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時層交錯ファンタジア  作者: トワイライト
第1章:ギルドと時層世界の門出

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第18話「影を裂く気配」

 記録庫の前の空気が、おかしくなっていた。


 さっきまで廃都を満たしていた乾いた風が、ここだけ妙におとなしい。建物の隙間を抜けてきたはずの風は、記録庫の手前で途切れ、砂埃だけが足元で小さく渦を巻いている。


 地面には、かすかに新しい跡があった。


 崩れた石畳の上を、誰かが踏みしめた足跡。瓦礫に付いた古い埃とは違う、薄い筋が一本、扉へ向かって延びている。それは完全にくっきりしているわけではなく、光の加減でしか見えないほど微かだが――一度気づいてしまうと、目が離せなかった。


 瞬は、喉の奥がひゅっと細くなるような感覚を覚えた。


(……誰か、入ってる)


 胸の中で浮かんだ言葉が、そのまま重さになって胸骨の裏側に沈む。


 視線を上げると、記録庫の扉が見えた。厚い金属と石で作られた重い扉。さっき、出るときには確かにフィアが鍵を確認して、ぴたりと閉めていた。そのはずなのに――今、その扉は、わずかに口を開けている。


 隙間からは、光がほとんど漏れてこない。内部の灯りは落とされているのか、それとも……。


「……フィアさん」


 呼びかけると、すでに彼女は動いていた。


 フィアは足を止め、腰に下げた武器へ自然な動きで手を添える。指が安全装置に触れ、わずかに角度を確かめる仕草。その横顔は、いつもの冷静さを保ったまま、目だけが鋭く細められていた。


「瞬」


 低く呼ばれ、瞬は肩を震わせる。


「う、うん」


「後ろに」


 短い指示。そこに迷いはひとかけらもなかった。


 言われるままに、瞬は一歩下がる。フィアの背中が、視界の大半を占めた。細身の体躯なのに、その背中はやけに大きく見える。そこに「壁」としての意志があるからだ、と瞬は思った。


 息を吸う音が、自分でも驚くほど大きく響いた。


 世界が、静か過ぎる。


 遠くの瓦礫が崩れる音も、さっきまで聞こえていたはずの風の唸りも、今はどこにもない。聞こえるのは、自分とフィアの呼吸音、それから――どこかで、硬い何かが触れ合う「カラン」という微かな音。


 金属が、何かに当たった。そんな響き。


 フィアの肩が、ほんのわずかに硬くなったのが分かった。


「……嫌な静けさだね」


 彼女はぼそりと呟き、扉の隙間に指先をかける。


「さっき閉めたのは、私。鍵もかけた。ってことは――」


「誰かが、あとから開けた」


「そういうこと」


 振り向きもせずに言い切ると、フィアは一気に扉を押し開けた。


 重い金属の軋みが、静けさを裂く。瞬は思わず肩をすくめながら、その背を追った。


 記録庫の中は、冷たかった。


 地上よりも一段低い場所にあるその空間は、外の熱気から切り離されている。石の床が冷気を蓄え、空気は乾ききっているはずなのに、どこか湿り気のある匂いが鼻をついた。古い紙とインクと、長い時間の積み重ねが混ざった匂い。


 そして、その匂いの中に、微かな「乱れ」があった。


 視界に飛び込んできたのは、散乱した資料だった。


 高く積まれていた書類の山が崩れ、床に紙束が広がっている。棚から引き抜かれたらしい箱が開いたまま放置され、中身の紙片が半ば飛び出している。縛ってあった紐は途中でちぎれ、床の上にだらしなく垂れていた。


「……やられたね」


 フィアが低く言う。


 その声に怒りの色は薄い。どちらかというと、事実を確認するための静かな発音だった。


 瞬は、胸のざわつきを抑えきれずに足を踏み入れた。靴裏が紙を踏んでしまわないよう慎重に歩きながら、崩れた資料の中身をちらと見る。


 リエールの地図。断片的な時層変動の記録。崩落当時の目撃証言の抜粋。――ここには、あの都で何が起きたのかを示す「断片」が山のように眠っている。


 それが、乱暴に引っかき回されていた。


(誰かが、探した。……何かを、狙って)


 喉がひりつく。さっき、ここで三人と一緒に資料を漁ったときの記憶が、鮮明に蘇る。瞬に似た赤ん坊の記録。塗りつぶされた名前の欄。あれも、この棚のどこかに戻したはずだ。


 床に散らばった紙の上を、黒い跡が横切っていた。


 足跡は一人分。サイズは大人のもの。靴底の形は、軍靴とも作業靴とも違う、軽量なブーツのような跡。紙の上だけでなく、床の埃の上にも、薄く痕跡が残っている。


 足跡は棚の奥へ続き――そして、ある場所で途切れていた。


 その先には、壁際の影があるだけだ。


「瞬」


 フィアが、短く彼の名を呼んだ。


 彼女は散乱した資料の中から、ある束を拾い上げていた。紐が破れたままのその束は、崩落の前後数日間に限定した記録だったはずだ。そこに挟まれていたはずの、いくつかの紙片が、抜け落ちている。


「リエールの中枢部の記録……ごっそり抜かれてる。やり方は手慣れてるし、目的もはっきりしてる」


 紙束をぱらぱらとめくりながら、フィアは淡々と状況を整理していく。


「資料の山全部を荒らしたんじゃない。欲しいところだけ正確に抜いてる。探る時間も、あまりかけてないはず。ここまで静かだったってことは、数分前まで作業してた可能性もある」


 瞬は、唾を飲み込んだ。


 喉の奥を通る音が、やけに大きく感じる。


「じゃあ……」


「まだ近い」


 フィアの声が、低く落ちる。


「この静けさ、散らかし方、踏み跡の新しさ。全部合わせると――逃げられていないか、逃げきろうとしているか、どっちか。どっちにしても、放っとく選択肢はない」


 彼女は資料束を机に戻し、視線だけで瞬を捉える。


「走れる?」


「え、えっ!?」


 唐突な問いに、情けない声が裏返った。


「走、るって――」


「敵を追うんだよ」


 フィアの口元に、かすかに皮肉げな笑みが浮かぶ。


「怖いなら、怖いままでいい。膝が笑うなら、そのまま笑わせときな。あとで後悔するよりマシ」


 そう告げると、彼女は迷いなく駆け出した。


 床板を蹴るブーツの音が、記録庫の静寂を切り裂く。瞬は一歩遅れて、その背を追いかけるように走り始めた。散らばった紙が足元でひらひらと揺れ、二人の後ろへ舞い上がる。


 棚と棚の間の通路を抜けるたびに、空気の温度が微妙に変わっていく気がした。誰かの残した熱と、時間の流れの乱れとが、混ざり合っている。


(間に合ってくれ――)


 そう祈りながら、瞬は前を走るフィアの背中を見つめ続けた。


 侵入者は、思っていたよりも近くにいた。


 棚の並びが途切れ、少しひらけた空間に出た瞬間――そこに「いた」のは、影だった。


 最初、瞬は本当にただの影だと思った。


 記録棚がつくる暗がり。その縁に、光を吸い込むような黒が、しんと佇んでいる。灯りは天井からぶら下がるランタンだけで、そこまで特別に暗いはずではない。それなのに、その一点だけは、光がすべて飲み込まれているように見えた。


 影が、動いた。


 黒が、輪郭を持ち始める。肩の線。腕の線。長い外套の裾。顔のところには仮面のようなものがあり、光を反射しない材質が表情を完全に覆い隠していた。


 手には、一束の記録が握られている。


 見覚えのある背表紙。リエール崩落に関する、もっとも核心に近い記録の束。


「――っ」


 瞬は、喉が勝手に音を上げるのを感じた。


 声にはならなかった。空気を吸い込む前に、胸がきゅっと締めつけられたからだ。


 フィアの反応は速かった。


 彼女は一瞬で瞬との間合いを詰め、その前へ身を滑り込ませる。武器はすでに手の中にあり、侵入者――黒衣の人物――へ向けて構えられていた。視線は射抜くように鋭く、その全身から「敵を前にした兵士」の空気が立ち上る。


 空気が、止まった。


 記録庫内の冷気が、一瞬だけ凍りついたように感じられる。音がすべて吸い込まれ、世界には三つの呼吸だけが残った。


 黒衣の人物が、ゆっくりと顔を上げる。


 仮面の奥の視線は見えない。なのに――確かに「視線」を感じた。自分の方をまっすぐ見ている、刺すような意識。


 その口元が、微かに動いた。


「……遅かったね、瞬」


 低く落ち着いた声だった。


 耳に届いた瞬間、瞬の全身が凍りついた。


 自分の名前が、呼ばれた。


 ギルドの仲間でも、依頼人でも、知り合いでもない。素顔の見えない侵入者の口から、当たり前のように。


「な……」


 喉がうまく動かない。


「なんで、俺の名前……」


 言葉の続きは、口の中で崩れた。


 黒衣の男――ノワールは、少しだけ首を傾げるような仕草をした。仮面に刻まれた無表情な線は変わらない。それなのに、なぜかその仕草には余裕があった。古い知人にでも会ったかのような、奇妙な馴染み深さ。


 フィアの気配が変わる。


 彼女は一歩前へ出て、瞬との距離をさらに広げた。その身体が、完全に瞬を覆い隠す位置取り。武器の先端が、ノワールの胸元へ向けられる。


「名前を呼ぶな」


 フィアの声は、氷のように冷たかった。


「その資料を置いて、今すぐここから出て行け」


 ノワールは、すぐには答えなかった。


 彼は片手に持っていた記録束を、指先で軽く持ち上げて見せる。まるで、それがただの玩具であるかのように。


「ずいぶん、物騒なお出迎えだね」


 くぐもった声に、薄く笑いの気配が混じる。


「ここまで深く入り込めた時点で、もう少し歓迎してくれてもいいと思うんだけど」


「歓迎されたいなら、鍵を壊さずにベルでも鳴らして来るんだね」


 フィアは一歩も引かない。


「それはそうと、その資料はこの都の死者が残した“遺言”だ。勝手に持ち去る権利は誰にもない」


「遺言、ね」


 ノワールは、仮面の奥で笑ったようだった。


「いい表現だ。じゃあ、その遺言を読む権利が、君たちにだけあると思ってる?」


 その問いに、フィアは答えない。


 沈黙が、刃のように張り詰める。


 ノワールは、その沈黙を愉しむように、仮面の向こうで息を吐いた。


「まあ、いい。ここで時間を使うつもりはなかった」


 そう言って、ほんの少しだけ顔の向きを変える。


 仮面の黒い表面が、瞬の方を向いた。


 視線の感覚が、直接肌を刺した。


 瞬は、足が半歩だけ後ずさるのをどうしても止められなかった。


 距離は、まだ十数歩あった。


 だが、その距離は、意味を持たないように感じられた。ノワールが本気を出せば、数呼吸のうちにここまで来られるだろう。そう予感させるだけの「速度」が、彼の立ち姿から滲み出ている。


 それなのに、彼は動かなかった。


 まるで、瞬の反応を観察しているかのように。


「その資料」


 ノワールが、指先で記録束を弄びながら言う。


「君には、まだ早い」


 瞬の胸に、氷の塊が落ちたような感覚が走った。


 さっきまで、この記録庫で読んでいた「面影」の記録。塗りつぶされた名前欄。自分に似た赤ん坊の顔。――そのすべてを、目の前の男が「知っている」声音だった。


「……返せよ」


 声が、自然と口をついて出た。


 震えているのが自分でも分かる。恐怖だけじゃない。悔しさと、無力感と、ここまで来て何も守れなかった怒りとが、喉の奥で絡まり合って震えを生んでいた。


「それは、ここに残されてきた人たちのものだ。アンナさんの……リエールの人たちの……」


「そうだね」


 ノワールはあっさりと同意した。


「だからこそ、君たちにだけ渡すわけにはいかない」


 論理がねじれている。


 瞬は言葉を失った。反論が頭の中で形を取る前に、そのねじれた理屈が喉を塞いでしまう。


 フィアは、堪えきれないというように一歩踏み込んだ。


「意味の分からない詭弁を吐くな」


 武器の切っ先が、わずかに前へ鋭く伸びる。


「その資料は軍にも時政院にも渡らなかった。ギルドが預かってきたのは、利用するためじゃない。守るためだ。お前みたいなのに好き勝手にされる筋合いはない」


 ノワールは、肩をわずかにすくめる。


「軍や時政院に渡らなかった、ね。――本当にそう思う?」


 その一言に、フィアの眉がぴくりと動いた。


 ノワールはそこで追及を止め、再び瞬の方へ顔を向ける。


 仮面の奥から伸びる視線が、瞬の奥、もっと奥――骨の髄の、そのさらに奥のどこかを覗き込もうとしているように感じられた。


「瞬」


 彼は、名前を呼んだ。


 親しげでも、冷たくもない。淡々とした呼び方。だが、その響きには、奇妙な馴染みがあった。


「君は、まだ自分が“何者か”を知らない」


 瞬の心臓が、一拍、打つのを忘れた。


 次の鼓動は、さっきの倍の速度で胸を叩く。


「知りたい?」


 低い声が、記録庫の静寂に沈む。


 フィアが口を開きかけた。


「答える必要は――」


「フィアさん」


 瞬は、自分でも驚くほどはっきりした声で、彼女を制した。


 視線をノワールから逸らさないまま、絞り出すように言う。


「……知りたいよ。知りたくて、ここまで来た。でも、そのために誰かが勝手に奪っていくのは、違う」


 ノワールの仮面に刻まれた、表情のない線が、微かに揺れた気がした。


「強くなったね」


「……?」


「いや、こっちの話」


 ノワールはひとりごとのように呟き、記録束を胸元に引き寄せる。


「心配しなくてもいい。これを持って行ったからって、君が真実に辿りつけなくなるわけじゃない。むしろ――」


 彼は、そこまで言って言葉を切った。


 そして、ごく小さな声で囁いた。


 瞬にしか届かないほどの、低い囁き。


「むしろ、君が“正しいところ”まで来るための近道だ」


 その言葉に込められたニュアンスが、瞬の背筋をぞっと冷やした。


 正しいところ。どこへ行こうと、彼は言っているのか。


 フィアには、その囁きは聞こえなかったらしい。ただ、ノワールの唇が動いたのを見て、さらに一歩踏み込む。


「時間切れだ」


 彼女の声には、もはや警告の余地はなかった。


「ここで捕まえる」


 ノワールは、肩をすくめる仕草をしてみせる。


「残念。今日は“挨拶”だけのつもりだったんだけど」


 仮面の奥で笑いが深まる。


「——またすぐ会えるよ」


 その言葉は、予告というより、確信に満ちた宣言だった。


 ノワールが動いた。


 動いた――と言っていいのかどうかも迷うほど、滑らかな変化だった。影が、濃くなり、滲み、輪郭を失っていく。黒衣の裾が風もないのにふわりと揺れ、その揺れがそのまま影へ溶けていく。


 フィアは即座に距離を詰めた。


 床を蹴る音が鋭く響き、彼女の武器が突き出される。その軌跡は正確で、無駄がない。もし相手が普通の人間であれば、その一撃を避けることは難しかっただろう。


 けれど、切っ先が捉えたのは、空気だけだった。


 ノワールの身体は、彼女の間合いに入る寸前で、ふっと揺らいだ。黒い外套の輪郭が波紋のように歪み、そのまま霧のように崩れていく。突き刺された先には、ただ記録棚の影があるだけだった。


 音が、遅れて戻ってくる。


 さっきまでそこに存在していたはずの重みが、影も形もなく消えたことを、空気だけが証言していた。


 ひらり、と紙片が舞い上がる。


 ノワールのいた場所の足元に、一枚だけ紙が残されていた。誰かがわざと落としていったかのように、きれいに一枚だけ。


 フィアは歯噛みするような顔で武器を下ろし、その紙を拾い上げる。


「……逃げ足だけは、一流どころじゃないね」


 悔しさを押し殺した声音だった。


 瞬は、しばらく動けなかった。


 膝が少し震えている。手も、知らず知らずのうちに固く握りしめられていた。爪が手のひらに食い込み、鈍い痛みがようやく自分の身体の輪郭を思い出させてくれる。


(何者なんだ、あいつ)


 胸の中で、その問いが何度も反響した。


 自分の名前を知っている。自分の“何か”を知っているような口ぶり。リエールの記録の価値を理解した上で、それを奪っていった男。


 ただの盗賊ではない。


 ただの情報屋でもない。


 時間そのものに干渉するような気配をまとった存在――。


「……瞬」


 フィアの声が、近くから届いた。


 振り向くと、彼女が心配そうにこちらを見ていた。戦闘モードの鋭さは少しだけ薄れ、その代わりに仲間を気遣う柔らかさが目に宿っている。


「大丈夫?」


「うん……多分」


 瞬は、深く息を吐いた。吐き出した空気が肺の奥の重さを少しだけ軽くする。


「怖かったけど……まだ立てる」


「なら、上出来」


 フィアはそう言って、小さく頷いた。


「今はあいつを追いかけるわけにはいかない。ここで無理に追っても、逆にこっちの位置と戦力を晒すだけになる。……それに、あの消え方、まともな追跡ルートがあるとは思えない」


 淡々とした判断。


 悔しさは、その裏側に隠しているのだと、瞬には分かった。


「でも――」


 瞬は、唇を噛む。


「記録、持っていかれた」


「全部じゃない」


 フィアは拾い上げた紙片を、軽くひらひらと振って見せる。


「ここに残ってる断片と、私たちが覚えてる内容がある。それに、記録庫全体を焼かれたわけじゃない。被害は大きいけど、致命傷とまでは言い切れない」


 言葉は現実的だ。だが、その目の奥には、やはり悔しさの色が濃かった。


「……それでも、やられっぱなしは嫌だね」


 フィアは吐き捨てるように言い、散乱した資料の山を一度見回した。


「次に会ったときは、ただ“挨拶”で終わらせるつもりはない。あいつが何者で、どこからこの情報に辿り着いたのか……必ず引きずり出す」


 その言葉には、戦場で積み重ねた経験から来る固い決意が宿っていた。


 瞬は、拳を握りしめたまま、ゆっくりとうなずいた。


「僕も、知りたい」


 喉の奥で焼けるような悔しさを、ひとつひとつ言葉に変える。


「あいつが何者で、なんで僕のことを知ってるのか。どうしてリエールの記録を狙ったのか。……全部」


 握った拳が、わずかに震えた。


 ノワールの低い声が、まだ耳の奥に残っている。「またすぐ会えるよ」と告げた、あの不気味な確信。


 これは、ただの一度きりの遭遇では終わらない。


 瞬とノワールの間に、今、確かに一本の線が引かれたのだと感じる。その線は、どこか遠い未来へ向かって伸びている。その先に何が待っているのかは、まだ見えない。


 だからこそ――。


「……次は、逃がさない」


 小さく、そう呟いた。


 フィアはその言葉を聞き取り、わずかに口元を緩める。


「いいね。それくらい言ってくれた方が、こっちも燃える」


 彼女は武器を仕舞い、散らかった資料の山へと歩き出した。


「まずは被害の確認。それから、アンナとリュカに報告。あいつが何を持っていったか、全部洗い直す必要がある。――仕事は山積みだよ」


 廃都の冷たい空気の中で、紙の擦れる音が再び鳴り始める。


 記録庫に残った静寂は、もはやただの静けさではなかった。そこには、奪われたものの影と、新たに刻まれた因縁の残響が、薄く、しかし確かに染み込んでいた。

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