17 帰宅
俺を抱えたまま事務所から出た藤也さんは、初めて会ったときと同じ大きな車に俺を乗せた。体が離れた瞬間ブルッと震えたけど、スーツからしている藤也さんの香水の匂いを嗅いでなんとか落ち着かせる。
大きな車は大通りを走ってすぐにビルに到着した。俺が思っていたよりビルと事務所は近かったらしい。地下の駐車場に車を止めた藤也さんは、乗せたときと同じように俺を抱き上げてエレベーターに乗った。まるで子どもみたいだなと恥ずかしくなったけど、離れたらまた怖くなりそうで肩のあたりのシャツをギュッと掴む。
「風呂に入るぞ」
部屋に入るとすぐにお風呂に連れて行かれた。びっくりして動けない俺の服を脱がしたかと思ったら藤也さんまで一緒にお風呂に入ってくる。そうしてあっという間に体も頭も洗われてしまった。最後にオレンジジュースみたいな匂いの湯船に入れと言われる。
「五十数えたら出ろ」
そう言って藤也さんが出て行った。
(……スーツ、大丈夫かな)
ぼんやりした頭でそんなことを思った。俺を洗っているとき藤也さんはスーツを着たままだった。きっと泡がついただろうし濡れたはずだ。気にはなったけど洗ってもらうのがうれしくて何も言えなかった。
お風呂から出るとフカフカのタオルを持った藤也さんが待ち構えていた。俺の体を拭いてからいつものバスローブを着せてくれる。最後にいつもどおり髪を乾かしてくれたけど、藤也さんはひと言も話さなかった。俺も黙ったままチラチラと鏡の中の藤也さんを見た。
「傷は……ねぇようだな」
部屋に行き、ソファに座った俺の手足を藤也さんが何度も確かめる。太ももや腕の確認が終わると今度は胸や背中を見始めた。そのままお腹やお尻まで見られて恥ずかしくなる。それでもじっとしていたのは藤也さんが真剣な顔をしていたからだ。
「ギリギリ間に合ったってところか」
「ま、間に合った……?」
「大方、藤生のイロとでも勘違いして拉致ったんだろう。勘違いしたままおまえに手を出すんじゃねぇかと思ったんだがな」
藤也さんの言葉にドキッとした。藤也さんの言ったことは間違っていない。黒と金色の髪の男は最初、俺とセックスしようとしていた。でもしなかった。あの人のところに連れて行くことにしたからだ。
(……言わないほうがいいと思う……けど)
藤也さんに隠し事はしたくない。それに隠していたことがばれて嫌われるのはもっと嫌だ。
「あ、あの……最初はイロだから、あ、味見するって、言われて、ひっ」
藤也さんの顔が怖くなった。黒と金色の髪の男を踏んづけたときと同じ顔をしている。俺は慌てて口を閉じた。
「なるほど、本当にギリギリだったってことか。で、何された?」
「あ、味見はしないって……あ、あの人のところに、連れて行くからって……」
あの人の顔が浮かんで体が強張った。お湯に浸かって五十数えたのに手足がどんどん冷たくなる。言葉が出て来なくなった俺を「わかった」と言った藤也さんがギュッと抱きしめてくれた。
「なんにしても着けといて正解だったな」
体を離した藤也さんが俺の右手を掴んだ。そうしてピンク色のアクセサリーを指で撫でる。
「これには高性能のGPSがついている。万が一を考えて用意したんだが役に立った」
「じーぴー……?」
「どこにいても俺にはおまえの居場所がわかるって道具だよ」
「俺の、居場所」
藤也さんがくれたアクセサリーを見た。ピンク色の紐と銀色のビーズみたいなものしかないけど、こんな小さなもので本当に俺の居場所がわかるんだろうか。
「三玄茶屋の奴らが売人を探してるって聞いて念のために用意した。あいつら肝が小せぇくせにしつこいからな。用意しておいて正解だった」
「……俺が、つ、連れて行かれるって……」
「知ってたわけじゃねぇ。知ってりゃ部屋から出られないように監禁してた」
「か、監禁、」
「三玄茶屋だけじゃねぇ。俺もそこそこ顔が知られている身だ。俺関連での万が一も考えられなくはなかった」
藤也さんの言葉にハッとした。そうだ、藤也さんはテレビに出ていた。それって有名人ってことだ。
「藤也さん、テレビに、で、出てました」
「あぁ、見たのか。滅多に出ることはねぇんだけどな。知り合いのプロデューサーからどうしてもって言われて断れなかった。そのせいでおまえが部屋から出たことに気づくのが遅くなった。ったく、生放送ってのはろくでもねぇ」
部屋から出たという言葉にドキッとする。
「そういや、どうして外に出たんだ?」
藤也さんの声は怒っていない。でも勝手に出たのは悪いことだ。理由を言えば怒られるかもしれない。
(でも、隠すのはもっとダメだ)
隠し事をしない、これは藤也さんと約束したことだ。まだ少し冷たい手をギュッと握り締めながら「て、テレビで雑誌、見て」と話す。
「雑誌?」
「しょ、紹介されてた雑誌を見て、それで雑誌を買おうって思って」
「紹介……経済誌のことか?」
コクコクと何度も頷く。
「なんでまた経済誌なんか……」
ため息をつく藤也さんから視線を逸らし、小さい声で「…………写真、載ってたから」と答えた。
「写真?」
「と、藤也さんの写真です。テレビで見て、かっこよくて、それでほしくなって……」
藤也さんは何も言わない。静かなままなのが怖くなって「そ、それに」と話を続けた。
「写真があったら……いつでも顔、見られるって、思って……」
藤也さんの顔を見るのが怖くて下を向いた。座っているソファも着ているバスローブも真っ白なのに俺の気持ちはどんどん黒く重くなる。
「ハァァァ」
聞いたことがないくらい大きなため息に肩がビクッと震えた。読めない雑誌を買いに行った俺にきっと怒ったんだ。怖くなった俺はぎゅうっと目を瞑った。
藤也さんは何も言わなかった。俺も唇を噛み締めた。静かになった部屋にスマホの音が響く。藤也さんがスマホを取る音がした。しばらくするとスマホをテーブルに置く音がして電話が終わったんだとわかった。
「向こうは全部終わった。今日あったことは二度と思い出さなくていい」
「……はい」
「さて、次はおまえだな」
「お、俺……」
そっと顔を上げると藤也さんの目がじっと俺を見ていた。
「おまえは勝手に部屋を出た。そしてろくでもねぇ奴らに捕まった」
藤也さんの声を聞きながら少しずつまた下を向く。馬鹿な俺は出ちゃ行けないと言われたことを忘れて部屋を出てしまった。しかも敵対する事務所に捕まってしまった。怒られて当然だ。
「三玄茶屋の奴らを見つけて追いかけるなんて危ねぇ真似をしたから捕まった。二度とこんなことはするな。反省しろ」
「……はい」
「今度スマホ買ってやるから外に出るときは持ち歩け」
言われた意味がわからなくて顔を上げた。
「スマホを渡してなかった俺も悪い。まさかおまえが部屋を出るとは思ってなかったんだよ。いや、そろそろ出てもいいとは思っていたがな。今回のことは俺の落ち度でもある」
「と、藤也さんは、何も悪くないです」
慌ててそう言うと藤也さんがポンと頭を撫でた。
「この件はこれで終わりだ。さて、次は雑誌か」
藤也さんが俺の顎を掴んでグイッと持ち上げた。もしかして勝手に雑誌を買うのもダメだったんだろうか。慌てて謝ろうとしたけど言えなかった。言う前にキスをされたからだ。
「んぅ、」
唇をちゅうっと吸われて口の周りがビリビリした。「ぅ」と声が漏れたところで藤也さんのベロが口の中に入ってくる。そのまま口の中を舐め回されて息が苦しくなる。
「ん、んん……!」
鼻で息をしようとしたけどダメだった。藤也さんのベロが気になってうまく息が吸えない。
「ぷはっ」
藤也さんの唇が離れた瞬間、変な声が出た。ハァハァと息をする俺にまた藤也さんがキスをする。今度はくっつくだけのキスを何回かしただけで終わった。
「ったく、あんまり俺を煽るんじゃねぇよ」
「あ、あお……?」
「俺をいつでも見られるようにって雑誌、買いに行ったんだろ?」
「そ、そうです」
「そんなに俺を見ていたいのか?」
どうしよう、見たいと言っても怒らないだろうか。俺を見つめる不思議な色の目を見ながら「み、見たいです」と答えた。すると藤也さんがニヤッと笑った。
「おまえ、俺のこと大好きだな」
「え……?」
「大好きだろ」
もちろん大好きだ。慌てて何度も頷いてからハッとした。
(俺なんかに好きって言われたら藤也さん、きっと迷惑だ)
役に立たないどころか迷惑ばかりかける俺に好かれて喜ぶ人なんていない。でも「好きなのは嘘です」と言うこともできなかった。それじゃあ藤也さんに嘘をつくことになる。じっと俺を見る藤也さんの顔を見ることができなくなって視線を逸らした。
「蒼」
名前を呼ばれて体が強張った。それなのに呼んでもらえたことがうれしくて顔が熱くなる。
「あ、あの、勝手に好きになって、ご、ごめんなさい」
小さい声で謝った。すると藤也さんが「なんで謝るんだよ」と笑っているような声で答えた。
「っていうかおまえ、ちゃんと好きだって言ってねぇだろ」
「え?」
「頷いただけじゃねぇか。それなのに次に出てきたのが“好きになってごめんなさい”ってのはどうなんだ?」
「そ、それは」
「目ぇ逸らしてんじゃねぇよ。ほら、ちゃんと俺を見て言ってみろ」
また顎を掴まれた。グイッと持ち上げられたかと思ったら、かっこいい藤也さんの顔が近づいて来る。
「ほら」
こんな距離で好きだなんて言うのは恥ずかしい。でも、ずっと言いたくて言えなかった言葉をいまなら言えると思って口を開いた。
「お、俺、藤也さんが、す、好きです」
言ってすぐに顔がボッと熱くなった。耳も首も熱くて頭がグルグルする。それでもじっとしていたらかっこいい顔がフッと笑ったのがわかった。
「俺も蒼が好きだよ」
何を言われたのかわからなかった。ポカンとしたまま不思議な色の目をじっと見つめる。
「蒼のことが好きだって言ってんだよ」
「お……俺のことが?」
「あぁ」
「と、藤也さんが?」
「そうだって言ってんだろ」
「藤也さんが、お、俺を好き……?」
体がブルッと震えた。体中を静電気でビリビリされているみたいに鳥肌が立つ。あちこちがバチバチし始めて腕や肩がビクビクした。
「思うところがないわけじゃないが、ま、こういう人生も悪くねぇ。それにいい加減しっかり首輪をつけておかねぇとおまえは危なっかしくてしょうがねぇからなぁ」
首を撫でられて「へあ」と変な声が出た。ブルブルしていた体から力が抜けて、へにゃりとソファの背もたれに倒れる。
「いいか、蒼。おまえは俺専用だ。つまり俺の恋人ってことだ。思う存分愛してやるから安心して俺のそばにいればいい」
「あ、あいし……」
藤也さんの言葉にビビビと何かが背中を突き抜けた。グニャグニャになった体がどんどん熱くなる。
「やれやれ、丸っきりワンコみたいだな。まったくおまえほど可愛い奴はいないよ」
「と、藤也さ」
名前を言い終わる前に口をかぷっと食べられた。そのまま噛まれたり舐められたりする。ベロを藤也さんにじゅるっと吸われて腰がブルッと震えた。いままでしてきたふにっとしたキスとは全然違うキスに頭が真っ白になる。
「キスくらいでトロットロになってんじゃねぇよ。これじゃあ練習してきた意味がねぇだろ」
「れ、れんしゅ、」
「まぁこれからもっとトロットロにしてやるけどな」
「とろ……?」
「上の口も下の口も俺でいっぱいにしてやるってことだよ」
よくわからなかったけど、ニヤッと笑った藤也さんがかっこよくて頭の中までフニャフニャになった。
「さぁて、お待ちかねの本番だ」
「ほ、ほんばん」
本番という言葉に全身がゾワッと震えた。
(俺、藤也さんと本番、できるんだ)
フニャフニャの頭がパンと弾け飛ぶ。俺は藤也さんのシャツを掴むと、必死に「す、する」と訴えていた。




