ちょっとしたことなんですが①
ある寒い日のこと。
いつものように開店準備をして、今日のお客様を待っていた。
「今日はぐっと冷えたねぇ」
「そうだなぁ。しばらく冷え込むらしいな」
出入りを全開にすると寒くなりすぎてしまう。
悩んだ末に今日は、ドアを開けて、カーテンを閉めていた。
ガシャン。
「……あ」
と彼女が声をあげたのと、表で歩行車を押しながら歩いていたお婆ちゃんが倒れたのはーーほぼ同時。
俺はお婆ちゃんに素早く駆け寄って、歩行車とお婆ちゃんを立たせた。
「大丈夫ですか?どこか痛むところは?」
「いんやぁ、ありがとねぇ。大丈夫だよ」
ニコニコと微笑んで、お婆ちゃんはゆっくりと起き上がった。
幸い大きな怪我はなさそうで、ほっと胸を撫で下ろしてた。
けれど、支えた手にぬるりとした温かさを感じて眉を潜めた。
「……お婆ちゃん、急ぎの用事はある?
俺、そこのカフェやってて、ちょっと傷の手当てさせてよ」
「用事は無いねぇ。なんでぇ?」
「ほら、手が擦りむいてる。砂も入り込んでるし。
この手じゃあ、歩行車のハンドルも汚れるからさ。手当てさせてよ」
助け起こしたその手、血が滲んでいた。
「あれまぁ。じゃあお言葉に甘えようかねぇ」
「歩行車任せていい?あと救急セット」
店へ振り替えると、すぐ後ろで心配そうに覗き込む彼女の姿。
「任せて!お婆ちゃん、これ中に入れさせてね。
足元気をつけてね、ゆっくりしていってー」
頼みごとをすれば快く返事し、先に中へと歩行車を押して入っていった。
そうして、それぞれ役割分担をする。
「ちょっと冷たいけど、水で流させてね」
「ご丁寧にどうもねぇ」
ボウルを袋で多い、その中に吸水ペーパーを入れた物をテーブルに置いた。
その上に、お婆ちゃんの手を取って、水差しの水で洗い流す。
「痛くない?滲みたりは?」
「ないよぉ」
ニコニコと笑顔のお婆ちゃんに、俺も笑顔を返した。
ペーパーで、傷口周りを優しく拭いた。
手のひらの傷は深くはなかった。少しすれば血も止まるだろう。
テーブルに救急セットを持ってきた彼女は、不要になった水差しとボウルを持って、奥に消えていった。
「手押し車押しやすいように、今だけガーゼ当てておいた方がいいよ」
ガーゼを当てて、上からネットを被せた。
「そこまでせんでいいよぉ?」
「お婆ちゃん、俺が心配なの。お節介させてね。目立つけど、テープでかぶれても大変だから」
「いつもなら転けないんだけどねぇ」
「今日は寒いから。寒いと動きにくくなるもんだよ」
ちょっと待ってて、と声をかけてカウンターへ向かう。
念入りに手洗いをしアルコール消毒をする。
沸かしたお湯をコップに淹れて、水を足して温くした。
「お婆ちゃん、これ飲んでゆっくりしてから行くといいよ」
「ありゃ、気が利くねぇ」
テーブルにコップを置いて、そっと離れたところ、彼女にツンツンと袖を引っ張られた。
「……歩行車にさ。電話番号あって、どうする?」
「ん、任せて。聞いてくる」
カウンターから二人で覗いた先、お婆ちゃんの隣にある歩行車を見ると、幾つか並んだ字が直接書き込まれていた。
お婆ちゃんは相変わらず、ニコニコと微笑んでいる。
「お婆ちゃん、誰かにお迎えとかって頼める?転んでて心配だからさー。念のためなんだけど」
と、先ずは人懐っこく聞いてみる。
お婆ちゃんはそれに気分を害したふうもなく、お湯を啜りながら、答えてくれた。
「良いよぉ。そこ、番号書いてあるって息子が言ってたからぁ」
お婆ちゃんの指差す方、歩行車を見れば、座面に名前と電話番号が書かれていた。
歩行車=高齢者の方がよく使われている物です。
作中では、座面付きの手押しで歩く際の歩行補助のタイプを想定しながら書きました。




