
〈目の前で苦しんでる人がいるなら、逃げられない〉
瞬はローガンの瞳に宿る決意を見返した。
二人の視線が、砕けた戦場の向こうへ向いた。
砕けた地面の縁を越え、三人とローガンは慎重に前へ進んだ。
焦げた風が吹き抜け、瞬は思わず肩をすくめる。
「……なんかさ、空気がさっきより重くなってない?」
「重いというか、歪んでるね。圧が波みたいに揺れてる」
リュカは腕の計測器を叩きながらため息をつく。
「これ、まともに測れないよ。数値が跳ねすぎ」
「むしろ、そんな機械が壊れるほどヤバい場所ってことよ」
フィアの声は冷静だが、その握る銃はわずかに震えていた。
〈フィアが緊張してる……やっぱり普通じゃない〉
瞬は唾を飲み込んだ。
少し先で、うずくまる兵士がいた。
同じ姿勢、同じ揺れ方で、三人並んで。
「また……同じ動きだ」
「これ、放っておくともっと連鎖する。精神が壊れる前に止めたいのに……!」
リュカの声に焦りが滲む。
ローガンが兵士たちに近づくと、一人が突然顔を上げた。
「少佐……! また……また戻ってくる……!」
「落ち着け。今は戻っていない」
「戻ります! 必ず……! 次は……次は俺たち全員が……!」
兵士の叫びに、瞬の心臓が跳ねた。
「ローガン……これ、本当に止められるのか?」
「止める。どれだけ時間が砕けようと、必ず」
強い言葉なのに、ローガンの目には深い疲労が宿っていた。
フィアが静かに近づく。
「……あなた、本当はもっと限界よ。見ればわかる」
「限界でも動くしかない。それが俺の役だ」
「その“役”でいつか死ぬ気?」
「お前に言われる筋合いはない」
二人の距離がわずかに険しくなる。
瞬は慌てて割って入った。
「や、やめよう。喧嘩してる場合じゃないだろ」
「……そうね、ごめん」
「悪い」
リュカが肩をすくめる。
「ほらね、未来戦場って空気悪いんだよ。人間関係にまでくる」
「そんなこと言うなよ……本当に嫌な場所だなここ」
〈この戦場は、人を削る〉
瞬はそう感じていた。
だが、その時ローガンが静かに言った。
「瞬。お前はまだ迷っているか?」
「……いや、もう決めてるよ」
「俺と一緒に、この地獄を止める覚悟があるか?」
「あります。俺も……ここで苦しんでる人を放っておけない」
ローガンがわずかに目を細めた。
それは、戦場では滅多に見せない“安堵”の色だった。
「なら、行くぞ。原因を突き止める。必ずな」
「うん……必ず止める」
リュカが大きく息をつく。
「ったく、覚悟決めたなら僕もつき合うよ。どうせ帰る方法これしかないし」
「フィア、お前は?」
「最初からそのつもりよ。ここを正さないと、未来は何度でも壊れる」
四人の視線が、砕けた時の向こうへ向く。
その先には、まだ誰も踏み入れていない深部が続いている。
〈怖い。でも進むしかない〉
瞬の胸の奥で、その決意だけが確かな形を持って光っていた。




