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3 怖い顔の人

 俺を迎えに来たのは怖い顔をした体の大きな男の人だった。この人もボスがいた事務所の人なんだろうか。


(怖い顔だし雰囲気もそんな感じだし、たぶんそうだと思うけど……)


 直接見るのが怖くて、車の窓に映る横顔を見ながらそんなことを考える。


(しかもボスと同じくらい偉い人なんじゃ……)


 俺がそう思ったのは、部屋に入ってきた怖い顔の人にボス以外の全員が「お疲れ様です」と頭を下げたからだ。「そんな挨拶してんじゃねぇよ」と怖い顔の人は言ったけど、それでもみんな頭を下げ続けた。きっと偉い人だからに違いない。


(それにボスとも普通に話してたし)


 怖い顔の人が「ここに呼び出すんじゃねぇよ」と言うと、綺麗なボスが「たまにはいいだろう?」と笑った。あんな言葉遣いでも怒らないということは同じくらい偉い人だからだ。

 そんな人の車に乗せられて到着したのは大きなビルだった。大きなビルだけど風俗店には見えない。


(てっきりお店に連れて行かれるんだと思ったんだけど……もしかして最初から臓器売買だったってこと……?)


 お店の奥でサングラスの人が臓器売買の話をしていたのを思い出した。偉い人や金持ちにはとんでもない値段で売れるとかで、事務所ではそういう仕事もしているらしい。もしかしてこのビルは怖い顔の人の事務所なんだろうか。偉い人なら大きなビルに住んでいるだろうし、もしかすると買う人のビルかもしれない。


(買う人も金持ちだって聞いたし……)


 ビクビクしながらエレベーターに乗った。グングン上って行く感覚に耳がキーンとなっていると、「ほら、早く出ろ」と言われて廊下に出る。そこには玄関らしきドアが一つだけあった。中に入ると「座ってろ」とだけ言って、怖い顔の人は奥に行ってしまった。


(こんな高そうなソファに座っていいのかな)


 真っ白なソファもキラキラ光っているテーブルも高そうだ。乗せられた車も大きくて高そうだった。売る人か買う人かわからないけど、汚したら怒られそうだからと思ってソファの端にちょこんと座る。


「おい、食えないものはあるか?」

「え?」


 奥から怖い顔の人が顔を出してそんなことを聞いてきた。


「好き嫌いは却下だ。アレルギーはあるか?」

「え、ええと、あの、」

「あるのか?」

「な、ないです」


 俺が答えると怖い顔が引っ込んだ。しばらくするといい匂いがしてきてお腹がグゥと鳴る。


(オレンジジュース、全部飲めばよかった)


 もしこのまま臓器売買されるなら、たぶんあれが最後のご飯だったはず。それなら全部飲めばよかった。こういうのを“後悔後に立たず”というんだ。


(あれ? 先に立たずだっけ?)


 そんなのどうでもいいか。またもやグゥと鳴ったお腹を撫でる。


(そういえば一個ずつ売るって言ってた気がする)


 最初は死なないところを売って、最後に死んでしまうところを一気に売るのが定番なんだそうだ。それなら、あと何回かはご飯が食べられるかもしれない。でも少しずつ切られるのは痛くてご飯どころじゃないような気もした。


(痛いのは嫌だな)


 延々と殴られることと臓器売買は、どっちのほうが痛いんだろう。臓器売買はされたことがないから、どのくらい痛いのかわからない。それなら殴られるよりマシな気がした。そんなことを考えていたら怖い顔の人が戻って来た。


「飯だ」


 そう言って高そうなテーブルにお皿を置いた。お皿には焼き飯みたいなものが山盛り載っている。慌てて怖い顔の人を見たら「食え」と言われた。


「あ、あの、」

「腹が減ってんだろ。まずは食べろ」


 どうしよう、本当に食べてもいいんだろうか。迷っていたらお腹がグゥゥゥと鳴った。「で、でも」と言いながらお腹を押さえた俺に「いいから食え」と怖い顔の人が睨む。


(食べなかったら殴られるかもしれない)


 そう思った俺は両手を合わせ、小さい声で「い、いただきます」と言って銀色のスプーンを持った。山盛りのてっぺんをそっとすくって、こぼさないように口に入れる。


(……おいしい)


 俺が知っているお母さんの焼き飯と同じくらいおいしい。お母さんの焼き飯には葉っぱと卵だけだったのに、この焼き飯にはいろんなものが入っている。こんなのは初めてだ。

 気がついたらガツガツ食べていた。駄目だと思っているのにお腹が空いていたせいで手が止まらない。それにお米を食べるのも久しぶりで興奮した。お姉さんたちがくれるのはお菓子かパンがほとんどで、おにぎりはたまにしかもらえない。お店で出さないからだろうけど、俺はたまにもらえるおにぎりが一番の好物だ。


「ゆっくり食え」


 わかっていても手が止まらない。そのままガツガツ食べていたら、あっという間にお皿が空になってしまった。「もう少し味わって食べればよかった」なんて残念に思いながら、両手を合わせてごちそうさまを言う。


「全部食ったな。えらいえらい」


 そう言って怖い顔の人が俺の頭をポンと撫でた。


(……殴られるのかと思った)


 手が伸びてきた瞬間、体が強張った。でも殴られなかった。


(でも後で殴られるかもしれない)


 だからじっとしていよう。勝手に動いたらきっと殴られる。膝に乗せた両手を握り締めて動かないように息を止める。


「なるほどな。訳アリってところか」


 怖い顔の人が何かをつぶやいた。もしかして大事な話だったのかもしれないけど聞き返すことはできない。「どうかこのまま殴られませんように」と思いながらギュッと目を瞑る。


「しかしこんな子どもまで売人にするとは、あの辺りもろくでもねぇことになってんな。藤生(フジオ)の奴、気ぃ抜けてんじゃねぇか?」


 静かになった。話は終わったんだろうか。殴られなくて済んだってことだろうか。おそるおそる目を開けると怖い顔の人が俺をじっと見ていた。


「おまえ、親は?」

「……いません」


 慌てて俯きながらそう答える。どこかにお母さんはいるんだろうけど、どこにいるかわからない。それはいないのと同じだ。


「こんな子どもをほっぽりだして、最近の親は何やってんだか」


 子どもという言葉にドキッとした。「子ども」は「ガキ」とは違う。ボスと同じでこの人も俺を子どもだと勘違いしている。もし黙っていたら殴られるかもしれない。


(違うって言わないと)


 両手をギュッと握り締めながら息を吸った。


「あ、あの」


 顔を上げると、怖い人はまだ俺をじっと見ていた。


(……しゃべるなってことかな)


 そう思って口を閉じた。すると「怒らねぇから言ってみろ」と言われて慌てて口を開く。


「お、俺、子どもじゃない、です」

「いくつだ?」

「じゅ、十七です」

「十七? は? おまえ、高校生か? そんな小せぇ体で十七歳だと?」

「こ、高校は行ってない、ですけど、じゅ、十七です」


 一ヶ月くらいしたら誕生日だからほとんど十八歳だ。でも聞かれていないことを言ったら殴られる。


「十七にしちゃあ小さすぎだろ。それにガリガリだぞ? ……おまえ、もしかして虐待されてたのか? あぁ、それで売人なんてさせられてたってことか」


 ぎゃくたい……もしかして虐待ってこと……? びっくりして慌てて怖い人を見た。


「ぎ、虐待なんて、されてません。ち、小さいのは昔からなんで、虐待とは、ち、違います」

「親、いねぇんだろうが」

「じゅ、十五歳になる前に、お、お母さんがいなくなった、だけで……」


 怖い顔がどんどん怖くなっていく。もしかしていなくなることも虐待なんだろうか。そうじゃないと言いたいのに、うまく説明することができない。それでも違うと言いたくて必死に声を出した。


「あ、あのっ。あの、お母さんはちょっと病気で、そ、それでボーッとしてることが多くて、俺、ず、ずっとそばにいたんです。でも、久しぶりに、が、学校に行って帰ってきたら、いなくなってた、っていうか……」


 自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。それが悔しくて俯きながら唇を噛む。


(お母さんが虐待していたなんて思われたくない)


 お母さんはとても優しくて、叩かれたことも怒鳴られたこともなかった。たくさん頭を撫でてくれたし、元気なときはたくさん抱きしめてもくれた。笑いながら「大好きよ」ってたくさん言ってくれた。

 病気になってからは少し変だったけど、一緒にご飯を食べるときは「おいしいね」って一緒に笑ったりもした。だから、お母さんは虐待なんかしていない。


「そのあたりは後で調べさせるからいいか。で、おまえはいま一人なんだな?」

「……はい」


 虐待されてないってわかってもらえなかった。俺がうまく話せなかったせいで、お母さんが悪者になってしまった。悔しくて悲しくて、膝に乗せた両手をグッと握り締める。


「よし、いまからここがおまえの家だ」

「え……?」


 どういう意味だろう。そっと顔を上げると、まだ怖い顔が俺をじっと見ていた。


「おまえみたいな奴が一人で戻ったところで、またろくでもねぇ奴らにいいように使われるだけだ。少なくともいまは絶対にそうなる。だから帰すわけにはいかねぇ」


 帰さない……そうか、ここで何かやらされるんだ。もし事務所なら電話番という仕事があると聞いたことがある。でもここは事務所っぽくない。


(風俗店にも見えないし……じゃあ、やっぱり臓器売買で売れってことなんだ)


 そう思うと急に怖くなってきた。いったいどこから売られるんだろう。手、足……想像するだけで体が震えそうになる。あまりに怖くて、つい「ど、どこから売るんですか?」と聞いてしまっていた。


「はぁ?」


 ドスが利いた低い声に「ひっ」と首をすくめた。震える手を止めようと必死に両手に力を入れる。


「どういう意味だ?」

「だ、だって、捕まったら風俗か、ぞ、臓器売買だって、聞いたから」

「誰がそんなこと言いやがった? ……藤生(フジオ)の目の届かねぇところで、んなことやってる馬鹿がいるってことか?」


 失敗した。俺は慌てて「じ、事務所に連れて、い、行かれたから」と答えた。怖い顔が「最後まで言え」と言うように俺を睨んでいる。


「じ、事務所に連れて行かれたら、ふ、風俗に沈めるか、ぞ、臓器を売るかだって、サングラスの人たちが、は、話してたから」


 怖い顔の人がますます怖くなっていく。その顔があまりに恐ろしくて慌てて下を向いた。


「なるほどな。おまえがどういう場所で育ったのかはわかった。そういう環境で育ったんなら耳年増にもなるわな」


 みみどしま……って、なんだろう。


「おい、俺を見ろ」

「……っ」


 顎を掴まれて無理やり上を向かされた。俺を見る顔はさっきよりもずっと怖くなっている。どうしよう、俺が失敗したせいだ。ここで目を逸らせばもっと怒られる。そう思った俺は、唇を噛みながら必死に怖い顔を見つめ返した。


「風俗だとか臓器売買だとか、んなことはしねぇ。俺は真っ当な商売をしてんだ、そんなことするわけねぇだろうが」

「まっとう、な、商売、」

藤生(フジオ)んとこも、あっちの世界じゃ白いほうのグレーだ。子どもにンなことしたりしねぇよ」

「で、でも、俺、に、荷物を運んでて……バイニンってので、だ、だから、連れて来たって……」

「それは足下でうろちょろしてるろくでもない奴らをぶっ潰すためだ。三玄茶屋(さんげんちゃや)の連中が関わってるってのはわかってるが、なかなか尻尾を掴めなくて藤生(フジオ)んとこも困ってんだよ。そこでようやくとっ捕まえた下っ端が、おまえが売人だと吐いたってところだろうが……。たしかに売人なんだろうが、俺に預けた理由はなんとなく察しがついた。藤生(フジオ)んとこは子どもに優しいからなぁ」


 よくわからなかったけど、この人が俺を押しつけられたことはわかった。だからこんなに怒っているに違いない。


(誰だって、俺みたいなのを押しつけられたら迷惑だ)


 うまくしゃべることができなくて、体が小さくて頭も悪くて、何をやっても失敗する俺はろくでもない人間だ。あの人もそう言いながら俺を殴った。


「とにかく落ち着くまでおまえはここにいろ。いいな」


 そう言われても頷くことはできない。だって迷惑料を払うことができないからだ。

 俺が知っている事務所の人たちは「置いてやってんだぞ」と言って迷惑料を取り立てていた。でも俺はお金を持っていない。それに荷物運びの仕事もなくなってしまった。そんな俺にできることは……そうだ、一つだけある。


「おまえの荷物は近々取りに行かせるから待っ……」


 顎から離れた手を掴んで「あのっ」と言いながら怖い顔を見た。


「俺、め、迷惑料、払えません」

「……何の話だ?」

「お、押しつけられて、迷惑だって、わ、わかってます」

「迷惑っていうのは藤生(フジオ)みたいな奴のことを言うんだよ」

「で、でも、ボスっていう人にも、め、迷惑、で……」


 怖い顔がどんどん怖くなっていく。また失敗したんだろうか。それでもいま言わないときっと殴られる。いま言うよりひどいことになるのを俺はよく知っていた。それならいま言ったほうがいい。


「俺、ふ、風俗店で働きます。そ、それで迷惑料、払います」


 俺なんかがどのくらい稼げるのかはわからない。それでもほかの仕事より早くたくさん稼げるはずだ。お店のお姉さんたちはそうやって働いていた。


「俺、お店、だ、大丈夫です」


 俺が働けるお店があるかわからない。でもきっとあるはずだ。


「それで、あ、あの、ボスに、……っ」


 ボスにお店を紹介してもらいたいと言う前に、また顎を掴まれた。さっきよりも強い力で上を向かされる。掴まれた顎も引っ張られている首も痛いけど、それよりも睨むような目が怖くて体が強張った。


「おまえ、風俗で働きたいのか?」

「……っ」


 さっきよりもずっと低くて怖い声だ。もしかして臓器売買する人は風俗で働いたらダメなんだろうか。


「答えろ」

「……お、俺、そのくらいでしか、か、稼げない、から、」


 俺を見下ろす目が細くなっていく。


(俺、やっぱり失敗したんだ)


 俺はいつも失敗してばかりだ。でも、頭が悪い俺にはこれしか思いつかなかった。


「……なるほどな。それがおかしいってわからない環境で育ってきたってことか」


 怖い顔の人が「ふぅ」と小さくため息をついた。


「おまえは俺の手元に置く。ここがおまえの居場所だ。いいな」


 ようやく顎を掴んでいた手が離れた。怖い顔はまだ俺を見ている。その目が怖くて下を向きながら「あ、あの」と小さな声で話しかけた。


「お、俺、どこで働けば、」

「おまえが働くのはここだ」

「……え?」


 この部屋で働けということだろうか。俯いたままチラチラと横目で周りを見たけど、俺が知っている風俗店とは全然違う。お店じゃない風俗店もあるけど、このビルは入り口もエレベーターもそんなふうには見えなかった。


「あの、こ、ここで働くんですか……?」

「そうだ」


 この人がそう言うなら、そうなんだろう。


(もしかして、ここで練習してからお店に行くのかもしれない)


 俺でも働けるお店があるか調べている間、ここで内容を覚えろということかもしれない。そう考えた俺は「よ、よろしく、お願い、します」と頭を下げた。そうしたら、なぜか「ハァ」ってため息みたいな声が聞こえてきた。

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