第61話「前線の影」
ギルドの朝は、いつもの雑音で満ちていた。
資料を抱えたメリルが走り抜け、ミナトが工具を落として悲鳴を上げ、ガイルの怒号が響く。
「おい瞬! その箱、そこじゃない! 昨日も言っただろうが!」
「え、嘘、また間違えた!?」
「嘘じゃねぇよ本当だよ!」
そんなやり取りをしていると、メリルが机に肘をついてニヤリと笑ってきた。
「ねぇ瞬。最近さ、なんか空気変じゃない?」
「変って……どういう意味だよ」
「なんとなーく。“次に何か起きそう”ってやつ」
〈ちょっと嫌な予感がした〉
このギルドで“メリルのなんとなく”はよく当たる。
「まあ……落ち着かない感じはするけど」
「だよねぇ。瞬もそう思うよねぇ」
メリルがにんまりしている横で、ミナトが工具を拾いながら不安げに顔を上げた。
「ねぇ先輩。その“変な感じ”ってさ……時層の揺れとか?」
「いや、まだ断言できないけど……どうかな」
そこへ、ガイルが渋い顔でやって来た。
「お前ら。噂ばっかりしてないで手ぇ動かせ」
「ガイルさんも何か感じてるんじゃないんですか?」
「……まあ、妙に静かすぎるとは思ってる」
ガイルがそう言った瞬間だった。
ギルドの扉が、重い金属を押し開くような音を立てた。
全員が振り返る。
中に入ってきたのは──軍服の襟を立て、無駄のない足取りで歩く男。
「ローガン……?」
思わず名前を口にした瞬に、周囲がざわつく。
ローガンはいつもの無表情でカウンターに近づき、軽く顎を上げた。
「久しぶりだな。急ぎで来た」
「急ぎって……ギルドに?」
「他にどこへ来るんだ」
メリルが瞬の耳元で囁く。
「極秘の匂いするんだけど……」
「う、うん。なんか、めちゃくちゃ緊迫してない?」
ローガンは視線だけで室内をひと回ししたあと、まっすぐ瞬へ向き直った。
「状況が悪い。できれば、お前たち三人に同行してほしい案件がある」
「三人……って、俺と、リュカと……フィア?」
「そうだ」
フィアはわずかに目を伏せた。
「……やっぱり、あなたが来たってことは未来側の問題ね」
「端的に言えばそうだ」
ローガンは声を潜めるようにして告げた。
「未来戦場アステリオンで“時間のループ”が発生している」
ギルド全体が息をのんだように静まった。
〈嫌な予感は、やっぱり的中した〉
「ループ……って、同じ時間が繰り返されてるってことか?」
「詳細はここでは話せない。だが放置すれば拡大する。現場に行ける人間は限られている」
ローガンの言葉に、リュカが眉を寄せた。
「僕らを名指しってことは、技術と時層適性の両方が必要ってことだよね」
「察しが早くて助かる」
ローガンは短くうなずく。
「お前たちに依頼する。……受けてくれるか?」
瞬はすぐに答えられなかった。胸の奥に重いものが落ちた気がした。
「……少し、考えさせてくれ」
「急ぎだ。だが数分の猶予はある」
ローガンは一歩下がって待機するように壁にもたれた。
ギルドの空気がきりきりと張りつめていく。
フィアは小さくため息をつき、瞬の顔を見た。
「瞬。あなたの返事次第よ」
「わかってる……でも簡単に決断できる話じゃないだろ」
「そうね。だけど──逃げ道も多くないわ」
リュカが苦笑気味に肩をすくめる。
「まったく、未来はいつも面倒だよねぇ。でも……やらないともっと面倒になるやつだ」
〈いつもの三人の空気なのに、内容だけが重い〉
そんな感覚が瞬の胸に疼いた。
メリルが遠くから親指を立ててくる。
「行くしかないっしょ、瞬!」
「おいメリル! お前は黙ってろ!」
緊張の中で、いつもの掛け合いが少し救いになった。
瞬は、ゆっくりと息を吸った。
「……よし。話し合おう。三人で」
ギルドの隅で、三人は小さな円を作った。
ローガンは距離を取り、何も言わずに見守っている。
「……で、どうする?」とリュカが切り出した。
「どうするも何も……未来戦場アステリオンよ。普通の依頼とは違うわ」
フィアの声は静かだったが、棘みたいな緊張が滲んでいた。
「フィアは……行きたくないのか?」
「行きたくないというより、行けば“何かを見る”ことになる。それは覚悟がいるの」
「未来の……?」
「そう。“私の未来”でもある」
〈フィアがここまで慎重になるのは珍しい〉
その事実だけで、事態の重さが伝わってきた。
「でもさ」リュカが手をひらひらさせる。「この話、僕らじゃないと無理っぽいよね」
「だろうな。ローガンの言い方からしても」
「それに、時間ループが広がったらさ……放っておけないだろ?」
瞬は二人を見回し、胸の奥にある言葉を吐き出した。
「俺は……行くべきだと思う。怖いけど、ここで逃げたらもっと後悔する気がする」
「瞬らしいわね」
フィアが微かに笑った。緊張の中でも、あの柔らかい笑みだった。
「フィアは?」
「もちろん行くわ。……あなたが行くなら」
「僕も決まりだね。三人セットでしょ」
「お前ら……」
〈なんだかんだで、この三人が揃うと腹が決まる〉
瞬はそう感じた。
「ローガン」
瞬が振り向くと、軍人の視線が鋭く向けられる。
「依頼、受ける。俺たち三人で行くよ」
「決断が早くて助かる。覚悟も見せてもらった」
ローガンはそう言ってから資料ファイルを差し出した。
「詳細は移動中に伝える。出発は一時間後だ。準備を整えておけ」
「了解」
ローガンが去ると、ギルドの空気が一気にざわめき始めた。
メリルが走り寄ってくる。
「ちょっと! 本当に行くの!?」
「うん。未来戦場の調査だってさ」
「やっぱ瞬たちってさ……なんかこう、普通の依頼じゃ済まない運命じゃない?」
「本人もそう思ってるよ……」
ミナトも駆け寄る。
「せ、先輩……気をつけて! 未来戦場なんて危ない場所で!」
「ありがとう。何とかなる……と思いたい」
「思いたいで済ませないでよ!」
そんな騒がしさが逆に気持ちを軽くする。
〈怖い。でも、このギルドが背中を押してくれる〉
そんな感覚があった。
「さ、行く準備しよっか」とリュカ。
「ええ。装備点検は私が見るわ」
「俺はガイルさんに出発の報告してくる」
三人はそれぞれ動き始めた。
足取りは重いけれど、迷いはなかった。
未来戦場アステリオンへ向かうための準備。
静かな決意が、ギルドの空気の中で確かに形になっていく。




