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時層交錯ファンタジア  作者: トワイライト
第1章:ギルドと時層世界の門出

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第54話「断ち割れた境界」

 郷の入り口に立った瞬は、目の前の光景に足を止めた。そこにあるはずのない木枠と測量杭が、地面へ無造作に突き刺さっている。薄い結界が揺れているように見えるのは気のせいではなく、周囲の空気がじわりとざわついていた。胸の奥に冷たいものが落ち、思考がひとつ硬くなる。


 人の声が混じった。木箱を運ぶ人間の開発者たちが、郷の結界線すぐ手前で忙しなく動き回っている。地図を広げたまま、ここが「空白地帯」だと言わんばかりの態度で杭を打ち込んでいた。瞬の喉に薄い嫌な感触が走る。


(……許可なんて、取ってない)


 その確信が体を前へ動かした。小さく息を吸いながら足を踏み出すと、背後の空気が静かに震えた。重い気配が地を踏む音もなく近づいてくる。瞬は振り返らなくても分かった。


 シグが現れた。


 影を引くような足取りで進み出た彼の視線が、開発者たちへ向けられる。冷たさではなく、深い静寂をまとった眼差し。だがその奥には、境界を荒らされた怒りが確かに潜んでいた。


「……何をしている」


 低い声が地面を伝い、空気がわずかに軋む。開発者たちの手が一瞬止まり、振り返った顔に警戒と困惑が浮かぶ。シグの立ち姿は、言葉以上に強い圧を放っていた。


「こ、ここは記録上、未占有の土地で――」


「未占有ではない。郷の境界だ。お前たちの地図がそう書いたところで、事実は変わらない」


 静かな声音なのに、拒絶の意思ははっきりと伝わる。その一言で空気の層が薄く波打ち、瞬は思わず息を飲んだ。郷を守る力が、主の怒りに呼応しているようだった。


 開発者の一人が声を荒げようとしたその瞬間、場の緊張がさらに尖った。風もないのに測量器具の三脚が揺れ、杭が微かに軋む。境界が、拒むように震えている。


(まずい……このままだと)


 胸の奥に警鐘が刺さる。シグと人間側の距離が詰まり、どちらも一歩踏み込めば衝突は避けられない。瞬は足に力を込め、気配を裂くように前へ出た。


「シグさん……一旦、落ち着いて」


 声は震えていない。しかし緊張の幕をかすかに揺らす程度の細い響きだった。シグの視線が横に流れ、瞬を捉える。そのまなざしは冷静でありながら、奥に重い色を宿していた。


「落ち着くべきは彼らだ」


 静かに返される。その言葉に、開発者たちが反射的に身構えた。すれ違う怒りが空気の密度を濃くし、境界の揺れがさらに深まっていく。瞬は喉の奥に熱と冷えが同時に張り付くような感覚を覚えた。


 開発者の一人が一歩踏み出し、声を荒げた。言い返すというより、恐れを振り払うための反応に近い。瞬はその硬い音に胸がざわつくのを感じた。境界線の揺れがさらに強くなり、踏み込んだ足元の砂がかすかに跳ねた。


「ここは正式に申請中の区域なんだ! そっちこそ勝手に――」


「勝手に、だと?」


 シグの瞳が細くなった瞬間、空気がひとつ沈んだ。声は低いままだが、圧が鮮明に変わった。郷の気配と彼の気配が重なり、境界全体が息を潜める。


 次の瞬間、短い衝突が起きた。


 開発者の一人が身を引きながら道具を構え、シグがわずかに前へ踏み出す。触れ合うほどの距離ではないのに、二つの意志がぶつかった場所で空気が弾け、砂埃が舞った。衝撃音にも満たない、しかし確かな“衝突”の気配。


(止めないと……本当に取り返しがつかなくなる)


 瞬は息を吸い、二人の間へ踏み込んだ。足が軽く震えていたが、それを押し隠して声を出す。


「やめてください! これ以上は――!」


 強く言い放った声が、境界の揺れにかすかに溶ける。開発者たちは一瞬たじろぎ、シグも動きを止めた。その視線が静かに瞬へ落ちてくる。


「瞬。退け。これは郷の問題だ」


「郷の問題でも、人と時霊種の問題でも……争いになったら、全部が壊れる。そんなの、誰も望んでないはずです」


 強く言いながらも、胸の奥では別の痛みが動いていた。シグの表情に宿る疲労にも似た影は、長い年月の対立が染みついたものだと分かる。それを消すには、ただ止める言葉だけでは届かない。


 開発者たちの後ろでは、仲間が不安げに視線を交わし合っていた。誰もが、ここが臨界点にあることを理解している。引けば退けるが、押せば火がつく。そんな危うさが肌にまとわりついた。


 やがて、開発者のリーダー格らしい男が舌打ちをし、手にした地図を乱暴にたたんだ。


「……今日は引く。けど、この土地が誰のものかは、ちゃんと上で決めさせてもらう」


 悔しさと苛立ちを混ぜた声。そのまま仲間を促し、無断設置した道具を荒く片付け始めた。砂を払う音が、場の熱を少しだけ冷ます。


 彼らが遠ざかっていくのを確かめたあと、瞬は深く息を吐いた。境界線の揺れが徐々に静まり、郷の空気が元の厚みに戻っていく。それでも胸の奥には、重いものが沈んでいた。


 シグは開発者たちの去っていった方向をしばらく見つめてから、静かに瞬へ視線を戻した。


「……今は退いた。しかし、これは始まりにすぎん」


 その声は怒りではなく、深い確信を帯びていた。長い経験の先で掴んだ“流れ”のようなものが、その言葉の奥にある。瞬の背筋を冷たい予感が這い上がった。


(始まり……まだ、続く)


 郷の境界は静かだが、さっきまでの揺れが幻だったとは思えない。見えない亀裂が、確かにそこに刻まれたように感じられた。


 シグの言葉は、警告の形を借りた現実そのものだった。

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