第39話「城下の冷影」
王都は、遠目から見ていたときよりもずっと巨大だった。近づけば近づくほど、その輪郭は重く沈み、城壁の石ひとつひとつが積み重ねてきた時間を静かに主張していた。灰色の石造りの壁はどこまでも高く、空の色を鈍く映し返している。門の両脇には槍を構えた騎士たちが立ち、甲冑の継ぎ目が風に押されてかすかに鳴った。冷たい空気がひゅうと頬をかすめるたび、そこに張りついた緊張の層を、瞬は肌で感じ取った。
街道の土は、王都に近づくにつれて次第に締まり、地面に足を下ろすたび、落ち着いた重みが靴底から伝わる。ここは、他の時層帯とは違う。時間が安定しすぎている――そんな違和感すら覚えるほど、揺らぎがほとんどない。未来列車の中で肌にまとわりついていたざわめきは、この城壁の前では影も形もない。それが逆に、息苦しさをもたらした。
(……俺、場違いじゃないか)
自嘲のような痛みが胸を刺す。ギルド員として場に立っているはずなのに、自分の足音が妙に軽く響くのが気になって仕方なかった。門へと向かう途中、右手が自然と鞄の紐を握りしめる。汗ばむ指先の感触が、落ち着かない心をますます煽る。
門の向こうには、静まり返った広間があり、甲冑をまとった騎士たちの視線が一点に集まっているように思えた。気にしすぎだと分かっていても、視線を感じるたびに背筋がひりつく。深く息を吸い込み、気持ちを押し上げるようにゆっくりと門へ歩を進めた。
そのとき、重い扉の向こうから、規則正しい足音が近づいてきた。硬い床を踏みしめるたび、空気が一段階ずつ冷えていくように感じられる。次の瞬間、扉が重々しく開いた。
現れたのは、大柄な騎士だった。
深い青のマントが肩から落ち、その下の胸甲には王国騎士団の紋章が刻まれている。陽を受けて金属が鈍く光り、それがまるで冷たい刃のように見えた。鋼鉄を打ちつけたような硬さを帯びた瞳が、瞬を真っ直ぐ見据える。
「お前が――ギルドの者か」
言葉は短く、無駄がなく、そして刺すように冷たい。声の低さは威厳というよりも、警戒が張り付いた音だった。
「は、はい。時層ギルドの――一ノ瀬瞬です」
瞬は慌てて背筋を伸ばし、わずかに声が裏返るのを止められなかった。視線を逸らせば、そこで何かを見抜かれそうで、正面から受け止めるしかない。しかし、その目線は“評価”ではなく“観察”だった。人となりを測るのではなく、物として“危険度”を見ているような、そんな冷たさ。
男はほんのわずかに顎を引いた。肯定とも否定とも取れない、判断を保留した態度。
「王国騎士団長、グレン・バルハイトだ。……ついてこい」
名乗りも歓迎もなく、それだけを告げると踵を返した。マントが風を切り、金属の擦れる乾いた音が響く。その音の一つ一つが、瞬の心のどこかを締めつける。
(……冷たい)
そう感じた瞬間、喉の奥がひゅっと縮まった。だが、逃げるわけにはいかない。瞬は鞄の紐を握り直し、その背中を追った。
王都の内部は、外から見た荘厳さよりもさらに冷ややかだった。整然と並ぶ兵舎、等間隔に掛けられた旗、磨かれすぎて光を跳ね返す石畳。どれもが手入れされすぎていて、生活の気配を薄く感じさせる。まるで均一化された時間が、街そのものを覆っているかのようだった。
グレンは迷いなく歩く。歩幅は一定で、足音は重いが乱れがない。その背中は、話しかける余地すら与えない。時折、マントの端が揺れるだけで、表情が見えることはない。
「王都は初めてか」
急に声がした。だが、視線は向けられないまま、歩調も緩まない。
「は、はい」
「なら覚えておけ。王都では、ギルドの判断は必ずしも信用に値するとは限らん」
歩みのリズムを乱さない淡々とした声音。その無感情さに近い言い方が、返す言葉を奪っていく。
「……そう、ですか」
気の抜けた返事しか出てこなかった。自分でも情けないと思う。しかし、口の中がひどく乾いてうまく声が出ない。
「別にお前を責めているわけではない。ギルドの体質が、王国の理と異なるだけだ」
それは、謝罪でも譲歩でもない。ただの事実を述べた口調。だが、その“淡々とした距離”が瞬の胸に刺さった。
(嫌われてる……?)
そう感じた瞬、胸の奥で小さな怒りにも似た熱が芽生えた。ギルドは確かに不完全だ。失敗も多い。だが、瞬は自分の仲間たちを知っている。メリルの支えも、ガイルの覚悟も。未来列車で、自分たちがどれほど命を懸けたかも。
それを、こんなふうに一括りに拒絶されるのは――悔しい。
けれど、その感情を口にする勇気はまだなかった。唇を噛みしめ、黙ってグレンの背中を追う。
訓練場の横を通りかかった時だった。砂埃の匂いと、木剣がぶつかり合う音が、空気の張り詰めた静寂に混じって響いていた。若い騎士たちが訓練をしている姿が視界に入ると、グレンの足がほんの一瞬だけ止まった。
彼の横顔に、淡い影が差した。
普段と変わらぬ厳しい表情。だが、その目の奥に、何か言葉にならない硬さが沈んでいるように見えた。忘れようとしても忘れられない痛み――そんな気配がわずかに滲んだ。
瞬は息を呑んだ。なぜか理由もなく、その影の正体が気になった。
「……守るべきものがある者は、判断を誤れない」
その言葉は独白のように低く、小さく響いた。
「え?」
思わず問い返した瞬に、グレンは反応を見せなかった。拳をゆっくりと握り、すぐにそれを開く。その一瞬の動作に、彼の葛藤が宿っているように見えた。
しかし、次の瞬間――その気配はふっと消えた。興味を断ち切るように、また歩き始める。
「案内は以上だ。任務の詳細は後で伝える」
冷ややかな声に戻っていた。先ほどの影は、まるでなかったかのようだ。
瞬はその横顔を見つめながら、胸にわだかまりが残るのを感じた。グレンがギルドに不信を抱いている理由は、単なる偏見だけではない。彼には彼の戦場があり、失ったものがあり、守りたいものがある――そういう何かが確かにあった。
だが、その距離は埋まりそうになかった。
夕暮れが王都を赤く染め始めた頃、門の前に再び戻ってきた。騎士団の旗が風に揺れ、その影が石畳に長く伸びている。空気は冷たく、胸に入り込む風にわずかな湿り気が混じっていた。
「任務は追って伝える」
グレンは、瞬の方を見ようともせずに告げた。背筋はまっすぐで、歩幅も乱れない。その背中は、近づくことを許さない壁のように感じられた。
「……はい」
思わず握りしめた拳が、ほんの少し震えていた。悔しさなのか、不安なのか、あるいはその両方なのか、自分でも判別できない。ただ、胸の奥に火がついたような熱がくすぶっている。
グレンの背中が遠ざかる。その肩越しに揺れる騎士団旗は、冷たい風にあおられながらも、堂々と立っていた。
(……認めさせたい)
その思いが、不意に心の底から浮かび上がる。なりふり構わず戦いたいわけではない。ただ、あの背中を、いつか振り向かせたい。ギルドも、自分も、ただの「時間を乱す者」なんかじゃないと、証明したい。
胸の奥で、その決意が静かに形を成した。
夕暮れの光は弱く、王都の影は濃かった。その冷たい影の中で、瞬の小さな火は、確かに灯っていた。




