22 恋人の年の瀬
クリスマスイブが近づくにつれて藤也さんの仕事が急に忙しくなってきた。年末というより年度末に向けての準備が山積みで大変らしい。仕事のことで俺が役に立てることは何もない。だから、せめてと思って藤也さんがやっていた家のことは俺がやることにした。
部屋の掃除に加えて風呂場やトイレ、台所の掃除も俺がやる。ここに来たときから全部藤也さんがやっていたんだと気づいたのは二カ月くらい前だ。
(掃除が趣味って……藤也さんにできないことって本当に何もないのかもしれない)
藤也さんは掃除、洗濯、料理となんでもできる。一度だけ「やらなきゃ生きていけなかったからな」とつぶやいたことがあった。その声がいつもと違っていて「どうして?」と尋ねることはできなかった。
藤也さんほど上手にはできないけど、藤也さんが綺麗にしていたのをキープできるように俺もがんばっている。ほかにも届いた食材を冷蔵庫に綺麗に仕舞ったり、それから藤也さんのシャツやスーツをクリーニングに出すのも俺がやることにした。「高宮にやらせるからいい」と藤也さんは言ったけど、藤也さんの身の回りのことは全部俺がやりたい。そう言ったら「ったく、おまえは可愛いな」と言って頭をポンと撫でてくれた。
(それだけ忙しいんだから、クリスマスイブを一緒に過ごしたいなんて言ったらダメだ)
クリスマスイブは藤也さんと恋人らしく過ごしたい、密かにそう思っていた。テレビでも雑誌でもそんな話題ばかりが流れている。でも忙しい藤也さんに迷惑はかけられない。
クリスマスイブの今日も藤也さんの帰りは遅い。先に食べておけと言われた夜ご飯はちゃんと食べた。いつでもお風呂に入れるように用意もしてある。そうして何度か時計を見たところで玄関の開く音がした。急いで迎えに行くと、手にケーキの箱を持った藤也さんが少し疲れた顔で笑っていた。
「今日はこれで勘弁な」
箱の中には星やサンタの顔のお菓子が載った小さなケーキが入っていた。
「明日はクリスマスパーティするからな」
「でも仕事は……」
「おまえと初めて一緒に過ごすクリスマスだ、仕事なんてやってられるか」
「……怒られない?」
「高宮にも言ってある」
俺は藤也さんに抱きついて「ありがとう」とお礼を言った。
翌日、約束どおり藤也さんとクリスマスパーティをした。といっても部屋でやる二人だけのパーティだ。
(藤也さんはレストランがよかったか、なんて言ってたけど、俺は二人きりのほうがうれしい)
藤也さんが買ってきたチキンとサラダを一緒に食べるだけで楽しい。そういえばパイ生地で包まれたスープを食べたのは初めてだ。こういうのもいつか作れるようになりたい。そう思いながら藤也さんとクリスマスのご飯を食べた。
食後のケーキはブッシュドノエルだった。テレビで見たケーキが目の前にあるのがうれしくて何枚も写真を撮った。「そういうの見てると、おまえもイマドキなんだなって思うよ」と藤也さんが笑っている。俺はいつもどおり「あーん」と藤也さんに食べさせながら、「本当はこうして甘い物を食べる藤也さんを撮りたいんだけどな」と思い、「来年は撮らせてくれるかな」と一年後のことを考えた。気が早い自分に「浮かれすぎだ」と笑いたくなる。
「あ!」
「どうした」
「ちょっと待ってて」
二人で片付けてお風呂も入って、藤也さんはお酒を、俺は炭酸水を飲んでいたときボスから預かっているものがあることを思い出した。自分の部屋に行き、忘れないようにと机に置いていた箱を手に取る。部屋を出る前にクローゼットを見たけどコスプレ衣装を着るのはやめることにした。
(明日も早いって言ってたし、今夜は早く寝たほうがいいだろうし)
それにクリスマスなら来年もある。ボスには謝って別の贈り物を考えよう。
「これ、ボスがクリスマスプレゼントにって」
「……藤生が?」
予想どおり嫌そうな顔をしている。それでも捨てずに受け取るのはやっぱり兄弟だからだろうか。綺麗な包み紙を開けると、チューブが二本入った透明な箱が入っていた。サイズからハンドクリームに見える。
(ハンドクリーム……そうか、化粧品でもよかったんだ)
藤也さんは香水だけじゃなく化粧水やクリームも使う。俺にも「こっちが若者向けだ」と言って化粧品を買ってきてくれた。化粧品なら使っている種類がわかるし消耗品だからあげても迷惑にはならない。こんな身近にプレゼント候補があったのに今ごろ気づくなんて最悪だ。「俺ってやっぱりダメだなぁ」と反省していると、チューブを取り出した藤也さんが顔をしかめた。
「藤也さん?」
「年末までろくでもねぇもん寄越しやがって」
「ろくでもないもの……?」
チューブには花の絵が描かれていた。パッと見は若い女の子が好きそうな化粧品に見える。だから藤也さんは気に入らなかったんだろうか。
「それ、ハンドクリーム?」
そう尋ねると、一瞬無言になった藤也さんがニヤッと笑った。「そうか、知らねぇのか」と言いながらチューブを俺に渡す。
「クリームはクリームでも用途が違う」
ということは手に使うものじゃないってことだ。顔……ではなさそうだし、歯磨き粉にも見えない。なんだろうと見ていると、藤也さんが耳元で「おまえの中をよくするやつだ」と囁いた。
「お、俺のなか?」
一瞬何のことかわからなかった。「なか」ともう一度つぶやいた顔がカッと熱くなる。
「せっかくだ、姫始めのときにでも使うか」
そう言って藤也さんが楽しそうに笑った。
翌日から藤也さんはますます忙しくなった。朝は七時前に出て行き、帰りは午前〇時を過ぎている。二十八日になってもそれは変わらなかった。テレビでは仕事納めだと言っていたけど藤也さんにはないんだろうか。
心配になって聞いてみることにした。返ってきたのは「代わりに正月休みをもぎ取った」という言葉だった。
「いや、正月休みをもぎ取るためにいまが忙しいってのが正しいか」
「……大丈夫?」
「平気だ。もともと今年の年末は休みがない予定だったからな。それにただ忙しいだけよりご褒美があるほうがやり甲斐もある」
「ご褒美って」
「おまえと過ごす正月休みだよ」
ニヤッと笑った藤也さんの顔に、俺はやっぱりドキドキした。
(……で、仕事納めだって言ってた三十日になったけど……)
時計を見る。もうすぐ夜の十一時だ。ちなみに昨日は帰ってこなかった。どうしても終わらなくて徹夜だと電話があったのは夜十時を過ぎてからだった。今朝も「朝飯食ったか?」と八時過ぎに電話がかかってきた。
(俺の心配なんかしなくていいのに……)
それより働きっぱなしの藤也さんのほうが心配だ。高宮さんがいるから大丈夫だとは思うけど、徹夜してまで仕事をするなんて心配になる。無理をしすぎてお母さんみたいにならないだろうか。
(……大丈夫。藤也さんが大丈夫って言ったんだから、絶対に大丈夫)
今夜も遅くなるから先に寝ていろと言われた。言われたとおり夜ご飯を食べて片付けて、お風呂にも入った。あとは寝るだけだ。
いつもなら自分の部屋に行くのに、自然と足が藤也さんの部屋に向かった。部屋に入るとほんの少しだけ藤也さんが使っている香水の匂いがする。クンクンと匂いを嗅ぎながら大きなベッドにぽすんとうつ伏せに寝転がった。
藤也さんのベッドで寝るのはそういうことをするときだけだ。本当は毎日でも一緒に寝たいけど、仕事が忙しい藤也さんの睡眠の邪魔はしたくない。だから普段は自分の部屋で寝るようにしている。
「……何時に帰ってくるのかな……」
つぶやいたら段々寂しくなってきた。部屋に一人なんて、ここに来るまでは毎日そうだったのにずっと昔のような気がする。
(あの頃は寂しいなんて思ったことなかったのになぁ)
一人でいるのが当たり前だったから何も思わなかった。それなのにいまは藤也さんに会えないだけで寂しくてたまらなくなる。
(早く帰って来ないかな)
そうしていつもどおり「おう、いい子にしてたか」と言って頭を撫でてほしい。お風呂から出たらキスをして、ベロチューだってしてほしい。
もう一度時計を見た。デジタル時計は十一時七分を表示している。部屋に入ってほんの少しの時間しか経っていない。
(正月休みってどのくらいあるんだろう)
ちゃんと休めるんだろうか。そういえば正月の料理はどうしよう。「何もしなくていいぞ」と言われたけど、やっぱり用意しておいたほうがいいんじゃないだろうか。
もう一度時計を見る。十一時十三分だ。全然時間が進まない。
(明日、正月料理をどうするか藤也さんに聞こう)
疲れているなら俺が買い物に行けばいい。一人で食材を買うこともできるようになったし、少しくらい重くても持って帰ってくることだってできる。そんなことを考えているうちに段々眠くなってきた。
(部屋に戻らないと……)
そう思いながら藤也さんのベッドの上で丸くなり、そのまま眠ってしまった。
「相変わらず子どもみてぇな寝相だな」
どこからか声がする。この声は……藤也さんだ。
(夢……?)
それとも帰ってきたんだろうか。それなら起きないとと思ったのに体はまだ眠っているのか動いてくれない。
「こんなでかいベッドなのに、なんで端っこで丸くなるかな」
丸くなるのは不安だからだ。大雨の日も、お母さんがいなくなった日も、ご飯がない日も、電気がつかなくなった日も、こうやって寝れば怖くなかった。最近は丸くなって寝ることなんてなかったのに、今日は寂しくて久しぶりに丸くなった。
「泣くんじゃねぇよ。おまえはもう一人じゃないって言ってるだろ」
いつもどおり藤也さんが頭をポンと撫でてくれる。
「俺がずっとそばにいてやるよ」
ポンポンと撫でてくれるのが気持ちいい。
(そういえばお母さんが最後に頭を撫でてくれたの、小学二年のときの漢字テストが満点だったときだ)
急にそんなことを思いだした。それが撫でてもらった最後で、その後誰かに撫でられた記憶はない。でも、ここに来てからは毎日のように藤也さんが撫でてくれる。
「ようやく準備が整った。おまえはもう一人じゃない」
頬にチュッとキスをされた。温かくて、うれしくて、目尻が少しだけ濡れる。
俺はやっぱり藤也さんが好きだ。大好きで好きすぎて、それでも毎日もっと好きになっている。
「知ってるよ」
やっぱり藤也さんはすごい。俺がこんなに藤也さんを好きだってことも知っている。藤也さんはかっこよくて、なんでも知っていて、なんでもできるすごい人だ。
「そりゃどうも」
藤也さんが笑った気がした。藤也さんが笑っているのがうれしくて顔がにやける。体の奥がムズムズして俺まで笑いたくなった。うれしくてフワフワしていると、足がゆらゆら揺れているような気がした。一瞬変だなと思ったけど、結局そのまま眠ってしまった。