第63話「ずれた未来図」
砕けた戦場の奥へ踏み出した瞬間、フィアの足がぴたりと止まった。
風が吹いたわけでもないのに、彼女の肩がほんの僅か震えた。
「……フィア?」
瞬が隣から覗き込むと、フィアは周囲を鋭く見回した。
「……なんか、おかしいのよ。このあたりの“空気”」
「空気? また時間の圧とか?」
「違う。もっと……質的に違う」
リュカが計測器を覗き込みながら歩いてくる。
「数値はさっきよりマシになってるよ? むしろ安定して──」
「それが変なの」
フィアが切り返す。「本来、ここはもっと“荒れてる”はずなの」
〈はずって……知ってるみたいな言い方だ〉
瞬はその言葉に引っかかりを覚えた。
「前に……来たことがある、とか?」
「正確には、来た“未来”を知ってるの」
フィアはほんの少しだけ視線を伏せた。
「でも、この景色……違うのよ。細部が」
「細部って、どんな?」
瞬が近づくと、フィアは崩れた装甲車の残骸を指さした。
「この車体、本来なら“左”に倒れているはず。衝撃方向からして、その倒れ方しかしない。なのに……右」
「誤差じゃなくて?」
「誤差じゃないわ。これは因果のズレ」
リュカが目を丸くした。
「へぇ……未来ってそんな細かく覚えてるもんなの?」
「忘れようとしても忘れられない場所なのよ。ここは」
フィアの言い方が重かった。
瞬は胸がざわついた。
「じゃあ……未来が変わってるってことか?」
「……まだ断定はできない。でも、“同じじゃない”のは確か」
フィアはさらに歩きながら、もう一つの痕跡を示した。
「このあたりに、倒れた通信塔があるはずだった。けど、影も形もない」
「……無くなってる?」
「ええ。こんな風に都合よく消えるなんてありえない」
瞬の背中に冷たいものが走る。
「じゃあ本当に……未来そのものがズレてる?」
「そう考えるしかないわね」
フィアはわずかに息を吸い込み、瞬の方を真っすぐ見る。
「瞬。言わなきゃいけないことがあるわ」
「な、なんだよ急に」
「この戦場……“私が知っている未来線”と違う」
「……!」
瞬は思わず息をのんだ。
〈そんなことがあるのか〉
「違うって……どれくらい?」
「決定的に。ここは“別の時間線”のアステリオンかもしれない」
リュカが思わず口を開く。
「別時間線……? それ、もうただの戦場じゃなくて世界構造のバグじゃない?」
「バグじゃ説明できない。歴史そのものが枝分かれしている」
フィアは遠くの地平を見つめた。
「もし未来線がズレているなら……この戦場で起きたはずの出来事も、起きていない可能性がある」
「起きてない……?」
「そう。だから装甲車も通信塔も、何もかも違う」
瞬の心臓が早くなる。
「じゃあ……俺たちが今いるのは、“フィアの知ってる未来”じゃない?」
「そう。似ているけど違う。別の未来」
瞬はフィアの横顔を見た。
その表情には、覚悟と怯えが入り混じっていた。
〈未来がズレたら、彼女の記憶の意味も変わる〉
そう思うと、胸がざわつく。
「……なぁフィア。もし未来が違うとしても……俺たちは、進むしかないよな?」
「ええ。違うからこそ、確かめないといけない」
「何を?」
瞬が問うと、フィアは迷いなく答えた。
「“どこで未来が変わったのか”。そして──“誰が変えたのか”よ」
フィアはしばらく黙ったまま戦場を見つめていた。
焼けた大地が陽炎のように揺れ、その向こうに“違う未来”が滲んで見える気がした。
「……ねぇ瞬」
「ん?」
「あなたが思ってる以上に、このズレは深刻よ」
「深刻って……どれくらい?」
「未来が“別物”として成立しはじめてる。もしかしたら、もう修復不能の段階に近い」
瞬の胸がどくりと鳴った。
「修復不能……って、そんな簡単に変わるもんなのか?」
「簡単じゃない。だからこそ“誰かが意図的に動かした”可能性が高いの」
「誰かが?」
「ええ。この戦場で未来改変が起きたんじゃなくて──未来改変の結果が“この戦場に現れた”の」
リュカが額を押さえてうめく。
「うわ……めんどくさい話の匂いがするね……時間線ごといじられてるやつじゃん」
「そう。だから私の記憶と現場が完全に一致しない」
瞬はフィアの横顔を見る。
その表情は普段よりずっと硬い。
「……怖いのか?」
思わずそう聞くと、フィアは小さく息を吐いた。
「怖いわよ。当たり前でしょ。“知っている未来”が書き換わってるのよ」
「でも、お前……震えてるようには見えない」
「震えてたら困るから止めてるだけ」
〈この人は本当に強い〉
瞬はそう思った。
「フィアさぁ、未来が違うってどれくらいズレてるの?」
リュカが興味半分、不安半分で尋ねる。
「例えば──本来ならこの先に“瓦礫の丘”がある。でも今は平地」
「地形まで違うの!?」
「ええ。地形どころか……人の配置、戦闘の結果、全部よ」
瞬は思わず喉を鳴らした。
「じゃあ……未来戦争の“勝敗”すら変わってる?」
「その可能性は高いわ」
「……マジか」
「マジよ。これはもう、ただのズレじゃない。ひとつの未来が“別の未来”に差し替わっている」
リュカが息を呑む。
「じゃあさ、この戦場の異変……未来改変の“副作用”とか?」
「そう考えるのが自然ね」
瞬は息を整えながらフィアに向き直る。
「じゃあ、俺たちは何をすればいい?」
「確かめるのよ。まずは──“どの未来が正しいのか”を」
「正しい未来……?」
「そう。もし私の記憶している未来が消されているなら、その痕跡がどこかに残っているはず」
瞬はゆっくりうなずいた。
「……わかった。じゃあ探そう」
「本当にいいの?」
「いいよ。だって──」
瞬はフィアを真っすぐ見た。
「お前が知ってる未来が“ただの間違いでした”なんて、俺は簡単に信じたくない」
フィアの目がわずかに揺れた。
その反応は、戦場の風よりも小さかったが、確かに温度があった。
「瞬……あんたって本当に……」
「本当に?」
「……いや、いいわ。そういうところよ」
リュカが苦笑する。
「まあ、瞬が言うなら僕も乗るよ。“どっちの未来が本物か”って楽しそうだし」
「楽しそうではないけど……でも進むしかないか」
フィアは深く息を吸い込んだ。
「覚悟を決めるわ。未来が書き換わっているなら──その理由を、必ず突き止める」
瞬もうなずく。
「うん。俺も行く。未来がズレてるなら、その真相まで」
二人の視線が、まだ歩いていない戦場の深部へと向く。
そこにあるのは未来の“答え”か、それとも“破綻”か。
〈どっちだろうと、踏み込むしかない〉
瞬の胸に、その覚悟だけが静かに宿った。




