14 聞き覚えのある声
ビルを出てきょろきょろと周りを見る。
(……あった!)
大きな道の向こう側に青い文字の看板が見えた。
(たしかあのコンビニでも雑誌、売ってたはず)
急がないと売り切れてしまうと焦った俺はコンビニまで走った。大急ぎで店の中に入り、すぐに雑誌が並んでいる棚に近づく。そこでようやくなんていう雑誌かわからないことに気がついた。テレビに映っていたページしかわからないから表紙を見てもどれなのかわからない。
(そうだ、たしか経済雑誌だ)
ということは、きっと難しい字が書いてある雑誌に違いない。棚を端っこから見ていくと、難しそうな名前の雑誌が何冊かあった。その中の一つに藤也さんの名前が書いてある。
(紫堂、藤也って言うんだ)
名前は知っていたけど名字を見たのは初めてだ。あんまり聞いたことがない名前だけど藤也さんっぽくてかっこいい。
雑誌に書いてある名前を指で撫でてからレジに持って行った。五千円で買えるか心配だったけど、お釣りがもらえてホッとする。これでいつでも藤也さんの顔を見ることができる。そう思ったらうれしくてにやけそうになった。
(本物もかっこいいけど写真もかっこいい)
買ったばかりの雑誌を開いて藤也さんが載っているページを見た。テレビで見たときよりかっこいい気がする。写真だからか、いつもの藤也さんより大人っぽくてキリッとしているのもかっこいい。
(そりゃそうか。だって藤也さんは四十歳だもんな)
テレビでは、四十代は働き盛りだと言っていた。きっと四十代はかっこいい大人という意味なんだろう。
(俺もいつか藤也さんみたいになりたいな)
藤也さんみたいな大人になりたいとすごく思った。なんでも知っていてなんでもできる大人になれば、きっと役に立てる。そうすれば藤也さんだって俺のことを好きになってくれるかもしれない……そこまで考えて顔が熱くなった。慌てて雑誌を閉じて右手でほっぺたをペシッと叩く。
(帰ったら藤也さんが載ってるページをちゃんと読もう)
わからないことがあったら藤也さんに聞こう。それでもわからなかったら勉強する方法を教えてもらおう。それから写真を切り抜いてパスケースに入れるんだ。ページが大きくて折り曲げないと入らないのが残念だけどしょうがない。
そんなことを考えながら自動ドアの手前に来たところで聞いたことのある声が耳に入ってきた。
(この声、どっかで聞いたような……)
聞いたことがあるのにどこで聞いたのか思い出せない。テレビじゃないしお店の人でもない。でもサングラスの人たちのしゃべり方にちょっとだけ似ている気がした。
「……あっ」
思い出した。お店の中で聞いた声だ。薄暗かったから顔はよく見えなかったけど、この声はあのときの声で間違いない。
(荷物運びをしないかって教えてくれた人の声だ)
少しだけ掠れていて、話しているとたまに高い声になるところはあのときと同じだ。もう一人しゃべっている人がいるけどそっちは聞いたことがない。俺はそっとコンビニの中を見回した。
(……あの人だ)
奥の飲み物が置いてあるガラスの前に男が二人立っている。どっちも知らない顔だけど、真っ黒なシャツを着た男の声はあのときの声で間違いない。
(あの人があの小さな箱を運ばせている人……ボスが探してる人だ)
事務所に連れて行かれたとき探しているような話をしていた。名前は……そうだ、サンゲンチャヤって言っていた。そして捕まえないといけないとも話していた。藤也さんもサンゲンチャヤの話をしていた。
きっとあの二人がボスたちが探している人に違いない。もしかしたら敵対している事務所の人なのかもしれない。事務所はいくつもあって、俺が住んでいたところでもよくケンカしていた。
(こっちに来る!)
慌てて雑誌の棚がある通路に隠れた。じっと見ていたら二人とも自動ドアを出て行った。そのまま通りを歩いて……横断歩道の前で立ち止まっている。もしかしたら事務所に帰るところかもしれない。
(どうしよう)
せっかく見つけたのに、このままじゃどこかに行ってしまう。
(……追いかけよう)
俺は急いで二人を追いかけた。せっかく買った雑誌をぎゅうぎゅうに握り締めながら、ゆっくりと横断歩道に近づく。そうして少し離れたところからそっと二人を見た。
(服とか雰囲気とか、お店にいたサングラスの人に似てる。ってことはやっぱり事務所の人なんだ)
サングラスはしていないけどしゃべり方もそっくりだ。信号が青になると二人とも歩き出した。大通りをしばらく歩くと途中で横の道に入る。しばらく行くとまた曲がった。そのまま後をついていくと繁華街みたいなところに出た。
(……ここ、どこだろう)
俺が住んでいたところに少し似ている。ということは近くに事務所があるのかもしれない。そういう事務所は大体繁華街に部屋を持っているからだ。
(あっ)
二人が横道に入っていった。少し間を空けながらついていくと、途中にあるビルに入っていく。きっとここが事務所に違いない。
(事務所ならボスに知らせないと……)
そう思ってハッとした。ここがどこか俺にはわからない。周りを見ても繁華街のどこかってことしかわからなかった。それでも何かないかキョロキョロ見回した。事務所の近くのビルに住所が書いてある。それを言えばボスにはわかるかもしれない。
(……ダメだ)
場所よりも、もっと大事なことを忘れていた。俺はボスの電話番号を知らない。藤也さんの電話番号もわからない。そもそも俺はスマホを持ってないから誰にも連絡できなかった。
(どうしよう)
せっかく事務所の場所がわかったのに、これじゃ誰にも伝えることができない。それでも俺は諦めきれなかった。せっかく役に立てるチャンスなんだ。どうにかしたいと思って住所が書いてあるビルに近づく。
(この住所を覚えよう。それを帰ってから伝えればいいんだ)
俺はビルの看板に書いてある住所を何度も読んだ。忘れないように漢字もしっかり覚える。難しい漢字は読めないけど、書かれている字は簡単だったから全部読むことができた。ビルの色も形も覚えた。よし、あとは部屋に帰るだけだ。
(……部屋ってどこだっけ)
一番大事なことを忘れていた。ここがどこかわからないのに藤也さんのビルに帰るなんでムリだ。
(……大丈夫、きっと大丈夫だ)
どこかわからなくてもきっと帰れる。そうだ、来た道を戻ればいい。そしてあのコンビニまでたどり着けばビルもわかる。ホッとした俺は、急がないとと思って振り返った。ところが目の前に誰かがいてドンとぶつかってしまった。
「おっと」
俺に荷物運びの仕事を紹介してくれた男の声がした。そーっと顔を上げるとコンビニで見たあの男が立っている。
「やっぱりバイトのガキじゃねぇか」
ニヤニヤしている顔を見た俺はしまったと背中が冷たくなった。




