20 アクシデント
テレビがクリスマス一色になってきた。雑誌もクリスマス特集ばかりになっている。
(クリスマスかぁ)
いままでクリスマスを意識したことはあまりない。というより考えると虚しくなるから考えないようにしていた。「ああいうのを虚しい気持ちっていうんだな」ということは最近わかった言葉だ。
藤也さんの役に立ちたくて、俺はいろんなことをするようになった。本も読むようになっていろんな言葉をたくさん覚えた。大検も藤也さんに教えてもらったことで、来年はそれに挑戦するために家庭教師を頼むことにもなっている。
(受かれば大学に行けるんだ)
大学なんて想像したこともなかった。でも、そこに行けばきっと藤也さんの役に立てる。そう思ってすでに大学受験のための勉強もがんばっている。
いまの俺を見たらお母さんもきっとびっくりだ。それとも喜んでくれただろうか。久しぶりにパスケースに入れたお母さんの写真を見た。最近はお母さんの写真をあまり見なくなった。藤也さんの写真は毎日見ているのに、お母さんの写真を見たいと思うことが段々少なくなっているような気がする。
(藤也さんのことばっかり考えてるからかもな)
お母さんのことを忘れたわけじゃないけど、いまは藤也さんのことで頭がいっぱいだ。
(もっと藤也さんの役に立ちたい。そのためにはもっとがんばらないと)
掃除も洗濯も早くできるようになった。最近は少しだけ料理もしている。といっても藤也さんがいるときだけで、ようやく包丁を使わせてもらえるようになったところだ。
(ハサミのほうが早いけど、それじゃあ料理って感じがしないし)
だから藤也さんみたいに包丁を使って料理ができるようになりたい。そんなことを考えながらテレビをつけた。小さいときからよく聞くクリスマスソングが流れている。去年まではこういう曲を聞くだけで寂しかったけど今年は違う。
(そうだ、クリスマスプレゼントどうしよう)
テレビに映っている“今年のクリスマスプレゼントは?”という文字にハッとした。できれば藤也さんにプレゼントしたい。でも俺はお金を持っていない。本を買うお金は藤也さんのお金だ。ほかのものも買っていいと言われたけど、藤也さんのお金で藤也さんへのプレゼントを買うのは違う気がする。
(そうだ、ボスに聞いてみよう)
ボスは藤也さんの兄弟だし藤也さんがほしいものを知っているかもしれない。それにプレゼントを買うアルバイトを紹介してくれないか相談もできる。
(アルバイトをして、お金をもらってからプレゼントを買おう)
俺はスマホを手にすると、藤也さん以外でたった一人登録してあるボスの番号をタップした。
(……で、ボスに電話したらこうなったわけなんだけど……)
チラッと隣を見る。「忙しいのにすみません」と言うと「気にしなくていい」と言われてしまった。絶対に忙しいはずなのにと思うと、やっぱり申し訳なくなってくる。
ボスに藤也さんがほしがりそうなものがないか尋ねると「ソウくんだろ?」と即答された。顔が熱くなるのを感じながら「そうじゃなくて、クリスマスの」と言ったところで「あぁ」と返ってくる。どうやらボスは俺がプレゼントを贈りたがっているとすぐにわかったらしい。でも答えを教えてくれることはなく「マンションの下で待ってて」とだけ言って電話は切れた。
エントランスで待っていると静流さんが現れた。そうして「プレゼント、買いに行くんだろ?」と言われていまに至る。
(ショッピングモールに連れて来てくれたのはうれしいけど……)
でも、こんなにお店がたくさんあったら逆に何を買っていいのかわからなくなる。そもそも俺はお金を持っていない。車に乗ったときに一応伝えてあるけど、静流さんは「問題ない」と言ってここに連れて来てくれた。
(静流さん、こんなところにいていいのかな)
それも気になった。静流さんはボスの右腕だ。それなのにボスのそばにいなくていいんだろうか。
「あの、」
やっぱり帰りますと言いかけたとき、静流さんが「あれは?」と言いながらお店を指さした。
「……洋服屋?」
お店の入り口にたくさんの服が飾られている。でも服の隣には食器や文房具が置いてあった。洋服屋にしてはちょっと変わっている。何の店かわからないまま静流さんが指しているところを見た。
(……あれ、コスプレ衣装だ)
クリスマスが近づくと、お店のお姉さんたちがあんな服を着ていた。サンタクロースのような真っ赤な色で首や袖、裾に真っ白なファーが付いているのも同じだ。帽子は被ったり被らなかったりだったけど、みんな短いスカートだった。
(……あれ、スカートだよな……)
間違いない。お姉さんたちが着ていたのと同じミニスカートだ。それを静流さんが指さしている。
(もしかして藤也さん、コスプレするのが好きとか……?)
それでもあれはちょっと無理な気がする。
「あの、あれじゃ藤也さんには小さいと思います」
そう言ったら静流さんが「ブッ」と吹き出した。笑い声は聞こえないけど体が震えている。
「あの……」
「……あぁ、ごめん。予想外の言葉がおもしろくて」
「おもしろい、ですか?」
何がおもしろかったのかよくわからない。首を傾げる俺に「あれはソウくんが着るんだよ」と静流さんが言った。
「俺が、ですか?」
まさかの言葉に眉間に皺が寄った。
「藤也さん、意外とああいうの好きだから」
「それって、コスプレが好きってことですか?」
「そう。あれを着て、俺がプレゼントって言えばいい」
「……それって」
「藤也さんが一番好きなのはソウくんだから絶対に喜ぶ」
「……そう、なのかな……」
たしかに藤也さんはいつも俺に好きだと言ってくれる。でも、ああいうコスプレをした俺というのはどうなんだろう。……好きそうな気はするけど。
(ああいうのを着たら藤也さんも興奮するのかな)
もしそうなら着てみたい。いつもより興奮した藤也さんを見てみたい。そう思うとコスプレ衣装がいいような気がしてきた。
(……よし、買おう)
本当はボスにアルバイトを紹介してもらってから買うつもりだったけど、せっかくだからいま買ってしまいたい。藤也さんがスマホに入れてくれたお金で買って、あとでアルバイトのお金が入ったら返すことにしよう。そう思ってコスプレ衣装を取ろうとしたら静流さんが取ってくれた。お礼を言う前にそのままお店の奥に入ってしまう。
「はい」
しばらくするとお店の袋を持って戻って来た。
「あの、」
「これはボスからソウくんへのクリスマスプレゼント」
「え?」
「次はあそこのカフェに行こう」
「あの、」
静流さんが指さしたのは見たことがある看板のお店だった。少し前に藤也さんと行ったチェーン店で間違いない。戸惑う俺に「行こう」と言ってスタスタ歩き出す。俺は慌てて静流さんの後を追いかけた。
お店に入ったら「座って待ってて」と言われた。ちょうど空いていた端っこのテーブルに座って待っていると、静流さんがコーヒーとフラペチーノを持ってきた。
「あの、これ」
「これは俺からのクリスマスプレゼント」
「ありがとう、ございます」
まさか静流さんからもプレゼントをもらうことになるなんて思わなかった。本当にもらっていいのか迷っていると「はい」と言って容器を差し出された。見ると藤也さんが買ってくれたチョコチップがたっぷり入ったフラペチーノだということに気がつく。
「ありがとうございます。これ、好きなやつです」
「よかった」
「でも俺、ボスと静流さんにクリスマスプレゼント用意してなくて……」
「あとでそれ、どうだったかボスに教えてくれればいいから」
そう言って指さしたのはコスプレ衣装が入っている袋だ。
「感想ですか?」
「そう」
「……本当にそれでいいんですか?」
「藤也さんがどのくらい喜ぶか知りたいそうだから」
「そう、ですか」
複雑な気持ちになりながら「わかりました」と返事をする。
「あの人も藤也さんと一緒で小動物が好きだから、こういうのも喜んでる」
「小動物?」
「そう。犬とか猫とか兎とか」
俺もそういうかわいい動物は好きだ。
「可愛いペットができたって喜んでるから気にしなくていい」
よくわからないまま頷くと、「それに今日は俺とソウくんが一緒にいることが目的だから」と言われて首を傾げた。藤也さんやボスもだけど、静流さんも時々こうして難しいことを言う。それを聞くたびに「もっと勉強しないとダメだ」と焦ってしまう。藤也さんはゆっくりでいいと言ってくれるけど俺は早く大人になりたかった。そして静流さんがボスを助けているみたいに俺も藤也さんを助けたい。
「ねぇ、あの人かっこいいよね」
「うんうん、超かっこいい」
後ろのほうから女の人たちの声が聞こえてきた。今度は「やばっ、マジでかっこいい」という声が横から聞こえてくる。耳を澄ませるとあちこちからそんな声がしていた。その声を聞きながらそっと静流さんを見る。
「どうかした?」
ストライプ柄の濃い色のスーツと黒のシャツ、それに艶々の黒いネクタイをした静流さんがコーヒーを飲んでいる。……うん、静流さんもイケメンだ。
フラペチーノをちゅるっと飲みながら、今度は隣の席の人を見た。女の人が二人、こっちを見ている。その隣にいる人も、レジに並んでいる人もチラチラとこっちを見ていた。男も何人かチラチラこっちを見ている。
(静流さん、目立つからな)
ちょっと前までは周囲のことなんて気にならなかった。というより誰も俺を見なかったし俺も見ることがなかった。周りの話し声はただの雑音で、うっかり聞いた声が怒鳴り声だったらどうしようとばかり思っていた。
でもいまは違う。気になれば聞くし見ることもある。周りを観察することも大事だと藤也さんも言っていた。
「静流さんもかっこいいですよね」
「『も』ってことは藤也さんが基準ってことかな」
「……ええと、」
指摘されて視線を逸らした。なんとなく顔が赤くなっている気がする。
「あの人に比べたら俺なんて子どものようなものだけど。でも、ありがとう」
「静流さんは子どもじゃないです。それに比べて俺は……まだまだ子どもです」
「あぁ、十八のソウくんから見たら三十の俺はオジサンか」
「さん、じゅう、」
それって、静流さんが三十歳ってことだろうか。
(全然そんなふうには見えない)
てっきり二十代だと思っていた。それにお姉さんたちのお店で見た三十歳はもっとおじさんだった。
(それじゃあ何歳かって聞かれても困るけど)
静流さんは年齢不詳だと思う。そういう意味では藤也さんもボスも似たようなもので、四十歳には見えなかった。
ボスなんて年齢よりも性別のほうがもっとわからない。スーツを着ていると男に見えるけど、もしドレスを着ていたら女だと誰もが思うだろう。もしかしたらスーツ姿でも男装していると思われるかもしれない。声を聞けばさすがに男だとわかるけど……たぶんわかるはず。
「ソウくんから見たらオジサンだろう?」
俺は慌てて首を横に振った。
「静流さんは全然おじさんじゃないです。かっこいい大人の人だと思います」
「かっこいい大人か。ありがとう」
「……俺も、早く大人になりたいです」
早く大人になって藤也さんの役に立ちたい。そして、いつかは藤也さんみたいになんでも知っていてなんでもできる大人になるのが夢だ。
「そんなに急がなくてもいい。それに俺もまだまだだ」
「まだまだ……?」
それって、静流さんもまだ大人じゃないってことだろうか。
「早くあの人に追いつきたいと思ってはいるけど、年齢どころか何もかも追いつけないでいる。まだまだだと、いつも痛感させられる」
静流さんの目は俺じゃなく、どこか遠いところを見ているように見えた。
「それは悔しくもあるけど、同時に引きずり下ろして蹂躙できる高揚感を与えてくれる。俺はソウくんのように純粋な気持ちは抱けない。でも、ソウくんが藤也さんに抱いている気持ちは理解できる」
どういう意味だろう。藤也さんの話と同じくらい静流さんの話は難しくて理解できなかった。
「さて、そろそろ帰ろうか。このくらい一緒にいれば十分だろう」
「え?」
「この辺りは落ち着いているけど安全だとは言い切れない。とくにソウくんみたいな子は狙われやすい。でも、俺と一緒のところを見せておけば狙われることはなくなる。今日のこれでソウくんに手を出せば紫堂が出てくるとわからせることができたはずだ」
「……?」
「虫除けみたいなものだ。でも、これ以上ソウくんを連れ回したら藤也さんに殴られかねない」
「さすがにそんなことはしないと思いますけど……」
「どうかな。藤也さんはソウくんのことになると怖いから」
そう言って静流さんがほんの少し笑った。
残りのフラペチーノを飲み終えてお店を出た。出るときもあちこちから囁く声が聞こえてきた。みんな静流さんを見ているけど、静流さん本人は視線が気にならないのか周りを見ることはない。
(静流さんでもこんなだってことは、藤也さんはもっと見られてそうだな)
一緒にいるときは藤也さんしか見ていないから周りのことはよく覚えていない。でも静流さん以上にかっこいい藤也さんだから、きっと毎回こんな感じなんだろう。前に買った雑誌にもそんなことが書いてあった。
“多くの女性を虜にされていますが、好きなタイプはどういった方ですか”
“いま恋人はいらっしゃいますか”
“結婚のご予定は”
どの雑誌にも似たようなことが書いてあった。でも、藤也さんがなんて答えたのかは読んでいない。藤也さんは俺の恋人だけど男の恋人がいるなんて答えるはずがない。そういうことは言わないほうがいいのもわかっている。
(代わりになんて答えてるんだろう)
気にはなるけど読むのが怖かった。だから、最近は雑誌の文章もあまり読まなくなった。写真だけ見て、ほかの特集ページなんかを少しだけ読む。
(こういうところがまだまだ子どもなんだろうな)
こんな小さなことなんて気にならないくらいの大人になりたい。藤也さんの隣にいても恥ずかしくない大人になりたい。そんなことを考えながら歩いていたからか、静流さんが立ち止まったことに気づかなかった。ボフッと背中にぶつかってしまい、慌てて「すみません」と謝る。
「向こうから出よう」
「静流さ、……っ」
急に肩を掴まれて体が震えた。相手は静流さんだとわかっているのに、突然掴まれるとやっぱり体が強張ってしまう。俺が震えたことに気づいたのか、静流さんが「悪い」と言ってすぐに手を離してくれた。そのまま来た道に戻ろうと振り返る直前、それが目に入った。
(……いまのは藤也さんだ)
見えたのは一瞬だった。でも間違いない。真っ黒なロングコートを着たあの人は藤也さんだ。どんなに離れていても、どんなに一瞬だったとしても俺が藤也さんを見間違えることは絶対にない。
いつもなら振り返って走っていったはずだ。こんなところで会えた偶然を絶対に喜んだ。でもそうしなかった。できなかった。藤也さんの隣に髪の長い女の人がいるのが見えて、名前を呼ぶことも近づくこともできなかった。