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喫茶くろあし  作者: 松平 ちこ


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「これはねぇ。お母さん。聞き流しても良いし、怒っても良いし、私のつまらなーい、ただの一人言なんですけどね」


女性のおっとりとした声が、耳に心地よく届いた。


「医者は医者として。看護師は看護師として。保育士は保育士の。まぁ、皆それぞれ専門職の発言の責任があるので、下手なこと言えないんだと思うんです」


お母さんも誰も悪く無いんです、と眉をちょっと下げて、力無げな笑みを浮かべ女性は言う。


「だからこれは、一般人の、素人の、ただのカフェのオーナーの一人言なんですけど……」


人差し指を口許にあてて内緒話をするように続けた。


「お母さん頑張らなくて良いんですよ。だってもう十分頑張りましたもん。

赤ちゃんには赤ちゃんの好みがあります。食べない時は食べないです。

大人だってそう。例えば、ラーメン知ってます?バリカタとか普通とか麺の固さまで、好みが分かれちゃうんですよ!

ご飯の作法やカレーの辛さとか、こだわりだしたらキリがないです!

アシはなんでも、うまいって言って食べますけどね!世の中そんな人ばっかりじゃないですよねー」


女性はビシッと男性を指差していた。

ええーと、男性は困っている。

なんだかそれがおかしくて、私は思わず笑っていた。


「それでいて、離乳食のスケジュールとか試すリストとか、資料が配られたり、調べたりすると思うんですけど。

あれって結構ハードで、まるで拷問みたいですよね。

電車みたいに決まった線路、時刻でカッチリ、キッチリしてるんです。

安心して乗れるなら、それはとても良いことだけど。

でも、線路から外れちゃったら、ほんと何もないんですもん。

進め方の線路も地図もないんです。

赤ちゃんとそれを支えるお母さんには、地獄になっちゃうと思います。

だって正解かも分からないところを、手探りでずーと進むしかないから」


そう、そうだった。渡された資料は全部、食べ進んで当たり前。

それ以外のことが書いてなかった。


だから不安で不安で、いろんな人に私は聞いて回ったのだ。


「誰に聞いても、専門職の発言で。それが知りたい時なら良いけど。向き合うのは自分自身で。皆もそれがお仕事だから、お母さんに頑張ってね!しか言えなくて。

それって結局、お母さんからしたら、線路に突き飛ばされたようなもので。

いっぱいいっぱいのお母さんには、酷ですよねぇ。

だから、もう頑張らなくて良いんですよ」


ーーそう。最初のうちは、いろんな人に言われたものだ。


『○○は試した?まだ?じゃあやってみて』

『お母さんが嫌そうにしてたら、子どもも嫌になってしまうからよ、ご飯は楽しいって教えないと』

まるで私に、非があるような言い方で。


「食べるのなんか、赤ちゃんの好み、赤ちゃんから教えて貰えるようになったらで良いんですよ。

ジュースだって歯磨きちゃんとして、定期的に歯医者さんに行ったら良いんです。

体重だって痩せて不健康じゃなければ良いんです。

昭和とか、給食とかに栄養価の高いグミやゼリーが配られたりしてたんです。

食生活が今より豊かじゃなくて、栄養面の改善のために。おじいちゃんとかおばあちゃん世代は、食べてた人がいると思います。

偏食っ子はまさにそれなので、ちょっとでも栄養のあるもの食べてくれるなら、お菓子だろうと食べたら良いんですよ。

正解がないから、お母さんと赤ちゃんに合わせたら良いんです。新しい地図を作ったら良いんです」


言われたことを実践してダメだった、とそういって相談したら。じゃあ次は……と新しいことを言われて。それが試せるうちは良かった。


でも、もう一年。色々試した今では、やれることはなくなってしまった。

そんな中で相談したり、時には好き嫌いが激しいの?ちゃんと育児してる?と問い詰められて、その度にちゃんと答えていたらーー。


『お母さんは十分やってるから、そのやり方でいい。食べるまで頑張って続けて』と、言われるようになった。今日もそう言われた。


ーーああ、出来ることがないのに。まだ頑張るの?


私はそれが、とても辛かったのだ。

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