18 紫堂兄弟
「気を遣って昼過ぎにしたんだが予想どおりだな」
「気ぃ遣うな、予想するな、ここに来るな」
「ひどいな、わざわざ報告に来てやったというのに」
「昨日静流からメール来てるの知ってるよな?」
「それじゃあイマドキすぎるだろう? ホウレンソウって言葉、知らないのか?」
「おまえから報告も連絡も相談もされたくねぇよ」
「ひどいな」
藤也さんは怖い顔をしているけど、ソファに座っているボスは機嫌がいいのかずっとニコニコしていた。そんなボスの後ろに金髪の人が立っている。あのとき最初に俺を助けてくれた人だ。
(お礼、言いたいけど……)
起きたら声がガラガラになっていた。こんな声じゃうまく話せないし、きっと嫌な気分にしてしまう。でもお礼を言いたい……どうしよう。そう思いながら金髪の人を見ていたら金髪の人がチラッと俺を見た。慌てて頭を下げるとちょっとだけ笑ってくれたような気がする。
「まぁ、起き上がれるくらいでやめたのは賢明だな」
「うるせぇ。人の性生活に口を出すんじゃねぇよ」
「おや、俺だってソウくんのことを心配してたのに」
「静流を貸してくれたことは感謝してる」
「高くつくよ?」
「言われなくてもわかってる」
藤也さんが少しだけ困った顔をした。もしかして俺のせいだろうか。そう思うったらやっぱりいろいろ不安になった。
藤也さんは全部終わった、二度と思い出さなくていいと言った。捕まったことで反省しろとは言ったけど、それ以上怒ったりしなかった。でもボスがどう思っているかは聞いていない。
(ボスにもちゃんと謝らないと)
謝りたくて体を起こそうとして失敗した。声もだけど体もうまく動かせなくて、一人ではちゃんと座ることもできない。それでもなんとか背中を伸ばそうとモゾモゾ動いたら、腕がクッションに当たって一つ床に落ちてしまった。
「クッションまみれにしないと座っていられないくらいには抱き潰したんだな」
「うるせぇぞ」
俺の周りにはクッションが何個も置いてあった。もともとソファに置いてあったクッションは三個で、俺がいつも使っている枕も合わせて五個ある。そうやって囲んでいないとうまく座っていられないからだ。
(まさかトイレにも行けなくなるなんて思わなかった)
目が覚めてトイレに行こうとしたけどダメだった。起き上がろうとしても足に力が入らなくてベッドの上で転がってしまう。それを見た藤也さんは笑いながら「運んでやるよ」と言ってトイレに連れて行ってくれた。そこまではよかったんだけど……。
「ソウくんの顔が真っ赤だけど、おまえ何をしたんだ?」
「介助全般だな」
「……思っていたより変態だな」
「うるせぇ。それより報告に来たんならさっさと報告しろ」
藤也さんがポンポンと俺の頭を撫でた。これは「大丈夫だ、安心しろ」という意味だ。俺はコクンと頷いてボスを見た。
「あの三人はお望みどおりの手筈を整えたよ。明日には船の底だろう」
「思ったより早かったな」
「大垣のオジキの伝手だ」
「急ぎなのによく手を回してくれたな」
「昔、何度かこの体を使わせてやったんだ。これくらいするのは当然だろう?」
「……おまえ、後ろに静流がいるの忘れてねぇか?」
「大丈夫だよ。この子はそのくらいじゃ暴れたりしないから。ね?」
「昔のことですから」
「なるほど、昨夜はそっちも大概だったってわけか」
「嫌だな、静流はおまえよりずっと優しいよ? その証拠に俺はこうして自分で歩いて来ているだろう?」
「俺が優しくねぇみたいな言い方すんな。昨日は甘やかしただけだ」
藤也さんの言葉にドキッとした。昨日のことをあれこれ思い出して顔が熱くなる。
(恋人になると、みんなああいうことするのかな)
お店のお姉さんたちに聞いた話とはいろいろ違っていた。あんなところを舐められたりあんなふうに触られたりしたのはもちろん初めてで、途中から自分がどうなっていたか覚えていない。
「ソウくんが茹で蛸になっているぞ?」
「昨日のはまだ序の口だ」
「まったく、おまえは昔から限度を知らないからな。どうせ昨夜も散々泣かせたんだろう? 静流よりおまえのほうがよほど狂犬だ」
「いつの話をしてんだ」
藤也さんとボスの話はやっぱりよくわからない。いつかこういう難しい話もわかるようになるんだろうか。
(わかるようになったら役に立てるのかな)
早く大人になって藤也さんにふさわしい恋人になりたい。そうして役に立てるようになりたい。
(そうなったら、きっと失敗しても捨てられたりはしないはず)
置いて行かれたりもしないはず。膝の上でギュッと握り締めた手を藤也さんがポンと撫でた。
「本当におまえはどうでもいいことにはよく頭が回るな。言っとくが、俺がおまえを捨てることはねぇよ。何があっても俺が蒼を嫌いになることは絶対にない。昨日、散々っぱら言っただろう? おまえが好きだって」
「は、はい」
「俺とおまえは恋人同士だ。それともなんだ、おまえは俺が恋人をポイ捨てするようなひどい男だと思ってんのか?」
「お、思ってないです」
「よし、それでいい。おまえは俺のいうことだけ聞いてりゃいい」
「はい」
藤也さんの言葉がうれしくて不思議な色の目をじっと見つめる。
「これはまた熱烈だな。すっかりラブラブになったみたいでなによりだ」
「おちょくってんのか?」
「感動しているんだよ。何はともあれ、あのボンボンも少しは役に立ったということだな」
「役に立つわけねぇだろ」
「昨日のことが後押しになって進展したんだろう? よかったじゃないか」
「俺はただタイミングを考えていただけだ。あんなことがなくても蒼と俺はラブラブだ」
「……おまえ、思った以上に気持ち悪いな」
「喧嘩売ってんのか?」
「四十年そばにいるが、こんな気持ち悪い藤也を見たのは初めてだ」
「おまえ本当に殴られてぇのか?」
藤也さんの声が低くなった。もしかしてボスとケンカになるんだろうか。
(ケンカはダメだ)
大好きな藤也さんと優しいボスのケンカなんて見たくない。
「藤也さん、ケンカは」
掠れてうまく声にならなかった。ゴホゴホと何度か咳をしたら「無理すんな」と頭を撫でられる。
「藤生とは喧嘩にならねぇから心配しなくていい」
「おや、俺のほうは久しぶりに兄弟喧嘩をしてもいいと思っていたんだけどな」
ボスの言葉にポカンとした。藤也さんを見ると嫌そうな顔をしている。ボスのほうを見たら綺麗な顔で笑っていた。
「きょ、兄弟……?」
「あれ? もしかしてソウくんに俺たちのこと言ってなかったのか?」
「必要性も必然性もねぇだろ」
「ひどいな。藤也の恋人なら俺にとっても兄弟みたいなものじゃないか」
「おまえと関わらせるつもりは一切ねぇから安心しろ」
「俺はソウくんと仲良くするよ?」
「すんな!」
本当に兄弟なんだろうか。何回も二人を見比べたけど、どれだけ見ても兄弟には見えない。こんなに顔が似ていない兄弟っているんだろうか。
「ソウくん、いま『二人は似てないなぁ』と思っただろう?」
ボスの言葉にびっくりした。まるでいつもの藤也さんみたいだ。もしかして兄弟だから俺の考えていることがわかるんだろうか。
「あはは。ソウくんは驚いた顔も可愛いな」
「おい、勝手に見るな。蒼も可愛い顔見せてんじゃねぇよ」
「は、はい」
「そんな亭主関白はいまどき流行らないよ。ジェネレーションギャップで嫌われるぞ?」
「うるせぇ」
「まったく、こんな男と兄弟だなんてため息が出そうだ」
「俺だっておまえと双子だなんて思いたくねぇよ」
「……ふ、ふたご……」
びっくりしすぎて体が固まってしまった。
「そう、俺と藤也は双子だ。信じられないだろうけど、昔はこれでもそこそこ似ていたんだ。それなのに大人になったらこうだ。まったく、俺はこんなに美人に育ったというのに、藤也はどうしてこんな怖い顔になってしまったんだろうな」
「自分で美人とか言ってんじゃねぇよ」
「だって本当のことだろう? 俺くらいの美人、女でもそうはいない」
そう言ってボスがとても綺麗な顔で笑った。たしかにボスは美人だと思う。初めて見たとき、もしスーツを着ていなかったら女だと思ったかもしれない。お店でいろんなお姉さんたちを見たけど、どのお姉さんよりボスのほうが綺麗だ。
(でも、藤也さんが怖い顔っていうのはちょっと違うと思う)
最初は俺も怖い顔だと思っていた。でも藤也さんは怖くない。それにすごくかっこいい。たくさんテレビを見るようになって、ますますそう思うようになった。
「あ、あの……藤也さんは、怖い顔じゃないです。すごくかっこいいです」
ガラガラ声でそう言ったらボスが変な顔をした。後ろに立っている金髪の人も目を大きくしている。
「なるほど。ソウくんが藤也にベタ惚れだってことはよーくわかった。ま、たしかに顔の造作はピカイチだからソウくんの審美眼は正常だ」
「蒼は俺だけ見てりゃいいんだよ」
「うわ、やっぱり気持ち悪いな」
「うるせぇ。報告がそれだけならさっさと帰れ」
「はいはい。邪魔者は退散するよ」
立ち上がって廊下に出ようとしたボスが、「おっと、忘れるところだった」と言って振り返った。
「三玄茶屋のほうだが、あのボンボンにシャブを回していた二番手も潰しておいた。これであの辺りも少しは静かになる。会長もそろそろ歳だし、このあたりで隠居願うことになるだろう」
「紫堂が出張るのか?」
「いや、大垣のオジキと鷹木のオヤジで分割だ。紫堂はあくまでもホワイトグレーな組織だからな」
「鷹木とは、またえらく大物を引っ張り出したな」
「鷹木のオヤジには上の口も下の口も使わせてやったんだ。今後も俺のために働いてもらうさ」
「俺はこいつが安全ならそれでいい。そっち側のことはおまえの好きにしろ」
「当然だ。遠慮なく喰らい尽くしてやるよ」
「金と情報くらいならなんとかしてやる」
「へぇ、珍しいな」
「蒼が世話になったからな」
「そのうち返してもらう」
ニコッと笑ったボスが金髪の人と部屋を出て行った。最後のほうはやっぱり意味がわからなかったけど、藤也さんは怖い顔をしていない。ということは怒るようなことはなかったということだ。
(終わったのはよかったけど、結局何もわからなかった)
藤也さんとボスの話は最後までわからないままだ。藤也さんは気にしなくていいと言うけど、やっぱりこのままじゃダメな気がする。かっこいい藤也さんに俺みたいなヤツは似合わない。こんな俺が恋人なんて絶対にダメだ。でも恋人じゃなくなるのはもっと嫌だ。
(俺、やっぱり藤也さんにふさわしくなりたい)
もっと勉強して藤也さんの役に立てるようになりたい。藤也さんのそばにいるためには役に立てるようにならないとダメだ。
「俺、藤也さんのそばに、ずっといたいです」
どうしても言いたくて、藤也さんの腕を掴んでそう伝えた。そうしたら藤也さんの大きな手が頭をポンと優しく撫でてくれた。うれしくてぎゅうぎゅうに抱きついた俺は、もっとたくさん勉強しようと生まれて初めて思った。




